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2020-12-01 03:26

# 72 わたしがわたしでいられる時間

愛
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わたしがわたしでいられる時間
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親愛なる皆様、アロハです。幸せって何だっけ?研究所、愛です。
まただいぶあえたが空いてしまいました。反省しております。
というのもですね、先日までパートナーが9日間バケーションをとってまして、
いつもは11月ってね、ちょうど日本に帰って里帰りを満喫しているところなんですけども、
今年はね、コロナの影響でそれもNGということで、
まあ旅行するにもね、こういう時期なので、バンクーバンもプチロックダウンみたいな感じなので、
あんまり不要不急の外出は避けましょうという感じなので、
スクワミッシュというですね、エリアがあるんですけども、
大きな一枚岩が、巨大な岩山があって森があって川があって、
ファーストネーションの方が昔からその聖地として暮らしてきた場所なんですけど、
川のほとりのコテージを2泊3日で予約してそこに行ってきました。
プチ旅行ですね、息抜きに行ってきました、家族3人。
これがですね、なんかすっごい良かったんですよね、私。
すっごい良かった。また帰りたいみたいに思ってるんですけど、
何が良かったかというと、何だろう、なんか役割から解放されたっていう感じだったんですよね。
やっぱりお家にいるとね、ちょっとここ掃除しようとか、
ちょっと今ユタロウがねんねしたから、今のうちにパソコン開いてお仕事しようとか、
昆布茶のマザーがちょっと巨大化してきたから、ちょっと駅を入れ替えて昆布茶作ろうとか、
昆布茶ってあれですよ、紅茶きのこ。
そんなことはいいんですけど、何かしらの雑務に常に追われているっていう状態なんですよね。
追われなくてもいい何かに、常に私は追われていたなっていうことに気づいたんですよね、そのコテージの中で。
何も追われるものがないっていう、それはただの私でいられるっていうことなんだなって。
ユタロウがいるからね、ユタロウのことは常に気遣うっていうかね、
ご飯食べさせてお風呂入って、母親でいることは、もちろん放棄はしてないんですけど、
それもなるべくパートナーに任せて、自分が自分で、ただの自分でいられる時間っていうのを非常に満喫できたなって思いました。
いかにそういうことに囚われているか、役割とかそういうやらねばならないっていうことに囚われているかっていうことにすごく気づきましたね。
そこにもちろん行って、本当にすごくシンプルな、こじんまりしたコテージなんですけど、
Wi-Fiもないし、テレビもないし、そういうゆったりした、何にもない、必要最低限のものしかないところでね、お料理したり、本読んだり、
本当にすぐそばが川なので、川に遊びに行ったり、イーグル見に行ったり、そういう時間をね、過ごす。
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そういう場所に行くのもいいし、でもその囚われない時間っていうのは、わざわざそこに行かなくても、この場所、今いるお家、今いる今日、ここ、私がいる場所から始められるのかなっていうふうにも思いました。
そんな気づきがあった時間でした。
というわけで、今日も引き続き、良い一日をお過ごしください。バイバイ。
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