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こんにちは、あきです。今日も、パリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今回はですね、ちょうど日本はゴールデンウィークが終わった頃じゃないかと思うんですけども、フランスはですね、このゴールデンウィーク明けに、実は全てのサービスというかね、仕事をしている人じゃないと思うんですけども、ご連休があります。
8・9・10・11・12と。
水・木が祝日で、金曜日が本来は平日なんですけれども、フランス語でポンって言うんですけど、そのポンっていうのは橋っていう意味で、祝日から次のお休みまで橋を架けるっていう意味で、水・木お休みで土・日が休みじゃないですか。
本来は金曜日は平日なんですけど、これもお休みにしちゃおうということで、学校がお休みです。
これは国でというか、学校は基本お休み。
それに合わせて会社もお休みにしてしまったり、あるいは有給を取る方というのも多いので、そうなるとご連休になるという感じで、ますます学校のお休みは増えてしまうと。
お休みが多いよねっていうのは、基本有給が多いからで、いわゆる日本の祝日と比べるとフランスは全然少ないんですけれども、こういうちょこちょこっとしたものが入ってきます。
なので学校がお休みになるというわけですね。
そんなわけでフランスはちょっとお休みモードに入って、今週は学校もほぼ月間でないみたいな感じがあるんじゃないかなと思います。
今日は何を話したいかと思ったかというと、今私のところに相談に来る人とかセッションしたりする人たちっていうのは、どういう人たちが多いかっていうと、
自分の方向性やりたいことを見つけたいとか、実際やりたいことをやっているのが何なのかわからないとかね、そういった人たちが多いんですね。
あるいはノートを使って願望を叶えたいとか、ノート上通を使ってビジネスをしたいという人がいらっしゃるんですけども、そこで結構質問を受けたり、あるいはグループセッションをやったりしてるんですね。
この間もグループセッションをしている中で聞かれたことがあったので、ちょっとそれについて皆さんにシェアをしたいなと思いました。
どういうことかというと、私2017年ぐらいからパリ美学っていうのをやっていて、その中ではグループセッションっていうのをやってるんですね。
そのセッションっていうのはどういうセッションかっていうと、質問もあったり、実際にその人の思考とか行動を掘り下げるような質問を投げかけることで、コーチングみたいなのをやってるわけですけど、
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その場所の質問とかテーマっていうのは前もって別に受け付けてるわけじゃないんですね。
受け付けることがあるんですけど、ゼロとは言いませんけど、それは本人がきちんと言語化して短い時間でまとめてテーマを言えるようになるっていうことでお伝えしてるケースがほとんどなんですね。
つまりテーマを出してくださいっていうのは前もって知りたいからっていうわけではなく、本人がわからないままモヤモヤしてる状態で聞いてくるケースが多いんですよ。
つまり本人が何に悩んでるのか実はわかってないっていうケースがあるんですね。
それをきちんと前もって書いてアウトプットして、相手に伝えるって声をすることでかなり整理ができるので、それをやってもらってます。
今回も、今回というかずっとそれをやってきてるわけなんですけど、だから私の中ではテーマはその時にならないとわかんないんですね。
皆さん、グループセッションだから自分のテーマ以外の他の人の話も聞いてるわけなんですけど、もちろんこれ表に出さないっていう前提でみんなそれぞれ聞いてるわけなんですけど、
大抵の方がこういう質問とかこういうテーマで出した時に、私がどういう答え方をするのかすごい興味があると。
この答えにたくさんならどういうふうに言うんだろうっていうことにすごい興味があると。
つまり私だったらどういう発想から答えを返すのか、あるいは質問投げかけるのかっていうことだと思うんですね。
要は質問の中身は前もってわからない、でもどうやって答えてるのっていう感じなんですね。
私は答えを持ってるわけじゃないんですね。
ただそれに対して私なりに考えてみたんですけど、別に知識があるからではないと思うんですよね。
ただ一つだけ言えることがあるとするならば、私は会社員時代、会社員だけじゃなくて今もそうなんですけども、
いろんな方の認知行動と言われている、例えば質問に答えてどういうふうに行動してるかっていうことを性格と合わせてデータ分析を取ったりしてるんですけど、
そのデータ分析をたくさん見てるってことなんですね。
こういうパターンの人だとこういう傾向性があるっていうパターンを死ぬほどデータとして見てきている数としては満タインで見てるはずなんですね。
それだけと単なる統計のデータなんですよ。
私が唯一これ以外にも起これるものがあるとしたら、このデータの分析ばっかりしてるわけではなく、そのデータの分析をもとに生身の人間を見ているってことなんですよ。
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これがいわゆる臨床と言われているもので、セッションとかカウンセリングとかコーチングの中で行われていることなんですね。
つまりデータ上のものと実際の本当の人間がどうかって合わせてみないとわかんないじゃないですか。
こういうタイプの人ってこういう傾向あるよねって言っても、それが具体的に生身の人間で本当にそうなのかって確認できないとデータ上じゃないですか。
これをずっとやってきたことじゃないかなと思います。
30年単位で。
これは非常に稀有な経験だと思ってます。
なかなかコーチングやってる人はいっぱいあると思いますけど、人事系のデータ分析をやってる人ってまずそういないんですね。
かなりマイノリティーです。
データ分析をやってる人で、かつカウンセリングはまあまあやってる人、カウンセリングの経験を積んでる人っていうのもなかなか珍しいんですね。
なぜかというと、分析はできてもコーチングカウンセリングができるかとは限らない、全く別世界だからなんですよ。
それを両方やっているっていうのが私の特徴かなと思いました。
その辺が私のずっと研究テーマでもあるし、これはずっと続けていきたいことで、何が言いたいかというと、この経験をやっぱり還元したいなと。
還元したいというか、少しでもお役に立てることがあったら立てたいなと思っています。
なのでインスタを中心になんですけど、5月の半ばにまたライブをやろうかなと思っています。
どういうライブかというと、私の周りに今来るのはなかなか願望が叶わないっていうのは今までやってきたと思うんですけど、
それを細かく分析していくと、願望そのものが自分が本当にやりたいことなのかわからないっていうケース結構多いんですよ。
あるいは自分の願望を叶えたいことが何なのかがわからない。これも非常に多いんですね。
つまり引き寄せたいとか豊かになりたいって言ってるけど、本当に自分がやりたいことって何なのか。
胸に手を当ててみてもピンとこない、できない、わからないってなってる人が多いんですね。
その辺のなんでっていうところであるとか、対策、どうやったら本当の自分の心からの願望なのかっていうところをちょっとライブでやっていこうと思います。
なのでぜひ13、15、17でやろうと思ってますので、一応メインはインスタでやるつもりです。
なのでよかったら概要欄にリンクしておきますので、こちらフォローしていただけたらなと思います。
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一応夜8時を考えてます。ライブは30分くらいのライブだと思いますので、よかったら自分の本当の願いを叶えたい。
やりたいことが特にわからない。自分のことがよくわからないからもっと知りたいっていう人にはぜひ参考になるんじゃないかなと思ってますので聞いていただけたらと思います。
それでは本編スタートです。
今日も素敵な方にゲストに来ていただいています。国際エグゼクティブコーチのヴィランティ・マキノ・ノリコさんです。
ノリコさんどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
ノリコさんは今ミラノにお住まいということなんですけども、ミラノはどれぐらいお住まいなんですか?
はい、ミラノは今7、8年ですね。
もともとイタリアにご興味があったという方なんでしょうか?
いや、私もともとはフランスに興味があったんですよ。
あらまあ。
最初は大学アメリカに行ったんですけれども、フランスが大好きだと思っていて今も好きなんですけれども、フランスのビジネススクールに行ったんですが、着いたらミラノにおりました。
それはなぜミラノに行くことになっちゃったんですか?
ある時イタリア人の主人と会ってしまいまして、その前はもしかしたらフランス人と結婚するかなと思ったことがあったんですけれども、イタリア人はなかったんですが、そんなことになりまして、彼がイタリアの前には中国にいたんですけれども、中国から今度はミラノに行くぞということでここに連れてこられました。
え、じゃあ中国で出会ったってことなんですか?
出会ったのはインサントというフランスのビジネススクールだったんですけれども。
ああ、学生で。
そうなんです。インサントのシンガポール校で会ったんで、シンガポールで会いました。
ああ、そうだったんです。じゃあ彼はシンガポールまで行ってたっていうことなんですね、このイタリアから。
そうですね。お互いにインサントのためにシンガポールに行って、そこでクラスメイトだったんです。
なるほど。そしたらそれがきっかけでイタリアに来ることになったということなんですね。
今ね、いろんな国の名前が出てきましたけど、のりこさんとしては結構あちこちにもう海外住まれてるっていうことですよね。
はい。出張抜き、10カ国で仕事をさせていただきました。
なるほど。どこが一番長いんですか?
中国の上海ですかね。
上海はちなみにどのくらいいらっしゃったんですか?
9年おりました。
あ、9年。へえ、じゃあまだイタリアより長いんですね、そういう意味では。
そうですね。だんだんイタリアが、私今ミラノの前にローマに2年行ったことがあるので、
ああ、そうなんですね。
同じくらいかな、そうすると。
そろそろ追いついてきたみたいな、そんな感じですね。
そうですね。
はい。じゃあちょっとその辺の話を伺いたいんですけれども、もともとさっきおっしゃったようにアメリカの大学に行ったってことなんですか?
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はい。最初はアメリカの、ずっと前に日本で生まれて座ってまして、東京だったんですけれども、
ほぼ東京から出たことがないと。海外も旅行もあんまり行ったことがないと。
子供のとき本読んでてまして、推理小説が好きだったんですね。
シャーロック・ホームズとか、アガサ・クリスティのルパンツとか読んでて、
ああ、行きたいな、行きたいな、行きたいなって思ってたら、まあ来れたと。そんなパターンです。
え、もうじゃあ小さい時から、例えば大学は行こうとか、もう決めてたって感じ?
そうですね。大学行けるか分かってなかったですけど、行きたいなと思ってて、
大学に入る前の春休みに、語学留学に行ったんですよ、3ヶ月ほど。
それがニューヨークのマンハッタンだったんですけれども、それが楽しくて、
で、それ終わって帰ってきて、日本の大学に1年行ったんですけれども、
もうそこで、私この大学で続けるなんて人生の時間の無駄と思って、
アメリカに行きたいから行かせてって言って、で、母は行きなさいと。
父は危ないからダメって言ってたんですけども、結局行かせていただきました。
ああ、じゃあ一応日本の大学も1年は行ったんですね?
そうなんです。1年は行ったんです。
で、じゃあアメリカのそれはどこに行ったんですか?
アメリカはニューヨークです。
やっぱりニューヨークは同じだったんですね。語学学校と同じ場所だったって。
で、それはアメリカだと4年ですか?それとも編入みたいな感じだったんですか?
はい、4年です。編入で単位のトランスファーはちょっとできたんですけれども、
でもあんまりできなかったので、4年ぐらいおりました。
そこではどんなお勉強をされたんですか?
そこでですね、アメリカの大学ってリベラルアーツっていうところは結構オープンな感じで入れるんですけれども、
入っていろんなものを取ってたんですね。結局最終的にはフランス語と経済で卒業しました。
じゃあそこで結構フランスも興味を持ち、経済も一緒に、語学と経済っていう感じだったんですか?
そうですね。なぜ語学と経済かと申し上げますと、最初行った時やっぱり全然英語できなかったんで、
授業ついてくるのすごく大変だったんですね。
最初は環境学とかインバイラメントサイエンスとかアメリカンポリティクスとか取っちゃったんですけど、
全然ついてなくて、これはどうしたら少しでも楽できるかなというか、ついていけるかなっていうのと思って、
フランス語だったら向こうに取っても外国語、私に取っても外国語だと思って取ったんですね。
もともとルパン呼んでフランスに行きたいと思ってたから、これはいい機会だと。
アメリカに来てフランス語っていうのもどうかなと思ったんだけど、まあいいやと思ったんですよ。
経済というのはある程度数学というかロジカルなものなので、そんなに語学がなくてもいけるかなみたいな感じで。
なるほどね。
消費、消去法で行きました。
ご自身なりにいろいろ戦略を考えてたわけですね、やっぱりね。
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いずいず考えてたんです。
で、のりこさんは大学を終えられてアメリカで就職したいとか思ってたってことなんですか?
どういうふうに考えてたんですか?
思ってたんですけれども、当時グリーンカードを、アメリカで経済的に国が良くない状況だったので、
私みたいにグリーンカードがもらえる状況じゃなかったんですね。
で、大学の4年生の時にニューヨークにあるコンサルファームでインターンをさせてもらっていたんですけれども、
結局その会社で職が決まって、その会社の東京オフィスで仕事をさせてもらいました。
東京オフィスに入ったんですけれども、入って数ヶ月したら、あなたの英語もバックグラウンドにあるみたいだから海外プロジェクト行ったらどう?って言われて、
そこから香港とかインドとかに行かせてもらって、海外でいろんなプロジェクトをする人みたいになってキャリアを積み始めたと。
なるほど。
それはどういう会社というか、プロジェクトが多いってことだったんですか?やってたこと。
それは戦略コンサルファームだったので、本当にどんな業界でもありなんですね。
最初はエレベーター業界だったんですけど、それから消費財になったりとか、いろんな業界に突っ込まれ、
私はスタッフでアクセルの分析やら、インタビューやらそんなことやってました。
なるほどね。そうやって海外出張も行きながら、違う国のプロジェクトに参加しながらキャリアを積んでったと。
はい。いきなりインドに6ヶ月とか、行ってらっしゃいみたいな感じで行ってきます。
結構そういう感じなんですね。スパンと行ってって言ったらすぐ行くみたいな感じになっちゃうわけね。
はい。私はそういうのが好きなので、楽しんだと思ってやってたんですけれども。
そちらにはどれくらいいらっしゃったんですか?
コンサルファームには2年くらいいたんですけれども、その理由として、当時私は22歳とか23歳だったんですけれども、
コンサル会社のクライアントさんって、5、60歳の非常に経験のあるビジネスパーソンが多いわけですよ。
その中で私は女性で、当時結構小さくて若く見られてたんですけど、
そうするとなんかこの小娘がクライアントさんのために何をやってるの?みたいなことをちょっと感じて、
私はビジネスで物を作ったことも売ったこともないのに、
顧客のコストがとか収益がとか、そんなことをコンサルタントとしてやってるのはどんなものかなと思いまして、
1回事業会社の現場に出てみたいなというところがあったんですね。
そんな思いから転職して事業会社に入りました。
それはどういう系の会社だったんですか?
そこでちょっとヨーロッパが懐かしくなったんですね。アメリカ系の専業者さんにいたので、
ヨーロッパ懐かしいとか、私フランス語もできたのに使ってないじゃんと思って、ロレアルに行ったんです。
なるほど。それはフランスで働いたんですか?ロレアルの。どこで働いてたんですか?
僕は東京オフィスで入ったんですけども、フランスにプロジェクトとかトレーニングとか送ってもらったりしたので、
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結構ちょこちょこフランスにも行くような感じで仕事をしておりました。
そのロレアルとかではどういうお仕事をされてたんですか?
実際その事業の中に入ってて、戦略とか措置系をやってたってことなんですか?
戦略も関わりますけど、マーケティングとか商品開発とかそんなことやってました。
そうなんですね。でも相変わらず出張は多いという感じ?
そうですね。
そちらはどれくらいいらっしゃったんですか?
そこ3年くらいいたんですけど、私さっきインスティアットって言ったんですけど、
インスティアットっていう大学院があることを大学の時に知っていまして、私は絶対そこに行くって決めてたんですよ。
それはなんでインスティアットだったんですか?
わかんないんですけど、国際的なところがあるよっていうのを聞いて、
私のキーワードとしてすごい国際的な場に自分を置きたいなと思ってたんですね。
アメリカの大学に行ったらよかったんですけど、70%アメリカ人で、グローバルっていうかそうでもないなと思って、
インスティアットっていうとこは百何十カ国から人が来ていてっていうことを聞いて、行ってみたいと思ったんです。
あと戦略コンサルファームにいた時に、インスティアットの先輩とか出た人とかと出会って、
東京でインスティアットの卒業生の集まりみたいなのがあるんですけれども、
そういうとこもインスティアット行ってもいないのに顔を出して顔がかかってもらってたんですね。
そこにいらっしゃる方々が素晴らしい方々で、ビジネスマンとして優秀なだけじゃなくて、人柄が素晴らしかったんです、人間性が。
でも私もああいう人になりたいなと思って、これは絶対にインスティアットに行くぞと決めていたので、
ロレアルを途中で、やめてってこともインスティアットに行くって決めてるし、
あとロレアルのトップって結構インスティアットの人が多いんですよ。
なので、行ったら将来的に本社に行くこともできるかもしれないし、みたいなことを言って行きました。
それはじゃあいくつの時だったんですか?
28ですね。
キャリアアップのためではあるけれども、今までやってきたことを一旦変えて、また勉強に戻ったっていう、そういう感じ。
インスティアットって最初からシンガポールだったんですか?フランスではなかったんですか?
最初にフランスに行こうと思ってたんですね。
そうしたら、私が行った1年前にアジア校っていうのを作って、両方あるよと。
私がアプリケーションを出したら、今フランスはいっぱいだけど、アジアなら入れるよって言われてたんですよ、シンガポールなら。
そっかと思って、スタートが1月だったんですけれども、1月でシンガポールだったら暖かいし、フランスは寒くて暗くて嫌だから、いいかなって感じでシンガポールでスタートして、
結局フランスが春になる5月からフランス校に移って、10ヶ月のプログラムなんですけど短いんですけれども、半々で。
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ああ、そういう仕組みにもなってるんですね。
そこで実際ご主人とも出会ったと。
はい。
どうでしたか、自分の行きたいって大学の時から思っていた学校に実際入って。
すごい楽しかったですよ。勉強って結構大変なところもあったんですけれども、あそこってワークハードプレイハードというか、一生一生すごい勉強するけどすごい遊ぶ学校なんですね。
遊ぶというか、ネットワーク作りなんですけれども、なのですごく楽しい。私の人生の中で一番楽しい1年間でした。
へえ、そうなんですね。面白いですね。
じゃあ、そこからまた新しく仕事を見つけ始めたってことですよね。
はい。ロレアルにインサイト行くからって言ったら、色々あって結構サポートしてくれたんですね、経済的に。
なので、じゃあ戻ってらっしゃいということで、本社でじゃあフランスに戻りたいのねみたいな感じで、どんなポジションがいいかなみたいな色々作ってくれて、色々話をしてくださったんですけれども、結局それは私は、ほとんど生意気なんですけど、それを蹴って違う会社に入って、イギリスのお酒の会社に入りました。
あ、そうなのね。全然違うところに行ったんですね。で、それはじゃあイギリスに行ったんですか?
イギリスの、はい、ロンドンの本社に行きました。
あ、そうなんですね。で、そちらではまた違うキャリアを歩み始めたんでしょうか?
そうですね。そちらでも戦略部隊みたいなところだったので、その会社の中で戦略やって、数年間やってからマーケティングとか商品開発とか、なのでやってたことは昔の時とそんな変わらないんですけれども、ちょっとレベルアップというかしてした感じで、その会社は結局10年間お世話になりました。
長いですよね。今までの経歴から見たら長いですよね。
長いです。長いんですけど、ただ本社が2年、日本が何年、その間に韓国行ったりアメリカ行ったりいろんな国に行かせてもらったので、プラス間で子どもを産んだりとかして結婚したり、いろんなことがあったので、私の人生の中で一番いろいろあった時にずっと支えてくれていた会社でしたね。
なるほどね。じゃあ同じ会社の中でも結構あちこちいろんな国行っていて、かつ実際に結婚もしてしまっていたので、お子さんを産んだりとか、パーソナルな部分とキャリアが人生のターゲットポイントに来てたってことですね。
そうなんです。そうなんです。
じゃあご結婚された時はロンドンに住んでたってことなんですか?
結婚した時はロンドンの会社から駐台として日本に来ていた時だったので、会社はイギリスの会社なんですけど。
日本に行ったんですね。
彼はイタリアにいたので、結婚式が終わったとしたら日本に帰ってきて、彼はイタリアにいて、この別れてるのってよくないよねみたいな感じで、高校に私が妊娠し、じゃあイタリアに行くかみたいな感じでローマに行きました。
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じゃあ最初は別居結婚みたいな感じでやっていて、お子さんを産んでからミラノに移ってた?ミラノっていうかローマか。
そうです、ローマだったんです。
じゃあそこからローマだったんですか?子供を産んでからはずっとイタリア?
それでローマにいたんですけど、ローマが合わなかったんですね。
へー、なるほど。
全然合わなかった。何が合わなかったかというと、うちの主人が当時マッキンゼっていうコンサルファームにいたので、月勤家にいないんですよ。
主人は家にいない、私は子育て始めて、知らない町で言葉もあまり分からない、友達いない、家族いない、仕事いない、いない、いない、いない、みたいな。
当時はまだネットフリックスとかオンラインコミュニティとかなかったんじゃないですか。
もちろん、もちろん。
すっごいつまらなくて、うつになりそうで死にそうで、これはちょっとローマ脱出計画を立てなくちゃいけないと思って、
主人に違う国に移ろう、移ろう、移ろうと言って、結局2人とも仕事ができる国ということで、中国の上海に移りました。
なるほどね、じゃあ彼も転職、転勤にしてもらったって感じですか?
同じ会社で転勤ですね、同じ会社で転勤にしてもらって、
私もローマから、当時まだコロナの前ですけど、リモートで時短で仕事をもらってたんですよ、そのお酒の会社に。
ちょっとローマ嫌だなっていうことを私の元の上司に言うと、アジアに帰ってきたら仕事あげるよみたいなこと作ってあげるよって言われたので、
主人にじゃあアジアだとか言って、じゃあ行かなくちゃいけない、あんたも仕事見つけなさいって言って見つけさせて、
行ったのが経済が伸びていた中国の上海。
なるほどね、でもなかなか2人とも国を合わせて同じタイミングで行けるようになるって、なかなか難しいのかなと思ってたんだけど、
その辺は全然問題なく、のりこさん的にはできたって感じだったんですか?
まあ楽じゃないですけど、ただ海外の多国籍企業の人たちが移るときって結構会社も融通効いてくれるじゃないですか、
なので周りでやってる人は少なくないですね、結構いますこのパターンは。
じゃあもうそこに支社があったりとかしたら、もうそこをめがけて仕事っていう感じになっていくわけね、みんなね。
なるほど。
行かせるようになんかあっちに寝まわして話を言うみたいな。
そうやってたくましくなっていくのね。
なるほど、じゃあ1人目のお子さんと一緒に上海に移ったってことですか?
そうです、そうです。
で、そこからまたお仕事をされて、2人目は上海のときですか?
はい、そうです。
なのでやっと当時は嫌だったローマからも脱出でき、仕事にもリモートじゃなくて会社があるところでちゃんと同僚とかもいて会社で戻ることができて、
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その会社の時短で60%、60時間かな、働かせてくれたので、いろいろと整ってきて子どもも元気に育ってるし、
全体的に自分の人生が昔に比べてローマは減って良くなってきたなと思った子だったんですよ。
そうしたらそこでまた想定外のことが起きまして、それが2人目の子に障害があったということなんですね。
そうなんですか。それが先天性でっていうこと?
そうです、そうです。
全く分かってなくて、それもどんな母親かと今思えば思うんですけど、ちゃんと健診とか言ってたんですよ。
言ってたんですけれども、あんまり育ってないことが、あんまり分かってなかったんですね。
どうして分かってなかったかっていうと、1人目の時も私、私もともと結構小さい、背も低いしちょっと小さめなんですけど、お腹も結構小さいかったんですね。
イタリアで周りの妊婦さんとか友達って結構大きくなんですよ、お腹も人も。
で、そんな中で私が小さくて、お腹も小さかったから、上の子は2.8キロで生まれたんですけど、
イタリア人にみんなにちっちゃいちっちゃい言われていて、ちっちゃいちっちゃい言われるとトラウマになっちゃって、
もうちっちゃいちっちゃい言われてもいいじゃん、みたいな感じで元気で生まれたんだから、みたいな感じでトラウマだったんです。
なので2人目が本当に小さかったんですけれども、またちっちゃいちっちゃい言われてるんだと思っても、それを流していたので、
本当にちっちゃくて、これはもうやばい、真面目にちっちゃいんだよっていうことを自分で多分あんまり見てなかったんだと思うんです。
なるほどね。
そこでまた中国の医療がどうかっていうこともあるかと思うんですけれども、
これ本当にやばいんだよっていうことをあんまり言ってくれなかったので、
なるほど。
検診でちっちゃいねぐらい言われてたと思うんですけど、またかと思っていたので、またあの調子ねみたいな感じで、
でも本当にこのデータであってっていうのは言ってくれなかったんですね。
なので30何春で、そろそろ3級取ってのんびりしようかなと思ったときに、
いよいよまずいよっていうことが分かって、即手を切開みたいになって2人目の子が生まれました。
じゃあもう3級取ってすぐっていう感じで。
そうなんです。3級取って、明日から上の子が2、3代だったかな。
上の子がもうちょっと幼稚園から迎えて遊びながら、ちょっとのんびりして、
1ヶ月くらいミニバケーション的な3級を過ごそうかなと思っていたところ、
想定外の事件というかが起きたと。
なるほど。そこからどうだったんですか。結構やっぱり1人目もまだ小さいじゃないですか。
2人目がそんな状態で、いろいろ治療とか検診とかあっただろうし、
かつ海外ですよね。ハードな部分って大きかったんじゃないかなと思うんですけど、どうだったんですか。
大きかったです。大きかったです。何があれっていうと、将来どうなるのか分からないっていうのと、
相談相手がいないっていうのと、あと国によって違うかもしれないんですけど、
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障害児が生まれた母の心のケアみたいなのが全くなかったわけですね。
なので、生まれたらそこに母親はいて、数日後に退院してみたいなんですけれども、
幸い、中国だとシッターさんとか家で手伝ってくれる人みたいな人はいろんなサポートの方がいらっしゃったので、
それはすごい本当に助けていただいたんですけれども、どうなっちゃうか分からない問題と、
あとそれでもしずには忙しく仕事に行きますので、非常に孤独でしたね。
なるほど。その産休はどれぐらいの期間を取るっていう感じだったんですか、のりこさんとしては。
もともと多分覚えてない3ヶ月とかあったと思うんですけど、とても戻れる感じじゃなかったんですね。
上司の人にこうこうこういう事情でいつ戻れるか分かりませんっていう話をして、
その会社本当にすごい良い会社なんですよ、このイギリスの会社。最高に良い会社で、
そこの会社の保険とかもめちゃくちゃ良いのがあったので、
中国でエクスパットケアみたいな感じの病院だと結構お金もかかったんですけれども、
全てその会社の保険でバカになってくれて、本当に良かったなと思うんですけれども、
その上司の方もまた連絡してみたいな感じで何も言わずにずっとサポートしてくださって、
結局数年後に3番目の息子ももう一人生まれて、
結局そこはもう帰らずに会社から解雇してもらう形で辞めたんですね。
解雇してもらう形だと退職金が出るからということで解雇してくれて、
私から辞めると何も出ないじゃないですか。
なんで解雇してくれるか、そういうふうにしてあげるからって言われて、
本当にいい会社だなと思って、退職金をいただいて終わりました。
終わったんですけれども、その後数年経った、
障がい児の娘が生まれて3年間経ったんですね。
元の会社の上司、上司の上司みたいな人から連絡があったんですよ。
同じ会社があったんですね。
同じお酒の会社。
人を探しているからプロジェクトに戻ってこないと声をかけてくださって、
その声がなかったら、私はもう一人生まれて、
その声がなかったら、私たぶん仕事に戻ってなかったと思うんですね。
なるほど。
というのは、中国という場所で、私中国そんなに上手じゃない、
英語だったらビジネスできます。
でもそんなに英語の会社ばかりじゃないじゃないですか。
でも障がい児を3年間仕事していないと自信が全くないわけですね。
自信が全くないし、会社員として戻れるとは全く思っていなかった。
私はもうきっと使いもならないし、一生専業主婦で、
専業主婦って素晴らしいと思うんですけど、私には合わなかったので、
嫌だなと思ったら、私の将来どうなっちゃうんだろうと。
よくスタバとか行ってたんですけど、スタバとか日本人のスーパーとか。
日本人。
ああいうところでバイトでもしようかなと思って、
本気で求人とかバイトいくらとか見たこともあったぐらい、
自分は何もできないだろうけれども、なんか仕事したいし、
社会との接点が欲しかったので、
何かできたらいいなぐらい思っていたところで、
会社の上司の方が連絡をくれて、
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リモートで、時短でいいから、
あなた子供がちっちゃいのいるのが知ってるから、
時短でリモートでいいから、プロジェクトに戻ってこない?
っていうふうに声をかけてくれて、
でももうそんなんだったら、ぜひぜひみたいな感じで戻りますと。
なるほどね。
じゃあもうその時は、お子さんの中に3人いたわけでしょ?
そうなんです。1単位のお子さんが3人いて、
お子さんの子が1歳ですね。
ですよね。
その中で、自分の中では専業主婦でいくかみたいな、
でもスタバとかそういうのを見ながら、
自分のキャリアを考えていて、
それまでのキャリアとは違うかもしれないみたいな覚悟もあったってことですよね。
その声がかかる。
それぐらいしか考えられないんですよね。
結構メンタルも多分良くなかったと思いますし、
そこでコーチングとか、私たちコーチですけど、
そういったものがあるとも知らなかったですし、
誰に相談したらいいかも分からなかったし、
オンラインもなかったじゃないですか、当時。
だからその中国にいる私が、
オンラインで日本語で誰かに相談するとか考えられなかった時代だったので、
まともに相談するわけにもいかないし、みたいな感じで、
本当に狭い世界の中で、
寂しいな、将来はあんまり明るくないな、
でもしょうがないな、みたいな感じで生きていました。
いつも聞いてくださり、
本当にありがとうございます。
この番組は、
日本時間の毎週木曜日の夜、
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