ポッドキャストの歴史と今後の展望
折出賢一
折出賢一の名古屋ニュースアライブ。
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足立 剛
そのポッドキャストの方のイベントも、前ポトフさんと話しましたけど
風音できたらいいなーって思っているのはいるので
折出賢一
なんか伺ったところだと、アップルストアでのイベントです。
もう何年も前の、あれをお二人でやったっていうのをポトフさんから伺ってて
足立 剛
お互い2005年から始めて、2006年のゴールデン、じゃなくてゴールデンウィーク明けですかね
母の日ぐらいのところだったような気がするんですけど
5月ですよね、確かね。ポットジャムの1回目ってね。
そうです、5月だったような気がします。
それが一番最初で、その約半年前にポトフさんと
格王山というところのスターバックスのテラスで初めて会って
そこからのお付き合いですもんね。
折出賢一
その頃僕は何かそれでポッドキャストできないかなと思って
ちょっとやってみたものの、なんか大変だったのでやめてっていう感じで
今みたくね、簡単にワンボタンでパブリッシュできるような時代じゃなかったので
RSSを書いてっていう時代だったんで
足立 剛
海外のリスナーさんで、それぞれの現地にいる日本人の方が
いろいろ聞いてくれているっていうのはリアクションでわかるんですけど
それ以外なんでこれだけ再生されてるのかなって不思議に思ってたら
やっぱりその日本を知りたい、それぞれの国の方々が聞いてくれてたりっていうのも
最近いろいろわかってきたところがあるので
そういったところと、せっかくなんでね
つなげていくこともできたらいいなと思ってるんですけどね
ポトフ
あの頃海外のアーティストにもコンタクトを取ってましたもんね
ポッドキャストのマーケティング活用
足立 剛
もう本当に毎晩毎晩メール打って
やっぱりそうすると向こうは当然プロモーションだし
自分たちを知ってほしいから積極的に
日本人よりも遥かに積極的にどんどんどんどん
食い気味で来ましたもんね
Apple StoreのイベントにもグッズとかCDとか送ってきてくれたりとか
結局来場者の3倍くらいのCDが集まっちゃったんで
最初は抽選でって言ってたのが全員に配布して
それでも余っちゃうからもうじゃあ2巡目いきまーすみたいな
楽しかったですよね
折出賢一
今もなんかそういうような熱量でできる
今の方がもっと熱量多くできるような気もするんですけど
その辺どうなんでしょうね
ポトフ
個人的な体力的なところも含めてあの時は元気だったな
折出賢一
個人的な体力ってのもある
足立 剛
それもあるし
多分それぞれ特に海外のアーティストは
もう自分たちのいろんなツールを持っているので
別にこっちに頼らなくてもいいところもあるし
逆に彼らは彼らでも
例えば日本のマーケット狙うんだったら
別にその日本の番組絡めなくてもできるルートは
いっぱいありますから今は
ポトフ
そっか
足立 剛
そういうそのなんかムーブメントっていうか
それはちょっともう難しいかなっていう気がしますね
そっか
ポトフ
また違う形ではあるでしょうね
足立 剛
そうですねむしろですから
もっと音楽と
僕らは僕もポトフさんも音楽が好きだったし
音楽を紹介する番組の中で紹介をしていたので
その音楽とポッドキャストっていう切り口で
Apple Storeを巻き込んでいったんですけど
ちょうどAppleもそういう方向を目指していたので
ただ今は
最近僕いろんな海外のポッドキャストクリエーターとか
それのその製作会社とか
ところの人たちと話す機会がいろいろあって
で聞くと
もうポッドキャストなら
ポッドキャストでつながっていくっていう方が
もう明確なんですよね
例えば企業のポッドキャスト番組を
制作する会社っていうのが
ベンちゃんも含めて結構あって
その代表の方とこの前話したんですけど
結構なね料金取ってるんですよ
ポッドキャストの優位性と制作の重要性
足立 剛
下げんなよみたいな
折出賢一
まぁまぁまぁ
ポトフ
絡んでるからあんまり言えないけど
足立 剛
取ります
結構取りますよね
でも逆に言うとそれぐらい取れるっていうことと
ともにそれぐらい取らなきゃいけないと思うんですよね
そうですね
ポトフ
量からはですね
足立 剛
そうですね
だからそのやっぱり残るものじゃないですか
ファイルを作ってそれをね
放送みたいにバーって流れたら
なくなっちゃうものじゃないので
なおさらやっぱりちゃんとしたものを提供するんだったら
それなりのものをね
取らないとっていう風には思いますね
折出賢一
やっぱり聞いてるとポッドキャストってやっぱりそういう
インターログというか残るものっていう意識で
作られてる方が多いですね
ラジオ番組の制作
折出賢一
僕やっぱラジオから入っちゃったから
ラジオ的なイメージで捉えがちなんですけれども
ポッドキャストって言うとやっぱりそういうような
ちゃんとしたって言うとちょっと違うけれども
きちんと後に残って後でも聞けるっていうような
アプローチの方がやっぱり好まれるし聞かれてるんでしょうね
足立 剛
そうですね
配信した瞬間にアーカイブですからね
ポッドキャストは
折出賢一
そうですね
足立 剛
それこそ僕も若い頃はラジオ番組のディレクターとか
プロデューサーとかやってましたけど
その当時は今もそうかもしれないですけど
やっぱり生のもので出していくから
すごく大げさに聞こえるかもしれないですけど
それこそみんな命削ってやってましたからね
あの頃は
本当にもうその瞬間瞬間真剣勝負だったし
もう殴る蹴るは当たり前みたいな
CM1個飛ばそうもんなら現場で袋叩きみたいなね
それはやられる
すごい状況がありましたからね
イヤモニとインカムともう1個
ディレクターから来るやつと3つこうやって付けて
生本番公開生放送とか
もう恐ろしい時代でしたからね
折出賢一
いや今はねそういう意味ではちょっと楽になったというか
そこまでじゃなくなったというかね
ありますもんね
足立 剛
そうですね名古屋もねラジオが色々また変わってきている中で
折出賢一
そうですね
足立 剛
まああんまり深くもあれですけど
折出賢一
そう僕あのFMI値でニュースデスクやった時に
高田さんとは一緒には多分ならなかったんですけど
FMI値との関わり
折出賢一
一応その中に高田さんも入ってたっていう関係があって
ちょっとなんかこっつかず離れじゃないけど
ニアミスっていうかそういう感じであれでして
足立 剛
そうですね6年ぐらいやってましたもんね彼女もねFMI値
折出賢一
僕はだからその前からちょっといてっていうところでね
足立 剛
やってたんですけどそんな感じでしたね
僕もなんだかんだねFMI値は一番最初に僕ね
そのプロモーションの方の関係で
初めて自分が担当した番組の番宣で
初めてあの電波で喋った
作る側じゃなくて喋る側で出たのがFMI値だったんですよ
喋る側でゲストっていうか
ゲストっていうかそのイベントのプロモーションで
今日はこれの主催者っていうかその責任者っていうかね
それで原田さんですみたいな感じで
その当時からいろいろFMIさんとはいろいろなお付き合いがあって
編成の方とか事業の方とかイベントも含めてね
やってたんですけど今は全くすいません
ポトフ
そうなんですね
あんまりFMI値さんの話聞かないなそういえば
足立 剛
まあ話題がないですから
言っちゃうとね
なるほど
もうね笑うしかないですよ
ポトフ
そういうことでしょう
足立 剛
もう大変なんですよ
ポトフ
ハートFMがね今ね
足立 剛
頑張ってますけどね
折出賢一
はい頑張ってますね
足立 剛
頑張ってますけど…
まあいいや
ポトフ
それはねその話はよくここでも話題に出ます
折出賢一
よくよくしてます
大変なところに行ったなという風に感じて
足立 剛
頑張ってほしいは頑張ってほしいですけどね
ラジコに頼らないでもいいっていう
ちょっとブレイクスルーになるかなという
ちょっと期待もあったんですけど
ポトフ
まだ始まったばかりですからね
足立 剛
そうですね
ポトフ
あの形でうまくいったらうまくいったでまたそれはそれで面白いですもんね
足立 剛
そうなんですよ
まあこれはあんまり今度会った時話します