「多様性」の問いかけと二つの概念
あのちょっと想像してみて欲しいんですけど。はい。 ある日突然、隣の家の人が庭で豚を解体し始めたら。
えっと、庭でですか。それはちょっとかなりびっくりしますね。 ですよね。あるいはもっと極端な話。
もし彼らが人肉食の文化を持っていたら、あなたはそれを、まあ多様性だからって笑顔で受け入れられますか。
いやー、いきなり強烈な問いかけですけど。でもなんか、それこそが今回私たちが向き合うテーマの革新なんですよね。
つまり、みんな違ってみんないいっていう言葉が、いかに表面的かっていう問題です。 そうなんです。今回私たちが深盛りしていくのは、人類学のちょっと難解な専門書である
内在的多様性批判を読み解いたあるオンライン読書会の録画メモなんですけど、今回のミッションは単なるバズワードとしての多様性を脱ぎ捨てて、
私たちの職場とか日常で起きる異文化との衝突の本当の意味を暴き出すことです。 楽しみですね。早速なんですが、その読書会の中で非常に重要な概念の対比が出てきましたよね。
一般的な選択する多様性と人類学的な飛び移る多様性という2つです。
選択する多様性の方は感覚としてすごくよくわかります。カタログギフトから好きなものを選ぶように、私はタイ料理が好きとか、あの国のファッションが好きとか、自分に都合のいい心地よい部分だけをつまみ食いする感覚ですよね。
でも、飛び移る多様性っていうのは一体どういうメカニズムなんですか?どうジャンプするんでしょうか?
そこすごくいいポイントです。飛び移るっていうのは、安全な場所から違う文化をただ眺めるんじゃなくて、自分自身の常識とか価値観の基盤を一度手放して、全く異なる相手の文脈に直接ジャンプして入り込むことを指しているんです。
なるほど。つまり海外の料理が好きって言いながら、結局は日本人向けにマイルドにアレンジした味しか食べないのが選択する多様性で、対して強烈な現地のスパイスとかお腹を壊すリスクまで丸ごと引き受けて、彼らの味見区そのものに自分を合わせに行くのが飛び移る多様性というわけですね。
その例えめちゃくちゃ秀逸ですね。だからこそ本当の多様性には痛みとか強烈な摩擦が伴うんです。
痛みですか?
ええ。さっきの豚の解体の話みたいに、自分の基盤を大きく逸脱するものを突きつけられた時、私たちは初めて真の多様性と直面するわけです。
対話の罠と議論の必要性
痛みを伴うとなると、じゃあ価値観が全く違う相手とどう関わるかが問題になりますよね。よく企業とかだと、多様な意見をまとめるためにダイアローグ、つまり対話が大事だって言われますけど。
実は読書会の参加者たちは、企業でよく使われるその対話こそが罠だって指摘してるんです。
えっと、罠ですか?対話ってお互いを理解し合うためのポジティブなものだと思ってました。
会社での対話って、結局のところ上司が部下に同意とか共感を求めて丸く納めようとする予定調和に陥ってませんか?っていう指摘なんですよ。
ああ言われてみれば、わかるよって無理に共感するフリをして、波風を立てないための同調圧力になってる気がします。
そうなんです。だからこそ、共感を強要する対話よりも、意見を激しくぶつけ合う議論、ディスカッションが必要だと言われています。
議論ですか?
ええ。議論の目的は相手を論破することじゃなくて、最終的に結論が出なくても、あなたと私は全く違うんだっていう事実を徹底的に浮き彫りにすることにあるんです。
なるほど。多様性って無理に良いものとして肯定するんじゃなくて、単なる事実としてありのまま受け入れるべきものなんですね。
その通りです。
多様性から目を背けることの代償
でも、もしそうやって違うっていう事実から目を背けて、痛みを避け続けたらどうなっちゃうんでしょう?
その結果について、人類学的な視点から、日本人は世界で最も孤独な民族の一つだっていう非常に興味深い指摘がソースにありました。
孤独?常に周りの空気を読んで、集団行動を重んじてるのにですか?
それは、自分たちの標準から外れることを極端に恐れるあまり、外部の異なる尺度を一切持てなくなっているからです。
ああ、なるほど。
異なる価値観を持つ相手と、真っ正面からぶつかる、飛び移る経験を避けているから、自分たちの閉じた世界観の中だけでしか物事を図れない、結果として孤立してしまうんです。
同質的な集団の殻に引きこもっているからこそ孤独なんですね。これって、今この音声を聞いている皆さんの会社がなぜ停滞しているのか、その根本原因かもしれませんよ。
ええ、本当にそうですね。
ソースに登場した、あるITベンチャーのエピソードがまさにそれでしたよね。彼らは外部の取引先を、対等なパートナーじゃなくて単なる下請け業者としてしか扱えなかったっていう。
そうそう。外部の人間を、自分たちとは違う独自の価値観を持った存在として尊重せずに、自分たちの枠組みに都合よく収束させちゃったわけです。
これじゃあ、新しい視点が入る余地がなくなって、イノベーションの壁にぶつかるのは当然ですよね。
真の理解と変化への道
つまり多様性っていうのは、ポスターに書かれた心地よい言葉なんかじゃなくて、自分自身の当たり前を激しく揺さぶられて、時には自分の基盤を崩されるような、最高に居心地の悪い体験そのものだということですね。
まさに。その強烈な摩擦から逃げずに、自分自身の尺度を相対化することからしか、本当の理解や変化は始まりません。
そこで、最後にこれを聞いているあなたに一つ考えてみてほしいことがあります。
はい。
もし明日、あなたが全く価値観の異なる異文化コミュニティのど真ん中で生きなければならなくなったとしたら、あなたが絶対に手放せない自分の核となる価値観はどれですか?
そしてそれは本当に絶対に手放せないものなんでしょうか?ぜひ自分自身に問いかけてみてください。
