2024-08-10 10:30

人格者であれ

人格者とはどんな人でしょうか。そう在りたいものです。

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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで今回は、人格者であれ、
というテーマで話をしていきます。
はい、人格者ですね。
人格者というと、どのような人を思い浮かびますか?
なんだかすごそうな人? なんでもできそうな人?
なんとなくのイメージというものは、あるんじゃないかと思います。
できた人とかね。
なんとなくいい感じの人。
そんなような感覚ですかね。
人格者であるのか、そうでないのか、
どちらかを選択することができるとしたら、
人格者であるに越したことはないと思います。
その上でね、どのようにすれば人格者とたり得るのか、
そのような状態になっていくのか、
各有、私自身もそうした人間でありたい、
いわゆる人格者というような状態でありたい、
そのようにですね、自分自身を理しているようなことはあります。
当然道半ばですから、というよりかはおそらく終わりはないと思うんですけれども、
そのようにしている状態がですね、非常に楽しいということもあって、
やっているんですけれども、
自分にはね、そうした人間にはなれないとか、
なりたいけどなれないとかね、そういうようなこと、そんなことは全然なくて、
当然あなたも人格者となっていくことは可能なわけです。
仮に今そうでないとするならばですね、どうやったらというところと、
あとは私の思う人格者という人はどのような状態だなというような、
あくまでね、参考の一つとして、
どのようにすれば人格者という状態になっていくのか、
これは一文で説明できますね。
意識や活動、そのようなことを通して自分自身の内面を磨く、
いわゆる魂を磨くと、そのようなことによって形成されていく。
その上でどのようなことをですね、意識をしていくのか、どのような活動をしていくのか、
具体的に私の思うことですね。
これが5つありまして、
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一つは余裕があるということ。
これは心に余裕があるというような状態ですね。
自分自身の心の容量が満パンであるならば、自分自身のことしか考えられない、
いわゆる自己中心的な人間となりうるので、そのような人を人格者と呼ぶかどうかは、
呼ばないと思うんですよ。
余裕がなければ他者への思いやりも生まれませんし、
自分自身のことで手一杯というような。
なので余裕がある。
次が落ち着いている。
というようなことです。
逆は、うろたえるですかね。
何が起きてもどうじない。
突発的なことが起こっても慌てない、うろたえない。
そのような状態を維持できるというようなことですね。
3つ目が態度が一律。
これはね、人によって態度をコロコロ変えるような人がいると思うんですけれども、
相手によって態度を変えるというかね。
対応を変えるというのは当然あると思うんですよ。
全員に同じ対応をすることはないと思うので。
そうではなくて、態度ですね。
あの人には優しい態度で接するけれども、
この人にはずっと怒るとかね。
そのように態度がコロコロ変わる。
さらに言うと、第三者が態度がコロコロ変わる人のことを見ると、
忙しな人だなというように感じると思いますし、
何を言っても自分自身が自分自身のことをよくわからなくなってしまうので、
態度をコロコロ変えない人ですね。
一律であるということ。
それから四つ目で、余計な話をしない。
これはね、
まあ、なんて言うんですか。
不要な時に不要な話をするような人っているじゃないですか。
今その話する必要ないんだけどな、というようなことだったり。
余計か思うかどうかは、自分の価値基準によるんですけれども、
例えば、今すぐ救急車を呼びたいという状況で、手元に携帯がないと。
その場合に、近くにいた人に携帯を貸してください。
ちょっと救急車を呼ばないといけないんですって話をしたとして、
余計な話をしないという場合には、思いを言わさずはいどうぞと貸してあげるようなね。
実際そういう場にいたら、見ず知らずの人に携帯を貸すことに対して、
戸惑う人もいるかもしれないですけれども、
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よほど相手が切羽詰った状況で、今すぐ携帯を貸してくださいと、
救急車を呼びたいんですって言われたら、大体の人は貸してあげると思うんですよ。
そういう時に、今ここで電話をしたら、あれとこれが必要になるけど、
わかるとか、住所が必要だとか、その対象の人の用代が必要だとか、
あとは、ここで呼んだらどこどこの救急車が来る、
そこの救急車は普段この時間を出払っているから、
呼んでもすぐ来ないかもしれないけどとかね、
その場に不要な話をするというようなこと、
余計な話をしない人というんですかね、そういう人の方がいいですよね。
あと5個目が、見てないようで見てる。
これはね、見て見ぬふりをするような人、こういう人も中には近くにいるかもしれないですけれども、
例えば、教養で使っているゴミ箱があったとして、その中のゴミがもう満パンで、
自分の後に使う人はもう入らない、じゃあこれ多分買えるんだろうな、
で、分かっているけど買えないとかね。
この見てないようで見てるというのは人に対してということもそうなんですけど、
それ以上にその周囲の環境ですね、その場の状態、そうしたものに気配りができるかどうか、
気づけているかどうか、そしてそのことを解決するために動けているのかどうか、
ただそれを表だって話はしないんですよ。自慢げに話はしないというか。
あれ、俺がやったんだよとかね。
ここすごい綺麗になっているけど俺が掃除したんだよとかね。私が拭いたんだよとかね。
そういうようなことを周囲に不一応しないというような状態。
この見てないようで見てるというようなところで、自分が見てますから。他の誰でもない。
あなたのやっている行動は自分が、あなた自身が見てるわけですから、誰も見てない状況なんていうのはないわけですよ。
ですからね、この見て見ぬふりをしたなということを自分では気づいているわけですから、
この見て見ぬふりというものを詰め重ねていくと人格者から遠ざかっていくようなことにもなりますし、
だからこそ見てないようで見てるというような状態を保すということですかね。
全部で5つ。私の思う人格者というもの、そしてそれを形成していくようなことから。
つまり、何が言いたいのかと言いますと、人格者であるというようなこと。
これは人格者であるのかそうではないのかと言ったら、人格者であれるのであればあったほうがいいですよね。
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なろうと思ったその時から人格者になりつつ、あるような道が開いたということになるんですけれども、
その上で、人格者に近づいていくための傾向、パターン、意識や活動、
自分自身の内面を磨く、魂を磨くというようなこと、それによって形成をされていく過程で5つのことがあると思います。
それは、余裕があるということ、落ち着いているということ、態度が一律だということ、余計な話をしないということ、見てないようで見てるということ。
このことを聞いてみて、どう思いますか?
全部当たり前だと思いませんか?
当たり前だと思っているにもかかわらず、やっていない人多くないですか?
これもね、いいとか悪いではなくて、自分がそうありたいと思うのであればということなんですけれども、
当たり前だけどみんなやっていない。だからこそあなたがやるんですよ。
そうすることによってね、数少ない人格者というような存在に近づいていくというような、
自分にですね、自信を持てるようなことにもつながっていきます。
はい、ということで今回は以上となります。最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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