1. 広告を楽しむ『アドバタラヂオ』
  2. #15 広告を批評することってと..
2021-04-05 34:54

#15 広告を批評することってどうゆうこと?

みなさん、初めまして。アドバタラヂオ(AdbataRadio)と申します。

僕たちの番組では、広告に関わる出来事や出会いを通して、

数分や数枚の広告に一生懸命向き合っている大人達がいると知ってもらい、

広告を好きになってもらいたい、そんな広告"人"学をお届けするラヂオです。

末長く、宜しくお願いいたします。

by スナケン・トミナガマコト

00:01
どうも、アドバタラヂオはじまりでーす。
園賢でございまーす。
富永誠です。よろしくお願いします。
この番組は、広告大好きな二人が広告に関わる出来事や出会いを通して聞いている皆さんに
広告に興味を持ってもらい、そして広告を好きになってもらいたい
そんな広告人学をお届けするラジオです。
よろしくお願いします。
いやー、トマト美味しいですね。
トマト美味しいですね。ありがとうございます。
今回はマポートのお姉ちゃんが一生懸命配送作業をお手伝いしている
タミヤ・カイチさんのプチトマトをいただいております。
いただきます。
美味しい。
普通にタミヤで、ひらがなでカイチと検索していただければ美味しいトマトが
ご購入いただいて
ご購入いただければ、はい。
美味しく食べれますよね。
思いながら、今こういう風にお喋りをさせて
はい、これが広告タイムでございましたね。
特にそういうのはやっていらっしゃいませんけども
ぜひ、あのー
そういうね
ご要望をいただきたいと思います。
そういうご要命をいただいても全然何の問題もないんですよ。
その中さん、この今3月で順になっておりますけど
結構僕らももう3ヶ月、12月から始まる感じで
3ヶ月やってますよ、これ。
やってますねー。
しこしこしこしこねー。
撮っていただいてますよ。
楽しいですか?どうですか?
楽しいですよ。
嬉しい。
やっぱりそこでトミーがどういう切り口で飛んでくるのかとか
僕が全くその曲に対して全く考えていないというですね
致命的なあれはあるんですけども
そこに対して記述が近づいてくる
収録が近づけば近づくほどですね
あたふたするんですね。
何する?何する?
いやーでもそこは守備範囲じゃないしな
でもそこもやってみたいけど
なんかここで語れるような話ではないんじゃなかろうかと
思いっきり考えながらですね
いろいろ本とか引っ張り出しながら
なんか語れたらいいなと思ってはいるんですけど
今日はちょっと自分の実感というかですね
はいはい
そういうような話をしようかなと思っています
ちょっと僕は聞く手側に
そうですね
なのでもしかしたらちょっとですね
名号になるかもしれませんが
そこをですねちょっとかいつまんで
話をしようと思っています
大前提
はい
これを話される砂犬さんの
プロフィールじゃないですけど
経歴みたいな改めてちょっと触りで聞いてもいいですか?
はい
03:00
えっと2002年ですね
に広告業界史の新聞記者を
してました
めっちゃ言葉選んでしまった
これも選べますよ
2002年から2010年までですね
まで国業界史の新聞記者を8年してました
そこから8年ほどなので
ちょうど2010年って
ツイッターが出始めたぐらいなんですね
なのででもまだ
その次の年のサウスバイサウスウエストか何かで
ツイッターが選ばれたんですよね
次に
来るメディアみたいな
来るメディアみたいな感じで選ばれた
それが2011年だったのかな
ちょうどなので
その広告業界史をたたんだ次の年か何かに
確かそういう形だと思うんですけれども
なぜそれで今日どんな話をしようかと
考えた時に
広告ジャーナリズムの仕事に僕はついていたので
8年間という間ついていたので
そういう話ができればいいかなという風に
思っていますよ
なかなかですね
こういう話をすることも
僕はのみやで話をすることはありますけれども
残るメディアでこれほど話をすることは
もちろんメディアなんてやったこともないですから
これまで
なのでちょっと顔が真剣モードになっている
ちょっと顔が怖いですね
ということなんですよね
ジャーナリズムという言葉自体が
要は時事問題に関することの
報道であったり解説であったり
批評っていうところがジャーナリズムなんですね
なのでちょっと言葉を穿った見方をすると
それのプロフェッショナルというか
それをウォッチしている人たち
ウォッチをしている事柄に対して
それをやってない人たちですね
要は一生懸命何かに取り組んでいる人たちの仕事を
その人は経験したことないけど
一般的な目線でどうなのよという人がジャーナリズムなんですね
なのでその仕事はしてないわけです
だけどそれをジャーナリストと言われる人たちは
批評するのが仕事なわけです
じゃあその中にいすぎちゃうと
ジャーナリズム
ジャーナリストとしての意見みたいなところが
06:00
反映しづらいから
なるほどそうなんですね
だからあくまでも第三者機関と思ってくれれば良いわけです
そう聞くと分かりやすいのは戦場
カメラマンとかジャーナリズムというのは
確かに戦争をしているわけじゃないですもんね
そうなんです
戦争をやっている人たちの中の一人ではないわけです
ではないから第三者っていう
第三者がその戦争をしていて
それだけ悲惨なことが起こっていて
どんな情勢なのかっていうのを
派遣されたジャーナリストが
第三者的な目線でこんな悲惨なことがあっているけど
これはどういう情勢によって行われているのか
っていうことを
すごい人たちになると
両方の話を聞いて記事を書くわけです
片方だけじゃなくて
片方だけだとそっちだけの話になっちゃうので
ジャーナリズムとは言われないってことですね
片方だけだと
そう片方だけだとジャーナリズムとは言えない
だけど僕がやっていた広告ジャーナリズムっていうのは
僕自身が広告業界史にいたので
一般の人に話を聞く業界の話なので
一般の話のことは聞くわけじゃないわけです
あくまでも自分が1消費者というか
それをウォッチする1人の人間として
そこに滞在していたので
8年間滞在していたので
一般的な目線と広告業界の人と接点を持ちながら
仲良くはしているけども
仲良くなりすぎちゃうといけないっていう側面もあるわけですね
そこの観点で
批評というか
もちろん僕自身がコピーライターでもなければ
アートディレクターでもなければ
クリエイティブディレクターでもないわけです
なんだけども
それを世間的なこととかテクノロジーとか
当時はなかったですけどそのテクノロジーは
だけどそこを鑑みながら
業界の中でそれを発信していくという
仕事を8年間していました
つまりジャーナリズムというのは
批判ではないんですね
批評なんですね
そこは大きく違うわけですか
違うと思いますね
なんでも
批判は誰でもできます
例えば面白くないとか
で批評は愛がなければできない
つまり広告を愛してなければ批評はできない
面白いですね
なんかいいこと言っちゃった
すごく大事な違いってことですよね
09:01
大事な違いですね
要するに全てのジャーナリズム
今砂浦さんの場合広告
ジャーナリズムっておっしゃってましたけど
映画もそうですよね
映画に対するジャーナリズムもそうだし
その他いろいろあると思うんですけど
枕につくものに対しての愛情がなければ
それはジャーナリズムとして成立しないよってことですか
そうですね
そこに愛がなければできないし
そういう人たちの中で
素敵な大人たちだなとか
そういう人たちの中で
作られている人たちのことがいいなと思ったり
もちろんそこで
プッとしている仕事自体も素敵だなと思っているので
僕はその仕事に8年間従事していたというのがありますね
なるほど
そうですね
そう言われないと分からなかったですね
確かに
でもやっぱりそこで
なのでね
僕が在籍をしていた間に
あるパーティーに出席をした時に
お酒をお召しになっている先輩がいらっしゃって
パーティーに僕もある広告業界のあるパーティーでしたけども
そこに出席をした時にですね
お酒を召していらっしゃいましたから
いつも通り僕は挨拶しに来ました
お疲れ様です
そうしたらある程度パーティーの終盤でしたので
ちょっと興が乗っておられたんでしょうね
その先輩が
あそこの方に言われて
お前相変わらず他人のふんどしで飯食っていくかって
言われたことがありましてですね
つまりですね
広告をお作りになっている人
何度も申し上げますが
僕は広告を作ったことは一度もありません
あくまでも報道をしている人間なわけですよ
その先輩の物言いからすれば
広告は自分たちが作っているものだと
その先輩というのは広告を作っている人
そうですそうです
わかんないですけど代理店なのか
そこら辺は例としてなんですね
広告を作っている
それを発信されたものを
うちが受け止めてそれを出したわけです
つまりそれは
お作りになっている人たちのふんどしで
批評して飯を食ってる奴っていう
言われ方を
したことがあってその時僕と
上司の編集長と
2人で僕はその場でお話を聞いていて
僕は一瞬ん?って
僕は思いました正直思いました
当時って何歳の時ですか?
26歳ぐらいかな
12:03
その時に思いました
思いましたけど
その時に
編集長と僕は2人で行きました
その場に
ですけど僕はその時ムッとした
顔を見た
編集長が
ちょっと行きましょうと
言って
ご挨拶だけさせていただいて
その場を
2人で去って
違う方に取材というか
ご挨拶するようになったんですけど
その時にその
編集長の方が言ったことを
僕は今でも
忘れられませんけども
分かる人には分かっているからと
いうことを僕は言っていただいて
須永さんに編集長が
分かる人は分かっているので
言わせておきなさいと
いうお話でいただいて
なるほどと
あの人はそういう側面でしか
うちのメディアは見ていない
だけどどういう
役割を
ジャーナリズムが
担っているのか
ってことは
見てる人が見ればそれは分かっているので
あの人はそういうところでしか
見ていないから
でもそこに
心を
砕く必要はない
というようなことを
言われたのを覚えてます
覚えてますね
なので
いろんな
励ましの
言葉もいただいているし
というのもあるし
今広告のジャーナリズム
っていうのが
僕も今広告の世界に
映像の世界
エンターテインメントコンテンツというか
そこの界隈でうろちょろしてますから
もう一度
やってみるよとかですね
いろいろ言われることもあります
正直
2010年に
メディアを
畳んで
あれから11年の時が
流れてますけれども
今のところ
僕は
ジャーナリズムをやろうとは
一ミリも思っていなくて
うーん
なんて言うんですかね
なんとなく
楽しくなさそうだなって
思えるんですね
それが今の広告の
あり方がってことなんですか
そうではなくて
ジャーナリズムを
欲してないんだろうなって
思ってるんですよね
世の中が
2002年から
2010年までの
8年間ですか
いろんなメディアができて
すごい
キラボシのクリエイティブと
クリエイターと言われる人たちが
血気盛んなっていて
15:00
もう
そういう広告ショーとかがものすごく
盛り上がっていて
そこに対してみんな情報を摂取しようと思ってた
熱い時期に
僕はたまたまその現場に
させていただいたので
っていうのもあるし
でも今
もし仮に
僕がジャーナリズムを
現段階でですよ
そういうことが
できたらきっと
面白いのかなって思う気持ちは
なくはないけど
求められているのかなと
考えるとなかなか考える部分がある
多分
ほとんどのことを
インタビューをした場合は
原稿チェックを
してもらってましたけども
そうじゃない雑貫に関しては
原稿チェックを
することはしていなかったし
多分
当時だったら
あるCMを
特集したら
今だったらとっても
ありえないけど
この監督の
演出コンテ欲しいんですよね
って制作会社に連絡した
分かりましたって
バイク便で送ってくれるわけですよ
うん
それをスキャンして
掲載したわけです
今ってありえないです
ありえないですよ
ただでさえ問題になってるんですけど
普通に送ってくれましたし
もちろんそれは
返却しますよ
それにも載ってますからね
演講が
とかね
スタッフリストもポイポイ
くれましたから
当時
VHSじゃなかったけど
そういうのを切り張りするのも
結構
タレントさんチェックなしで
クライアントチェックなしに
出してましたから
それでもOKだったんですね
っていうのもあるしね
なんかこう感じ
それが良い悪いは
別にして
でもなんかそこに
一緒に
怒ってよ
批評してよ
っていう人が
本当にいるのかなって
そのメディアに
取り上げられたら
やれみたいな感じの
ある
そういうことをしてても
みんな喜んでくれるのかな
喜んでくれるのか
違うな
そこがモチベーションになるか
取り上げられたら
そういう
批評するメディア
っていうもの自体に
魅力がないのかなってことですよね
今はね
いろんな
広告業界の
そういうのもありますし
情報を摂取するという意味においては
18:00
僕もトミーも
広告のことが好きだから
それも
摂取しますし
そこに批評っていうのがあるか
っていうと疑問が残る
僕質問
いろいろ聞いてて思うんですけど
大前提として
そういうジャーナリズムだったりとか
批評っていう
立場
の場合って
どういう形でお金が入ってくるんですか
その場合はですね
言えるところまで
なので
広告業界紙なので
要は公読料なんですね
まずは公読料
正月とか
今でもありますけども
そういう
広告枠があるので
出稿されませんかと呼ばれている
業界紙ですよあくまでも
そこでお付き合いで
それを
広告を入れてもらう
その本
雑誌
新聞
広告枠
そこに企業さんが
載せたい
そこにお金が発生する
ポスプロさんとか
そっちのジャーナリズムになる
広告業界紙ですから
ポスプロさんであるとか
CM
製作会社さんであるとか
そういうところが
求人とか出すときに
出稿していただいて
でもそれもほとんど
ほとんどない
あの
まあ
編集長のスタンスがですね
要は
うちのメディアを
好きな人が
出稿してくれたら
いいと思ってる
わかる気がするな
つまり出稿したことによって
その企業に対して
おもねった記事は
書けないわけですよ
片寄るわけにはいかないってことですよね
それがジャーナリズムですから
広告作ったものがあって
それを
ただそこの
関係者とか関係会社が
雑誌に
新聞に
載せてるから
批評ができないってことは
あってはならないってことですよね
それがジャーナリズムですから
というのもあるし
でもですよ
年から年中
週に2回出してたんですね
うちのメディアは
全部紙ですから
出してたので
当時自分のサイトとかも
なかったし
まだでき始め
ウェブサイトという概念も
ありましたけど
なかったし
そういうのもあるんですけど
21:00
全てが
ガチガチのジャーナリズムというわけにはいかない
週に2回出してますから
ちょっと言葉があれかもしれませんけど
提灯記事と言われるものももしかしたら
あったかもしれません
広告会社の
人事が出れればそれを載せてましたよ
でも
毎週
8ページですか
出してましたけども
時に多い時は
16ページとか出してましたけどね
内容が多い時は
16ページとか出してましたけど
やはり
そこの中のパーセンテージを
そういう
ジャーナリスティックな記事
っていうのは
何パーセントか入れておかないと
やっぱり
公読が終わっちゃうので
ただ
非常に印象に
残ってるのが
その編集長と僕
2人だけで作業してたんですけど
ある記事を
書いたんですね
うちの編集長が
編集長が書いたものを公閲チェックするのが
僕の役目だったんですけども
2人しかいませんから
書いたものを
本人も公閲しながら
僕もダブルチェックしたんですね
そういうのしてますから
そういうのしていって
あるちょっとした
ピリッとするような
記事を書いたんですね
取材をして
そこには
確認、こういう記事出ますよ
っていうあれは入れてません
そういう記事を書いたんですね
で、それが出た
次の日とかですね
特に何の連絡もありませんでした
非常に平和な編集部だったんですね
その時にですね
2、3日してからちょっと
編集長と
飯を食う機会があったと思うんですけど
2人で飯を食ったんですね
そしたら足りなかったんだねといったことを
僕は覚えてます
つまり
てめえ書きやがったなって
電話がかかってくることが
ジャーナリストの喜びなんですね
なるほどね
難しいな
無視はないんですよ
世の中のテーゼとして
それを問いかけるわけですよ
これはいかがなものなのかと
これはいかがな経営なんだろうかと
そういうことを問いかけて
確かに合ってるっちゃ合ってるけど
お前こういう書き方ねえんじゃねえの
だけどジャーナリストは
そのままここの会社は
悪い会社ですとは書かないわけですよ
こうこうこうこうこういう経営をして
こういうパーセンテージがあって
いかがなものでしょうかっていうのを
見せられた
えっと
読者が
これはこの会社は悪いなって
いうことをこの人は書いてたなってことを
気づかせる文章なんですね
行間を読んで
分かってくださる人たちが多いわけですよ
24:00
そういう
書き方を編集長がしていたので
僕もそれを感じたし
だけどそれを読んだ
その当人たちがそれを読んで
電話をかけてこないってことは
刺さってないんですよね
なるほどね
なんで本当だったら
電話がじゃんじゃんかかってくることが
ジャーナリストとしては幸せなわけです
難しいなそれ
つまりそれに対しての
強いメンタリティがないと
本当のジャーナリズムってできないですね
なるほど
あるまた別の記事で
じゃんじゃん電話がかかってたときは
二人で宿敗なわけですよ
まあいい電話の内容も
結構きついこと言われてるでしょうけどね
だけどうわーって言った後に
最後にでも
書いてることは分かると言われてきてるわけですよ
これが読者と
ジャーナリストのキャッチボールなんですよ
だから向こうにお前って
だから最初に
書かれた人は
そうですね
ざけんじゃねえよ
だけど書いてることは分かる
そのキャッチボールが
今できる人がいるのかどうか
僕自身がそれができる
なるほど
それができるのか
あと
今そのキャッチボールをする
相手が
怒りだけで終わっちゃう人ばっかり
じゃないのかなっていう可能性も
否定できます
それがジャーナリストのキャッチボールなんですよ
ってことはその双方がいないと
成立しないってことですよね
そうです
なのでこの野郎って怒った人たちは
そういうことをしなくなるんですよ
怒りはするよ
お前って
だけどそれを言った後
こういうことはしない方が
あのメディアから
使えないなっていう
心は少し残るんですよ
そこが
ジャーナリストと
そこの
広告業界の人と
ジャーナリズムの関係なわけですよね
要はリリースを送ったら
何でも乗っけてくれる
っていう
メディアでは何も広告業界は
進歩しないわけですよ
要はね
結構
侵略って言うんですか
攻めた
侵略って言葉で
あってるのかな
侵略の攻め方
した内容とかもやっぱり
随所に
入れていくんですか
でももちろん侵略なこと
侵略なのは簡単なんですよ書くのは
だけど
27:01
侵略じゃないけどどうなのよ
って提言をするような
行間を
読めば分かることを書くのが
ジャーナリズムなんですよね
侵略なんて誰でも書けるんだから
これ美味しくないわとか
これ面白くないわとか何でも書けるのよ
だけどそれを
こうこうこうこうってロジカルに
書きつつ
そこに訴えかけるような
文章というか
それを書かなきゃいけないというのが
ジャーナリズムのミッションなんですよね
今聞いて僕が思ったのは
おっしゃってた受け手である
砂犬さんとかの
立場の人もそうだし
記事を書かれる
人たちもそうですし
僕もう一人必要だと思うのは
この読み手
結局ジャーナリズムとして
問題定義をされるわけじゃないですか
これは美味しくないよ
ってことではなくて
これ
ここに対して
パスするわけじゃないですか
読者に
じゃあここに
それをきちんと
問題定義を
問題定義として受け取れる能力があるのか
っていうところがありますよね
ましてやそれは
公読をしてくださってる業界人なので
そうすると
自分がいた
書いた文章を
その人に当てて書いてるってこともあるけど
読者さんがいらっしゃるので
その読者さんが
その記事を見たときに
こう書かれないようにしようって
動くわけですよ
こういう段取りを踏まずに
こうこうこうこう
こういうものをアウトプットとして作ったとか
こういう経営でやった
ってことになると
多分俺がいた
メディアから疲れちゃうな
っていうのを
自分のことじゃないけど
人の振り見て我が振り直してないですけど
多分そういう循環ができてた
そうすれば
情報を我々も
取材をしてるからキャッチアップしていくし
そうすると全てが
循環してよくできてたんじゃないかなと
僕はその8年間で勝手に感じた
その広告の
ジャンルってどこまで広告
っていうんですか
その時は
俺がやってた時は
ウェブ
ムービーのとこの
プロダクトプレイスメントぐらい
あたりまでかな
あとリアルイベントでしょ
CMでしょ
ショートフィルム
てのがちょうど流行ってたからね
ウェブムービーだね
ラジオとかも
ラジオは行ってなかったね
ラジオまで行かなかった
新聞も
インターネット
ウェブムービー
4つぐらい
4つでも大変ですね
拾わなきゃいけない
30:03
今考えたら
時間がある時に
自分でテレビ見てて
YouTubeもまだありませんでしたから
なかったんで
家でゴローンとして見てて
面白いCMがあるでしょ
そうすると大手広告会社の
4社ぐらいのですね
広報の人を大体知ってるわけでしょ
確かこのクライアントだから
あそこだなって
広報の方に連絡すると
あっこっちです
コピーライターさんに取材したいんです
分かりました
その場で連絡してくれます
今では考えられないぐらい
接触ポイントが少ないじゃないですか
それをたまたま見てないと
キャッチできないというか
今だったらすぐ検索して
できますけど
ユーチューブがないからさ
見たものをそのまま
次の日
広報会社の広報に連絡をして
あれもう1社ですよね
そうですよって言って取材したい
分かりましたって言って
そこで繋がってくるわけですよ
実際に会って
だから
見るものの記憶が
全てなのですよ
担保するものがないから
本当に覚えてるもの
を取材したいと思って
どういうクライアントさん
どういうクライアントさんから
オリエンテーションがあって
どんなプレゼンテーションをしてみたいな話を
グイーッとして
言えない話になりますから
その言えない話を
まるっと
ギュッとして
面白いエンターテインメントという形に
していく
まあまあ読者が楽しめるような
そう読者がこれ聞きたいんだろうなとか
そういうような話をしてた
結構な情報量浴びてましたね
それを8年間僕浴びてるわけですよ
それはすごいですね
今だったら
簡単ですよ
ピックアップしちゃうし
そう簡単
だけど
自分が見てないと
仕事にならないわけじゃないですか
見てたり聞いてたり
情報として
だからまだDVD
まだね
DVD
だけど
VHSで撮ったものを
何かのドラマとか撮ってるでしょ
世によくゲツクとか
言われてるもの
結構やっぱり
目立ったクライアントさんの仕事があったりもするので
そうですよね
だけど深夜番組もまた面白かったわけですよ
深夜番組の
そうすると要は番組は撮ってるんだけど
仕事が仕事だから
要はもちろんCMは飛ばさないように
そうすると結局
全部見るわけですよ
すごい
33:01
それは
すごいですね
そうするとやっぱり
人たちも見てくれたんだ
っていうことから
要は担保されている
YouTubeというもので見てきました
じゃなくて実際に応援を見てきた
っていうかやっぱり熱量が変わってくる
実際に行って
みたいな
そういう人たちが若い頃に
お話をさせていただいた
人たちが11年経てば
やっぱ偉くなるわけですよ
そうすると
いやーすげーそれ
そうすると
やっぱり
今と比較したら
圧倒的に
違いなんて
ものすごい状況だと思うんですけど
やっぱり見てもらっている
っていうことで
信頼が生まれるわけじゃないですか
今こそ
炎上しましたみたいな話
とかあって
SNSで飛んでくるじゃないですか
炎上したかどうかって分かんない時期
でもあったわけじゃないですか
このCMやばい
とか
この広告評価どうなのみたいな
みんな今
普通に会話
とかっていう
そこの部分の話を
ちょっと僕
突っ込んで
聞きたいんで
そうですねそうしましょうかね
次回
すなけさんにいろいろ
僕から
質問させてもらいますんで
次回もお楽しみに
失礼します
34:54

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