ええ。描かれましたね。
魔法も宇宙人も一切出てこない古びたアパートを舞台にした青年漫画です。これって、クリエイターとしては自ら手足を縛るようなかなりリスクの高い行動じゃないですか?
いや、その驚きは非常に真っ当です。でもそれこそが彼女のストーリーテラーとしてのすざみなんですよ。
ほう。
うるせえ奴らが無限の多子山の物語だとしたら、メゾン一国は究極の引き山の物語なんです。
引き山ですか?
ええ。オンボロアパートである一国館という閉鎖的な物理空間に、老人性の後代遊作と若き未亡人の管理人である大人し教皇を配置する。
はいはい。
長能力がないからこそ、少しの言葉足らずとかタイミングのズレといったすれ違いが物語を牽引する強力が魔法として機能し始めるんです。
ああ、なるほど。スマートフォンなんてない時代だからこそ、固定電話の取り継ぎとか、アパートの廊下での偶然の鉢合わせが、とてつもないサスペンスとかロマンスを生み出すわけですね。
そうなんですよ。
魔法を使わずに、人間関係の摩擦だけで、魔法のような引力を作り出したんですね。
その通りです。そしてその日常と非日常のメカニズムを、かつてない高い次元で融合させて、さらに当時のトレンドであった格闘アクションの要素まで組み込んだのが、次なる巨大なエンジン、ランマ二分の一です。
出ましたね。中国の呪禅教という場所で溺れて以来、水を浮かぶると女の子になってしまう少年、ハヨオトメランマと、その曲の天道赤根の物語ですよね。
ええ。
これ、初めて設定を聞いた時に、なんて変なギミックなんだって思ったんですが、これも物語を動かす構造になっているんですか?
もちろんです。この水とお湯で性別が入れ替わるっていう変態質は、単なる受け狙いの設定じゃないんですよ。
違うんですか?
物語を無限に転がし続けるためのパーフェクトな永久期間なんです。
永久期間。
例えば、強敵との真剣な格闘シーンの最中に水をかぶって女の子になってしまうことで、突然コミカルな展開に切り替わったりしますよね。
ああ、確かに。
それから性別が変わることで、ランマと赤根の間の微妙な思春期の距離感が一瞬にしてリセットされたり、逆に近づきすぎたりするんです。
一つの出来事に対して常に二つの異なる角度からのリアクションを引き出せる仕組みなんですよ。
なるほど。ここで興味深いのは、高橋留美子という作家が持つ長期連載における全体的なリズムとかパターンについてですよね。
資料を時系列で分析してみると、底抜けに明るいギャグとアクションが連続するランマ二分の一を完結させた後、
彼女は全く雰囲気の異なるシリアスなダークファンタジー、犬屋舎の連載をスタートさせています。
そうですね。ここで興味深いのはまさにその振り幅です。
戦国時代にタイムスリップした中学生のカゴメと汎用の犬屋舎の物語ですよね。
はい。
確かにそれまでのポップな雰囲気から、一転して血の匂いがするような重厚な雰囲気に変わりましたよね。
なぜここまで急激に舵を切ったんでしょうか。
それはですね、結果が残る物語を描くためだと考えられます。
結果が残るですか。
ええ。ギャグ漫画の世界ではキャラクターが爆弾で吹き飛ばされても、次のページでは黒焦げになっているだけで済みますよね。
確かにすぐ元通りになりますね。
でも犬屋舎の世界では折った傷はそのまま残りますし、登場人物の死は取り返しがつきません。
なるほど。
だからこそ、犬屋舎の冷徹な兄である節松丸のようなキャラクターが、長い時間をかけて自身の価値観を揺さぶられて変化していくという、非常に複雑で奥深い心理的アークを描き切ることができたんです。
その歴史ロマンとかシリアスな路線の系譜が、現在につながる最新作魔王へと受け継がれているわけですね。
ええ。大正時代を舞台にした陰陽師の魔王と、現代の少女である何花のミステリーですね。
一方で、死神みたいな少年と幽霊が見える少女の除霊劇、教会の輪廻のような、死生感を扱いながらもどこか抜けたコメディも並行して生み出しているんですよね。
そうなんです。
一人の作家が、アパートのリアルな住人トラブルから、大正時代の陰陽師の呪いので描けるのはなぜなのか。
ここからが本当に面白いところなんですが。
はい。
高橋留美子作品の全体像って、巨大な遊園地みたいだと思うんですよ。
遊園地?
ええ。日差しが降り注ぐ中、誰もが笑顔になるカラフルなメリーゴーランドが回っている。
でも、そのすぐ隣には、人間のドロドロした欲望とか嫉妬、どうしようもない行を見せつけてくる本気のお化け屋敷が併設されている。
この2つが同じ敷地内に、何の違和感もなく共存しているんですよ。
いやー、見事な空間把握ですね。
光が強いからこそ影が濃くなって、お化け屋敷の恐怖があるからこそメリーゴーランドの明るさがより立つわけです。
ええ。
では、その遊園地全体を支えているルーミックの核、つまり、コアなファンが愛してやまない共通点について掘り下げましょうか。
まずは、物語の用となるヒロインの法則です。
高橋作品のヒロインって、強烈な引力がありますよね。
普段は清楚で可愛らしいのに、主人公が他の女性に少しでもよそ見をしようものなら、ヘラ手打ちとか電撃で凄まじい嫉妬を爆発させる。
あの感情の起伏の激しさがたまらなく人間臭いんですよ。
あとは、極端な二極化も見逃せませんね。
二極化ですか?
例えば、料理のスキルです。
アカネやラムのように食べたものが気絶するほどの絶望的な下手さを持つか、あるいはおとなしきょうこやかごめのように家庭的で完璧な腕前を持つか、中途半端が存在しないんですよ。
確かに、どっちかですね。
そして、資料にある非常に興味深い裏話なんですが、あの抜群のプロポーションを持ち感情豊かに暴れ回るヒロインたちの造形は、実は高橋留美子先生ご自身をモデルにしているという事実です。
いやー、これ初めて聞いた時は耳を疑いましたよ。
そうですよね。
でも、だからこそ納得できる部分もあります。
自分自身を投影しているからこそ、宇宙人とか格闘家といったとっぴな設定を背負わせても、ヒロインたちの根底には決してブレない生々しい実在感が宿っているんでしょうね。
そして、その生々しい感情の爆発を読者が安心して楽しめるようにする究極のショックアブソーバー、つまり衝撃吸収剤の役割を果たしているのがルーミックギャグの記号です。
あー、キャラクターが空の彼方へ吹っ飛んでいく時のチュードーンという効果音とか。
はい。
激怒したキャラクターの背後に現れるドンドロドロドロという独特な表現ですね。中でもルーミックサインは有名ですよね。
中指と薬指を曲げて、親指、人差し指、小指を立てるあのハンドサインですね。
ええ、そうです。
一般的にはアイラブユーの手話として知られていますが、高橋先生は後になってその意味を知ったそうですよ。
あ、そうだったんですか。
もともとは、キャラクターが激しく殴られて吹っ飛ぶ時に痛さを和らげるための余裕のポーズとして偶然生み出されたものでした。
これ本当にすごい発明ですよね。どれだけ激しい暴力とか喧嘩が起きても、あのサイン一つで、これは深刻な怪我にはならない、ただのじゃれあいですよっていう読者へのサインになる。だから暗くならないんですよね。
そうですね。
でもその一方で、本当に暗くて深い、裏のルーミックとも呼べる作品群も存在しますよね。
ええ、それが先ほどの比喩で言う、お化け屋敷の心臓部にあたる人形シリーズですね。
はいはい。
人形の森などに代表されるこのホラー作品群は、人形の肉を食べて不老不死になろうとする人間の底知れぬエゴとか美しさを容赦なく描き出します。
決してハッピーエンドとは限らない結末が、読者の心に重く冷たい爪痕を残すんですよ。
高橋留美子劇場という読み切りシリーズも、また違った意味で刺さりますよね。
そうですね。
ピーの悲劇とか、センムの犬など、大人の悲哀とか、ご近所トラブル、シュールな日常を描いた物語です。
子供の頃は笑って読んでいたはずなのに、大人になって社会の理不尽さを知ってから読み返すと、意外たくなるほど登場人物の気持ちがわかってしまうっていう。
コメディで描かれる人間の愚かさと、ホラーやドラマで描かれる人間の魚の深さは、実は同じコインの表と裏なんですよ。
なるほど、表と裏。
だからこそ、どの作品を読んでも、読者は人間の本質という共通のテーマにたどり着くことになるんです。
さて、ここまでその奥深い宇宙の構造を解剖してきましたが、リスナーのあなたが最も知りたいのは、結局、今の自分はどこからその世界に入ればいいのかということでしょう。
そこが肝心ですよね。
実は、漫画とアニメのメディアの違いに、完璧な入り口を見つけるヒントが隠されているんです。
まずは、ランマ二分の一のアニメ版が起こした魔法についてですね。