眼鏡とコンタクトの使用年齢について
こんにちは、あきです。
今日も、パリで学んだブレない自分の作り方の時間がやってまいりました。
さゆみさん、今日もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
さゆみさんは、目が悪い人ですよね。
私、近視ですね。
最近、ちょっと老眼も入ってきましたけど。
ソフトでしたっけ?
ずっとソフトです。
私も、ずっと中学校から、私はずっとハードなんですけど、
なぜかというと、卵子がすごい強いからなんですけど、
うちって、さゆみさんの家もそうかもしれないけど、
医療費、そんなにかからない人なんですね。
病院とか、めったに行かないんだけど、
目だけは、家族全員なんですよ。
そうか。
目だけは、もう本当に全員ドキンガンで、
全員、子供たちも眼鏡。
眼鏡っていうか、コンタクトにもなってきてるんですけど、
弁者さんって、まあまあ、スペシャリストの位置づけだからね。
そうですね。
お金もかかるし。
かかりますよね。
一応、保険とかはあるけれども、っていう話をしてて、
ちょうど子供たちが、中学、高校じゃないですか。
うちも、上の子が2年前ぐらいに、高校1年生になったときに、コンタクトデビューしたんですよ。
うんうん。
それで、そのときも、
うんうん。
実は、本当は、コロナがあったから、
でも、高校入ると、ほら、スポーツとかやるときに、絶対コンタクトが必要。
そうなんですよね。
ですよね。だから、お願いしたって感じなんですけど、
日本だと、高校生からコンタクトって、まあまあ遅めってイメージがあるんですけど。
そうですね。でもね、私は大学生からでしたけど、
あ、それまで何?
そんなに悪くなかったから。
なかったからなんだ。
そうなんですけど、
うちの子もね、バレエをやってるので、今、高校生に、この9月からなりましたけど、
はい。
やっと、先生からコンタクト許可が降りたんですよ。
オッケー。
それまでダメ。
えっ、彼女はいつからメガネになってたの?
もうね、えっと、小学生から。
あ、じゃあ、結構早い時からね。
早い。もう、禁眼でしたね。
なるほどね。
うん。
で、やっぱダメって言われてて。
ダメで、ずっと、中学の間もダメって言われてて。
でも、ダンスやってるし、あの、メガネでは踊れないからって言ってたんですけども、
その時だけ外してっていうので、でも先生の顔はなんかぼんやりして、よく。
見えない中で踊ってたんだ。
そう。今もまだコンタクト出来上がってないので、彼女の。
うん。
なんですけど、そういう状況でやっと今、オッケーが出てっていう。
なるほどね。
だから、日本はもっと早い時期からコンタクトレンズオーケーじゃないですか。
私だって中2になる春休みになってますからね。
うん。だから全然ね、なんか、あの、フランスほんとほぼ高校生からやっと。
うん。
なんですよ。で、私も聞いたのは、本当は昔は14とかぐらいからでも行けてたんだけど、
うん。
で、よくその衛生面であんまり子供たちにコンタクトこう触ったりとかさせないために、
はい。
なるべくコンタクト遅らせるっていうのと、あとはその理由がちょっといまいち、まあこれは個人差があると思うんですけど、
うん。
この涙の量によって、
ええ。
やっぱりコンタクトに向く目と向かない目がある。
うん。
っていう風に言われて、多分、日本の感じだと多分その辺の問題少ないと思うんですけど。
うん。
そこまでなかったのかな。
そう。私も涙の量とか、何も言われたことがないし、でもね、主人が、私の主人がずっと眼鏡なんですよ。
はい。
なんで眼鏡なの?って聞いたら、コンタクトレンズしたいんだけど、あの、涙の量が少ないからできないって言われたって言って、今でもそうなの?って、今でもそうだって。
だからフランスだと、その目の色の濃さとかそういうのもあんのかもしれないですけど。
うん。
涙の量が、多分日本の感じよりも少ないのかもね。
そうかもしれないですね。日本、湿気もあるし。
確かに。
うん。もうちょっとこう、なんていうのかな。お肌もそうですけど、潤い感がやっぱり。
あるからね。
あるじゃないですか。空気でも人間でも。なんて、多分その差かなって、なんとなく思います。
ね。
で、特にソフトは、まあほら、バッとつけちゃうじゃないですか。
うん。
ハードっていうのは、涙の上に乗っかってるだけだから。
うん。
涙の量、でも少なかったらハードレンズできないのかな。よくわかんないんですけど。
うん。
多分、あの、密着度が多分ソフトの方が強いので。
そうですね。
うん。だから余計涙の量っていうのが大事になってくるのかもしれないですよね。
あとはね、先生に言われたのが、あの、まだ中学生の間は眼球とかもまだ発達途中なので。
うん。
もうちょっとこう、サイズ的にも少し、まあ、眼球はあんまりサイズ変わるっていうことはないと思うんですけど、まだ成長途中なので。
うん。
コンタクトレンズはダメよって言われました。
はい。じゃあ例えば、日本の若い中高生がカラコンやってるのはあれ、どういうことになるんですかね。
絶対ありえない。
フランスではありえないよね。
うん。ありえないですね。多分、絶対禁止って感じだと思うんですけど。
うん。
そういう感じだと思います。結構厳しいですよ、フランスの文化。
フランスは厳しいですよね。で、こないだ、まあ、そのうちの下の子、だからこれ今コンタクトをするお嬢さんと同い年の息子。
はい。うちの次女とね。
同じ年。
で、まだ年末に誕生日になるので、まだ14歳なんですけど、夏に行ったときに、まあ、その名車さんがめっちゃ感じ悪い人で、その先生、何回か会ったことがあるんですけど、すごい不機嫌で。
うん。
もう、うちの子もびっくりするくらい不機嫌で、もうあなたコンタクトなんかだめよとか、あっさり断られて怒られて。
アンチコンタクトとか。
そんないるのかな。わかんないけど。で、でも、もう彼としてはもう、また処方箋もらいに行きたいから、また違うところで名車行こうとか言ってるんですけど。
ええ。
まあ、とにかく15歳になるまでは待とうと。14歳で何回も練習、ね、あちこち行っても意味がないかもしれないから。
そうですね。
まあ、そういうことで、眼科に行きましょうっていうことで、まあ、本人を納得させてて、で、こないだ、まあ、あの、パリミキっていうね、あの、オペラにある、あの、いつもお願いしてるコンタクトとかメガネ屋さん行ったときにも、
涙の量とコンタクトに対する影響
はい。
一応、フランスって何歳からコンタクトじゃなきゃいけないっていう理由はあるんですかっていうふうに聞いたら、フランスのその担当の人が、あの、年齢制限は全然ないんですって。
うん。
だから、涙の量だけの問題だと思う。
そうなんですね。
うん。
だから、何歳だからいい、何歳だから悪いっていうのはないって言ってて、でもOKが出ないんですって言うから、うん、じゃあ、もしかしたら涙の量で、やっぱりもう1年待てって言われたのはきっと涙の問題じゃないですかって言われたんですよね。
うん。
だから、うん。
だから、結局、まあ、でも14とか1年待ちましょうとかね。
うん。
そういう言い方をされるので、なんか不思議なのが、私の次女のコンタクト、先生が、これはスイスにオーダーしないといけないから、時間がかかるから、私がオーダーするからって言って処方箋くれなかったんですよ。
これね、あの、はい、いいですか。
何?
えっと、私が初めてフランスに来たときに眼科に行ったんですよ。
うん。
だから、処方箋はもらえました。
だけど、ここの眼鏡屋さんじゃないと買えないから、ここに行ってって言われて、しょうがない、まあ、近所だったんですけど、行ったんですよ。
でも、なんでここじゃないといけないのかわからなくて、まあ、でもそこで注文しました。
ええ。
で、あとから、まあ、夫に聞いてみたら、絶対その名車とその眼鏡屋さんが組んでるだろうと。
うん。
どうせもらったら、基本どこでやってもいいから、だから、なんか、言っちゃくって言っちゃいけないけど、なんかこう、関係性、マージンとかあるんじゃないかなと。
あるんですよ。スイスの製薬会社なんですよ。お店じゃないの。製薬会社に、あの、直接、これはオーダーしないと。で、エミリーの場合、男子も入ってて、普通のコンタクトレンズがダメ。
え、ハードじゃなくてソフトで。
ソフトで。
うーん。
なんですって。で、いつまで経っても来ないんですよ。
あの、言っていいですか、私も卵子入ってるし、まあ、うちの上の息子も片方卵子入ってたのでわかるんですけど、あの、卵子が入って特別なものはあるけど、処方箋があれば普通に注文はできるんですよ。
そうなのね。
と、私は思うので。
うん。
うん。
あの、うちはたまたまメニコンか、なんかそういう、あの、有名なメニコン。
うん。
で、で、そこもでもアイルランドじゃないとヨーロッパは発注できないから、あの、やっぱアイルランドから来るからちょっと時間かかるとは言われてるんですよ。
うん。
で、そのワンデーのなんか、ワンデーアキュビューみたいな、ああいう系だから。
うん。
で、まあ、私の場合はハードだから、アイルランドではないけど、まあ、違うところから来るとは言ってたんですけど、
うん。
先生が頼まないといけないほどの特別なコンタクトレンズって何?っていう感じも。
そう。
うん。
びっくりですよ。
うん。
だから、今のところ素直に待ってるんですよ。
どれぐらい待ってるんですか?
2週間以上。
うーん。
特別なコンタクトレンズの取得について
まあ、あの、どれぐらいスペシャルかにもよると思うんですけど。
うん。
まあ、最初は10日ぐらいはかかるかもしれないんですけど。
うん。
まあ、私はね、たまたまその、ほら、メガネ屋さん、パリミティ経由でお願いしてるから、うーん、なんかあんまり1週間以上、まあ、10日ぐらいかかったことはあるけど。
うん。
うん。
私のコンタクトは、やっぱり先生が、私も卵子も入ってるんですけど。
うん。
あと、遠近療養なんですね。
はいはいはい。
で、それはね、素直に。
うん。
諸相応戦くれたと。
うん。
あの、大体、全部、今まで全部くれてるんですよ。
今度聞いてみたら、何が特別なんですかっていう。
で、卵子がって言ってたんですよ。あと、子供用っていうレンズがあるんです。なんか。
ああ。
14歳、15歳とか。
うん。そう、えっと、ティーンエイジャー用の成人する前までのコンタクトっていうのがあるらしくって、それはスイスじゃないとないって言われて。
でもうちの子だって卵子が入って、普通の15歳、16歳でコンタクト取ってるからね。
だから、どうなんでしょう。たぶん先生のこだわりなのか。
そう、こだわりじゃないですか。その、だから、やっぱり、あの、どの名車さんに行くかによって。
そう。
まあ、そこまで特別なものを本当に取り寄せてくださるんだったらね、いいんですけど。
でも、早く来てもらった方がいいからね。で、なんか、その眼科にもよるんですけど、その意地悪な先生がいた眼科の方は、コンタクトロジー、なんかちょっと分かんない。コンタクトレンズの専門の先生に一回見てもらわなきゃいけないんですよ。なぜか。
で、それは。
それはすごい手間ですね。
手間なの。
オーストラリアへの移住
で、一回わざわざ行って、コンタクトチェックして、で、まずちょっとこれで1時間半ぐらい歩いてきてください。で、1時間半後に一回また戻って、先生が涙の量とかチェックして、OKだったらそれっていう感じで、息子とね、コンタクトしながらぶらぶら狩りのね、街並みを歩いたっていうことがあったんですよね。
ね。
で、それはわざわざコンタクトの初めてだから、コンタクトの先生にまた、そのアポイントを取り直して、眼科の先生に。
うん。
だから結構二度手間だったけど、たぶんそこの眼科のシステムがそういう感じだったのかなと思って、もうそこはやめようかな。
ほんと先生によりますね。
寄り切り。
うん。
まあ、行ってみないと分かんない。
そうですけどね。
なので、なんかでもどっちにしろ一回つける練習をして、で、たぶんあの、涙のチェックしてとかっていう作業はあるので。
うん。そう言われました。あの、届いたら電話するので、そしたら来て、えっと、つける練習をして。
うん。
あの、付ける練習を、私としますって言われました。
うん。まあ、でも、ソフトはね、そんな難しくないし、あの、一回やってしまえば、もう、うん、全然もうたぶん息子も楽っていう。
そうですね。
言ってたから。
うん。あとはちゃんと手洗って、あの、目に装着してねっていう。
でも、基本ワンデーでしょ。たぶん。毎日帰るやつ。
そうなんだろう。
その、ずっとキープするやつから。なんかね、私が言われたのは、
うん。
やっぱワンデーでやると
だから1週間に1回とか
そっちでハードなんかずっと付けっぱなしだから
私の場合
そっちでいいって言ったんだけど
ティーンエイジャーは
コロナの時期にちょっとかぶさってたから
っていうのもあるんですけど
絶対ワンデーにしてください
ティーンエイジャーのだと
そのオーダーしてるコンタクトっていうのが
ティーンエイジャー用なので
おそらくそうでしょうね
だからワンデーだともう1回付けちゃえば
もうあと取るだけで捨てちゃうから
っていう
でもほらキープしとく時には
ちゃんと保存液とかに
綺麗に入れとかなきゃいけないから
っていう感じなので
じゃあコンタクト生活を
日普通の違い
私はでもほんと中学入った時に
世界変わったからね
だって軽いじゃないですか
顔に何かずっとね
邪魔
この鼻のところに乗っかってるのがすごい邪魔
あともついちゃったりとかね
あとほら湯気でね煙ったりするし
お風呂の時
結局外さなきゃいけないから
何も見えないし
コンタクトは本当に人生が変わった
私は瞬間だったと思います
ということでね
日普通のコンタクトレンズ事情でした
それでは本編スタートです
はい本編です
今日はですね
素敵な方に来ていただいています
オーストラリアにお住まいの
もっと自分らしく生きるための
英語のコーチ
マックフィーひろみさんです
ひろみさんどうぞよろしくお願いいたします
よろしくお願いします
今日お招きありがとうございます
音楽活動の再開
はい
ひろみさんはオーストラリアのどちらにお住まいなんですか
今はですね
ヌーサっていうところに住んでいます
多分ね知らない方がほとんど住んでますけど
ヌーサはちなみにどのあたりっていう風に考えたらいいですか
オーストラリア
皆さんがよくご存知のゴールドコーストってありますよね
東海
ゴールドコーストから車で北に
3時間ぐらい上がったところです
北に行ったところってことなんですね
北に行ったところです
ゴールドコーストでちょっと来たっていう感じですね
ヌーサっていう街は
一言で言うとどういう街なんですか
一言で言うと
もう本当にオーストラリア屈指のリゾート地です
あんまり知られてないんですけど
結構ね高級リゾート地で
本当にもうビーチもあるし
国立公園もあるし
しかもリゾート地なのでね
おしゃれなお店とかもたくさんあるということで
結構オーストラリア人の人も何度も行くところだし
ヨーロピアの方ですね
ヨーロッパの人たちも結構来られる場所ですね
なるほど
じゃあリゾート地に住んでらっしゃるのね
そうなんですよ
いいですね
今ヌーサはどれぐらいお住まいなんですか
ヌーサはですね
もう4年ぐらいですかね
じゃあその前は違う場所にいらっしゃった
そうなんです
ずっとですね
19年ぐらい
メルボルンって
っていうところに住んでました
メルボルンはオーストラリアの中で
シドニーに次いで大きい都市
って言われてるんですけど
場所的にはオーストラリアの一番下の方になります
地図で見るとかなり南ですよね
もう完全南ですね
そうなんですよ
なんかオーストラリアってやっぱ大きいかなって思いますけど
かなり緯度が上がるっていうか
もう相当伸びあんだなっていう感覚ですよね
メルボルンは
そうですね
もう緯度も大きいですけど
経度も大きいんですけど
もう本当にやっぱり大陸なので
東西も大きいですし
南北も広いですし
低いですよね確かに
大きい大陸ですから
じゃあ今合計でオーストラリアにはどれぐらいお住まいなんですか
トータルで22年半超えました
ずっとオーストラリア
のみなんですよ
そうなんです
なるほど
なのでね
ちょっとその辺からね
留学を通じた学びの追求
ぜひぜひお話をお伺いします
もともとずっと海外とかオーストラリアに行きたいとか
そういうことを考えてた方なんですか
全然違いますね
海外に行ったら殺されるとか思ってました最初
どうしてそういう意味
やっぱり海外って怖いっていうイメージだったんですよね
なので海外ってみんな拳銃持ってるから
なんか行ったら殺されるよみたいな
そんなイメージ
映画とかドラマの
そうです
みんなに
なのでもう怖いっていうイメージばっかりだったんですよね
なので昔から行きたいと思ってたわけではないんですけど
音楽をやっていて
洋楽を歌い始めたっていうのがきっかけで
どうせ洋楽をやるんであれば
英語圏でちゃんと英語のメロディトリズムを身につけたい
っていうことで留学を試みて
いろんな国を考えてたんですけど
最終的にオーストラリアに縁があって
来ることになったっていう感じですね
音楽をやっていたっていうのは
楽器それとも歌
歌なんですよ私
ちっちゃい時から
何歌手になりたいみたいな感じだった
そうなんです
ちっちゃい時からずっと歌手になりたかったんですよ
そうなんだ
でも洋楽だったんだ
最初はもちろん邦楽です
そうなんですね
邦楽で中学高校の時にはやっぱりそういう
日本でとやっぱり10代でデビューしないと
もうお話にならないので
中学校高校生ぐらいの頃は
オーディションとか申し込みまくってましたね
受けてたんだ
受けてました
全部滑りましたけど
やっぱ厳しい世界だったんですね
厳しい世界ですね
なので高校卒業する時に
もうダメだなっていうことで
歌手の夢を一回諦めたんですね
だけど大人になってから
洋楽とかジャズとかちょっと聞き始めたっていうことがあって
ジャズだったら年いっても
歌えるんじゃないみたいな感じで
もう一回歌をやりたいっていう夢が出てきたんですよね
それはいつ頃のタイミング
一回高校で
じゃあもうちょっとやめようってやめて
どのくらい経ってから
22歳ぐらいですかね
洋楽に目覚めたのが22歳ぐらいなので
じゃあそれまでは
ちょっともう歌手とか
諦めてたとか
もう忘れてたのか
そうです諦めてました完全
そうだったんだ
慣れなかった
夢に敗れた18歳でした
辛い
辛いですよ
でも洋楽きっかけで
特にジャズだったら
いけんじゃないみたいな
30代とかになっても歌えるんじゃないみたいな感じだって
まだいけるみたいな
そこで何
日本でも歌ったりしてたんですか
日本ではそうですね
たまにですけれど
ジャズっていうかピアノバーで私働いていて
私は
そこで歌をやるのが好きだって言ったら
歌っていいよって言っていただいて
そのピアノバーで歌ったりとかはしてました
たまに
でもやっぱりちゃんと勉強しに行こうみたいな感じになったってことなんですか
そうなんです
やっぱりね
どうせやるならちゃんと学びたいっていうのがあったんですよね
で
あれですね
働いてたのが勝者だったんですけれども
そこをやっぱりやめたいっていうのもあったので
理由を探してたところもあったんですけど
なるほどね
なるほどね
会社員はなかなか厳しいものがありますよね
厳しいものがありますよね
そうそう
なのでどうせやるならやっぱり本格的に学びたいっていうので
会社を辞めて留学したっていうのが最初のきっかけでした
やっぱり聞かれるかもしれないんですけど
なぜオーストラリアだったんですか
そうこれめっちゃよく聞かれるんですよ
音楽とオーストラリア全然つながらないじゃないですか
ジャズとオーストラリア
ジャズとオーストラリア
オーストラリア全然つながらないですね
やっぱり最初はアメリカに行こうと思ったんですよね
でもやっぱりアメリカは物価が高いっていうのがすごくあったし
学生ビザだと働けないとかいろいろあって
じゃあ全部貯めていくのかっていうと
あんまり行けないなっていうのがあったんですね
それで諦めて
次に私の大好きな歌手がカナダ人だったので
じゃあカナダに行こうかとか考えたんですけど
それも結局おじゃんになって
私は考えたら
考えるけど辞める人だなと思ってたんですね
どうせ言ってるだけの人
いわゆる行きたい行きたいって言うけど
絶対行かない人だなと思っていたら
次にオーストラリアに行きたいと思い出して
探してるとジャズとか
ジャズだけじゃなくてコンテンポラリーって言って
いわゆるポップとかですね
いわゆるそういう洋楽もやってるっていうコースを
たまたま見つけたんですメルボルンで
こんな学校があるとかって言って興味があって
願書出したら通っちゃって
行かなきゃいけなくなったっていう感じで
いつの間にか行ってたっていう感じですね
どういう感覚なんですかね
やってもうまくいかないんじゃないかみたいな
行ってるだけの人なんじゃないかっていう人が
オーストラリアはポンポンって決まっちゃった
みたいな感じじゃないですか
本当にそうなんですよ
この感覚ってやっぱりなんか
どういうふうに思いました?
ヒロミさん的には
もう波に乗っちゃおうみたいな感じだったのか
今あの時はなんか
オーストラリアでの音楽の勉強
そのまま流れて乗っちゃったって感じですけど
やっぱ引き寄せられてたのかなっていうのが
今振り返ると思いますね
なんかオーストラリアのために
カナダもダメだったんじゃないかみたいな
そうそうそんな感じ
でなんか振り返ってみると
一番最初に外貨でね
手にしたのがオーストラリアドルだったんですよ
中学校の時に
担任ではなかったんですよ
先生が結婚して
オーストラリアドルを手にしたんですよ
オーストラリアドルを手にしたんですよ
オーストラリアに新婚旅行に行ったとかって言って
お見せにね
全員に生徒全員になんか
ワンセントコインだったと思うんですけど
当時はね
そのコインをみんなにプレゼントしてくれたんですね
面白い
オーストラリアドルだったんですよ
っていうのとかも思い出すと
なんかこう引き寄せられてたのかなって
すごく思います
オーストラリアにやっぱご縁があったのね
そうなんですよ
でじゃあもう会社辞めて
音楽の
それはどれぐらいの期間のコースだったんですか
コース自体は2年間だったんですけれども
その前に
本当はその音楽のコースでオーディションがあって
そのオーディションに受からないと
勉強できないっていうのがあったんですね
学生だけどオーディションがあるのね
あるんですよちゃんと
でそのオーディションの準備もあるし
私英語もできないしっていうので
最初の1年は英語と
そのオーディションの準備をするつもりで
トータル3年の予定で
入学したんです
ごめんなさい
学校から入学許可は
おりるんだけど
それは条件付きでオーディションに
受かんないとクラスは受けられないっていう
そういう仕組み
当時の願書は語学学校だけですね
その学校に
付随している語学学校に
私申し込んだんですよ
こういうコースに行きたいから
まず勉強したいです
そこで入っていいですよ
語学学校から
入学許可が来た感じですね
なるほど
じゃあそのオーディションに合格しないと
いわゆる本当の専門的な勉強はできない
そうなんです
1年それをするために
準備をしようということで
1年間語学留学兼オーディション準備で
行ったんですけど
実際行ってみると
入学して5週間で
オーストラリア人たちと一緒に勉強する
その本コースに入る前の
基礎コースっていうのを知って
一緒に学ぶことになったんです
オーストラリア人たちと
それは語学じゃなくて
音楽を
音楽の方
道があったってことなんですか
行ってから知ったんですよ
そういう本コースに入るための
基礎コースっていうのがあるっていうのを知って
そんなのあるんだったら
私も学びたいですって
言いに行ったら
じゃあ来週から来ていいよみたいな感じで言われて
来週からですか
私まだ来て5週間しか経ってないんですけど
英語も勉強しようっていう感じだったわけですよね
そうですね
まだ英語も全然ダメな時に
ネイティブスピーカーたちと一緒に音楽を勉強する
クラスにポンって入れられちゃったんです
じゃあ基礎コースで
一緒にみんなで学び
音楽の勉強もできたわけね
基礎コースで音楽の勉強しました
ラッキーだったといえば
本当ラッキーでしたね
導かれるような感じだったので
どうでしたか
ネイティブの人たちにとっては
音楽に一緒に混じって
音楽っていう
別の言葉を使わなくても
分かるところもあるのかもしれないし
いきなり5週間でポンと
勉強のコースに
みんなと混じって入ったっていう
ひろみさんはどうだったんですか
そうですね
確かにおっしゃってるように
音楽って心と心で通じ合える部分とかっていうのがあるので
基礎コースの時は
みんなで仲良く頑張ろうねって感じの雰囲気だったので
すごく
仲間にも入れてもらえたし
音楽で通じ合えるっていうのはすごくありましたね
なのでまだ英語も当時は全然ダメでしたけれども
クラスメイトの人たちに一緒に仲間として認めてもらって
仲良く学ぶっていうことができました
でも本コースに入ってから大変だったんです
実は
その1年後ってことですよね
そうです1年後です
オーディションを受けて入るコースに入ってから
みんながガラッと変わったんですよね
どういう風に変わったんですか?
もう真剣に音楽を勉強する人たちばっかりだったので
みんなで頑張ろうって感じはなかったんですよ
下手くそなやつは置いていくからみたいな感じで
本コースに入ってから相手にされないっていうことが起こりました
ちょっとあれがガラリですね
ガラリ変わったので1年間はね
最初の1年みんなでわーって感じだったのに
もう入ってから全然相手にしてもらえなくなって
結構大変でしたね
当時ね
でもじゃあもう実力で何とか追いついていくしかないみたいな
そういう感じ
そうですそうです
仲間と認めてもらうために
やっぱり努力をしないといけないっていうところもあったし
音楽のコースなので
発表会っていうのを自分でオーガナイズしないといけないんですね
例えば私だと歌だったので
私の歌を歌うために
ギタリストとかピアニストとかをクラスメイトに頼んで
その人たちに
と一緒に練習する時間とかも組んでっていうようなことを
自分でやらないといけなかったんですね
そうするとやっぱり相手にしてもらえてないと
あなたの練習やってる暇ないからとか言われちゃうわけじゃないですか
みんな必死なので
なのでそのあたりもね
忙しい中で時間を取ってもらったりとか
そういうことをやっぱりネゴシエーションとかもしないといけないとか
結構自分から動かないといけないということがありましたね
結構タフですよね
そうやって一人一人ネゴしてて
実力がないと断られるわけだし
そこをどうにか時間を作ってもらったりとか
自分の発表に参加してもらうようにしなきゃいけないわけですよね
そうなんです
結構タフでした
ですよね
ひるみさんはタフだったとはいえ
まあまあすんなりうまくいったのか
結構シビアで結構うまくいかなかったのか
その辺はどうだったんですか
最終的にはうまくいきましたね
やっぱり真面目さっていうのは
やっぱり日本人の私たちあるじゃないですか
やっぱりオーストラリア人とかって
毎日学校に行く人少ないんですよね
そう
毎日学校にいてどの授業にもちゃんと出てる人っていう意味で
こいつは頑張ってるなっていうのを
分かってくれる人は分かってくれるっていうところがあって
そうやって他に真面目にやってる人たちは
この子も一応頑張ってるねっていうところがあって
っていうような目で見てもらえるっていうところはありましたね
本コースへの入学
じゃあそういう中で切磋琢磨しながら
無事発表会もできた
なんとかね
そうですね
でもやっぱ歌だったので
歌詞とか覚えるとか
やっぱりネイティブスピーカーすぐ覚えるわけなんですよね
曲も知ってる曲が彼女たちはたくさんあるのに
私は海外の歌とかほとんど知らなかったんですよね
彼らに比べたら
なのでそれを何曲もすぐに覚えるわけなんですよね
何曲もすぐに覚えて歌わないといけないっていうところで
もうほぼ倒れるまで毎日歌ってました
やっぱりほら
自分の声が楽器でしょ
そうです
ただ弾いてればいいとかっていうのと違って
やっぱりほら
酷使してもダメなわけだし
やっぱそういうケアとかも大変だったんじゃないですか
そうですね
体調管理はしないとね
やっぱりコンサートの日に声が出ないとダメなので
ダメですよね
最悪ですよね
なんか喉スプレーとかね
毎日のように
喉スプレーするとかね
うがいするとかそういうことは結構やってましたね
それでじゃあ本家の方も2年乗り切ったってこと?
そうですね
しかもそれをやりながら実は外で
オーストラリア人たちとバンドを組んで
発表会の準備とバンド活動
バンド活動っていうのもやってました
じゃあそういう活動もやってたのね
アーティスト活動みたいな感じで
そうなんですよ
その時は何歌ったの?
ジャズ系だったの?
何を?
組んでたバンドは全部ロックバンドですね
オリジナルで曲を作ってライブをするっていうことをやってました
その時にひろみさんは自分のその後のキャリアをどういうふうに描いてたんですか?
全然描いてなかったですね
当時は
とにかく終えて技術を身につけて
例えば将来的にオーストラリアに残りたいとか
日本に戻りたいとか
あんまりそういうのって考えてなかった?
オーストラリアにいたいっていうのは感じてました
最初から
そうだな
やっぱ日本にいた時ってずっと
自分の居場所はここじゃないって
なんとなく感じていたんですね
それでオーストラリアに行った時に
人生をやり直してるような感覚だったんですよ
私18歳で歌手の夢は諦めてますけれども
大学受験も私失敗したんですね
なので
18歳の時に結構人生
全部こう
願いが全部叶わなくて
絶望したって感じだったんですけど
オーストラリアに留学した時に
その18歳の時の
まだ人生いろいろできるよっていう
あの感覚を取り戻したような感じだったんですよ
なるほどね
そっか
4年後にもう1回18を
カラスタートしたみたいな感じなんだね
そう
そんな感じだったんですよ
なのでこれはもう楽しいと思って
人生やり直したいっていう感じで
もう歌はもうずっとねやっぱりやりたかったので
今人生で一番やりたかったことを
やらせてもらってる機会なんだから
もう倒れようが何だろうがやらないとっていう感じで
そこで必死でしたね
なのであとどうするとか何も考えてなかったです
そっか
じゃあもうそこでパワーも出し切ってる感じだったのね
まさにね
そうなんですよ
でもまあ学校は終わるじゃないですか
終わりましたね
終わるよね
バンド活動はしてるとはいえ
その時にはどういうふうにしたんですか
そうですね
やっぱりオーストラリアにいたいっていうのがあったので
じゃあどうやったら入れるかっていうのを考えた時に
自然なやり方として
私テイフっていういわゆる専門学校みたいなところで
音楽を勉強してたんですけど
そこのディグリーを持って
大学に編入できるっていうコースがあったんですね
どうせだったら大学編入すればいいじゃん
っていうのでそのまま学生ビザを更新して
大学に編集したっていうのが
じゃあ大学に入ったんだ
そうなんです
専門学校での学びから音楽業界への関心
でそこで音楽ビジネスっていうのを今度学んだんですよ
なるほど
じゃあそっちは歌ったりとかっていうよりも
むしろビジネス的な要素
そういう感じで学んだっていうことなんですか
そうですね
パフォーマンスも選択で取ろうと思ったら取れたんですけど
私はもうパフォーマンスはもう2年間やりきったから
今度ビジネスを学びたいっていうことで
私は結構
ビジネス系の選択科目をわざと取ったんですね
そうなんだ
じゃあ何
やっぱりその専門学校のところでやりきった感があるから
もうパフォーマンスはいいみたいな感じだった
そうなんですよ
もういいと思って
もうやったからいいっていう感じで
面白い
じゃあそこで一旦区切りをつけて
ビジネスとして音楽の業界でどうやっていくか
みたいな方に目を向けていったみたいな
そうですね
さすがに将来のことを考え出したのかもしれないですね
そうですね
ビジネスのちょっと学んどいた方がいいかなって思ったっていうのがありますね
そこは編入されて
1年半くらいいました
そこからじゃあ音楽業界でオーストラリアで仕事したいみたいな感じになっていったっていう感じ
まあひどかな夢としてはそうですよねやっぱり
だけどそんなことが現実問題可能だとは全く思ってませんでした
厳しい競争率ですよね
そう日本でもねやっぱり音楽エンターテイメント関係ってすごい人気あると思いますけど
オーストラリアもやっぱりかなり競争率高いですので
オージーでやりたいっていう人が山ほどいると思うんですよね
なのでコネもないし
しかも留学生の日本人の私なんかが入れるような業界ではないって思ってたんですよねずっと
とにかく大学を卒業してどこかに就職できればいいなみたいな
音楽業界はもう夢のまた夢だから
どこかなんでもできるような業界で
どこでもいいからどこかで就職できないかなって思ってました
どういうふうに就職活動されてたってことですよね
就職活動とオーストラリアでの仕事
実は就職活動する前に私はラッキーなことに就職が決まったんですよ
どういうことなんですか
大学の中でワークエクスペリエンスって言って
社会経験を積んでこいっていう授業があったんですね
それで音楽業界で何でもいいから働いてきなさいっていうので
働いてレポートを出したら卒業できますよっていう科目があったんですね
当然ですけど私は音楽業界に全くコネもない状態で
どうしますかっていう感じだったんですね
でもどこかで働かせてもらわないと卒業できないっていうことで
ある日メルボルン中にある音楽業界の会社に履歴書を送りまくったんですよ
120社ぐらい
120社
120社以上送りました
そうしたらその
そのうち3社から連絡が来て
いいよって働いていいよって言ってくださったので
無料ですけどね
1社目はコンサートをやっているような会社で
そこにコンサートスタッフとして
無料で働いていいよって言ってくださって
そこに行ってたんですね
2社目も同じような感覚だったんですけども
そこ1社目があるからいいやと思っていたら
3社目のところから連絡があって
話を聞きに行ったら
いや無料で働いてもらえないよって言ってくださって
無料で働いてもらうつもりはないから
お金払うからって言ってくださったんですよ
ちょっとごめんなさい
意味がわからないんですけど
すみません話が飛びすぎましたね
違うの違うの
オーストラリアの会社の反応に
私がちょっと止まっちゃったって感じなんだけど
引退して探してたのに
いいよいいよお金払うよって言ってくれたってことなんですか
無料でいいから
ボランティアでいいですから働かせてください
私ワークエクスペリエーションで経験がいるだけなんですって言って
120社で働いているときに
120社以上に履歴書出してて
3通帰ってきて
1社目2社目は当然ですけど
無料だったら働いていいよって
それ普通の反応ですよねある意味で
ありがたいぐらいですよね
120社中3通しか帰ってきてないので
そしたら3社目のところに話を聞きに行ったら
最初なんかこういろんな
自分の会社がやってる話をザーッとされて
最後に
じゃあ働いてみるって言われて
はいって言ったら
無料で働いてもらうつもりないから
ちゃんとお金払うから
って言われたんですよ
え?と思って
お金いただけるってもう全然考えてなくて
それで週3日かな
週3日から働かせていただいたんですね
でそのコンサートスタッフのと
その3社目に連絡くださったところで
おかげでワークエクスペリエンスの
時間がもう十分取れて
晴れて卒業できることになったんですよ
で晴れて卒業できることになりました
って言ったら
その3社目の会社に
会社がじゃあ正社員として働くかい?
って言ってくださって
そのまま正社員で就職できちゃったっていう
週3のお仕事がそのまま
そう
フルタイムになったんですよ
ある意味ひろみさんが取ったアクションは
120社に送った
声明を送ったっていうことですよね
ある意味ね
そうですそうです
開けたっていうことですよね
そこから開けたんですよね
いつも聞いてくださり
本当にありがとうございます
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