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2023-03-26 11:17

#103 子どもとお風呂と鴨長明

子どもとお風呂に入って水遊びをしながら鴨長明と世の移ろいについて思いを馳せてみました。
子供とお風呂での水の遊び
健康のあれこれの健康のアレです こんにちは
ちょっとアップロードの感覚が空いてしまっていますけれども
今日はですねちょっと日常であった話で あの子供と一緒にお風呂に入っている時にですね
結構 どんな子でもそうなのかわかんないですけどシャワーの水とかね
オケに入った水とかバシャバシャして面白そうに遊ぶんで あの手オケを買ったんですよちっちゃい子供用のオケ
をハンドルというか取っ手が付いた 飛車区みたいなやつですね飛車区のような形の手オケを買いまして
それでこうお風呂でこう遊ぶんですけど この間一緒に入った時にですね
こう まあ
よくあることなんですけど 水を触ろうとするんですよね
で私がこう手を受けからじゃーっと水をじゃーっとこぼしているとその水の筋ができるじゃないですか
その水の筋をこう一生懸命掴もうとするっていうかな 触ろうとするんですけど水ってまあ当然
触れはするけどつかめはしないじゃないですか でうちの子はだんだんあのもう今積み木をちょっと積んで遊んだりとか
うまく詰めないとこうぶん投げたりとかですね するんでそういうものを掴んだり離したり落としたりってことはこう
できるしわかってるんだと思うんですよね でそれと同じ発想で目の前にある
こう筋状のものを掴もうとするんだなぁって 思ってあの私もそのなんていうか
子供のチャレンジが面白いんでこうなるべく 物体に見える物体というのは合体に見えるように
こうそーっと落としてですねそうすると水があのじゃばじゃばっとならずにですね こう
なんていうか綺麗に 水を落とすとあたあんま高いところだとわけがないですけどこいつ
低めのところから落とすと本当に水が止まって見えるように まあうまくできないですけどまぁできるときあるんですねこうじゃあ
とスーッと流しているとこう流れて落ちていく水が止まっているように見えるっていう でそうするとまあそれによってなおさら触ろうとするかというとその違いがあんまり
わかってるかどうかわかんないんですけど あの
水の本質について
私はの大学は機械工学を専攻してて研究室は流体研究室にいたんですね で実は私はその
高校生の大学受験をする時からあの流体の研究室に行こうと決めて大学を受験しました で
まあただ実は私成績が悪くて本物の流体研究室には入れなくてですね あの人気が結構あるんでで
私が入ったのは可視化研究室っていう流れを可視化することを研究している研究室で そこはむちゃくちゃ人気が悪くなかったんですけど
人気がなかったおかげで私はあの成績が悪かったんですけど入れたんですね とにかくね流体に関わる研究がしたかったんです
それであの だから水とか空気の流れ好きで
で水ってこうさっき言ったように手桶からこう落として あの止まって見える時って水ではどういうことが起こってるかっていうと
あの本当に水が当然止まってるわけじゃないけどないんですよね落ちてるんでじゃあと 流れてるんですけど流れてる水が止まって見える時っていうのは
上から下に落ちていく水のまあ簡単なために粒子と呼ぶとすると上から下に落ち ていく水の粒子が全く同じルートを通って落ちていく
そうすると上から下までの流れ流れて落ちて次から次へと絶えず落ちていってるんだけど 全く同じルートを通ることによって人間の目には止まって見えるっていうのがこれがあの止まって
見える時の水の流れに起きていることなんですよ でこういうふうに
えっと時間経過ずーっとなんていうかまあ1秒でも2秒でも時間が経過するんですけど その経過している間あの水の流れが変わらない
同じ場所を流れ続けるっていう あの状態を定常流とか定常状態って呼ぶんですけどその流れの定常状態を
作ってやると人間の目には止まって見える だけど実際触ってみるとその定常状態が壊れてまあ人間の手には水をつかむことができ
ないっていう話なんですね
突然話が変わるんですけど鴨の長名という人がいまして あれは鎌倉時代の末期の人だと思うんですけど
その鴨の長名さんに包状記というあのあごめんさい鎌倉時代の巻じゃ平安時代の 末期平安時代の末期で鎌倉の始めぐらいの人だと思うんですけど
8包状記っていうあれは随筆なのかながあってですね 行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらずっていう言葉から始まる
あの随筆があるんですよ行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず これがですねこの短い一文がその私が先ほど言った水のその
本質を こう怖いほど言い当てているというかあの表現しててですね
行く川の水が耐え水っていうのは耐えないんだけど元の水にあらずっていうのは まあちょっと私の偏った解釈かもしれないですけれども
鴨長明との関連性
まあ川の水な見ながめててですね でずっと流れているってことは同じ場所に常に水があるわけですよね
例えば葉っぱだったら右から流れてきて目の前に来て左に行ってってこう通過していく わけなんで
葉っぱが流れる時っていうのは目で覆うことができる だけど水っていうのはずっと絶えず流れ続けていてこう
まあどこのどんな川の流れか濁流なのかせせらげなのかわかんないけどあんまり変わら ないですよね
だけど その水そのあるポイントに存在する水っていうのはさっき
そこにあった水と今そこにある水っていうのは水の粒子は違うわけですよね あとから見た来た粒子が今目の前にある
またその後から来た粒子が今目の前にあるってこう次々に粒子は入れ替わっているんだ けどパッと川を見ると止まって見えるか見えないか別としてもこう
絶えず流れてて あの
それ不思議だなぁって鴨の長名さんは思ったのかなぁと思うんですよね もう
わずか1歳半ぐらいのうちのこと あの
なんていうか今でも名前と作品が残っている鴨の長名さんの 気にしているポイントが似てるっていうのが面白いなぁと思ってあの
昔からね水の流れとかそういうものっていうのは人の心を惹きつけるものがあるのか もしれないですね
あの
多分鴨の長名さんもその川をずーっと流れているのを見て 思ったんでしょうねこの水って
今あるこの水とさっきあったこの水とそれからちょっと後の水は違う水なんだよな 不思議だなぁと思ったんでしょうね
でまぁこの包状器っていうのは鴨の長名さんはこれを川は結局結局というか実際の例え話で 川の話をしたいわけじゃない水の話をしたいわけじゃないんであの
鴨の長名さん建設コンサルタントじゃないんで土木技術者とかではないんで あの
川の流れに例えて世の中の移ろいを言ってるんですよね それがまたちょっとこれはうちの子供にはできない芸当ですね川の水
あのゆゆく川の水は絶えずして元の水にあらずっていうのは鴨の長名さんはその京都に 生まれた人みたいですけれどもある場所ある街が
同じ場所に京都という場所は今も昔も同じ場所にあるわけですけれどもその移ろって いくっていうのが不思議だなぁとかそういうもんだよなぁって思ったっていうことですね
でそう人の営みもその先ほど言ったなんか 運動流れに例えるのはあのすごく素晴らしいな面白いし
あのイメージできるなぁって思うのはあのそう同じ場所にある街なんだけれども ある時代は定常的に人が入れ替わってもう同じ街姿が変わらない
文化も見た目も変わらない ような時代もあるかもしれないんですけど変化が激しい時代っていうのは同じ街であっても
例えば建物が壊されてしまってガラッと変わったり 人がガラッと移ろってあるいは同じ人も考えが変わったりして雰囲気が変わるって
ことがあるとそれをなんか人の営みが川の流れのようだなぁって言った 鴨の長名さんはこう
なんかそうやってなんだろうね目の前のそのフィジカルな水の流れっていうものを見つつ それになぞらえて
文化というなんていうか 社会的なものを見てたっていうのが
川の流れのような観察
面白いなぁ ってのことを思いましたまあ最近チャット gpt とかも話題になっていてどんどん我々の営みも変わっていく
んでしょうけれども あの
なんかそういうのね なんかなんとなく過ごさずに何かに例えたりしながら
ちょっとまあ目指してんですよねあ変化してるなぁ 川の流れのようだなぁとかっていうのはちょっとメーターな視点だと思うんですけど
私はそういううん なんだろうな
振り回されずに観察をしてあの 生きていけるといいのかなぁみたいなことをなんとなく思いました
あのちょっと勢いで話し始めたので着地がうまくいかなかった感じはしますけれども そんな感じで
我がこと鴨の長命についてお話しさせていただきました どうもありがとうございました
11:17

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