00:02
どうも、アドバタラヂオ、はじまりでーす。
須田けんでございます。
富永誠です。
よろしくお願いします。
この番組は、広告大好きな二人が広告に関わる出来事や出会いを通して、
聞いている皆さんに広告に興味を持ってもらい、広告を好きになってもらいたい、
そんな広告人学をお届けするラジオです。
よろしくお願いします。
いや、久しぶり。また久しぶり。
そうですね。
割と、ポンポンとは取り取っていつつも。
うん。また久しぶりな感じでやってまいりました。
アドバタラヂオ。
いやー、今回はちょっとついにやります。
何やるのかな?
ついに逆たぶりに、以前トレンドトークと呼んでいた。
はいはいはい。ありましたね。
なんていうんですかね、こう、一回目が母の日?
はいはい。
母の日が、エイプリルフール。
はいはいはい。
母の日。
はいはい。
そして、ハイボールの期限みたいな話を。
あー、そうですね。うん。
ちょっと、コンセプトとしては、
普段皆さんが当然であろうと、あまり意識していないことに着目して、
そういう期限だったりとか、身近にあるものってどうやって生まれたの?みたいな話を、
広告の視点で切り込むと。
なるほど。
そういう、なんかすごく品の高そうなことをやってますけども。
なるほど。
で、その品の高そうなやつを一年間君は寝かしたね。
そうなんですよ。あのー、ツイッター上でアンケート取って、どれがいいですか?みたいな。
これも大元は、砂犬さんが今回のね、会社の話してほしいって、
僕に言ってくれて、
そうだそうだそうだそうだ。
あー面白そうですね、みたいな話から、
せっかくだからツイッターでアンケート取ろうかなと思って、
取って、まあ現に、砂犬さんが一番聞きたいであろうタイトル。
そうだね。
で、一番票が集まったんですよ。
うん。
そこから1年。
まあ。
寝返しました。
そう、だけどとはいえですよ。
まあ多分、まあいろんな深いところがありますから、
なかなか調べきれなかったり、でもお届けするのであれば最善を期して。
いやそうなんですよね。
でしょ。
そうなんですよ。
そう、ということもありつつですね、こうなりましたけども、
これはもう徹底的にもうやってもらいましたね。
いやー今日、えー今回ですね、
えー。
第2話構成というか、
はい。
1回構成でちょっとお伝えしたいなと思っております。
なるほど。
はい。
えー、ちなみに、
え。
最近暑くなりましたね。
暑い。
夏よ。
夏ですね。
夏なのよもう。
というところで、
出た。
ははははは。
今回は、
え。
えー、皆さんご存知、
かとり専攻で有名な、
はい。
大日本助中技工株式会社、
はい。
について、
はい。
ちょっとお話しさせてもらいたいなと思っております。
なるほど。
03:00
今、皆さん、
なに大日本助中技工っていう会社?
そうですね。
全然パッと聞いてもわからないですよね。
そう、だから最初やっぱり、
ね、商品がね、
やっぱ、
まあちょっとこれから出てくる名前でしょって言うけど、
あまりにもこう、
そっちが有名すぎて、
最初その広告の氏名、
大日本助中技工っていうのは、
え、なんぞ、
全く結びつかないというか、
ブランド名と会社名が全く結びつかない。
すごいですよね。
うん。
結構稀有な会社ですよ。
うん。
皆さんね、
ぐるぐる、
まあ、
はい。
かとり専攻で有名な会社なんですけど、
はい。
皆さんが聞いたことの緊張力とか、
はい。
タンスにゴンとか、
はい。
そこら辺の商品は聞いたことあると思うんですけど、
これが、
もう作られてる会社が、
大日本助中技工っていう会社、
大阪にある会社ですね。
はい。
で、
そうなんですよ、
もう終わりになってるように。
はい。
かつ、
ちょっと今日、
匂いってません?
何だって?
実はですね、
えぇ。
我が家収録してるんですけれども、
えぇえぇ。
今日かとり専攻焚いてましたよ。
あははは。
なんなら自分で買って、
えぇえぇ。
自分で火つけて、
えぇえぇ。
やってるの、
でも人生初。
あ、
今回のこのために、
そう。
商品を購入し、
そして、
実際にやっている。
やってみないとって。
なるほど。
ちょっと多分香るんですけど。
うん。
そうだね。
うん。
で、僕もすごい、
あの、
逆た、
ほんと初めてか。
あははは。
買ったの初めてらしい。
うん。
なんかこの香り嗅ぐのもほんとに、
うん。
何年ぶりだろうぐらいの。
確かに。
僕も久しぶりですよ。
こう、
お、
お線香とか。
うん。
こういう系統の匂いではあるんですけど。
そうですね。
うんうん。
これ今あの、
すなげさんの前には、
はい。
パッケージが、
はい。
あるんですけど、
あの皆さんね、
見れないんであれですけど、
えぇ。
有名なのその、
鶏のマークがついてる。
そうですね。
はい。
鶏のマークがついてて、
はい。
えぇ、
緊張の渦巻きと書いてある。
はい。
これがほんとにめちゃくちゃ有名な、
そしてロングセラーの商品。
そうですね。
で、
ここのとこに実は書いてあるんですけどね、
えぇ、
聞く緊張口とかに。
そうです。
よく聞くって言っちゃうんだから。
いやぁ、
えぇ、
まあそのね、
色々その話も深くて、
えぇ、
えぇ。
まあ皆さんあの、
イメージで言うと緑色の渦巻いている。
そうですね。
ぐるぐる巻いてって、
そこに火付けて、
はい。
こう煙が、
はい。
巻くって言うとこで、
はい。
もうなんか、
自然にこういうも、
こういうのはあると思って皆さん生活してると思うんですけど、
意外と深くて歴史は。
ほう。
で、
何を隠そう、
うん。
この会社の、
そうですね。
面白いですよね。
ライゼンって、
ここからちょっとこの会話話してほしいっていうところを、
うん。
砂木先生がもらったので、
うんうん。
ちょっと今回調べてきたというところで、
お話しさせてもらいますと。
はい。
あ、
ちなみにですね、
今回非常に参考させていただいた書物がありましてですね、
えぇ。
それはあの緊張の夏は、
いかにして日本の夏になったのか、
06:01
えぇ、
こちらですね、
緊張宣伝部が編集され、
作られているものとなってます。
えぇ。
えぇとですね、
何年の会社だと思います?
まぁ、
でも、
でもなんか分からないけど、
古そう、
だけど、
多分、
1890、
なんかそういう感じじゃない?
あ、
惜しいですね。
えぇと、創設が、
うん。
1885年。
なので、
137年の歴史をある会社なんですね。
なるほど。
えぇ、
大日本助中儀区という会社は。
うんうんうん。
で、
創設者が、
うん。
創業者ですね、
上山英一郎さん。
うん。
1862年生まれの方なんですけども、
はい。
この人が、
そうですね、
関西の方なんですけど、
うん。
創業で。
うん。
そこから実は、
うん。
代々、
上山家なんですよ。
あ、
その、
会社が。
会社がもう代表の方が、
大体、
大体やってらっしゃると。
そうです。
で、
その創業者が上山英一郎さんなんですけれども、
はい。
この方ですね、
すごく、
あの、
なんていうんですかね、
創業者となっておりますと、
うん。
で、
和歌山県有田郡、
うん。
山田は、
山田わら村、
うん。
に、
ご出身ですと、
うん。
で、これ銅像も建ってるんですよ。
えー。
上山さんの、
うん。
上山英一郎さんなんですね。
うん。
で、
みかん農家に生まれた方なんですね。
うん。
この人自体が。
うん。
みかん農家で育ち、
うん。
慶應義塾で学ばれたと。
なるほど。
エリートだね。
エリートですね。
エリートだ。
で、
上山商店として、
うん。
設立。
うん。
まあ、これがあの、
後々の。
ジュジュイークの、
うん。
前身ですね。
はいはいはい。
を作られたと、
23歳の若さで。
うん。
でですね、
まあ、
みかん農家だったっていうのもあって、
うん。
まあ、
みかんを売る仕事?
うん。
みかんをこう、
商売として使ってた仕事をやってたんですけど、
うん。
あの、
この方やっぱ慶應義塾だってさっきお伝えしたんですけど、
うん。
福沢諭吉さんと交流があったんですよ。
で、
その交流を深めていくうちに、
うん。
欧米とかグローバル視点に、
うん。
なられたと。
うん。
彼としてはやっぱりもっとこう、
商売を広げたい。
うん。
まあね、
もう、
福沢さんといえば有名な、
お札の人だね。
お札の方なので、
うん。
こう、
グローバライゼレーションみたいなところで、
うん。
商、
あの、
ビジネスを広げていきたいなっていうところで、
うん。
あの、
みかんの苗木を海外の人に輸入するとかっていう仕事を始めてたんですよ。
うん。
そういうことをやってたんですけど、
うん。
ある時に、
うん。
福沢さんの知り合い、
うん。
まあアメリカの知人、
うん。
の、
うん。
植物輸入会社の社長、
うん。
この人ですね。
うん。
H.E.アモアさんっていう方、
うん。
を紹介されて、
うん。
彼に、
うん。
みかん苗を、
あの、
プレゼントしたんですよ。
なるほど。
まあ、
彼が欲しいって言ってたのかな、
うん。
そこはあれですけど、
09:00
うん。
これはね、
あの、
花です。
ほう。
菊なんで。
あ、
なるほどね。
種を、
うん。
もらって、
変わり、
あの、
みかんの苗と交換。
うん。
で、種をもらって、
うん。
アモアさんから、
うん。
なんかアメリカでは、
うん。
この植物を栽培して、
巨万の富を得た人がいるよって、
うん。
っていうことを、
うん。
そのプレゼントされた紙に書いてあったらしいんですけど、
なるほどね。
で、書いてあって、
なんかよりより調べてみると、
うん。
なんかユーオースラビアとか、
うん。
まあそのとき、
今で言うとセルビアのものなんですけど、
うんうんうん。
の原産の植物で、
うん。
まあ花に殺虫効果がある、
ほう。
っていうのは、
わりとこう、
西欧では知られてた、
はいはいはいはいはい。
まあね、
日本語で漢字で書くとジョチュギク、
うん。
ね、あの、
のぞく虫って書くんで、
はい。
そういう効果があるだろうな、
はあ。
っていうことがありますけど、
まあ、
そういう命名もされてないでしょうし、
うんうん。
っていうものをもらったと、
うん。
でですね、
上山英一郎さんは、
うん。
まあ野原でこう積んできたジョチュギクを、
あ、違う、
えっと、もらったジョチュギクを、
うん。
まあ部屋に飾ったところ、
うん。
枯れた花の周りでたくさんの虫が死んでたと、
ほう。
ことから、
まあ殺虫効果があるんだっていうところを、
よりこう、
研究するようになったらしいですよ。
うんうんうんうん。
でですね、
これ一番大きいのは、
うん。
ジョチュギクって、
うん。
すごく生命力が強くて、
うん。
すごい丈夫な花なんですよ。
うんうんうん。
なので、
枯れた荒れ地でも、
うん。
大きく育つんですね。
はあ。
そういうところを含めると、
うん。
やっぱ日本がまだそんなに、
裕福な国ではなかったことを、
うん。
まあ、
上山さんは思ったんでしょうね。
うん。
あの、
副業すれば貧しい農家も、
こういうことで救えるんじゃないかなって、
うんうんうん。
ジョチュギクを通して、
うん。
思われて、
うん。
まあ全国にジョチュギクの栽培は、
うん。
はい。
これすごいよと、
はい。
これで、
ビジネスできるよっていう形で、
うん。
全国に声をかけたんですね。
うん。
で、
その時に全国声かけた、
うん。
1個のきっかけが、
大阪、
朝日新聞、
うん。
が注目してくれて、
うん。
で、
それでバーって、
日本中に、
まあ、
ジョチュギクを育てて、
うん。
で、
上山さんが育ったら買い取りますよと、
うん。
はあ、
なるほど。
買い取ろうとしてたんです。
うん、うん、うん、うん。
あのやっぱね、
自分の限られた土地だと、
うん。
まあ、
こんなにいっぱいできないし、
うん、取れないから、
うん。
あの、
1回粉末にしたいとかするんで、
うん、うん、うん。
それなりの、
あの育った、
うん。
数が欲しかったんで、
うん、うん、うん。
全国展開しようとしてて、
うん。
で、
その、
まあ大阪の朝日新聞が注目してくれたと、
うん。
やっぱそのタイミングで、
ね、
大日本ジョチュギクの創業者は、
うん。
っていうのが、
うん。
やっぱすごいんだっていう、
大認識があったんですよ。
うん。
大前提の認識が。
はい、はい、はい、はい。
っていうところをまずベースで、
みなさんあの、
これ聞いてくれた方も含めてですけど、
はあ、なるほど。
思っててくださいって。
はい、はい。
12:00
で、そこからですね、
うん。
いろいろ商品のこう試行錯誤は、
うん。
ありながらも、
うん。
まあさっきマスメディアすごいねって話を
してたと思うんですけど、
うん。
あの、
なので上山さんは、
ラジオCMもすぐ、
うん。
入ってやったし、
うん。
まあこの時は上山商店かな、
うん。
積極的にやってて、
うん。
まあ、
面白かったのはその、
キャンペーン広告も、
うん。
やってる最中に、
その、
カトリセンコ買ったら、
うん。
抽選で、
うん。
オートバイプレゼントとか、
あははは。
じゃあ、
もうその段階で、
上山商店の段階でも、
この、
この商品はもう完成されてたわけだろうね。
えーと、
それがね、
もう少し経つんですけど、
なるほど。
その、
キャンペーン広告の使い方として、
あーなるほど。
そういうことも積極的にやってて、
はいはいはい。
そのオートバイとか、
うん。
カメラとか、
うん。
電子製品とかも、
えー。
一緒にプレゼントしますよっていう広告をやったりとか、
なるほど。
すぐ、
上山さん自身が結構広告、
うん。
を多用する方だったっていうところですね。
うーん。
で、
商品の話に戻りますけど、
うん。
えー、
まあ1885年に上山商店作られて、
で、
6年に、
うん。
えー、
苗木、
種をもらって育ち始めましたと。
で、
6年に坊上の、
うん。
キンチョウコウ、
うん。
が完成しました。
うん。
あの、
まあ要するに、
お線香みたいな感じですよね。
うん、
なるほど。
そう。
で、
ただこれ何点だったのか、
うん。
40分で燃え尽きてしまったんですよ。
ほー。
坊上だし、
なるほど。
で、
やっぱ継続してやるんだと2、3本、
こう、
常にこう、
うん。
追加していかなきゃいけない。
うん。
夏の、
うん。
夏の、
うずまきにするのはどう?
みたいな。
ほー。
っていうところから試行錯誤して、
10年後の1902年に、
うん。
うずまき版が発売されました。
10年かかったね。
10年かかったんですよ。
やっぱね、
大変だったらしいですよ。
あの、
量も含めて。
あー。
長い年月かかって、
うん。
うずまき型の緑色のキンチョウができたんですよ。
なるほど。
っていうところで、
うん。
皆さんあの、
これ、
パッケージ見ていただくと、
まあ、
はい。
この、
鶏。
なぜなんだよ。
なぜなんだっていうところをちょっと、
お伝えするんですけど、
ええ。
上山さんが、
ええ。
これ多分、
時期的に三国志なのかな?
うん。
あの、
四季。
うん。
歴史の四季に、
はい。
記し留すって書いてある。
四季に出てくる、
はい。
あの、
言葉で、
うん。
けいこうとなるも、
うん。
牛ごとのあるなかれ、
っていう言葉がありまして、
うん。
これ漢字見たら分かるんですけど、
けいってあの、
まあ、
鶏。
うん。
だから、
うん。
一番最初のこう、
牛のでかいところ、
牛という大きいものの、
うん。
尻尾になるんではなくて、
うん。
小さくても、
うん。
戦闘、
鶏の戦闘、
うん。
白鶏の戦闘ですね、
うん。
に立てというところなので、
うん。
ビジネス業界も含めてですけど、
15:00
いっぱいこう、
シェーが大きい、
うん。
規模がでかいところで、
うん。
まったんにいるのではなくて、
うんうんうん。
シェーが小さいけれども、
うん。
戦闘を走れるようなものになる。
うん。
それをビジネスに有用してて、
うん。
その傾向というのが、
この鶏なんですよ。
はー、
なるほどねー。
へー、
そうなんだ。
面白いですよね。
面白い。
傾向というところ。
鶏のマーク、
はい。
で、
金鳥、
ま、
金色の金に鶏って書いて、
うん。
で、
これ商標登録されてるんですよ。
このマーク。
あ、
このデザイン?
はい。
で、
赤いトサカの鶏のマークですね。
はい。
はいはい。
はいはい。
肉銭って呼ばれてる、
うん。
こう、
顎の部分にぶら下がった装飾機器。
これですね。
はいはいはい。
はいはいはい。
で、
この下に、
うん。
これが要するに、
鶏のこう、
きちんとしたモチーフを
うん。
取ってるってところなんですけど、
うん。
下に、
まあ、
創業者の上山って書いてあるんですよ。
そうだね。
上山って書かれてるのが、
初めて見たー。
これもずっと。
すごい。
すごいね。
ここに書いてある虫は、
虫が3つだね。
そうなんですよ。
そう。
ちゅう、
そうなんですよ。
あの、
難しい虫なんですよ。
難しい虫。
あの、
うごめくとか、
虫だね。
すごい。
で、
意外とこれも、
なんか僕もパッと見、
日本ぽくないなって思ってたんですけど、
うんうんうん。
なんか、
やっぱり、
上山さんのこの時代って、
うん。
天狗熱とか、
うん。
えー、
マラリアとかの、
うんうん。
世界で、
インドネシアとか、
うんうん。
そういうやっぱ困ってる方が、
多かったので、
うん。
グローバル展開する、
ぽこぽこ多かったんですよ。
うんうん。
だから色が強い。
なー。
なるほどね。
その、
割と採用されてたみたいですね。
なるほど。
この、
カトリセンコウっていうのを、
モスキートコイルズって書いてある。
そう。
あ、そうです。
ちゃんと、
ね。
書いてるんですよ。
そう。
面白いですよね。
いやー、
こう見ると、
かわいらしくさえ見えるね、
これね。
そう。
だから、
本当に日々の生活してる中とか、
特にね、
このカトリセンコウっていうのは、
もう、
ガキの頃から見てるから、
見慣れてるようで、
実は。
そう。
最近ちょっと、
ご無沙汰しちゃってるけど、
今大人になってこうやって見ると、
やっぱりかわいいんだね、
やっぱ。
すごい、
洗礼されたデザインですね。
うん。
で、
今、
トミーが言ったようにこういう、
ちゃんと商標登録されてるって、
おっしゃってるじゃない。
そう。
ちゃんとこのパッケージをよく見るとですね、
上のところにですね、
全面登録って書いてあるんですね。
そう、
書いてあるんですよ。
面白い。
で、
これ商品名は、
緊張の渦巻きっていう商品なんですよ。
ほう。
カトリセンコウっていう商品名じゃないんですよ、
これ。
なるほど。
緊張の渦巻きっていうのが正式名称なんですよ。
あ、
そうなんだ。
えー。
なるほど。
18:00
面白いですよ、で、
意外とね、
みんな、
普段。
普段というか、
まあ、
そうだね。
うん。
面白い。
っていう、
こう、
えー、
商品の流れは、
ありましたと。
はい。
で、
えーと、
まあ、
今回は、
えーと、
広告のところもちょっと触れていきたいなと思っていて、
はい。
えー、
大日本常駐ギクさんと、
が考える、
まあ、
広告の在り方だったりとか、
うん。
広告会社との付き合い方、
うん。
みたいなところを、
うん。
お話ししたいなと思ってます。
はい。
そうですよね。
僕らとしてはね。
はい。
上山栄一郎さん、
うん。
が創業者で、
うん。
えー、
2代目、
あ、
えっとですね、
3代目ですね。
うん。
2代目の方がちょっとお風呂の事故で亡くなられちゃったんですけど、
うん。
上山英介さんって方ですね。
うん。
この方はやっぱ結構面白くて、
うん、
なるほど。
社長なんですけど、
うん。
宣伝部長でもあったんですよ。
うん、
なるほど。
社長兼宣伝部長。
宣伝部長なんだ。
もう、
だからもう、
宣伝部長を通す時に、
こう、
いろんなコンセンサスを取るとかじゃなくて、
もう直だね。
宣伝部長だから。
まあでも大前提です。
宣伝部長からスタートしてるんですけど、
あー、
なるほど。
その方が、
あのー、
やっぱりすごく有名な仕事をいっぱい、
うん。
あのー、
有名なクリエイターの方と一緒にやってるっていう時代があって、
はい。
宣伝部、
最初は2人だけやったらしいんですよ。
うん、
なるほど。
スタートした当時は。
はい。
2人だけで、
うん。
えー、
やっていて、
うん。
で、
今は現在5名。
あ、
2016年の段階で5名なんですけど、
うん。
やっぱりその、
上山いですけさん、
うん。
っていうのは、
うん。
基本的にその、
広告論とかを勉強して来なかったんですよ。
うん。
うん。
で、
えー、
来ない中で、
うん。
この後ちゃんと出てきますけど、
えー、
デンツー。
うん。
関西。
うん。
の堀井さんって方。
はい。
超有名な、
はい。
クリエイティブディレクターの方々。
はい。
と、
えー、
まあ、
堀井師匠。
うん。
する、
期間が長かったんです。
うん。
で、
まあ堀井さんもいろんな、
あのー、
面白い、
そうですね。
逸話がいっぱいあるんですけど、
はい、
ありますねー。
その堀井さんからは、
うん。
あのー、
上山さん、
うん。
あのー、
あのー、
あのー、
あのー、
あのー、
あのー、
あのー、
あのー、
山間社長って言われてたらしいです。
ははははは。
別に広告のこと全然知らないし、
うん。
基本任せてたんですよ。
うん。
上山さん堀井さんたちに。
はい。
で、
それから、
まあ任せた理由もやっぱり、
いろいろあって、
うん。
まあ本人は、
その広告論のことを勉強してこなかったし、
うん。
えー、
あくまでもその、
広告は広告のプロでお願いしたいと。
うん。
で、
えー、
まあ関西のノリもやっぱ若干あるとは思うんですけど、
うんうん。
あのー、
すごく信頼して、
えー、
パートナーとして、
うん。
21:00
まあ、
大日本常駐技術の広告をいっぱい、
うん。
一緒にやる形になってたと。
うん。
で、
上山さんの話で、
うん。
堀井さんとのやりとりの中で、
うん。
最初のうちは、
うん。
コンセプトとか、
うん。
ターゲットがどうとか、
うん。
何ページもの資料を見せてくれてたらしいんですよ。
うん。
堀井さん。
うん。
だけど、
うん。
あのー、
上山さんからも、
ちょっとそんなの分かんないから。
せめて4コマ漫画みたいなので、
ちょうだい、
みたいな。
はぁー。
やりとりがあって、
それ以降、
うん。
なんかコンセプトとかの資料は、
一個に出さなかったらしいんですよ。
なるほど。
もう、
4コマ。
4コマ。
まあ、企画コンテみたいなので、
うん。
面白いかどうかみたいな。
うん。
うん。
を判断されてたと。
いいですね。
いいですよね。
いいですね。
で、
その時大事にしてたのは、
うん。
秀介さんが大事にしてたのは、
うん。
うーん。
この3つっていうのは、
うん。
人間の好奇心を刺激することで重要だと。
うん。
だからこそ、
この3つがちゃんと捉えられてるのか。
うん。
要するに、
見てもらわなきゃ意味ない。
うん。
っていうのと、
うん。
これ、
上山栄一郎さん時代まで
さかのぼっちゃうんですけど、
うん。
この商品ってどうやって使うの?
どういうものなの?
っていうのが、
やっぱり知られてなかった。
うーん。
僕らはもう普通ですけど。
そうだね。
うん。
知られていないから、
うん。
名前を覚えてもらう、
使い方を覚えてもらう、
うん。
っていうことが大事だったよ。
うん。
それをもう割と、
なんていうんですかね、
こう、
軸になってたので、
うん。
その親親規っていう見せ方で、
うん。
きちんと、
うん。
視聴者に目を向けてもらえるかどうかっていう視点を、
うーん。
やっぱり一番大事にされてたらしいんですよ。
なるほど。
そして、
社長権に、
さっき、
うん。
津田健男さんおっしゃってたんですけど、
うん。
兼務されてたんで、
うん。
まあ、
社長権めちゃくちゃ早かったと。
ハハハハハッ。
ハハハハハッ。
めちゃくちゃ早かったらしいんですよ。
うん。
だからこそ、
うん。
こう、
すごく突飛というか、
親親規っていう視点と、
うん。
それがどう伝わるかみたいなところでの承認が、
うん。
すぐ下りた。
うーん。
社長がオッケーだったらいいじゃないですか。
そうだね。
社長がオッケーだもん。
まあ、
結服の社長らしいみたいな。
うん。
はいはい。
っていうことで、
うん。
こういう、
大日本女中技育の面白い、
うん。
っていうのが、
なるほど。
あったんですよ。
なるほど。
これね、
すごく大事だと思ってて、
うん。
基本的になんか、
これはあの、
宣伝部の方のコメントで、
うん。
えー、
緊張の宣伝部に入ると、
うん。
まずは、
うん。
謝ってはいけないことを学ぶらしいんですよ。
ほう。
というのも、
うん。
クレームめちゃくちゃ来る。
ハハハハハッ。
まあ、
めちゃくちゃというか、
まあ、
クレームも、
まあ、来るね。
仕事の一個だと。
なるほど。
クレームの広告っていうのは、
一人にされている中で、
うん。
まあ、
応援屋号は開き直って、
うん。
そのクレームも、
対応ももちろん進むけど、
うん。
クレームしてくれるってことは、
その広告を見てくれてるっていう、
ポジティブ。
発想?
24:00
ハハハハハッ。
なんですよ。
うん。
だから、
うん。
まあ、
ありがたいって気持ちもね、
いっぱいクレーム受けてたら、
思わなくなるでしょうけど、
そうだね。
うん。
まあ、
見られてる反響があるというところで、
うん。
クレームは、
ああー。
それは、
あなたの捉え方ですよね、
みたいな、
うん。
気持ちは持ってなさい。
なるほど。
つまり、
気持ち的には、
ご意見ありがとうございます。
そうだね。
そうなんです。
ああー。
というところがね、
すごく、
大日本城中岳さんの風潮というか、
うん。
大前提の、
上山栄一郎さんだったりとか、
うん。
秀助さんの、
うん。
マインドとしては、
広告で伝えることの重要性、
うん。
そして、
伝え方、
うん。
で、
伝えた上での受け取り方、
うん。
っていうのは、
DNAとして持ってらっしゃったのかな、
うーん。
っていうところですね。
なるほど。
いや、面白いのがこれ、
ちょっと次回いろいろ、
うん。
あの、
広告、
CMに関しては話させてもらいますけど、
うん、
もちろん、はい。
あの、
賞を取っても、
うん。
賞を取っても、
あの、
公賞金とか別に出ないですよ、
社員には。
うん。
大日本城中岳の人たちには。
そうだね。
うん。
評判が、
広告話題になっても、
うん。
そんなに嬉しいことではない。
うん、
うん、
うん、
うん。
ただ、賞を受賞するくらい注目されてるっていうことでは、
うん。
一個の指標にはしてる。
うん、
なるほど。
でもそれが結局、
話題になりましたね。
で、
売り上げが上がってないと、
うん。
社内としては全然、
うん、
うん、
みたいな。
そうだよね。
宣伝費使ってなるからね。
そうなんですよ。
全然あの、
意味がないらしいですよ。
うんうん。
っていうところで、
うん。
この、
次回、
うん。
広告、
じゃあ大日本城中岳さんはどういう広告をやってたのっていうのを改めて、
すなあけさんと話して、
はい。
聞きたいと思うんですけど、
はい。
大前提これ聞いてもらうと、
うん。
分かるなっていう。
そうだね。
それで、
これを今の聞いたことによって、
これからの話が、
はい。
より分かるね。
はい。
うん。
あんまり知らなかったですか、
大日本城中岳のどういうあれだったかっていうのは。
あ、
あの、
有名な、
ホリーさんと、
有名なその、
宣伝部の人がいるっていう話は、
うん。
聞いたことがありましたね。
うん。
で、
僕も一回だけ、
えー、
その、
大日本城中岳のこの緊張の、
うん。
CMで、
えー、
グランプリか何かを取った時の時、
うん。
僕が広告、
えー、
新聞記者だった時に、
はいはい。
えー、
そのパーティー行った時に、
上山さんが登壇されてたのよ。
おー、
えー。
で、
もしかして、
3代目なのか4代目なのか分かりませんよ。
あー、
はい。
分かりませんけど、
あのー、
その時のクリエイターの人と、
その、
あ、
前か。
うん。
に、
上山さんが登壇されていて、
うんうん。
あのー、
爆笑をさらってった機は覚えてます。
いやーね、
絶対この人たち面白いんですよ。
うふふふ。
27:00
あのー、
この系譜の人たち。
あのー、
宣伝の人が爆笑をさらってたのは覚えてます。
あのー、
クリエイターの人よりも。
あははは。
そう、
あのー、
すごいそれは覚えてますね。
まあ、
ということもあったりしました。
はい。
そのー、
結構振り返したなって思われてるかもしれないですけど、
うん。
そのー、
実は、
今、
新商品の売り上げがよ、
よ、
良いらしくて、
あー、
そうー。
ムキブリムエンダーっていう商品があるんですよ。
うんうんうんうんうん。
で、
これがですねー、
うん。
あのー、
2020年の売り上げ、
で、
当初計画に100万本を達成。
ほー。
で、
21年も、
えー、
だから、
皆さんちょっとね、
名前が古めかしいかなと、
うん。
大日本女中技術っていう、
うん。
ところではあると思うんですけど、
多分マーケティングとか、
うん。
すごく優秀な、
うん。
方々が揃ってるんだと思う。
そう、
あのー、
あとあのー、
商品のネーミングがなんか、
そうですね。
良いよね。
一回聞いたら、
うん。
あのー、
忘れないというか、
うん。
なんか、
一見なんか昭和感感じさせるんですよね。
あははは。
あははは。
そうですね。
で、
あのー、
クリエイティブの、
そのサート、
なんつえばいいのかね、
ちょっとあれですけど、
そう、
非常にちょっと、
こっからは、
あのー、
クリエイティブのメインの、
来週その話だと思いますけど。
そうですね。
話させてもらいます。
なので今回、
あのー、
来週聞く上で覚えててほしいのは、
うん。
ま、
まずこの緊張という、
緊張の渦巻きという、
はい。
商品っていうのの、
うん。
あのー、
普及する上で、
うん。
やっぱマスメディアが結構、
うん。
うんうんうん。
そして、
うん。
あのー、
それをやっぱり、
見てもらう、
使い方とかも含めてですけど、
うん。
ちゃんと見てもらって、
知ってもらうためには、
うん。
チンチン機、
うん。
っていう発想が大事だった。
うん。
というところ、
はい。
を押さえてもらったら、
この後話す広告の理由も分かるので、
はい。
はい。
というところでちょっと今回は、
はい。
あのー、
以上となります。
はい。
ありがとうございました。
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