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やっほー!みなさんごきげんよう。アナンディでございまーす。ニューヨークの森の中から夜の10時にお届けしております。
いやー、なんかさ、聞いてくださいよって感じなんですけれども、私はやっぱり99%、99.9999%って言ってどんどん増えていっちゃうけど、なんか感情の塊なんだなっていうのを目の当たりにさせられております。
なんか感情の塊、エゴの塊、自我の塊、です。
なんか言うててすごく恥ずかしいし、ね、一個前の投稿で言ったと思うけれども、富士山を登頂している、どんどん高みに登っていこう、自分を良くしていこうと思った道に入ってたつもりで、誰よりも先に入ったわけでもないんだけど、自分の中ではね。
なんかずっと同じループの会社員をやって、会社員をやって、お給料が入ってそれを使って、なんか先に来るのも見越して、また使ってみたいなさ、なんかこう自転車操業してたり、誰かの言いなりになって、こういうもんだと思い込んで、
仕事をしてたのを抜けて、ラットゲームから抜けて、ようやく自分の道を進もうとした時に、やりたいこと?やりたいというか興味のあったこと。
何になるのかわからないけれども、この社会人としてあるべき姿を逸脱して、自分の道へ立った時に誰よりも早くというか、なんかそこにいる人たちとは違うぞ、みたいな。
これもまたエゴなんだけれども、なんかそう思ってたのに、後から始めた人にどんどん抜かされていって、え?え?え?ってなってて、なんかもう本当にプライド、自我がすごい邪魔をしていることがわざわざと当て付けられております。
すごい逆風って感じ。でも全部自分が巻き起こしている風だから、ね?って感じたんだけれども。
なんかその自分の状況を確認して、確認できたというかもう見ざるを得ないというか、っていう状況でございます。
なんて荒狂っているんだろうかという荒々しい数日を過ごしております。
でもなんか、その中で気づいたことがいくつもあって、光は私の周りにいっぱいあるっていうことに気づかされました。
ずっとやりたいと思ってた本を読むっていうのを少しずつ始めています。このプロジェクト私がすごいやってみたくて。
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でもなんだろうな、眠くはならないんだけどさ、英語の本って読んでても面白くないとか意味わかんないっていうかさ、
なんか種語がさ、どんどんひとかしとかに変わってきてさ、いっととかに変わってさ、え、誰のこと喋ってんの?何のこと喋ってんの?みたいな感じでわかんなくなることがね、あるわけですよ。
そうするともうわけわかんなくなって単語もわかんないしってなんてこう諦めモードに入ってくるんだけれども、なんかゆっくりでいいかと思って。
なんかほんと、なんていうのかな、1ページの3分の1ずつやってるみたいな感じ。ほんとその、そうね、1日、ほんと3分の1ページしか進まないペースなんだけれどもやってっています。
そしたらさ、なんかすごくいいことばっかり書いてあってさ、ね、私は昔から自分のこの感情が私を振り回してるのはよくわかってて、
感情を剥き出しにして丸出しにしてるといいこと何にもないっていうのも経験的にわかってて、
じゃあ感情がなければいいのかと思って何にも感じないようにしてたらなんか人生終わってるみたいな感じになってて、死んだ人みたいな。
だったらなんか感情はあってもいいと認めようと思って、なんかもっと上手い方法でなくして解決するんじゃなくて、この感情を糧にして解決策を見つけたいと思ってたんだなって今喋りながら思っています。
だいたい喋りながら気づくっていうパターンが多いんだけれども。
でも本当にこの感情に振り回されてきて、なんか大人になるためには感情を殺さないといけない。
ね、社会に出てるとさ、これは違うと思いますとか言うとさ、なんか本当に出る悔いは必ずと言っていいほど打たれてきたのね。
でももちろんいい上司もいたから面白いとか思ってくれたりとか、寝舞いた会社の社長とかも、社長って何千人もいる会社の社長が私に目をかけるってすごいことだと思うんだけれども、
そういうふうに言ってくれる人もいたんだけれども、でもさ、やっぱりこう生きていくうちにこの感情が邪魔になってくるわけよね。
殺して押し殺して、なんか自分が自分じゃなくなるような感じがしてて、なんかすごくエネルギーがなくなった状態になってて苦しかったのよね。
だからっていうのもあって、一方そのサイクルからラットゲームから抜け出して見てみたら、ね、毎回言ってるけど導かれるようにヨガに出会ってみたいな、まさかこんなさ感情の勉強するとは思わなかったわけよね。
なんか違うアプローチで勉強してるんだなぁと思っててさ、思っております。
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今は感情があって良いと思ってて、なんか人間らしくてすごい素敵だなと思ってるわけよね。宝物だなと思ってるわけよ。
でもこれって良い感情は宝物として保持しててもいいけど、悪い感情もやっぱり同時に発生してて。
こうじ、ていじってここのなんていうのかな、柴難太先生は言ってるわけよ。
こうじが何でていじが何というのは、今まで読んでるところでは断定はしてないんだけれども、ネガティブな。
やろうと思ったり悔しいと思ったり情けないと思ったり悲しいって思ったりする感情は多分ていじの感情に分類されるし、
なんかもう超ハピネスって超ハッピーってなってるさ、なんか何でも許すって感じになってるときは超楽しい、超美味しいってなってるときは多分これはこうじの感情ですっていうね。
でもこの感情がないとやっぱりエネルギーに、愛のエネルギーに変えられないんだって話をしててさ。
でもそもそもなんかこう、憎ましく私はさ、こんなに長くやってんだからみたいな感じで、
どっかでこうアグラを変えて、違うな、傲慢な傲慢な態度をとっていたのかと思って、
気づいたら富士山を東京駅から登り始めようとしてたみたいな、しかも靴もなしにしてみたいなさ、結構無謀なチャレンジだったのかもしれないと思っているのはその通りで。
なんか感情は弱さですっていうのを本に書いてありました。弱さがそうさせるんだっていうね。
平和と喜びとして表される神聖な愛と同一視されるべきではありません。
でも定時の感情は抑圧されるのではなくて利用されて、利用して消化されます。
感情無きにして愛は無く、愛がなければ神である無限の愛に近づくことはできないっていうのをさ、言っているんですよ。
なんかすごく素敵な言葉だなと思って。感情無きにして愛は無く、愛がなければ神である無限の愛に近づくことはできません。
でもなんかドカンってきたのはさ、この感情は弱さですって言って。
まあその通りだよなと思って。もう自分がどんだけ身近なのかっていうのはさ、思い知らされてて。
ハッシャルムがつまんないつまんないって言ってたのも、ほら私自身が幸せであれば別にどこにいたって何をしてたってどんなものを食べてたって幸せなはずじゃん。
なのにさ、もうあれ狂うようにさ、つまんねえつまんねえつってさ、なんかここが悪いんだ、周りが悪いんだみたいなさ、ことをまた言い始めてる私と思って全然成長してないじゃんみたいな。
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でも本当にね、なんか自分で情けなく思っておりました。特に昨日とか。
でもこの気持ちを切り替えて、この本に助けられたりとか周りの人の話もそうだし、
コミュニティが必要だって言ってくれたのも確かにそうだし、人の力で再生しようとしている。
再生って何かこう受け入れて、受け入れるっていうか何て言うのかな?放棄するって言った方がいいのかな?
なんかこう執着を手放す、放棄する、流れに身を任すっていうことを今学んでおります。
なんかこういう感情を葛藤とかで何がそうさせてるのかなっていうのも、この個々の魂と本当のスピリチュアル的な思考の魂との障害が常に存在する敵になっている自我なんだよね。
やっぱりこのエゴっていうのが邪魔をしていますっていうのを言ってて。
それでなんかこう世間から離されたような孤独になる感覚、分離感として現れますっていうのを言ってて。
どうやって解決するのかっていう方法の一つに歌を歌うっていう献身する、奉仕する、バクティヨガ、愛のヨガって言われている。
これは歌う歌ことだけではないんだけれども、そういうのをやること、一つはチャンティングをすることで、こういった純粋な愛と奉公状態にしたるとこの分離感はなくなりますよっていうね。
分離感、個々の自意識はなくなります。
自我を放棄することで私たちは神の手の中の道具になります。もう委ねますっていうね。
なんかそういうさ美しい文章を読んでて、なんで私はこのページを開いてこれを読んでたのかっていうのもさぴったりな感じでさ。
今日のSATさんの中でも私たちは幸せな、本来ね幸せな状態であるのにも変わらずいろんなことを考えたり感じたりとかして
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弱さが、弱さとは言ってなかったけど、そういうふうに思えないじゃん?
なんか大好きなドーナツを、何十個もあるドーナツをずっと頬張ってて楽しい、美味しい、美味しい、幸せ、幸せってやってたのにさ。
ある時にハッと気づいて、あと3個しかないって。
もう悲しみになっちゃうわけよね、ドーナツがね。
でもヨガを習ってる人だったら、学んでる人だったら、なんかドーナツ自体に幸せがあるんじゃないよっていうのを分かってるはずだよねっていう話をしてて。
あと3個しかないじゃなくて、何十個も既に楽しんでたわけだし、私自身が幸せであるわけだからドーナツのせいにしないでっていう話をしてて。
幸せってコーヒーいっぱい、いっぱいのコーヒーとかケーキとかアイスクリームとかそういうのに入ってるわけじゃないんだよみたいな話をしてて。
よくしてるんだけど今日もまたそうしててさ、そうだな私自身がそうなんだよなと思って。
でそれをさ隔ててるのがさ、なんかこうみじんこみたいなさ、私の本当にエゴばっかりを退治しております。
いや言ってて恥ずかしいけれども恥ずかしいっていうかもうなんか本当に情けない気持ちでいっぱいですけども、
でもなんかこれが私のカルマだろうなと思っています。
長年ずーっとこの感情に振り回されてきて、でね、昨日すごい落ち込んで、あぁーってなって。
で今日はご機嫌というかルンルンじゃないんだけれども、なんかそういう感情が出てきたとしても手放そうって思ったわけよね。
でね、なんかそうそう今日はサポートに回ったわけよ、もう完全サポートみたいな。
なんかこれやったほうがいいよねみたいな、やったほうがいいねってこれやるねみたいな感じで言って、こうちゃっちゃか仕事をしたりとかして、
なんていうのかな、うまくチームが回るようにしたわけよ。
私がリーダーではないからさ、いいサポーターになろうと思って。
そしたらさ、なんかさ、気持ちが良かったんだよね、単純に。
あぁ、なんかいいかもと思って、こっちの方が楽だわみたいな。
何にそんなに抵抗してたんだろうみたいなさ、逆にね。
で不思議になるほど、なんか、なんていうのかな、楽でした。
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なんかそういう風な気持ちで私、なんだろうな、そういうエゴとかを考えずにやったの。
そしたらさ、あの今さっきなんだけど、マヤカレンダーっていうのをさ、読んでてさ、ご存知でしょうか?
なんかマヤ歴って言われているものなんだけれども、私は青い手のクリスタルなんだよね。
今日知ったことが、その青い手とかなんかこういろいろマークがあって、赤と白と青と黄色かな?
の色に分かれてて、で、あの中の手だったり猿だったり嵐だったり地球だったり。
いろいろなんかマークがあって、それぞれ分かれているのが太陽からの影響のものと、
あとはなんかトーンって言われている月からの影響のものが13個、それぞれ13個に分かれてるんだよね。
同じ青い手だとしても違うトーンの人がいるんだよ。
なんか傾向としては似てたりするんだけれども、やっぱり違いがあってとかっていうのが分かれてるんだってっていう話を聞いて、
へーっと思って、あ、そういう風になりたってんのかみたいな。
月と太陽の影響を受けて、星が星周りが決まっているというか、
っていうのがマイアレキなんだっていうのに教えてもらって、へーっとなってさ、改めて私のサインを読んでいたら面白かったね。
青い手、なんかヒーリング、癒しの手でもあるし、達成する手でもあるし、調和させる忍耐でもあるし、みたいな形で言われてて、
あーそのまんまだなーと思って、今やってることだなーと思って。
でトーンっていうのも、トーンなんだったかな?
トーンなんだったかな?
なんぞか、癒し、理解、遂行、忍耐。
でクリスタルだと、共有すること、奉仕すること、普遍性っていうね、
まさに今私がやってることではないかと思って、びっくりしました。
本当にぴったりだったし、何をするのがいいのかっていうのも、
人のために尽くすことが自己の成長につながったりとか、情報を共有して協力し合うことが大事とか、
この普遍的な価値観を大事にして、全体との調和を見るとか、
なんか忍耐が必要だったり、一度決めたことは最後までやり遂げることが大事。
で私はすごい知りたい人だけど、この物事を深く理解するっていうのも、
ここから来てたりとかしてて、
でも完全に癒しっていうのはさ、
数秘、数秘術でやってきたことと言われたことと全く一致するし、
もうさ、これをしに来てるんだよね。
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だからなんかこの感情に、うわーって、
なられて、されて、巻き込まれてるというか、
全然そこの波から脱出できないでいる。
どうしても持っちゃう。
いや持ってていいと思うんだけど、それを離す、手放す、放棄する練習を今しているんだなって思っております。
もしできたら今日みたいにすごい気分がよく過ごせるんだよなぁと思って。
そしたらさ、幸せはドーナツにないし、幸せここにいることが不幸なんだって思わないで済むのかと思って。
私の未熟さと、私が退治しなければならないであろうこの感情の消化のさせ方、
エネルギーに変える方法を1個1個やってるんだなっていうのをちょっと嬉しくも思いました。
なんかこれは本当に私の課題であるんだろうなぁ。
こんなに感情豊かな人いないもんねって思うもん。
見ててみんななんでそんななんか冷静なの?みたいな。
大丈夫ですか?みたいな。
電池切れてませんか?って思うほど、あれ?と思っています。
それだけいろいろ感じられたりするわけだから、なんかこの感性を大事に殺すわけじゃなくて、
うまくエネルギーとして利用して消化させるっていうアップリフティングしていく、
なんか上に向かっていく燃料に変えていきたいなと思います。
とはいえ、東海道53月?
話で歩いてる感じでいますけれども。
でも一歩一歩、私の名前であるように一歩一歩着実に歩いていければ、
それはいいか?それでもいいか?と思っています。
いやもうそうするしかないもんね。
パリス・ヒロトンだったらもしかして、ヘリコプター呼んでピューとか言っちゃうかもしれないけど、
それもアリだけど、面白くないかもしれないもんね。って今思いました。
でもそれができる人生になった。
偶然だけど、全部偶然だけど、そういうことができる人生、
自分に100%時間をかけられる人生になって、
そんな私が人に奉仕することがいいですよ、とかって。
そうだなぁ、喜ばれたりする顔を見たると嬉しいもんな、と思ってさ。
癒されていく人がいたら嬉しいもんな、と思っております。
いやちょっと話が長くなりましたが、
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本当にシバナンダヨガに出会えてよかったなと思います。
そしてシバナンダ先生は300冊以上の本を書き残している人です。
そのうちの1冊を読んで、前よりもちょっと読めるようになってるよなと思ってさ、
思っています。
そういうのもよかったなって思います。
というわけで、またもがき苦しんでいるかもしれませんけれども、
記録として残したいと思います。
いつも聞いてくれて、いいねくれて、コメントくれて、フォローしてくれてありがとうございます。
ニューヨークの真っ暗な森の中からナンディーがお届けしました。
それではご機嫌にお過ごしください。
ごきげんよう。