1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.49「家族はお金で買えない」
2017-03-02 33:23

Vol.49「家族はお金で買えない」

パリで美容室を経営しているNaokoさんのインタビュー(1回目)。
別居結婚しながら、福岡で美容室を経営していたNaokoさんが、どうやってフランスにくることになったのか、直感で決めたら一気に進む行動派の半生をお話ししてくださいました。

オープニングは、フランスの「鼻かみ」の風習についてお話しています。


00:16
こんにちは、あきです。
今日もパリで学んだ、「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
さゆみさん、今日もよろしくお願いいたします。
お願いいたします。
お雛祭りですけど、
はい。
ね、フランスは全く関係ないですね。
ないですね。
ガールズフェスティバルですよね。
そうなんですよね。
でも、全然そういうのはないんですよね、こちらではね。
あの、お雛様は私も持ってきてないですし。
そうですよね。
かなりためらったんですけど、結局持ってこないまま。
持ってこないまま。
あ、じゃあそういう飾り物もなく。
ないですね。
毎年子供たちが幼稚園とかで、日本人幼稚園とかで作ってくるものを飾って、それで終わり。
終わり。
ですね。
うちも全く幼稚園を出演してから縁がなくなりました。
男の子ですもんね。
そうなんですね。
関係ないですもんね。
でね、今日は私自身がフランスに来てからとっても疑問に思っていることが一つあって、その話をちょっとたよみさんにしたいなと思うんですけど、
こちらって、鼻を、鼻水が出そうになるときって、日本の人だとスッてすするじゃないですか。
そうですね、出ないようにね。
で、こちらの人は、フランスの人は、すするってことはまずしないで、いきなりすごい音を出して噛み出すんですよ。
あの、すごい音じゃないですか。
すごいですよね。
で、あれは失礼に当たらないんですって。
あの、汚いものは出さなきゃいけないものなんですよね。
そうなんですよ。
で、それが電車の中だろうが、
関係ないです。
どこでも。
それが、女性も結構激しくやったりするわけですよ。
それもね、ティッシュペーパーだったらまだいいですけど、昔の方とかハンカチにやってますよね。
うちの夫もハンカチ派です。
ハンカチにやってますよね。
でも、いまだにそういう方すごい多いと思うんですよ。
だから、日本の感覚からすると、鼻を人前で噛むなんてちょっとありえないって思いません?
私のイメージだと、トイレに行って噛むっていう感覚だと思うんですよ。
あんまり聞かれたくない音ですもんね。
ない感じなんですよ。
咳とかくしゃみとはちょっとレベルが違うので、噛むっていうのを人前でするってちょっと失礼かなと思ってたのに、
こっちは公共の場でもガンガン行くので、この感覚がちょっと違うなっていうのをずっと感じたんですよね。
いかがですか?
03:00
そうですね。
私ね、大学のときに大学の卒業式の練習、私の卒業ではなく、
在校生として参加したときの練習。
上の学年の方の卒業生の方の練習のときに同席してたんですけども、
そのときに、日本ですよ。日本の大学で。
もともとフランスがオリジンの大学なんですけど、
そこでシスターが、日本の卒業式って大体3月の頭とかね、結構まだ寒い時期ですよね。
鼻をみんなさんずるずると、
すすってたわけですね。
すすってるんですよ。
で、それがシスターは気になったみたいで、
みんながすすってるのが嫌だったんでしょうね。
鼻が出るんだったら噛みなさいって。
鼻をぶーって噛みなさいっていう風にシスターが一言ね、
みなさんにおっしゃったのが、とても鮮烈な記憶として。
覚えてるってことね。
そうなんです。鼻噛まなきゃいけないっていう。
そのときにシスターに言われて、
あ、そうなんだ。鼻、すすっちゃいけないんだと思ったのが、
ちょっとまず一つのステップだったんですね。
で、こちらに来て、フランスに来て、やっぱり秋さんが今おっしゃってたように、
ほんとみんな誰もすすってない。みんなぶーぶー噛んでる。
恥ずかしげもなく、普通に噛んでるので、
それが当たり前になってしまって、
今では私もぶーぶー噛んでます。
いや私ね、いいんですけど、
なんか一言予告が欲しいんですよね。
例えば、電車の中はしょうがないでしょ。みんなにいちいち噛みますからとか。
テーブルとかで喋ってる最中にぶーって噛む人とか。
なんか一言失礼とかって言ってほしいんだけど、
でもほら、例えばちょっと辛いものを食べてたりとかすると、
まあわかるんですよ。そういうスパイスが効いたらね。
鼻水が出てくるとかね。
出てくるっていうのはわかるんだけど、
喋ってる最中にぶーぶーとかってなると、
えーみたいに腰を折られたみたいな感じになっちゃうのが、
びっくりしますね。
で、だから電車の中もいきなりぶーって噛まれると、
やっぱちょっとドキッとするし、
これはね、でもまだ私慣れないんですよね。
こんなに財布つ長くしても。
長くしてもちょっとやっぱり抵抗がある。
で、その感覚的に、例えばゲップとかはやっぱり良くないよねっていう感覚は一緒なのに、
なんで鼻を噛むのだけはこんなに違うんだろうっていうのを、
トミーに聞かせて。
フランスのジビカに行くと、毎朝夜寝る前と、
シューって鼻に入れるスプレーをして、
ちゃんと鼻を綺麗に噛んでから寝ろ。
朝もちゃんと綺麗にしろと言われてやってますよ。
今やってるんだ。
06:01
そうしないと、またこうフランス独特のシヌジットっていう病気とかになってしまうので、
必ず子供も大人もするようにと言われて、
ブーブーと。
みんなで全員やるみたいな。
やってます。
赤ちゃんの時に鼻に何水って言うんでしたっけ。
生理食塩水みたいなものですよね。
あれをピシッピシッってやるじゃないですか。
日本だと鼻水を取るっていうのがあるんですけど、
フランスは右の鼻から入れて左から出すとか、そういう感じで。
でも子供ちゃんと出ないんですけど。
でもあれちっちゃい頃からやってると、
案外これピシッってやっても違和感なく受け入れてくれる気がするので。
あれちっちゃい頃からやるっていうのも。
いわゆる鼻うがいに近いようなものですよね。
鼻のうがいに近いんで。
だからそういう洗浄はするけど、洗浄する代わりに自分の鼻息で出すっていうことですよね。
こういう文化比較もあるということで。
フランスに来ても多分そういうのを間近で見てもびっくりしないでいただきたいなと思います。
それでは本編スタートです。
今回はまたインタビューなんですけれども、
今回のインタビューはパリの14区で美容室を経営されているナオコさんをご紹介したいと思います。
このナオコさんは私の友人を通じてご紹介していただいた方なんですけれども、
美容室ってパリすごく多いじゃないですか。
その中で日本人経営者として10年以上美容室を経営されているということで、
その中でのご苦労とか美容室をやっていきながらのやりがいとかその辺をお話を聞いてきました。
それではまず1回目のインタビューを聞いてください。
こんにちは、アキです。
今日も素敵なゲストをお迎えしています。
パリの14区でサロンを経営されていらっしゃるナオコさんです。
ナオコさん、今日もよろしくお願いいたします。
こちらのサロンはどれくらいやっていらっしゃるんですか?
2006年から始めましたので10年が過ぎました。
10年経って今感じることってどんなことですか?
あと10年頑張れたらいいかなと思っています。
過ぎたことは大変なことでも忘れてしまうんですけど、これからまた10年やれたらいいかなと思っています。
あとでまた詳しくお伺いしますけど、10年やってきて一番大変だったことはどんなことですか?
09:03
やっぱり言葉の問題だと思います。
フランス語っていうことですか?
フランス語はやっぱりフランス人みたいにしゃべれないし、スタイルを作るとか仕事をすることに関しては問題がないんですけど、
やっぱりコミュニケーションっていうのはすごく大事で、やっぱりお客さんが何を言いたいか何を求めているかっていうことを言葉で求めると難しいんですね。
でもカットしたりとか色をすることに関しては、やっぱりカットするときに私はドライカットしますから、
言葉がそんなにしゃべれなくても何を求めたいかっていうことは、やっぱり日本語のようにしゃべれなくてもカットはできるんですけど、
やっぱり言葉の問題が一番大変だと思います。
どんなに手先を使う仕事でもやっぱりコミュニケーションってのが入ってきちゃいますよね。
ナオコさんご自身はフランスには何年ぐらい住んでいらっしゃるんですか?
今年で30年になります。
30年。じゃあ3分の1まさに美容室を経営されていらっしゃるんですね。
で、日本にいらっしゃった時も美容室で働いていらっしゃったんですか?
パリに来る前の30年前は福岡で美容室を4年してまして、その前は2年ディジョンという町に住んで、
その前は日本に働いてましたけど、なんか逆に計算するとそういった感じで行ったり来たりして、今はもう30年パリに住んでます。
なるほど。一番最初にパリに来ることになったきっかけっていうのは、美容室でも既に働いていらっしゃったわけですよね。
そうですね。その時代、私たちの時代の24、5の時っていうのは、美容師っていうのは外国に行って仕事をしたい、
ヨーロッパ人のスタイルを学びたいっていうことをすごく求めてたんですね。
なるほど。
だからパリに行くかニューヨークに行くかロンドンに行くかっていう感じで、
大体その3カ所なんですか?
大体思うですね。
私が働いていた、福岡で働いていたサロンのオーナーはどっちかというとパリ派だったので、やっぱりパリに行く、講習とかもパリにっていうことが結構多くて、
じゃあ私も是非パリに行くっていうので、25の時にパリ10日間で来て、来てみて、やっぱりこれからお客様が外国に行く方が増えていくとなると、
やっぱり自分も外国に行ってもっとお客様と話すことができるようになるためにはパリ10日、パリ1週間ではダメだなと思って、
それでは1年間は外国に行って勉強しなければということで、1年の学生ビザでパリに来ました。
それは10日間の講習を終えられて、また戻られてすぐだったんですか?
25に行って27まで、2年間の間にお金を貯めて、その頃は200万でしっかり貯めて、27の時に来ました。
12:04
その1年はフランス語を、ビザは多分フランス語のビザだと思うんですけど、学生ビザですよね。
その時は27の時にディジョンの大学でフランス語講座を習うためのビザを取って、フランス語講座に入って、
その時に知り合った大学の先生が私が美容師ということを分かって、ディジョンの町にすごく良い美容室があるからということで紹介されて、
そこのサロンに入ってスタージを受けてたんですけど、その時はスタージ、言葉も私もよく喋れないので、
スタジオに行っている時に、フランス語の大学の先生が、あなたの行っている美容室はスタジオで、あなたはお金を払わないといけないということを知らされたんですけど、
で、会った話をすると、1ヶ月に日本円で50万円ぐらいのお金を払って、スタジオをするようになって、
要は実地の訓練をさせてもらうという立場ですよね。
そうです。1日に2人3人のカットモデルをもらって、カットの練習を仕事中にするという状態だったんですね。
で、私はもうその時、50万のお金をここで使ったら1年間は済めないなと思ったんですけど、
別にここで知り合って、1ヶ月勉強して、お金がなくなったら帰ってもいいかなという風に考えが変わって、
で、OKということで1ヶ月講習を受けて、10月からフランス語講座を月曜から金曜日まで行って、
土曜日はそこのサロンに戻って、またシャンプーとか見習いの仕事をするという状態で半年ぐらい過ごして、
で、私帰る時はオフキップで行かないといけないので、6月に帰るという状態でパリにそこのディジョンのサロンに入ったんですけど、
1月からまた2月から6月までの授業の2期目の授業には行かないから、そのサロンのオーナーに毎日来たいから給料をくれということで、
交渉したんですね。
でもそこまで必要としなかったんですけど、でもまあ住む領代というんですか、
家賃という感じですね。
その分ぐらいだったらくれるということにして、で、5ヶ月、月曜から土曜までという感じで、
びっちり結構働いてた。
そうそうそうです。で、見習いという感じでやったんですね。
で、6月に私は来月帰るから、切符があるから帰るからって言ったら、そこのオーナーがあと1年いてくれたら帰るの切符代出してくれるっていうまで私のことを認めてくれて、
で、1年残って2年いました。
結局その美容室で働いたということなんですね。
その時に日本の美容室で働いてたナオコさんがフランスの美容室で初めて体験で働き始めた時に何か感じたこと、違いとかありました?
やっぱり髪の質、日本人の方も色はもちろん同じ色ですよね。髪も硬いし、同じようなスタイルが多いんですけど、
15:08
フランス人というのは髪も柔らかいし、やっぱりその人の個性のスタイルがあるわけですね。
だから同じスタイルは絶対できないし、こんなにいいと思ってやってもオーナーとかは顔を見ろ、その人の性格を見ろ、常に求められるわけですよ。
だからお客さんこうしてって言ってもそれはダメって、お客さん本当に似合うかどうかって顔を見ろ、もう常にそんな感じで私は学んだんですね。
つまりじゃあお客さんの要望がこうだったとしても、やっぱり本人に合うかどうかはちゃんとプロとして見てなさいっていうところですね。
鏡を通して見てたら、やっぱりモデルじゃない限りどっかに欠点があるわけですよね。
その欠点がいかによく見えるかっていうことを鏡を通して見る。
だからもうやっぱりそこで最初に顔を見てスタイルを作ってシャンプーをしてカットをするかっていうことがそこのサロンのやり方だったんですね。
面白いですね。でその後またじゃあ福岡に戻られて、で今度はまた違う気持ちで美容室として働き始めたんですか?
2年後に日本に戻る時も知り合いのサロンのオーナーが私の店長として新しくオープンするから戻ってこいと言われて戻ったんですけど、
結局なんとなく1ヶ月くらいそこに働いてなんか嫌だなと思って自分でお店を出したいなっていう思いつきになって
ちょっと福岡の田舎なんですけど、であのサロンが閉まってたサロンを見てすごく素敵なサロンだったのでそこを買ってオープンしました。
資金とかでも一応自分の資金はフランスで使って帰って行っちゃったわけですね。
もう資金はゼロでした。だから妹にもお金借りてたし、で親に家とかを担保にして銀行に借りたいからって言ったらそれは絶対親は反対だったんですね。
で親が持ってるお金を借りて友達にもお金貸してって言ったら結局そういうお金は貸せないけども自分たちがお金を貸してあげるけれども
1年後の担保の分もっていうことでしてやっぱり周りの援助で私はお店をオープンすることができた。
結局まあ信頼されてたんでしょうね。
そこで自分のお店をオープンさせてまたフランスに来るきっかけはなんだったんですか?
フランスに滞在している時に知り合ってたフランス人の人がいてその人と結婚する気はなくて日本に帰ったんですけど
付き合っているうちに結婚する気はなかったけど結婚してもいいかなという安易な気持ちで結婚したんです。
彼が夏に8月に1ヶ月間来て結婚して別居結婚ということの条件で結婚しました。
18:01
じゃあサロンオープンされている間に結婚されたってことですね。
その後別居結婚が続き直子さんが最終的にフランスに行こうと思ったきっかけは?
32、33歳近くになった時に今のままで結婚したけど子供はできない年に2回
彼が8月に来て私が成人式が終わった後パリに行くという感じで年に2回会ってたんですけど
子供はもちろんできないし今のままでは自分の人生はだめだなと思ったんですね。
その時バブルも良くてサロンもすごく繁盛して良かったんですけど
お金は家族は買えないし子供もできるわけじゃないから
それじゃあサロンお店を売ってパリに行こうかなと思ったんです。
結構スパッと決めましたね。
思ったらそういう性格です。
じゃあサロンオープンされてまさにそれが3、4年の時?
4年して33の中旬くらいですかねパリに来ました。
サロンはどなたかに譲って
じゃあ全部自分の部分は清算というかきれいな形にしたい
全部払ってフランスにいらっしゃった?
そうです。
サロンをフランスに来てからはどんな風に?
来てからは本当に大変でした。
もちろん言葉も喋れないしフランス語講座も通いましたし
フランスにロックの美容室にも入って働いたんですけども
やっぱり言葉が喋れないっていうのと
そこのサロンはシャンプーしてカットするっていうシステムだし
違ったんですね。
パリのロックの私が働いたサロンはすごく美容業界で有名なサロンで
スターとかもいっぱい来ましたし自然なスタイルを作るっていう感じで
カラーとかベジタルカラーで植物性のカラーも長くやってるサロンで
求めることはあるんですけど
やっぱり言葉が喋れない。従業員はいっぱいいる。
従業員がいてもやっぱり指名制だから
自分がお客さんを取ることに一生懸命
休みでスタッフが休みで私に指名されて
次に来た時の私を指名されたら
私がお客さんを取ったといっていじめっていうか
スタッフがナオコさんにいじめたりする
結局そういったのが結構あったんですね
内部の方のそういう
だからそれも4,5年勤めて疲れたから
もう自分でお店出さなきゃなっていう感じでパッと決めて
そこも決めちゃったんですね
それまでに子供はできたりとか10年近くは経ってましたから
だいぶ子供も大きくなってたからそういった感じで決めたんですけどね
決めた時に
21:00
日本の時もパッと決められたと思うんだけど
フランスでどうやってサロンを見つけたり
どうやって自分なりにお店を持つ
多分日本とやり方が違うんじゃないかなと思うんです
私も自分でお店を持つと決めて
主人にそういう話をした時に
私は日本的考えで考えを持ってましたから
簡単にできると思ったんですけど
主人はそういうことは絶対不可能だ
私は8月に辞めて
もう9月からお店を出すっていう感じだったんですけど
もう絶対それは不可能で
だから9月過ぎぐらいから
今までアパート探すとかしたことないのに
自分で一人で動き回って
いろんな美容室見て回って
そして10月に今のサロンを見て
契約したのが11月
それで銀行との契約をとかして
7月の末にオープンするっていう感じで
日本とは全然違いますね
スピードがまず違いますね
でもその不動産屋さんもご自身一人で回られるんですか
そうですよ
ご自身は
もう全然いいのがあるかちょっと見に来て
あーっていう
ちょっともう主人もお店を開くっていうことには
私反対でしたから
全然乗り気がなかったんですね
でも私はもう自分で一人で回って
この今のサロンを紹介してくれた不動産屋さんが
すごくいい人で
このサロンが気に入って
50軒もあってもこのサロンが気に入ってるから
ここを私が絶対買うから
50軒
もう回って
他の人に見せないで
大丈夫大丈夫っていう
彼と私の信頼
まあできてたんですね
ここを決めて
主人もぜひから見てっていう感じで
お金のこととかも全然わからないのに
まあバックに主人がいましたから
安心したっていうのはあるかもしれませんけど
でもここを決めました
結構そのオープンするのって
資金とかすごいかかるもんじゃないですか
そうですねやっぱり
サロンを買う時には
日本の場合は従業員をほら
いらなければ必要ないんですけど
そこのサロンに従業員がいたら
従業員も一緒に入ってるわけですよ
一人一人
そうなんですね
だから私が入った時は
エステティシャンと鉄筋シャン
とにかく4人はいたんですよ
スタッフが4人すでにいた
私はもうアジア人で
何もわからないような感じで
もう絶対バカにされるだろうと思いながら
されましたけど最初は
この人できるかなっていう感じですよね
でやってきましたね
その50件見た中で
ここがいいと思った
ナオコさんのここのサロンの
最大の理由ってどこだったんですか
美容師って言ったら
四角でシャンプー台が3つか4つあって
大きいか小さいか別にして
椅子が並んでてシャンプー台がある
っていうのが普通なんですね
ここのサロンは
12階があるし地下もあるし
本物の椅子じゃないんですけど
24:00
ちょっとオリジナル
椅子の内装が椅子っぽくてね
それを見て決めたんです
逆にオリジナリティの方が
ナオコさんは惹かれたっていう
そうです
14区のこともよくわからなかったんですけど
近くにメトロは2つも3つもあるし
便利がいいかなっていう直感ですね
もうモンパルナはすぐそばですよね
ここを通ってここを見て
ここだっていう直感です
もう絶対ここしかいやっていう感じで
それから銀行のやり取りとかも
全部またナオコさんがされたんですか
あとは主人に説得させる
もうそれしか方ないですよ
反対でしたから絶対やるからっていう感じで
彼はなんで反対してたんですか
やっぱりできる
彼は商売人一応医者なんですね
マスイカの医者で
そういう商売とかそういったことは
全然わからないわけですよ
だから私がそんな人
アジア人って言葉が喋れないのもあるし
彼は喋るとできる人が
もうできるもんだっていうのがありますから
私はそういったのが全然ないわけですよ
彼の思うようにフランス語は喋れないわけですよ
仕事はできても
だからそういった面では
彼には信頼されてなかったのがあって
だからそれの説得が大変でしたね
だからそこの彼がやってみるかっていう感じでやって
銀行とかいろんなのもあって
なんとかできるようにこぎつけました
じゃあここを買った時って内装とかはそのままの状態
じゃあもう一度買ってしまえば
もうすぐスタートはできる
で実際にオープンされてみて
もちろん買うっていうまでは目的があるから
一生懸命やられたと思うんですけど
オープンして蓋を開けてみて
こんなはずじゃんみたいな
ほんとこんなはずじゃないですよね
そればっかりですか
私が行った時にスタッフがいるわけじゃないですか
スタッフがいて固まってるわけじゃない
そこにアジア人が私が入るわけですよ
オーナーとして入っていくわけですよね
入ってるけど全然もう
私もうほんとバカにしてますよね
それは仕方がないですよ
だからそれを徐々に徐々に
お客さんも私のスタイルと
このサロンのスタイルのサロンが全然違うわけですね
もともとのスタイルとは違うわけじゃない
ここのサロンは昔
前のオーナーは中国とか16区にいた方だから
もうセットをしたりとか感じなんです
私はロックのサロンは自然な感じ
カットしても洗ってもそのままで形がつくっていうスタイルを
学んできてるから
そうするとカットできないっていう感じで
もうお客さん初めての人は泣いたりとか
そういう人もいらっしゃったんですね
でも徐々に徐々に
気に入らない人はお客さんは来なくなるし
気に入る人は来るしっていう感じでやってきました
そのリズムがはっきりしてくるまで
自分のスタイルが定着していくまで
27:01
どれくらいかかりましたか
やっぱりスタッフも
私のことが気に入らなかったらやめていく
私も気に入らなかったらクビにするっていう感じで
徐々に私も強くなって
強いですね
そんな感じにしてきたんです
今はもう本当順調にいってます
今スタッフ全部日本人だし
みんなよく分かってるし働いてくれるから
今まで赤字になったことはないですから
素晴らしい
その前のスタッフって
例えばフランス人ですよね
全部フランス人です
自分から辞めていく分にはフランスはいいと思うんですけど
こっちから辞めさせる時って
日本と違ってすごく大変じゃないですか
売上が上がらないと経営者としては困るわけですよ
でもちょっと上がればいいって思うぐらい思ってるわけですね
向こうも私が辞めさせると思ってないから
気にならないんですよ
そこで私はもう
自分は決めてこの人はダメだと思ったら
結局もう
もうクビしかないわけですよ
クビするってことは向こうは私を酷訴しますから
基本フランスはあの裁判を起こしますからね
それを待ってますからね
もう気にならなかったら辞めさせてって言うんですよ
向こうはそれを待ってるんですよ
酷訴してお金をもらいたいっていうのがありますから
それとの戦いで
私もその弁護士が私をボロって言うんですか
行く用事がないのを呼んでお金をいくらいくら払う感じでやって
そういったのが大変でしたね
一回目のナオコさんのインタビューでしたけれども
ちょっといろいろ面白い話があったと思うんですが
いかがでしたか?さゆみさん
印象に残ったところは
強烈でしたね
私にとってはとても強烈で
特に別居権利
これが成り立つっていうのがすごいなと思いましたね
だからフランスで知り合って
彼女はフランスから福岡に戻り
最初は遠距離恋愛だったと思うんですけども
そこから別居っていう前提の結婚したってことですよね
すごいですよね
旦那様もすごいですけど
ナオコさんもすごいご決断
1年で2ヶ月しか会わない
すごいですよね
成り立つ
成り立ってたんでしょうね彼らは
だから旦那様は8月のバカンスの時に日本に来る
笑っちゃったのが
ナオコさんは成人式までも忙しいから
成人式の後フランスに1ヶ月行くっていう
面白い関係をした後
最終的にはこのままではっていうことで
30:00
フランスにいらっしゃったっていうところでしたよね
そこはねやっぱり私にとってもとても強烈で
それがフランス
日本でも単身婦人とかあるじゃないですか
そういう話をすると
うちの主人フランス人ですけども
あり得ないと
フランスはあり得ないですね
あり得ないんですよやっぱりね
別居っていうことになると
それは別れを前提
そうなんです
ということなので
基本的にはあり得ない
カップルとしてはあり得ないので
フランスって物理的な距離は
もう続かないっていう考え方ですよね
本当に別れを前提としたものですよね
そうですよね
だからその別居結婚
始まりからそういうのはすごいなと思って
そこでまたね決断されて
一緒に住むっていうところはまたすごい勇気ですよね
彼女の言葉で
家族はお金で買えないから
別居結婚をやめて
フランスに行くっていうことも決めた
っていうところがまたまた彼女らしいっていうか
そこで実際にフランスにいらっしゃってから
お子さんもできたわけだし
そういう意味では
別の生き方がやっぱり
別居結婚とは違う生き方もあるっていうところ
やられたんじゃないかなと
あと区切り区切りで
すごく決断が早いというかね
直感ですよね
それはすごいなと思いましたね
福岡の美容室もそうだったと思うんですけど
ここって決めたら
もうそれで自分のお店開くっていう感じで
必要なお金を自分で集めたり
集めるところもすごいですね
パリも結局自分でお店開くって決めて
決めちゃったじゃないですか
すごいなと思いました
多分彼女の中ではっきりしてるんでしょうね
そういう意味では
そういう今の彼女のスタイルは
多分そういう基盤がその時点で
作られてたんじゃないかなと思うんですよね
次回は実際に美容室を開かれた後
美容室を開いた中でのいろいろ出来事っていうのも
ちょっとお伺いしてますので
楽しみにしてください
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33:00
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どしどしご応募お待ちしています
また来週の
パリから学んだブレない自分の作り方を
どうぞお楽しみに
さゆみさんありがとうございました
ありがとうございました
秋でした
33:23

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