感想を共有する喜び
美味しいものを食べた時って、その感想を共有しながら会話をすると、とても幸福じゃないですか。
美味しいとか、今日来てよかったとか、その場で話すこともあれば、後日にね、あのお店美味しかったよって友人に話したりだとか、
あとは顔も知らないネットの人たちに向けて、一人で食べたラーメンの感想をあげたりだとか、その何気ないコミュニケーションが僕とても好きなんですけど、
できることなら、その料理の感想っていうものを自分の言葉、自分の感覚をありのまま表現したい、そんな気持ちがあるんです。
ただその時に僕の前にいつも立ちはだかる障害がありまして、 それが正解のオノマトペですね。
プリプリのエビとか、パラパラのチャーハン、サクサクのとんかつ、こういったあらかじめ用意された美味しさの正解を表すオノマトペたちってあるじゃないですか。
これが僕の美味しさの基準だとか、感想を生み出す時の言語化に干渉してくるんですよ。
皆さんに想像してほしいんですけど、この正解オノマトペっていう存在のイメージは、中肉中贅のスーツのおじさんで、全体的に茶色みがかったような風貌、
張り付いたような笑顔と、特徴的な垂れ眉で右頬に小さなシミがいくつかあります。 夜あたりは上手そうなんだけど、どこかうさんくささが漂うそんなキャラクターなわけです。
この正解オノマトペおじさんが、食事の時期になると脳内の社長椅子みたいなところからね、重い腰を上げて現れて、ゆっくりと僕たちの側に近づいてきて、
視界の端で何もせずにっこり笑って待ってるんですよ。 すると僕たちはね、知らず知らずのうちに食べたものがプリプリかどうか、パラパラかどうか、サクサクかどうかみたいな、
正解オノマトペを満たすかどうかっていう基準で美味しさを判断しようとしてしまうわけです。 そんな工程を踏んでいますから、出てくる感想っていうのは、このエビプリプリだねーだと、
チャーハンはパラパラじゃないけど美味しいねとか、 とんかつがサクサクでジューシーみたいな、自分のありのままの感覚とは少し違う、
どこかで聞いたことあるような枠にはまった普遍的な表現が出てきちゃうんですよ。 そんな月並みな表現をした僕たちを見届けた正解オノマトペおじさんは、
満足そうにまた腰を下ろすわけですね。 どうですかみなさんこの構図とても悔しくはないですか?
今まで生きてきてね、思い出の食事っていうのはいくつかあったかと思うんですけど、 そんな素敵な食事の数々、久しぶりに会う友人と食べたカフェランチだとか、
彼女と別れた帰りに食べた中華そばとか、父親と二人だけで行った高い寿司屋と、 あと同期と語り明かしたあの日の居酒屋、
このすべての判断と表現というのが、正解オノマトペおじさんの手のひらの上で踊っていたに過ぎないんだとしたら、
こんなに悲しいことがありますかね。 こんなおじさんの猫なで声に従い続けるわけにはいかないですよね。
ギチギチのエビ
だから皆さん今こそ立ち上がる時です。 これから未来英語正解オノマトペおじさんに、僕たちの想像力表現力を搾取されるわけにはいきません。
立ち上がるのです。搾取される側から搾取する側へ、表現の自由をおじさんから取り返しましょう。 30代男性B型党が打ち出す政策はこちらです。
正解オノマトペおじさんの蹂躙、おじさんの暴力を打ち破るとともに、その影響力を逆手にとって、僕たちが感じた美味しさをより正確に言語化する。
つまりおじさんを味方につける、そんな政策を推進していくんですね。 ただどうやっておじさんを味方につけるのか、そんな普遍的な表現を押し付けてくるものを味方にしたところで、
なんでオリジナリティが生まれてくるのか。 これ実はとてもシンプルなことなんですけど、
正解とは別のオノマトペで料理を楽しむ。 これだけで自分の言葉で言語化できるようになるんですね。
そんな簡単なことで劇的に何か変わるわけがないって、まあそうお考えの方もね多いかと思いますが、 具体例をお話ししますと、これの僕自身の話なんですけど、
僕がね、あの北海道いる時通っていたススキノの居酒屋の話で、 そこはね、エビのお刺身を注文するとなんともビタビタと跳ね回る、
生きたままのエビが運ばれてくるんですね。 エビの上に置かれた申し訳程度の蓋の役割を果たす小さめのボールを外すと、
信じられない跳躍力で、その氷の敷かれたお皿からね、 ビタンビタンと飛び出していくエビのその衝撃たるや、
その生きたままのエビをですね、抑えつきながら剥いて口に入れるんですね。 そのエビがもうギッチギチなんですよ。口に入れた時の感覚がギチギチなんですよ。
ギチギチのエビです。 プリプリの伊勢海老でもトロトロの甘エビでもないギチギチのエビ。
舌に広がるのはあの生牡蠣みたいな生々しい鉄分感。 食感はね、収縮した筋肉を喰らっているっていうか、生きたものを喰らっているそんな力強い歯応えで、
これをビールで流し込んで喉を鳴らす。 これがもうどれだけ幸福な瞬間かって。
こんなギチギチのエビ。どうですかね。プリプリのエビを食べた感想よりも、 よっぽど僕が受けた衝撃っていうのが正確に伝わったんではないでしょうか。
これですね。これが生海オノマトペおじさんの裏を描くっていうことです。 かの有名なナポレオンはですね、戦場で有利な鉱床をあえて相手に取らせることで、そこを集中攻撃して勝利を
収めたと言います。 僕たちも、生海オノマトペを踏襲するのがスタンダードな現代で、あえてオリジナルオノマトペをね、使用することで、
オリジナル表現の推進
浪せず印象深い味の感想を伝えるっていうことができるんじゃないかなって思ってて。 要は言語化ブームですから、自分の気持ちを言語化するための本が数多く出版されていて、
いろんな本に言語化する方法というのが書かれてあるんですけど、 どの本にも共通して漏れなく、自分の主観に立ち戻って話そうって、それが主眼として書かれていることが多いんですね。
ただなかなかこう自分の主観によった表現というのは難しいところがありますけど、 一つね、その技としてオリジナルオノマトペを使うっていう。
これさえ覚えておけば、誰ともね早々ね自分が考え出したオノマトペが被ることっていうのはないわけですから、
今世に出ている言語化ブームの本の共通項を、このオリジナルオノマトペを使うってことだけで容易に実現できるわけですね。
僕が小学1年生の頃北海道でね、外は吹雪で遊びに行けないみたいな休日がありまして、
家でポケモンの指人形をトコトコ動かして遊ぶしかなかったあの日。 お昼に母からかかるね、ご飯だよーの声に促されて、食卓テーブルに座ると、
出てきたシトシトのチャーハン。 ハム、ウインナー、ネギ、卵と、タンパク質多めの具材が入ったチャーハンを口に運ぶと広がる強めの塩コショウと、
あのヌナヌナの甘いネギ。 シャウエッセンではないであろうあのもむもむのウインナーと食べてですね。
そこに添えられているハムと卵。 何よりね、ほってもほってもあのシトシトの味の濃いご飯。
あのチャーハンより美味しいチャーハン、僕は食べたことがないですね。 パラパラのチャーハンを食べた話っていうのは数あれど、シトシトのチャーハンの思い出は僕だけが持つ記憶。
このようにね、かけがえのない思い出もオリジナルオノマトペを添えるだけで、その時の空気感みたいなものがありありと湧き上がってくるわけですね。
とんかつだってね、普遍的に美味しいのは確かにサクサクかもしれませんが、バックボーンが違えば正解は変わります。
シャッターの閉まった商店街を想像してください。 かつてはね栄えたこのアーケードもイオンの出店以降すっかりカンコドリが鳴いてしまっていると。
八百屋も精肉屋も潰れたこの場所で、未だに霧森している定食屋が一つ。 定食屋田山。
仙台の石を引き継ぐ二代目は不愛想だけども誰よりもこのお店を愛しています。 このお店の名物はかつ定食。
とんかつ、ライス、味噌汁、漬物のセットで、なじみの客は全員揃ってこれを頼みます。 かつ定食。
ぶっきらぼうな声とともに運ばれたお盆に乗る料理は飾り気がないんですけど、 どれも湯気を立てていて美味しそう。
特に名物であるとんかつの衣は油を吸ってしなしなで、 肉も高温で収縮していて、
見た目のボリュームは控えめであると。 しかしひとたび口に入れればですね、
しなしなだからこそのとんかつとしての一体感のある味わい。 油を吸った衣は塩気があって、肉はやや硬いんですけど、その噛み応えの奥から湧き出る肉汁。
そこにかき込むようにして食べるライスと、 もろもろが終わって一息ついた後に飲む味噌汁。
これがね、この上ない相性を示すわけですね。 店を出て駅まで歩く道すがらまた来ようかなって思える。
たくさくのとんかつじゃないんだけど、あのしなしなのかつがまた食べたい。 そんなねかつ定食を出している。定食屋田山。
とまぁこんな感じで、青海オノマトペおじさんから離れるだけで、 青海オノマトペ以外の美味しさにもつながりやすくなるし、
自分の気持ちをね、そういうのに邪魔されないで、そのまま表すこともできる。 さらにはね、共有した相手の興味もそそることができる。
まあこれが大きいですよね。 これらのすべてが、青海オノマトペおじさんの蹂躙というわけです。
ですからね、皆さんももしこの制作にご賛同いただけたならば、 30代男性B型党、30代男性B型党、比例代表は30代男性B型党にぜひ、
清き一票をお願いします。 皆さんもぜひ今日の食事から、これをオノマトペで表現するとしたら丸々だなって、
まあそんな風に空想しながらですね、 オノマトペおじさんを味方にして、より良い社会を私とともに推進していきましょう。
はい。 それではご静聴ありがとうございました。