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こんばんは、あきらです。
えーっと、今日はね、ちょっとね、そう、バックミュージックを、いつもスタンドFMのやつでね、こう入れてるんですけども、
実はね、なんか、ちょっと入れたいなーっていうのがあったんで、今ね、ちょっと選んでみましょうか。
お、全然わかんないね、これじゃない。これ、たき火ってやつなんですよ。たき火。
これたき火1なんで、これはあんまりさ、関係ない。これ間違えた。ドライヤーとかで間違えた。
あ、これいいかも。これちょっと浅すぎるね、今ね。時間と合わないね、これね。
あ、これ、これいいや。これ虫の音みたいなやつがあるんですよ、これ。すず虫みたいなね。
ということで、すず虫で始まったんですけども、あのー、私、今日は月曜日だったんで、
15時からね、グラウディングとセンタリングのレッスンをね、やったんですよ。
で、そうですね、今日は実は朝起きてご飯食べてから、とある動画を見てから、その動画関連っていうのをぼちぼち見たんですね。
で、その動画、YouTubeは何かっていうと、ノンデュアリティっていうものだったんですよ。
非二元、直訳すると。いわゆる究極的な真理、真理って言われている非二元なんですね。
それの動画を私は見たんですよ。で、たまたまなんかね、おすすめですか?にポンと上がってたんで見たんですけども、
実際にそのノンデュアリティっていうのは、ここ最近だとね、発信している方がすごい少ないんですけども、ポツポツ出てきてるんですよ。
で、この言葉自体は私は本当にちょっと前に知ったんですよ。
たまたまライブしてて、来てくれた方がノンデュアリティについてどう思いますか?みたいなことを質問してくれたんですよ。
で、「え?」と思って、「何それ?」みたいな。そこでね、調べて意味を知って、また質問してくれた方というのを簡単に教えてくれたんで、
その後ね、それについて私の思うノンデュアリティというものについて話したんですけども、
その後からっていうのは別に何か興味を持つこともなく、今日まで全然そういった動画って見なかったんですけども、
ただまぁ、今朝はね、なんとなく見てみたいなぁと思って、見たらね、「あー!」と思って。
その収録ではポチポチ私話してるんですけども、私の母がね、生前その、
とある日を境に、インドのね、和尚っていう方に興味を持って、そこの名前をもらったりとか、インド名ですか?もらったりとか、
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あとは瞑想したりとか、その人の本を読んだりとかっていうのをすごいし始めたんですよ、彼女は。
当時私は中学2年生ぐらいだったんですけども、すごくね、母親と仲が良かったんで、その影響もあって、私も中2ぐらいからそのインドの和尚の本を読み出したんですね。
もちろん全然わかんなかったですよ。わかんないですよ。中2なんでね。
でも私の中でずっとそれ、そのインドの和尚っていう方のものっていうのがずっと残ってて、ここ最近、本当に3、4年とか。
で、いきなりね、お母さんが読んでた絵本のようなものがあったんですね。
それが急に読みたくなって、それを買ったことがきっかけに、もう一冊ね、すごく世界的に売れてる本があるんですよ。
存在の歌っていう本なんですけども、それをもう一冊買ったんですね。
それも読みたい時に読んでるっていうスタイルなんですけども、そのノンデュアリティの動画を見た時に、要は言ってることが全く一緒だったんですよ。
ただアプローチがちょっと違くて、そのインドの和尚っていう非二元論者って言われてるんですけどもね、彼もね。
っていうのは、瞑想とか禅といったものから悟りを得ていくっていうスタイルなんですけども、
今現在、YouTubeとかの動画で見たものっていうのは、別にしたければしてもいいし、ただ瞑想をしないと非二元に到達するというものは関係がない、関係性がないって言われてるんですよ。
だからそうですね、まだ本当に発信してる人が少ないから、何のことを言ってるんだろうと思う方もいると思うんですけども、
要は、究極に言うと、今ここなんですよ。非二元っていうのが。それ以下でもそれ以上でもないよっていうことを言ってて、
本当に究極的な真理、真実みたいな感じで、それを発信してる人っていうのがYouTubeの中でもいるんですよ。
だからもう本当に極端に言ってしまうと、あの世もこの世もないし、
例えば、今日本で言ったらわかりやすく言うんだったら、神聖なパワースポットもゴミ捨て場も全部みんなが同一です、一緒ですっていうことを言ってるんですよ。
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私もずっとインドの和尚っていう本を読んでた時に、彼も同じことをずっと言ってるんですよ。
周りがどうたらこうたらじゃなくて、要は究極は本当自分なんですよね。
この自分、今持っている肉体を持っている自分というのも自分ではない。最終的にはね。っていうのを言ってるんですね。
私はそれがすごい引き付けられるものっていうのが、本を読んでても死ずっとずっと残ってたんですけども、また突然やってきて、それが。
で、その動画を話してる方、日本人の女性の多分30代くらいの女性かな?を見てた時に、
ああ、この、何だろう、喋ってるその動画の中の感覚?要はエネルギーって言ったらいいですか?
っていうのが私にはすごいね、この感じが好きっていうのがあったんですよ。すごく。
ただなんだろうな、特にこの見えない世界とか、宗教的なこととか、今言ったね、ノンデュアリティとかってものすごい最近増えてきてると思うんです。いろんなものが。
さっき買い物に行ってる時にふと思ったんですけども、当時ね、この非人間っていうもの、ノンデュアリティっていうものを知ったのが、私は中学2年生だったわけですよ。
全くね、理解してなかったけども。当時はもう本当に何十年前の話なんですけども、その時の日本ってスピリチャルというもの多分なかったんですね。
確か。小さい頃はなんかすごい怖い系の番組が流行ってて、霊能者とかね、そういうので、霊をなんか除霊するとか、そういったものっていうのが番組が多くて、スピリチャルっていうものっていうのがやっぱその後だったんですよ。
今に至るわけじゃないですか。
買い物行ってる時に思ったのが、いきなりね、こういったインドの和尚とかの非人間悟りとかって、たぶんすぐ理解できるものでもないし、難しいじゃないですか。何を言ってるんだろうって。
で、その間に生まれたのがスピリチャルとか宇宙とか、そういったものじゃないですか。
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そう、だからなんかステップ踏んでるのかなって私は思ったんですよ。
そのスピリチャルってあるがゆえに、その次のステップとして、この非人間っていうものがうまく理解できるようになるのかなっていうのを、なんかふと思ったんですよね。
まだまだ本当にね、発信してる人ってすごい少ないです。YouTubeでも見てて。
でも私は究極っていうか、やっぱここ、今ここっていうこの非人間っていうものがやっぱり自分自身の中で一番大切だなっていうのをやっぱり実感したんですよね。
その動画を見ながら。その人が何を話してるとかではなくて、その時の空気感っていうんですかね。
そう、それなんだなっていうのをね、やっぱ思ったんですよ。
もちろん私もスピリチャルっていう世界を体験してるし、いろんなものを体験して、今に至るんですけども、その中でも、やっぱ自分なんですよね、本当に。
自分の、なんだろう、うまく言えねえなあ、これ。
すず虫が流れてるから、こうちょっとね、いい感じな風に聞こえるかもしれないけど、私自身何、うまく言葉にできないんですよね。
これ難しいんですよね、すごく。
本当にこの肉体的に自分自身で今存在してるんだけども、本当の本当の本当は何にもないんですよね。
究極、そこに気づいてっていうのを、この私が大好きなね、インドのオショっていうのもずっと言ってるんですよ、みんなに。
でもそれっていうのはやっぱ体感した人じゃないとやっぱ分からないことだし、どういう風なんだろうって頭で考えるものではないと思うんですね。
だからそれ故にインドのオショは、瞑想とかっていうのがそれの助けになるよって意味で推奨してると思うんですよ、瞑想とか禅とかをね。
ただそれをやれば、じゃあそこの境地に行くのかって言ったらそれは定かではないんですよ。
って言ってるのがそのノンデュアリティって言われてる今のね、発信してるものなんですけども、実際本当そうだと思うんですよ。
だからなんかノンデュアリティを知って、今までやってた禅とか瞑想とかをやめたって人っていうのもいるらしいんですよ。
それは自分がなんかそれをやることによって、なんか要は修行みたいな感じでやってた人なんですよね、多分、おそらくね。
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そうやって苦労をして、なんか努力をしてそこにたどり着くものでもないから、だったらなんで自分はこんなことをしてるんだろうと思ってやめた人っていうのがいるみたいなんですよ。
だから私が毎晩やってるそのエネルギーワークっていうのも、一見ね、はたからしたら修行のように見えるんですけども、ただね私はそれをやってる時ってすごい好きなんですよ。
あのなんだろう、ノンデュアリティについて書かれてるブログ、男の人がね言ってたんですけども、
好きならやればいいし、なんか修行のように苦しいものであったら別にわざわざそこに行かなくてもいいみたいな、っていうのを書いてあったんですよ。
私はただやってる時にすごく気分がいいんですよ。すごく穏やかな気持ちになって、それでエネルギーも満たされるから、次の日の体は楽なんですよ。
ただそれだけの理由でやってるだけであって、何かを得たいがためにやってるわけじゃないんですよ。
まあまあ最終的にはリラックスしたいっていう欲望があるから、あるからって言ってしまえばね、そうなのかもしれないんですけども。
なんかね、本当に温泉に浸かってるっていう状態なんですかね、それをやってると。
そうだからね、まあそんなような動画を見て、ああやっぱここ、これだよなっていうのをね思いました。
なんかね、そう、えーとなんか引き寄せとか宇宙の法則、いろいろと書いてあるんですけども、
どういうものなのかっていうのを動画を見たりとか、ブログを読んだりする人っていうのがポチポチと増えてるらしいんですよね。
なんかね、そう。
えーと、なんかね、その、引き寄せとか宇宙の法則、いろいろあるんですけど、まあそれに疲れちゃった人が結構そのノンリアリティっていうところにね、今なんか気づいて。
どういうものなのかっていうのを動画を見たりとかブログを読んだりする人っていうのがポチポチと増えてるらしいんですね。
でへーと思って、すごく面白いなっていうのをこう私はやっぱ思ってて、その、言ってることって本当昔からもう本当に有名な方、それこそインドのなんかダンチャラカンチャラとか、まあオショもそうですけども、言ってることってやっぱ基本的には本質なんでね、一緒なんですけども、
それを現代、現代版にしたのが、なんかノンリアリティって言われてるものなのかなっていうのをね、そう今日動画見てて思いました。
普通にそうですね、そのこのオショの本ってめちゃくちゃ読んだら固い、固いって言ったらいいのかな、うん。
すごい難しいんですよ。私も全然ね、まだまだ何回読んでもね、分かんないこといっぱいあるし。
でもやっぱ言ってることってその時代がこうやってね、あの変わっても同じなんだなっていうのをね、うん。
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今日やっぱ動画をの発信している方を見ててね、すごい思いましたね。
私もやっぱずっとそこを大切にしていきたいし、うん、なんかね、うん、なんか悟りって言うとすごいですよね、なんか。
なんだろう、漫画、逆に漫画の世界みたいだよな。
でもそこを私は、うん、知りたい。
素直な気持ちで知りたいかな。
体感したい、知りたいというか体感したいのかな、うん。
だから私がやってるその、えーっと、今日やってるね、毎週月曜日やってるグラウディングとセンタリングのレッスン。
そのレッスンの中でもセンタリングのところで実はね、このノンデュアリティ、悟りに近い、悟り、まあ瞑想に近いんですね、ちょっとね。
それっていうのはほんのちょっとだけ入れてるんですね、実は。
今ここっていうものをね、ちょっとセンタリングの中で入れてて、わざとね、入れてるんですよ。
そこがやっぱ一番重要だなっていうのを私の中で感じてたんで、
そう、だからなんかこう、そう、スピリチュアル的なセンタリングっていうのは宇宙と繋がるとかなんちゃらかんちゃらとかなんですけども、
いやそこじゃないよみたいな、そんなの別にあの、うん、あんまり関係ないっていうふうに私は思ってて、
やっぱり自分なんですよね、そう。
だから周り、その周りがなんかいろいろ言うじゃないですか、私もちょっと前に動画を振り返ってみたものが実はあって、
あの、この世はね、自分一人だっていう動画があるんですよ、YouTubeの動画で。
音声だけで発信している女性の方なんですけども、まあそれを聞いたりとかして、ちょっと確認したかったものがあったんですけども、
あの、周りってやっぱ関係ないんだなっていうのをね、すごく感じましたね。
うん、関係ないっていうのはなんだろうね、言葉にしたらすごく乱暴的に聞こえるんですけども、
その、この世はね、自分一人っていうのにもこだわりが私はなくて、うん。
一人であろうと、たくさんであろうと、私は、なんて言ったらいいのか、
意識を自分の方に持っていきたいっていうんですかね。
ああ、本当に言葉って難しいですよね。
うん、自己探求ってずっと前に言ってたんですけど、それももう必要ないなっていうのはある時期から私は感じてて、
うん、そこに深く意識を持ってって、何かを掘り下げるとか、そういったものを外すとかっていうのも必要ないっていうのももう最近感じてるんですよ。
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あるがままなんですよね、それこそ。
そういうもの、いろんなものが多分、なんだろう、あるんですよね、自分の中にね。
でもそれは自分じゃないんですよ、要は。その非人間的な感じで言ったらね。
そう、だから、別にそれは気にしなくて大丈夫っていう結論に至るんですけども、
いやーこれね、これを発信していくっていうのはめちゃくちゃ考えますね。
でも考えますけども、私もそこがすごく重要っていうか、なんだろう、好きなんですよね。
そこしかないなっていうのをやっぱり感じてて。
読んだけども、やっぱりそうだなっていうのをすごい感じてて。
だからってね、あの別に、なんだろう、この世界の遊びってすごく刺激的なものだと思うんですけども、
そういうのをやっぱりやりたいなっていうのを感じてて、
読んだけども、やっぱりそうだなっていうのをすごい感じてて。
だからってね、あの別に、なんだろう、この世界の遊びってすごく刺激的で楽しいんですよ。
お金を稼ぐゲームもあるし、いろんなソフトがあるんですよ、要は。
だからそれで遊びたいのであれば遊んでもいいし、そうじゃないものに興味を持ってもいいと思うんですよ。
でも私自身はこの世界にある、なんだろう、お気に入りのもの、物?
物理的なものっていうのも好きだし、なんだろう、ここにあるものっていうのもすごく大切なものっていうのがあるんですよ。
こだわりがないわけじゃないんですね。
だからそれをちょいちょい遊びながらも、そっちの非人間っていうものに対してね、もうちょっと知りたいっていうか、体感したいなーって思ってるんですよね、今は。
だから一つ前の収録かな、話したのが、波動の法則の兄弟の話をして、
足立由希子さんか幸子さんかわかんないけれども、その人が書いた本、あるがままにっていうタイトルの本なんですけども、本当にそれなんだなっていうのをね、今ね、振り返ってみたら思いました。
彼女もあるがままに生きてく。
全てのこだわりをなくしてって言ったら、なくさないといけないのかって言ったらそうじゃないんですよね。
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またこれも言葉の難しさっていうのをすごく感じるんですけども。
そんな感じでね、最近はちょっと私はそっち方面に行こうとしてますかね。
最後に私のインドの和尚の本の一番最初のこの本のところにね、なんか素敵な言葉があるんで、これ第5話よりって一部抜粋した言葉なんですよ。
それをちょっとね最後お伝えしていって終わりにしたいと思います。
戦う必要なんかないのだ。
泳ぐことすらも必要じゃない。
ただ流れと一緒に漂うのだ。
川はそれ自身で一人でに流れている。
あらゆるものが必ず究極の太陽に至る。
あなたはただどんな障害もしないことだ。
川を押し進めたりすることはない。
ただそれと一緒に行けばいいのだ。
川と一緒に行くということを、
川とともに漂うこと、川とともにくつろぐこと、
っていう感じでね書いてあるんですけども、これが本当にあの言いたいことなんだなっていうのをいつも思います。
そうなんですよ。
そうなんですよ。
ただただ存在ですよね。
なんかうまく言えないんですけども。
ということで今回の収録はちょっと変な収録になりましたけども、
やっぱり原点というかこれなんだなっていうのを思いましたね。
母がね、生前ここにインドの農場にたどり着いたというか、出会ったっていうのが今の自分自身にね、
生きているということにすごいね、驚きとありがたさがありますね。
知ったからってね、なんかこう非人間になんたらかんちゃらなんていうか、
ただその今本当になんかこの世界でいろんなことをしてうまくいってない人とかっているじゃないですか。
よくなんかこうなりたいのになれないとか、引き寄せの法則やってるけど全然とか、
宇宙の法則とかやっててもなんかもう全然ダメだみたいな人っていると思うんですよ。
そう。
本当その人たちがちょっと力が入った状態がふっとね、軽くなるようなものが非人間のノンデュアリティって言われてるんですよ。
興味がある人はね、YouTubeで発信している方、そう女性の方かな、いるんでね、
よかったら聞いてみてください。
ということで今回は以上となります。
またです。