2025-01-13 09:56

わざとらしい

わざとらしいと思われたり思ったりする。なぜそうなるのか。こうしたらいいですよという話です。


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はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、わざとらしいというテーマで話をしていきます。
はい、わざとらしいですね。
どうでしょうか。言われたことがありますか?
何だかわざとらしいですよね、と。直接的に言われないにせよ。
わざとらしいというようなことを思われるというようなこと。
これもあるかと思います。
ここで言うわざとらしいというものは、
あなた自身はわざとそのような対応を人にしているわけではないけれども、
なぜかそのように思われるというようなことがある場合に、
あるものが欠けているからかもしれないというようなことですね。
さらには、あなたが人に対してわざとらしい人だなというように思う場合にも、
なぜ相手のことをわざとらしいと思うのか、双方の視点から見てみたいと思います。
それでね、まずわざとらしいと言われる場合、もしくは思われているかもしれないというような場合に、
あるものが欠けているというのは、本当にそう思っているかどうかという考え方が欠けている可能性があるということですね。
世間一般で言うわざとという意味のことを意図してやっているのであれば、それは思われてしかるべき。
実際わざとやっているのであれば、それはそうですけれども、
あなたの中ではわざとではないのに、人からわざとと言われるようなことが、思われるようなことがある場合には、
自分自身ももしかすると、本当に思っていないことをやっているかもしれない。
もう一歩踏み込んで言うと、本当に思うことができないというようなことがあります。
それは、いついかなる状況であれ、相手から見えるあなたというものは、その時のあなたが本当のあなたであって、
たとえ日常を見せている表情だとか、顔、声のトーン、この辺りで変化をさせていたとしても、
またその人とは違う人と関わっている時と全く違うあなたであったとしても、全てが本当のあなたなわけですね。
ただ、それをそう思えない、ある種の演技をしているというような感覚になっているのかもしれない。
こうした考えが頭の片隅にあると、いわゆる、わざとらしく見えるというようなことがあります。
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であれば、先ほども言いましたが、わざとらしく見えないためには、
全ての自分が本物だというような考え方を持ってかけた部分を埋めるというようなことをすれば、わざとらしいというように思われなくなりますね。
ただ、この本当の自分であるというようなこと、いついかなる時も全てが本物の自分であるというような考え方を、
もし仮に今持っていないのであれば、これは一朝一夕で身につくようなものではないです。
その他の考え方にも言えることですが、これまで生きてきた人生の中で何年何十年とかけて、今のあなたというものを育んできた。
そうした考えというものが、一種の固定観念というものが、自分の中で形成されている状態で、
仮にこれまで全ての場面の自分が本物だというような考え方を持ち得なかった場合に、これを真の意味で理解をするためには、
そして表層に表す、行動に移すというようなことになると、練習が必要になりますね。
この練習というものは、仮に頭の中に今の自分は本当ではないというようなことが少しでも出てきたのであれば、
それを自分の中でまた否定をするということ。いや、そうではなくて、
今の自分が相手から見たら本当の自分なんであるというようなことを繰り返し念じるわけですね。
これを思い続けて過ごしていくうちに、わずかでも頭の片隅にそのようなことが、考えが浮かんでこなくなるんですね。
今、もしかしたらちょっとわざとらしいかもなというような考え方そのものが消えていくわけです。
とするならば、あなた自身はそのようなことを思っていないわけですから、相手から見てわざとらしいと思われるようなこともなくなるということですね。
もう一方で、あなたが人のことをわざとらしいなというように思うことがあった場合には、
それは自分にない考えというものは相手に対しても思い浮かびませんから、
あなた自身が自分自身をわざとらしいと思っているというようなことは一つあって、それを改善すると、
改善というとね、なんか悪いことのように聞こえますけれども、特にね、別に悪いとかじゃないんですけれども、
わざとらしいと思われないようにしたいというような場合であれば、
まず先ほどの自分の考えを今の状態から上書きしていって、それを練習することによって上書きをしていくことによって、
相手に対してそのような意識が湧かなくなると、
あの人はわざとらしいなというようなことを思うことがなくなるというのもあるんですけれども、
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相手を見たときに、わざとかわざとじゃないのかというようなことは気にしないというのが一番ですね。
なんだかもともともない気がしますが、
相手のことをどう思うかということはあなた自身が操作できる部分であって、
かつそのわざとらしいと相手のことを思いたいということがあるのであれば、それは好きにしたらいいですけれども、
そのことによって何か湧き上がる感情があるというような場合には、そうした考えを湧かせない方がいいと思うので、
あなたから見て、今目の前にいる人があなたに対して表現をしている状態が本当の相手であると、
それ以外の相手は存在し得ないというような認識をしてみるといいです。
今目の前の相手が本物であるということを認めてあげるということですね。
そこに対してあなたが思いわざらう必要は全くないです。
ただ一つ注意点と言いますか、これだけをやると何でも信じてしまう、信じやすくなるというか素直でいいことなんですけれども、
世の中にはそうではない人もいますから、あなたとコミュニケーションを取る相手が、
何かしらよろしくないような企みをしているような可能性もゼロではないと。
であれば、それが起こった時に疑うというような視点、あることが起きた時に疑うというような視点は持っておいた方がいいです。
例えばあなたの自由を奪うような行為をしてくれたとか、あなたに対して危害を加えてくるというか、譲れないポイントというか、
これだけは阻止しなければというようなことが相手があなたにしてくるのであれば、
その時にのみ疑うというようなことを発動させるということをあらかじめ決めておくといいですね。
それ以外は全て目の前の相手が真であると。
このようなことをするといいと思います。
つまり何が言いたいのかというと、わざとらしい。
これはわざとらしいと言われたり思われたり言ったり思ったり、双方の視点がありますよね。
それでわざとらしいと思われるようなことがあるのだとすれば、
あなた自身、頭の片隅で自分はわざとやっているかもしれないというようなことを思っているから、
それを思わないような習慣を身につける、練習をしてやるわけですね。
思いが浮かんだら、いやこれは本当の自分なんだということを繰り返ししていくということ。
そして相手に対して、この人わざとらしいなというようなことが思う。
自分が見ている相手はそれが全てだって、その他にはないというようなことを意識をする。
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そういうふうに意識をするということです。
ただ何かあなた自身が被害をこむるような行為を相手がとった場合には、
その時にのみ疑うというようなことを発動させる。
それが何なのかということは事前に決めておくというようなことですね。
こうした考えというものは、思考の習慣、繰り返しによって上書きをしていくことが必要になりますので、
じゃあ今日から明日からというわけにはいかないです。
それはもうね、これまでの長い年月をかけて今の自分があるというようなことを思えば必然であるというようなことは理解できるかと思います。
ですから繰り返しやっていくということですね。
はい、ということで以上となります。
ありがとうございました。
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