1. AFAP
  2. RS#5「団体戦が好き|木曽 哲..
RS#5「団体戦が好き|木曽 哲夫選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道
2026-08-28 1:18:16

RS#5「団体戦が好き|木曽 哲夫選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道

AFAP(アファップ)。このプロジェクトは、「バックヤードウルトラ」という競技に魅せられたウルトラランナーたちによる共走と挑戦に光を当てます。「As far as possible 私たちはどこまでいけるのか?」走ることでつながった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。


今回は、RS#5「団体戦が好き|木曽 哲夫選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道

【内容】

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)が遂にスタート。

5回目ゲストは木曽哲夫選手(PB: 75LAP)

ウルトラの世界では輝かしい記録を残しながらも、バックヤードウルトラのフォーマットに関しては「できれば出たくない」と話す。その木曽さんがそれでもサテライトに出場する理由とは。


水野倫太郎/通称・ミチタロウ(Instagram:@michi_bagman_ultrarunner)

昨年のDead Cow Gullyにて、Dead Cow Gullyにて94LAPを記録。BAGMANの愛称で知られ、「走るはつなぐ」をテーマに、海外バックヤード転戦中。


AFAP(Instagram:@afap_ultrarunning)

「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」をテーマに、2025年6月Dead Cow Gullyをきっかけに立ち上がった日本人ウルトラランナーたちによるプロジェクト。当初はドキュメンタリー制作が目的。現在は、大会主催やコミュニティづくりに至るまでバックヤードウルトラや「共走」の魅力を伝える活動を幅広く展開している。


Podcastでは「共走と挑戦のドキュメンタリー」をテーマに、以下のシリーズを配信しています。

・SDシリーズ:Seven-day Project(ミチタロウ7日間への道)

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)


Documentary映像「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」視聴リンク:https://youtu.be/aY3RQz1ADoM?si=5t8dHO2wnGWrCu2m


編集: 岩崎智之

Aidpo (エイドポーション)オンラインプラットフォーム運営

https://discord.gg/EfS8jMGXB5

↑↑↑

TEAM AFAP情報もこちらから見れます

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:05
AFAP APAP このプロジェクトは、バックヤードウルトラという競技に魅せられたプロウルトラランナーたちによる競争と挑戦に光を当てます。
As far as possible 私たちはどこまで行けるのか。 走ることで繋がった仲間たちと、この世界の魅力をお伝えしていきます。
はい、プロウルトラランナーの水野満太郎です。 本日は2026年8月27日夜の8時半頃ですね、収録をしております。
今回はですね、バックヤードウルトラ日本代表世界一への道ということで、10月17日から開催をされるバックヤードウルトラ国別対抗戦、
通称サテライト大会に向けたインタビュー企画、第5弾ですね。お届けをしていきます。
今回のゲストは木曽哲夫選手です。木曽さんよろしくお願いします。 よろしくお願いします。よろしくお願いします。
木曽さん出してますね。 木曽さんですね。はい。
いつぶりですかね、去年の茨城大会。 ああ、そうか、そうですね。
11月以来。 あ、いや、その後、神奈川の時に絶対に顔を出したの。
来ていただきましたね。なので、2月からだから、ちょうど半年ぐらいですね。
そうですね。
どうですか、その後、お変わりないですか、お元気ですか?
まあ、ぼちぼちですね。
ちょっとその具体的なところはこの後で聞いていけたらなと思うんですが、
私は木曽さんと一緒のバックヤード、なんなら一番最初のバックヤードをご一緒させていただいたというので、
よく知ってはいるんですけれども、改めてこのポッドキャストを聞いている方に、
簡単な自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。お願いします。
はい、木曽哲夫と言います。
茨城県在住で、もう定年が結構見えてるといったような年になります。
ロードのウルトラがメインで、トレイルもやるっていう形で走っています。
はい、ありがとうございます。
いろいろとお伺いしたい部分はあるんですけど、
おそらく今回のサテライトの15人の代表のうちの、
ちょっとこういう言い方するのは嫌なのかもしれないですけど、最年長になるんですかね。
そうですね、数ヶ月違いで僕が多分最年長かな。
その次が田中さんですね。
そうですよね。
同い年ですけど。
ですね、はい。
実は前回の収録が田中実さんだったんですけど、
その同い年であるっていうところをものすごく気にしてというか、
むしろ同じ年齢で何であんだけ走れるんですかみたいなのを言ってたので、
03:01
そこら辺もまた後で聞いてみたいなとは思うんですが、
ランニング歴で言うと何年ぐらいになるんですか。
走り始めたのが遅いので、今年でちょうど20年ですね。
遅いのでと言ってももう20年なんですね。
そうですね、気がついたらもうこんなに走ってたみたいな感じです。
30代後半からってことですよね。
そうですね。
きっかけは何だったんですか。
きっかけは、引っ越して今の場所に移った時に、
地元でハーフマラソンの大会があるっていうのを知って、
ちょっと出てみようかなと。
はい。
って感じですね。
それでやってみたら、ゴールする前にブラハギが釣っちゃって、
歩いてゴールして、それが悔しくて。
やっているうちにどんどんどんどん走りが伸びていって、
今に至るという感じです。
今に至るっていうのがかなりいろんな経験をされてきたのかなとは思うんですけど、
そもそも運動歴、学生時代やってたスポーツとかそういうのは何かありますか。
中学までは野球ですね。
野球は。
高校?
高校とかはもう全然文化部で、
で、大学、会社入ってからは、
来た野球とか、来たテニスとか、
あとはスキューバダイビング、釣り。
そんな感じで、全然ランギングとは縁がない生活でした。
でも、基本的に外にいること、外で何かをすることは、
割と好きというか、親しみがあったっていう。
そうですね。
その、インド派ではなかったですけど、
バリバリアウトドア派でもなかったという感じです。
なんかその、高校、大学とか文化部だったって言ってたのは、
具体的になんか文化系の何をやられてたんですか。
えっとですね、写真部とテレビとか。
ほうほうほう。
写真部ってのは、もっと言い方がいいですけど、
カメラ小僧っていう感じですか。何を撮るのが好きだったんですか。
いや、実は写真部はほとんど活動してなくて、
で、自分たちで写真、現像するので、
白黒写真ですね。
で、生物部のほうも実は大した活動はしていなくて、
なんか、登山行ったり。
へえ。
登山に動かれてる先輩がいたので、
なんか山連れて行かれたりとかして、
なので、なんかそんな真面目に文化部の活動をしていたわけではない。
そうなんですね。
そんな中で、生物部で山を登ってたみたいなことがあったっておっしゃってましたけど、
06:03
ランニング始めたときは、
ハーフマラソンはロードだったと思うんですけど、
トレイルっていうのにも割と早い段階で入ってたんですかね。
そうですね。トレイルは、どれくらいかな。
走り始めて3年ぐらい経ってからですかね。
もう本当にお遊びで。
ちょっと楽しみっていう感じで始めたんですけど、
そんな年に2回ぐらいしか走ってなかったので、
それをトレイルランに入れてしまうとどうかなってな感じでした、最初は。
それが本格化していくというか、
トレイランもそれなりに、
ご自身の中でそれなりにしっかりやり始めたなっていうのは、
どれくらいのタイミングですか。
2012年ぐらいだから、
6年ぐらい経ってからですかね、走り始めて。
そうですね。
だんだんロードの方も距離が伸びてきて、
それの延長線上で、
トレイルも持ち方と長い方、長い方に。
短いのだとどうしても、
トレイランに慣れてる人に全然当てないというか、
全く敵わないので、
距離が長くなってくると、
あれ、そんなにトレイルやってないんだけど、
後半になるとみんな落ちてくるなとか思い始めて、
そうするうちに、100マイルとか100キロとか、
うちの方、ロードとトレイランはあまり区別なしに、
ロングディスタンスっていう形で意識して、
参加するようになりました。
そうなんですね。
最初、ロードを特にメインでやられてた頃も、
どんどん距離が伸びていったっておっしゃってましたけど、
具体的にどんなぐらいで伸びていったんですか?
実は、走り始めて、
最初に走ったフルマラソンがサブスリーだったんです。
いきなり?
それで、いろいろ勉強しようと思って、
ランニングセミナーみたいなのを聞いてみたんですけど、
そこがたまたまウルトラをやってる最初のセミナーで、
パルパトロンっていうレースがあることをそこで知って、
面白そうだな、出てみたいと思ったんです。
でも、まだその頃はフルマラソンしか走ってないし、
いきなり246キロとかなので、
一足跳びには無理なので、
まずは100キロだなと。
09:02
で、100キロを5回走ったら挑戦しようと。
そんな感じでどんどん積み上げていって、
気がつくと200オーバーのレースがメインになって、
っていう感じで、だんだん見つかり合いとしていきました。
その200オーバーの大会に出るようになったのは、
ランニングを始めてからどれくらいですか?
そんなに経ってないですよね、今の話だと。
4年ですね。
そうなんですね。
最初のフルはサブスリーだったっていうのは、
具体的にタイムとかって覚えてますか?
調べればパッと出てくるんですけど、
最初が2時間58分28かな。
それはどういう練習をしたらいきなり、
初フルでサブスリー行けるんですか?
何をやってました?
最初のパーフマラソンで足がつっちゃったって話したんですけど、
何回もパーフマラソンにエントリーして走るんだけど、
その度に足がつって、っていうのをずっと繰り返してたんですよね。
最初のパーフが2月で、ずっと続けていくうちに、
秋ごろのパーフでついに足がつらなくなったの。
そしたらそのままの勢いでフルもいい感じで、
フクラハギを使わない走り方を覚えたのが大きかったの。
野球とかテニスの癖で、
短距離をダーって力任せにダッシュするような走り方をしてたから、
足がつってしまっていて、
そこが治ったら、いつの間にか、
どうもできました、みたいな感じです。
たぶん僕の想像するに、
そのパーフも足がつってたっていうのは、
今おっしゃったように、相当速いペースでたぶん走ってたからってことですよね。
そうですね。
だいたい1キロ何分ぐらいで、初期のハーフマラソン走ってたんですか?
いや、でも、一番最初は1時間40分かかってますよね。
で、それが1時間30分ぐらいになり、
で、これ見ると秋の手軽間で1時間21分58って出てますね。
それだって1年目ですよね。
1年目ですね。
それで、その次の津久場の2週間前かな、
岩井正門で1時間22分台で走ってて、
これならサブスリー狙えるかもって思って、
12:06
そしたらまあ、狙い通り。
周りのみんなはちょっと、いやどうせ前半だけでしょみたいな思われてたんですけど、
まあ、そんなに飛ばさずにうまいことサブスリーに乗せられて。
なんか走り始めたからいきなり速いなっていう印象なんですけど、
それはなんかご自身の中で心掛けてた練習とか、
なんか要因とかって思い当たりますか?
周りに、会社の職場で割とサブスリーの先輩がたくさんいたので、
その当時って今と違って福岡国際の出場支度っていうのがだいぶ甘かったというか、
それぐらいのレベルでも頑張れば届くんじゃないかっていうようなスタッフのタイムだったので、
先輩がた福岡を狙って練習していて、
それに乗っからせてもらって、
やってると自分も福岡狙いたいなとかって、
それで知らず知らずに。
ちなみになんですけど、別にスポーツ系の職場ってわけではないですよね?
そうですね。ただ、土地柄というか、町中の職場ではないので、
みんなっていうか、結構昼休み運動する人たち多いんですね。
連載はやったり、テニスやったり、もちろん走る人もいて、
なので、割と平日昼間から運動はやろうと思えばできるような環境。
結構すみません、別に詳細を言っていただく必要はないんですけど、
研究系の仕事ですよね?
そうですね、研究系です。
やっぱりそうなると逆に、休み時間は体を動かしてリフレッシュするみたいなのが、
組織全体の雰囲気としてあったっていう感じなんですかね?
それはあるかもしれないですね。
じゃあそういう、ある意味職場の雰囲気が、
キストさんの最初から高い基準を設定するところにつながったと。
そうですね、あとはライニングの先輩が、
やっぱりちょっと僕の走りを見て、
15:02
もっとこいついけんじゃねえかみたいな感じで思ってくれて、
いろいろアドバイスくれたりとか、一緒に走ってくれたりとかあって、
そういうのも伸びていったのかなと思います。
じゃあ割と周囲からも期待されて、いろいろ仕込んでもらって。
期待半分、こいつどうせどこまでいかねえだろうっていう、
こういう考え方ぐらいの感じなのかなっていうふうに感じてましたけど。
ちょっと試されてるような心境ですね。
そうですね。
そうなんですね。
これちなみに、今の話だけでもかなりスピードが速いイメージなんですけど、
フルって自己ベストってどれぐらいですか?
だいぶ遥か昔の話になりますけど、2時間38分25ですね。
なかなかのタイムですね。
ちなみに、遥か昔とおっしゃってますけど、何年前ぐらいの話ですか?
15年前。
じゃあもう走り始めて5年で、2時間38分ぐらい。
そうですね、はい。
すごいですね。
一番早く、2009年だから、3年本人は40分切ってますね。
割と早く、いわゆる今で言うサブ映画は発生していて、
そこから40分切るまでには結構壁があってなかなか集まらなかったんですけど、
当時はさっき言ったように福岡国体っていう目標もあったし、
レポオイタもその当時はサブ映画が出ないと出れなかったので、
割とそういう適度な目標があったっていうのも大きいですね。
そうなんですね。
ちなみにフルマラソン、今も出られたりしてますか?
今も年に2回ぐらいですかね。
はい。
今は…
直近はどんな感じですか?
直近は悪かったですね。
でもやっぱりまだにサブ3は。
サブ3ぐらい前はいけるかなって感じ。
サブ4はちょっと厳しいなって。
そうなんですね。
やっぱり今回のインタビュー5人目ですけど、
みなさんやっぱフルのタイムも早いなっていう中で、
ベスト2時間38分台はかなりトップクラスのタイムだなっていう。
ありがとうございます。
で、100キロ5回走ったらバルタスロンというのでやられてたってことですけど、
18:04
100キロのタイムとかはどうですか?
100キロもですね、1回目の100キロがパルマなんですけど、
7時間56分台だったんですよ。
1回目の。
1回目で。
すごいっすね。
で、ベストが7時間31分、40分。
すごいっすね。
で、それを出してからトレイルとかスパルタスロンやるようになったっていう。
そうですね。
やり始めた頃は、パルマだと7時間3、40分で走るぐらいの流会のスピードがあったので、
トレイルとか下手くそでも、
ウルトラのスピードでなんとかなったって感じ。
そうなるとあれですよね。
結構、サロマとかだと強い人多いかもしれないですけど、
レースに出たら結構常にいい位置というか、
割と上位何パーみたいな、そういうレベルですよね。
そうです。
当時、今だと全然スピード100キロ速くて、
もう全然なんてことないタイムなんですけど、
その当時だとやっぱり結構な、
代表までは無理だけど、
まあまあ上位だね。
これ当時のキソさんのモチベーションって、
記録が伸びてくのが楽しい、
記録重視なのか、
人と競い合って上位になる、
競い合うのが重視だったのか、
またまた他のモチベーションなのか、
なんでそんなにランニングに、
順調に入っていってそのままハマっていったな、
エスカレートしていったなって感じですけど、
何が操作でしたか?
当時はやっぱり、タイムがやっぱり、
いいですかね、
やればやるほど伸びていく。
普通ね、やればやるほど、
何か上手くいくかというと上手くいかないことの方が多い中で、
仕事とかも含めて、
本当に、やっただけ伸びていくっていうのが大きくて、
その当時はそれが一番大きかったんですかね。
じゃあ、楽しいっていう、
ランニング楽しいって感じだったんですかね。
うん、そうですね。
純粋に新しいことを始めて、
それが順調に順調に進んでいくっていう、
そういうところがその当時は良かったのかな。
あとは、やっぱり遠征とかがあるから、
ちょっといろんな場所に行くっていう、
旅行とか、そういう、
21:04
自分の知らない土地に行ったりとか、
そういうところも何かちょっと楽しいなっていう感じでしたかね。
そうですよね。
しかも、スパルタスロンっていう目標、
早々に出るっていう、
ご自身の中の基準を満たしたっていうことは、
早々に海外レースというか、
その行き先も日本だけに留まらなくなったってことですもんね。
そうですね。
実際スパルタスロンは行ってみてどうだったんですか。
これが、初めて行った時が、
9位だったんです。
で、あれ行けるかもってなって、
で、次の年が7位。
で、その次の年が2位、
表彰台に上がって、
これが自分の中では、
ベストレースに近い結果なんですけど、
やればやるほど、
タイムとかが伸びていくのが面白いっていう話をしたんですけど、
こんな感じで、
狙っていたスパルタスロンでも表彰台まで上がって、
ますます沼にハマったっていう感じかな。
そうっすよね。
でも、だいぶ幸せな沼ですよね。
そうですね。
タイムは全然今となったら、
全然大したことないタイムなんだけど、
たまたまその年はものすごく暑くて、
体温より気温が上がっちゃって、
搬送率が20数パーセントしかなかったので、
サバイバルレースみたいになって、
っていうこともあって、
そういう幸運も、別だっては、
の結果ではあるんですけど。
いや、すごいですね。
そんだけどんどんどんどん、やればやるだけ早くなっていく、
距離を伸ばしても結果が出てくるっていう中で、
手がとか、なんかちょっと体調崩したりとか、
そういうこともなくってことですか?
そうですね。一番最初の、
サブスリー達成した後に、
ちょっとまだよく分かってない状況で、
効果をかけすぎて、
実はそもそもそのレース終わった年末ぐらいに、
長期人体炎やっちゃって、
3ヶ月ぐらいですかね、
ずっとサポートタイプ入って、
痛いなぁみたいな感じで走り続けて、
それが一番最初の大きめの故障ですね。
24:00
その後は何回か、
最初のきっかけは全然大したことのない、
ほんのちょっと足首が痛いなぐらいの状態だったのが、
気がつくと反対側の足でいらないうちにかばっちゃって、
足首が痛かったはずなのに、
反対足の膝が痛くなって、
しばらく経つとまた反対の足の膝が痛くなって、
体内にどんどんどんどん痛みが運んでいって、
気がついたら片足立ちできないぐらいグラグラに、
バランス崩れちゃったっていうのが今まで2回あるんですけど、
こうなった時は本当に走るどころか、
歩く動作もよく分かんなくなるような、
こういうのは2回ほどあります。
じゃあ、今のところの戦績だけ聞いていくと、
すごい順調なように見えつつも、
ご自身の中ではそういう怪我に悩むというか、
そういうタイミングもあったと。
ただ、長くて3ヶ月ぐらいで、
20年で3、4回とかだったのは、
どういう範囲かなっていう感じはありますよね。
そうですね、確かに。
今、いろいろすでに素晴らしい実績を聞かせていただいているんですけど、
ご自身の中でスパルタスの2位っていうもの以外で、
ご自身の中で代表的というか、
結構胸を張れるなみたいなレース戦績、
もしくはセリフチャレンジとかでもいいんですけど、
そういうのってあったりされますか。
えっとね、去年。
去年の2月に台北の48時間走で出した記録が、
411.356キロ。
411.356キロ、はい。
で、これは日本歴代3位の記録。
で、この年の世界5位の記録。
で、これをこの年齢で出したっていうのが。
何だっけ、ちょっとうろ覚えで数字覚えてないんですけど、
日本人、日本で48時間走で400キロ超えた人って、
5人しかいないわけです。
だから400キロを超えるっていうのはある意味、
48時間走ではかなりの上位の数字ではあるんですけど、
ようやく突破したら意外に411まで行っちゃったみたいな。
このパフォーマンスをあと1年半維持できれば、
年代別の世界最高記録出せるなっていうのがあるんで。
それもあって、今48時間走一番、
27:01
自分の中ではメインに置いているんですけど。
次の48時間走はタイミングとか決まってるんですか?
また、2月の大抵ですね。
今日は10月のサテライトの話題が一応メインですけど、
その先もむしろ本命レースがあるという。
そうですね。まだ年代は上がらないので、来年の。
年代が上がってからが一番恐怖かな。
その記録が48時間走の自己ベストですか?
自己ベスト、そうですね。
すごいですね。
ちなみに48時間走というのをやるようになったのはいつの話ですか?
3年前か。
広崎?
広崎で、今まで48時間走で日本で全然やられてなかったのが、
広崎でやりますよっていうのがあって、2回目くらいかな?
この時はもう、一応ストップパラで400キロ狙ったんですけど、
膝が痛くなっちゃって、最後ずっと歩いてたので、
全然400が届かなかったんですけど、
行けそうだなという感触がこの時にあって、
そこから毎年、1年に1回走ってますかね。
もう最初から日本代表という感じですか?
いや、48はないんです。世界選手権というか日本代表というそういうのが。
あ、そうなんですね。
あるのは、24時間と100キロと50キロかな。
そうなんです。
瀬尾さんって、日本代表、いろいろと経験されてるイメージがあるんですけど。
僕は、バックヤード以外だと24時間走は1回、はい、世界選手権出てます。
それ何年ですか。
2015年から、9年目から走り始めてます。
いや、すごいというか、でもまあ、そうですよね。
なんかもう、やっぱりだんだんと周りの見方も、
すごいこう、ツバモノを見るような目に変わっていく感じですか。
どうだろう、もうちょっと年齢下の時はそこまでは、
そう思われてないような気がするんですけど、
だんだんね、年齢を重ねていくと、
30:01
なんか、ストップのように、まだこのやってるわみたいな感じで、
最近はよく言われます。
ちなみに瀬尾さんって、マイスターとかチーム100マイルの秋ですとか、
なんかそういうのでコーチをされてる、
秋です自体がコーチのチームなのか。
まあ、そうそう。
じゃあ、そういうご自身の走るっていうこともやりつつ、
人に教える、伝えるようになったっていうのも、
割と早い段階ですか。何かきっかけがあったんですか。
マイスターの時は、今はもう活動全然ないんですけど、
練習会でペーサーやったりはしてました。
教えるというよりも、聞くって言うんですよ。
チーム100マイルの方は、どっちかというと練習会のサポートが多くて、
ただ必ず練習始まる前と終わった後に一言、
音ずつ喋らされるので、
そこで一言アドバイスみたいなのをやったりとか、
たまにプレゼンで抗議みたいなのをやったりとか。
今年もちょっとなつがし君というプレゼンやりましたけど。
ちなみにどんなプレゼンをされるんですか。
今年はもう本当に長く走り続けるためにはどうすればいいかみたいな、
雑多な話を、資料を作ってやりました。
そうなんですね。
そういうコーチとかペーサーとかっていうこともやられて、
チーム100マイルで言うとトレランのメインのってことだと思うんですけど、
トレイルランニング自体のご自身の中の戦績とかで言うとどうですか。
今だとマウント富士、昔だと
UTMF
UTMFですよね。UTMFは4回出てんのかな。
だいたい340番ぐらいです。
で、1回50台の1位は取ってんのかな。
あとは温丈の100キロで2位っていうのがあるようになった。
やっぱりトレイルでも結果を残されてるんですね。
走れるコースに限ります。
UTMBは1回ちょっとリタイアしちゃってるんですけど、
4回完走していて、ただUTMBになるとやっぱり山がでかすぎて
33:01
なかなか思うように走れないっていうのはあります。
海外のだからいくつかトレイラーの大会は走りに行ってます。
好きっていうところで言うと、いろんなジャンルやられてると思うんですけど、
どのゾーンが一番、結果が出るとか置いといてお好きなんですか。
倫断によって変わってきてる気がしますね。
最近一番つらいのが24時間走。
48時間の方が楽だってみんなに言いまくってて、
絶対嘘だって言われるんですけど、48時間走が一番今楽ですかね。
なんでかって言うと、走り続けるんじゃなくて休み休み。
休めるっていうのはやっぱり大きくて。
そういう意味では全体の距離が長くても、
途中で自分の好きなタイミングで休憩入れられるっていう、
こういうレースだと楽なので、
今はそういう方がいいかなって感じはしてます。
そういう意味ではバックヤードもそんなに嫌いなわけではない?
バックヤードはですね、自分の好きなタイミングで休めないっていう。
あれが一番きついんですね。
どうしばらくなっても絶対毎時0分には出なくちゃいけないし。
ウルトラランナーで結構長い距離で走れる人でも、
意外とバックヤードになるとダメな人もたくさん見てきているし、
そこはちょっと勝手が違うなっていうのがありますね。
そうなんですよね。
キスさんとお話をしていると、
そんなにバックヤードのフォーマットが好きじゃなさそうっていうのは。
そうなんです。
いろいろ言われるけど、できたら走りたくないってみんな言う。
極力あんまり走らないというか、練習でもその形式でやりたくないみたいな。
そうなんです。
面白いですね。
ちなみにご自身の一つのレースでの最長距離って何キロですか?
最長は川の道ですね、川の道の516キロ。
これが一番長いですね。
その次がバックヤードの75ラップですか。
そうですね。ありがとうございます。
じゃあちょっとここからバックヤードの話に入っていきたいなと思うんですけど、
バックヤード初めて挑戦されたのが2023年の11月ですよね。
そうですね。
なんでこんなにちゃんと覚えてるかというと、私も同じだったことなんですけど、
36:00
そもそもなんでバックヤードに出てみようと思ったんですか?
バックヤードは、第1回の大会が行われる前に、
既にこんな大会今度やるんだけどどう?って言われてて、
それ以降も絶対得意ですよね。
なんで出ないんですか?って言われ続けてて、何年も経ってて、
なんで出ようかと思ったら覚えてないんですよ。
たまたま出てもいいかなって思えるタイミングだったんですよ。
なんでだったか覚えてないんだけど、
秋の月の大会がちょうどエントリーできなくて、
たまたま予定が空いてたのか、
そう、曲がらせたというか。
曲がらせちゃったんですね。
それを出場決めてから、実際どんな準備をして臨みました?
他の大会と同じような感じです。
普段のロングの大会出るときと特に変えていなくて、
バックヤードのフォーマットに合わせたような練習とかは全然やってない。
そうですね。
で、実際11月2023年ですけど、
初めてバックヤード走った時の手応えとか感想はどうですか?
そうですね、まず最初の24時間全然寝れなかった。
眠くもならなかったんですか?
眠くもならなかった。横にはなるけど全然落ちない。
で、あとですね、
高尾はやっぱりアップダウンと路面が悪いっていうことを聞いていたので、
そこを気にしていたんですけど、意外と手にならないなっていうね。
ですかね。
で、わりと一定のペースずっと刻めていて、
だんだん余裕がなくなってくるんだけど、それでもほぼ50分切ったぐらいのペースでずっと回せていたので、
こんなに苦もなく後半までずっと突入したって感じでしたからね。
そして結果は?
そうですね、残り4人ぐらいになった時でしたっけね。
そうですね、確かに確かに。
だからもう三太郎君と2人になって、多分もうこの2人が残れたろうなって、
もうその時に2人で話してて、
そのまま2人になって、
その時にずっと2人でお喋りしながら走っていなければ、
39:00
多分次のチーム戦には出てなかったかなと思います。
で、あの時確か三太郎君がすごいサセライトの日本代表になりたい、
だから何州まで行きたいっていうのをずっと言ってて、
僕は全く興味なかったから、うーんって聞いてて、
三太郎君がその数字出したいんだったら、そこまでは付き合おうかなみたいな感じで、
全く団体戦とか興味なかったんですよ、僕は。
だけどまあ、そこで一緒に走って、
なんかこういうの面白いなって感じ出たっていうのは、
そこは、それでまあ次の団体戦に出てよかったなって、
まあそういう風に思えたので、
まあ共にね、初めてのバックフェアドでしたけど、
それがきっかけで、またやプロランナーにまでなってしまうし。
そうですね。
あの、やっぱあれですか、
それまでいろいろ経験されてきたランニングとバックフェアドは何かが違いましたか?
うーん、まあそれも多分バックフェアドって食っちゃうとまたちょっと違うのかなって気がしてて、
でっていうのは、よく他の会場の話とか噂で聞こえてくると、
最後のね、二人とかになったら勝手式があるとか、
なんか騙し合いみたいなのがあるとか、
こんな感じのをよく聞いていて、
もし自分が出てたのがそういう状況だったら、次はなかったかなと。
だからそのね、よく言ってる共に走る競争っていう部分がものすごく感じられたので、
ああ、こういうのは面白いなと。
うんうんうん。
だから団体戦に出ようかなと思ったのも、
そういう共に走る要素が大きい団体戦だから、
だからそういうのは出て面白いんじゃないかなと思えたので、
そういう意味ではその高尾の第一回走った時は、
それがあったからこそ、次のバックフェアドに繋がったかなと思ってます。
そうなんですね。
いや、ほんと私後半ずっとキサさんに悩み相談、人生相談聞いてもらってるような、
そんな記憶なんですけど、あってますか?
あってます。相談はされてました。
あのね、共に走る一緒に走ってたなんて言ってくれてますけど、
ひたすら僕の話を聞いてもらってたというか、
そんな記憶なんですけど、
まあでも、団体戦的にもそれはそれで面白い、
僕の話だというよりは、そういう共に走るっていうのも悪くないなと、
42:04
そんな印象だったっていうのはちょっと安心しました。
ちなみに僕もほとんど後半、あんまり記憶にないんですけど、
確かあれですよね、62ラップぐらいでもう辞めますみたいなことを、
トモさんに60いくつだったり、
なんかどっかの民がいる、そんなふうに2人で次辞めますみたいに言ったんですよね。
そうそうそう。
そしたら、いやなんかあと何ラップ走ったら、
来年のサテライトの権利が確実になるからみたいなことを言われ、
確か68まで走って、そしたらあと2ラップで、
一応2年後の個人戦の出場ラインにも到達するよみたいな、
なんかそんなふうな載せられ方をしましたよね。
そう、2回ぐらい引き止められて。
そうですよね。
なかなか多分ないケースですよね。
なんか2人同時に辞めるとか3人同時に辞めるって多分ありますけど、
まんまとこう主催者に引き止められるっていうパターンは、
あんまり聞いたことがないなっていう。
最後のほうの記憶とかは、どんな印象として残ってますか?
それは別に、全然まだ暗くなるまでは大丈夫だなと思ってたんで、
遊戯的にはね。
ただその時も話したけど、このまま行くと、
サポートとか主催者側、月曜日に入るから、
さすがにここまで引っ張ってもどうかなっていうのは一番大きかったんで、
で、2人の意見一致したのでそこで。
そうですね。
っていうところでしたよね。
うん。
なんか僕が付き合わせたような記憶もあるし、
どっちにしろ一応2人の意見は一致して一緒に呼びましょうと。
その時が70ラップで460、770キロとかですよね。
いやー、そこから3年が経とうとしてるってことですよね。
はいはいはい。
その後はバックヤードは、2本目のバックヤードがサテライト。
そうですね、2本目。
サテライトの記憶はどうですか?
サテライトは最後、足が痛くて回りきれなかったんですね、1時間で。
45:00
上野村で2周回るコースで1周目終わった時点で、
もうこれ2周目無理だって。
そこでやめようとしたんですけど、
スタッフの方がここでやめたら絶対後悔するって、
ずっともう1周行けって引っ張られて、
行くだけ行けと。
絶対間に合わないの分かってるんだけど、行けとか。
なくなくもう1周奪われて、時間切れで会場に戻っていったという形だったんですが、
まあそうですね、マカオよりもダメージが大きかった、
ブラウンの舗装路から、
なんで会船、こんな2本不利になる場所でやってんだってずっと思ってた。
はいはい。
なので、今年はどこかの市に並ぶ。
まあ、上野村よりは多分走りやすいのかなっていう感じですよね。
うん、そう思ってます。
で、そのサテライトが76を回りきれずに、結果として75が記録になった。
そうですね、75ですね。
残り何人でした?15人でスタートして。
残ってたのがベルさん、平田さん、田中さんで、あれ、僕が4人目だった。
確かに残り、最後5人残ったのが全員50代で。
そうですよね。僕が6人目で消えたんですよね。
64か5でした、はい。
で、多分その次に吉田さんが辞めて、で、僕だからそうですね、4人目だったかな。
なんかその団体戦っていう形式だったりとか、団体としての結果っていうところに対して何か思ったこととか、そういうのはありましたか?
うん、あの、ちょっとこのバック、ちょっと悩んだ。
サテライトの時は特になんかこうみんなで一緒に走りましょうって示し合わせたわけでもないけれども、
割とこう、パックで走るような時間帯もありつつ、
でもやっぱり速い人とゆっくりめの人と分かれてきて、
まあ、たまたまペースが合うから一緒に走ったっていう形が多かったんだけど、
どうしたんですか、コースがイージーだったら、なんかもうちょっと示し合わせてパックで走ってもいいのかなと思って、
っていうのは、ちょっと言葉話になっちゃいますけど、
明らかに15人の持ちタイムじゃないけど、持ちラップ数が前回よりも増えてるはず。
48:07
そうですね。
レベルが上がってるはずなんですよね。
で、その状況で、前回より絶対行くでしょみたいな時にはなりがちなんだけど、
それをその流れで行っちゃっていいのか、
いやもうちょっとこの団体戦っていうのを意識して、今度こそサインラインに入りましょうとかっていうのをまとめていくのがいいのか、
どっちなんだろうなっていうのがあります。
そうですね。
過去に24時間の世界選手権出た時に、24時間もやっぱり個人の記録と団体戦っていうのがあるんですけど、
あの当時のメンバーって、特に男子はもう本当に記録のいい人ばっかり、当時のレベルでは結構な上位の人ばっかりが集まって、
ほっといても絶対メダルでしょうくらいのメンツだったんですよ。
だけど全然そういう団体戦っていう意識づけがないままだとして、
みんなめいめい勝手なペースで走って、
早い人はトラブルで潰れ、
僕の症状の人は舞い上がって飛ばして潰れ、
みたいな感じで火がつくとほぼみんな潰れてしまって、
断排院終わったんですよ。
絶対メダル取るくらいのメンツだったのにも変わらず、団体戦の意識がなかったからこそ操縦結果になってしまって、
競技は違うけれども、団体戦っていうところになると、
そのことを思い出して、
そういうところを意識してみんなでやりましょうってやった方がいいのかなと思ったりもします。
キスさんとしては、今年のサテライト、どんなふうに日本チームとして戦いたいなとかありますか?
やっぱり念願の3位以内ですよね。
これずっと達成できてないっていうことなので、
せっかくメンバーのレベル上がったことでもあるし、やっぱり行きたいですよね、そこは。
いや、ほんとそうですね。
実際、私はその前回のサテライトから、何本やったのかな?
前回のサテライトが確か2本目のバックヤードで、今がトータルで8本経験してるので、
前回のサテライトから6本ぐらいバックヤード走ったんですけど、
すごいっすね。
はい。
51:00
規則さんからしたら信じられないっていう感じかもしれないですけど、
僕はどうやらバックヤードという方式、フォーマットが好きみたいでやったんですけど、
多分ですけど、一番きつかったのは前回のサテライトなんですよね。
もう明らかにそれこそチーム戦の意識とかっていうよりは、
自分が思ったペースで突っ込んで走って、最初30分ちょいみたいなので入った結果、
早々に痛かった。
もう全身が炎症みたいな感じで、本当にきつかったんですけど、
でもその時で65ぐらいまでは行き、
逆にもっと体の余力はあったのに記録が伸びなかったっていうレースも結構あって、
何が違ったんだろうと思った時に、
やっぱチーム戦じゃないですけど、運んでもらったっていうことが多分あるんだなっていうのは思っていて、
なので前回のサテライト、日本としては4位だったっていうところで、
もっともっともしかしたらチームとしてやれたことはあったのかもしれないですけど、
それでもやっぱりサテライトのチーム戦だっていうところで支え合えた部分はきっとあって、
それを多分もう少しより徹底できたら、
きそさんおっしゃるように、本当に3位以内っていうところに近づけそうだなっていう感覚はありますね。
ちなみに前回のサテライトからきそさんはバックヤードを走ってはいない?
ないですね。
じゃあ今年の10月のサテライトが3本目ってことですね、2、3。
そう、そうです。
どうですか実際、地震のほどはというか、バックヤード特化は全然せずに来ているんだと思うんですけど、
そんな中、昨年の48時間走では自己ベストが出ていたりっていうのもある中で。
バックヤードで、23年、24年か。
24年以降、48時間走は2回走っているし、沖田場も走ってるし、川の道も2回走ってるし、
距離で言うと、川の道も2回行ってるから、バックヤードを上回るだけの距離は減ってるし、
ちょっと形式だけが違いますけど、48も結構走って食べて、走って食べての繰り返し、
で、睡眠も5分、5分とか、それぐらいの睡眠を何回かぐらいなので、
割と、そんなに僕の場合はバックヤードの場合で練習しなくても大丈夫かなとは思ってます。
54:03
もう走力としてはかなり。
走力としてはね、一番はやっぱり前回のサテライトで思ったのは、
サテライトってどうしてもアメリカの開催時間に合わせるから、
自分だと夜9時スタートで、24時間経ったらもうすでに2番目に突入しちゃう。
あー、そうですね。
それ結構大きいかなと。やっぱり幻覚が半端なく、
72時間超えてくると、もう大体、今まで見たことのないような激しい幻覚に襲われて、
どこを乗り越えられるか、乗り越えられたらいいなっていう。
夜さえ超えてしまえば、あとしばらくたぶん大丈夫なので。
だから、今年はもう一晩、乗り越えられなかった夜をもう一晩超えたい。
それが目標ですかね。
ちなみにキスさん、幻覚は何派ですか?何が見える感じですか?
最初はやっぱりあの、壁画系です。
壁画系。
壁画が踊るっていうやつ。
はいはい。
前回のサクライトの時には、黒い巨大なバルーンがグワングワン空を飛んでて、
で、しまいには自分の左右と自分の胸のあたりに黒い影がずっと転送してくるっていう。
気味悪いっすね。
気味悪い。
あとは、最初の頃は応援者が道端にいるっていうのがありましたね。
こっちカメラ向けて撮影者いるわと思った。
で、動いてるんだけど、近づいたら全然、全然何にも人いないみたいなのがしょっちゅうですよね。
それはありがちだから、これどうせ幻覚だみたいなのすぐ分かっちゃうんですよ。
やっぱ後半は、後半はってか、基本、幻覚だって分かってるけど見えてるっていう感じですか?
そうですね。
そうっすよね。
見えるんですよね、分かってるのに。
また人によって見るタイプが違うのも面白いですよね。
やっぱでも、人か建物かその文字っていうのは結構聞く話ですよね。
うん。
いや、どんなのが今年見れるでしょうね。
なんかいつも、最近はちょっと僕、幻覚が見えるってだんだんなんか気がめいってきちゃうモードに入ってたんですけど、
今度こそはなんかもう、お互いの見えてる幻覚トークを楽しく、楽しく話せたら多分なんか少しでもなんか乗り越えられそうな気がしていて、
嫌だなーって思い出すともうなんか、半分乗りろーぜみたいな感じですよね。
57:02
そうそう、そうなんですよね。
ちなみに練習状況で言うと、この夏どんな練習とか、
あとこれからどんな練習を、もうあと1ヶ月ちょいですけど、する予定とかってありますか。
もうそろそろ落とし始めようかなっていうのは、何月?9月か。
9月に1回トラックの24時間走に出てくるんですけど、
それはどっちかというともう練習、バックヤードに向けた最後の練習みたいな感じで見つけてるんですけど、
そこはある程度は数字出したいっていうところもあるんで、
それに向けて今、もう落とし始めようかなっていうのが今の段階です。
夏でね、暑いんで、大体毎年、もうこの時期は夜間走で、
夜中に80キロとか、90キロとか100キロとか、長い時間、
だから汗かけなくなる。
毎週毎週。
毎週毎週。そういう練習がメインですね。
今年もそれをやってきてっていう。
そうですね。ただやっぱり年取って疲労が抜けにくいっていうのはあるので、
ちょっと昔よりは落とし気味になってます。
そうやって調整したりもして、体調自体は悪くないとおっしゃってましたよね。
今のところ、そんな悪い状況には陥ってないですね。
本当、10月がますます楽しみだなという感じですけど、
今年の意気込みで言うと、団体で3位以内に入るということを力強くおっしゃっていただいてましたけど、
ご自身としての目標は?
そうですね。さっき言って、もう一晩超えたい。
もう一晩超えると、96ぐらいまでは目指せるのかなっていうのがあるので、
そこは超えたいなって気持ちはありますけど。
そしてそこまで行ったら100まで行きたいなみたいな、そういう気持ちになってきますよね。
そんなこと言いながらね、僕も94まで行ったときは、
あと2時間行けば96だしとかと思ってたんですけど、行けずに終わっちゃうんでね。
まあでもチーム戦ということで、お互い1ラップでも2ラップでも引き上げ合うような走りができたらなという感じですけど、
一緒に走る選手が14人、トータルでご自身も入れて15人だと思うんですけど、
1:00:03
注目してる日本代表選手とか、この人と一緒に走るのは楽しみだなみたいな方はいらっしゃいますか?
どうかな?
前回走った人はだいたい走り方も分かってるので、
ちょっと今度は田中さんの前半戦真似してみようかなっていうのがあったりとか。
というとどういうスタイルとして見てるんですか?
さっき言って、最初の24時間あんまり眠くならない、寝れないんで、
そこで無理無理横になってもどうかなっていうのはちょっとあって、
前回田中さんはお散歩は正気で、前半ずいぶんのんびり戻ってこられてたので、
その方が早く走って寝ることもできないのに横になってるよりは、
歩いて時間かけて戻ってきて、あんまり休まずに身に入れてやった方が、
最初の24時間の過ごし方としてはいいのかなーなんて思ったりしてます。
なのでちょっと前半田中さんについていくかも。
本当に注目であり、ある意味マークというか一緒に走りたいなという選手としてってことですね。
ありがとうございます。
ちょっとこのタイミングで伺ってみたいなと思うのが、
前回田中実さんのインタビューをさせていただいて、
次木曽さんなんですっていう話をしたときに、
2つほど質問をいただいていて、
同い年だというその前提のもとでなんですけど、
大前提、田中実さんも相当だろうとは思うんですけど、
同じ年齢で走っていて、
実さん的には結構まあまあそんなに長くは、
まあまあやれてあと何年だろうなーぐらいのそんなテンションらしいんですけど、
木曽さんはいつまで走るつもりですかっていう。
そうですね、さっき言ったように60代の記録を狙いたいっていうのがあるので、
ここまではパフォーマンスなんとかできるだけ落とさないようにキープしたいなっていうのが一番あります。
で、まあ木曽くん若いから思わないだろうけど、
割とこう年代が上がると年代別入賞を狙いまくってやるぜみたいな感じのモードになるんですよね。
だからしばらくはそれがあるから、年代上がったらしばらくの間はたぶんそのまま勢いで行くと思うんですね。
60代の年代別を狙いまくるぞみたいな。
1:03:05
そうそうそうそう。
だからそれが終わったところで、また下からどんどん上がってきて、
どうなったときにどうモチベーションを保つかっていう、そこが保てるかどうかでしょうね、きっと。
次の、さらに上の年代って言ったらまたちょっとはるか彼方になってしまうので、
まっそくそのモチベーションが続くまではしっかり走り続けられればいいなとは思います。
大きな故障しちゃうとね、そこまでいけなくなっちゃうんで、そこは注意したいと思うんですけど。
ヒソさんの走るモチベーションって何ですか?
さっき昔はタイムとかそういう、やればやれと上がっていくっていう話したんですけど、
今となってみれば、正直ね、これ走るって純粋に走ること自体が好きだとは思ってないんです。
走ることによって得られるもの、関係性だったり、
じゃあ走ればあった後に温泉入ってビール飲んでみたいな、
そういうところが楽しいのであって、
純粋にそういうのを取っ払って、ただ単に走るだけを持ってこられたらきっと楽しくないんだろうなと思ってるので。
だからモチベーションは、たぶんそういう走ることによって得られる何か、
それを得たくて走ってるのかなと思ったりしています。
あえて一つ挙げるなら、それは今のヒソさんにとっては何ですか?
バックグラウンドで言えばさっき言った、共に走る競争っていうところですね。
こんなイカれた競技を、こんなイカれた連中と一緒に思いあいだ時間過ごす、
サポートも含めて集団でチームとして、大きな意味でのチームとして、
そんな経験点、まあないじゃないか。
そういうところが一つのご褒美的なものなのかなとは思います。
一つかーって言って悩んだのは、なんかもう一個あったりするんですか?
もう一個はやっぱり、温泉入ってビールみたいなジャップというか、
今までこんだけいいことやって、もう何やってんだろうってぐらいのことをやっておいて、
で、終わった後にもうそこから開放感で、たまらない開放感ですよね。
それは良いことを乗り越えたからこそ、楽しみ、嬉しさであって、
普通に過ごしてたらそれは得られないので。
緊張と緩和みたいなとこですよね。
1:06:00
そうそうですね。
やることやってやってやって、ある種開放されたご褒美。
温泉にちょっとぷかーっと浮力を感じながら、
そして上がってこうグイグイっと飲むビールみたいな。
好きなお酒はビールですか?
いや、何でも飲むんですけど、最初はビールくらいです。
じゃあ是非ちょっとスタテライトを終えて、美味しいビールをね、ちょっと飲めるように頑張りたいですね。
そうですね。
あともう一つ、みのれさんからは、同じ年齢としてということですけど、
どうやってそれだけのパフォーマンスを維持してますかっていう、年齢に抗うみたいなところで、
やってらっしゃることとか、意識してることがあれば伺いたいということでした。
体のメンテナンスですね。
結構、治療院には通ってて、
やっぱり全然やるやらないで違うんですよね。
普通にセルフケアでなかなか抜けないような病があっという間に抜ける。
やっぱり疲労が溜まった状態で次のトレーニングに行ってしまうと、
どうしても稼働域が狭い状態でバック開けちゃったりすると、
保証につながりやすいのがあるので、かなりお金かけてます。
それは治療院にってことですか?
他に、例えば、器具とかいろいろそういうのもあったりとか、飲むものもあったりとか、
体に気を使うっていうといろいろあると思うんですけど。
アプリはですね、
だいたい飲み始めた時ってすっげー効くって思うんだけど、
続けてるうちにだんだんこれって効いてるのかなって思い出して始めて、
やめてみたら変わんないなみたいな、ちょっとあるんですよね。
だからたまに飲むのはあるけど、そんなに継続してますっていうのは今はなくて、
器具は山ほどあります。山ほどあるけど、
使う時期と使わない時期がいい分かり合いというか、
常に同じこれを使ってますよっていうのはなくて、
この症状にはこれみたいなのがあるので、
それを使わないと全然次走れないんですよみたいなところまであまり最近は追い込まないので、
器具も一部のものをたまに使うぐらいなところが大きいですかね。
治療院は針とマッサージなんですけど、やっぱり針は大きいですよね。
1:09:07
全然そんな器具とかマッサージで抜けないようなやつが、
ほんとにスッと刺しただけで、
ピューって抜ける抜けるっていうか、
あれだけ張ってたのが、なんでこんなに、
いきなりその場で抜けるわけじゃないですけど、
翌日翌翌日になると、ほんとに効いてしまうので、
筋肉の針だったり、こういうのが。
どれぐらいの頻度で行ってますか。
最低3週間に1回で、レースがあるときはレースの、
レースによりますけど、レースの前後。
だから3週間に1回じゃ済んでないですね。
平均すると2週間に1回とか、
月2回月3回分かんないです。
なるほど。
みのるさんにはそのように書いておきたいなと思います。
で、あと質問が3つぐらい、
意外とまだあるなって感じなんですけど、
バックヤードの魅力、
先ほどから共に走る競争だってことはおっしゃっていただいてますけど、
改めて付け加えるならあったりしますか。
どこに尽きるのかな。
さっきでもできるだけバックヤードは走りたくないと言ったんだけど、
その中で唯一と言っていいぐらい、
バックヤードをやってみたいなっていうのが、
団体戦。
団体戦っていうのは、
手落とし合いっていう要素が最後の2人になるまではなくて、
あとはもう最初からほぼ最後まで共に走るっていう状況。
それが目的になっているので、
それがまた、
選手個人だけではなくてチーム、サポートを含めた、
自分たちのチームっていうものもあるし、
会場全体、スタッフも含めて会場全体がもう一つになって、
盛り上げて、一緒にやりましょうっていう、
そこの雰囲気が好きなのかな。
だからバックヤードというよりも、
バックヤードの団体戦が好きなのかもしれない。
嬉しいというか、
そういうふうに木曽さんが思ってくださっている木曽さんと、
一緒に団体戦を走れるのがすごい嬉しいです。
ありがとうございます。
そしてもう一つ聞きたいんですけど、
今バックヤードに特化した話をこれまでしてきましたけど、
1:12:02
そこを一旦取っ払ってでもいいんですけど、
座右の銘とか、大切にしている考え方、言葉とかがあれば、
ぜひ聞いてみたいなと。
銘の銘とかはないんですけど、
やっぱり僕ら、
木曽さんがプロになったから別なんだけど、
テミンランナーとしては、
やっぱりある種趣味、楽しみの範囲、
そこからあんまり出ないほうがいいかなというか、
そこがベースにあった上で、
何かを頑張るっていう。
あまりそこを飛び越えないほうがいい。
まずは楽しむっていうことが大事で、
楽しんだ上で結果を出す。
そこを大事にしたいなというのはありますかね。
それは結果を出してきた木曽さんだからこそ、
思う部分だったりもするんですかね。
タイムがどんどん良くなっていく中で、
タイムいいの出さなきゃっていうのが、
苦しくなったタイミングとかもあったんですか。
タイムというより、
大会を過剰な頻度で入れ過ぎしないっていうのがあるじゃないですか。
で、それやってると、
本当にバーンアウト、
燃え尽き症候群的なところになって、
それに近い状態になったことがあって、
本当に走りたくないっていう状況になったんですよね。
そういうことになることもあるし、
若い人はどうしてもガンガン入れてても、
そんなに故障はしにくいし、
してもすぐ治るんだけど、
結構やっぱり、
最初は良くても、そのうちだんだん蓄積してきて、
で、大きな故障につながって、
なんか走れなくなってしまったっていう人もたくさん見てきているので、
確かにその、
ベストな状態で走れる年月ってそんなに長くないんですよ。
正直振り返ると。
だから、今すごい成績出てるんならいいんだけど、
そこをあまり付け詰めすぎると、
もっとその後に、
よろしくない状況に陥ることを十分考えられるので、
それもあって、
まずは楽しいってところがあって、
そこからその上で成績を出す、
頑張る。
それぐらいの意識でいた方が、
ミンランナーとしては正解なんじゃないかなと思ったりしてます。
ありがとうございます。重みが。
1:15:01
私自身も、
プロとまだちょっと自称してる域を出ない部分はありますけど、
そう名乗ってる以上結果を出さなきゃと思ったりもしますけど、
でも1年やってきて、
やっぱこうしなきゃって、
なんかこう、
枯れちゃうというかなんですかね、
結果を出さなきゃとか、
いろいろ、
そこよりもやっぱり好きで走ってるんだよなっていう、
そもそも、
なんかそこがないと、
たぶん力を発揮できなくなっちゃうというか、
自分で自分をこう、
絞めてしまうななんてことも、
この1年、
気づきつつ、
あったりもするので、
ある意味KISOさんからそういう言葉をいただけて、
安心じゃないですけど、
やっぱそういうとこ大事だよなっていうのは、
改めてありがとうございます。
最後の質問なんですけど、
このインタビューは日本代表企画ということでやっているので、
バックヤードファンの方であったりとか、
注目いただく方々に向けて何かメッセージがあれば、
何か書きたいなと思います。
そうですね、
バックヤードって書いたことでもないかもしれないんだけど、
ロングディスタンスっていうのは、
割とスピードがいらないっていうところがあるので、
年齢を重ねても、
活躍できる可能性が高い工技だなと思うんですよね。
特に前回のスパテライトでも、
残り全員50代っていう状況になったり、
年齢を重ねても50代になっても、
輝ける場であるので、
今まだ若い方も、
今50代以上の方も、
まだまだやれば、
ひょっとしたら、
輝ける場に勝てるかもしれないというところもあるので、
最初の参入投撃は深いかもしれないんですけど、
一度バックヤードに挑戦してみてもいいんじゃないかなと思ったりします。
ありがとうございます。素敵なメッセージを。
ということで、
話としてはかなり、
ハイレベルなランニングのお話をしていただきましたけど、
本当にどなたでもバックヤードを楽しめるという、
その間口を広げるメッセージで最後を締めくくっていただいて、
ありがとうございました。
引き続きまた10月、
ご一緒できるのを楽しみにしていますので、よろしくお願いします。
1:18:01
よろしくお願いします。
今日のところはありがとうございました。
ありがとうございました。
01:18:16

コメント

スクロール