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2025-10-26 06:30

聴く!「ピダハン」読書会 第4回

「ピダハン」読書会 第4回の会議メモから生成したふりかえり用Podcastです

サマリー

このエピソードでは、ダニエル・エベレットの研究に基づき、アマゾンのピダハン族の文化や言語が考察されます。特に、直接経験の重視について議論が交わされます。参加者たちは、ピダハン族の独特な視点から人間や文化、経験に関する深い問いを投げかけられます。

ピダハン族の文化と視点
こんにちは。今日はですね、ある読書会の記録をちょっと一緒に見ていきたいなと思っています。
はい。テーマは、ダニエル・エベレットさんの研究で知られている
アマゾンのピダハン族、これについての本ですね。
ピダハン族ですね。手元にあるのが、その読書会の参加者の方たちの議論をまとめた記録。
はい。ここからですね、この非常にユニークな文化と言語、
特に直接経験っていうのを何よりも重視するっていう彼らの世界観について、参加者の皆さんがどんな点に注目したのか、そのエッセンスを探っていければと。
そうですね。私たちの常識とはかなり違いますからね。特にその直接経験の原則、これに読書会の皆さんがどう向き合って理解を深めようとしたのか、そのあたりの思考のプロセスを追体験できたら面白いかなと。
まずすごく面白いなって思ったのが、言語の話で出てきたピダハン語のMPっていう言葉ですか?
ありましたね、MP。
これ、物が何か視界に入ってくるとか出ていくとか、その動きだけを表すそうですね。
日本語には何かピッタリくる言葉がないんじゃないかって話が出てて、これって彼らの現実の捉え方とどう繋がってるんでしょうかね。
それはですね、色彩に関する議論にもちょっと関連してたんですよね。
あ、色ですか?
はい。ピダハン族は色を抽象的なカテゴリーとしてはあんまり捉えないみたいで。
へー。
例えば赤っていう代わりに血みたいな色とか、そういう具体的な表現を使うと。
なるほどなるほど。
で、参加者の一人がご自身の絵を描く経験と重ねて話してたのがすごく印象的で。
はいはい。
草を描くときに単に緑っていう概念を当てはめるんじゃなくて、その場の光とか隣にある色との関係性の中で、実際にそこに見えてる色を捉えようとする感覚。
あー、なるほど。確かに絵を描くときってそうですよね。
ええ、それに近いんじゃないかと。だから抽象化するっていうよりは、目の前にある具体的な経験そのものが彼らの世界認識の基本にあるっていうことを示唆してるんじゃないかなと思いますね。
うーん、具体的であること、それが鍵なんですね。
そうですね。
で、やっぱり議論の中心になってたのが、直接経験したことしか話さないっていうピダハン族の原則。
ええ、ありましたね。
でもそうなるとすごく大きな疑問が出てくるじゃないですか。参加者の方も悩んでたみたいですけど、直接に見えないはずの精霊についてはどう説明するんだろうって。
直接経験の重要性
まさにそこが議論のポイントだったみたいですね。
はい。
で、参加者の方からはいくつか可能性が挙げられてました。
一つは、私たちが普通に考えるような見えない存在としての精霊じゃなくてですね、誰かが精霊のように振る舞うのを直接観察してるんじゃないかと。
へえ、精霊そのものじゃなくて精霊みたいな振る舞いを見るってことですか?
そうなんです。
ああ、それなら確かに直接経験の原則とは矛盾しないかもしれないですね。
ええ、あれは彼らの言う直接経験の定義自体がちょっと私たちのものとは違っていて、文化的に強く信じられてるような事柄も含むのかもしれないとか。
あとは精霊章とかピダ版劇場って呼ばれるような行為がですね、私たちがイメージするような形式化された儀式とはまた違う可能性もあるんじゃないかって指摘もありましたね。
ああ、儀式っぽくない?
そうですそうです。これもなんか抽象的な儀式っていうよりはもっと突発的で具体的な直接経験の原則に根差したパフォーマンスみたいなものかもしれないっていう、そういう見方ですね。
なるほどね。で、話はさらにちょっと踏み込んでピダ版族の社会のもう少し厳しい側面にも触れられてたみたいですね。
ああ、そうですね。
なんか平和的っていうイメージだけじゃないぞと。外部の人間とかあるいはコミュニティのルールを破った人に対するその暴力性について、そこから彼らの人間っていう概念そのものへの問いが生まれてた感じですね。
人間ですか?
はい。
ピダ版族にとっての人間っていうのはもしかしたらピダ版族だけを指すのかなと。
ああ。
部外者とか追放されたメンバーっていうのは同じ人間とは見なされないのかもしれないっていう可能性ですね。
なるほど。
やっぱりその厳しい生存環境っていうのが共同体を守るためにすごく厳格なルールとか、時にはまあ非常ともいえる制裁を必要としたんじゃないかっていう議論もありました。
これは例えば日本の過去にあった辻刈りとか、そういうなんていうか困難な時代とか環境の下で見られたようなあまり干渉的じゃない生命感、それに通じる部分もあるかもしれないっていう意見もありましたね。
はいはい。
あと著者であるエベレットさん自身のその宣教師としての背景が記述の仕方に影響を与えてるんじゃないかっていう可能性についても参加者の方は考えていたようです。
この読書界の記録を通して、言語が認識を作って、経験が現実を定義して、共同体の存続が社会の在り方を決める、私たちとは本当に根本的に違う原理で動いてるかもしれない世界っていうのを垣間見た気がしますね。
本当にそうですね。同時に、私たち自身の言語とか文化的な前提っていうのがいかに自分の現実認識を形作ってるのか、フィルターにかけてるのかっていうのを改めて考えさせられますよね。
人間って何なんだろうとか、経験って、あるいは色でさえも、この読書界の議論っていうのはそういう根源的な問いを投げかけてくれたし、私たちと大きく違う視点を理解しようとすることのその難しさと、でもその重要性っていうのを浮き彫りにしてくれたように思います。
そうですね。最後にこれを聞いてくださっているあなたに一つ試行実験を投げかけてみたいんですが、もしですよ、直接的で今ここにある経験だけがあなたの知識とかコミュニケーションの唯一の有効な基盤だとしたら、あなたの世界ってどんなふうに変わると思いますか?
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