1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.222「自信がないけど直感..
2020-07-02 1:00:00

Vol.222「自信がないけど直感でスペイン移住~バルセロナに恋をして~」

バルセロナ在住・セックスコーチおちさぎりさんのインタビュー第1回目です。 

ずっと自信がなかったさぎりさんが、どのようにしてスペインと出会ったのか、また外国人としてスペインに住むための紆余曲折や、コーチングの道へと入っていったきっかけをお話しています。

オープニングでは、Vol.220の配信でお話した、コロナ禍での外国人の日本への出入国に関してご感想をいただいたので、アキの感じたことをお話しています。

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/


00:15
こんにちは、あきです。
今日もパリで学んだブレない自分の作り方の時間がやってまいりました。
今回は、さゆみさんはいないので、私一人でお送りしたいなと思います。
もちろん、さゆみさんがいるときもありますし、私一人の場合もあるんですけども、
今後ね、これからのやり方もちょっといろいろ考えていきたいなと思っているので、
やっぱりさゆみさんいないと寂しいとか、あるいは一人は一人で面白いとか、
なんかいろんなご感想とかもあると思うので、よかったら教えていただきたいなと思います。
今回は7月頭の配信ということで、
今日はですね、実は前々回ですかね、第220回のポッドキャストに関して感想をいただいたので、
それに関してちょっとお話をしたいなと思っています。
コロナに関する日本への外国人の出入国に関して、
オープニングでさゆみさんと私で話した内容に関してなんですよね。
それに関してちょっとおかしいんじゃないかな、みたいな話をしたんですよね。
それに関して感想をいただいたので、ちょっと読ませていただきたいなと思います。
ポッドキャストをいつも楽しく聞かせていただいています。
ためになる情報が多く、国際感覚のたけたお二人の話やインタビューを興味深く聞いています。
しかし今回はちょっとずれるなという感覚があり、連絡しようと思いました。
日本の入国制限は日本に住んでいるものとしてはすごく自然なことですので、
そんなにお二人がおっしゃっている違和感が共有できませんでした。
ちなみに特別永住ビザというのは大使館などは全く関係なく、
在日韓国人や在日中国人の産生など、
代々日本に生活して母国に戻れないような外国人に与えられるものですので、
まず国際的に活躍されているお二人がこのことを知識としてご存じないのもびっくりしました。
誤った情報ですので、訂正いただけると助かります。
またオーストラリアのご家族の件は、オーストラリアでお子さんの分のパスポートを
在号日本大使館で更新手続きをすればよいのではないでしょうか。
それを水際対策のせいにするのは筋が違うような気がしました。
どの国も国籍を持った自国民を最優先にするのは当たり前ですし、
その国の法令に遵守するすべきところもあります。
03:00
外務省もいきなり入国制限をしたのではなく、
何日から制限するのでそれまでに帰国するなり判断してくださいと予告してから出向しています。
また再入国に関してきちんとウェブサイトでどういった取扱いになるのかの説明も細かくしています。
何でも日本政府の外国に対する判断がおかしいというのは少し違うと思いました。
乱文失礼しました。
という匿名の方なんですけれども、お便りをいただきました。
私自身がまずこれに関して何を感じたかというと、匿名希望の方ではあるんですが、
わざわざこういうことを感想としてくださるということに関して本当にありがたいと思っています。
本当に感謝の気持ちでしかない。
嬉しいこととか、例えば共感することとか、あるいは反論することとか、
どちらにしてもはっきり言ってわざわざ書くってエネルギーも時間も使うと思うんですよね。
なのでこれに関してわざわざ書いてくださるっていうその行為そのものが本当にありがたいなと思っています。
特に今回に関してはちょっと政治絡みがあるので、やっぱり個人の意見とは言っても、
私もこうやって配信してますし、いろんな意見があるのは当然だと思っています。
単なる文化的な話とか、一意見ではなくちょっと政治的なものが絡んでいるということもあるので、
いろんな意見があるのは本当にわかっているつもりです。
それに関して私がこれを読んで何を感じたかっていうのをちょっと今日オープニングで話したいなと思います。
もちろん特別永住ビザの話とかそういうのを訂正してほしい。
もちろん私も勉強不足のことはあります。
さよみさんともいろいろ話をしたりして、もちろん在日韓国人とかそういう話っていうのもあると思うんですが、
実際に外国人が日本に長期で住んでいる人に対して、10年以上のビザなのかな。
それも特別永住ビザになってくるので、実際に大使館が絡んでないということはないと私は思っています。
なので実際は誤った情報かどうかちょっとわからないです。
私も実際今の法律が当時と変わっているかどうかもわからないし、実際さよみさんのお友達もそういうケースがあったということなので、
それから今法律が変わっているということであればちょっと私もまだ追ってない部分もあるかもしれないんですけども、
特別在住ビザに関してはそうだと思います。
06:02
オーストラリアの件もいろいろあります。
やっぱりファミリーによって考え方があるので、私はこう感じたという話をさせていただいたんですね。
この話がわからないという方は220回ちょっと1回聞いていただきたいんですけども、
とにかく何を感じたかというと、私自身っていうのはフランスに住んでいて、
日本のパスポートを持った日本人としてフランスに住み、フランス人の夫がいて、
子供が今のところ二重の国籍を持っているという状態なんですね。
私がね、これはちょっと妄想が派な裸足しいと言われればそれまでなんですけども、
国際結婚をした人がここまで考えるかっていうとちょっと他の人はわからないんでね、
あくまでも私の話なんですけども、私がやっぱり結婚する時にやっぱり考えたことっていうのは、
ただ一人ね、フランスに来て勝手に住んでるっていう時にはあんまり考えなかったことなんですけども、
やっぱり結婚ってなった時に考えたのは、やっぱり有事の時の国の扱い方ってことなんですね。
例えばどういうことかっていうと、私にとっての当時の有事っていうのは戦争だったんですね。
もしフランスと日本が戦争し敵国になった時に私はどうすべきなのかっていうのはすごい考えたんです。
考えてもしょうがないことなんですけども、やっぱり私は日本人としてフランスに住むことができるのか。
家族はフランスにいる、かつ日本にもいるわけですよね。
どっちを選ぶのっていうことは、実はすごい考えたことがあります。
もう一つ、結婚、これはね、結婚した時ですね、やっぱり結婚した時に思ったことなんですけども、
もし私と夫が飛行機に乗って飛行機事故があった時に、私は日本のパスポートを持っているので、日本の大使館っていうか、日本国の扱いでカウントされますよね。
で、夫はフランス国籍の人間なので、フランス人としてカウントされますよね。
で、そうなった時に、例えば病院に運ばれたとかね、行方不明とかそういう時もそうなんですけども、私たちが家族だって証明がないと、別人間なんですよ、パスポートを見る限りはね。
なので、やっぱり夫の名前は入れとこうとかね。
で、夫の名前を入れとけば、この2人は家族なのかなっていう認識をパスポートを見れば分かってもらえるかなっていう証をどっかにいつも残しておきたいって思ったんですね。
09:05
で、そうでないと、国によってパンと分けられちゃったら、扱いがほんと別の人間になってしまう。
そんなことをね、ちょっとね、私結構ネガティブなタイプではないんですが、そういうことをすごい考えたんですね。
で、今回、意外なところでこの有事ってことが起きたわけですよ。
で、私自身は日本っていう国、国籍を持っている日本人がフランスに住んでいて、家族と一緒にフランスに住んでいる。
で、同時に私は日本にも家族がいる。
で、ありがたいことに両親は健在。
で、兄弟も住んでいる。
で、この時に出入りができなくなるっていうことが今起こったわけですよね。
私自身が、もし日本に家族がいて、その家族が急に倒れた、手術することになったとか、なんか危ないとかね、今のところないんですよ。ないんですけども、会った時に私はやっぱり帰ると思うんですね。
両親が健在な限りは絶対すると思うんですよ。
で、その時にあなた一回日本に戻ったら、フランス入れないからねって言われた時にどうするって話なんですよ。
それが今回の今の日本の話なんですね。
で、今回私自身は親のために帰りたい。
でもフランスに入ってこれないってなったら、私は日本人だから一応日本にはずっと滞在はできるけど、でも家族がフランスにいるわけですよね。
帰れないって言われたら、出れるって話になるわけですよ。
で、今回の日本のその水際対策とかね、そういう話って法律の問題ではあるんですが、法律というか法務省と外務省が全然やっぱりちょっと意見が違うというか、だから国側からは外務省宛にこれなんとかならないかって言ってるけど、法務省がOKを出さないので、外務省もちょっと困っているっていう感じなんですよね。
私が記事とかを読んだ限りでは。
だから水際対策としてとって、特にEU、フランスに関して言えば、そこに住んでいる人であるならば、
例えば外国人でも一応に戻ってくる場所なので、生活の場所なので入ってこれますよと、もちろん入ってきた時に14日間の待機とかそういうのはありますよっていう前提なんですけども、国籍で分けるっていうことはないんですね。
12:12
なので実際に日本に住んでいる外国人が、例えば家族が亡くなったとか、なんかあった時に帰りたくても帰れないわけでしょ。
だって入ってこれないって言われちゃったら。
あるいは実際に出た後に、今度ヨーロッパがロックダウン始めちゃったので、ロックダウンあることで入れなくなっちゃったっていうパターンもあるわけですね。
なので私だって、例えば日本に家族がいて、この日までに帰ってこないとあなたもう入れませんよって言われたとしてもでしょう。
例えば手術が迫っている、病気がある、勝手にその日までに帰るからといって、戻れるかっていうと戻れるかなって思うんですよね。
なので感覚的には水際対策なんだけども、でももともと生活の基盤がある外国人が外国に戻ってくるのと、日本人が外国に戻ってくるのってリスクは同じなのに、
国によって、国籍によって分けるっていうのはちょっと私は違うのかなっていうふうに思ったっていうのが前回の話なんですよ。
だから彼女は多分日本に住んでいらっしゃる、彼女か彼かちょっとわかんないんですけど、に住んでいらっしゃるんだろうなと思ったので、
多分日本にお住まいの方でそういうふうに感じるだろうなとは思うんですけど、自分の立場でものを考えたときに、自分が日本に家族がいて戻ってフランスに入れないって言われちゃったら、果たしてどうするだろうって。
で、それが今EU側と日本側でちょっと根本的な視点が違うので、日本側に、日本に住んでいるヨーロッパの人、特にEU、EUだけじゃないかもしれないんですけども、そういう状態に陥っていることに対して、私はハテナマークだったということですね。
なので、今回の話っていうのは別にどっちが正しいとか正しくないっていう話では全くなく、私自身はそう思った。
多分さゆみさんもそう思ってた。
多分、もしかしたら国際結婚で海外に住んでいる人っていうのはそういうふうに思うのかな。
それはわかりませんけど、私はそう思った。
で、今回そういうご意見をいただいて、なるほどそういうふうに捉えるんだということもわかり、その上で自分はどう考えるのかなっていうことをちょっと改めてまたお話しさせていただきました。
15:10
こういう感じでね、国によってとか、あと立場とかね、それによって意見が違うっていうのはすごくわかるし、特にこういう法律とか政治とかが絡んでくると特に多いのかなと思うので、なんかこういう話がオープンにできるっていうのはすごく私はポッドキャストとしていいと思ってるので、
よかったらまた感じたことをぜひぜひ教えていただきたいなと思います。
それでは本編スタートです。
はい、ちょっとオープニングだけで相変わらず喋ってしまって長くなってしまったんですけども、本編です。
今回はですね、久しぶりにインタビューをお送りしたいと思います。
今回はですね、バルセロナにお住まいのセックスコーチのウォッチ・サギリさんにインタビューをさせていただきました。
彼女はですね、本当に数年前からずっとメッセージのやり取りをしていて、でお互いにね、例えばパリに行くのでこの人紹介しますとかね、
バルセロナに今度行くみたいなので、サギリさんを紹介したいですとか、なんかそういう感じでお互いなんかやり取りをしてるんだけど、本人同士は一度も会ったことがないっていう感じだったんですね。
それが去年の12月ぐらいに一度お会いできて、1月の時に配信で木村あき子さんと一緒に10分だけ女性性についてちょっと話したことを配信させていただきましたけども、
今回は彼女にじっくりとお話を伺ったので、1回目のバルセロナに来るまでのこの右を曲折とかね、あとそれに対して何を感じてたとか、彼女が今まで全然自信がなかったとかそういう話とか、結構共感できる部分も多いと思うので、ぜひ聞いてください。
こんにちはあきです。
今日も素敵なゲストの方に来ていただいています。
バルセロナに在住していらっしゃるセックスコーチのオチ、サギリさんです。
サギリさん今日はどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
サギリさんはバルセロナにお住まいで、今夏真っ盛りって感じなんですか?そちらは。
そうですね、もうだいぶ暑くなってきまして、夜も結構ねぐるしかったりとか、もう完全に短パン、ノースリーブみたいなパジャマで、何もかけないで大の字になって寝ています。
18:04
リゾートの過ごし方っていう感じですよね。もうね、暑さ的にもね。
今回はね、今年の1月に配信させていただいたんですけども、ちょうど去年ね、パリにいらっしゃったときに、10分間だけ音声を届けて、本当に10分だったんですけども、
秋子さんと一緒にね、3人でトークをしたときから、サギリさんにもっと詳しく聞きたいな、聞きたいなとはずっと思っていたんですけども、
今回オンラインという形になってしまいましたが、インタビューさせていただくことになりました。
はい、ありがとうございます。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
サギリさんの肩書きでセックスコーチっていう風に書いていらっしゃって、これがまず何か、分かってない方も多分いらっしゃると思うので、
どういうことをされているのか、どういうコーチをされているのかっていうところをまずお聞かせいただけますか?
はい、ありがとうございます。肩書きがやっぱりすごくびっくりされる方も多いと思うんですけれども、
よくセックスのテクニックを教えてくれるんですか?っていうふうに聞かれることがあるんですが、
すごく私のターゲットは女性の、日本人の女性なんですけれども、男性からもね、ちょっとそういう興味本位のメッセージをいただいたりということもあるんですが、
セックスコーチは私たち自身の性ですよね、セクシャリティとか、そういう性的な快感ですよね、プレジャーというのと、
常時に付き合っていくためのサポートをするコーチングなんですね。
なるほど、もうちょっと言うと、例えばどういう人、例えば年齢層だったり、どういう悩みとか意識を持った方が詐欺さんのところにいらっしゃるんですか?
はい、今年齢層は20代後半から50代の女性までいらっしゃるんですけれども、
すごくよくあるお悩みは、やっぱりセックスレスで悩んでいらっしゃるとか、
あとはセックスの時にオルガズムを感じたことがなくて、私ってもしかしたらもう一生このまま感じられないまま終わってしまうんじゃないかっていうふうに不安に感じていらっしゃる方とか、
本当はもう本当に自己啓発の一つとして、自分を知るっていうところの観点からもっとやっぱり自分のセクシャリティと上手に付き合って、
自分の中のフェミニーを弾けさせたいっていう意識の高い方がいらっしゃったり、
3つがやっぱり一番多いですね。
20代から50代の方で、それぞれの内容とか規模に応じてコーチングをされていらっしゃるということですね。
21:09
その通りです。
実際にそういう方が最終的にはどういうふうになられて、
さぎりさんのコーチングを終えられていくっていう感じになるんですかね。
やっぱりセクシャルなテーマっていうのを相談できる場所がすごく少なかったりとか、
あとは思い込みになってしまっていること、抱えなくてもいい思い込みになってしまっている、
いらない知識みたいなこととか都市伝説みたいなこととかがたくさんあるんですよね。
なのでそういう話を一つ一つしていくこともそうですし、
あとはやっぱり自分の女性のシンボルである部分と向き合うことが普通なことに感じるように、
本当にセックスとかプレジャーっていうことを話したり考えたりすることがとっても普通なんですよっていう意識を持っていただくこと、
自分自身でもっと楽しんでいいんだよっていうことを皆さんが分かって、
主体的に性に向き合ったりとかプレジャーを楽しんだりできるようになるというのがゴールですね。
ゴールからまたスタート、皆さんそれぞれスタートされていくという感じなんですかね。
分かりました。その辺のテーマについてはね、また後ほどちょっとお伺いしたいなと思うんですけれども、
まずじゃあここに至るまでのさぎりさんについてちょっとお伺いしたいなと思うんですけども、
バルセロナにどれくらいお住まいになってるんですか?
今はもう13年になりました。
13年。で、例えばその前はどこか海外でお住まいになったことがあるとか。
長期ではなくて、ずっと私は日本の東京にいたんですけれども、
20歳の時にアメリカに1ヶ月だけ短期留学をしたっていう経験があって、
それ以外は本当に外国に生活をしたっていうことはなかったですね。
じゃあもうバルセロナにいきなりいらっしゃったという感じなんですね。
で、じゃあ20歳の時に短期で行かれたと思うんですけども、
元々海外とか、海外に住んでみたいなみたいな願望みたいなのあったんですか?小さい頃から。
ありましたね。ずっとあって、
多分その大学で英米文学が専攻で、
英語でコミュニケーションする楽しさっていうのを少しずつ見つけていったところとも関係していると思うんですけど、
何の根拠もなく親にも、私国際結婚すると思うからってずっと宣言してたんですね。
それは大学の頃とかじゃなくてもっとちっちゃい時から?
24:01
大学ぐらいの頃ですね。
だんだん周りに結婚のプレッシャーをかけられるようになり始めるぐらいの時に、
私多分国際結婚だと思うからって言って、
すごく自分の中では核心、根拠のない核心があって、
きっと私どこか外国行っちゃうんだろうなみたいなのはうすうす感じてました。
その時は例えばアメリカとか特に英米文学だと思うので、
英国にどこか行くだろうなみたいな感じだったんですかね?
もっとそれとも全然その辺は関係なく海外みたいな感じ?
やっぱりアメリカはすごい近く感じて、
アメリカに1回だけ留学した経験があったので、
イギリスってやっぱりすごいヨーロッパに遠いっていうイメージもあったので、
アメリカの英語の方が私は理解しやすい、慣れていたっていうのもあって、
アメリカあたりなのかなみたいな感じだったんですけど。
それが最初の20歳の時に行った、
アメリカっていうのが最初の門が開かれた感じのタイミングだったっていう感じですかね?
はい、そうですね。
その時って大学2年とか3年とかそういう感じですよね、20歳だと。
はい、3年生の時でした。
夏休みに短期で行かれて、
その時に初めて海外に出て、初めてですよね、それが。
初めてです。
初めて、要は一人でいらっしゃったんですよね。
どちらにいらっしゃったの?アメリカ。
その時はニュージャージー州ですね。
それも多分自分で場所は決めた。
そうですね。
その時って行って、初めての海外で英語圏に行って、
その時のさぎりさんって何を得てきたというか、何を感じましたか?
世界って広いんだっていうのはすごい思ったんですよね。
日本にずっと20年、その時20歳だったので住んでいて、
割と私オープンな方だと思っていたんですけど、
実際にそのキャンパスに行ってみたら、
16歳とかのベネズエラ人の女の子が一人で親元を離れて留学。
その子たちは年単位で来てたんですけど。
そうなんだ。
16歳で一人でここまで来ちゃうんだっていうのがあったりとか、
やっぱりいろんな国の人がアラブ系の人もいれば南米系の人もいて、
ヨーロッパの方もフランスの方がすごく多かったんですけど。
面白いですね。
フランスの方もすごく驚いたのが、
まず40代の家族がいる男性が一人でいらっしゃってたりとか、
27:04
夏に一人で。
あとはちょうど成人したぐらいの18歳ぐらいの男の子と女の子の若いカップルが、
カップルだけで来ているとか、
一緒に英語を勉強しに来ようみたいな感じだったんですよね。
すごい大人っぽいと思って、
あとはご家族4人のファミリーが家族全員で留学しているのとか、
留学って学生が一人だけで行くものじゃなくて、
こういうスタイルの留学もあって、
こういうことをする人たちが世界にはいるんだっていうことが、
英語の勉強よりもたぶんすごい衝撃的だった。
なるほど。
確かに夏休みだと年齢層の幅広いですよね。
広かったですね。
そこで交流して、
日本に戻るじゃないですか、戻るタイミングで、
どう思ったんですか?また来ようみたいな感じはあったんですか?
また絶対同じ場所じゃないかもしれないけれども、
やっぱり海外にもっと行ってみたいなというふうには思って、
日本に戻って大学を卒業して、
就職を普通に新卒で会社に入って、
仕事を終える、デビューしたっていう感じ。
でも仕事は例えば海外とつながりがあるとか、
そういう仕事に就いたんですか?
全然関係なくてですね、ビール工場のご案内のお姉さんをしてました。
えー、そうだったんだ。
確かに全然海外とはまた違う視点ですよね。
そういう視点で就職活動はしなかったんだ。
多分自信がなかったんですよね。
自分の英語に対しても、
外資系企業とか聞くだけで震え上がるみたいな。
ずっと自信がなかったんですよね。
なのでやっぱりそれも就職をする時も、
なんでそういうサービス、候補っていう一応分類ではあったんですけれども、
サービスみたいな感じですよね。
いらっしゃった方をご案内して、
最後に試飲があって、
観測をするっていう感じの活動だったので、
今までのアルバイトが全部接客だったんですよね。
ウェイクレスとか。
そうなんだ、もともとそういう方面はやってらっしゃったというか、
慣れてたというか。
そうなんですよ。
接客っていうサービスっていうのが好きだったっていうのもあるんですけど、
多分自分の経験でできそうな範囲内のエリアをアタックしようって、
多分もうあんまり考えないで無意識的に思ったんだと思うんですよね。
だから外資系の企業とか一つもエントリーしませんでしたね。
英語を使ってとかあんまり考えなかったんだ。
30:03
考えなかったですね。
本当に考えておけばよかったのにって思うんですけど。
大学3年生っていうか、
新卒の時の経験っていうのはそれで一回終わったっていう感じだったんですね。
はい。
それで普通に就職をされて働いた中で、
どう海外とまた繋がっていくんですか?
それで新卒で入った仕事を1年ぐらいで辞めたんですね。
ちょっと体調を崩してしまって辞めて、
失業保険をもらってダラダラしている時に、
母がアメリカに留学した時にすごく仲良くなったスペイン人の女の子がいて、
その子のところに遊びに行ってきたらって言ったんですよ。
それもお母様が言ったんだ。
そうなんです、母が。
彼女のところに遊びに行ってみたらって母が言って、
思いつきもしなかったので、
なんていい考えなんだろうと思って、
当時はインターネットがやっとあるかないかみたいな
ADSLで電話線を外して繋ぐ感じだったんですけど、
確かあの時は国際電話ですぐ彼女に電話をして、
遊びに行きたいんだけど1ヶ月ぐらい行ってもいい?って言ったら、
ええ、来て来てって言って、
彼女はバルセロナ、厳密に言うとバルセロナではなくて、
バルセロナから1時間ぐらい北上した海沿いの町に当時住んでいたんですけれども、
そこに行って遊びに来たっていうのがスペインにまた、
スペインにまたというか海外とまた繋がるきっかけになりました。
なるほど、じゃあそれで1ヶ月行っちゃったんだ。
遊びに行こうみたいな感じで。
この2回目の海外はどうだったんですか?このスペインに来た時の。
これまた衝撃ですね。
お友達がやっぱり現地の人だったっていうのもあって、
本当にそのローカルの人の生活の仕方っていうのを、
すごく近くで見ることができたんですよね。
まず彼女も夏休み1ヶ月とってたんですよね、私と一緒に。
あれ?あれ?と思って、なんか違う。
そんなことがあるの?ってまずびっくりしたり、
ビーチの近くなので朝、
どっかのバルってスペインでは言うんですけど、
スペインみたいなところにサンドイッチとコーヒーを飲みに行って朝食をとって、
ちょっとだらだらお話をして楽しんで、
そろそろビーチでも行くみたいな感じでビーチに行き、
でまたお昼の時間になったらどこかでお昼を食べたり、
お家に戻ってちょっと簡単にお料理をして食べて、
でまた夕方、夏って10時くらいまで明るいので、
また夕方ちょっと4時くらいまではすごく暑いので、
6時くらいからまたビーチに行き始めて、
33:02
スペイン時間ですね。
そうすると今度マダムたちも、
私の祖母とかぐらいの年代のマダムたちも、
ワンピースの水着とかを着て、
ビーチでおしゃべりしてるんですよね、お友達と。
海の家みたいなチリンギートってスペイン語で言うんですけど、
チリンギートでビール飲んだりとか、
ワイン飲んだりとかしてる人たちがいて、
仕事しなくていいのかなみたいな。
何にもしないけれども、
すごく贅沢な時間を過ごしているっていうことに、
本当に衝撃を受けてしまって、
それでも私ここに最低1年は絶対住みたいって、
恋しちゃったんですよね、バルセロナに。
なるほどね。
確かに日本の生活から見ると衝撃ですよね。
衝撃でした。
朝もバルに行って、新聞を見ながら、
友達としゃべって、
仕事行かなくていいの?みたいな。
いつ仕事してるんだろうってね。
そうなんですよ。午前中もお昼の時間の前に、
10分とか言いながら30分ぐらいブレイクとかしてたりして、
誰も何にも言わないんですけど。
本当に衝撃だらけでしたね。
でもその時、
さきりさんは英語はしゃべれたけど、
スペイン語は全然しゃべれてなかったわけじゃないですか。
現地のお友達がいてくれたおかげで、
いろいろ生活はできたと思うんですけど、
それでもここに1年は住みたいと思ったんだ。
そうですね。
完全に恋をして盲目になっている状態と同じで、
全然考えてなかったんですよね。
スペイン語がどうなのか考えていなくて。
夏ってすごくスペシャルなので、
春夏秋冬全部住んでみたら、
きっともうちょっとこの国のことが分かるんじゃないかなっていう感じで、
4つの季節を全部住んでみたいなって思って、
絶対にこれを実現したいってその時思ったんですよね。
じゃあ一回その後、戻られたの?
日本に戻って、また出直してきたって感じなんですか?
そうです。出直すまでに6年くらい私はかかったんですけど。
そうなんですか。
その後にまた就職したってことですか?
そういうことは無理なんです。
なるほど。
でもその気持ちはなえなかったっていうか、
残ってたんですか?ずっとサギリサの中で。
ちょっとその夏に来た時に、
もうかなり水曜日に火がボーって燃え上がった状態で、
すごくリフレッシュしてエネルギーチャージができた1ヶ月だったので、
36:00
日本に戻ったらまたすごい仕事がしたくなったんですよね。
その時はもうその前回、正社員っていう仕事で、
1年でちょっとバーンアウトしてしまったっていうのがあったので、
なんか派遣社員で今度は働いてみようと思って、
派遣会社に登録してすぐお仕事をいただいて、
すぐに仕事を始めて、受付をちょっとしばらく2年半くらいですね。
その間も考えてはいたんですけど、
日本に帰ってきてしまったら、やっぱりすごく快適で何でも揃っている生活なので、
だんだんその情熱が下火になっていき、
なんかこのままでもいいんじゃないかなみたいな気持ちになって、
そのまま楽しく東京を終える生活を楽しんでいたんです。
また再開したんですね。
その仕事を、派遣の仕事をした後に、やっぱりしばらく2年半くらい働いてから、
将来のことも考えて、やっぱりもう一回正社員に戻ろうと思って、
その時なんか法律系の番組がすごくテレビで流行っていて、
弁護士さんが出ていらっしゃって、アドバイスをするみたいな。
それでなんか法律の世界に憧れ始めたんですね。
なるほど。影響結構受けるタイプなのね。
そうです。影響もろに受けて、本当に私感覚で動いてしまうタイプなので、
求人情報を探していたら、
未定権で儲けの国際法律事務所の弁護士秘書という仕事があって、
そこにエントリーして、でもそこダメだったんですよね。
ダメだったなと思って、でもまたしばらく待ってたら電話がかかってきて、
あの時、面接に来ていただいた法律事務所なんですけど、
明けが出たのでいらっしゃいませんか?というお声掛けをいただいて、
そこで未経験で法律事務所に入って、
人生最長の3年間という期間を勤めることになった。
同じ会社で。
それは正社員として入ったんだ。
そうです。正社員としてお仕事をされていた。
じゃあ初めての秘書業務って、また全然違う仕事をされたっていう感じね。
そうです。
その時スペインはどれくらいの位置にあったの?
その下火のまま?どんな感じだったんですか?
下火のままでしたね。
その時はちょっと日本の東京OL生活を楽しむ自分がいて、
やっぱりすごい本当に楽しかったので、
憧れてたんです。私東京でも西の方に住んでいるので、
都心のそういうOL生活っていうのをすごい憧れていて、
それを実現している自分を満喫していた時期だったんですよね。
やっぱり今度は法律事務所に入ったらまた全然違う世界があって、
やっぱり新しいことを学ぶっていうのがすごく好きなんだと思うので、
39:05
結構その仕事モードになると、ものすごい一生懸命やるタイプなので、
家に帰っても今日習ったことを復習するくらいその仕事に燃えていて、
でもそれが2004年とかだったんですよね、入ったのが。
でも2005年からスペイン語教室に通い始めたんですよ。
そのOL生活を楽しみながら、スペイン語も勉強したいなみたいな感じになったんだ。
そうなんです。やっぱりいつかきっとこの夢を実現させたいから、
その時にはやっぱりスペイン語ができないと怖いなっていうのがあって、
あとはサルサダンスが趣味で大好きだったっていうのもあって、
全部歌がスペイン語ですよねっていうのもあって、
スペイン語はちょっとやっておこうかなと思って、
週に2回仕事をした後に毎週、週に2回会話のレッスンと文法のレッスンに通っていて、
それでドクッと自分でスペイン語を学び始めたのが2005年でした。
なるほどね。
したびとは言いつつも、サルサもやりつつ、
ちょっとスペインとはかすりながら、スペイン語圏の世界とかぶりながら、
勉強もされて、それで来たのは2007年なんですけれども、
あれは2006年ぐらいだったと思うんですよね。
ほとんど28歳になりそうな時に、
突然、私このまま死んじゃったら後悔しないんだろうかみたいな質問が降りかかってきたんですよね、自分に。
それはきっかけがあったというわけではなく、ふっと?
なかったんですよね。
その時、本当に仕事もすごい楽しんで、仕事にも慣れて安定していて、
スペイン語もだんだんわかるようになってきて、
ボーイフレンドもいなくて、すごく自由な身で、
本当に自分の好きなことを好きなだけできる時期だったんですけど、
突然家にいたんですよね。
家にいて、突然そういう質問が降ってきて、
すごく自分の最後の瞬間みたいなイメージがブワって湧いてきて、
すごい後悔してるんですよ。
スペイン行って今日が良かったみたいな感じの自分が見えて、
私全然スピリチュアルとかじゃないんですけど、そういう自分が見えて、
いや、これはダメだと思って、真面目にもうちょっとスペイン行きを考えなきゃと思って、
次の日からどうやってスペイン行こうかなって考え始めた、そのきっかけですね。
じゃあ、やっぱりスペインに行ったっていう気持ちはどっかに残ってて、
やっぱりこのまま行かずに終わるのは、みたいなのが、
42:00
やっぱり2006年のどっかのタイミングで突然出てきて、
確かにスペイン語もね、ちょっとずつでもやってたわけだし、
そこでもじゃあ、例えば期間を決めて、
例えば来年行こうとかも決めてたんですか?
その期間は全然決めていなくて、
まずどうやったらスペインに行けるんだろうって考えたんですよね。
そこで多分、怖くてずっと止まってたなと思うんですよ。
行き方がわからなくて、
どうやって私一人で外国に住みに行ったらいいんだろうっていう感じで、
そこから進めなくて、調べ方もなんかよくわからなくて、
ちょうど私にこのまま行って後悔しないのかっていう質問が降ってきたあたりは、
もうインターネットも普通に仕事場でも家でも使える環境でしたし、
仕事の時間にグーグル検索ですよね。
調べまくったんだ。
で、その27、8になっていたのかな?なので、
30を手前にして、30歳ってすごく若いと思うんですけど、今から考えると。
やっぱり日本で30歳の女性っていうと、いろいろなプレッシャーがあると思うんですよね。
はっきり言うならば、結婚とかそういう目を固めるっていうプレッシャーですよね。
ある時に、私スペイン語を学ぶためだけに行って、
もしその後日本に帰ってくることになったりしたら、
その後につなげられるものが何かあるのかなっていうのが心配があったりとか、
あとは多分心のどこかで、
どうにかしてでもその英中みたいなスタイルになるようなステイにつなげたいなっていうのがあって、
語学学校は除外したんですよね。
あと費用がすごい高かったんですよ。
費用がすごい高くて、
そうなんだ。
1年間とかちょっといけない金額だったっていうのもあって、
これはちょっとどうしようと思って考えていたら、
たまたま何かスペイン語関係の掲示板みたいなところで、
アジア人の学生さん向けに、
ヨーロッパとアジアの国際貿易を学ぶマスターっていうのが募集があって、
そのアジアの人に特化してるの?
そうなんです。アジア人限定で。
面白い。そんなのがあるんですね。
今も不景気の影響でなくなってしまったんですけど、
当時はそのバルセロナの商工会議所と、
スペインのいろんな大学とかビジネススクールが、
コラボレーションして作ったプログラムで、
国際貿易とビジネス英語とスペイン語を学べるっていう、
すごく一粒で3度美味しいみたいな、
これすごく私にとって夢のようなプログラムだと思ったのがあったんですよね。
でも締め切りになったんですよ。
もう締め切られていたんですけど、コンタクトを取って、
45:01
すごく興味があるんですけど、
もう申し込みできませんかって言ったら、
全然まだ大丈夫みたいな感じで。
そのノリがもうスペインですよね。
デッドラインに対する意識が。
無しですごい適当で、
でもそのおかげで滑り込んで、
スペイン行きが一気に加速になったっていう。
それで次の年にもう行けることになった。
そうですね。
そのプログラムはどれくらいだったんですか?
プログラムは15ヶ月間で、
マスター、お勉強の部分プラス、
最後に6ヶ月インターンシップがあるっていうプログラムがあって、
そこでインターン、マーケティングのインターンをして、
そこで夫に出会い。
なるほど、インターン先でね。
ということなんですね。
季節をまず一年味わってみたいみたいな感じで、
その中でもただ帰ってくることを前提にするのではなく、
その後生活できるようにしていきたいって思いで行かれたじゃないですか。
やっぱり最初にバカンスでお友達に会いに行くのと、
生活するのってまた違うじゃないですか。
盲目だったあの状態と、
今回はやっぱり生活するわけだし、学生とはいえね、
働いたりもするわけで、
現実を見てその恋はどうなったの?
この恋の落ちた状態は。
恋は盲目のままだったんですけど、
やっぱり結構痛い現実が降りたがってきて、
痛い現実って例えば?
まず最初の痛い現実が、
自伝子カードですね、居住許可証っていうカードの手続きで、
ピザで入っているので、
そのピザが確か1ヶ月ぐらい有効期限があって、
その間に移民局とか警察署も手続きをするんですけど、
これが日本ではちょっと想像もできない対応で、
朝の5時とかからみんな並んでるんですよね。
私が走馬灯のように振り返るように、
フランスと一緒だ、みたいな。
パリと一緒だ、みたいな感じですね。
通知が来て電話番号が書いてあるので、書けるじゃないですか。
でもすっごい早いスペイン語で、
そこに何十回も言話をして、
ワンフレーズずつできるところを書き出して、
知り合い、聞ける知り合いも、
お友達はいたんですけど、
忙しいですし、申し訳ない迷惑をかけちゃいけないというのがあって、
なかなか人に頼めなくて、
自分で全部解決しようとしていて、
なんとかそのメッセージを理解して、
電話を頑張ってかけても、
48:01
全然誰も答えないんですよね。
繋がらない場合には、
こちらにメールをくださいと言っているのを、
何十回も聞いて、やっとメールなどで書き出して、
メールをしても誰も返事をしてくれないんですよね。
これはもうちょっとビザも切れそうだし、
まずいと思って、
強行突破で直接予約なしで行って、
大行列で並んだら目の前で、
今日はここまでしか受け入れられませんって言われて、
ギリギリ入れなかったタイプ?
2時までじゃないの?って聞いて、
それがまだ11時半とかなんですよ。
でももうここまでで、
今日の受付は一杯一杯だからもう終わって言われて、
2時って書いてあったら、
2時まで受けるのが仕事する姿勢だろうとか思いながら、
家に帰ってまた次の日出直すみたいな。
どんどん早くなっていくんだよね。
その並ぶ時間がね。
全く一緒ですね。
スペインとフランスって同じだなって聞いて。
フランスが同じだっていうのが意外でした。
スペインがやっぱりひどいのかなと思ってた。
それも首都ですからね。
パリだからね、私の話は。
でも逆に私が聞いた時は、
地方の方が楽って聞いた。
パリはやっぱりそれだけ外国人も多いので、
外国人だから、
まだフランス語ができてない人もいっぱいいるって前提なのに、
対応が粗雑なんですよ。
そうですよね。
だからそういう意味では、
地方の方が絶対的人数も少ないし、
田舎の人の方がのんびりしてるので、
丁寧にやってくれるので、
パリよりもそういう許可書はおりやすいって私は聞いたことがある。
だから、あの辛さがよみがえってきた。
私も今話を聞いて。
なんかそれですごく本当に、
人間じゃないみたいな扱いを受けるんですよね。
なんかもうすごくそれで、
外国人として暮らしていくことの辛さの、
最初のビンタみたいな感じでした。
バシッと。
なんかもう暑い時に、
パーキングみたいな屋外の、
まず最初は外で立ったもの行列ですよね。
その後中にどうしてもらえるのかと思ったら、
中の駐車場の空きみたいなところにみんな押し込められて、
そこは椅子があるんですけど、
そこに座られて、
声も変な対応されて、
それでも帰りたいと思わないところがまたすごいんですけど。
でもやっぱりそこって、
やっぱり今までは感じなかったところじゃないですか。
いわゆる旅行者として、
遊びに来てるのとは別世界じゃないですか。
すぐってなった時の、
ここでのそのタフネスっていうんですかね。
さぎりさんが越えられたのは、
51:03
何がポイントだったんですか。
やっぱりずっともう本当にバルセロナが好きすぎて、
私は絶対ここにいたいっていうのが、
それだけは本当にしょっちゅうブレるんですけど、私。
それだけはもう、
全然今もブレてないんですよね。
もうここが私のいる場所みたいなのが、
何故か不思議なことにそれはずっと感じていて、
やっぱりその後も何度もカードの居住許可カードのことで、
何度も何度も問題にぶち当たるんですけど、
それでもうやめて帰っちゃうかなって思ったことは一度もないですね。
ないんだ。そこがやっぱりバルセロナの魅力なんですかね。
私にとってすごくここにいたいと思う場所なので。
やっぱりそういう外国人として住むっていうのは、
日本にいるのとは全然違うじゃないですか。
だから楽しいことだけじゃないし、むしろひどいこともいっぱい。
ひどいことの方が多いかもしれないですよね。
そうですね。だから本当に来てから最初の2年間、
3年くらいでやっと落ち着けたなって思えたんですけど、
その3年が日本にいた時の3年の10倍くらいの感じがしました。
なんかその濃さが。
ですよね。
学生っていう感じでプログラムもあり、
インターンシップもあり、住む中で、
やっぱりずっと住んでいきたいみたいな、
ご主人と知り合ったっていうのも大きかったのかもしれないんですけども、
そこで就職をしていこうみたいな感じで。
どうしても変な意地があってずっと結婚することに憧れっていうのがあったんですけど、
でも彼がいて結婚の話は全然していなかったんですね。
彼は本当に結婚に興味がないタイプだったので、
結婚の話はしていなくて、
自分の居住許可のために結婚するっていうのが、
なぜかすごい嫌だったんですよ。
甘の邪悪なんですけど。
だから就労許可は絶対自分の手で掴み取ってやるみたいな思いがあって。
面白いね、なるほど。
それで学生のプログラムが終わる、また言ってもギリギリなんですけど、
直前になって就職活動を始めて、
誰からも返事が来なくて、
ビザがあと1ヶ月切れますっていうぐらいの時期になって、
これはまずいかもしれないって思い始めて、
でも貯金もその時、日本円にして25,000円ぐらいしかなかったですし、
25,000円!?
54:00
航空券も買えなくて、買えれないし、
他の学校に申し込みをするのにもすごくお金がかかるので、申し込んで、
学生ビザの更新もできないし、
これはなんとか就職先を見つけなくてはいけないっていう状態になって、
これが見つかったんですよね、また。
この崖っぷちからの逆転がすごいですよね。
これはやっぱり何て言うのかな、
執念というか、すごい。
結構就職先が見つかって、
バルセロナで無事働くインターシップとは違うじゃないですか。
働くことができて、万々歳で来たの、その後。
万々歳だったんですよね。
そこは本当に就労ビザも手続きを全部してくれる公立事務所だったんですよね。
本当にラッキーで本当にありがたくて、
ただしばらく働いているうちに、
やっぱりもうちょっと違う仕事をしてみたいなっていう気持ちもあったりして、
もうちょっとそのキャリアアップしていこうって思って、
転職活動を始めて、
そしたらこれまたスペインの大不況と重なっていて、
全然もう失業率がすごく高い国なので、
それは2000何年頃になるんですか?
2009年とかですね。
私がもう来た時から。
リーマンショックの後ですね。
私は来た時からもだんだん不景気になっていて、
すごく難しい転職活動で残廃で、
給料アップしたくて転職活動してるっていうのも大きな理由だったんですけど、
今もらっている給料よりさらに低い給料の提示があったりとかっていうのでも、
本当にもう残廃で、
地震、玉砕で、
もう私価値がないんだって、
もともとずっと地震がなかったところに加えて、
やっぱりそういうチャレンジをしても全然うまくいかないことへの、
もう本当に喪失感みたいななんかっていうのがあって、
しばらくそこからまた体調が悪くなってしまって、
あ、そうだったんですね。
ぐつぐつ過ごす日が続いていたんですけど、
その法律事務所は辞めてはいなかったんですか?
辞めなかったんです。
もう辞めたら生活できない状態だったので。
そうですよね。
25,000円とか最後に言ってたからね。
最初の頃の貯金から。
ただ増えていってやっと就職して、
生活できるような状態になってたんだもんね。
ギリギリだったんですけど、
本当にそのアパートのシェアをしていて、
最初の頃は給料の半分がアパートのシェアの費用、
一部屋借りる費用によってしまったりして、
本当にギリギリの生活をしていたので、
辞めたら本当に貯金もあっという間に、
多分2ヶ月ぐらいでなくなる額でしたし、
57:00
もう絶対行きたくないけど、
辞められないみたいな状態で、
すっごいストレスを自分自身で作ってしまって、
そこから気持ちの切り替えがなかなかできなくて。
その期間どれぐらいあったんですか?
そういうちょっと苦しんでた状態で。
苦しんでた期間は、
本格的に苦しみ始めたのは半年とかですかね、
最後の半年間ぐらい。
もうやっぱり体調にも出てしまって、
膀胱炎が治らないんですよ。
常に膀胱炎で。
そうですね。
抗生物質を飲んで、
週末になると救急診療でまた薬をもらいに行って、
みたいなことしっかりと続いていて。
そんな自分を見た時には、
私このまま腐ったらまずいなっていう、
いつもの能天気な私がちょっと顔を出して、
そうした時に誰かからコーチングっていう言葉を聞いたんですよね。
なんかピンときてしまって、
またこれまた直感で。
直感。
対してリサーチもせずに飛び込んだんですけど、
調べたら本当にまだ一つしかバルセロナで
コーチングの勉強ができるスクールっていうかがなくてですね。
調べたらマスターが6ヶ月で4,000ユーロって書かれていて、
私の貯金もぴったり4,000ユーロ。
ぴったり?
それを一括払いで払って、
もうこれしかないみたいな感じで。
じゃあ貯金全財産ですよね、いわゆる。
全財産です。
オールインしました。
オールイン。
でもじゃあこれしかないみたいなところはあったんだ。
なぜかピンときてしまって、
もうこれだ、私をこの暗い穴から出すための、
お尻叩きはこれしかないって思って、
正解でしたね、でも本当に。
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アキでした。
01:00:00

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