2024-04-18 10:00

綺麗事

綺麗事と聞いてなにを思い浮かべますか?使うとしたらどんな意味合いで言うでしょうか?善は善です。

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はい、どうも、丸山です。まずは、おめでとうございます。
ということでですね、今日は、綺麗事というようなテーマで話をしていきます。
はい、綺麗事。
好きですか?綺麗事は。
私は大好きです。
はい、綺麗事ね。
やらぬ善よりやる偽善なんて言いますけれども、それを思い浮かべて、それって綺麗事だろうというような、いわゆる偽善だろうというようなことで使う人もいますよね。
良いことを思ってたとしても、良いことを言っていたとしても、良い行いをしていたとしても、それを継続的にやらなかったら、それは綺麗事になり得ませんね。
なんですか、その綺麗事っていう言葉自体に良い意味を持っていない人とかもいると思うんですけれども、
確かにこれって、綺麗事って、私さっきグーグルで調べたんですけど、あんまり良くない意味の言葉だった気がして、
何でしたっけ、表面だけ取り繕うとか、体裁だけ整えるみたいな、そんなような意味が書いてあったんです。
その綺麗事っていう言葉、意味で調べたんですけど、それが一般的な解釈なんだろうなというようには思うんですけれども、
もっとシンプルに、もっと単純に考えてみたら、綺麗っていう言葉、これは良い言葉ですよね。
綺麗な部屋とか、片付いている綺麗な家とか綺麗な車とか綺麗な人、これ良い意味で使うじゃないですか。
それをこと、ことはことですよね。綺麗事って言ったら、ことをやったらもう綺麗じゃないですか。
ほんとシンプルに綺麗事って綺麗ですよね。良いじゃないですか。それこそ、やらない善よりやる偽善の方が良いじゃないですか。
これって偽善だろうが、善は善なわけですよ。
じゃあその場で、やってる人を第三者が見て言うわけですよね。
その本人自身が、これは偽善だと思いながら、まあやらないじゃないですか。
良いことしてるなと思ってやるわけですよね。
それが相手のためであれ、偽善というものを行っている人がその自分自身のためにやっていることであれ、これって良いことですよね。
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そのやってる人にフォーカスを当てると、それ偽善をやり続けることで本物の善になっていくんですよ。それってやってる人は。
これはね、私こんなに偽善だ、やった方が良いだとか、綺麗な、綺麗事は綺麗だなんて言ってますけど、
昔はもう本当に、口にするのをはばかられるぐらい、本当にあんまり言っていいことではないんですけれども、
例えば24時間テレビとかあるじゃないですか。ああいうのね。
本当に昔ですよ。もううんと昔、心が本当に沈んでいた時、最下層にまで落ちていた時です。私自身が。
この24時間テレビの、例えば障害のある方たちが歌うたったりするじゃないですか。芸能人の人と一緒に。
チャリティーイベントだなんだって、募金してくださいなんだっていうテロップが出て歌うたってみたいな。
それをみんながわーっていいなと思って評価をしていると見ているというようなものですね。
その当時の私はもうそれを本当にもう、ヘドが出るというようなね。
もうこんなん、もう偽善もはなはだしいと。どうせこれで得すってやつがいるんだから、だからこうやってんだと。
もうショーとしてね。そんな見せ物にして。
で、見せ物に美男美女がゾロゾロ寄って、全国に垂れ流して。
結局裏で動いているのはもう金だろうと。しょうもないみたいなね。
腐った考えをしてたわけですよ。もう本当にこんなんまさに、こんなん綺麗事じゃんみたいなね。
まさにその、さっきGoogleで検索した通りのようなことの意味で使ってたんですよね。
その綺麗事っていうの。取り繕ってる上辺だけ。偽善だと。
本当にね、もう今だったらね、もうその当時の自分をぶん殴りたくなるぐらいなんですけれども、それは違うぞと。
それはお前が本当にわかってないだけだと。
要はね、本当に心の底から良い人はいるんだというね。
これを大多数の大勢が綺麗事だと。
全員がね、そこまで私ほどそんなにこう、荒んだネガティブな考えをね、こうしてるような方はそうそういないと思うんですけれども、この日本でね。
ただ、そうは言っても、その偽善、綺麗事っていう言葉を聞いたときに、まずあなたは何を思い浮かべますか?っていうようなことで。
これはね、それは綺麗事を実行していけばいいんですよ。
あなたが普段やってる良いことって何ですか?
あなた自身が良いと思ってやったことは、それはもう綺麗事だと思ってやってないですよね。綺麗だからやってるんですよね、それって。
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人間関係、例えばね、良い人間関係になってもらいたい人増えて欲しいっていうような思いだとか。
このコミュニケーションの技術を向上させることによって、より良い人生、より良い考え、豊かな人間関係。
せっかく一度きりの人生、もうほとんど全ての悩みは人間関係なんだと。
だとしたら、その人間関係をうまく円滑に生かせるっていうことの一つとして、そのコミュニケーションってものがあるんだと。
そのコミュニケーションっていうのは技術で向上させることができるんだっていうのを、私は気づいたわけですよ。
私以外にもいると思うんですけれども、それを表で伝えていきたいっていうのね。
これはもう綺麗事なんです。これは良い意味での。綺麗事だから、綺麗だからやりたいと思ってやってるわけですよ。
ただこれを当時の、昔の私みたいな人がこう見るとですね、なんかね、こう考えがあってやってんだろうみたいなね。
やっぱり一定数いると思うんです。そういう人っていうのは。
会う人、会わない人もありますし、まだこの段階に至ってない人っていう人もいるでしょうし、そのこの段階、もう別に自分を持ち上げてるとかじゃないですよ。
それぞれ順番があるんで、変わっていくには良い心を持ってない人が、いきなり良い心に飛んでジャンプしていくっていうことは、これはもうできないんですよ。
必ず順番が、段階があるんで。
私はこれ思い始めて、気づき始めて、学びを始めてから6年間毎日何かの情報に触れて、6年かかったんですよね。
自分自身が変わったって気づいたことに。なんか今回ちょっと自分の話が多くて申し訳ないんですけど。
すぐにはそう思えなかったとしても、仮に思えなかったとしても、ただ、これをここまで聞いてくれてる、今9分10分ぐらい経ってると思うんですけれども、この話をここまで聞けてるってことは、もうすでに心が善であるだとか。
そもそもそんな悪かった時代なんかないから、そんなこと言われてもなんか困るわみたいなね、人もいるかもしれないんですけれども。
一応ね、その届かない人には、届かないっていうことは分かってはいるんですけども、まだここの段階に来てないっていう人に届かないっていうのは確かに分かってるんですけれども、そういう人にこそ変わっていってほしいっていうようなね、こんなに素晴らしい世界があるんだぞっていうね、この思いっていうものをですね、ちょっと今回奇麗ごとっていう言葉に絡めて話をしたかったんで、というようなね、そんなようなところですかね。
なんでね、奇麗ごと、これは取り繕ったり、表面だけやったり、その調べた通りの意味のことではないと私は思ってます。奇麗ごとは、やったら綺麗なんです。それは、やればいい。
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やっても善、やらなくても善、ならやれと。いいと思ったことはやったほうがいいです、それは。
それをもう一目を気にしてね、他人がやってないからとか、そんな関係ないです。
街行くね、例えばもう、思い浮かぶシーンですけれども、重たい荷物持ってるおばあちゃんが横断歩道渡って信号が赤になっちゃって、まだ横断歩道全然渡れて切れてなくてみたいな、そういう時に荷物を持ってあげれたとかね、よく思い浮かぶようなシーンですけれども、
実際にもしそういう場面があって、本当に手助けに行く人って何人いるんですかと、どれだけいるんですかっていうね、そういう行いを続けていったら本当に真から良くなるんでね、
それはもう実体験で、もう体験済みなんで保証しますと、いいのところですね。
なので、今日は奇例ごとというようなテーマで話をしてきました。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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