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こんにちは、あらゆちです。私は3歳と0歳の子供を育児しながら、管理栄養士研、WEBディレクターとしてお仕事をしているものです。
本日はですね、えーと、我が家の娘が、ちょっと母性が働きまして、息子に優しくしてくれたというお話と、そこから感じました、あの心の鍛錬は自分の合わせ鏡ではないか、というお話です。
はい、で、今日はですね、娘に何が起きたかということなんですけども、ちょっと自分の構ってもらえる時間が減ってしまったことで、すごい構ってじゃん、寂しがりになっているんですね。
で、息子に対してすごく攻撃的な部分があるんですけれども、今日はなんとあの、夜にですね、寝かし続けのタイミングの時に、娘の膝の上で息子が寝たんですよ。
で、普段だったらすごい怒るんですけど、今日はね、娘がね、それを拒否せずに受け入れてまして、片付けとかで一瞬寝室を出てて、部屋戻ってきたタイミングの時に娘が、ママ見てーって言ってて、そしたらあの、息子が娘の膝の上で寝てたんです。
今までだったら痛いーってすごいギャンな気して、嫌って言ってくるのに、今日はね、受け入れてくれてたんですよね。
で、娘に息子にね、膝の上に乗せてあげてくれてありがとうねーって、息子多分喜んでるわ、あの安心したんやろうねーって話をしたら、やったーって言ってて、
いつもありがとうーって話をしたら、いいよいいよ大丈夫だよ、だからママも膝の上においで、いいよどうぞ寝ておいで、みたいな感じでね、あの、ママみたいになってくれてたんですよ、ミニママになってくれてたんですよね。
娘に母性が働いた瞬間だなぁというふうに感じておりました。
こんな感じでね、あの、時々ここ、ほんとここ、数週間で娘と息子が仲良く過ごしていたり、娘が、どちらかというと息子の面倒を見てくれるようなタイミングがちょっと出てくるようになって、
少しね、この2人育児のあの、しんどいなと思っていた部分が解消されてきた部分があって、ありがたいなぁと思いつつ、
娘がね、もう少しその心の鍛錬ができて、あの、息子のことを受け入れてくれるようになったら、もうこの子すごい子になってくれるやろうなぁという話を夫婦でしておりました。
そこからね、話で派生しまして、心の鍛錬と言われれば、自分の合わせ鏡だなぁって思うことがあるっていうことをね、主人が言ってまして、
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すごい深い話やなぁって思ったんですよね。心の鍛錬、自分の合わせ鏡。私の中ではその主人の言葉を、
どういうふうに解釈したかというと、例えばなんかあの、鍛錬って感じる時って、自分が何か我慢したりとか、
嫌だなぁとか、辛いなぁとか、悲しいなぁって思うようなことがあって、
それを克服するようなことを、心の鍛錬かなって思ってるんですけど、そもそもそういう我慢とか悲しいとか言って感じることっていうことは、
その出来事に対して自分が意識向いているから感じ取るんじゃないかなって思うんですね。
そもそもその出来事に対して意識が向いていない人だったら、嫌とか辛いという感情も浮かばないし我慢することもないと思うんですよ。
ということは、その向き合っているもの、心の鍛錬だと思っていること自体は、自分の乗り越える壁みたいな、そういうものじゃないかなっていうふうに感じました。
心の鍛錬は自分の合わせ鏡。この言葉を聞いて皆さんはどんなふうに思われましたか?
まだ、主人とのこの話はね、メール上でのやり取りで、主人からはどんなふうに解釈しているのかっていう詳細は聞いていないんですけど、
この配信を聞いてくださった皆さんはどんなふうに感じられたか、また教えていただけたら嬉しいです。
今日も最後までお聞きくださりありがとうございました。