#30-1 勉強のモチベーションについて8つの本能を起点に考える
2026-06-24 51:54

#30-1 勉強のモチベーションについて8つの本能を起点に考える

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堀 寛史

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田代雄斗

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サマリー

このエピソードでは、「進化論マーケティング」という書籍を起点に、人間の行動原理を理解するための8つの本能(安らぐ、進める、決する、有する、属する、高める、伝える、物語る)について掘り下げています。これらの本能は、学習意欲やキャリア形成、さらには現代社会におけるAIの台頭といった様々な側面と関連付けながら考察されます。特に、勉強に対するモチベーションは、個々の本能の特性によって異なり、社会的な成功や失敗の定義に影響されていることが指摘されます。また、現代社会の変化の速さやAIの進化を踏まえ、個人がどのように学び、自己決定を下していくべきか、そしてコミュニティのあり方についても議論が展開されます。最終的には、個人の強みを活かしつつ、AIや他者との協働を通じて、より良い未来を築いていくためのヒントが示唆されています。

人間理解の鍵:8つの本能とその定義
こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
Advanced Therapist エピソード30本目ということで、言って覚えない、30本目なんですね。
いや、だいぶ喋ってますね。
今回もちょっとあれこれ喋っていこうかなと思うんですけども、内容は結構幅広くなるかなと思いますが、
人間理解を深める目的で、進化論マーケティングっていう本を起点にですね、
人間が進化の過程でいくと、こういう8つの本能っていうのがあって、
こういう考えをもとに考えていくと、人に何か伝えていったりとか、
行動を動かしつつとか、自分の理解も頑張っていいよね、みたいなのがあるので、
ちょっと最初にこれを紹介しつつ、話を広げていこうかなと思います。
まず8つ言うと、
安らぐ、進める、決する、有する、属する、高める、伝える、物語る、
8つだと言われていて、みんなそれぞれいろんな特性があるよねって感じだと思うんですけど、
安らぐっていうのは真摯の危険から離れて、不安や恐怖から逃れたい本能みたいなもの、
進めるっていうのは明確な行動を設定し、それをクリアしたい本能、
決するっていうのは自分の行動や目標を自分で決めて実行したい本能、
有するは存在に役立つものや情報を蓄積したい本能、
属するっていうのは特定のグループやコミュニティに入りたい本能、
高めるっていうのは特定の集団の中でより上の地位に立ちたいっていう本能、
伝えるっていうのは周囲の人間に自分の特性をアピールしたい本能、
最後に物語るっていうのは自分の人生に大きな意味を感じたいという本能という、
8つがありますよっていう感じで、自分とか堀先生個人のとか社会の最近のニュースとか、
理学両方にも紐づけていろいろ話していけたらなと思います。
はい、今シンカロンマーケティングっていうところで8つの本能というところなんですけど、
田代さんしかこの本を読んでいないので、ちょっと最初に確認なんですけど、
これは本能として定義付けられたものなんですかという、
今最初聞いてたら確かに本能っぽいなと思いつつ、いわゆる本能と言われたときに、
本能という定義でいいのか、あるいは人が求めているっていう欲求というものなのか、
本能というとすごいプログラミングされている感があるんですけど、どんな風に書かれたかって覚えられてますか。
ちょっと詳しくありますけど、この本を書いている方が鈴木優さんっていうサイエンスライターという形の方で、
かなりいろんな文献をもとにいろんなテーマの本を書いている方で、
これはマーケティングっていうような切り口で、
マズロの欲求段階とかそういう本能に近しいものもあるんですけど、
ああいうものが単純な階層付けでもないよねとか、
いろんな文献をもとに進化論っていうような起点でいくと、
この8つの本能がどこかの論文に書いてあったとか、
ちょっとはっきり出てこないのもありますけど、
いろんな文献をもとにこの8つじゃないかっていうのが、
この著者が選択して本能に近しいものだと定義しているという感じだと思います。
ありがとうございます。
実際にこれを学術的に扱うというか、
1つの本のテーマのものであるであろうというところだと思います。
本能と言ってしまうとすごく生物学的なんですけども、
割と哲学とかだと本性というところで、
人間の欲求とか欲望の部分で使うことがすごく多いわけですね。
本能と言ってしまうと生物学的ってなってくると、
同じように犬だとか猫もモチュールみたいになってくると。
人間だからこそこのような行動を取りがちとかっていうもののうちの8つと言われると、
なんかすごく僕はしっくりくるんですね。
本能でいくと、もうちょっと根源的にいくと、
生殖と生存の本能が2つ、人間なり動物にはありますよねみたいな感じと、
その先の本能というか欲求に近いところですかね。
こういう8つに根っこの部分では分類されやすいんじゃないかっていう風にされてるかなと思います。
なので定義付けとしてこの回では文献がそう言っているのでそういう風に言うが、
どちらかというと本性とか欲求に近い部分であろうというところ。
ここはそこまで皆さんの理解のところでちょっとそれを置いておいていただきつつ、
本能と学習意欲:個々の特性と社会的な影響
8段階、安らぐ、進める、決する、有する、属する、高める、伝える、物語るっていうのは、
確かに僕自身も仕事をする上だとか普段の行動をする上で、
これら8つというものを有機的に使っているなという感覚はあるんですね。
これのバランスとかっていうのはあんまり考えたことがないんですけども、
自分自身はすごく物語りたいとか伝えたいとかというようなそれこそ欲求が強い気がします。
それが満たされると安らぐとか、あるいは物語る伝えたいから決して進んで何か情報を有して、
それを発散できる場として属している感じがするんです。
それが一つの大学教員という形にとっているでしょうし、
これが例えば違うコミュニティになったらまた違う役割になってくると思うんですけども、
僕自身の人生、今の今日現在の人生の中で最も時間を使っているというのが大学教員としてのペルソナなので、
その一番時間を使っているペルソナの部分というところではまさにこの8つというのはすごく使っているなという感じなんですけど、
橋本さんはいかがですか。
自分もスポーツとかも、水泳とかボート競技とかやってましたみたいな結構数字でわかりやすく結果が出るとかっていうのもあって、
もともと多分進めるとか、独立して働くみたいなところも決するみたいな自分で目標を決めてやりたいみたいなのも結構あるかなと思うので、
マホリ先生と結構基点は似ているのかなとは思いますし、どっちかというとあんまりスタイルとか物語みたいなのはそこまで強い方ではなかったかなとは思いますけど、
最近、実学とか事務系も興味持ってきているのもあるんで、なんかこういう結構発信増えてるなっていうのもあるんで、
なんか本当、年によってグラデーションは違うような気はしますけど、子供とか家族と暮らすときはやっぱり安らぐみたいなのも意識しているなという感じなんで、
出発点と流れは違うところがあるかもしれないですけど、本当になんかそれぞれであるなと思いましたね。
今この話を最初、この収録前にいろいろ話している中で、2つのテーマとして、勉強ということでAIみたいな話ができたらいいよねっていうふうに話してて、
1つは最初の勉強といったところに、今日たまたま大学の図書館を歩いていたら臨床心理学という雑誌の特集が勉強するという特集をやっていて、
その勉強するという考え方は、なんかこう我々の一般社会においてはすごく当たり前に課せられた、例えばそれは小学校から大学まで、あるいは大学院まで課せられたものであるんだけれども、
臨床心理学的に捉えると負荷なんですよね。例えば勉強ができないという人、あるいは勉強をさせてもらえる環境にないという人、勉強からドロップアウトした人、
そういうようなネガティブ要素も勉強には必ず含まれるということですし、このラジオを聞いていただいている方というのは何かしら情報を集めようということをされているので、
勉強ということに関しては非常に肯定的に捉えられると思うんですけれども、実際に自分の職場を見渡した時に勉強していないなとか、自己計算していないなというふうに批判的に見れる人たちもいるわけです。
だから勉強というものが文化の中に妙に強い力を持って根付かされている、根付いている、あるいは埋め込まれているものになっていると。
これはある種お金持ちの方がいいとか、いいことをした方がいいとかというのと同じように埋め込み型の解釈になっているんだなと思っているんですね。
確かに勉強というものと、このシンカロンマーケティングの8つの項目ってものすごくフィッティングがいいんですよ。
確かに。
堀先生だと考古学みたいなと興味持っているのは物語的な本能と結構近しいなとかもあるんですかね。
考古学物語というところよりも、僕自身の物語というところはどちらかというと人ですよね。
つまりナガティブというものをずっと研究してきた部分もあるので、何か人が喋っているとか、人が考えていることだとか、そこに論理的なものではなくその人の感情だとかその人の気持ちが乗っているものって割と好きなんですね。
自分自身はそうならずにできるだけ論理的な解釈をしようとしているんですけども、例えば文学だとか映画だとか漫画とかっていうある種の物語がすごい好きなので、それ自体に心が惹かれるという。
それはもちろん歴史的な背景があったりとかするとさらに惹かれるというものはありますね。
なるほど。
自分はどっちかというと勉強に関しては進める本能がもともと強かったかなという気はして、理系的な難しいものが解けた時の快感とか、そういうのは昔からあったような気がするんで、明確な問いに対する答えを見つけたいみたいなところは通じていたような気がしますし。
勉強のモチベーションとかも結構こういうやつの特性というか、本能からどう設計していくと学びやすいのかなっていうのは人によってありそうですね。
この勉強というところが人それぞれうまくいった人、うまくいかなかった人とかっていうのがあると思いますけども、ただ単純に勉強というものをターゲットにするとうまくいかせるのを勉強だと思うんですけども。
日本型あるいは他の国型ってなった時に成功と失敗が明確に定義されるわけですよね。
それは高校受験とか大学受験とかにいわゆる合わされたそこの方法にフィッティングしていく人たちっていうのは勉強ができるという結果になると。
数学、理科、国語、英語、社会というものの中で点数が取れますよ。つまりそれはもちろん考えはするんだけれども、正解があるものに対して勉強するということです。
それが例えばもちろん完璧ではないですけど、フランスのバカロレアとかになると、フランスのいわゆる共通テストですね。
バカロレアとかになると、もちろん全員が受けるわけではないですが、哲学論考というのが4時間義務付けられてるわけですよね。
そういう4時間論考しろとか言ったら、僕多分そればっかりやるんだよね。
フランスのいわゆる競争だったら僕多分大好きなんですよ。
だけれども長文読解してその5つの選択肢からこの長文何が言っているという間違い探しをするのはとても苦手なんですね。
その苦手というところと得意といったところの、得意にフィッティングした人は勉強ができる。
フィッティングしなかった人は勉強できないというような、ある種二分法を作ってしまうというのが今の社会であるんだと。
だからその社会において望まれる勉強と、自分自身が興味を持って勉強する。
つまり僕の場合は、例えばさっき田代さんは、進めるというのが勉強の一つのモチベーションになったと。
僕は有するなんですね。
情報が欲しいというか、自分の考えるためのリソースが欲しいというところでやってるなと思って。
そしてその有するといったところで言うと、数学の技術だとかは僕の中で有するということ自体が理解できなかった。
それは教えてもらえなかったのかもしれませんし、自分で気づこうとしなかったといって、そこでも完全にドロップアウトしました。
もともとコレクションしたい行くみたいなのがあるというふうに言ったりしましたかね。
そうですね。収集心が強いので、知識のコレクションがものすごく欲しいんですね。
なるほど。そういう意味だと、自分は数学的な方程式とか理論みたいなものっていうのは、結構応用が効くものって、しかも理解しておけば次にまた進んでいけるというような感じがあったので、
そういうのが好きだったのは、こういう本の中の一つとしてあったからというのもあるかもしれないですね。
なので、ゲーム感覚で進めていく。例えば、これをやるとアイテムを得られるとか、これをやるとレベルアップが果たされるとか、
これをやると魔法が使えるようになるとかっていう、ロールプレイング系の感覚の人もいれば、シミュレーションでもないですよね。
今のロールプレイング型が田代さんで、僕のはどんな感じなのかな。単に本棚に本を並べて楽しんでるって感じかもしれません。
だからあまり意味があるとか、目的があるというわけではなくて、唯一目的があるとすれば、本棚が綺麗に埋まるのが気持ちいいみたいな感じかもしれませんね。
なるほど。その意味だと、今堀先生がいろいろ病院とか学校で講義とかする中だと、堀先生の性格とはちょっと違う人もいるっていう感じで、
怒られたくないからとか、例えばこの組織に属しておきたいから学ぶみたいな人もいそうだなみたいな感覚もあるんですかね。
それは今の教育課程か、特にいわゆるZ世代と言われる人たちというものの、結構重要なモチベーションになっているような感じはします。
怒られたくないからやる、失敗したくないからやる、これは重要なモチベーションで、シンカロンマーケティング的に言うと、安らぐ方にいってるわけですよね。
つまり安らぐができない、ないという状態が不安なので、この不安な状態に耐えれないから物事を進めようという、これはもちろん僕も田代さんもおそらくあると思うんですけど、
この不安な状態に対する意識づけがすごく強いというのが学生の中に一定数いるでしょうと思います。
もちろん言うするとか伝えるが好きでやってる人もいると思いますけれども、結構だから失敗っていうこと、だから正解をくださいっていうことが出てきますよね。
正解がないと不安だということだと思います。
確かにそうですね。
でももともと進めるみたいな本性があったとしても、過去だとやっぱり受験とか何か資格を取るとか結構ルールが決まってる中だと、そういう理系的なことを学んでいけば進んでいける感覚があったかもしれないですけど、
独立で働くと結構時代的にも読めない変化も激しい世の中になってくると、ただ単に理論とか学んでおいてもあんまり活かせないような感じがあって、そこでもうちょっと歴史的な流れとか、
哲学的なことを知っておくと、この先に進んでいける感覚みたいなのが最近自分の中でもあるんですけど、こういうのも最近人文知恵ブームみたいなのが広がってるのはちょっと先が読みづらすぎる社会だからっていうのもあるのかなと思ったりはしたんですけど。
実際に歴史をいろいろ見てみると、先が読みやすかった時代って文明以前ぐらいだと思うんですよね。
文明以前も知識の積み重ねがないので、天気だとか台風だとか地震だとか、あるいは住んでる地域の動物、あるいは食べ物がどういうふうに自生してるかというのはかなり経験的にやられていたことなので、それが安全かと言われるとそうではないんですけども、実際今ここ100年あるいは200年回ってみても、だいたい中年単位ぐらいでこういうことが起きてるんですよね。
その10年というのは長いが、自分たちが生きてる間に7、8回、もうちょっとかもしれません。何かしら大きな事件が起きると。その大きな事件というのは生命に関わることもあれば、人同士の争いでもあると。
例えばここ10年を見てみると、生命の関わりがある、特に日本人にあったのは間違いなくコロナですよね。社会の変容というところで言うと、今のウクライナだとかイランの戦争であるし、我々の未来を大きく変えるであろうという技術革新がAIになってくるだろうと。
だからこの10年に起きる変化というのは確かに大きな変化。じゃあその前の10年になってきたら、20年前になってくるとだいたいiPhoneが出てきた時代ですよね。そのiPhoneが出てくるという、いわゆるIT革命によって、ものすごく情報、IT革命ってその前になるのかな。なのでIoT革命のほうになるかもしれません。
情報が非常に取りやすくなった。そしてそれがインターネットでつながるようになってきた。その結果、膨大なデータがサーバーの中に入って、その膨大なデータをディープラーニングしていったAIというのが生まれてきて、それが今発達している。これは全部一連の流れになっているんですけども。
予想外な、予想外というのはつまり一般的な生活をしていると予想ができないような変化をしているわけですよね。だからそれがその厳然してくる。目の前に現れてくると不安になるんですけども、社会は基本的にはそういうふうな変化というものをずっと歴史的にしてきていると思うんですよね。産業革命によって変わったことももちろんそうですし、もうちょっと言うと、例えば僕らが中国人が好きなからあれですけど、その弓矢が開発されるとか。
あるいは靴が開発されるとか。戦車が開発される。戦車というのは、いわゆるドイツ型の戦車とかではなくて車輪ですね。車輪が開発されるとかということで文明が終わっていっているということになるので。なので今この瞬間というのは文明の終わり。それは人間が絶滅するとかということではなくて、新しい世界の始まりになっているのかなというふうに僕は感じています。
時代の変化と個人の選択:学び直しと意思決定
なるほど。最近30代とか中盤になって特にそういう時代の変化がこれまでどうだったかなというのがすごい気になり出しているんですけど。
10代20代の頃って学校での授業だったりとかその目の前で試験とか、もう決まった目指す先があったからあんまり社会の変化みたいなことに疎くて気にしてなかったって感じなんですけど。特に30代以降とか40代とかになるとこういう時代の変化に興味持つ人が多いとかっていうのもあるんですか。
例えばこれ心理学的なことで言うと、いわゆる40代前後になってくると、ジュルケイムなんかに言わせるとアノミーと言ったりしますし、日本人的に言うとヤクドシっていうのが現れたりだとかするわけですよね。そういうふうに自分の衰えあるいは周りが必ずしも健康ではない。死んでいく可能性がある。
あとは社会的に仕事の中で差がつき始める。いろいろな不安が重なってくるということのターンではあるわけですよね。そのターンの中で自分を見つめ直すということに、もう一度学び直す人なのか諦める人なのか。そういったところでだいぶ変わってくるであろうなというふうな気はします。
そうですね。その辺がこの収録前でもリスキリングの話とかっていうのもあったんですけど、なんで就職して働き始めてからさらに学ぶ人とも今のこのポジションでいいかなっていう人とか。
で、なんすかね、行動が結構変わってくるかなと思うんで、こういう卒業というか働き始めてからどういう学びをするかっていうのにも、なんかどういう本能がかかってきてるのかなみたいなことを考えてみていいなと思いました。
そうですね。今のその本能のところにもう少し戻していくと、その勉強をしていく結果何が一番高まるかっていうのを今考えてたんですけど、例えば伝えるとか物語っていうのは明らかに高まっていくんですけど、一番重要なのはおそらく決するなんですよね。
その判断基準というものが自分の感覚から、いわゆるメタになる、いわゆる外在化することができるわけですね。要はこの時に武田信玄だったらどんな判断をしたのか。早々のフリーレンで言うとヒンメルだったらこうやったという外在化された判断基準というものが出てくると。
そしてそれがさらに科学的な判断として、これはこうした方がいい、ああした方がいいという判断基準というのが生まれやすくなる。なので学ぶことによって得られるものっていうのは、言うするよりも判断、決するのデータなのかなというふうに今ちょっと喋ってて思ってます。
そうですね。この辺で置かれたポジションによって、自分が何を意思決定して変化させられるかって結構違うような気がしますし、組織の中でそこまで管理職とかでもなく働くっていうと、もう目の前の患者さんのために何をするかっていうのが興味高いところだったりとか。
でも臨床以外のところにも興味を持って、他のところにも意思決定を働かせていきたいというと、違うポジションにつくとかもあるかなと思いますし、決するっていうのでも、どういう領域で自分は意思決定というか決めていきたいのかによって学ぶこととかどうかが変わってきそうかなと思っております。
本当に特に例えば結婚するとかもそうですし、家を買うとかっていうのもそうですし、何かしらの自分自身での決定というのを持っていると。現状足元が職業として安定していると、結婚とか家とかっていうような判断、決するというものがある種バックアップが取れた状態でできるわけですよね。
だけど職業的変化ってそのバックアップを壊すことになってくるので、結構重たいんですよね。その重たさっていうよりも自分自身の可能性を信じたり、あるいは他の人から情報を聞くと、何かあっちの方が良さそうだというふうに隣の芝が青く見えたり。
あるいは人間関係だとかいろんなものが壊れた結果、ここにいると自分の生命が危ないというような形で変わるというようなことがあると。やっぱり金銭的バックアップがなくなるという怖さはまさにこの安らぐが壊されるわけですよね。安らぐが壊される時にどういうふうな決定を下すかっていうところは結構重要なんだなと思ったりはしますが、自分がそういった決定を繰り返してきたかっていうのはあんまりないんですね。
僕はちゃんとバックアップを持って転職していくので。
そうですね。自分もある程度バックアップは持ちつつどんどん進んでいきたいタイプなんで、ちょっとマイノリティーかもしれないですけど、新しい領域は生み出していこうというタイプですけど、広く見ると、こういう新しいとこ行きたいって言うけどなかなかできないみたいな人も結構大多数で多いっていうと、やっぱり安らぐような本能が強いような人が、
特にセラピスト領域とかでは多そうだなっていう感じですかね。
セラピスト領域というところにあえてコミットしていくと、どうしても国家資格なんですよね。国家資格という安定感の中で、そこを良くも悪くも信じ切っているということだと思います。
それは事実として国家資格っていうのは強いわけですね。国家がそれを認めているものなので。ただその国家資格というものが現状をそれだけではダメですよというような、なんとなくそういう風が吹き始めているわけですよね。その風は本当に強くなるのか、薙ぎになるのかっていうのはわからないけれども、どうやら国家資格だけで生きていくっていうのは難しいと。
その難しいというのは、今現状の給与とかは保証されるかもしれないけれども、年々変化していくかどうかということが約束されにくくなってくるであろうと。そうなった時に、じゃあ自分が何を決めるのか、それでいいという風に決めていくのか、それがダメだという風に考えるかによって行動が変わってくるわけですよね。
その行動というものの基準点をお金というものにするのか、あるいは時間というものにするのか、健康というものにするのか、何に自分が価値を置くのか、つまりどういう安らぎが欲しいのかというところがすごくポイントになってくるなという風に思います。
そうですね。このアドバンストセラピストという形なんで、現状維持だけじゃなくて、もうちょっと先に進んでいきたいとか、そのために何したらいいのかっていうのを知りたいような人が多いかなと思うんで。年齢によっても違うかなと思いますけど、安らぐ本能に引っ張られがちな状況を少しでも進めていくためにはどうしたらいいのかみたいな感じを徐々に考えていけると。
実際に僕の周りなんかは、僕自身がすごく強く安らぐなっていうところがあるから、進め進めって言っているので、僕に安らぎたいんですよっていう人があまり意見を言ってこないという、あまり良くない状況ではあると思うんですけど、実際に数的には多分変わりたくない、変えたくないっていう人たち。
特に医療者ってコンサバなので、すごくコンサバな考え方から動かないっていう人たちは多く聞きます。
僕の周りはあんまりいません。
安らぐっていう本能の人に響きやすいテクニックみたいなのもこういう本で書いてあったりするんですけど、シンプル化と権威ディスプレイっていうのがまず大事だって言われたりしてます。
何かを学ぼうみたいなことができるだけシンプルにするっていうのと、ある程度権威性の持った人が言ってますよっていうのがあると響きやすいって書いてありますね。
そういう人って権威に響くんですね。
やっぱり誰から学ぶっていう時に、自分で見つけて独学的に学ぶっていうよりは、もう括弧たるここで学ぶといいよみたいなところがあった方が動きやすいっていうふうに書いてますね。
確かに権威っていうところは、僕なんかも権威というか、情報のソースがどれだけ正しいかというところの疑いをもって見ていくっていうことはやりますけど、それは権威なのかな。
それは懐疑なのかな。疑ってるのかな。
でも多分独自で作りましたっていうよりは、ある程度裏側にこういうものに基づいてとか、しっかり引用があるとかがあるものの方が好まれるっていう感じですかね。
安らいでる人たちは求めてる権威ってそんな感じなんですかね。むしろ東京大学とか厚生労働省とかそんな感じなのかな。
ここに書いてあるやつだと、マーケティングなんで商品の内容ですけど、意思の推薦とか何か特報に認定されますとか、世界的に経緯がある人が認めてますみたいな感じとかがあると安らぐ本能強めの人でも動きやすいですよっていうふうに書いてありますね。
確かに特報とか僕弱いですね。
学ぶとかでいうと、そういう有名大学お住み付きのとか教会認定のとかっていうのがあると、じゃあ学ぼうかなってなったりするのかね。
権威っていうものをネガティブに捉えてしまうと、学識バッタとか威張ってるみたいな感じになりますけど、そうではなくて積み重ねた結果によってツリーが、ツリーって木ではなくてインターネット上のツリーだと思ったらいいんですけど、
そのツリーのプラスマイナスボタンを押して、プラスボタンを押したらブワーって本当は出てくるんだけれども、それが収納された状態が原因なのかなと今。僕らはそれを調べていくということもあるし、調べない人ももちろんいるだろうと。
だからそのツリーがたくさんある状態っていうものを見る場合もあれば、そのツリーがなくても、そこの頭についてる大項目だけを見てっていう人たちもいるから、結局みんな権威に弱いんだろうなって思いました。
まさにそうなんだと思います。シンプル化と権威、ディスプレイが大事ですよっていうのは、権威的なギュッと圧縮された、もうこれなら大丈夫っていうのと、ちゃんと裏側に根拠が示されてて、それが見ようと思ったら見れるっていう状態があると、これなら学ぼうかなっていうふうになるような気がしますね。
だからこう勉強しよう。勉強の、これなかなか今言語化できないんですけど、本当に勉強っていうのをしなければならないのか。あるいは自己計算論っていうのがずっと医療者の中に溢れてるんですけど、自己計算はしなくてはいわゆるマストだとかシュッドみたいな状態であるかというと、多分そうではないと。
なんでじゃあ学ぶんですかって言われたら、それ面白いからって答えるまでのそこの間がすごくやっぱり根深い感じがするんで。根深いというか溝が深い感じがするんですよね。
例えば本を読むっていうことも、文章力を高めようとして本を読むのか、その物語を楽しみたいとして読むのかで全然話が違ってくるわけですよ。
学ぶって難しいですね。
でも本当に学ぶこと自体が楽しめてっていうのが一番公知的好奇心に任せて学ぶのが理想かなとは思いつつも、目の前での不安が大きかったりとか、何かもうちょっとお金稼いでいかないといけないとか、
初心をしていこうみたいな感じでいくとそっちに引っ張られてその学びが中心になるかなと思うんで。最終的なところが本当に学ぶこと自体を楽しむっていうところに行くまでの過程がいろいろステップがありそうだなと思いました。
いろいろ学生とかと喋っていると、僕が持っている知識の分野っていうのは学問的にはたくさんあると。
だけれどもK-POPアイドルとか、あるいは現在の旧ジャニーズの人たちのことだかっていうと、すごく学生は詳しいんですよね。
何々くんは何々をしててどうだこうだっていうような内容をすごくしっかり知っているんです。
それって僕らからすると、例えば学問をやっている人間からすると、すごく適切な情報のソースではなく、どこかでネットで書かれているとか、本人がそういう発信をしたとか、
何々くんって芝居野が好きなんですよ。で?って言う人からなるんですけど、その人たちからすると芝居野が好きな何々くんっていう一つのパッケージで素敵だと。
同時に芝居野のことを好きになったりするっていう、ある種のマーケティングがあるのかもしれませんし、そういったコミュニティをどれだけ作れるかが商売の秘訣だということを、
最近、今本屋大賞を取ったインザメガチャーチを読んで知ってます。
で、我々が思って、僕とか田代さんとかはマーケットに乗らない人たちなんですよ。
で、マーケットに乗る人たちっていうのは何が一番大切かというと、属することと物語ることなんですね。
その一つのコミュニティの中に属して、その中でイニシャチブを取っていったりだとか。
そこで自分自身がこういうふうな物語を展開する。
つまり、よく競馬場とか競輪場とかに行って、おじさんたちが、あの馬俺が育てたんやぞって言ったりするんですよね。
どういうことですか?ってあれでだいぶ振り込んどる。
今のアイドルとかそういった世界観も同じようになっているでしょうし、ただそのためにはかなりやっぱり情報を持ってるんですよ。
情報を持っているということを勉強と言うとられればやっぱり勉強なんですよね。
そうですね。なんで安らぐと結構属するは近いのかなと思いますけど、やっぱり何かのコミュニティに属することで安心できてっていうのもあって。
そのコミュニティにいるときには、あの人のいろんな情報を知ってるっていうのが、そうなんだって感じで関係性も強固になっていくっていうのがあるでしょうから。
何かそういう本能を持っている方向けの情報発信とか仕組みみたいなのを考えていけると、学びにもつながっていきそうかなと思いましたね。
本当に今の僕らが正しいという言い方をしたいわけではなくて、仕事に近いコミュニティでしか僕は属していないということに気づいたんですね。
そういう仕事とか自分の普段のプライベートから完全に確実したコミュニティを持つのって結構幸せらしいんですよ。
宗教性を持つみたいな感じだと思うんですけれども、そういったものがある方がこれからの社会というのはAIに属されていくであろうと。
学ぶということ行為、勉強するという行為が人間よりも機械が学習していくわけですよね。
人間の判断と機械の判断ってなったときに正しいか正しくないかだけで言うと多分機械なんですよ。
ただするかしないかは人間なんですよね。その判断の正しさ、いわゆる正しさよりもするかしないかっていうところがどこに決定基準を持つかって言ったときに
多くの人が多分所属しているコミュニティになってくるんですよね。要は戦争するのかしないのかって言ったときに
その所属するコミュニティが攻められてたりするわけじゃないですか。
所属しているコミュニティが攻めている側だったらやめたほうがいいよっていう話になるわけで。
なので我々はどこに属して何を決するかっていうところがこれからものすごく複雑化する。
複雑化する理由というものは正しいか正しくなかったかっていうのが分からないんじゃなくて正しいことが分かってくるってことなんですよね。
その正しさというのは絶対性という普遍性じゃなくて相対的なものの可能性は非常に高いんですけども。
ただその論理的な納得を多分AIにさせられてしまうので。
その論理的な部分というのを乗り越えて何が我々を決定させていくのかなというところにちょっと興味を持っています。
そうですね。そういう意味ではセラピスト領域でもいろんなコミュニティってあると思うんですけど
その中でもこのコミュニティにいると未来に進んでいく道筋が立てやすくて
仲間もいてみたいな安心感を作れると何か相乗効果的にいいような活動につながってくるのかなと思ったりするんですけどね。
このコミュニティはアドバンスセラピストコミュニティはそういうコミュニティになれたらいいですけどね。
なれたらいいですけどね。なんか切磋琢磨し合ってとかいう感じになれたらいいかなと思う。
でもアドバンスセラピストがどっちかというと応援生と自分が進める本能が強いから
安らぐっていうよりは自分でどんどん進めていこうよみたいな感じであんまり人は集まってこないかもしれないですね。
確かにそういうさっきのインザメガチャーチ的な何かの物語というのを絶対的に信じさせて
その物語に対して属して進ませていくっていうものではないですもんね。
結局こう宗教性が高いとかそういうアイドルとかっていうのはその本質的に自分がその人好きとかっていうよりも
コミュニティに入って活動している自分が好きとかっていう風になってくるので
そういった役割をいかに持たせれるかというのがコミュニティの役割なんだろうなと思うんですけど
僕らがそういうことで興味を持ってないっていうのが問題なんですね。
AI時代における学びとコミュニティの未来
一応属するコミュニティの設計するのに役立つのはまず社交コミュニティというのは場作りをして
何か認定のバッジをつけるとか初期メンバーですとかそういうのがあったり
何かしらそのコミュニティの中で物とか情報を交換できる仕組みみたいのがあると
特に属する本能が強い人っていうのは集まってきて活性化しやすいみたいな書いてありますね。
そうか。なので僕がいろいろなコミュニティを作っていくと学会とかもそうですけど
流行らないのは多分そういったことが嫌いだからだと思います。
だけど多くの人がそういうのを求めているということもあるんだなと今ふと思いつつ
それができないですねバッジもらって何がいいのとか
でもやっぱり組織にそういう設計しているところもあると思うんですけど
こういう基準クリアしたらビギナーの認定ですとか
こうしたらもうちょっと上の認定ですとか
セラピスト的な領域だと物とか情報を交換するみたいな
物の交換は難しいかもしれないですけど
情報の交換みたいなことができる場を作るとかはできるかもしれないね
今思いました僕は自分で決めることが多すぎて
誰かに委ねないということ自体がすごく弱点なんだと思うんですね
だから例えば誰かに何かをもらってあんまり嬉しくないと
自分が渡す側であったら渡すことは嬉しいんだけれども
渡される側はあまり喜んでないんですよね
だから属するという形がギブアンドテイクになってないんだと思うんです
ギブはするがテイクをしないという形になっているというのが
今僕の弱点だなぁと今ちょっと今日すごい大きな気づきがありました
そこを乗り越えたらもうちょっと人が集めやすいコミュニティが作れるかもしれないですかね
多分乗り越えようとしないんだと思います
そこはどうでしょう自分がすごい弱ったりとかするとあるかもしれませんね
現状はなかなか難しいですね
あと物語る本能のところでいくとやっぱりナラティブっていうのが大事で
開発者のナラティブとか利用者のナラティブとか
世界観全体のナラティブとかっていうのがそれぞれ動いていると
コミュニケーションも活発になっていいよみたいな感じに書いてありますね
なのでナラティブの捉え方がまた僕は多分普通の人よりも割と服装化していて
ナラティブ研究をしていたからっていうのがあるんですけど
一般的に言われるナラティブと僕のナラティブの多分解釈が違って
ナラティブを使ったらいいよって言ったときに
そのナラティブって何ですかっていうふうなことをして
だいたいナラティブの話が進まなくなるというパターンにいるので
もう少し素直にどうしたらいいんでしょうね
僕の個別相談みたいになってますけど
例えば理学療法推論みたいなところでいくと
法人作って立ち上げてとか
もともとこういうふうな考え方だったけどこういうふうにしてきてとか
今ある程度ワークショップの内容とかも結構固まりつつような感じではあると思うんですけど
そこまでたどり着く過程でこういう人と出会ってとか
ここではこういうブレイクスルーがあってとかっていうのをまとめていくと
なるほどそういうふうにたどり着いてここまで来たんだなっていうのが見えるかもしれないなと
だから今わかりました僕はそれを外部化するしかないです
そこ自体のあんま覚えてないっていうのが一つあるんです
僕自身は結構ナラティブがそういうふうにしっかりと提供できる人っていうのは覚えてるんですよね
覚えてるっていうのは記憶しているということよりも
自分自身で一つの意味付けをどんどんやってると思うんです
例えばこういうことに困ったとか
意味付けが僕あんまりないんですよね
なのでそういう例えば今回ワークショップの資料を作る上で
どんなことが大変だったっていうのはあんまり覚えてないんですよね
AIがよく動かないとか
その間にAIが進化していってどんどん資料が楽に作れるようになったなっていう
僕の物語じゃなくて
チャットGPTの4.2から始まったみたいな物語はあるけど
個人的な物語が蓄積されてないですね
この辺は改めて聞きつつまとめていけるといいかもしれないですし
もう一つ世界観ナラティブみたいなことも書いてあったりはするんで
この辺はもうちょっとこう
例えば理学評判推論であれば
こういう推論の考え方が広まることによってこういう世界がこうなるんだみたいな
そういうのは考えていきやすいですかね
今なのでそういったものを適宜ノートに記録して
僕から外在化していかなきゃいけないと思いました
この時々の考えている内容というものは文章にやっぱり出ていくので
今書いているノートなんかっていうのも
多少その今の考えに影響されていると思うんですよね
なのでその自分が書いていくその物語ではない
物語ではなくて今書いているいろいろな内容というものを
読み込んでいくっていうことかなと今思いました
そうですねそこはたぶん堀先生の中にしかないものだと思うんで
ぜひなんかアウトプットしてもらうと響くところがあるかもしれないですね
そうかなんか何なんでしょうね
何かが欠落してるんだと思います
その欠落が自分で足としてないってことですね
だから本当は自分が物事を広げていこうとか
ものすごく短絡的に言うとお金持ちになろうとか
時代を変えてやろうとかって思うところがすごく弱い気がします
そうですね一旦試行実験的にそういうのをやってみると
本当に堀先生自身がここから積み上がってできてきたものが
こういうワークショップとか世界観なんですよみたいのがあったりして
もう一つ利用者ナラティブみたいな感じも利用するといいよっていうふうに書いてますけど
それを学んだ人がどう活かせたかっていうストーリーみたいなことも積み上がっていって
それがコミュニティの中でも共有されて
新しく入ってきた人にはそれが伝わってっていうのがやると
安心感もありつつストーリーがつながっていくようにして
コミュニティも発展していくみたいな感じですかね
おそらく言われていることは正しく
言われていることは理解できますが
僕の実行にはつながらないというか
だいたい何かあったら僕すぐその結局この
何ていうかな結するというか
のところに動くんですけど
ここに自分の何かアンテナが動かないんですよね
でもそういうのが動く人って多分いて
そういう人にそれをお願いするってことでしょうね
はいそうですね
でも例えばなんかそのホンダとか
ああいう会社とかでもホンダ総一郎は職人的に極めつつ
二番手的な人がビジネスとかも動かしてみたいな感じとか
パートナーみたいなジブリとかもそうかもしれないですけど
宮崎駿と鈴木敏夫さんがいてみたいな感じで
うまくパートナーシップが組めると
一人はその強みを生かして
もう一人は違った方向で生かしてっていうので
全体的には広がっていくっていうのがあるかもしれないんで
そういうチーム作りなのかもしれないですね
そうですね本当にいつも僕はジョブズとウォーズニアックの方が好きで
使うんですけど
ジョブズ一人だったらただのキチガイですからね
表現が悪かった
気が狂ってるわけでもないですからね
そういうところを
何ていうかな
自分の中に持っておかなきゃいけない頑固さであり
本当は切り崩さなければいけない
それを学ぶことによって変えれるのか
これでもだいぶAIを使うことによって
自分の判断とか自分に対する色々なものって変化してきてるんですね
だけど今話していた自分自身を物語るとか
自分のプロセスを物語るとかっていうこと自体を
あんまりやらない
それはこの前誰かと喋ってて
ノートブックLAも使いますかっていう話をしたんですね
全く使わないわけではないけど
僕ほとんど使わないんですよ
要は自分が過去にやったことに興味がないので
自分が過去にやったものを蓄積していって
それを放り投げてっていうことが
あんまり自分の中の思考プロセスの中になくて
新しいあるいは自分の中に物語るものを
チャッピーとかに投げて新しいものを使うので
基本的にどっかで話すときって言ったら
必ず新しいもので喋るんですね
長いテープを見てくると
同じことを言っているっていうことはありますけども
同じスライドを擦るっていうことは基本しないので
だから前のスライドを入れて
どういうふうに変化していくとかっていう
使い方もあると思うんですけども
あんまりそういう使い方しないんですよね
なるほど
そうですね
そうなるとAIエージェント的に
文人みたいな感じで
堀先生の単独は
どんどん先に進めていくっていう感じですけど
一応やったことを蓄積しておけば
前からローカルのLLMみたいな話もありましたけど
属する本能を刺激するための活動するエージェントみたいな
実際に人でもいいと思うんですけど
そういうチーム間で共同し合って
やっていきましょうみたいな感じで
まさにそれが欲しいんですよ
だから結構チャッピーとかに
そういうことできないかって相談するんですけども
まだできないらしくてチャッピー自身が
Googleのエージェントがそういうふうに
ジェミーのエージェントも動き始めるだろうし
クラウドコーワークに
ちょっとそういうのやってよって言うけど
なんかスッキリ来ないんですよね
だから僕がどんどん勝手に作っている資料とかを
タグ付けしていろいろ分けて保存して
あなたこういうこと考えてましたよ
って言ってくれると助かるので
あと一歩なんだと思います
そうですね
それをAIにやってもらうか
そういう専属のパートナー的な人がいてやるか
みたいな感じですかね
でもAIでしょうね
細かなディテールの部分で
大額の物語みたいなのは
誰かにやってもらうといいでしょうけど
自分のやっぱり思考パターンというのは
やっぱりAIに良さそうですね
そうですね
なんでリアルな人としてできることと
文人的なAIがエージェントで動くところっていうのが
うまく共同するシステムができたら
結構なんか新しい面白い仕組みかなと思うので
なので自分自身のユースルというところが
強く出ていて
そのユースルのコントロールがだいぶできると
他のやつへの波及が変わるのかなと
確かに
なんでそれもうまくユースルという形で
蓄積してきたものをアウトプットして
何かに残して
それを発信するものにしていくとかできれば
いいんですかね
なのでコーワークスとかもそうですけど
僕のGoogleドライブとかにガバッと入っていって
僕を探してくれたらいいんですよね
ファイルはいっぱい残ってて
全然選別してないだけなので
そのファイルを送って
例えばもう2005年とかそれぐらいから
ファイルが残っているはずなので
いわゆる20年分ぐらいのファイルの蓄積で
自分がどんな資料を作ってきて
どういうふうに変化しているかっていう
物語を作ってくれるであろうというターンは
もうちょっとでいいそうですね
確かに
最近だいぶクロードとかでも
パソコンの中に保存されているローカルのファイル
みたいなものを整理するとか
ファイルももう一回名前付けを変えて
構造化するみたいなのも結構
精度上がってきているような気がするんで
僕の時代って
僕自身が自分自身に満足できる時代が
近くに来ている気がします
確かに
堀先生自身は本当にどんどん先にいって
それまでの蓄積がどんどんパソコンの中に
保存されていって
それをもとに発信するのは
AIがやってっていう風になると
楽しそうな感じですね
本当に楽しそうな時代が
田代さん自体はどうですか
楽しくいけそうですか
自分も楽しく
AIも活用しながら
新しいこともいろいろでき始めているので
結構楽しくなってきてますし
ちょっといい頃合いなんで
また後半で
自分の話とか
また今後未来のこういうことをしていくと
いいんじゃなかろうかみたいな
ぜひそういう風に
これ聞いてる人からすると
何の話だって言ってるかもしれませんので
もう一回ちょっと
次の最初に少しまとめながら
整理しながらまた話していこうと思います
じゃないと僕のストーリーみたいに
逆に僕のナレティブになってますね
なってますね
それはそれで面白い
前半はこんなところで
ありがとうございました
51:54

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