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親愛なる皆様、アロハです。幸せって何だっけ?研究所、愛です。
バンクーバー、本日はね、朝からいいお天気です。というわけで、
マインドフルネスごみ拾いに今日も行ってきました。
今日はね、ちょっと、ゆーたろが保育園に行っている間に、
お仕事を家でしようと思ったんですけど、そのお仕事、コピーライティングのね、お仕事の、
ちょっと内容を練り練りしようかなと思って、
そういう時ってやっぱりお散歩とかね、なんか、ふーっとした時にフレーズが思い浮かんだりするので、
これはマインドフルネスごみ拾いだ、ということで、ちょっと30分ほどパトロールしてきました。
でですね、やっぱり落ちてましたね、ごみがいっぱい。で、謎に、謎に大きいごみとかあるんでびっくりするんですけどね、
なんだろうな、本当にこれはごみなのか、それともごみ箱なのかみたいなものがあって、
これはちょっと持ち帰るべきか、ここにとどまらせるべきかみたいな、
まあその疑問もね、いろいろ湧いてくるマインドフルネスな時間なんですけども、
で、こないだね、マインドフルネスごみ拾いのチームで対話会をしたんですよね。
で、その時にお話ししてたで、すごく面白いなって思ったのが、
やっぱりごみを捨てちゃう人って悲しいんだっていう話があったんですよね。
そう、悲しいから捨てちゃう。何かに怒っているから捨てちゃう。寂しいから捨てちゃう。
それは意識的にそうっていうわけではなくて、まあ無意識的にそうだと思うんですよね。
俺は悲しいから捨てるって言ってるわけではなくて、もう自動的にそうしちゃうというかね、
自分を大事にしてない、自分を大事にされてないっていうことがあって、
そう、それがごみを捨てるっていう行為につながっているんじゃないかなっていう話をしてたんですよね。
だから自分への無関心っていうのが、こういうエリアとか地球への無関心っていうのとイコールなんじゃないかっていう話をしてたんですよね。
まあそれが、彼らの悲しみがどこから来るのか、彼らの怒りがどこから来るのかっていうと、
やっぱり貧困とか差別とかいろんなトピックにもつながっていきますし、
でもってそこに思いを馳せてその課題を解決するっていうこともね、考えたり行動していったりっていうことにもつながっていくし、
あとは、だからごみを拾うっていうのは、その人たちの悲しみとか寂しさ、怒りを拾うっていうことにもつながるんじゃないかなっていうお話をしてたんですよね。
ごみを拾うことで、直接的ではないんですけれども、間接的にもしくは真相心理的に、
その人たちの気持ちを受け止めてあげるっていうか、悲しみを拾ってあげる。
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それを然るべき場所に返してあげるっていうことなんじゃないかなっていう話をしてて、
いや、やっぱ深いな、マインドフルネスごみ拾いっていうふうに思ったんですよね。
やっぱりね、思うと悲しい場所にごみは多いんですよね。
いろんなね、ちょっと問題があるエリアっていうか事件が多いエリアとか、殺伐したようなところにごみは多いんですよね。
だからそのエリアを何とかしようっていうこともそうだけども、
その場所、ごみを拾う悲しい場所の悲しみを拾うことで、
その悲しい場所をなくしていく、愛のある場所にしていくっていうことが、
そのごみを拾うっていうことでもしかして可能なんじゃないかなって。
愛されない場所を減らしていく、愛される場所を増やしていくっていうことが、
その場所をきれいにするっていうことだけじゃなくて、そこにごみを捨ててしまう人たちの心も、
いつか愛が届くんじゃないかなっていうふうに変わっていくんじゃないかなっていうふうに思いました。
深い。本当にね、いろんなことを考えさせられる、いろんなことに気づかされる、
ごみ、マインドフルネスごみ拾いでございます。
コピーのライティングのフレーズもちょっと思い浮かびましたので、
花は花であるように、鳥は鳥であるようにっていう2行浮かんだので、
これをちょっと今から膨らませてみたいなと思います。
というわけで、今日も皆様良い1日をお過ごしください。
私、Facebookのグループでマインドフルネスごみ拾いっていうグループがありますので、
ぜひぜひ皆さんご参加ください。
またワークショップというか対話会もしようと思っているので、
ぜひぜひ一緒に遊びましょう、この星を。
そんなわけで、今日はこの辺で失礼します。バイバイ。