1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.120「決めたらすぐ動く5秒..
2018-07-12 50:15

Vol.120「決めたらすぐ動く5秒ルール」  

Yohji Yamamotoをやめたあと、JOSEPHの社長として仕事をする中で感じた、
フランスのビジネスと日本のビジネスの違い、現在の活動、
そして国際結婚を長く持続させるコツなどをうかがっています。

オープニングは、2050年に世界で一番話される言語とは?というお話です。

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/


00:14
こんにちは、あきです。今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日もさやみさん、どうぞよろしくお願いいたします。
お願いいたします。
実はですね、ちょっと前に出た記事なんですけれども、
フォーブス、私が見たのはフランスの記事なんですけれども、
フランスのメディアが、フォーブスが発表したっていうことで出してた記事なんですけれども、
明らかに、世界地図で見た場合、中国語が断トツ話されている人数では、人口としては多いっていう話なんですよね。
10億人だそうです。
すごいですね。
英語が8億人。3位がスペイン語。4位がヒンドゥ語。5位がアラビアン。
ってなっていって、日本がランクするわけは全然ないんですけども、
ランクインはなしみたいな。
で、フランスはね、8位なんですね。
そういう流れの中で、じゃあ2050年になっていくとどうなっていくかっていう話がフォーブスの中で出ていて、
なんと、それが中国語ではなくフランス語になるのではないかと。
すごい意外な感じがしますけど。
意外ですよね。
その理由は、やはりオフィシャルで話している場所が結構フランス語ってあちこちであって、
特に影響があるのはアフリカ圏なんですよ。
で、アフリカの人口の増加率を見ていくと、
2050年には人口としては中国を抜かすのではないかという話なんですね。
だから何?って話でもあるんですけども、
結果的にはフランス語話せるといいかもね、みたいなところと、
きっと損はない。
損はない。
私たちの世代はね、別にもう2050年でもうだってあと30年後なので、
仕事上使うとかっていうケースはそんなないかもしれないですけど、
今の子供たちの世代を考えたときに、
フランス語っていうのはアフリカとかの貿易とかも考えると、
もしかしたら有効な言語かもしれない。
そうかもしれないですね。
そういう話をね、ちょっと見ると意外じゃないですか、フランス語が。
意外ですよ。
捨てるものが多いと思うじゃないですか。
でも人口の増加率がアフリカ半端じゃないので、
それを考えるとやはりフランス語の方がいい。
人口的には多いって話ですね。
フランス語を話すエリアのアフリカの国の人口増加率が高いっていうことですよね。
03:10
だから今8億2億7千万人が。
要は今地図を見ると、地図っていうか見ると、母語話者、
要はフランスに住んでいる母国語としてフランス語を喋っているのが8千万人。
だけど代理言語話者、要はアフリカの例えば地域とかで、
オリジナルの言語があるけど、フランス語も公用語になっているっていうのが1億9千万人。
それはすごいですね。
っていうことは、フランスに住んでいる人口はたかが知れてるんだけども、
公用語として使っている国が結構多いという感じなのかもしれないですよね。
なので、これからちょっと。
面白い結果ですよね。
今後の第2外国語、第3外国語、どれを選ぶかっていうね。
影響してきますよね。
フランス人なのね、子どもたちはフランス語が母国語なんですけども、
でも第2外国語を選んでいくときに、もちろん英語はやる前提だと思うんですけども、
それ以外の視点でどの言語を選ぶかっていうのも結構ね、選ぶポイントにはなりますよね。
だから、今中国語がって言ってるのは、もしかしたらまた30年後は変わってくるかもしれないし、
こればかりはね、どう変わっていくのかわからないね。
っていうことですよね。
はい。
それでは本編スタートです。
はい、それでは本編です。
斉藤治さんの2回目のインタビューです。
今回はフランス人とビジネスをする上でのやり方とか、
あと最後にパートナーシップのことも聞いてますので、そちらの方を聞いてください。
パリにその後戻って来られて、
松山さんと田畑山敦郎さんと、
昔ほどは活躍してませんけど、今でもやっぱり地方部ですごいな、
敦郎太山ってブランド活躍してますけど、
彼にいろいろ教わりながら、会社を作るっていうのは真っ最中だったんですけど、
いろんな問題があって、
ところがそれを相談する相手って日本人はあまり誰もいなかったんですよ、その頃は。
だからもう初めからフランス人で、今でも大親友ですけど、
やっぱりそういう弁護士関係、会計士さんとかというと、
その時に初めに会社を作ることに向けた弁護士にすごい圧力をかけて、
会社を急がして作らせたりとか、いろんなことがありましたよね。
役割としてはこちら側のパリでの…
最終的には社長になったんですけど、
ただすぐに社長になる頃はペーパーの関係でならなかったので、
06:02
社長は別の人にお願いしていて、
彼はディレクター・ジェントラルみたいな、そういう立場に入って、
ですから経営を目に見るということが目的でしたね。
結局、日本で働いてないじゃないですか。
働いてないです。
ある意味フランス式の仕事を最初から学ぶということですね。
初めから学んじゃったということですね。
比較はできないにしても、
やっぱり日本人的感覚から言うと、
面白いなとか、フランス式のビジネスって
こういうところに特徴があるなっていうのがありました。
私は逆にこちらで仕事をしていて、
何も思わずにやっていて、
日本に帰って、それもだいぶ後になった感じですよ。
幼児さんを辞めたところになってから気がついたことは、
日本との物事をすべて湾曲に話して、
ダイレクトに言わないというのが非常にびっくりしましたね。
コミュニケーションスタイルというか。
こちらの人というのは、
結局それもさっき言ったことと同じで、
言葉の問題なんですけど、
フランス語も英語もそうですけど、
イエスかノーしかないという。
だからアグリできないなら、
初めからアグリできないと言っちゃうじゃないですか。
そこのところはこうなんですけど、でもねみたいな、
そういうことがフランス語でも英語でもできないから、
相手からもし何かある状況が言われたときに、
初めから言っちゃう。
お互いがやってよ、ダメですと、
そこから根拠が始まってくる。
日本というのは根拠がなくて、
結局どっちだか、
2時間喋っても結果何だったんだろうみたいな。
なるほど、なるほど。
そういうのは結構あるので、
それを戸惑いましたね。
それは実は、どこでそれを感じたかというと、
今後で1997年、98年そのくらいですけど、
ジョゼフ・ジャパンを作ったんです、日本の。
そのときに感じました。
そっか。
そのときに言うと、
日本の会社と話をしていると、
何かしらないけど進まない。
異婚を残さないようにしようとしちゃうから
いけないのかもしれないんですよね、日本の場合。
傷つけないとか。
こっちというのは、それはそれ。
でも、あいちゃん飯食いに行こうぜって言ったら、
全然話は、今度バカンスどこ行くのみたいな。
そうですか。
そういう全然違う話に変わるけど、こっちの人は。
日本は変わらないんじゃないのかなっていう。
変われないのかなっていう。
私の頭は切り替わっちゃうんですよ、ポンポンと。
それはね。
難しいですよね。
陽次さんのときは逆に日本の会社を
ヨーロッパでどう展開していくかとか、
そういう感じだったんですけど、
ジョゼフのときは逆ですよね。
逆です、逆です。
両方やってるってことですか。
それは面白かったですけどね。
また視点が違いそうですよね。
ジョゼフをやったときは、もちろん陽次さん辞めてだいぶ経ってからですけど、
09:02
やっぱり面白かったのは、
日本のシステムがあまりにも偏ってるっていうか、
対等じゃない、要するに売る側と買う側。
例えば、私が売る側で、
私が売る側で秋さんが買う人だったら、
プティックの人だと秋さんは断然偉いわけですよ。
なぜなら、私はお金出す人だから。
借りて側だから。
借りて側だから。
例えば、こういう条件でなかったら買わないとか、
結構言ってくる。
それが対等の立場でのネオじゃなくて、
そうなるんだったらとりあえずやめるわよと言われても、
そういう傾向があるんですよ、日本って。
お客様は神様を受けみたいな。
こっちの場合っていうのは、
もちろん例えばこうだから、
少し引いてよとか何かありますけども、
それに対してねぼることができる。
そこまでは引けないけど、こういうことだったら、
じゃああなたが支払いをこうしてくれるならば、
こういうふうだけ引いてあげてもいいとか、
要するにどっちかと対等に話ができるっていうのが
こっち側が慣れてたんで、
ちょっと困ったことを覚えてますね。
結局、ジョーゼフというブランドを
売る側にいただくんですから、
当然、相手側は買ってやる的なタイトルに
出てきてるっていうのがあって、
それを結構モロに壊しに入ったことが多い。
壊しに入ったんですか。
だからうちのジョーゼフのスタッフたちは
いじめられたみたいですよ、オタクの社長は。
私がいないときにね。
なるほどね。
じゃあそうやっていくと壊しにかかるんだ。
どうやってそれを打開してたんですか。
そういうのも無視ですよね。
無視。
あり得ないでしょみたいな。
要するに湾曲に物をこう、
結局だから分からないまま進めていくんじゃなくて、
今決めちゃいましょうっていう態度でポンポンポンポン。
そのやり方を。
でも相手の方嫌がりましたよね。
ちょっと日本的にはびっくりしちゃうかもしれないですね。
特に百貨店番組の方はそういうの苦手だったんですね。
百貨店の方って今はだいぶ百貨店も調子悪いから
少しは頭低いんでしょうけど、
あの頃ってまだ百貨店がすごい力を持ってる時代ですから
結構うちはないないなんだよみたいなのがあるわけですよ。
うちのやり方はこうだからみたいな。
そうそうそう。
そういうことに対して結構堂々と言いたいこと言ってましたけどね。
かなりぶつかりましたね。
ぶつかりました。
でも面白いもんで、その上の方にいる人、
担当さんが上の方にいる人間が結構私みたいに面白がってくれましたよね。
なるほどね。
皆さん面白いよね。
担当してもらっても大変だったんですよね。
担当してもらっても大変なんですよ。
なんとかして。
自分たちのいい条件でやりたくても、私がそういう小屋にブジュッと入れるから。
うちのスタッフたちもずいぶん。
ただジョゼフのスタッフで、この間も日本に帰っているときそうだったんですけど、
やっぱり販売のスタッフたちが今でも食事会やってくれるんですよ。
そうなんですか。
12:02
ジョゼフが橿山さんに買われて13年、2005年に買われましたから。
でも今でもまだ販売のスタッフたちと何人かとちゃんと。
この間は大阪神戸地区のグループとみんなで。
みんなですよ、あの頃みんな若くてピシピシだったのが、
みんな今もううち子供3人分生まれましたとかね。
そういうのもいますけど、今でもやっぱりこうワーってて。
で、僕は社長と呼ばれるのがすごい嫌いだったんですよ。
日本って呼び方そういうの多いじゃないですか。社長とか専務とか部長とか。
で、うちの会社でジョゼフの日本社でよく社長と呼ばれると返事しなかったんですよ。
誰みたいな感じで。
で、人に横に来て耳元で社長とかって呼ばれると、
俺社長って名前じゃなくて斎藤って名前なんだよ。
スタッフたちに、悪い癖なんでしょうけど、ついつい名前で呼んじゃう癖があるんですね。
こっちがみんなそうじゃないですか。
下の名前ってことですね。
下の名前、要するに苗字じゃなくて名前を呼ぶ。
だからついついスタッフたちの名前で呼びたくなるんだけど、
彼女たちに名前で呼んでいい?って僕慣れてるって言ったら、
もう全然構いません。
でも社長って呼ばれるのが嫌だから。
で、斎藤って呼んでいいかなって言ったら、
呼び捨て?
呼び捨て。
僕もだって女の子たちがよしこうとかけいこうとか呼んでるわけじゃないですか。
だからさんづけじゃなくて、みんなおさむって呼ぶよって言ったら、
みんなそれはいかんでもできないじゃん。
日本的に。
それで僕の中学の時のあだ名があったんですよ。
で、それがおさむから来てるんですよ。
サミってのがあった。あだ名が熱いの。
それがたまたまあるとき、みんなで集まってるときに、
結構表には焚き火がなんか焚いて、
みんなで10人くらいいたのかなって。
一人が大さみって言ったんですよ。
それがきっかけで。
そしたら一人の女の子が、
斎藤くんの名前みたいって飲んでよって言ったら、
だって今大さみって言ったじゃない。
そっから斎藤くんはサミにしようって言ってサミになっちゃった。
で、みんなにそれを言って、
じゃあ俺のことサミって呼べよって言ったら、
今の僕はサミサミって呼ばれてますよ。
だから東京のスタッフも、
それから名古屋とかみんなスタッフに、
今でも時々フェイスブックなんかでも、
サミお元気ですかって。
だからなんていうのかな、
さんをつけないっていうのをやめさせたんですよ。
サミさんってのはおかしいと。
サミさんはちょっとね。
だから名前は必ず呼びつけ。
苗字は必ずさんをつける。
こっちがそうじゃないですか。
例えば名前を言うときには必ずムスジとかマダムスですけど、
名前にちいちさんつけないじゃないですか。
だからそんな風にして変えていった。
今でもいつの間にかサミ会っていうのができてて、
それが今でも、この間も集まりあって、
この間東京の地区と関西地区やってきましたけど、
15:00
また秋にも集まろうとお話してます。
定例会になってるわけですね、戻るたびに。
嬉しいですよ。
そうですよね。
なんで日本で働いてないからなのかもしれないけど、
肩書きで呼ばれることに対する抵抗みたいな、
やっぱりプランス式でずっとやってたからなんですね。
そうですね。
こちらってあんまりまずタイトルでのこと、
だからムスジプレジダンって呼ぶときっていうのは、
どっか正式な場所に行ったときだけじゃないですか。
オフィシャルだね。
オフィシャルなとこでは、
この会社のスタッフなんかもちゃんとムスジプレジダンって呼んでくれたけど、
ムスジプレジダンは斎藤とかって言ってたけど、
そうじゃないときはもうみんな、
それこそ収まってる人もいっぱい多かったし、
それでいいと思ってましたし。
まだこちらに来たときに、
どこの会社だったか忘れましたけど、
会社に通訳で行ったときに、
スタッフが社長をみんなフィリップとか、
要するにアランとかっていう人で呼んでるのを見て、
そういうもんなんだなと。
こっちに向かっているときにはちゃんと社長って言うんでしょ。
本人として喋るときには、
アンデサー、アンデサーってそういうふうにチュチュワイイ。
要するに親しい間で喋るような。
そういうもんなんだってのがあったんで、
その辺は結構好きでしたね、そういう感覚が。
その感覚が好きで、それを女性に持ち込んだと。
ただ、チュチュワイイってものがいないし、
やっぱり日本語っていうのは多少敬語があるので、
そういう意味では、
じゃあ俺の名前はサミーレ呼べよって。
俺の名前はサミーレ。
いまだにサミーレですけどね。
面白い。
結局ヨウジさんとかどれくらいいらっしゃったんですか?
ヨウジさんとか14年ですね。
14年いて、やめて、
ヨウジさんはどんなきっかけですか?
ジョゼフはヨウジ・アマモトのファーストクライアントなんですよ。
1981年、正確には81年ですから。
81年の4月に初めてショーをやって、
その時に展示会をやったんです。
ですから81年の秋冬ですね。
その時のファーストクライアントだったんです。
それがジョゼフ。
ちっぽけなメガネかけた小さいおじさんが来て、
すげえアクセントの強い英語でしゃべってきて、
あっちもしょうがないからすごい強いアクセントでしゃべってきて、
相手のフランス語がペラペラだった人を笑いして。
そんなのがきっかけでずっと付き合いしていて、
うちの上客で、ヨウジ・アマモトの上客で、
ヨウジ・アマモト、ロンドンっていったらもうジョゼフっていうくらい。
ジョゼフへ行ってっておじさんでやってくださって、
まだ彼も40代くらいで若い頃で。
それがきっかけでずっと付き合いしていて、
結局辞めたって言ったら、じゃあうち来ないか?
そんなことから始めて。
その時からもジョゼフとしては日本進出とかそういうのを考えていたんですか?
いや考えてなかったんですよ、全然。
ただ日本からすごいラブコールがいっぱいあると。
日本の国で彼ら失敗してるんですよ一応。
80年代に。
18:01
80年代に失敗をしていて、
もう日本の習慣はわからん。
日本人の考えってことはわからん。
だからニューヨークも行きたくないと。
それがジョゼフ本人。
ジョゼフってどっちかというとデザイナー的にアーティストなんですね。
弟にフランクランというのがいるんですけど、
フランクランというのが社長をやってたんですけど、
彼がおじさんもいるんだからおじさんも使わない手はねえだろうみたいな、
そんな話から、じゃあ俺やるわって話になったんですよ。
こういう風に繋がっていくんです。
そうなんですよ。だから面白いもんです。
2人が目を合わせて、え?ってギョッとして、
ロンドンに行って、俺にジャーチャパンやらせろって話をした。
そしたら、え?って話になった。
やるならちゃんとやるわよ。
ちっぽけなクライアントに、
こっちで300万、こっちで500万なんて売るんじゃなくて、
お二人で稼ごうよって話をしたら、
お前ちゃんとストラテジュアルあるかって、
俺なりにやるけど、今は言わないとか言ってたね。
認めたら教えてやるとか。
結局、じゃあやっていいって。
とりあえずだけど、運営費が必要じゃないですか。
だから運営費で、
あの時で3000万円を出せと。
あとはその支払いを、商品の支払いを
送らせることによってカバーするから。
そんなその間に間に合わなかったから、
間に合わなかった、間に合わせましたね。
その時にはやっぱり日本に行って、
長野市札幌から南は福岡村かな。
あの頃百貨店がまだすごい力ある頃ですから、
長野市の百貨店を全部会いに行って、
それこそ、ジョゼフのジャパン、
ジョゼフパンツって結構有名だったんですよ、
その頃すでに。
ですからそのパンツをサンプル持って行きながら、
どうですかって責任者に見せて。
そこで一番初めて挙げてくれたのが
実は西武百貨店です。
西武百貨店、ちょっとあの方忘れてたね。
口をお名前忘れちゃったな。
その方がジョゼフを知っていらして、
最初はやろうよって。
じゃあ池袋に、池袋が西武本拠地ですから、
5粒あげるからやるって、
それ5粒でスタートしたんです。
そこからスタートしたんです。
そこからスタートしたんです。
それが結局どんどん広がった。
あの頃西武っていうのは有楽町にもあったし、
渋谷にもあって、
それからどこへ出ていったのかな、
忘れてしまいましたけどね、
三越とか伊勢丹が一番最後だったんですよ。
伊勢丹とちょっと因縁の関係があって。
あ、そうなんですね。
伊勢丹の悪いわけじゃないし、
ジョゼフの悪いわけじゃないんだけど、
両方がうまく絡み合ったり、
そういうことがあって。
そういう関係があったんですね。
武道さんってもう亡くなりましたけど、
社長がまだ何か課長か何か、
真下っ端の時にジョゼフを担当してて、
すごく嫌な思いをしたっていうのがあって、
その方がたまたま社長だったんで、
なかなか入れてもらえなかったけど。
なるほど。
21:00
そういういろいろ因縁があったりするわけですね。
最後の方はね、
入れてくれました。
彼も亡くなっちゃいましたけど、
伊勢丹に藤巻君というすごい独特な男がいたんですよ。
その藤巻君が、
入れたいんだけど、
なかなかな、社長はなって。
彼の力の及ぶ範囲でジョゼフをやってくれたんですよ、初め。
いろんなことがありましたけど。
その時は一応でもフランスにベースを置きながら
しょっちゅう結婚したんですか?
そうです。
フランスではマルセレモノジオとかジョゼルビとか、
それからACCも、
他のブランドも扱ってましたし、
いろんなものがありましたから。
あとカサブっていう展示会もやってたことがありますから。
なるほど。
結構同時進行で。
いろんなものが同時進行です。
どんどん広がってったんですね。
だからよく冗談で言うんですが、
あの頃って名刺が確か7、8枚あって、
どれがいいですか?
どういたしますか?みたいな。
本当に。
だから世の中の人で、
中にはジョゼフの斎藤さんと思っている人もいれば、
ヨージャーモスさんの斎藤さんと、
イッセイ迷惑の斎藤さんと思っている人もいるような、
いろんな。
結構じゃあ重なってたんですよ。
イッセイさんは重なってませんけど、
マルセレモノジオ、ジョゼルビ、カサブ、
それからジョゼフは重なってました。
モロカさん。
じゃあ本当に名刺が何倍も。
だから日本2週間、フランス2週間みたいな生活ですよ。
ああ、結構じゃあハード。
ハードでしたね。
一旦来たりされてたわけですね。
やっぱり、あの時はまだ50代で若かったから、
ですので来たんですよ。
もう今はもう。
なるほどね。
2週間に1回ずつ飛行機に乗る元気ないですよね。
ちょっとハードですよね。
実際もう一回終わったと思ったら。
そう、もう次の出張が待ってるみたいな。
あの頃は着いて、
だいたいあの頃の飛行機は、
ちょっとせっかくに覚えていませんけど、
やっぱり夕方着いた記憶もあるんですね。
着いて、あの頃ナリタなんで、
ナリタから東京に入って、
もう夕方っていうか、夜7時くらいからミーティングが始まった。
ああ、もうすぐ始まってたんですね。
始まってました。
だから食事会が入ってた。
本当にビジネスマンの鏡みたいな、
なんかちょっとハードな。
今から思えばやってましたね。
なるほどね。
じゃあそんな時代もあって、
その時って、本当にフランスの方でもブランドは使って、
かつ日本の方でもやっていて、
その時、仕事をしていく中ですごく意識されてた、
大事にしてることって何かありますか?
単純だと思うんですけど、
これはやっぱり人と人のつながりだと思ってます。
やっぱりこれ、私がよく、
若い人からよく言われるのは、
斎藤さんってなんか勝手にWikipediaなんか見てね、
勝手にこう想像してくる人がいるんですよ。
それで実際会ってみたらなんかすっごい、
全然抵抗なく話ができてって言われるけど、
やっぱり人間関係ってこっちから気を付けて、
自分が年をとっていくほど気を付けてあげないと、
やっぱり若い人ってそういうもので差をつけちゃうんで、話しにくい。
24:00
だからこっちから壁をどんどん破ってやらなきゃいけないんで、
人間関係はすごく大事にしてますね。
意識的にされてますね。
意識的にしてますね、やっぱり。
今でもやっぱり若い人たちとのつながりがすごく、
ファッションの日本なんかでも多いし、
フランスも結構適当に、若い人は多いですね、フランスも。
みんなまだ30代とか、なんかの連中と一緒にワイワイと。
さすが世の中までね、イヤイヤはできないですけどね、
昔はやってましたけど、今はそこまではお付き合いしないけど、
ショーなんかも行ったりとかしてますし。
人と人のつながりっていうのは、フランスとか日本と関係なく。
関係ないと思ってます。
対等であり、どんな場合でも対等でいようっていう。
だから、性差とか学歴差とか、それから年齢差とか、
そういう差をつけるのが間違いだと思っている。
それはたぶん、うちの父もそういう人だったんで、
そういうことをよく言われたんで。
やっぱりそういうのも来てますね。
うちの当然子どもたちもそういうことをよく言ってますしね。
どんなに偉いとか偉くないとか関係ない。
それがさっきの社長の肩書きの話にもつながってくるのかもしれないですよね。
だから、今でも時々言われるんです。
日本なんかに帰っていると、
いや、斉藤さんと桐子にこの間、お酒の勢いでお話ししちゃってたけど、
その後、ウィキペディア見たらどうのこうのって。
見なくていいから、そういうものは。
実はすごい人だったみたいな。
すごい人だったって言われても、
でも目の前にいるおっさんがそうなんだから、
気にしなくていいんだよって言って。
だからすごい人だったみたいなことを言われる方も帰って、
抵抗がありますよね。
何がすごいのか自分で分かったら、
他の人から見たら、やっぱり、
こっちで経緯してきたとかなんだってのは大変なことだっていうのは、
まあそれは確かに大変だったんだろうと思うんですけど、
今から思っても、もう終わっちゃったことですよね。
なるほどね。
まあよくやってきたなと思うし、
いろんな嫌なこともいっぱいあったことはあるし、
ただ幸いとこの国で、
一般社会、一般の中では、
やっぱり人種差別みたいなのを受けたことはあるけど、
仕事の上ではなかったですね。
いわゆるファッションとか業界の中では。
日本人だからっていうことは。
幼児は初めはありましたけど、
幼児は元があんまり特殊なものを持ってきたので。
確かにちょっと日本人とか関係なく、
ショックでしたね。
一番ショッキングな感じでしたね。
だからそれはあったけど、
でもそうですよね。
あんまり日本人だからっていうことを
特別に言われることはなかったですね。
なるほどね。
じゃあフランスでビジネスしていく上で、
何か言葉とかそういう問題はネイティブじゃないとか、
そういうのはあるかもしれないけど、
なんかネックになったことも?
あんまりないですね。
なるほどね。
それは私自身はあんまり感じなかったです。
私が鈍いかもしれません。
鈍いですから結構。
27:00
今の例えばずっと40年ご覧になっていて、
今日本から結構ファッションだけじゃなくて、
職とか伝統工芸も含めて、
世界に向けて進出したがっている人とか
多いと思うんですけど、
そういう人たちに向けて、
先駆者としてね、
こっちでやってきた人として何かアドバイスというか、
やっぱりこちらに出てくることで、
当たり前といえば当たり前なんだけど、
言葉だけはちゃんと勉強してほしいと思いますよね。
言葉というのは勉強するというのをちょっとオーバーで言わせると、
フランス人はフランス語を喋るのは当たり前、
日本人が日本語を喋るのは当たり前なのに、
それが最低限のコミュニケーションツールですから、
我々こうやって日本語で喋ってピッピッと分かると同じように、
やっぱりフランス語でも分かんなきゃいけないし、
外国に出てくるときって、
あとやっぱり怖がらないことでしょうね。
悪いこと、
5秒の法則というのがあるの、ご存知ですか。
何かを決めたら、
5秒でもう一枚というのがあるんですよ。
そういう法則があるというのがあって、
それほど面白いなと思ったんです。
それはどういうことかというと、
それは例えば外国に行くというのは5秒で決められませんけど、
例えば、何々しようかなと思っても、
5秒以上経つと、
人間の脳というのはそれに対する言い訳を考えつくんですって。
5秒でも言い訳が出てきちゃうんですね。
例えば、買い物に行かなきゃいけないとか、
行こうと思って、時間を分けると、
いや、今日買い物に行かなくても、
あれとあれをなんとかやれば、
今日の晩御飯はなんとかなるだろうみたいな、
言い訳を頭が考えちゃうんですよ。
自分の頭がそれを。
買い物に行こうと思っている自分の頭と、
それをやめてしまおうという自分があるという、
5秒の法則というのがあるよね。
やっぱり、決めたらというのが大事なのかもしれないですね。
すぐ。
ただもちろん海外に行くとなると、
5秒で決めちゃいけないと思いますけど、
やっぱり大事なのは怖がらないことだと思いますよ。
ただ、この国はご存知のようにそれなりに危ないところも、
特に女性にとっては危ない国。
ないと言えない国なんで、
僕も何度かそういう日本人女性で被害に遭った子なんかに
相談を受けたこともあるので、
やっぱりホケホケと来ちゃいけないし、
やっぱりそれなりのタイプみたいな、
毅然とした歩き方とかあると思うんですね。
やっぱりプラプラ歩いていれば、
そういうのを狙っている人っているのは事実ですし、
もう一つこの国の場合ってのはやっぱり日本と違って、
やっぱり外国人が多いから、
外国人が外国人を狙うことも当然起こってくるし、
その辺を注意してもらわないといけないと思うんですけど。
やっぱり怖がらないで来ないと、
30:02
怖がらないっていうのは、
ちゃんといつも神経を使っていることが大事だと思うんですよ。
やっぱり日本にいるよりは神経を使わないと、
この頃分からないですけど、
こっちの方がそういうリスクが高いと思うんですね。
特に若い女の子なんかやっぱり気をつけるようにいつも言ってますけども。
だから無防備に日本人の若い人なんか見てると、
お財布だとか携帯を土壌で平気で出してるけど、
やっぱりあれは危ないなと。
日本的な感覚、日本で大丈夫だからっていう感覚でこっちに来ると。
良くないと。
やっぱりこっちに来て本当にやるならば、
昨日実は吉田君、
昨日たまたまメイヤルパティセールモンドってテレビご覧になりました?
見てないです。
あれを見ててたまたま、
森吉田さん。
そうそう。
彼が、吉田森秀。
彼なんかにおめでとう送って、
何回かメッセージを今日交わしてたんですけど、
彼なんか見るとああいう思うし、
それから今9時には4人がいっぱいフランスに来てて何人かいますけど、
やっぱりすごいところに行ってますよね。
あれはそれだけの、
だから日本人が多分めちゃめちゃにフランス語ができなくても、
技っていうのを持ってるっていうのはすごい強いと思うんです。
だから僕は自分が失敗したなと思ったら僕は技は持ってないんですよ。
手に技が。
技術的な。
技は持ってない。
でもやはり昨日のメイヤード・パティスエなんか見てて、
やっぱりピアレルとか有名な人がみんなすごいって、
何一つ句言を言わないっていうのは、
やっぱりそれだけの技術を持ってるし、
それがやっぱり素晴らしいものを持ってる。
それが日本人の特徴なんだと思うんですね。
だからそういうものを持ってくる方がいいかもしれませんね。
あとはそれをどう伝えていくかっていうのはまた別の話ですよね。
日本人だったらこっちにもそういうことをできる日本人の人もいるし、
そういういい意味での日本人の輪ができれば。
日本人の輪でも負の輪と性の輪が2つあると思う。
性の輪が少ないと思うんですよ。
少ないですか。
という気がなんとなくするんですよ。
負の輪っていうのは要するにお互いに舐め合っちゃってる。
舐め合ってるって変な言い方ですけど、
フランス難しいよね、何十年いてもフランス語ができないとか、
フランスに溶け込めないとか、
でもなんとなくフランスにズルズル移動したっていうのも結構いらっしゃるんですよ。
やっぱりお話を聞いていると。
その辺でやっぱり積極的に自分からフランスに入っていける人っていうのがやっぱりいるじゃないですか。
そうですね。
そういう医学者もそうだけど、やっぱりそうやって。
それはやっぱりフランスの中に入っていく。
結局フランスに入っていくことによって逆に日本から見えなくなって漏れ出ちゃうんですけど。
33:04
そうですね、確かに。
3月でしたっけ、マクロン大統領がデザーナー呼んでやりましたよね、エリゼ球で。
はい。
日本からはあんまり。
いらっしゃったんですか。
僕はあの時ギリギリに呼ばれたんで間に合わなかったんですよ。
来るとか言われても今頃言うなよって言われて。
はいはいはい。
教会の理事長から連絡来て。
マジだって言ったんですか。
だから日本なんか一回もないかなって言って。
首相官邸にデザイナー集めて。
世界中の有名デザイナーが日本に集まることないかなと思って考えてみればね。
やっぱりあるわけじゃないですか。
世界中の有名なデザイナー、世界中の有名なジャーナリストが集まること。
じゃあ今はどちらかというと一つのブランドに特化してマネジメントするというよりは。
もうそういうのはやれないですね。
やっぱり一つのブランドを特化してやるというのは大変なエネルギー使いますから。
自分が今までやってきてやっぱり本当にもう大変です。
今はじゃあどちらかというと教育的な感じですね。
そうですね。
職員教授とされていたりとか後はコンサルティックにされていたりとかそういう形で。
後はこれの時に別に変な話はお金も取りませんけどいろんなデザイナーのところ見に行って。
いらっしゃったりしてますね。
必ず行ってますね。
その時期は日本に?
必ず日本に訪れる時は必ず3月の中旬から10月の中旬からは必ず行って。
一応コレクションはもう前ほど見なくなっちゃいましたけどやっぱり属性展示会はよく行きますね。
今でもそういう繋がりがあるんですね。
やっぱりデザイナーの集まりのところにいろいろ行って。
この服はちょっとまだ行こうじゃないとかなめきなこと言ってますけど。
そういう感じでマイペースにお仕事を?
そうですそうです。
それはお仕事って半分は趣味の世界ですよね。
延長なんですね。
延長ですね。
なんとなく日本人のデザイナーを追っかけて。
面白いことにある年代のデザイナー生まれってあんまりよく知らないんですよ。
結局僕が現役でやっていた時代が一世さんまでの、一世さんの頃は2010年ぐらいですから
それまでに来ていた日本人ってあんまりよく知らないんですよ。
それまでに来ていた日本人とあんまりつながりが顔知ってる程度で
例えばアンダーカバーとか、それから堺の安倍さんとかっていうのはぼんやり分かってる程度で
そんな直接すごい話したこともないし。
それよりもっと若い後の連中になると逆につながりが。
面白いですよね。
だから今中堅どこで一番頑張ってる日本人とあんまり知り合いがいない。
その時は現役で自分が忙しかったから。
これからの東京オリンピックがご覧になってきて
日本のファッション業界はどんな感じになっていくと思う?
全体的に沈んでいくんじゃないですか。
結局ファッションというものに対する考え方が全く根本的に変わったと思うんですよ。
36:01
私が幼児始めた頃と比べて。
根本的に変わったのは何かというと
まずクリエイティビティとかそういうものに対して価値。
そういうものに対してお金を出すみたいな考え方が
やっぱり世界的になくなってきてると思う。
以前はやっぱり強かった部分がなくなってきてる?
なくなってきてる。
やっぱり服に対して
ユニクロが悪いとかそういうことではないんですけど
ファーストファッションとかそういう感じですか?
ファーストファッションとかがどんどん台頭してきたことによって
やっぱりそういう価値を
例えば1着10万円もするようなものとか
そんなものを出そうという気がないんだと思うんですよ。
例えばユニクロはまたちょっと別ですけど
Forever 21みたいな
ああいうブランドになると
その時に一番人気のある形をどんどん出してきて
一回来たらどんどん捨てちまう。
だからシーズンが終わったら捨てちゃうというぐらい。
どうやって例えばスカート1枚1000円ぐらいで出せるのかって話ですから
そんなのは10年も20年も持つわけないですから
根本的に考え方が違いますよね。
違いますから。
だからその辺はこれから考えていかなきゃいけないのは
どう値段とクオリティというものとの関係を重視していくかということで
これはすごい難しいことだと思います。
フランスもそうですよね。
フランスは少し良くなってきてますね。
良くなってきてると思います。
また違うんですか?日本とは。
ちょっと違います。
やっぱりフランスってまだ日本ほどファーストファッションないじゃないですか。
日本に比べたらほんと少ないですか。
もちろんユニクロはありますけど
ザラとか
ありますけどでも
日本ほどはまだ
もうちょいリスペクトされてるブランドがあると思うんですよ。
なるほどね。
それはやっぱりディオールでありシャネルでありタイヤが牽引してると思うんですけど
日本の場合でやっぱりディオールとかシャンデルタイヤは外国のブランドですから
やっぱり幼児・一世・三宅・化学・亡霊が引っ張っていってるとの限界があると思うんですね。
ところがフランスの場合ってやっぱりランバンもそうだし
やはりイブサン・ローランもいるしいろんなのがいるわけじゃないですか。
そういうこの国
またすぐお隣にイタリアあたり
イタリア・イギリスあたり
そういうヨーロッパのデザイナーがやっぱり牽引してる部分が一緒に強いですから
これは多分大きな違いだと思います。
そこを見守っていくわけですね。
だからなんとかして検問していきたいです。
力のあるデザイナーはいっぱいいますからね、日本にもね。
いいデザイナーがいっぱいいるんで。
最後に興味本位で伺ってもいいですか。
どうぞどうぞ。
フランスで日本もフランスも関係ないと思うんですけど
一人の人とパートナーシップを持たせていけるのって
今だんだん少なくなってるじゃないですか。
離婚っていうのも普通になってきてるし
39:01
再婚も普通になってきてるし
フランスでこの40年
41年目ですか。1年半。長いね。
ずっと同じパートナーと仲良く暮らせるコツを聞きたいんですけど
仲良く暮らせる。時々喧嘩もしますけどね。
もちろんもちろん。それは前提なんですけど
日本語をきちんと構築していくというか
長く続けていく秘訣は何だと思いますか。
やはりまずは僕の場合は国際結婚ですから
当然さっきちょろっとお話した言語の根本の考え方が違うわけですよね。
構築の考え方が。
どっかで私の場合は日本語
例えばフランス語を彼女と喋ってる時も
当然どっかで日本語っていうのが動いてるわけですよね。
意識の中に出てこないだけで。
それと同じようにですから考え方の根本はやはり日本語が出てきてる。
相手はやっぱりフランス語が出てきてるってとこで
それでやっぱり幼少期の過ごし方が全く違うっていうこともあるんで
当然それ違くて当然。
それは同じ国同士の文言詞も違うんだけど
でも共通部分がもっと多いと思うんですよ。
ところが例えば今たまたま新しく描かれてデカシンが出てきましたけど
デカシン日本で知ってる人なんていないじゃないですか。
でもうちのお金なんかデカシンを読んでるわけですよ小さい時に。
そういう例えば根本的に考え方のデカシンの面白さっていうのは
やっぱり我々日本人が急にデカシン分かろうとしても分からないし
例えばアステリックスの面白さとか
そういうのは私の時代だと月光仮面だったりなるわけですよ。
スマートフォンになるわけですよ。
もっとしたら秋さんもご存知じゃないかもしれないけど。
月光仮面の名前は知ってます。
それぞれに影響されてるティーチャー的なものって根本的に違うから
やっぱり受け入れていくっていうことを意識して
あること言われたらパーッと反発して
それは違うだろうとかっていう風に言うのは
そういうこともありましたけどやっぱり喧嘩の原因としてはね。
でもやっぱり最近年とともにどんどん受け入れていって
考えてみたらやっぱりそれ違うんじゃないっていうのがあれば
さっきの話だけどっていう時もありますし。
やっぱりでも受け入れていくっていうことができないと
やっぱり自分の考え方だけで反射しちゃうと
相手にもやっぱりそれにどうしても反応してきますから
それは人間としてそうだと思うんですね。
反射的に例えばAって言われたらこっちからBって言って
やっぱりCって言いたくなるみたいな
またD、E、Fと繋がっていっちゃうっていうのがある。
切り言葉に変え言葉じゃないですけど。
それをやっぱり防いでいくには
やっぱりこうなんていうのかな
受け入れていく力って非常に重要かなと。
あらゆるところで夫婦関係だけじゃなくて
あらゆるところで受け入れていくって大事なことだと思いますね。
これも多分言語が日本語同士でも同じですね。
同じです。同じです。
言い方が悪い時とかってのもあると思うんで
そういう時はことがあって気をつけないといけないのもありますよね。
日々反省です。本当に。
だから私今でも覚えてるんですけど
42:01
フランスオレナイブってのと日本でナイブって全然意味違うじゃないですか。
違いますね。
非常に悪い意味じゃないですか。
でも日本でナイブってなんかこう
感受性が
ちょっとかわいいみたいなのがあるけど
こっちだとナイブってほとんど無知に近いくらいの感覚だし
そういう意味合いの違いってのも
やっぱり初めは誤解したことがありますからね。僕自身が。
あれって思って
なんかこいつが反応したら
なんかうちの奥さんが変な顔して
なんかあんたわかってないみたいなマレみたいな顔をされて
ちょっと待てナイブってどういう意味っていうか
あえて聞いたことありますよ。
自分ではこういうふうに理解してると
全然違うって言われて
そこで発見するみたいな。
やっぱりそういうのってのは
こっち側の感覚でのナイブって言葉で相手に反応したら
多分相手も向かってくるでしょうからね。
来ますよね。こっちのナイブの意味から想像したら。
だからそういうところでやっぱり気をつけなきゃいけないことだろうなと思いますね。
なるほど。
受け入れていく力というか。
受け入れて理解して受け入れていくっていうところですかね。
はい。
いやー今日長々とありがとうございました。
どういたしまして。
はい。
さむさんの2回目のインタビューでした。
結構いろいろ盛りだくさんの話があったと思うんですけど
さむさんの方で感じたこととかありますかねポイント。
そうですね私ね。
いろいろこうジョセフというブランドに関しては
私が前にいた会社のオフィスが
南青山のジョセフの真上にあったんですけど
あーそうなんですね。
その頃は多分このおさむさんがやってた時ではなく
その後の岡山さんがされてた時のジョセフの真上にオフィスがあったので
このジョセフは大好きでいつも行ってた。
お昼休みに仕事の合間にちょっと下の会に行って見に行ったりとか。
今でもそこのスタッフの方とは親しくさせていただいてますけど
それがねまず1点すごいなと思ったのと
あとは最後に秋さんがインタビューされてた
パートナーシップどうやってこの何十年もうまくいくのかという
そこはねとても私も興味があって
やっぱりそう簡単にいかないじゃないですか。
周りを見てもね
ほとんど何ていうのかな
私大使館の方に聞いたんですけど
フランスの大使館の方ではないんですけど
かなりの確率で分かれていると
その国際結婚の場合ってことですか
本当にかなりの確率で
なので名刺とか変えない方がいいって言われたことがあるんです
あーなるほどね
私変えたんですけど日本でも
45:02
変えない方がいいっていうアドバイスを受けたことがあって
ギャーどうしようみたいなことがあったんですけど
おさむさんのようにうまくいってらっしゃるご家庭もあるから
これはどうしてなのかなってちょっといろいろ自己分析もしました
どうですかその自己分析的には
それはねおそらく彼がずっとフランスからスタートしたから
日本ですでにビジネスとかをねスタートされてたら
日本のやり方っていうのがすごく身についてて
フランスで初めて何かをした時に
日本ではこうなのにみたいな
あると思うんですよそれは何に関しても
だけどそれがないまま何の先入観もないまま
フランスで学生をし企業をし
まずは陽子山本さんのところですね
そこで働かれて企業をされたり
っていうことで
日本のビジネスのやり方の先入観がないから
うまくビジネスだけではなくね
パートナーシップにも多分
その部分でうまくフランス人の奥様と
やってこれたのかなっていう感じがすごくしますね
変な先入観があると絶対
日本ではこうなのにとか
あったと思いますよね
揉める要素が増えますもんね考えたらね
それがなかったからきっと
なんとなく自分は日本人奥さんはフランス人
うまくやっていきましょうみたいな
ただフランスに住んでるだけみたいな感じで
なんとなくそんな感じの印象を受けました
コミュニケーションスタイルが全然違うっていうのは
特にフランスに限ったことではなくて
多分どこの国でも伝統的なやり方があるのと
日本のスタイルが特に違うっていうのは
よくある話ですよね
だからそういう意味では
コミュニケーションスタイルが
フランスだからどうのこうのってわけではないけども
やっぱり難しいっていうか
日本のやり方が当たり前だと思っている人にとっては難しい
インタクでも受け入れるっていうことをすごくおっしゃってたんで
きっとオサムさんはそういう受け入れが
上手な方だったんじゃないかなと思います
彼は確かにご自身でも話していらっしゃるし
昔の女性スタッフとか若い子たちとも
ずっとつながってるっておっしゃってましたけど
本当に年齢とかそういうのを全然気にしない方なんですね
48:00
私も見てて
社長って呼ばれたくないとかね
そういう感じで肩書とかじゃなくて
一対一の関係をすごく大事にされている方だなっていうのを感じたかなって思いますね
あと私が思ったのは
ちょっと私は初めて聞いた5秒の法則っていう
私も
で決めたら5秒で動く?
3秒ルールってよく物を落として3秒間の間だったら大丈夫みたいな
地面に落ちても3秒以内に拾えば大丈夫とかね
そういうのはあったけど
5秒っていうのはちょっと私も初めて聞いて
やっぱり5秒ぐらいのスピード感でやらないと
言い訳が出てきてしまうっていうことに関しては
いろいろ経験をね
ビジネスで積まれた方ならではというか
言い訳確かに出るだろうなって思うので
私自身もちょっとすごく我が身を振り返り反省
私もそうですよ
感じがしたので
ちょっとね
いろんなやっぱりフランスでずっとビジネスをされてきた方の
実体験でもあるので
参考にされるところは結構いっぱいあったのではないかなと思います
また来月も素敵な方をお呼びしていますので
ぜひ楽しみにしていてください
ありがとうございました
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また次回もパリで学んだブレない自分の作り方をお楽しみに
秋でした
50:15

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