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2022-05-26 24:09

#382 産後の妻に"絶対"言ってはいけない8つの言葉/太ったね/友達を家に呼んでいい?

【「知っておくべき産後の妻のこと」シリーズ】

なぜか急に妻が怒り出す。

自分の何がいけなかったのか分からず、2人の夫婦喧嘩はヒートアップする。

そんな経験はないでしょうか?

今回は東野産婦人科院長が書かれた書籍「知っておくべき産後の妻のこと」を元に、”絶対”妻に言ってはいけない言葉を説明します。

第三回は「太ったね」と「友達を家に呼んでいい?」です。

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産後の妻に絶対言ってはいけない八つの言葉、シリーズ第3回目の今日は
太ったねという言葉と、友達を家に呼んでいいというこの2つのNGワードについて話をしようと思います。
産後の妻になぜこれを言ってはいけないのかということと、これを言う男性側の真理とは一体何なのか、そしてどうすればいいのかということについて話をしていこうと思います。
今日はこの産後の妻に絶対言ってはいけない八つの言葉シリーズの第3回目なんですが、
今回のこの太ったねという言葉と友達を家に呼んでいいというのは結構わかりやすいというか、明らかにダメだよねということは誰にでもわかると思うんですよね。
それなりにその妻に対してお前太ったねとかね、夕方の56時ぐらいに友達に連れてきていいって言って突然30分後に連れてくるとか
明らかにダメだよねってことは僕らもちろんわかってはいるんですけど、なぜそれをやってしまうのかっていうその背景にある男性側の自分でもよくわかってないような真理っていうのがあるんですね。
それについてちょっと話をしていこうと思います。
2つの事例がありまして、これも党の産婦人会委員長が書かれた知っておくべき産後の妻のことという本をもとにお話をしていきます。
どちらも実際にあった事例だそうです。本を読みながらちょっと説明していきますね。
仮名で中村産夫婦という夫婦がいらっしゃって、週末に家族で出かけるのが習慣なんですって。
妻の恵美さんが着替えてたんですよね。出かけるために着替えていて、夫の和人さんは子供を抱えて回っていたと。
すると恵美さんがスカートのファスナーが上まで閉まらなくて困ったんですね。このファスナー、スカートのファスナーって上の方に10センチぐらいあるじゃないですかファスナーが。
ググググって入らないと閉まらないなという状態になっていて、それを見た夫が笑い飛ばしてあげようと思って、結婚した時に比べるとずいぶん大きくなったもんなって冗談を言ったそうなんですね。
だけど恵美さんが笑い声が返ってくることはなくて、何それという冷たい口をあったと。
だってお尻大きくなったから昔のスカートはいないんでしょ。今日デパートで大きめのサイズ見たらいいじゃないか。ほらそんなタイトなスカートじゃなくてフワッとしたファスナーじゃなくて腰がゴムになって履きやすいやつあるじゃんって言ったそうなんですね。
ここまで話を聞いたらわかると思うんですけどもちろんこの恵美さんは怒ったわけですよ。バカにしてんの?バカにするわけないだろ。そんなパツンパツンの状態で無理して履くことないだろ。
やっぱバカにしてんじゃん。私のことデブって言ってるんでしょ。言ってないよ。言ってるよ。半笑いだし。マジにムカつくんだけど。というふうに喧嘩になったということが描かれていて。
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これが何が起こったのかというと、出産後というのは女性は体が丸みを帯びていて体重がどんどんと、出産中は体重がどんどん増えていくじゃないですか。平均7から12キロぐらい妊娠中の体重って増えるんですけど。
だけど出産後もなかなか体重って落ちないんですよね。恵美さんの場合も体重が6キロ増えて落ちなかったそうなんですよ。
そこをまるで茶化すように夫に言われたことで喧嘩になったということが書かれていて、すごいわかりやすいですよね。その産後の女性の体型についてたちゃたちゃを入れて怒られると、ダメだよねって普通に考えて思うと思うんですけど。
これを何で言ってしまうのかっていう男性側の心理なんですが、そもそも産後の女性の体型変化についてわかってないというケースがあると思うんです。僕もよくわかってなかったんですよね。
その出産後のホルモンバランスの変化というのがなかなか元に戻らない。そして毎日子供の面倒ばかり見てるんで、そもそも運動なんかできないわけですよ。
だから自分の体型が戻らないんですよ。これしょうがないなと思うんですけど。そういったことをよくわかっていなかったっていうのと、
あとそういった現状に対する妻の気持ち。そこに対する妻の気持ち。出産した後もこの体型戻らないんだよねっていう。
嫌だなーって、私自分の体好きじゃないなーって思ってしまう妻側の心理に、気持ちに寄り添わずに余計な提案をしちゃったってことが問題点なんですね。
ゴムのゆるゆるっとした、パツンと履きやすいやつあれでいいじゃんみたいなね。そういう余計な提案をしてしまったっていうことが問題点かなと思っていて。
どうすればいいのかってことなんですが、これも前回と同じで産後の女性の変化について知るっていうのが、やっぱりこれが一番重要だと思うんですね。
これについては、第373話、夫が絶対に知っておくべき産後の妻の医学的変化とはという回でお話をしているので、こちらもぜひ合わせて聞いていただければと思うんですが、
産後の女性に起こる変化というのを理解して、そしてもちろん妻の体型が気になっちゃっても口にしちゃいけないんですよね。
本人が一番わかっている話なんで、わざわざそれを言う必要はなくて、妻が自分でね、なんかちょっと最近お腹もありがとかって言う時もあると思うんですけど、
そこにね、だよねとか言ったらね、余計火に油を注ぐようなもんなんで、何も言わない方がいいなって僕は思ってて、
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いつになっても可愛いよとか大好きだよとかっていうふうにごまかすわけじゃないんですけど、もちろんそう思ってるから言うわけですけど、
何だろう、その妻の自虐に乗っかっちゃいけないんですよね。自虐じゃなくて、そんなことないよって言ってほしいから言ってるっていうのは大きいんじゃないかなと僕は思ってて、
そこに自虐とかに乗っからず、そしてこっちが気になったとしても言わないっていうのが大事かなと思うんですよ。
あとどうしても本人が気にしてて、ちょっと体型元に戻したい、運動しようかなとか言う時もあるじゃないですか。
そういう時は、そうだよ、お前太ったんだから運動しろよとか言うんじゃなくて、一緒にやるといいと思うんですよ。一緒に運動する。
僕も以前、このコロナのパンデミックが始まったばっかりの頃かな、外出ができ始めた頃ですけど、一緒にランニングしたりとかよくやってたんですよ。
朝早めの時間、子供保育園に送った後15分とか、お近所を走ってたんですね。15分くらい、近所の川沿いを走ったりとかして、すごい気持ちがいいんですよ。
それをやってる時に、すごいゆっくり走るんで、2人で会話してたんですよね。2人で話をよくしてて、おしゃべりしてて、
最近あったこととか、子供たちのこととか、仕事のこととか、そういったことを2人だけで話をする貴重な時間になれたなと思ってるんですよ。
最近それができてないんで寂しいんですけど、そんな感じで、運動を妻がしたいって言ったら、一緒にそれをやって、2人の共通の体験になるし、会話の時間になるんで、僕はそれがすごくいいんじゃないかなと思ってるんです。
その一緒の同じ体験をしたことによって、また次の会話の話題にもなるんですよね。
あとヨガとかもやってましたね、妻と一緒に。妻は結構ハマってて、YouTubeを見ながらやってて、僕が後ろで同じように真似したりとかしてて、
これも結構会話のネタになったりして、そのYouTubeのヨガやってる方が出産されたらしいよとか、3人目らしいよとか、
今配信してるこの時ってもうお腹の中じゃ痛んだねとか、っていう話ができたりとかするんで、同じ話題が作れるっていうのはすごくいいなと思うんです。
次はですね、友達を家に呼んでいい?っていうNGワードですね。これもダメでしょうって思うんです。
本当にやるときっているのかなと思うんですけど、実際あったらしいらしいんですよね。
これは竹下さん夫婦といった夫婦がいらっしゃって、仮名だと思うんですけど、結婚5年目の時に子供が産まれたと。34歳の時でしたと。
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町にもあった子供があったんで、夫はすごい嬉しくて周りに自慢したくてしょうがなかったんですって。
で、ある日、外出してた夫が偶然友達だったんですって。結婚式以来久しぶりに会う友達に会って、
お前ちょっと家に来いよみたいな、この海に来いよみたいな感じで言っちゃったわけですよ。
で、妻に突然連れてきたら困るかなと思って、妻に一応電話したんですよね。
今たまたま近くでさ、こいつだったからさ、家に呼ぼうと思うんだけどいいかなって。お前も会ったことあるだろう?みたいな感じで言ったわけですよ。
すると、今から家片付いてないよって、妻が困った様子。
だけど夫は大丈夫、あいつそんなこと気にしないから、来てもらっても何もできないしと。
妻はどんどん元気なくなってくる。だけど夫はもう呼ぶってことしか考えてないんで、
大丈夫酒とか妻だったらどっちでも買ってくるから、お前何もしなくていいからって言って、
じゃああと30分つくからってガチャンと、ガチャンって今言わないかって電話をピッと切ったわけですよ。
で、妻がちょっと困ったなと思って部屋を見渡したら、
シンクに洗い物が溜まってて、バルコニーには自分の下着が干してあって、鏡を見るとすっぴんで、髪はボサボサで、洋服はヨリヨリの部屋着ですと。
30分って何もできないじゃんって怒っちゃったと。
赤ちゃんがぐずり出したりとか、抱っこしながら着替えることもできないから、
散らかっているものをクローゼットにギューッと押し込みながら泣きそうになってたと。
実際に夫が友人を連れてきたんですけど、これ良かったらどうぞってフルーツ持ってきたんですって。
それを切って出すのも妻の仕事になっちゃうわけですよ。
どうぞって言って出したんですけど、なんかちょっとおかしいなという風に友人が気がついて、
もう帰るわと帰っちゃったと。
そこで夫は、やっぱり他人の家じゃ落ち着かないよなみたいなことを言ったわけですよ。
すると夫婦喧嘩になったと。
なんでいきなり連れてくるの?いきなりじゃないの?なんか電話したろ?連れてくるの前提だったじゃないの?
あの状況で断るなんでしょ?お前が気にしてること散らかってないって。
あなたは良くても私は嫌なのよと喧嘩になって、1週間口聞いてもらえなかったんですって言ったことがあったと。
実際にあった話らしいんですけど、怖い。怖いですよね普通に。
そういうことをする人もいるんだなっていうのと、1週間口聞いてくれなくて普通に地獄だなって思うんですけど。
これがね、その問題点としては、
えっとね、これ多分ね、その家に連れてきていいっていうのがだけの話じゃなくて、他にも同じようなことをこの人はやってると思うんですよ。
同じようなことをおそらくやっているし、似たようなことっていうのは多分僕も含めて多くの人は経験があるのかもしれない。
で、こういったことの問題点というのは、それをすると何が起こるかといった想像ができてないんですよね。
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つまり妻の視点に立てていないっていうことが一つ問題点だなって思うんですよ。
で、その子供を連れてくると何が起こるのか。
で、家の中を片付けなければいけない。で、妻が化粧しなきゃいけないとか、着替えなきゃいけないとか。
で、それを赤ん坊を怪しながらやらなければいけないとか、そういった想像ができてなかった。
それは自分側の視点でしかものを見てなかったからなんですね。妻の視点に立てて考えると、それがダメだなってことはわかるはずなんですね。
で、あともう一つの問題点は、妻というのはもてなす人だという意識があるんじゃないのかなって思ったんですよ。
誰か来た時にもてなしてあげる存在、そのお土産のフルーツを切ってあげる、リンゴなのか何なのかわかりませんけど、
持ってきたリンゴを切って出してあげる人みたいな認識があるのかなって思ったんです。
これがもしそうじゃないんだったら、多分自分でリンゴを切ってると思うんですね。
自分でリンゴの皮を剥いて切って出してると思うし、何ならそんな手の掛かるものを持って買うなよとかって多分止めると思うんですよね。
出来上がりなものを買えばいいだろうっていうふうになるし、もてなす人、これはつまり妻を母親的な存在に押し込んでいる、
母親とかママとかそういった記号に妻を押し込んでいるんじゃないのかなって僕はちょっと思っていて、
これノートで僕書いたんですけど、「妻をママと呼ぶ違和感の正体」っていう記事をこの間書きまして、
この中で僕書いたんですが、お互いをパパとママって呼び合う夫婦っているじゃないですか。
それをお互いに呼び合うことで、その役割にお互いを閉じ込めているんじゃないのかなって思うんですよ。
相手を個人として見ることを放棄しているんじゃないのかなって思ってるんですね。
妻をママ的な役割の中に落とし込んでいる、一人の女性として一人の人間として見ようとしていない、個人として見ようとしていない、
そういうふうになっていくんじゃないのかなって、パパとかママとか呼ぶことによってなっていくんじゃないのかなって僕は思ってるんです。
どうすればいいのかって話なんですけど、これをすると妻がどう思うかっていう想像を働かせるっていうのが一番なんですね。
だけど、分かんないって言う場合もあると思うんですよ。
何考えてるんでしょうねとか、どう思うのかちょっと分からないですねっていう場合もあるかなと思うんです。
で、それは分かんない場合というのは単純にコミュニケーションが足りていないからなのかもしれないなって僕は思っていて、
会話量が足りないとその人が何を考えているかって分かんないじゃないですか。
仕事とかでもそうだと思うんですけど、初めて行く取引先だとどういうふうに来るのかなとか読めないじゃないですか。
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だけど毎日電話で話をしている人だったら、何を考えているかとかどうして欲しいかとか、こっちの要望をどれだけ飲んでくれるかとかっていうのが何となく分かるじゃないですか。
それが分かるとその人がどう思うか、これをするとその人はどう思うかっていうことが分かりますよね、仕事だと。
これを夫婦関係に当てはめてみると、妻と会話量が足りない状態っていうのはまだ全然アイスブレイクできていない取引先みたいな感じなんですよ。
何を望んでいるのか、どこまで情報をしてくれるのか、どこまでこっちが食い込んでいいのかが全然読めない状態、手探りで最初商談とか進めていくじゃないですか。
ああいった感じなんですよ。だけど夫婦関係になると分かっているつもりになってたりするんですよね。
子供が生まれる前のその仲良かった頃の感覚とかでいる。 だけど子供が生まれた後っていうのは全然関係性が変わってくるんで
妻がどういうふうに感じているのか、何を思っているのかっていうのがだんだんずれてくるんですよね。 だからだんだん分かんなくなってくるんですよ。
子供が生まれた後にコミュニケーションが足りてないと、何を考えているか分からない状態になってくる。
妻が何を考えているか分かるようにするためには、普段から会話量を増やしたいとか、あとは夫婦だけの会話を大切にする。
子供に邪魔させないとか、二人だけの時間を作るとか、そういった工夫が必要になってくるんじゃないのかなって思うんです。
あと最後は、妻をママとか母親という記号に押し込まないということ。 これがたぶん
基本的に根底的なところに流れている大事なことかなって思ったりもします。
はい、ということで次回はですね、妻、産後の妻に絶対に言ってはいけない8つの言葉の最後ですね。
体調悪かったら休んだらいいじゃん、と、唐揚げは食べたい、この2つについて次回お話をしていこうと思います。
この放送でもさっき話したんですけど、野本で妻はママという違和感の正体って記事を書いたんですね。
あと、妻からパパと呼ばれることの違和感の正体かな、2つの記事を書いていて、
そういうふうに呼び合う人たちのことを僕は言うつもりなくて、僕自身がどう思うかってことを書いたんですよ。
僕が妻からパパと呼ばれない、
実は妻は絶対に呼ばないんですけど、呼ばれたらどう思うかってことと、僕が妻をママと呼ぶとしたらどう感じるか。
なぜ僕は呼ばないのか、それを呼ぼうと考えるだけでもすごい違和感を感じるんですけど、その違和感の正体が何なのかってことをノートに書いたんですね。
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ぜひ読んでいただきたいんですけど、その話をちょっと最後にしたいなと思ってて、妻をママと呼ぶ。
これはそこに子供がいた時に、ほらママのとこ行っておいでとかって言うんじゃなくて、呼びかける時ですね。
ママそこのあれ取ってとかって呼びかける時に、ママと呼ぶことのことを言ってるんですけど、この時に妻をママ的なもの、母親的なものに、その記号の中に押し込んでしまうような感覚を僕は感じるんですよ。
あなたはママだから、これをやって当然だよね。家事やって当たり前だよね。料理やって当たり前だよね。育児やって当たり前だよね。
だってママなんだもんっていうふうに、ママという言葉が連想するイメージの役割の中に妻を当てはめてしまうような感覚が僕はあるんですよ。
考えすぎだという人もいると思うんですけど、僕はそう感じる。第六感的な感じるんですよ、そういうのを。
なんかザワザワするんです。それを呼ぼうとするとすごいザワザワするんですよ。絶対呼ばないんですけど、それを呼ぶっていうことは、
妻を一人の人間として、一人の女性として認識してるんじゃなくて、ママ的なものとして認識することになるなっていう恐怖心があるんですよね。
妻をそういったママ的な存在、そういった記号の中に落とし込んでしまうことによって、妻にそういった役割を期待してしまう。
家事をしてくれる、育児をしてくれる、自分の世話もしてくれるというふうに期待をしてしまう。だけど、そうはならないわけじゃないですか。
今各家族がこれだけ住んでいる中で、母親がすべてのことをやるっていうのは物理的に難しいわけですよ。できないのは無理なわけですよ。
そういった昭和的な価値観、昭和的な環境が破壊されてるんで、そもそもできないのにそういったことを求められたりとか、
自分で勝手にそういう呪いをかけてとかっていうケースがある。
僕が妻をママと呼ばないですけど、そういうふうに呼ぶことに対する違和感というのは、
妻をそういった記号の中に落とし込んで、勝手に期待をして、その期待が裏切られた時に勝手に失望するわけですよ。
勝手に期待して、勝手に失望して、その失望が怒りへと変わっていくんですよ。
そういうふうに自分がなってしまうことが、僕はすごく怖いんですよね。
その恐怖心があるので、妻をママと呼ぶことには大きな大きな違和感を感じるんですよ。
気持ち悪さと言っているぐらいの違和感を感じるんですね。
同時にこれは、妻をママ的な存在、そういったママという記号に落とし込むことによって、
自分は親としての行動をしなくてもいいというふうに、親としての責任を放棄しやすくなるとも感じたんですね。
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妻をママと呼ぶことによって、あなたが家事のこと、家事、育児、もう全部やるんだよ、家のことあんたやるんだよ、俺は働いているだけでいいからさというふうに、
僕がそういうふうに思ってしまうんじゃないのかなって思っていくようになっちゃうんじゃないのかなっていうふうに、
恐怖心、怖いんですよ、そういうふうに思っちゃうんですよ。
僕が親としての責任を放棄するんじゃないか、すべてを妻にお願いしたんじゃない、丸投げしたんじゃないかっていう恐怖心がある。
妻をママと呼ぶ、ただそれだけのことなんですけど、だけど言葉ってすごい強いものだと思うんですよね。
その言葉を使い続けることによって、自分の中で無意識にそういった認識が溜まっていって、
自分の考え方とか行動とかが、そういう方向に変わっていってしまうと思うんですよ。
そして、お互いママとかパパと呼び合うことというのは、自分たちをそういった役割の中に閉じ込めることになるんじゃないのかな、
そういった役割を演じることになるんじゃないのかなと思うんですね。
期待しているわけですから、ママと呼ぶことによって、そしてパパと呼ぶことによって相手に期待している、
期待された役割を演じるようになるんじゃないのかなっていう、そういう無機質な感覚というか恐怖心をすごい感じるんですよね。
なので僕は絶対に妻をママと呼びたくないし、パパと呼ばれたくないんですよ。
この辺の話はノートに詳しく書いたので、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。
ということで、今回も最後までありがとうございました。
僕ノートサークルで、妻との関係に悩む男性向けにアドバイスをするサークルをしているんですね。
あつの夫婦関係アドバイスサークルタイマツという名前でやっていまして、
妻との関係に悩んでいて、自分の場合どうしたらいいのかわからないという方はご連絡をください。
本当にケースバイケースで、その人にあった改善方法とか考え方を調整していく方法とかが、
すごい人によってみんなケースバイケースだなと思っていて、
僕はカウンセラーじゃないんでカウンセリングはしないですし、
カウンセラーさんも紹介することはありますけど、僕はしない。
僕は話を聞いて、その人にとってどういった行動をすればうまくいくのかなっていうアドバイスをしたりとか、
関係改善に向けて進む中で一緒に寄り添っていって、一緒に伴奏していくイメージですね。
関係改善できるまでというのはすごい孤独ですから、
自分がすごくひとりぼっちで洞窟の中に閉じ込められたような気持ちになるので、
明かりが見える場所まで一緒に走っていく、手伝いをしています。
ご興味のある方はぜひご連絡ください。
概要欄にリンクを貼っておきます。
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また次回お会いしましょう。さようなら。
24:09

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