カナダから日本への帰国と父との過ごし
真の愛なる皆様、アロハです。愛です。とってもとってもお久しぶりでございます。多分半年以上会えちゃったんじゃないかなと思うんですけど、
はい、帰ってまいりました。帰ってまいりました。愛はフラクタル。そしてカナダに帰ってまいりました。ご存知の方はね、これ聞いていらっしゃるならほとんどだと思うんですけど、
父がね、あの、余命半年ということで、がんでね、戦国をされまして、で、日本に息子連れて帰って、去年の11月ですね、帰りまして。
で、まあ3ヶ月ね、一緒に過ごして。で、3月に無事にね、見取りまして。で、お片付けなどなど。
はい、もうとってもとってもとってもとってもとっても大変だったんですけど、本当にとってもとってもとっても大切で、もうかけがえのない毎日を過ごしてまいりました。
いやいやいや、すごかったよ、いろんな意味で。
まあね、あの、SNSの方でもね、いろいろその時々の状況なんかもシェアさせていただいたんですけど、
まあ人をね、大事な人を見取るっていうのはね、本当にきれい事だけじゃないこともすごくあるし、まあ5歳の息子連れてね、帰ったもんで、
あの、幼稚園どうするとかね、あの、まあカナダのね、家の家賃も払いっぱなしだし、仕事はもうね、保留にしっぱなしだし、なんかほんと360度。
そんな中でね、まあとにかく父をね、どういうふうにあの、最後のね日々を過ごしていくかっていう。
とにかく360度ね、ケアすることだらけで、はい、あの、まあ言い尽くせぬ日々だったんですけど、
それでもね、やっぱりそういう怒涛の中でこそ、あの、でしか、その怒涛の中でしか感じられない、あの、素晴らしいものっていうものがあったりとか、
怒涛の中だからこそ受け取れる皆さんからのね、ほんと愛だったり祈りだったり、リンゴ送ってきてもらったり、なんかクロワッサン買ってきてくれたり、
なんかほんとたくさんの人にね、愛されてサポートされて、あの、今ここにね、このように、はい、これを配信しているなというふうに思います。
本当にこの場を借りて皆様ありがとうございました。
まあ父のことはね、なんていうのかな、まあその時々のね、ご報告などはしてきたんですけど、やっぱり3ヶ月一緒に過ごして、
すごいね息子と私と父と三代で過ごした日々の中で感じたこととか、あとまあ息子はね、そのおじいちゃん初めてその死という概念をね、目撃したわけですよね。
なので、まあその息子がそれをね、どういうふうに受け取ったかっていうのも私にとってもすごくね、学びというか、私自身のね、世界とある世界観を変えてくれた体験になったし、
でもって父と私の関係ですよね、まあ孫とおじいちゃんの関係っていうのも素晴らしかったし、でまあ父と私の関係、これまた母を見とった時と母の関係とまた全然違うわけなので、
父は父とのね、関係があって、そんなにめちゃくちゃ仲良いってわけでもなかったし、どっちかって言ったら母のことでよく喧嘩してたし、
まあでもなんかお茶目なとことか面白いとことか、その文学好きなとこっていうのは父にね、ルーツがあったりっていうのもあったんですけど、
まあこれどういう風なね、死にざまって言ったらおかしいですけど、どんな最後になるんだろうっていうことを本当に飛行機待ちながらね、バンクーバーの空港でね、考えたことをね、今思い出すんですよね。
なんかどんな半年間になるんだ、とりあえず嫁半年って言われたから半年チケット取ったけど、どんな日々になるんだろうって、どんな死にざまをね、死に際をね、見せてくれるんだろう。
それがきっとね、父のね、生きざまになるんだろうなっていうのは、本当に飛行機を待ちながらなんとなく感じていたんですよね。
結果的には、もう本当にね、ほとんどここが一番かっこよかったんちゃうっていうぐらいに、まあよくやったなっていう。
まあでもそれは本当に、ただただ綺麗な美しい素晴らしいことだけじゃなくて、足物世話とかね、いろいろ歩けなくなってとかね、わがまま言ったりとか、専門ね、ちょっとおかしくなっちゃったりとか、本当にいろんな大変なことがあるんですけど、
もう全てが終わって、振り返ってみて、そしてその瞬間瞬間の中で、本当になんかね、もう怒涛なんですけど、汗と涙と、本当ね、粉におまみれなんですけど、それでもなんか輝いてるものっていうのがね、すごいあって、
これはね、ちょっと語りきれないので、思い出した日ごとにね、思い出した時にね、またちょっとね、皆さんにシェアしていきたいなというふうに思います。
はい、ありがとうございます。なんかポッドキャストさ、めっちゃ喋るの久しぶりだったから、どうやって喋るんやっけと思ってんですけど、
父の死と父との関係性
あんまりね、真面目に、真面目にやっても仕方ないって言ったらあれですけど、まあまあね、気軽にやっていきたいなと、また再会していきたいなというふうに思います。
そんなふうにね、本当に父の命を見取ってですね、でも見取ってからもね、お葬式やら、始塾の家やら、お墓のことやら、家のことやらね、家具の処分やら、なんやらなんやらでね、本当に死ぬ前の3ヶ月も大変だったし、死んでからの3ヶ月も大変だったし、
そして帰ってからもね、半年家を空けてたもんで、片付きやら荷物やら、とにかくね、やっと1ヶ月経って、一息ついて、このようにちょっと芝生にね、
一軸の木の下でですね、またここに戻ってきて、このようにマイクに向かっているわけなんですけど、
でね、やっぱりこの半年で、父がね、ほんと丸裸の命を見せてくれて、
でもって父のルーツとかね、いろいろと処分したり、荷物を出てきたり、父の昔の日記が出てきたりとか、
父のね、本棚、大事にしてた本棚を岩村のね、日文のコミュニティ、コミンカの方にね、移動させてもらって、
で、本とかもね、そこにちょっとみんなが読めるような本はね、置かせてもらったりとか、
まあまあとにかくね、自分のルーツ、父のルーツを紐解くことで、紐解かざるを得なかったんですけどね、本当に。
荷物を通してね、片付けを通して、紐解いたりとか、一個一個そのね、父が読んでたような本をね、手にして、
まあどこにやろうかな、処分しようかなっていうのを悩む中で、こういう風なものに興味があったんだなーとか、
こういう世界をね、美しいと思ってたんだなーっていうのがね、すごい感じでですね。
で、それが私の中にも入っているなーっていうのをすごい感じたんですよね。
ちょっと泣きそうなんですけど、あんまり悲しむ時間がなかったっていうか、悲しむ暇もなかったんですけど、
何だろうな、亡くなって、まあとにかくバタバタして、いろんなことに追われてたから、しっかりと悲しむ暇がなかったんですよね。
母の時はね、結構ね、まあ父もまだ生きてたし、私も結構長いこと、子供もいなかったしね、その時は、
とにかく悲しみに浸ってたんですけど、父の時は、母の時の悲しみとはまた違うっていうのもあるし、
まあとにかくね、子供もいるしね、期間限られてるし、家も手放すことになってるしってことで、悲しむ暇がなかった。
でもなんかね、ふとね、こういう風に話してる時とか、なんかふとね、写真とか見て、
ほんの半年前、だから半年前は、いつ?1月とかですよね、1月とか。
で、最後に配信した12月の時は、まあ嫁半年ってことは分かってたけど、父は生きてたわけですよね。
で、生きて、お正月とかね、ご機嫌でおとそも飲めたし、おせちもね、食べてご機嫌にしてたわけですよね。
うん、なんだけど、あ、もういないんだっていうのが、1年前はいたのに、半年前はいたのに、一緒にね、こたつ入ってね、ゆきみ大福食べてたのにっていうね。
なんかそれふと思い出してね、なんか、うん、まあ寂しいなーって思うし、ちょっと不思議、まだ不思議な感じなんですよね。
でもね、なんかね、亡くなる時とか亡くなってからの方がすごい、なんだろうな、まあとにかくもう肉体はないわけですから、エゴもないわけですから、
父の謎のわがままとかね、本当に腹立ててた謎の俺ルールとか、もう全部ね、灰になっちゃったわけで、
ただただのその純粋にね、純化された父の存在みたいなものだけが私の中に、もしくは世界のすべての中にあって、
それがね、ふとね、何かをきっかけに語りかけてくることがあるんですよね。
なんかちょっとした偶然で出会ったものの中に、そういう父からのメッセージが入ってたりとか、
やっぱ手にした本の中に、これ父からだなっていうものが入ってたりとか、だから本当にね、死んでもね、全然亡くならないし、ただ新しい関係になっていくっていうことなんだなーって。
まあ母の時もそうだし、父の時もね、それをすごい感じてるんですよね。
まあそんなことをね、感じてると、なんか寂しいとか悲しいとかじゃなくて、なんか素晴らしいなーって。
ルーツの探求と命の価値
素晴らしいなーこの世界はって思うんですよね、本当に。素晴らしいなー、美しいなーって思うんですよね、この命と命の関わりとかね。
起きてることって、人間って本当にバカで、愚かで、残酷で、どうしようもないこともあるんだけど、でもそれでも素晴らしい、愛おしい、美しいって思うんですよね。
だからここまでやってきたと思うんですよね。これからどうなるのかわかんないんですけど、でも愛がなかったら私たちの命はね、ここまで来てなかったわけで。
愛があったから、ここまで家開いてこれたと思うんですよね。
まあその話はちょっとね、また今度したいなと思うんですけど。
まあとにかくね、この半年で本当に命を見せてもらったし、本当に限りある命ですよね。
私だって明日死ぬかもしれないし、今日死ぬかもしれないし。
まあ120まで生きるって言われてるんで、3人の手相見にまだまだ生きるかもしれないし、それは本当に誰もがわからないわけで。
でもわからないけど死ぬことは決まっている。
でもなんとなくずっと生きるような気がして、今日この瞬間を生きてるっていうのがほとんどだと思うんですよね。
でも本当にまあね、父の命をね、最後まで見せてくれたこと。
で、その後にね、いろんな父の日記とかね、父の本とかいろんなことを手にしながら、
父がこの世で表現したかったことを見せてもらったり。
あとまあ、おじいちゃんのね、母の方のおじいちゃんの遺品というか片身みたいなものが出てきたんですよね。
で、まあ母方の方は村長さんとか校長先生みたいなね、そういう仕事、そういう系の人がね、多かったんですけど。
まあおじいちゃんもね、校長先生してて。
で、そのことは知ってたんですけど。
で、なんかね、短歌というか俳句の短冊っていうんですか。
命を使うきっかけ
長いね、色紙のちょっと長細いバージョンでおじいちゃんの俳句が書いてあって、
それがね、なんかいっぱい出てきて、多分母がね、おじいちゃんの片身として撮っておいたものだったと思うんですけど。
だからそれ見ててね、これおじいちゃんが書いたやつだということが分かって。
で、隣町にね、その母のお兄ちゃんがね、おじさんが住んでるんで、おじさんに来てもらって、
まあいろいろそっちのね、母の方の掛け図見せてもらったりとか、
おじいちゃんがその校長先生、教育に携わるだけじゃなくて、
あの、俳句、言葉、その俳句を通じてね、
町おこしというか村おこしというか、そういう地域の活性化をしようと。
あと市議員の先生、市藩だったとか、
まあそういう活動してたというコミュニティとか、
その言葉を使ってそのコミュニティを盛り上げるということをしてたっていう話をね。
なんか兵庫県のね、県知事さんに表彰されたこともあるんやでとか言って教えてもらって、
おじいちゃんもそうだったんだっていう、私言葉の仕事してるんですけど、
それはやっぱり母、あの父のね、文学好きのね、父の大きな本棚にね、膨大な本があったわけで、
そこから来てるんだろうなって思ってたんですけど。
で、父の日記もね、若い頃の日記とか出てきちゃってね、恥ずかしいやつ。
私はなんか死を志しますみたいなね、文学に生きていきますみたいなこと書いてあったんですけど。
なんかまあそれもね、かなわずっていうか、母とその後出会って家族を作るっていう道に行ったんですけど、
まあそういう思いがあったんだっていうこともなんとなくは知っていたけど、
改めてね、父の筆跡を見て知れたし、
次おじいちゃんのね、お母さんのほうのおじいちゃんの筆跡で、
おじいちゃんもそういうことをしてたんだって。
単筆すぎてね、そのおじいちゃんのやつはね、単筆すぎて何て書いてあるかちょっとわかんない。
どういう俳句なのかちょっとわかんないですけど、
なんとなくおぼろげにわかるやつとかもあって。
それがね、やっぱりね、
なんていうのかな、日常の本当に、
昔のね、おじいちゃん、本当何十年も前ですよね戦後の、
まだ日本が貧しかった時、人々が助け合ってた時の風景を切り取って、
そこになんか、愛しさっていうかね、人の営みの中に美しさとか愛しさを見出すみたいなね、
そういう感じのね、俳句だったんですよね。
それ見て、
あーなんか、
私がやってることをおじいちゃんがやっぱりやってたんやっていうね、
その父とのつながりだけじゃなくておじいちゃんとのつながりもね、
初めて感じたんですよね。
だから、私たちってまあいろんな才能とかね、
これがやりたいとかパッションみたいなもの、これが私のやりたいことだとかパッションだとか言って言うんですけど、
その私っていうものの中にもうお父さんとかお母さんとかね、
ちょっとばあちゃんとかご先祖さんとかいろいろいろいろね、
もうすでに組み込まれてて、
もう結構ね、もちろん環境とかももちろんね、環境の組み合わせとかね、
人生のね、パズルとかいろいろあって、
まあ決まるんですけど、
でももうすでに持ってるし、もうすでに組み込まれてて、
もうあるんですよね。
それがもうね、みんなそれぞれ違ってて、
使命についての考え
もうあるんですよね。
それをやってるんだっていうことに気づいた瞬間に、
ああもうこの自分の命を、
もう行ってきたりとも無駄にしたくないっていう風に思ったんですよね。
この命どう使うっていう、
私たちはね、この地球に遊ぶためにやってきたっていうね、
本当に楽しむために、自分を生きるためにやってきたっていう、
私この数年というか、20代で自分とね、めっちゃやってから、
本当好きなことしかしてないし、好きな人としか遊ばない、
好きな人としか遊ばないって言ったらちょっとあれだけど、
なんかエコチェンバーみたいな、ソーシャルバブルみたいな、
あれもありますけど、
でもね、出会う人出会う人素晴らしいし、
全部好きなことしかやってないんですよ。
でもそれでもやっぱり、なんかね、恐怖に駆られて、
ちょっと前のエピソードでね、インスタの話とかしてましたけど、
ちょっと恐怖に駆られてね、なんかそういうSNSを使って、
自分を発信していって、お金を稼がないと、
稼がないと、みたいな、そういうね、
病にね、陥ることもあって、
でもね、もうなんかそういうのは全部いいやって思ったんですよね。
もちろんそれもできるし、得意だし、
楽しいんですよ、ある程度。
でもその、なんでやってるかって言ったらやっぱ不安だからとか、
お金が欲しいから、お金がないと困るからっていう、
そういうね、最初の意図があるっていう時点で、
もう違うやんっていう風に思うし、
で、そういう世界を私が作りたいのかって言ったら、
全くそんなことないし、
そういうね、お金を稼ぐために稼ぐ、みたいな、
で、このツールを使って、
お金の稼ぎ方を教えて、お金を稼ぐとか、
私も文章のね、講座とか、
添削とかね、コピーライティングとかやってますけど、
同じやるにしても、こういう文章を書いたら稼げますよとかね、
こういう文章を書いたら何とか率がアップしますよとか、
リーチが上がりますよみたいな、
そういうのも全部どうでもいいわっていう風に思ったんですよね。
思ったんですよ。
っていうのはやっぱり、父とかね、
おじいちゃんの命をどういう風に使っていきたいかっていうこともそうだし、
父やおじいちゃん、お母さん、みんなそうですけど、
みんなそうやってね、この世界を去る時が来るわけで、
それまでに自分がね、この世界に対して何ができるかなっていう風に、
やっぱり考えるんですよね。
で、私の命を、
リーチ数上げるための文章図みたいなことに使うとしたら、
私が死んだ後に残る世界は、そうなってるわけですよね。
ある程度私が関与したことで、
微力ながらね、そういう因果律奏でてるわけですよね。
じゃあ自分の息子とか、息子じゃなくてもね、
子どもたちにそういうね、こうやって稼ぐんだとかね、
こうやって数字を上げるんだとか、
そういう世界に生きてて欲しいかって言ったら、
もう全然どうでもいい、そんなことみたいな。
全然存在して欲しくないし、息子にそんな世界に生きて欲しくないし、
もっと楽しい、もっと美しい、もっと本当に本当に大事なことがあるっていう風に、
もう分かってるから、もうそっちはいいやっていう風に、
もう全部、100%手放したんですよね。
そう、手放しました。
生きがいメディアラボの設立
やっぱね、めっちゃ楽になりましたよね。
めっちゃ楽になりました。
お金はね、すごい大事だし、やっぱお金によってね、
戦争になったりとか、本当苦しみがね、生まれたりっていうのはすると思うんですけど、
今のところ、ありがたいことに私は、
明日ね、家を放り出されるってこともないし、
もう本当に家賃が払えなくなったとしても、
岩村のね、井上村にどうぞって、住んだらって言ってくれるお家がね、あるし、
でもこれ別に私だけじゃなくて、みんなきっとそうだと思うんですよ。
これポッドキャスト聞いてる人たちはね、きっとね、
インターネットこうやってね、使えて、携帯使えて、パソコン使えて、
きっとね、助けてって言ったら助けてくれる人もいる。
だからね、大丈夫なんですよ、結局。
結局、いろいろ噂をしても、噂をせず、噂をする代わりに踊ってても、
本当に大丈夫なんですよ、結局。
はい。なので、じゃあ何に命使うっていう話じゃないかなっていうふうに思うんですよね。
で、私はもうね、何に命を使うかっていうことは決めました。決めました。
はい。それはやっぱり、愛と言葉ですよね。
今までもそれやってきたんですけど、ますます本当に原流に、原流のところでね、
この力、力っていうかね、何でしょう、本当に命ですよね。
授かった命をね、使っていきたいなというふうに思っています。
まあ具体的にはね、生きがいメディアラボっていうのを立ち上げておりまして、
こないだオープンラボをね、第一回させていただいたんですけど、
まあ本当にね、私が秘密裏に研究、秘密じゃないけど、秘密裏に研究していることとか、
日本のそういうね、英知、素晴らしい英知だったり、日本だけじゃなくて、やっぱ海外にもね、
そういうことね、どうしたらね、みんなが幸せになれるか、誰一人取り残さずに、
よりよく生きていけるかっていう戦いをね、止められるか、なぜそれが起こるのかっていうことを研究して、
本当に真剣に命懸けて研究している人たちが、日本だけじゃなくて世界中にいて、
それをやっぱり繋ぐ必要があるっていう、そういう英知とかね、愛をね、
統合していく必要があるなーっていうふうに思うわけです。
そんな大きなミッションにね、私の、なんだろう、とってもね、
ちっぽけ、ちっぽけだと思うじゃないですか、本当、私の命って。
なんかちっぽけだけど本当に偉大なるね、命だなって思ってて、私だけじゃなくて、
誰一人取り残さずみんなね、そうなんですよね。
ちっぽけなんだけど、大いなるこの命をそれに使っていこうというふうに決めました。
なんか結構喋ってますね。
もうちょっとまとまった感じで喋れるようにね、これからリハビリしていきたいと思うんですけど。
だからね、そうなんですよね。
みんなそういうふうにね、なんだろう、本当に、なんだろうな、そういうふうに大事な人がね、
その命の本当の、なんだろうな、魂に帰っていく姿を見せてくれるとか、
なんかものすごい困難に遭うとか、びっくりするような出来事があるとか、
なんか人生の一大事にしか私たちって結構真面目に考えないと思うんですけど、
なんか昨日と同じように今日が続いていればいいかって思っちゃうんですけど、
ビジネスとギブネスのハイブリッド
まあそれでOKっていう人もいるし、だって前世あんなに頑張ったからこの世はちょっとのんびりやらせてくれよっていう人がいてもいいし、
いやそうじゃなくて、本当に本当に私が何しにこの星に来たかっていう、この命をね、
何に使うのかっていうのを真剣に突き詰めてね、
無駄遣いしたくないっていうふうな思いがあるのであれば、やっぱりね、それを見つけて欲しいなって思うし、
なんだろう、そのお手伝いができたらいいなっていうふうに思うんですよね。
まあとにかく、はい、頑張ります。
ビジネスもね、ギブネスラジオもね、ギブネスラジオは結構ね、秋子さんと日本にいる時も続けてきたんですけど、
ギブネスもね、これからますますね、面白くなっていくし、本当に100年後のスタンダードになるんじゃないかって真面目に思ってたりするので、
でもまあ今のところはとりあえずね、ビジネスとギブネスのハイブリッドでいきたいなっていうふうに思ってます。
まあでもビジネスもね、なんか自分を売るために頑張るとか、自分を土俵に乗せてね、スポットライター浴びせてね、
なんかドーラン塗ってね、青相撲さんドーラン塗らないかもしれないけど、塗ってね、なんかそういうのさ、もうなんかもういいやと思って、
売るために頑張るっていうのはもういいやと思って、ただただ私がね、私の命を惜しみなくね、
発言させて、発言とか表して、この世に表して、それにね、蝶ちんのようにね、光っている私をね、何かしら嗅ぎつけてくれてね、
皆さんからコピーライティングとかペライチのね、お仕事いただくとかね、これ手伝ってっていうふうに声かけていただく、
そういうふうなね、お仕事、そういうふうなご縁の中でのビジネスっていうのはもちろんね、続けていくし、
私のね、大好きなお仕事でもある、でもってその生きがいメディアですよね、これもそうだし、研究をね、いろいろ表現していくっていうこともそうだし、
なんかこれに関してはもちろんマネタイズはしていくんですけど、もう本当にギブネスでもやりたいっていう、やらずには折れないっていう、
それは私がやらずには折れないのか、私の中にある何かの誰かのみんなの命がね、やりたいって思ってることでもあると思うんですよね。
サブスクリプションの考え
だからこれは本当にやっていこうと思っていて、だから本当に皆さんよろしくお願いします。
一緒にやっていきたいな、皆さんと本当に一緒にやっていきたいなと思うし、
ちょっとアイちゃん頑張ってるやんみたいな感じで、私をね、サブスクしていただくみたいなね、こともちょっと考えていきたいなと思ってて、
例えば私もね、いろんな人をね、何人かの人をね、この人にこの世界に存在してほしいって思う人に毎月ね、ちょっとサブスクさせていただいて、ささやかながらいただいてたりするんですけど、
なんかあのシステムいいなと思ってて、ギブネスラジオの方でね、ちょっとこの話よくしてるんですけど、誰かにサブスクしてもらう?
そうすることで、なんか私がなんだろうな、私のためだけじゃなくて、みんなのためになること、世界のためになること、私がそれを本当に私にしかできないことをやることで、
命に突き動かされて、ミッションというかパッションというか、それをね、命を、なんていうの、ごめんなさい。
それをやることで、みんなが良くなる、世界が良くなる、それを確信、そうなること、良くなることを確信しているから、もうただでもやるっていう、
そのようなことに命を使っていきたいと思っているので、そうそう、サブスクね、してくれたら嬉しいなというふうにね、ちょっといろいろ考えてます。
はい、そんなわけで、なんかダラダラ話しちゃったんですけど、もうちょっとね、トピック決めて、これからまたね、発信していきたいなというふうに思います。
はい、というわけで、みなさんこれからもどうぞますますよろしくお願いします。
そして半年間ね、いっぱい愛を送ってくれた、支援物資を送ってくれた、助けに来てくれた、みなさん一人一人に感謝を、愛を送ります。
はい、というわけで、下旬のね、下旬明けのカナダの晴天の下、お送りしました。
引き続き良い一日をお送りください。
じゃあねー、バイバイ。