はい、イラストレーターの原井美です。今日はですね、ゲストを招いてのインタビュー収録をやっていきたいと思います。
お招きするのはですね、私がこのイラスト業界に入るきっかけを作ってくださった恩師と言ってもいいかもしれない方です。
はい、絵本作家のたかいよしかずさんです。今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ、たかいさん簡単に自己紹介をお願いできますか。
そうですね、今ね、ちょっと絵本作家ということでご紹介いただいたんですけども、実は僕の名刺の肩書きはハッピークリエイターなんですよね。
はい、ハッピークリエイター。
でもやっぱり自分の作るものはその絵本に限らず、何でも人を楽しませられる、そういうものを作れる人になりたい。
やっぱりみんなにそれを届けたいという思いでハッピークリエイターにしました。
なので今は、絵本作家のもちろん仕事もあるんですけども、それよりもどちらかと言うと有名なのが、例えばキャラクター制作ですよね。
明治のマーブルチョコレートのマーブルワンちゃんとか、あと同心者さんの階段レストランのバケギャルソンとか。
なんかああいうのがね、やっぱり割とメジャーに有名ですね。
で、最近ではスキアさんのスッキーというキャラクターも作ったりとか、あとね、ちょっとあんまり知られてないんやけど、ピアさんのチケットピアさんのところのピッケルとクマピっていうキャラクターとか。
あとはクモン教育さんの黒クマ君とかも作ったりしてます。
で、あと絵本の方も、その黒クマ君が割とね、今ずっと続けて出させていただいてて、今35冊か6冊ぐらい、あの黒クマ君の絵本が出てます。
お話もあれば、ちょっと地域寄りのね、本もあったりとか、あとあの統計とか、あとパズルとか、なんかね、結構いろんなことをね、あの黒クマ君ではね、させていただいてるんですよね。
で、今一番力を入れてるというか、入ってるのが、妖怪村というシリーズが、2019年からスタートして、今25巻までいって、プラス妖怪大図鑑っていうのをね、100体ぐらい載ってる妖怪大図鑑を作って、
でね、出版社さんはそこでね、たぶん一区切り終わりと思ってはったみたいなんだけど、僕はもう全然終わるつもりはなかったので、もう22巻ぐらいの時に、あ、もう第2期の1話目持ってきましたとかって言って、無理やり編集長さんに渡しておいたら、そしたらもう今年の春から第2期始まりました。
おー、なるほど。
妖怪村も25巻まで出てるんですか?
はい、出てます。もう1冊目が出ました。
めちゃくちゃ、なんか知らない間にめちゃくちゃ増えてますね。
そう、めちゃめちゃ増えてます。
あー、なるほど。
自分でもびっくりするぐらいね。
はい、そうなんです。そんな大作家さんでございます。
いえいえいえ、まだまだこれから。
まだまだこれから、そうですね。いつでもそう思ってないんですよね、私たちはね。
はい。
私からもね、たかいさんの代表作をご紹介しようかと思ったんですけど、全部話していただいたので。
どうですか?
絵本は100冊?100冊を超える絵本を。
150冊ぐらい出してたんですよ。
えー、ほんとですか?
絵本だけでね、そこを。
で、読み物の本も、もちろん冊子とか書きますよね。それは絵本には入れず。
その冊子絵の本も、階段レストランが30巻以上あるので、だいたい50巻ぐらいは色んな本の冊子絵も書かせてもらっているので、ほんとめっちゃ本書いたなっていう感じ。
あー、150冊。私やっと19冊です。
それでもね、19冊出したらすごいと思う。
たまたまそうやってね、シリーズで出せるものとかがうまくはまったのでね、そうやって数は増えていたとは思うけど。
はい。あとキャラクターで言うと、東京ですと、結構東京のリスナーさんが多いので、東京の豊島区のPRキャラクターのソメフクちゃんっていうね、ピンクの袋。
ソメフクちゃんは、もう今ね、親子ごめんになったみたいで、あんまり本店に出てこないみたいなんです。
そうなんですか。
ちょっと悲しいです。
はい、そういうことは必ずありますよね。私も経験があります。
それは仕方がないことです。また良い子を読みます。
あとはですね、イタリアのボローニャ国際絵本画展にも4度入選されている。国内外で高く評価されているという、素晴らしい作家さんです。
かたがきを、何でしょう、久しぶりに高井さんのかたがきを見返したら、なんかすごい人みたいじゃないですか。
いや、そんなすごくないです。
今日はようこそお越しくださいました。
ありがとうございます。
今日はですね、現在高井さんの大型展覧会が神奈川県の平塚市美術館で開催中ということで、その話をね、まず前半ではたっぷりと伺いつつ、
後半では私のリスナーの皆さんに高井さんの人となりなんか、あと私たちのこととかを知っていただいて、もう展覧会に行きたくなっちゃうぞみたいな、そんなのを目指して収録していこうかなと思います。
よろしくお願いします。
お願いします。
最初にちょっとだけね、私と高井さんの慣れそう面を思い出してたんですけど、初めてお会いしたのは多分ね、私が大学3年生の時かなと思うんです。
私の研究室の先生が、いろんなデザイン会社の現場を見てみようということで、訪問をいろいろ取り付けてきてくれて、それで私の前職の京田クリエーションというデザイン会社に訪問させていただいて、
その時学生向けに説明してくれたのが高井さんだった。
それが最初の出会いで、当時一番若いペペペペの平社員の人がやってくれてるのかなって思ってたら、高井さんで検索してもらったら皆さん画像とか出てくるんでわかると思うんですけど、
5年齢よりずいぶん若く見えるんですね。当時もそうで。
そしたらすごいまあまあ偉い人だったっていうね、後から調べたら。
そうなんで、それが最初のですね。
その時私は京田クリエーションにすごい入りたかったんですけど、いい採用がなくて普通の企業に勤めたんですが、
もうなんかちょっといろいろあって絵が描きたくて仕方なくなっちゃって、すごいクサクサしてた時に高井さんがちょっとハラちゃんやばいんちゃうって言って、
ちょうど中途採用が出たからって言って声をかけていただいたのが、私がこの業界に入った。
もう人生ね、成功だったかどうかは死ぬまでわかりませんが、
はいはいはい、それそれ。
こっちの業界に連れてきてもらったというのが高井さんです。
間違いないですかね。
いやちょっと違うからね。
ちょっと違う?
僕の記録ではね、4回戦の時に卒業する時に一応ね、うちの会社入りたいとは言ってもらったけども、
でもうちちょっと人が取れなくて、とりあえずは1年間どこかの会社に入って修行を積んでくださいみたいなんで、ちょっとお話をさせてもらって、
それでその次の年にたまたま幕が開いたので、
でね、春ちゃんの方に連絡させてもらって、開いたらどうするって言ったら、結構いい企業、大企業やったので、
多分そこの給料ってうちのね、本当に倍以上のお金をもらってたんちゃうかなと思うのに、
うちに行きますって言ってくれて、本当にめっちゃ嬉しくて、それでうちの会社に来てもらったと、そんな感じです。
あーそうですか。
はいはい。
ありがとうございます、そうでしたね。
なので高井さんは本当に30年くらいのお世話になっている先輩なんですけど、高井さんって、今肩書き並べるとすごい人なんですけど、
後輩とかにも一作家同士としてすごいリスペクトを持って接してくださるっていう、当時からそんな感じがしていて、
なので、慣れ慣れし口も大きくし、大先輩なんですけど仲良しです。
そんな感じです。
でもあれですよね、大学の4階の時から卒業してからか、フェリシモンさんかどっかのお人形さんの公募店があって、
それに春ちゃんとして情報をもらっていったのが、僕すごい覚えてるんだけどね。
それはですね、私入社して1年目か2年目で、高井さんがこういう作家希望の人は定期的にコンペとかにちゃんとチャレンジしないとダメだっていうのを結構プレッシャーかけてきてくれる人で、
高井の愛のプレッシャーって私たちは呼んでたんですけど、公募の横に付箋が貼ってあって、こんなんあるでっていう付箋で私の机にボンって置いてあったんですよ。
これは出せってことかと思って、正直めちゃめちゃ仕事忙しいし、毎日なんなら終電とかまでこんな働き方してるのにこんなんあるでって置いてあるしみたいな。
それで出して、それで大賞取ったんで、あの辺からもうちゃんと本気で作品も作っていく人生をやっていこうみたいなね、思ったきっかけにはなったかなと思います。
今大事ですよね。行ってきたって言うので、SNSにアップしてもらうのは大事ですよね。なるほど。平塚市美術館ってめちゃくちゃ大きいじゃないですか。
でかい。でかいんですよ。
去年、ザ・キャビンカンパニーさんの展覧会を見に行って、それもちょうど放送で私すごい感動したので、話したんですよ、昨年。
昨年かな。
昨年です。
昨年じゃない、2年前かな。
2年前か。
2年前。
そこでたかいさんやるんだと思って、びっくりして。
それがね、本当に僕もキャビンさん見に行ったんですよ。
それも8月の末に、8月の末に台風が上陸しててんけど、上に上がってくるはずが90の方でウロウロして、全然上に上がってこなくて、新幹線が止まっちゃって。
僕ちょうどその時に東京のビッグサイドで開催してたおもちゃショーにちょっと行ってて、金曜日の夜には帰ろうと思ってたのが、新幹線が動かなくなって帰れなくなっちゃって。
うわ、どうしようと思って、もう泊まるとこなんか決めてないしと思ってんけど、昔にちょっとお世話になってたギャラリーさんがあって、そこに電話したら、そこのオーナーさんが、いらっしゃい、いらっしゃい、泊めてあげるからご飯に行きましょうってすっごい言ってくれはって。
結局そこに土日の2日間泊めてもらって、大阪には帰れないけども東京は晴れてるし、僕もキャビンさんがやってるの知ってたので、美術館さんに電話して聞いてみたら、うち空いてますよって言われたんで、そこで見に行って。
で、もうあの展示場見て、でもこれすごすぎるって思って、めちゃめちゃすごいなってあんまりにも思っちゃったから、どうしてもちょっと学芸員さんのお話を聞きたいなと思って、受付でちょっと声をかけさせてもらって、出てこられた学芸員さんが、キャビンさんを平塚まで呼んでこられた学芸員さんをお話をさせてもらって、
実は僕も大阪やってるんですけど、また大阪に戻ったら、ちょっと資料とか送らせてもらってもいいですかって言ってもらって、送って、それが夏で。
で、秋11月の頭ぐらいに、ぺろりーんってメールが来て、26年とかの夏どうですかって書かれてあって、え?え?え?って、ほんまにえ?って思って、
あの広い、キャビンさんが見つけたすごくあった展覧会の場所で、自分ができるっていうのが、なんかね、ちょっと大丈夫かっていうぐらいすごい思って。
でもまあそれまでにね、何件かは大きなところでもね、ちょっと展覧会もさせてもらってて、ちょっとね、大体の量々がね、分かるような感じにはなってたので、
まあそしたら、なんとかじゃあ頑張りますって言って、させてもらうことになりました。
あ、そういう経緯なんですね。
そういう経緯なんですよ。
あ、そうか。
声かけただけでっていうかね。
展覧会って、そうやって自分から声をかけてさせてもらえることもあれば、代理店さんみたいなところから声をかけていただいて、そこを通してね、させてもらうものもあって、結構ね、いろいろないんですけども、
安川さんの場合はね、もう本当に声かけてっていうことです。
うわー、なるほど、そうなんだ。高井さんこの数年、結構全国で大規模な展覧会をし始めてるというか、なんかそういう動きに変わってきてるなーって、なんとなく眺めていて。
なので、学芸員さんに話聞いたっていうのは、ちょろっと雑談で聞いたことあったので、それきっかけで会社的にめっちゃ売り込みをかけたのか、営業をかけたのかなって思ってたんですよ。
あ、そうじゃなくて。
すごい。いやー、でも高井さんの昔からの、何でしょうね、タイミングをつかむ感じとか、あといい意味での推しの強い売り込みだったとか、
よくね、横で見させてもらっていたんですけど、これをつかんだということですね。
すごいなー。
またね、今回のひらがつ菓子さんは、美術館の方が言われてたんだけども、割とね、僕の作品って、そういうレトロな駄菓子屋さんとかホールのボタンパンとかね、
割とね、昔懐かしいものから、最近の黒熊くんとか、ちっちゃな子供さんまで、結構家族3世代ぐらいで楽しめるような展覧会になりそうやなということで、一応ね、声をかけてくれはったみたいで。
で、僕の展覧会が終わったら、来年は1年間ちょっとね、改修工事がなんか入るらしくて、その前にちょっと大きな展覧会で、お客さんとにかくね、美術館さんを覚えておいてもらうように開くのに、一応僕が呼ばれたみたいな、そんなことを言われてました。
すごい嬉しくて。
素晴らしいですね。
私まだ行けてないので、夏休みに娘と行こうと思ってますが、あの広さでどういうふうに企画して見せていくかみたいなのって、美術館さん側が結構企画してくださるんですか?
一応ね、朝ごろで大きなやつを出会ったやつの資料とかも全部見ていただいて、どういう構成で作ってたかっていう説明をさせていただいたら、そうしたら同じようなね、初期の作品からずっと見れるような部屋にしましょうということで、いろいろね、相談をしながら決めてきました。
なるほど。
作家さんと学芸員さんと一緒にお話し合いして企画していくという感じなんですね。
具体的にこの絵をどこにどう展示するとか、すっごい細かいプランはどこまでやるんですか?
ほとんど全部やりました。
全部やった?解散が?
はい。
そうか、そういうもんなんですか?
一応ね、図面はもらったんで、どこに壁を立ててどうしましょうという話をして、一応どの部屋にどんなものを置きましょうというのを大体決めたので、その部屋のこの壁にはこんだけの作品が入るとか全部自分で計算して、こんだけは入れられる。でも会場に行ったらもしかしたらはみ出したらあかんからとか、結構いろんなことを考えなあかんねんけど、ほぼ全部決めました。
なかなか大変で。
大変ですよね。皆さんどうなんでしょうね。ザ・キャビン・カンパニーさんとか、どのくらい作家さんご自身が決めてるのかなって、いつも展覧会見るたびにそういうことを思ってたんですけど、そうか。
でも万が一自分が未来にそういうことができることになったら、それは自分でやるよなという気がするの。
やっぱりやりたいですよね、そこまでね。
しかもね、今回ね、図録まで作らせていただけることがあったんですよ。
図録売ってますね。
売ってるんですよね、カンパニーさんがね。すごく女性気をかき集めてくれって。図録を出せることになって、一応その編集もほぼここに入れてて、自分でほぼやりました。
図録ってそうか、自分で作ったんではなくて、美術館さんが作ってくださったんですか。
美術館さんが作ってくれました。
そういう感じなんだ。
お金を出してくれて、編集のちゃんとプロダクションさんも入れてもらって、データを全部作ってくれる。
だから僕はどんどんページにこれくらいの作品見たいです、みたいなのを全部ぱーっと書いて送って、それを見ながらどんどんレイアウトしていただくみたいな、そんな感じでした。
そうですか、うらやましい。さすが。
しかも800点くらい作品に乗っているんですけど、200点くらいはカメラマンさんがちゃんと記事と写真を撮ってくれるんだけど、残りは自分で撮らないといけなくて、全部自分で撮りました。
今回のために?
今回のために。
だから本当に立体の作品とかは自分で一個置いてパチャ、一個置いてパチャみたいなのをずっと何日も繰り返してやりながら、結構やりました。
それって本当に高江さんが撮ったんですか?自分で。
僕はスマホで。
そうなんですか。それはお疲れ様です。
なかなか大変でしたよね。
でも本当にいい経験というか勉強にはすごくなったんで。
本当にずるく作ることがどれだけ大変かというのももう知りました。
そうか、そんなに高江さんご本人が自分でやっているとはちょっとびっくりですね。楽しみですね。
一応デザイナーでもあるので、やっぱりこうしたいというのは結構あって。
じゃあ、すごいね、もう最初の話なんですけど、絵本作家になった流れを改めて伺いたいんですけど、どんな流れで絵本作家になったんですか、高井さん。
まずね、それを話そうと思うと、幼稚園からの話。
幼稚園。はいはい、いいですよ。どうぞどうぞ。
幼稚園の時に、映画を描くのが好きで、友達にもね、映画を描くのが好きな子がいてて、その子に怪獣の絵を描いてって頼んだんですよ。
そしたら、ゴジラの絵を描いてくれて、パッと見たらゴジラって分かって、幼稚園の子が描く絵、別にやるのやるのではなかったけど、
僕はそれを見た瞬間に、この子、僕より上手いって思っちゃったんですよね。
だから、もう初っ端なのか雑説とかね、そんなに幼稚園で雑説なのか知らないけど、この子、自分より上手い子がいるっていうのが分かってしまって、
でも、なんでじゃあ絵を描く仕事ができてるのかって言われたら、自分より上手い人がいるのは分かったけど、
でも自分も映画を描くのが好きだったから、辞めなかったから、ここまで来れましたっていう、本当にそこだけなんですよね。
そういうことを続けてきたからここまで来れましたっていう、本当にそこだけで。
小学校に上がってもやっぱり上手い人はいっぱいいるし、また僕はその上手い子に怪獣の絵を描いてて、また頼んで怪獣の絵を描いてもらってたんですよ。
で、またそれを眺めながら、なんでこの人はこんなに上手いんやろうってね、すっごい思ってて。
多分ね、今考えたら観察力というか、その描いてる人は本当に見たものをきちっと描くことがめちゃくちゃ上手かったと思うんだよね。
僕はあんまり見たものをきちっと描くのはちょっと苦手やったみたいで、素敵に描いてたような気がすごいしてきててね。
で、小学校5年生の時に学級新聞、壁新聞を作ることになって、4コマ漫画を描かせてもらえて、それが僕が描いた漫画が貼り出された時に、
友達がね、それを見て笑ってくれてるのを見た瞬間、僕がやったことで人が喜んでくれてるっていうのがやっぱり自分的にはすごく嬉しくて、
だからもう本当に今、ものを作ってるっていうのは全部そこに原点があると思う。
自分がやったことで人が喜んでくれるっていうところ、本当にそこかなってちょっと思ってて。
で、中学校行ってもまだね、小学校中学校までは漫画家になりたかったんやけど、高校に入って初めてアニメーターというね、
テレビの漫画を作ることがあるってのを知って、アニメーターになろうって決めて。
大学の2階の時に東京の方にね、アニメのプロデクションさんに、まだその頃SNSとかもなんもないから、アニメージュ買って、
住所を調べて、そこにお手紙書いて、何件かお手紙を出したら、2件か3件くらい、
じゃあ夏休みに遊びに来てもいいよって言ってもらって、夏休みに遊びに行った時に、東京ムービーさんやったと思うんだけど、
そこのね、動画を描くお兄さんが、ちょっと仕事が一段落終わったのか、なんか暇そうにしてて、
ガメラのプラモデルを作ってあったと思うんだけど、暇そうにしてあったと思うんだけど、
結構そのお兄さんがね、いろんなことを喋ってくれあって、
僕の目の前で、2センチか3センチくらいの紙の玉をね、ブラブラブラブラって見せてくれて、
何が動いてたかも全然僕はね、記憶ないんだけど、
そのお兄さんに言われて、これね、2秒かな3秒かなって言った瞬間に、
僕は絵が描くのが好きだと思ってたけど、そこまで根気がないから無理と思ってね、
アニメーターを諦めたんですよ、そこで。
ここでね、アニメーターを諦めたからこそ、多分日本作家慣れてると思う。
だからもしそのお兄さんに会ってなかったら、僕の人生変わってたんちゃうかなってすっごくね、今思うんですよ。
で、大学に戻り、でもやっぱり描く仕事でね、ちゃんとご飯が食べれるようになりたいなと思った時に何があるのかと思ったら、
イラストレーターという一枚を描けば勝負できる世界があるというのを知って、
僕もイラストレーターになろうって決めたんですよね。また決めたんですよ。
で、決めて、決めててんけど、大学の4回戦の時に教育実習にちょっと行ってね、
2週間自分の僕を中学校に行って、1年生を美術の先生として教えに行って、
あんまり先生になるつもりはなくてね、とりあえず大学に行ってる親の手前もあって、
免除ぐらいは取っておかなきゃいけないかなという、割と軽いノリで行ってたんやけども、
もうやっぱりそこで2週間先生やってみて感じたのは、今の中学校は自分の教科は2割やなと。
で、あとの8割は子供たちにちゃんとね、生活指導とかを伝えられるような人がやっぱり先生にならない。
絶対あかんわってすごく思って。
で、じゃあやっぱり僕は先生にはならへんねんけど、
でも何かしらこう子供たちにここに伝えたいこと、何があったかわからへんし、
本当にその気持ちだけあったかもわからへんけども、伝えたいことがあるような気がして、
で、その時に初めて将来絵本作家になろうってまたまた決めました。
そこでまた決めて、結局そこから20年かかって、絵本作家までたどり着いたというね。
なので、大学卒業してね、京都アクリエーションに入社して、
いろんな仕事をね、点々とさせてもらいながら、
でもね、将来の目標はやっぱり絵本作家やったので、
だんだんちょっとずつね、自分の方向を見ながら、
仕事もそういう仕事が取れるようにっていう方向に自分で向きながら、
やっと2004年にミキハウスさんからぬいぐるみ付きの絵本同時3冊も、
犬とウサギとゾウのぬいぐるみ付き絵本が同時に3冊も出してもらったのが、
僕の書店さんで売ってる市販本のスタートなんですよね。
それがデビュー作?高橋さんの?
そう。だからそれまでに実習版ではね、ちょっと本を作ったりとかもしたけども、
でも実際、書店さんで売られてるっていうのを見たのは、その本が初めてで、
めっちゃ嬉しくて、自分の作ったものが点と並んでいる。
しかもね、ミキハウスさんって、ミキハウスさんの直営店でも売られてる洋服屋さんでもね、
一緒に置かれてるし、書店さんでも置かれてるしね。
だからね、その両方で置かれてるっていうのは、すごい僕にとってはね、嬉しいことで。
それもね、たまたまミキハウスさんの絵本の仕事をね、
絵は僕が描くんじゃなくて、僕はディレクションの方に入っててね。
で、うちの会社の先輩が描いてたクルマさんのキャラクターの絵本を作るのに、
全部僕がどういう構成にするかを全部決めて、ラフを描いて、出して、
それでOKもらえたらイラストだけ描いてもらってるみたいな仕事をね、
たぶんね、10年くらいはたぶん続けてて。
あ、そんなにやってたんですね。
そう、絵本を作ってたんですよ。
そしたら、たまたま担当の人が、
高橋さんも絵を描くんでしょうねって言って、
一緒に絵を作りませんかって一応言ってもらえて、
じゃあ是非って言って作らせてもらったのがその絵本。
それ20代の時?高橋さん。
えっとね、僕が階段レストランとかマーブルワンちゃんでデビューしたのが、
35の時やから。
あ、そうなんだ。
もう30代やね。
30代の時にずっと絵本のレイアウトとか、
何をするかとかそういうことを、
高校生とかも全部決めるような仕事もさせてもらえてて、
それでだいぶ力がついて、
いよいよじゃあ自分の本っていうことになった。
そんな流れだと思います。
あ、なるほど。
その絵本作家に、
俺はなるっていう風にずっと言ってたじゃないですか、確かに。
そういう気持ちがあってこの業界に来て、
でも先輩の絵本をずっとレイアウトを裏方としてやってた時って、
どういう気持ちでやってたんですか?
でも絵こそが描いてもらうけど、
でも内容は全部自分のものやと思ってたから、
めっちゃ楽しく仕事してた。
楽しくやってたんですね。
それは文章とか?
文章とかも全部自分で描いてた。
文章を高橋さんが描いてたんですか?
でもそんなに細かい文章が入っている絵本ではなくて、
例えば数とか動物とか乗り物とかね、
割と単体をポンポンと見せるような本から、
あとはちょっとだけ挨拶ぐらいの簡単な構成だったんで、
例えば数にしても1から100までを表現するのに、
10ぐらいまでは1ページに10個ぐらい描けるけど、
100なら描けないって思うところを、
99の種を出して100個の時に全部お花を咲かすとか、
そういう構成を考えるのがとにかく面白いと思ってた。
なるほど。
99のページには99粒の種があって、
100になったら100輪の花が咲くっていうのを、
高橋さんが考えてやってたんですね。
そういうのを考えるのがすごい楽しいと思ってた。
そうか、なるほど。
じゃあ、絵こそ自分ではないけれど、
絵本作家としての仕事をやり始めているというような感じで、
面白くて仕方がなかった。
なるほど、そうか。
自分の実習班でも本をちょっと作って、
1回、猫だるまの宝島という本を作ってたんやけども、
それは本当に今の仕事に結びつくような探し絵であったり、
迷路であったりね、暗号であったり、
いろいろてんこ盛りしたような本とか、
そのもっと前に、猫だるまファンタスティックワールドという、
実習班の本を作らせてもらったんやけども、
それも本当にキャラクターブックみたいなすっごい本で、
とにかくてんこ盛りに、
しかもね、カバーの後ろにスゴロクまで入れて、
その本を買った人が、そこにスゴロクが入っていることが、
書いていないんですよ。
一番最後のページにコマだけがちょろっと書いてあって、
これどういうこと?って思った人が、
もしかしたらカバーをめくるかもしれない。
カバーをめくったら、こんなところにスゴロクあるやんってね、
すごく喜んでくれる。
もしかしたらその喜んでくれる人もいるけど、
もしかしたらその本を買ってくれても、
死ぬまでそのことには気がつかない人もいるかと思ったら、
なんかすごいクスクス、自分の中でおかしくって、
面白いなと思ってました。
今一番めっちゃ面白いと思ってる活動って何ですか?
今はねやっぱりね展覧会を開くことによってね、
なんで展覧会を開こうと思ったかっていうから、
そのまずね絵本を作っても書店に置かれるのって、
1週間ぐらいはね平積みであったりね顔が見えるような置き方してもらえるかもしれへんけど、
それが終わっちゃったら棚の方に貼っちゃう。
よっぽどベストセラーにならない限り、なかなか顔を見せてくれるような売り場には残らないので、
やっぱりせっかく作ったものが売れる場所を作りたいなっていう思いが一番で、
個展も開いてたりとかしてたけども、
でもやっぱり大きなところで開いてたくさんのものを見てもらえるっていう方がいいなと思ったので、
ちょうどそういうことに力を入れてたいなと思ってスタートして、
で今やっぱり一番面白いというのは、
やっぱり展覧会に来てもらったお客さんと喋るっていうことがすごい楽しいなと思うんですよね。
いろんなお話をさせてもらって、
この間も愛媛県の歴史文化博物館で展覧をさせてもらった時に、
ギャラリートークをしましょうって言われて、
僕ねギャラリートークしたことがなかったんやけど、
宮西達也さんって言ってね、
お前うまそうだなのティラノの絵本を書いて貼る、
そのギャラリートークを一回聞きに行ったことがあって、
それがめっちゃ面白くて、
あんな風に喋られへんよなと思いながら、
とりあえず自分もやってみたんですよ。
結構いろんなことがその時にお話ができて、
その会場をゾロゾロゾロゾロ歩きながら、
作品を一個ずつ説明してグループ一周回るっていうのがすごく楽しくて、
これめちゃくちゃ良かったなって。
でも今回の平塚は多分たくさんお客さん来られたら会場も回れないので、
別の部屋に行って、
そこでお話をさせてもらうことになると思うんですけどね。
やっぱりそうやってお客さんとお話をするのが、
今一番楽しいかなっていう、そんな感じです。
私も昨年久しぶりに、
十何年ぶりに個展をやって、
ギャラリートーク的なやつを企画してくださって、別の方が。
そんな大人数じゃないんですけど、
一応ギャラリーにはいっぱい人が来てくださっている状態で、
喋りながらっていうのをやってみたんですよ。
私も人生初でそんなことやったことなくて、
でも自分的には普通にいつも描いてることだし、
いつも考えてることなんで、
こんなこと話してもみたいな、
なんかそんなの思ってたんですけど、
すごいなんか皆さん楽しんでくださって、
失敗した話とか、
実はこういうインクがぼちゃって落ちちゃってとかいう話とかも、
すごい面白がってくれて、
確かに自分だったら、
作家さんがこれは実は落ち込んでた時に描いたんだとか、
なんかそういう話ってすごく面白いし、
見るのもさらに面白くなるじゃないですか。
ギャラリートークってありだなって去年思いましたね。
なるほど。
高井さんはなんか昔からいろんなとこでも講演会あったり、
おしゃべり上手なんで、
おしゃべり出したら止まらないじゃないですか。
これで聞いていただいてる方はわかると思うんですけど、
一緒に商談行ってもね、
おしゃべり始めちゃったらね、
もう相手の時間とかもう大丈夫って、
上司として大丈夫って思うくらい止まらなくなる人なので、
まあまあ天性のものだと思います。
そんなのってやりたくてもやれない人も多分いると思うんで。
まあまあ。
でもね、やっぱりこれもだいぶ慣れやと思う。
そうですね。
会議を重ねたらもうちょっと合わせたらよかったなとかね、
いろいろ思うから、
それぞれずつブラッシュアップされていくかなと。
そうです。おっしゃる通りです。
私もだいぶ慣れてきました、しゃべる。
なるほど。わかりました。
高井さんは絵を描くのは好きなんですね、とにかく。
絵を描くのは好きですね。
好きなんですね。
でもね、絵を描くのも好きだけど、
お話を考えるのもやっぱり同じくらいすごい好きと思う。
同じくらい好きなんだ。
なかなか今それだけの時間をね、取ることがなかなかできないなというのが現状ですよね。
まあそれよりもたかいさんは、もうこれがたかいテイストでもある感じになってると思うので、
次から次と浮かんでくる企画を効率よく形にして量産していくっていうのも一つですね。
でもね、もうほんとに150冊も作ったら、なかなかね、じゃあ今何が描きたいですかって言われたら、ちょっとうーんっていう感じかな。
とりあえずね、その妖怪村はもうね、2冊ずっと続けましょう、しばらく続けましょうってことになってるから、
それはね、作っていくんやけど、だからね、例えばね、何が作りたい気持ちっていうのは、
例えばね、友達の作り方っていう本を作ったときに、テレビのニュースでね、川崎の方で中学生の男の子が殺されたってニュースを見て、
それが中学生の男の子に対して17とか18歳と年の離れた子で、それ絶対友達違うやんなってすごく僕は腹が立って、
その腹立った気持ちをどこにぶつけていいのかわかんないときに、まあ冷静に考えたら、僕は今絵本作家としてね、
なんか絵本を通して誰かに何かを伝える仕事をしているなら、もしその男の子がいい友達に出会えてたら、
そんな事件にも巻き込まれることもなかったっちゃうかなと思ったときに、
じゃあ友達を作るのはどうしたらいいかっていう本を作ったらいいんやってすごく思って、
それをね出版社さんに対して喋りに行って、あまりにもぶわーって喋ってもいいから、
まあまあ落ち着いてくださいねって言われて、この気持ちはわかるので、
またねそれをねちょっとメールか何かでね、もう一回企画を一緒に作るんで送ってくださいって言われて、
その企画が通って、だからそういう、でもねその本がやっぱり僕が大学の4ヶ月のときに将来本作家になって、
で子どもたちに何かを伝えたいと思ったことを形にできたと思えた本やったから、
そこにたどり着くまで40年かかったってことやね。
絵本作家になって20年かかって、またそこから20年かかってそこにたどり着いたんやから、
やっぱりそういう思いというか、自分が心を付け動かされる衝動みたいなものっていうのとか、
あとはねやっぱりシリーズでやってるやつはやっぱり面白い楽しいね、
どんどん考えたいなと思って作れるから、やっぱりその両方あるっていうかね、そんな感じかな。
そうですね、そうですよね、私なんてまだ、何でしょう、私は絵本作家になりたいって思ってたタイプではなくて、
今でもイラストレーターになりたい人なんですよ。
絶対絵本じゃなきゃいけないのかって考えるとそうではなくて、
絵が描ければいいんだなっていうのに最近苦しいからっていう意味ではなく、
決して逃げという意味ではなく、自分に問いかけたらそうだったんですよね。
でもせっかくいただいているお話なので、絶対諦めたくないし、
このもがきながら苦しみながら何年かかってもいいから形にはしてみたいって思っているので、
まだ一年生ってことですよね、要は。
高井さんのその40年でたどり着いたっていうのを聞いたら、
もう全然まだまだ、やっとハイハイすらできていないかもしれないという、
意外に言ったくらいかなっていう気がしてきたので、
全然大丈夫と思いました。
高井さんとは1年に1回くらいは最近しゃべれていないかな。
でも時々しゃべるじゃないですか。
なんとなくこうやって定期的に高井さんとしゃべるっていうのは、
すごく自分の原点に変える大事な時間だなと、そんなふうに思いました。
ありがとうございます。
いただいた皆さんにちょっと音響とかトラブルもあって聞きづらいところもあったかもしれませんが、
高井さんという人は私の大事な恩師ですので、
知っていただけたら、覚えて帰っていただけたらと思います。
ありがとうございます。
高井さんあともう一つだけ、埼玉の方でも今展示始まってます?
そう始まってるね。
埼玉は平塚園に全部作品を持って行ってるにも関わらず、埼玉でもやりませんかって言ってね、
東京の営業の人が取ってきてくれたんで、何とかしたいと思って、
そっちは埼玉文化区間というところで、半分、そんなに広くない場所だったんだけど見に行ったら、
半分はうちの村田桃子さんというね、それこそ妖怪業大好きな人に半分埋めてもらって、
その半分は僕が埋めることにして、
壁とかはタペストリーの残ってるやつとか、
あとは妖怪村はデータなので出力をして額に入れたらね、何とかかなれることになるからそれを書いて、
あとはその立体の人形さんはやっぱりね、埼玉の妖怪を作りたかったので5体作り、
5体作ったんですか?
そう、5体作った。掛け軸も5枚書き、
あとさらに僕と村田さんの1枚、大きな掛け軸というか巻物を書こうっていう話になって、
本当は代わり番号に僕が妖怪、村田が妖怪。
また止まったよ。高井さん、高井さん。
妖怪の仕業と近寄らないで。
もう何回飛びました?3回落ちた?
落ちたね。
妖怪の仕業ですよ、もう。高井さん、妖怪連れてきた。やだ。
大丈夫、大丈夫。優しい妖怪たちだから。
はい、これも私の経験です。ありがとうございます。
ということで、埼玉で。
埼玉で会ってて、長い巻物を書くのに代わり番号に絵を描けばいいなと思ったら、
村田さんが高井コーナー、私コーナー、高井コーナー、私コーナーでいいですかとか、
もういいよって言ったら、私コーナーのところに10体ぐらい絵描いちゃって、
そしたら僕も同じくらいの絵を描かないと生まれへんと思って、とんでもない目に遭いました。
そうか。
描いてます。
ももちゃんがすごいの描いてきたから、それと同じくらいのボリュームで高井さんも描き足さなきゃいけなくなったと。
でもすごい楽しみです。これも私、夏休みに行かせていただく予定ですが、
7月8日から9月6日まで埼玉の埼玉文学館、桶川ですよね。
桶川ですね。
やってますので、そちらも近い方に、神奈川か埼玉か近い方に行っていただけたらと思います。
ということで、たくさんトラブルはありましたが、私も絵本ちょっと頑張っていこうって改めて思いましたので、
今日はありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
本日のゲストは、絵本作家じゃない、ハッピークリエイターの高井よしかずさんでした。ありがとうございました。
はい、いかがでしたでしょうか。最後まで聞いてくださりありがとうございました。
改めて、現在開催中の高井よしかずさんの展覧会情報をお伝えしておきます。
神奈川県平塚市美術館で開催中の絵本作家、高井よしかずのハッピーワールドinひらつかは、
2026年6月27日土曜日から9月6日日曜日までとなっております。
この週末、7月11日土曜日13時から高井よしかずお話会、7月12日日曜日13時から高井よしかずアーティストトークが開催されます。
7月11日、12日ともに14時から16時までが高井よしかずサイン会となっております。
よろしければ、この週末ぜひお近くの方などなど、お足を運んでいただけたらと思います。
この平塚市美術館では、その他にも学芸員さんによるギャラリートークとか、本編でもお話がありましたスタンプラリーなんかも開催中です。
そして8月13日木曜日13時からは高井よしかずライブペインティングなんかもあるようですね。
詳細はホームページをご覧になってください。
そして同時期に開催中です。
埼玉県の埼玉文学館で、2026年7月4日からこちらも9月6日日曜日まで、高井よしかず村田桃子なんか妖怪二人展というのが開催中です。
こちらはワークショップがあったんですが、こちらはもう定員に達してしまってて受付終了になってますね。
高井よしかずサイン会は8月11日火曜日祝日に14時40分から15時30分で事前申し込み不要で、こちらはまだ参加できるみたいです。
こちらもね、詳細はURLを概要欄に貼っておきますので、ぜひご覧になってください。