00:05
ちょっと遠めなお向かいさん、本日も日本とカナダに暮らすゆるくてやかましい二人がお届けしております。
子育て、家事、単純作業のお供に、ぜひぜひ、ながらで気軽に聞いてくださいませませ。
さて、8月でございます。Ashikoさん、ご機嫌いかがでしょうか。
ご機嫌、うるわしゅうございます。
暑くて死んでるんじゃないのか、日本の夏は。
そうだね。
ちょっと今年はね、湿気がすごくてね、もうバテバテだね。
バテバテなんだ。そんな中、8月といえば、広島県民のあなたは、
広島、原爆灯が何年、何周年だっけ、70?77?
えー、何年かな。それぐらいかな。
78だね。2023年で、45年に落ちちゃうからそうだね。78年。
そうだね。
嬉しいね。
広島、私もね、高校の修学旅行と、その前に家族で行ったかな、家族で、
うちお父さん、福岡の人だから、福岡に、九州に行って、帰ってくるときに、
鳥取サキューと、島根の出雲大社と、
そう、鳥取サキューと、で、そっから、え、違う、島根の出雲大社と鳥取サキューは帰りに行ったんだ。
そうだそうだ、広島、だから行きは山陽道を通ってて、
で、だから倉敷とかに寄って、倉敷、広島寄って九州だったんだよ。
おー、なるほどね。
で、広島で、だからそのときに原爆ドームをちょっと見て、
で、高校のときは修学旅行で行った、原爆ドーム。
あー、そうなんだ。
行ったかな。
最近、新しく建て替わったんだよね。建て替わったか、建て直しじゃなくて、なんていうの、リフォームか。
あ、そう、なんかなんか、展示品がすごい変わったって言ってて、
なんか、なんだっけ、あの、なんかドロドロの、なんだ、なんだろうとか、なんか悲惨な要素はあんまりなくなってしまったっていう話を聞いたんだけど。
おー、そうなんだ。
私も新しくなって、いや、新しくなっては言ってないけど、ほら、あの、元先生でしょ。
なんかね、小4の担任になると、原爆ドームに、社会見学に連れて行くんよ。
あ、遠足じゃないんだ、社会見学なのね。
あ、そうそうそう、社会見学で連れて行くんだけど、だからさ、何回も見に行ったんだよね。
そうね。
でも、私めっちゃ怖いよ、ああいうのね。
まあまあ、確かにね、グルービーからね。
うーん、なかなか結構、なんだろうね、オブラートに包まないんだなっていう感じの展示品だったんだけど。
03:00
そういうことね。
なんかちょっと変わってるっていう話は聞いた。
うーん、なんかね、どうなんだろうね、なんかそこら辺、その悲惨さを訴えた方がいいのか、
その広島の復興の目覚ましさに目を当てる形にしたんだと思うんだよね、たぶんね、今回のリニューアルってね、だと思うんだけど。
まあなんか、うーん、なんかね、どうなんだろうねって、ほら今ほら、ロシアとウクライナがきな臭いからさ、
なんかそこを考えた時に、なんかそういう展示もあっても良かったんじゃないかなっていう気もしないでもないけどね、個人的には。
そうね、なんか、8月のさ、投稿日ってあるじゃん、夏休みの。
あるね。
で、最初の投稿日はだいたい平和学習をしてたのよ、私らが子供の時ね。
平和学習って何?
いや、平和学習って言ったらさ、え?だから8月6日について学ぶみたいな。
それもやったし。
集会とか。
具体的に何?その平和学習って。
え?あのね、具体的に言ったら、なんかね、私らがね、低学年ぐらいの時にね、なんか戦争の映画見てた。
裸足のゲンとか?
違う?
裸足のゲンとか、いや合ってる合ってる、裸足のゲンとか。
他にもいろんな映画、アニメの映画を見たり、あと、なんかあの原爆体験者の人が来て。
その時、そうそう、その日何があったのかっていう話をひたすら聞くとか。
原爆体験者と言えばさ、実はカナダにいるんだよね、原爆被爆者の人。
それがその時、広島で被爆されて、カナダ人と結婚して、今トロントにまだいらっしゃる5人目なんだけど、
すごい有名、サーロ・セツコさんって言うんだけど、検索したら出てくるんですけど、確かノーベル平和時代の何かのチームで撮って、それの一員だったはず。
オフレンとかでもスピーチされてる方で、すごい本当に、カナダだけじゃなくて世界的に有名な人、被爆活動にすごい取り込んでらっしゃる方で。
あれ、しないの?そういう平和学習って、他の県ってしないの?
聞いたことないね。ないね。
何するの?夏休みの登校日。
夏休みの登校日は普通に宿題のチェックと、プール何回行きましたかのチェックと、終わる。
えー、もうガッツリ平和学習だったよ。
ガッツリ平和学習なんだけど、それを学校でやるのに、広島と長崎だけじゃない?
ちなみにフザミンとこの県の人なんか。
愛知県。
愛知県か。えー、そうか。え、何だろうね。
あのー、あれだよ。
どれだよ。
ちょっと待って、今、今、吹っ飛んだよ。言葉が吹っ飛んだけど。
06:02
あ、そう、最近の、なんか、我が子が今小学生じゃない?
だからさ、登校日にさ、やらないって言うから。
平和学習?
えー、時代だなーって思って。
しないんだって。
必要ないっていうことになったんだろうね。
時代だなって思って。
まあ、日本平和だから。
たぶんね。
たださ、私らの今は親世代の人らはさ、平和学習受けてるからさ、やっぱその戦争が起きたとかって聞くと、なんか怖いなって思うわけよ。
そうだろうね。
でも今の我が子とかに、戦争が起きてるんだって話しても、やっぱピンと来てなくって。
そうだろうね。
ピンとは来ないと思うよ。
だって、私も、ほら湾岸戦争とかが起きた時にテレビ見て、すごい綺麗だなーとか言って、なんか全然違う方向で見てたからね、戦争に関して。
あー。
わかる?
ピカピカピカーってなんかいろんなのね。
いろんなのが飛んでるからさ、すごい綺麗だなーみたいな感じで見てたけど、平和学習ね。
でも私も何だっけな、去年かな?去年の夏に、ボイシェのパーソナリティで、広島にいるビール伝道師のしげとみえたかさんっていう人がいらっしゃるんだけど、
その人がね、原爆10日後に開いたビアガーデンの話をされてたの。ビールを継がれる方もね。
で、そのビアガーデンが開いたんだよっていう話を、なんかラジオドラマ風にやってらっしゃって。
あれを聞いた時に、すげー、そんな広島のパルコが、今パルコが建ってるところが昔、ビール工場でっていう話をされてて。
へー。知らなかった。
知らなかった。
お前広島人だろ。
いやだって、広島市内から結構離れたところだけどね、私が、私の出身はね。
でもそうなんだって、その広島のパルコのあったところに昔はキリンビールの工場があって、ビアガーデンがそこにあったんだって。
原爆10日後に、その年の12月に開けたんだっていう話をしげとみさんがしてて、後でここにVoiceのURLを貼っておきますが、そのお話のね。
しげとみさんって日頃は普通に標準語で喋ってるんだけど、その時だけは結構な広島弁で喋っておられて。
こうやって話されるとすごい、実際にこの人、そこでビールついてたんじゃないのかって思うぐらいに、凄い臨場感たっぷりで。
なかなかイケボなおじさまなので、聞いてしまったね。
なんか、ほら、私のおじいちゃんおばあちゃんの世代もさ、戦争を体験した世代だよね。
09:11
一応おばあちゃんね。
子供として体験でしょ?被災した人ってもんでしょうね。
え、どうだろうね。でも10代ぐらいよ。やっぱ覚えてるって言ってた。
あ、そっか。違う違う、おじいちゃんも働いてるって言ってたもん。働いてたって言ってたから。
ちょうどその日に限って行かなかったら、あれだって言ってた。その日に落ちたんだよみたいな話聞いたことがあって。
で、やっぱ見たんだって。ボーンってキノコグモが。
マジか。
見て、すごい、私出身呉なのよね。
あー、なんだっけ。
大和の。
世界の片隅に咲く花だって。
そうそうそうそう。で、呉から広島まで40キロぐらい離れてるよ。40キロかな。離れてるんだけど。
でもそこからでも見えたって言ってたし、やっぱ地響きじゃないけど、そんなの感じたみたいなこと言ってたよね。
おー。
だけど、なんかね、言いたがらなかったんだよね、おじいちゃんおばあちゃんとか、戦争の時の話。
聞けば言うけど、なんかその、例えばさ、8月ぐらいになるとさ、やっぱ戦争、原爆の平和式典なんだっけあれ。
式典。
式典がさ、テレビに流れるからさ。
流れるね、毎年ね。
8時何分に黙祷するやつでしょ。
あ、そうそうそうそう。
8時15分か。
なんかそういうの見たら、昔話的に出てもいいじゃん。あの時こうだったんよっていうのが、言わないんだよね。
だからやっぱ相当ショックだったんだろうなと思って、あえてこっちからも聞かなかったんだけど。
うん。
そうそう。なんか不思議な感じだった。
そうか。
ちなみにだけど、私ね、何回も原爆資料館、平和資料館、子供ら連れてったからさ、異様に知識があってさ。
異様に知識があるんだ。
はい。
異様に知識があって、なんかそのボランティアさんがおるんよ。案内してくれるボランティアさんがおって、語り目さんって言うんだけど、その人たちがね、いろいろこう説明しながら回ってくれるんよ。
うんうん。
で、その一人の語り目さんに聞いたのが、平和資料館ってさ、2階にあるんよ。
そうだね。
柱が立って2階にあるんよ。
うん。
あれはね、鳥居をモチーフにしてるんだって。
鳥居ね。
12:01
鳥居。
神社のもんな。
あ、そうそうそうそう。で、奥の火とかあるじゃん。奥に。
うん。
あれがおやしろみたいなイメージで作られたんだって。
へー、そうなんだ。へー。
そうそう。なんか作りが神社の作りと同じになってるんだってさ。
うーん。
そっか。
で、ちなみに、あの火がついてるじゃん。
うんうん。平和の灯火だっけ。
あの火は、誰がつけたでしょう?
え、知らん。
どれ?
チチチチチチチチーン。
なんだに。
あれは、8月6日に生まれた日?人?原爆の日に生まれた人がつけたんだって。
え、だったっけ?あ、わからない。
おい。
あ、どっちかなどっちかな。
いやでも8月6日か6日か。
その日に生まれた人がつけて、そっからずーっと燃え続けてるんだって。
え、そうなの?
そう。で、いつ消えるか決まってるんだけど、いつ消えるでしょう?
うんうん。
いつ消えると思う?
いつ消えるのか?え、あのー、核がなくなった日。
おー、ブラウザー。
違うの?違うの?そうでしょ?
そうそうそうそう、核がなくなった日。
これね、私たぶんね、沢朗説子さんのね、なんかで読んだ。読んだから聞いたから。
あ、ほんと?
聞いた聞いた。
そうそう、核がなくなった日にね、消えるけど、いまだになくならないから燃え続けてる。
そうねー。
今見つけた。1945年8月6日生まれの7人の広島の乙女によって点火されました。
あ、そうそうそうそうそうそう。
乙女がポイントでございますね。
そうなんよ、そうなんよ。
そう、そうそうそう。
なんだよねー。
でもまあ、だんだんとね、戦争体験者っていう人がね、もうお亡くなりになりつつあるから。
そうだろうね、日本はそうだね。
もうね、語り継ぐ人がおらんなった時に、
うんうん。
なんだろうね、なんかこの戦争がダメだ、ダメなのはわかってるけど、ピンときてない人もおるわけじゃん。
そうねー。
なんかね、その残虐さとかさ、あるじゃん、やっぱ戦争中ってさ。
うん。
そうそうそう。なんかそういうのを知らないまま大人になるのもどうなのかなーとは思う。
でも広島の平和公園でさ、英語でガイドをしている小学生の子とかいるじゃん。
いるいるいる。
そういうことをちゃんと学んでいるんじゃないのかな、すごい感動、すごいそれに感銘を受けた人がインスタにあげてたけど。
15:02
うん。
外人さんがめっちゃ喜んでた。
外人さんがめっちゃ喜んでた。
それを一人で学んだのかい。
外人さんがめっちゃ喜んでたよ。
あ、ほんと。
そうだねー、なんかそういうのが発信できる子どもがね、増えたらいいなーとは思うけどね。
そうねー。
とはいえ、そう私も広島ではないんだけど、うちの両親の中尾土さんにあたる人、私の名付け親になった方が長崎の出身で。
うん。
夫さんの方が一応被爆者かな、奥さんだったかな、でも奈々さんだけだったんだけど、奈々さんの方が確か被爆者で、もうだいぶ前に亡くなってるんだけど。
うん。
まあそんな人もいたし、あとね、理学療法社で働いてたときに、デイサービスで働いてたんだけど、そのデイサービスに来てた方が当時新聞記者かなんかをやってて、広島におられて被爆したっていう方いたね。
うん。
まあお元気そうっていうか、デイサービスに来られる、在宅で生活できるぐらいの人だから、まあそこそこお元気な方ではあったんだけど。
で、なんかその被爆者証明みたいのあるじゃない、なんかあんなあれも持ち歩いてて、えーと思って見てた。
あー、え、そうそうそう。被爆者証明あるじゃん。
うん。
私ね、私広島県人でも知らなかったんだけど、竹原市ってあるじゃん。
竹原。
竹原ね、竹原わかるよ。
わかる?地図のない島があるじゃん。
うんうん。
で、あそこ、地図がない島って何してたかっていうと、毒ガスを作ってたんだよね。
あ、そうなんだ。生物兵器じゃないけど、兵器を作ってたんだね。
そうそうそうそう。で、竹原市は毒ガスのなんかあるんよ、手帳が。
へー。
そうなんだ。
被害者ですみたいな。
そうそうそう。で、私さ、竹原で住んでた時期があって、竹原に住んでた時期があって、まああの栄養失調で病院にかかったことがあるんよ。
そうなんだ。
栄養失調で。
で、天敵打ちに行ったんだけど、その時に受付に書いてあって、何これって思ったことがあってさ。
でもそうだよね、そういう経験もあってなけにしもあらずだよね。
なんかその後さ、日本がそこで戦力放棄をしてっていう風になったけどさ、その後朝鮮戦争が起こり、そしてベトナム戦争が起きたじゃない。
で、ベトナム戦争の時とかってさ、それこそほんと生物兵器が横行した時期でさ、ベトちゃんドクちゃんとかさ、目がいっぱいある牛とかさ。
へー。
18:00
あれはチェルノブリだったかな。
でもなんかそういうのをね、私のクラスじゃなかったんだけど、うちの弟のクラスの三人の先生がそういう活動をされてる方だって。
なんかすごいエグい写真とかもバンバンバンにして、こういうことは絶対にやっちゃいけないんだみたいな活動をしてたよ。
おー、学校でやっちゃダメだよね。
でもね、やってた。でもその時だって私まだ小学校4年生とか5年生とかだったから、弟なんて2つ下だったからさ、小学校2年生だよ。
それこそ2年生の時に、なんかこういう現実を教える先生もいるんだなって思って、すごい衝撃を受けたね。いい意味で衝撃を受けた。
私はね、私は割と好意的に思ってたけど、まあ好意的に思わない親御さんとかもいらっしゃったと思うんだけどね。
そうだね。今はダメかもしれんけど、昔はね、ちょっとゆるかったけど、まあOKだったんだろうね。
多分ね。でもそういうことも、なんかね、アシコが言ってたけど、やっぱ知らなきゃいけないこともあるよなって思う。
でも、なんか実際そういうふうに戦って殺し合ってる人が世界中どっかにいるわけじゃない?毎日毎日。
今、ロシアとオクライナのことがすごい取り沙汰されてるけど、それこそ本当中東地域とかはさ、もうずっとそういうのが続いてるし、
アフリカの内戦の内紛の話とかさ、アジアでもやっぱりそういうちょっとした小出り合いっていうのはずっとずっと続いてるっていうその現実をさ、やっぱり知っておくべきではあるなと思う。
そうだね。なんかリセットボタンを押せばリセットされるわけじゃないんだぞっていうのね。
だからそういう意味では、サーロ・セツコさんみたいな方が亡くなる前に、もう一回こういうこの原爆に関してとかはね、なんかみんなで考える機会が持てたらいいなって本当に思うんだけどね。
ちょっとロシアが最近本当に核をちらつかせてて、私は怖いです。
いや、本当に怖い。
そういうこともある。皆さんちょっと原爆平和記念日が間もなく来るので、ちょっと考えてみてはいかがでしょうか。
間もなく本当にね、あと2年で原爆10日から80年っていう記念を迎えるので。
今日この頃ですね、私たちはね。
そうですね。ちょっと平和について考えてみたいと思います。
ちょっと今回は真面目でございました。では皆さんごきげんよう。
はい、ごきげんよう。