2025-05-07 07:47

クレームは理性で言う

受ける側ではなく言う側の話です。クレームは使い方によって印象が異なっていきますのでこの2点を意識してみてくださいという話です。


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サマリー

クレームは理性で説明されるべきであり、その意図や原因が明らかにされることで建設的な意見へと昇華されます。感情に任せず、理性的にアプローチすることで、自分自身も楽になります。

00:03
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
クレームの理性的なアプローチ
ということで、今回は、クレームは理性で言うという話をしていきます。
クレームは理性で言う、ですね。
クレームというものに関して、ちょっと趣向を変えてと言いますか、
クレームを受けた時の対処法はこうですよ、とか
どういう風に返したらいいですよ、という
そのクレームを受ける側の人に対して
こういうことをしたらいいんじゃないでしょうか、というような話は
街またに溢れていますよね。
もしかしたら、私もあの話をしているかもしれないです。
今回のことに関しては、テーマで言うと言っていますから、
クレームを言う側ですね。
本来、クレームという言葉が一人歩きしていて
クレームイコール、良くないこと
というような意識が先行するようなこともありますけれども
正当性を持って言う場合には
それは問題がないというか、相手のためにもなるわけですね。
いわゆる苦情だとか不満だとか、何を起因として
そしてそれを言うことによってどうしたいのかと
ただその感情で、怒りというか
そういう苦情だとか不満をぶつけたいというような時には
クレームということではなくて、よく言うじゃないですか
モンスタークレーマーとかね
あることないことを言ったりするようなこと
そうなってしまうので
本来このクレームというものは感情から来るものではなくて
理性で言うことによって建設的な意見へと消化をするわけです。
ですからこのクレームを言いたいというようになった場合
そしてわなわなと不服の感情が湧いてきて
これを相手にぶつけてやりたいというようなことが
仮にあったとしたら
それは理性で言うといいですよというようなことなんですね。
理性で言うということはまず
あなた自身で整理する必要があるじゃないですか
何が起因となって、原因、きっかけとなって
このクレームを言いたいというような感覚が湧くんだろうと
それは何か購入した商品に不意がある、欠陥があったり
サービスを受けたけれども
もともとの説明と違う内容であったとか
期待していたものよりもサービスの質が悪かったりとか
どこか行った時に、例えば事前に写真で下調べをして
出先に行って、いざ行ってみたら、買ってみたら
その写真と物が違ったと言ったり
何かしらの原因があるわけですよね。
ですからその原因をまず明らかにすると
そうした明らかになった原因を
相手、組織であれ、個人であれ
その相手にこれを言うことによって
何の意味があるんだと、何のためにこれを言うんだろうと
これがなければ別に言う必要もないんですよ
それは原因、きっかけがわかったとして
相手に伝える意図があなたの中で、自分自身の中で
わかっていない状態で言うということは
それはもうただ相手に感情をぶつけたいということと同義ですから
まずその原因を理性で考えた上で
これを言うことの意義というか、意図、これは何であると
これも考えるためには理性を使いますよね
例えば、自分と同じような思いを他の人にしてほしくないから
こういうお店で商品を買うと欠陥がありますよ
ということを伝えるためにクレームを言うのか
もしくはそのサービスであれば
それの質を向上してほしい、次回も来たいと思っているからとか
あとは写真で調べをして
行った先買ったものが写真と違うとなったら
今後の相手方の売上にも関わってくるだろうし
もしかしたらクレームをあなたが言う先の人は
気づいていないかもしれない
それでいいと思ってやっていることが
気づいていないから気づかせてあげたいなというような
親切心というか老婆心というか
そういうところから来たり
それを言った先に何を起こしたいのか
どんなムーブをしてほしいのか
ここまで理性で落とし込んで
答えが自分の中で明らかになったら初めて
それはクレームから建設的な意見へと
消化していくというような
そういうステップが踏めるわけですよね
ここまで行ったら
それはクレームを言う価値があるわけです
それは受け取る相手がそれを
真摯に受け止めてくれるのか聞き流されるのか
それは相手によりますから
相手にこう思ってほしいというような思いがあなたにあれど
それをどう受け止めるかは
相手方の感覚次第というか気分次第というか
そういうところもありますので
それは仮に受け止められなかったとしても
それを生き取る必要もないですからね
だからこのクレームというもの自体も
言う側の人にとっては
それは自分自身でコントロールできることですよね
あなたが言ったその先の人は
あなたがどうこうできるわけではないですから
そこに対して理想はあれど
それが現実にならなかったとしても
まあいいかなと
そういう気持ちでクレームというものは
理性で言ってみたらいいんじゃないかなと思います
クレームを言う意義
つまり何が言いたいのかというと
クレームは理性で言う
クレーム・苦情・不満ですね
これは受ける側がどうしたらいいですよという話は
多くありますが
それを言う側の人に対してですね
今回の話はそうです
まず2つのことを明らかにしてから言うといいですよということで
それは原因がまず1つ
そしてさらにはそれを言うことによって
何が起こるのか
何がしたいのか
何のために言うのか
これが2つですね
これらを考える上では
理性を使うわけですから
必然的にクレームを言う場合であると
理性で言うことになっていくということなんですね
これをすることによって
建設的な意見へと昇華していく
そういうようなことになります
何よりもね
クレームを感情で言いたいというような
怒りの息取りの感情が湧いている
その時の状態で誰が一番苦しいかといったら
それはあなた自身ですから
あの相手がどう受け取るかなということは
わからないわけで
これは理性で考える習慣をつけることによって
不要意に湧かなくてもいい感情を湧かせなくても
済むようになりますよということですかね
あることないこと言うモンスタークレームアートは
全然違いますから
このクレームというものは
理性で言うといいですよというようなことです
はい
ありがとうございました
07:47

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