ピダハンの文化の探求
こんにちは。今回はですね、アマゾンの少数民族、ピダハンについて、ちょっと深く見ていきたいと思います。
手元にあるのは、彼らに関する本の、特定の章を読んだ人たちの読書会の記録なんです。 ここから、彼らのなんていうか驚くほどユニークな文化、
例えば、長く使えるものは作らないという考え方とか、その辺を探っていきましょう。
この記録、すごく興味深いですよね。 読んだ人たちの素直な驚きとか、あるいは価値観が揺さぶられる感じが伝わってきます。
ピダハンの文化っていうのは、私たちが当たり前だと思っている多くのことを問い直させてくれる、そんな感じがしますね。
そうですね。まず、記録読んでて、これはって思ったのが、彼らが長期的な視点でのものづくりをしないっていう点。
例えば、もっと丈夫な、長持ちする船の作り方を教えてもらっても、あえて作らない。
従来通りのすぐ壊れちゃうようなカヌーを作り続けるっていう。 これって単に技術がないとかじゃなくて、物への執着のなさとか、そういう価値観なんですかね。
そうみたいですね。記録を読むと、どうも物よりも身軽さとか自由みたいなものを重んじているというふうに読み取れますね。
それで、食べ物に関しても計画的に貯蔵するっていう発想がほとんどないらしいんですよ。
食べ物は必要な時に自然とやってくるものだっていう、そういう感覚に近いのかもしれないですね。
これは、常に未来に備えようとする我々の社会とはもう根本から違う感じがします。
未来への不安みたいなものがあんまりないってことなんでしょうか。
不安がないというよりは、未来とか過去っていうその時間に対する捉え方自体が、我々とは大きく違う可能性があるかなと、記録からはそう読めますね。
読書界の記録にもありましたけど、まるでマインドフルネスのようだっていう感想もあったみたいで。
ああ、マインドフルネス的。
未来とか過去のことに心を煩わせずに、今この瞬間の直接的な経験を何よりも大切にするっていう、ピダハンのそういう姿勢を指してるんでしょうね。
その直接経験っていうのが、彼らの文化を理解する上ですごく大事なキーワードっぽいですね。
社会のあり方にもその原則が現れてるのかなって感じます。
記録によると、大体300人ぐらいの小さな集団で、特定のリーダーとかそういう階層構造みたいなものもほとんど見られないとか。
非常にフラットな社会のようですね。
家族関係は大事にするみたいですけど、一方で記録の中には、例えば女性が一人で出産するとか。
直接経験と社会の構造
ああ、ありましたね。
あるいは、重い病気の看板を必ずしも積極的に助けようとはしない、といった描写もあって、これには読書会の参加者もかなり戸惑いを隠せなかったみたいですね。
我々の常識とか、いわゆる人道的っていう感覚とは違う規範で社会が成り立ってるっていうことなんでしょうね。
子供の扱い方も中は独特だって記録にありましたよね。
小さな子供も大人と同じ一人の人間として扱って、いわゆる子供扱いっていうのをしないみたいな。
そうなんですよ。
西洋的な、守られるべき子供っていう見方とは全然違いますよね。
そこには、保護されるべき無力な存在としての子供っていうカテゴリー自体が、もしかしたらあまりないのかもしれないですね。
全てが直接的な関係性の中で捉えられているというか。
読書会の記録でもこの点について、じゃあ自分たちの文化における子供って何なんだろうって改めて考えさせられたっていう意見があったようです。
なるほどな。知識とか文化の伝え方にも、その直接経験の原則っていうのが徹底されてるんですね。
文字を持たないから、誰かからまた聞きした話とか、抽象的な概念よりも、やっぱり自分自身が直接見聞きして体験したことを絶対的に重視する。
ある程度抽象的な知識が必要になる技術とか、あるいはキリスト教のような直接経験を超えた信仰体系っていうのは、なかなか彼らの文化には根付きにくいということなんでしょう。
記録の中では演劇とか武道みたいに、言葉だけじゃなくて身体全体で学ぶ感覚に近いんじゃないかっていう考察もありましたね。
ああ、なるほど。理論じゃなくて体験で世界を理解していくみたいな。
ピダハンの生き方って物質的な豊かさとか、未来への備えとかとは全く違う価値観に基づいているんですね。
ええ、彼らの文化は効率性とか合理性とか進歩とか、私たちが自明のものとして考えがちな価値観とは全然別の軸で成り立っている。
この記録を読むことで、そういう多様な世界のあり方があるんだなって改めて気づかされますよね。
本当にそうですね。さて、最後にこれを聞いているあなたにちょっとこんな問いを投げかけてみたいと思うんです。
直接経験をすごく大事にして現状に満足しているように見えるピダハンですが、もし今後外部の世界との接触が避けられなくなったとしたら、彼らの社会とか価値観ってどういうふうに変わっていく可能性があるんでしょうか。
失われるもの、そしてもしかしたら新たに得るもの、それって何なのか少し想像を巡らせてみてください。