不妊治療の体験
イラストレーターの原あいみです。絵本や書籍、キャラクターを作ったり、難しいことを分かりやすく、漫画やイラストで伝えるお仕事をしています。
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昨日、今ボイシーさんの方で開催されている、ボイシーエピソードアワード2025というののお話をさせていただきました。
自分としては、周りの反響とかも含めて、自分として皆さんにたくさん聞いてもらいたい放送はこれだなというのを一つ、一応二つなんですけど最後一つに絞りました。一つ上げさせていただきました。
それが私の不妊治療の体験エピソードを全12回かな、シリーズでお話しさせていただいたものの最終回の回になります。
それを久しぶりに自分でも聞き返しまして、そうしたらですね、このシリーズは元々漫画で連載していたものをベースに私が改めて声で届けているというものなんですが、
番外編というのがあるので、もし気が向いたらそちらをまた声でお届けさせていただくかもしれません、みたいな形で終わっていたんですよ。
すっかり忘れておりまして、番外編を今日ちょっと久しぶりにお話ししようかなと思います。よろしければお付き合いください。
このシリーズはですね、私が3年半の間、不妊治療をやっていたんですが、それを改めてまとめて体験漫画として、主婦の供舎さんの赤ちゃんが欲しいという専門雑誌ですね、そちらで連載をさせていただいていたものをベースに声でお話ししているというものです。
お話し終了した後にですね、番外編というのを掲載させていただきました。今日はその番外編からテーマはね、ズバリ妊活のことを周りに話す、話さないというね、そんな話をしていきたいなと思います。
この連載漫画1年半書いていたんですけど、終了した時に担当者さんに、原さん言い残したことはないですか?って聞かれたんですね。それであるって即答したみたいなんです。もう覚えてないんですけど。それでこの妊活のことをね、周りにどう話すか、はたまたしっかりと秘密にして話さずにやっていくかっていうようなね、そんなテーマの漫画を書きました。
この妊活、いわゆる不妊治療の話って、とってもナイーブなんですね。
捉え方は本当にね、人によって全く違うんですけど、例えば、自然妊娠を願っているので、周りには不妊治療で授かったっていうふうに思われたくない、知られたくないという方もいたり、あとなかなかできなくて悩んでいる人だって思われたくないっていう人もいます。
あと、不妊治療で相対とか欠勤とかそういうことをやってしまうんですよ、どうしても。特に対外受精などに進むと、それはやらざるを得ないんですね。そういう時に周りに、もう勘弁してよ、みたいな感じに思われるっていうのが嫌だなっていう方もいらっしゃいますね。
あとは、いつできるんだろう、誰々さん、いつできるんだろうって気を遣わせてしまうので、話してしまうとね、ゴールがいつかわからないものですから、そういうふうに気を遣わせてしまうのが嫌だっていう理由もあります。
あと、そもそも不妊だと思われること自体に抵抗があるというような意見もあったような気がしますね。そんないろいろな思いが絡み合うのが不妊治療だと思っています。
ただ、私は話す派だったんですよ。これはあんまり周りのことを気を遣ってなかったのかなっていう気もしますが、そもそも私はこういう自分の体験を漫画にするということを結構なりわいとしていたもので、いろんなことを包み隠さず話すタイプなんですね、プライベートでも。
しかも、私は不妊治療をしていたとき、全職のデザイン会社に勤めていて、東京支社というのは本当に小さな事務所だったんですよ。マックス7人、この当時は6人だったんですけど、そんな感じで家族的な、そんな感じの仲間たちと一緒に仕事をしていたという雰囲気だったので、ちょっと言わざるを得ないというか、話せる仲間たちだったので甘えて話させていただきました。
家族に対してなんですけど、これはですね、うちの両親はですね、もう当時からずっと本人主義で、特に私が絵の道に進むようになってからは、もうなんでしょう、娘は芸術の道に行ってしまったんだから、もう自由に行きなさいみたいな感じにずっと優しくほっといてくれました。
なので、まあ半ばね、諦めモードっていう感じもあり、結婚はいつなのとかね、孫はいつ見せてくれるのとかね、そういうことを一切言わない両親だったんですね。
もう本当にありがたいと思って、好きな道をひたすらもうね、自分の体のことなんて気にせず酷使して絵を描きまくっていたというね、そんな20代、30代でした。
で、ただ一度ね、自然妊娠で授かってしまった時に、ちょっと嬉しさのあまり、フライングで親に報告してしまって、その後ダメになってしまったっていうことがあったので、まあその後ね、とにかく安全にね、もう報告しても大丈夫っていうところまでは、もうあえてあんまりね、この話題には触れないようにしていたんですよ。
でもちょっとね、なかなかそこからが長かったので、まあ一度ね、胎外受精に進む時に、ちょっとお互いの親には一言ね、こんな感じなんだよっていうのをさらりと話そうかっていうのを夫と相談をして、正月とかに会う時にさらっと話そうという流れになりました。
で、この時の伝え方がすごい大事だなって当時思っていたんですよ。私は低AMH値っていうね、残り卵子が少ないよって血液検査で分かる値なんですけど、それがとっても低くて、どちらかというと私の方に原因があるような雰囲気ではあったんですね。明確な理由は不明ではあったんですけど、
なので、私はどうやら年齢の割にはできにくい体質であるっていう感じだったんです。で、もしかしたらどんなに頑張っても私たちは子どもは授かれないかもしれないということも改めてちゃんと言っとこうと思ったんですよ。
で、なんだけど、できない可能性も高いけど、でも手を尽くして体外受精にトライすることにしたんだよ、みたいな言い方をしました。ここがポイントで私たちにとって、その頑張ったらできると思うんで手を尽くしますではなく、頑張ってもできない可能性が高いけど、でもやってみますみたいな、なんかそういう伝え方をしました。
まあでも、こうやって言ってしまったことで、私的にはちょっとプレッシャーが減ったような感じがしました。で、まあ、酷な話なんですけど、こうやって話すことによって、両親にもある程度、孫がいない未来っていうのを心の準備してもらった方がいいかなっていうのもありまして、そんな伝え方をしたんですね。
で、まあ私たちもそうやって徐々に徐々に私たちにはできない可能性が高いぞっていう、諦めの準備をしながら不妊治療してたっていう感じだったので、まあ親にも孫の顔は見れないかもしれないんだなっていうことをね、ちょっと準備してもらった方がいいかなと思って、こんな伝え方をしました。
で、まあこんな話をしたらですね、普段全然法人主義でいろいろ言ってこないね、父母なんですけど、父の方がそっかーって自分の子孫が残らないっていうのは、なんかやっぱりちょっと寂しい気もするなぁみたいなことを、ちょっとほろよいな感じで言ってたんですね。で、まあ頑張るよーみたいな雰囲気だったんですよ。
で、夫の方の親に関しては、私がね、その対外受精やってみることをしたんですよ、みたいな話をしたら、なんかすごく嬉しそうで、他の親戚にはやみさんがね、今妊活頑張ってくれるってね、言ってくれてね、みたいなことを、なんか酔っ払いながらね、嬉しそうに話されてたんですよね。
で、それを見て、今まではね、孫はまだか攻撃っていうのは全く受けてこなかったんですけど、なんかすごい応援されてると思って、やっぱり孫の顔って見たいんだなーってね、なんか改めて実感したんですよね。
で、まあこういった親へ話したことが、私はプレッシャーになるというわけではなく、逆にこのカミングアウトは、なんか力強いね、もう応援団を手に入れたっていう感覚になりました。
妊活に関するアドバイス
なので、まあできない可能性は高いって両親、親には伝えたんですけど、絶対諦めないぞ、絶対孫の顔を見せてやるぞ、みたいな、なんかそんなね、気合い入れになったなーという気がしました。
話す話さない、一応ね、家族編と職場編とありまして、今家族編だけで10分経ってしまったので、またね職場編はちょっとせっかくなんで、別の回でもう一度話そうかなと思います。
今日は、「運命の卵はどこへ?」の番外編、妊活について、周りに話す話さないについてお話ししてみました。
私が妊活していたのはね、もう10年以上前の話なので、またね時代もちょっと変わってきているかなとは思いますが、今もし不妊治療を頑張っていらっしゃる方がいましたら、
家族関係っていうのは本当人それぞれなので、どういう形がベストかっていうのは本当に千差万別だと思うんですけれども、
されているあなたが笑顔でね、ストレスがなるべく少なく過ごせているといいなというふうに思っております。
ボイシーエピソードアワード2025に、自分としてはこの回が選んでいただけると嬉しいなというのを一応、昨日の放送でも話しております。
運命の卵はどこへの最終回の放送はURLを貼っておきますので、よろしければご興味ある方聞いてみてください。
また話します。