1. 拝啓、3000年の人類へ
  2. ラジオが録りたい人たち2025(..
2025-02-12 43:58

ラジオが録りたい人たち2025(後)【time coordinate: 2025.2】

みなさまのおかげで3周年!

・人が生み出すものは”自然”なのか?

・未来のステッカー、いよいよ現代に!

・過去から3周年の僕らへのメッセージ

…など、後編も “あの男”と共にお届けします!


ゲスト: しゅんちゃん from #echo3000 Season1


この番組は、西暦3000年の、未来を生きる人類に向けて、現代人が日々感じることや、ワクワクする未来への想いを発信し、今を生きる皆さんと一緒に、未来に音声を残そうとする番組です。

BGM素材:DOVA-SYNDOROME、効果音ラボ

X@echo3000_radio https://twitter.com/echo3000_radio

感想等は #echo3000 でツイートしていただけると喜びマス

00:01
皆さんこんにちは、あっちゃんです。 前回に引き続きまして、ポッドキャスト番組
【拝啓、3000年の人類へ】3周年記念特別配信ということで、 年一でやってくるあの男と引き続き後編をお届けします。
2025年の現代人は一体何を考えているんでしょうか。 では本編です。
ということで、今回は珍しく後編もやるという形になりましたけども、 前半ちょっと振り返るとAIの話に始まりまして、
我々の文化というところも圧縮されてもいいのかどうかみたいなところもしましたけど、 今回持ってきたネタ、どんな感じのものありましたっけ。
ちょっともともと考えていたところで、 過去に話した気もするんですけれども、僕はリファレンス主義があんまり好きじゃない、みたいなのがありますと。
リファレンス主義。 僕はクリエイターっていう一面もあって、クリエイティブの仕事をする上で、僕も結局その技法を使うことはよくあるのだが、
あなたはこういうニーズですよね。そのニーズに対して世の中にはこういった事例がありますよ。 この事例のこれとこれとこれの良いところを掛け合わせて、こういった形のクリエイティブでやるのどうですか。
最近やとレトロブームみたいな感じで、80年代のクリエイティブが人気ですよねと。 90年代かな。っていうのがあって、
じゃあそのクリエイティブに寄せてみましょうとか、それをあえてスマートフォンと掛け合わせることで、スマートフォンっていう現代のものがレトロに写真として撮られているとかになると、
今時かつでもレトロ感があってオシャレみたいなところができるみたいなのを、 手法としてよくやってるし、僕も急ぎの案件やとそういうアプローチをしがちですと。
でも、そのアプローチ僕はあんまり好きじゃないですっていうのがあって、っていうのは勝ちたいわけよね。 勝ちたい。
過去すべての人類。 過去すべての人類に僕が勝てると仮説すると、
何かインプットしたり悪影響を与えられて思想が曲げられたり思考が曲げられてしまうっていうことが、
僕が革新的な、もう全く新しいクリエイティブを生み出すっていうのの邪魔になるよねと思ってて。
03:06
例えば、研究の話とかを聞いてて、何か思う部分があって、っていうのは、すごい積み上げていくっていうものやん、研究って。
そうですね。
だから世の中にこういう論文ABCがあって、これらを掛け合わせてとか、
このAのやつをもう一歩前進させると、みたいなのが結構研究分野って基本的なやり方やと思っていて。
でも何か、全く新しいものってないの?っていうふうに思うわけよ。それは夢を見てる。
それは僕はアホやからさ。そういうアカデミックなことをやってきてないから、何か勝手にそういう理想を抱いて、何やろうね。
実はコーヒーとヨーグルトを混ぜると、新しい物質が生まれて、それは金よりもすごい性質を持っているみたいなとかがさ、あるやん?可能性としてね。
で、何かもうその辺の土分水の中に実はすごい物質が存在していて、これは金より貴重だみたいなんて、何か夢見るやん。
あくまで世の中の先人たちが積み上げてきたものではないところで、全く新しい何かが実は存在してましたっていうのに夢みたいっていうのがスタンスとしてあって。
で、それがどうクリエイターとしての考えにつながるかというと、リファレンス主義ではなく、僕が全く新しい何かを生み出したいっていうところにつながると。
で、そこで、じゃあ今日何議論したいかっていうところを言うと、とはいえ何かをインプットがあってアウトプットされるわけやんか。
で、じゃあそのインプットっていうのは何かっていうと、僕におけるインプット、この僕がムカつかないインプットっていうのは、人のアウトプットではないインプットっていうふうに定義される。
人の作品とか。
っていうふうに定義されるっていうのが思っていたが、でもそれってどこまでなんだろうっていうのが、最近思ってたことやし、さっきの会話の中でもそういう部分が出てきたなと思っていて。
自然って、例えば、それこそさっきAIが出力したものをAIがさらに食べるんですよって話があったり、それはAIのアウトプットを人のアウトプットとしてAIが食べるっていう話だったわけやけれども、
それと同じように人は自然っていうものを食べてアウトプットをしたり、人が生み出したものっていうのを食べてアウトプットをしたりっていうふうな行動を取りますと。
06:06
で、あっちゃんがさっきも言ってたけど、AIがいろいろな新聞とかの情報を学習してアウトプットするのって、それはダメって言われてるけど、人が人の作ったものを学習してアウトプットするのは良いのかどうのかみたいなことを議論していたと思ってて、
なんかそこにもすごい通ずるなって思っていて、それはじゃあ人が作ったものはもうすでに自然であると、著作物ではないっていうふうに定義をすれば、それは悪いことじゃない。
だから古い新聞の記事っていうのは、ある時までは人が作った出来立てホヤホヤの熱いもの。それは統計情報でもない。もう1つの素晴らしい1つの作品っていうところから、じゃあ人々が100年間それを貯めてきたわけ。新聞の記事っていうのを100年間貯めてきて、それを網羅的に見たときに、これは1つの人の作品、情熱的な作品なのか、
それとも人類っていうものが生み出した大量の文章っていう自然なのか、どっちなんだろうっていう。人っていうのがもちろん自然の一部になっているわけで、じゃあ自然の定義っていうのが、例えば90年代のクリエイティブ、レトロな感じ。
これはもう、ある1つの人の作品っていう見方ではなくて、90年代の感じっていうふうに定義した時点で、もう統計的な情報になっているし、それは人類が築いてきた、日本人の当時の日本人たちが好んでいた、そしてその時の技術で作り出せる限界みたいなものっていうのが、もう自然なんじゃないのって。
で、そう定義すると、なんか僕の考えってある種愚かっていうか、お前が言ってる自然っていうのは原理的な木とか海の波をあえてクリエイティブに落とし込むととか言っているが、そこにはいろいろな人の作為的な部分も含まれているし、さらにはそもそも人が作ったものももはや現代となっては自然なのであれば、そこを参照しているっていうことは、
決してその人から影響を受けたとかではなくて、それは自然から影響を受けているっていうだけの話で、っていうところなのかなっていうのをちょっと感じたっていう。
なるほどね。まあ、自然って言った時に難しい話の一つとして、ちょっと今の話を、まあ僕の内の解釈で話しますけど、例えば山とか森とかあるけれど、港町の風景っていうのは、ある種半分自然みたいなもんだけど、半分人為的なものであって、
09:02
それを見て学んで何かやって出てきたものっていうのは自然に基づくものなのかっていうのは難しいなって聞いてて思いました。だってその港町って家とかさ、港って人間が作った景色であるから、それって人間が作った人工物というふうに捉えることもできるし、でもそれって景観だから自然の一部なんじゃないかとも捉えられると思ってて、
多分そういうことを言いたいのがあってるかな。
うんうん。まさにアザスっていう感じで。今日の話と絡めて今喋ろうとしたからかなり抽象度が上がって分かりづらかったんけど、もともとスマホでメモってたのは、ちょっとそういう物理的なね、人工物っていうのが果たして自然なのかどうなのかやし、例えばじゃあもっと分かりづらいところで言うと、杉の林とかあるよね。
杉の林はでも、もともと自然であった杉の林ではなくて、林業で稼ぐために人が建てた杉の林ですってなったら、じゃあそれも自然じゃないやんってなるし、人がちょっとでも触れたら自然じゃないって言うんだったら、もうあなたはもうどっかね、全然開拓されてないAmazonにでも行ってくださいみたいな感じでなると、
自然に何やろう、僕は基づいてリファレンスなしで生きていく、そして自分だけの何か新しいものを作り出すって言っていたけれども、その言葉自体が薄っぺらいというか、お前そもそもじゃあお前が言っている自然ってどの線引きなのっていう、そこが大事になってくるよね。
ありがとうございますね。僕実はそんな感じの話を最近配信してたんで、多分聞いてないと思うので話すと、ナイトサファリに行ったんですよ、シンガポールにある。で、そこで作られてる環境っていうのは、サファリに近い形で環境を再現されてるけど、それってもう自然じゃないよねみたいな話もあるし、
そこにいる人間ってじゃあ自然じゃないのみたいな話があって、どこからどこまでが自然なんだっていうのはあると思うんですよね。野生動物と人工動物の間に管理動物みたいなのがあってみたいな話を少ししたんですけど、ちょっと今の話に似てると思ってて、
人間活動と動物の活動って別に両方とも自然じゃねって考えた時に、人間が作る家とアリが作るアリ図鑑って両方とも構造物である、変わりないから、じゃあ人間も自然なんじゃねっていう風に捉える考え方もあるし、でもじゃあアリが作ったものよりも人間が作ったものっていうのは、その集団の中で色々と切磋琢磨されて作られてきたものだから、人工物だよねっていう風に定義をした時に、
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なんかそれはそれで人間としておこがましいなと思ったんですよね。なんかその話に結構類似するかなと思ってて、僕らはクリエイティブをする上でどこまでのものを自然として捉え、僕らが作ったものは自然なのかっていう話に繋がるような疑問をしました。
ありがとう。まさに同じ点において疑問を多分持っていて、一つあっちゃんの話を聞いて思ったのは、やっぱり統計的になるっていうところが一つの基準値なのかなって思っていて、
っていうのは、統計的になるっていうのは実際統計として出されるっていうのもそうやし、自分の中で統計化する。だから結局さっきも言ったように、完全にある作品のこの部分をパクる。で、全く同じ線を引いて、そこに様相を加えるっていう風になっちゃうと、それはパクりやし、自然ではない。
要は、ある一人の意思っていうのは自然ではないってなる気がするけれども、何とか派とか例えばあるよね。印象派とか。
映画における印象派みたいなのがあって、印象派とはこうだなっていう自分の解釈を持って、じゃあその印象派っていうのをリスペクトする形で、そこにもう一個エッセンスを加えて何か作品を作るってなると、それはある個人ではなくて、
人類という自然が作った印象派というものをリファレンスとしてというか、作っているという意味では、それは自然を参考にしていると言えるのかもなって。
まあ確かに統計家っていうのはあるかもしれないけれど、一つのものに対して入力されたものから出るというよりは、いろんなものを見た時にもうちょっと抽象度高いものを汲み取って、それを再解釈して出力するっていうのが自然というか、パクりではないというかね、だとは思いますし。
あとね、なんかちょっと話す中で思ってたのは、個別で見たら、例えばマクラナソーシュの話とかもしましたけど、一個のものではあるけれど、新聞とかもそうだけど、大量にあって、かつそれが今と切り離されたものになった時には自然なんじゃないかなと思ってて。
結局著作権とかも含めてだけど、僕らがその時代を生きているからこそ独自性とかひも付きがあると思ってて、僕らが生きた後とか、僕らがいなくなって、そこの時代と現代が切り離されることによって、時間的な自然になるのかなみたいな考え方もあっていいのかなと思ってました。
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なるほど。なんかそうね、一つ自然の考え方として、こういうのもあるよなって思ったのが、その影響し得るかどうかっていうのもあるかなと思っていて、影響し得るというか理解できるかどうかというか、完全にランダムな状態みたいに見えるもの。
そこの裏にある思惑がわからないような状態のもの。それこそ、今あっちゃんが言った時代がそうするよね、時間がそうするよねっていうのって、もう影響し得ない。マクラーの創始の作品には影響し得ないし、なんなら背景もわからなすぎる。
で、遠くなったからそれは自然になっている。で、一方ですごい近くにある、あっちゃんっていう存在よね。例えば僕にとってのあっちゃんっていう存在は多分自然ではなくて、っていうのはそれこそあっちゃんに影響し得るし、あっちゃんに対して一定の理解を得れるっていう意味で、少し自然ではない。
そこに意思を感じるし、温かさって言ったらちょっと気持ち悪いけど、意思を感じるっていう意味で自然じゃないっていう感じなのかな。だからやっぱそれは刀剣の話もそうで、一人だと意思を感じるけど、人がたくさんになると意思を感じなくなるから自然なのかなっていう。
そうね、なんか薄れていくんでしょうね、いろんなものが。なんか淡くなっていくところに自然に変わっていくところがあるのかなーって言った。
そうね。で、結局それは淡くなった、結局オリジナリティみたいな話に収束する気が今話してて思ってて、結局自分のオリジナリティがあれば、それはある掛け合わせであったとしても、でもこれは俺らしさがあるぜって言えたら、それは結局僕のクリエイティブとしては良くて、それは自然を反抗にしましたと。
だからある一つの誰かの意思を反抗にしているのではないですって言えるって考えると、なんかただのオリジナリティを追い求め、そしてなんか俺はリファレンスは意味ないって言ってるやつやなって思いました。
そのリファレンスをする時のネットワークだと思ってて、まあそれこそさっきの人工知能の話に通じますけども、インプット1で出力1じゃなくて、インプットが100で出力1とかっていうわけだと思ったよね。だからそういう意味ではリファレンスしてるんだけど、リファレンスの数が大量にあるからこそ自然というかね。
っていうなんかパクリじゃないよとかオリジナリティも含めあるよみたいなところだと思うかな。
まあそうだね。だから多分ある人の作品、ある著者の作品だけを大量に読み込ませたAIっていうのは、多分自然じゃなくて、完全にその人のクローンだよみたいな話になってくるけれども、それが大量の過去の全新聞記事とかになってくるからこそ自然化されていて、
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自然としてのAIという存在になってくる。AIがアウトプットした時点でそれがまた自然じゃなくなるっていうのはある気がするけれども、存在自体は自然みたいな。
まあ有機物から無機物になったっていうか、とこはちょっと解釈は哲学的になっちゃうけど、じゃあ人間と同様のメモリー数で人間と同様のものをAIが見て触ってってなった時に、それは人間なのか自然なのか、その他出力されたものが人間と同様に扱われるのかっていうのはかなり哲学によっちゃう気がする。
はい。
うん。
そっかい。
でも、そこは結構考えていくべきところなんじゃないかな。
うん。
なんかAISとかでこの人の作品で作ってみましたとかっていうので叩かれちゃうのがやっぱそこがあると思うし、まあ難しいっすね、そこは。
うん。
うん。もしかしたら、なんか来年もその話をするのかもしれないし、
うん。
そうじゃないってなってるのかもしれないし、
そうね。
俺が自然だとか言い始めるのかもしれない。
確かに。
じゃあそれも楽しみ。僕の思考の深まりが楽しみになってきましたね。
なってきましたね。
うん。
なんか去年よりはより哲学によった後編と言いますかね、話はしますけども。
うん。
まあ、テーマとしては、まあ毎年こんな感じなのかなと思いつつ話しますけど、僕の方でちょっと用意していた話をちょっとさせてもらいたいのが、
うん。
一個、未来のステッカーいよいよ現代にという話をしたいですと。
で、僕2023年の11月頃にステッカーを実は作って、3周年を祝う未来のステッカーを作りましょうという話をしておりました。
で、これちょっと見ていただくと、これ2023年にできたんですけど、下のところにですね、2025年2月10日っていう風になってるんですよ。
おお。
いよいよ僕らが未来の大パーツを作ってたはずのものが現代に来てしまったというね。
すげえ。
あのー、これびっくりで、2023年に2025年の、しかも3周年のものが存在していたという奇妙さがあったものが、実際に3周年のものになるっていう変化をしたんですよ。
ほんとだ。で、ここの書いているキーワードが面白くて、
ラジオが撮りたい人たち、2025。もうまさにこのね、今回のラジオのタイトル。
じゃあ前後に分かれたのはちょっと想定外。
想定外ではありましたけど、まあね、前後編やるのもいいんじゃないかなというところで、ここにエコー3000サードアニブって書いてありますけども、
あのー、面白いですね。感覚が変わるステッカーっていうね。
21:04
番組の雰囲気っていうのはあるんだが、それだけじゃなくて時間的にもこの意味合いが変わるね。
この熟成感というかね、あるというところが面白いかなと思って作ってたんですけど、
いやー気づいたら3年ですかという感じですよ。
そうですよ。
過去人から未来人。だから僕らは、当時の僕らにとっての未来人であったっていう、なんかこの思いが、
当時の自分の期待に応えられてますかっていうところにちょっと繋がってくる感じがある。
そうそうそう。過去からのメッセージでもあるわけなんだよね、これは。
だからなんか作ったけど、確かになっていう思いに変わりつつ、
なんかねー、面白いですよね、こういうの。
なんかだから、今度また未来版を作りたいなーっていう気持ちになるし、
で、それはなんやろうな、もっとなんか絞ってもいいかもな。
絞る。
うん。っていうのは、何やろう、予想して描くのはまたこれタイムマシーンみたいでダサいねんけど、
タイムカプセルか、タイムカプセルみたいでダサいねんけど、
これはこの、通れたわけやん、今回。
うん、通れましたね。
今回これは通れたっていう感じやけど、なんかその、通れるか危うにみたいなのとか、それがちょっとずれる。
でも今回一つそういう意味だと、多分面白いなーって思ったのは、
前編後編っていう風になったっていうのが、実は面白いかも。
そうね、そこは想定してなかった未来っていうところもあるよね。
で、このステッカーももう一個隠れた工夫というか、変わりだなって、
これってパソコンの画面みたいなのを再現されてるんですけど、
右上の数字を見ていただくと、実は西暦3000年の2月10日8時っていう表示がされてて、
これ、場所が月の土地の名前が左上に書かれてるんですよね。
だから、サードアニバーサリーもそうなんだけど、これを聴いてる未来人が西暦3000年で画面を見てるっていう。
そういうことね。
難しい。
そう、だから、いろんなものを入れちゃってるんだが、
3周年を迎えましたよねっていう未来が来てるよっていう話もあるし、
その番組を西暦3000年で聴いてる人がデスクトップなりで再生してるっていうのを入れてはいると。
なるほど。だから、過去の、どう説明して、3000年目線で説明すると?
3000年目線で説明すると、3周年が続いた番組っていうのが2025年にありますと、それを聴きましたっていう視点。
で、我々作る番組側の視点だと、2023年にそういった3周年のステッカーができているという大パーツ、
24:01
未来のものが今あるという視点っていう2つあるんですよね。
っていうのを、このステッカーで一応再現しているというか、入れたということですね。
だから未来人に、3000年の方にとっては、なんかちょっとむずいよな。
ほんまにこれただただ2025年のステッカーがあったよっていうだけで捉えてしまう可能性もあるし、
で、そのラジオを聴いていると、なんかどうやらそれはなんか2022年にみたいな話をしているし、構造が非常に複雑ですよね。
なんかそこをちょっとやりたいっていうのもあって、
まあ未来の人から見たら過去の一つの一点でしかないが、過去にいたその人たちにとっては、それが先のことだったみたいな。
っていうのはあんまりないのかなと思ってて、まあ複雑にしちゃうのは仕方がない部分であるんだけど、ちょっとそこをイメージして作ってみましたと。
いいアートや。
というところですね。
だからまあ僕らにとって、もし次4周年が来た時にこれを見ると過去のステッカーにはなってて、本当の意味で未来人からの視点になると。
そうね。
っていう変わり。
で、さらに未来人を意識してるっていう意味では4地点になるよな。
過去と実際撮影した、ステッカー作ったタイミング、ラジオを撮影したタイミング、自分たちが今いるタイミング、これを見てほしい人の目線のタイミングっていう。
そうそう。
僕らは3つまで経験できるっていうね。
側面がありますけど、未来人は1個しか経験できない。
っていうのを表現ができるかなっていう変なものです。
素敵です。
はい、っていうのを作ったりしましたと。
いうのが1つ話したかったなっていうところですね。
で、あともう1個あるんですけど、これあの去年のこと覚えてたらあれですけど、
あの僕もちょっと聞いてないんで。
お、出た。
これか。
昔の自分から3周年おめでとうというのが流れる音声があるというやつですね。
そうね。
ちょっと聞いてみますか。
ちなみにこれは3年目バージョンやけど、2年目バージョンが気になる方は、
去年のバージョンを聞いていただくと。
ってことですね。
ですね。
あのー、いつのやつかわかんないんで、聞いたらわかると思います。
じゃあちょっと聞いてみましょう。
未来のあっちゃん。
しゅんちゃん。
3周年おめでとうございまーす。
私、2023年の6月末のあっちゃんです。
1年ぶりですね。
1年ぶりじゃないかな?
もしかしたらその間にもう1回コメントしてるかもしれないけど。
いやー、3周年ですか。
あの中華料理屋さんでの夜から早3年が経ったわけですね。
その間にいろんなイベントやりましたね。
27:00
僕が今知ってる限りでは、コラボ会とか、ポッドキャストワースとか、
いろんなイベントに出たっていうところまでは知ってますけど、
さらにいろんなイベントに出たりとか、主催したりとか、
何か開催してるといいなと思っています。
なかなか3年迎えるラジオっていうのはないのかなと思っているので、
これからもゆっくりと楽しくそれでいて、
未来の皆さんに残せる音声であってほしいなと思っています。
それではまた、4周年に向けて頑張ってください。さよなら。
はい。ということで、どうですか。
いや、いいね。あのオアシス後のタイミングかっていう。
オアシスってあれ4月か5月ぐらいだったっけ?
えーと、6月ぐらいですかね。で、去年も。
いや、もうすぐ後ってことか。
そうね。
なるほど。で、去年も多分。
去年も6月末に開催をしております。
うんうんうんうん。なるほど。
うん。
いやー、なんか、いや、もう、だからこれ去年話しちゃったことやから、
あのー繰り返しにはなっちゃうんやけれども、
この当時は僕がゲスト化するとは思っていないっていうタイミングね。
まあまあ、そうでしょうな。
だから、なんかそういう意味でも、なんやろね。
そのー、未来と過去の構造として面白い。
そのー、未来に対して届けるっていう、なんやろね。
音源として非常に面白いなっていうところやし、
なんか、なんやろな、逆もできへんかなって今思ったけど、
逆は無理か。過去の自分に言うみたいなんて普通やもんな。
うん。
だから一方通行になるのかな、こういう構造は。
まあドラえもんのタイムマシンではない限りは、難しいかなーっていう気はしますね。
届かへんもんね、未来から過去には。
そう、まあ、光とかはね、あるよね。
遠い惑星から届く光とかっていうのは、僕らが、
まあ、例えば1億年前の光が今届いてるってのがあったりするわけですけども、
まあ、そこの技術はまだ現代ではできてないんですけども、
まあ少なくとも僕らが未来人の立場で聞けるようになるっていうのが、
じゃあどうなのかっていうのの再現にはなってるよね。
うんうん。
西暦3000年の人類が僕らの音源を聞くとどうなるかの違いですけど、
なるほど。
これをまあ、まあ1年半、2年ですけども、
過去から自分へのミッセージというか、未来の自分たちへのメッセージという形で残ってるっていうのは、
まあこういう感覚なんだと、というところですよね。
で、しかもまあ僕自身であるから、まあ親近感はあるですけど、
うん、という感じで、まあ来年もあんのかしらないですけど、
聞くとやっぱり全然違うところに来ましたね。
だってね、この1年半前、2年前ってなるとさ、僕も全然まだ転職するとか思ってなかったし、
30:05
引っ越しもないし、なんなら結婚とか言い始めるしさ。
そう、そうですよ。
うん、やっぱ面白いっすね。
いいよ。
やっぱ1年ごとのこういうね、なんか立ち戻る場みたいなのはすごくいいかもしれない。
なんかじゃああれじゃないですか、来年もし出るかわかんないけど、来年の自分に向けてなんか。
あー、恥ずかしいー。
やるとかね。
まあね、双子の子供がいて、
仕事はまあなんやかんや一緒で、
で、だからちょっと住んでるところは田舎に移ってるかもね。
でも双子って結構なんか外しに来てるよね。
なんか置きに来てないよね。なんか外れる前提でなんか面白いこと言おうとして。
そう言われたら聞いてる人は、その割には思んないなーって思ってるからさ。
まあでも想像しない未来に対してその想像を越えていくっていうのはやっぱ大事だと思うんで。
確かに。密語やね実際は。
そう。密語もね、確かにそれはあるかもしれないな。
まあもしかしたら僕もね、もう1回転職してるとかさ。
確かに。
それも全然あり得る話だし。
まあね、それこそ新しい番組もう1個できてたりとかさ。
なんかイベントまた別でやってたりとか。
いやー、ちょっとビットコインで人間間違ってーみたいな。
もうタワーマン、仕事やめタワーマン、投資家。
なんでそのお金持った人はタワーマンに住むっていう話になるの?
いや、ごめんなさいプロトタイプで。
でもそこのなんかね価値観ももしかしたら変わってんのかもしれないよ。
確かにね。
お金持ってる人がタワーマンショーに住んでるっていうのは100年前だよねーみたいな。
あー確かに。
そこはあるかなと思った。
タワーマンって何?ってなってるかもしれんしな。
なんか、なんやろな、車が街を走るから高すぎるものはダメですみたいな。
道路の話とかも少ししましたけど、空飛ぶ車がもっとできてきたら違うね。
道路なんているんすか?みたいな。
別にみんな屋上に泊めるからさ。
カーポートなんていらないとかさ。
そういうのに合ってるかもしれないしね。
まあでも1年後か、2026年。
ちょっと考えには早いよね、年明けすぐだから。
なんだろうね。
2026年予想しとく?
せっかくやからAIの話をしているから、中国とアメリカどっちが勝ってるかにする?
かなり政治的な思想も入ってくるところですね。
まあテクノロジーでもいいし、身の回りでもいいし。
33:02
2026年か。
変わらないものもあると思うけど、逆に一番変わらないものを考えてみると、床屋はあるよね、絶対。
じゃあ床屋がなくなるシナリオを考えよう。
でもそれこそ、どうなんやろ。
その中になった時って、床屋って結構潰れたんかな。
床屋は潰れてないんじゃない?
床屋は安泰やった。
まあでもさ、飲食がなくなるなんて未来は考えられんかったわけやんか。
自分で髪を切るっていうことを普段からやってないからね、床屋の場合は。
まあ確かに、そっか。食べ物は家でできるよねってなるし。
それこそさ、例えば髪型気にしなくなるとかだったらわかるよ。
あ、きた。ARグラスね。
ARグラスでもいいでしょ。
ARグラスが世の中に広がりすぎて、みんながARグラスをつけているので、
フィルター前提の世の中になり、みんなは自分の好きなアバターで見てもらうようになった世の中において、
用紙という意味がなくなる、2026年ですね。
なんかそれは一つの物語になりそうだよね。
自分のアバターとかそういう外見を外してでもお互いに見せ合いたいっていう、
なんだろうね、VTuberとかもそうなのかもしれないけれど、
自分が見せたい自分だけじゃなくて、その自分を見せるみたいなところへの恥ずかしさとか、
そういう新しい感情みたいのがあるかもしれないね。
でも隠す文化っていうのは既に服においてはあるわけやん。
実は腹毛ボウボウで三段腹やけど、服着たらそれは見えへんっていう安心感で生きてたりするやん。
例えばマスクしてるからヒゲちょっと伸びてるけど、
今日はいいや、だってマスクやしコロナやしっていうのもあったっていうのを考えると、
なんかそれが大丈夫っていうARグラフとかによってそういう時代が来るのであれば、
なんかみんなじゃあ様式にしなくなるかもねっていうのは全然ありえそうじゃない?
でもなんか難しいのがさ、
例えばアラブ系のところの国とかだとさ、
女性はもうヒジャブって言って目だけしか隠してないみたいな、目以外隠してるみたいな状態になってるけど、
それって別にアバターではないっていうかね。
でもそれは彼女たちは多分口とかはなんかヘラヘラしてるかもしれないっていう話や。
まあね。
そうそう。っていうのがあるのであれば、
なんか人々は楽するんじゃねっていう。
36:03
みんなVTuberの見た目で生きていくんじゃねっていう。
まあでもそれはあってしかるべきだし、
以前ちょっと話をした気もするが、
なんかやっぱり自分で名前を決めるとかね、
そういうのって親から決められてっていうのがあって、
そこからVTuberとかいろいろあったのもあるけど、
なんか自分の別の名前を持つみたいな文化が出てきてもいいのかもしれないですよね。
なるほど。
マイナンバーはあるけれど、あれは数字でしかない。
名前は一応あるけれど、これはまあ国の人が識別するための記号でしかないってなったときに、
なんか名前に新しい意味が付与されるとかさ。
マイコードネームね。
マイコードネーム。
なるほど。それは確かにあるかも。
というかその議論、2026年にはないけど、議論が出る可能性はあるな、2026年までに。
あとはやっぱり皆さんも感じてるかもしれないですけど、
いろんなコストが上がってきる中で何かが変わるのかもしれないよね。
はいはいはい。軍国主義かね、クーデターね。
そんな危ないところはあんまり考えてはないですけども、
もしかしたら政権交代が起こってるとか、
新しい法律の中でなんかより市民が何かを起こすみたいのは、
もしかしたら近づいてるのかもしれないよね。
なんか今の情勢見てるとさ、やっぱ皆さん同性とかさ、
お金かかりすぎてるんでやばいでしょっていうところもあるからさ。
そういう視点もあるかもしれないけど、
なんかもうちょっと明るい未来を想像したいよね、せっかくだから。
明るい未来、何が良くなるか。
万博が一応あるけどさ、あれもあんまりニュースにならなくなったし、
そこから新しいものができてもいいと思うんですけど。
なんか最近で日本にとって熱い話題やったんってさ、
進撃の巨人ヒットしたよとかじゃない?
ちょっと古くない?
ちょっと古い?それ以降ある?
24ではないですね。
2023?それ。
この時点の話で言うと、ちょうど今週とか話題になったのが、知ってるかわかんないけど、
アルチューカラカラっていう人が生存してたっていう、
しかも企業のやつで出てきて、めっちゃインプレッションあって、
みんな喜んでるみたいなのありましたけど、あれはいいことじゃない?
あれはいいことかも。
あんなヤバい飲み方してたけどちゃんと生きていてくれたんだなっていう。
確かに。なんかそういうところを責めたいな、当てるのであればな。
やっぱEXITじゃないですか、新しい企業立てで。
39:05
それで言うと、僕個人で言うと、
今映画作ってるのは完成して、今配給のために動いてるっていう感じで、
だから全国映画館で、私しゅんちゃんがアートディレクターを務めた映画が回ってるかもしれない。
亀止めみたいな感じで、インディーズから爆発するみたいな。
だから皆さん、インディーズ映画でアートディレクターの中にしゅんちゃんっぽい人がいる映画がもしあれば足を運んでみてください。
出演はされてるんですよね?
出演はしてます。
顔出してるんですよね?
顔は出てません。
声は?
出てません。
あれやから、なんちゃら出演やから。
亀尾出演やから。
亀尾にはならへんわ。亀尾はすごい著名人が一瞬出る話やけど、著名ではないけどそんなんやろうね。
橋役です。
来年もそれブームになって、もし売れてるんだったらこの場で公開。
名前をね。
名前をもう有名になったので出します。
思想が、あいつの思想が実はこうやってやったんかっていう。
そう、あの、覆面レスラーを外すみたいな感じでいいんじゃなかろうか。
じゃあそうしましょう。それを目指しましょう。
いいですね。
僕もなんか去年ちょっといろいろはしゃいだから今年大人しくしようとか思ってたんだけど、
新しいことまたやりたいなと思ってるんで、それでなんかできたらいいなと思いますね。
これくらいかな。
明るくなったよだいぶ。
明るくなったね。
やっぱ冬だし、冷え込んでる世間もありますから、皆さん暗いニュースもよく見るかなと思いますけど、
未来は明るいものだったらしいよね。
そうね。夢を持ってね、生きていきましょうや。
生きていきましょう。
もう話を終えましたか、これで。
うん。
残すことない?思い残すことは。
気持ちよく出し切れましたね。
出し切れました。それはよかったですね。
ということで、まあ今年は前後編になりましたし、
途中からいろんな話も入って、なんか久しぶりに頭をこねくり回された感覚があるんですけども、
まあ2025年も元気で生きてますよ。
そして4周年に向けてね、楽しくやっていきますよというところが発信できたのは何ですね。
そうですね。
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ということで、最後に告知になってしまいますが、今回出演いただいた方は、
シーズン1ですね、背景残念なの人類へというシーズン1がありましたけども、
そちらで相方として出演をしていたしゅんちゃんになります。
そう、告知。それ告知なのか。
告知というかね、実話という人物が。
そう、実はしゅんちゃんでした。言ってたけどね、僕も。
ということで、また来年お会いしましょう。さよなら。
さよなら。
エンディングです。
ということで、今回も3周年特別回後編ということで、シーズン1の相方、しゅんちゃんと共にお送りしました。
いかがだったでしょうか。たった1年、されど1年ということで、
お互いに大きな変化、そして影響を与えながら、また1年楽しく過ごしていけるといいなと思っています。
しゅんちゃん、ありがとうございました。
番組ではお便りを募集しています。
Xのハッシュタグ、エコー3000までお寄せください。
では、今回はここまでです。
現代人の皆さんも、未来人の皆さんも、また次回お会いしましょう。
じゃあね。
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