母親の影響を受けた人生
【生きてりゃ毎日コンテンツ】 子育て奮闘ママの等身大ラジオ
どうも、音声配信コンサルタントのあっこです。 今日はですね、珍しく
母親の話をしてみたいと思います。
この話はね、ちょっとしたら免職に移行しようかなっていうぐらい、結構深掘りしますので、はい、良ければ最後まで聞いていってください。
私は母親のね、設定で長いこと生きてきて、今まさにその設定から抜け出そうとしてるんだなって思ったっていうことと、
自己肯定感と、自己需要は全然違うんだなっていうことに気づいたっていうね、お話をしていきたいと思います。
良ければ最後まで聞いていってください。 このチャンネルは、スタイフでマインドが変わる、行動が変わる、人生が変わるを
体現中のあっこが、自分自身の挑戦の過程や忙しいアラフォーママでも、スタイフ活用で人生を動かしていくヒントを発信しています。
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はい、ということで、あの最初に言っておきますが、ちょっとね、今回の話は長いかもしれない。
今これまだ収録してすぐですけど、なんか長くなる予感がしてますので、はい、お付き合いください。
はい、まずね、なんでこの話をするかというと、あの私ね、今スパルタアート大塾っていうね、
いがらしみちこさんが主催されている講座を受けていて、その中でね、いろいろやりとりしていった時に、あの
みちこさんにね、あっこ、もうちょっとお母さんとの関係の部分、深掘りた方がいいかもっていうふうに言われて、で、今ちょうどね
許しと需要のワークもね、販売中なので、それもあってちょっと母のことをね、いろいろ考えたんですよ。今までのことをね。
ノートに書き出したりとかしてみて、ちょっとね、あってね、今回ちょっと気づきがあったので、それをちょっとシェアしてみたいと思います。
はい、まずね、最初に大前提なんですけど、我が家はですね、あの親子関係は
今まで特に問題はない親子でした。で、なんか大きいトラブルがあったとかもないし、頼ろうと思えば全然頼れるし、
すんごい仲がいいとかでないけども、別に仲も悪くないっていう、そういう関係性なんですよね。
で、私は3人兄弟の末っ子で、上が12個上の姉と9個上の兄で私。なので、結構ね、放置して育てられた。
のびのびと育てられたし、愛情もね、だいぶ受けていたし
なんかこう、わりかし自己肯定感も高く育ったと思うんですよね。
だからなんかその親の影響でなんかすごく生きづらいみたいな、そういうこともなく、私の人生もそんなにすごく大きな
困難みたいなのもないままここまで来たんですよね。だから正直ね、その親との関係を見直すみたいなことも機会なかったですし、
自己需要とかって言われても、なんかでも私結構自己肯定感は割と高いけどなぁみたいな感じで、あんまりこう自分ごとになってない部分があったんですよ。
なんですけど、あの最近ね、あの感じるのは、やっぱりね、自分は人の目をすごく気にするなっていうこととか、
あとはいろんな感情を実は押し殺してるなとか、なんか見てないふりしてたりとか、あとポジティブ変換して、
それこそエセポジですよね。エセポジで流しちゃってるなぁとか、
いろんな結構自分の中に設定を感じて、それって全部自己需要が弱い部分から来てるかもっていうふうに思ったんですけど、これがね、これが
実は母親から引き付いてるんだってことに気づいたんですよね。
私の母は、人目をね、すごく気にする人でした。
世代もあるかもしれないんだけど、世間体とか、近所の方からのどう見られるかとか、周りの人がどうしてるかっていうのを先に、なんか自分が何かを選ぶときに、周りの人はどうしてる?他の家はどうしてる?っていうのをめっちゃ気にしてましたね。
あとは何かやるってなった時に、心配が先に出る。こうなったらどうしよう?ああなったらどうしよう?とか、
あとは新しいことに対してはすごく怪異的だったり否定的、腰が重くなるタイプ、そういう方なんですよね。
実際自分、お母さんの生き方としても、結婚して、その時代もあるんですけどね、
仕事もしながら、子育てはもうほとんどおばあちゃんに丸投げでやるしかなくて、田んぼも、うち兼業農家なんでね、田んぼもやらなきゃいけない、仕事もやらなきゃいけない、家事もやらなきゃいけない、でも子育てもあって、でもそれはもうおばあちゃんにお願いしてみたいな感じで、
もうなんかこう、あまり判断を自分でするみたいなことがもうできないぐらいの生活をずっとしてたみたいで、その苦労話はよく聞かされてたんですけど、
そうそう、だから結構お母さん自身がやっぱり自分の気持ちとかはあまりこう、じっくり考える暇もなくね、生きてきたんだと思います。
そう、だからそれがやっぱりこう、
人目を気にしたりとか、周りに合わせたりとか、失敗したくないとか、保守的にな方を選ぶとか、なんかそういうのに出ていったんだろうなって思うし、
職業選択の葛藤
そう、エピソードとしては、
あのー、
そう、前どこかでも話したんですけど、私がね、子供の頃からアナウンサーになりたかったんですよ。で、それをね、就職を考える頃になった時に、親にね、勇気を出して話したんです。
なんだけど、うーん、
まあ、うちはね、両親とも会社員で、お母さんは途中から専業主婦ですけど、そんな私がね、アナウンサーなんてね、周りにいないじゃないですか。そう、いやそんなの、慣れっこないまでは言わなかったけど、まず慣れる人一握りだよ。
イコール、まあ、あなたは無理だよ、みたいな感じのことを言われて、で、慣れたとしても、あの、そっから長く活躍できる人もまたさらにそっから少ないんだよっていうことを言われて、で、親は公務員を、あの、いいんじゃないっていうふうに言ってたので、私は、あの、あっさりね、諦めて公務員の道を選んだんですよね。
うん、そう、で、大学職員になったわけなんですけど、
そう、でも振り返ってみると、私結構そういう選択、挑戦みたいな選択を避けたっていうのが結構あるなと思ってて、うん、高校生の時も、あの、私まあまあ成績良かったんですね。
そう、それで先生から、あの、確かひとつばしだったと思うんだけど、あの、なに、推薦みたいなやつで、あの、受けてみないか、みたいなことを先生から打診されたのに、私は、え、それ、なんかみんなと違う選択するのにすっごい抵抗があって、みんなと同じくセンター試験受けますって言って、結局、あの、東北大学受けて落ちるんですね。
そうそうそう。で、後期でね、あの、別の大学入ったんですけど、で、大学入ってからもね、実はまあまあ成績良かったんですよね。そう、で、あの、実は3年生で頑張れば卒業できたんですよ。1年省略して。で、先生から、あの、3年生で卒業できるけどどうするって言われた時も、私一人だけ卒業?みたいな、またそこですごく抵抗感があって、
いや、私みんなと一緒に卒業しますって言って、やめたんですよね。うん。
いや、今思うとね、いやーもうちょっと考えろよって思うんですけど、やっぱみんなと一緒が良かったんですよね。なんかみんなと違う選択をするのがとことん怖くて。うん。そう。で、大学職員になってからもそうなんですよ。
本当は、私最初入った時は、広報やりたかったんですね。今思うと合ってるじゃないですか、広報。絶対。なんだけど、まあ、あの、その時は、その広報やりたいっていうのは採用されず別の部署に入ったんですけど、その後ね、その大学の中の、で、働いてみると、あの、結構いろんな方々の話とかを聞くと、あの、まあこれ結構ね、うちうちの話なんで、あの、あんまり大平に話したくないんですけど、あの、やっぱり広報に行ってしまって、
広報に行ってしまうと、こう、なんだろうな、こう、潰しが効かなくなるみたいな。うん。ざっくり言うとね。うん。それよりは、総務とか会計とか、教務とか、いろんな学部にある汎用性のある、あの、分野のとこにいた方が、あの、働きやすいよね、みたいな、そういう風潮があったんですね。うん。そう。うん。で、私はやっぱそれに流されたんですよね。うん。あ、そうなんだと思って。
仕事における選択の流れ
うん。じゃあ広報やめとこう、みたいな感じで。それで総務やったりとか会計やったりとかして。で、その後も、あ、なんか働いてく、長くなってくると、あ、やっぱりお金を握ってるとこ強いなってことをわかるようになってきて、ね、国でも財務省が一番強いじゃないですか。それと同じで、あ、じゃあやっぱ会計系の方にいた方が、なんか後々いいんだろうな、みたいな。うん。そういうスケベ心みたいなもので、会計系あってないのに選んでたんですよね。そう。
だから、まあ仕事としてやれなくはないけど、自分に合ってないなって、うすうす感じつつも、でも、まあここにいた方が、うん、なんか将来的にいいんじゃないか、みたいな。うん。なんかそういう感じで働いてたんですよね。うん。で、まあ最終的に14年働いて辞めるんですけどね。うん。
そう、だから、なんか、あ、私なんか今までの選択って全部、自分がどうしたいとかじゃなくて、なんかみんながどうかとか、うーん、なんか自分の気持ちちゃんと聞いてこなかったなっていうのに、すごい納得して、あ、それが自己重要だったのか、みたいな。うん。そこと繋がってるかもっていうふうに思ったんだよね。うん。
そう。私はね、自己肯定感はそれなりに高いと思うんですよ。うん。なんだけど、うーん、その一方で、なんか、なんか不安とか、なんか失敗が怖いとか、みんなと違うのが怖いとか、うーん、そう、挑戦を避けたりするところがあって、
なんで自己肯定感あるのに、それなりにあるのに、こう失敗がこんな怖いんだろう、人と違うのがこんな怖いんだろうって、すっごい疑問だったんですよ、私の中で。うん。それが、あ、これ自己重要なんだって思ったんですよね。そう。だからちゃんとしてる自分とか、評価される自分じゃなきゃいけないみたいな、うーん、のがあった。
うん。迷ってもいい、失敗してもいい、人と違ってもいい、うーん、そういうふうにはちょっと思えなかったんですよね、当時。うん。そう。だから今までの私は、私がどうしたいかじゃなくて、それで失敗しないかどうかとか、それを選んでどう見られるかとか、うん。そこが判断基準になってたんだよなって、うーん、すごい腹落ちしました。うん。
で、これは実は母親からもらってた設定なんだなって繋がったんですよね。うん。ね、10分以上超えましたけど、そう。で、思ったんですよ。うん。こっから大事なんですけど、うん。で、私はね、今回37歳の年で、あのやっとね、あの、大学職員辞めて、自分のやりたいことを見つけてそこに向かって進むぞって。
もう、あの収入が一時的に下がったっていいと、うん。それでも私は価値があると思いながらやってるわけなんですけど、うん。私は気づけたからいいけど、これ気づけないってずーっと苦しいパターンも絶対あるし、で、もっと言ったら、これ子供にもこの設定移るやんって、うん、思ったんですよね。
だから、やっぱり自分がまず自己需要をちゃんとできるようになって、自分も子供も夫も自分の周りの人も需要できるようになったら、自分も生きやすいし、かつ子供たちも、うん、いい設定っていうのかな。まあ、いい悪いでいいわけでもないんだけど、うーん、子供たちも生きやすい設定になるんじゃないかなって思ったんですよね。
うーん、そうそうそう、そうなの。だから、うーん、まあ、お母さんのことをね、うーん、だからって、なんか、変な設定渡しやがってみたいに、あの、あの、思ってるわけじゃなくて、もう、当時は多分お母さんはもう仕方なかったんじゃないかなって、そうなり、なってしまう環境だったのかなって思うから、お母さんを責めたい気持ちは一切今はないんだけれど、うん。
でもやっぱりこの設定って自分で変えられるから、今ここで気づいたっていうのがすごく私は良かったなって思うし、ここから自分がまず変わる、うーん、それが大事なのかなって思いました。そう、で、自分が今、自分自身が生きやすい設定で生きられるようになったら、それが結果的に子供にもこう渡せるかもしれないって思ったら、なんか、今ちょっと投資して自分が変わるって、
めちゃめちゃコスパがいいなって、うん。子供にもいい影響があるんだったらめっちゃいいじゃんって思えたんですよね。うん。なので、やっぱり自己需要、これはちょっとしっかり時間とお金使ってでもね、向き合ってみてもいいんじゃないかなって思いました。はい。めっちゃ長くなりましたね。はい。
子供への影響
で、もう一個ね、実は私お母さんのことのことでね、気づいたことっていうか、うん、あのー、うん、そうね、考えたことがあったので、それはちょっともう一本別で収録したいと思います。で、あの自己需要ね、今何回も何回も言ってきましたけど、この自己需要って何なの?とか、自己需要どうやって深めるのよ?っていうのはよくわからないなって方はですね、あのー、概要欄の方にね、私が今お世話になっているいがらしみちこさんのね、許しと需要のね、ワークの詳細など載せておきますので、
そちら見てみてください。はい。あのー、結構ね、お手軽な金額なんですよ。それで、こう自分のね、自己需要を整ってね、人生自分も生きやすくなって、うん、あのー、自分の周りにもね、いい影響があるっていうことだと思うので、これはね、めちゃめちゃお勧めしたいと思います。
はい。ということで、えー、続編もお楽しみにしてください。はい。ということで長い配信最後まで聞いてくれた方いらっしゃいましたら、ありがとうございました。
今日も素敵な1日になります。1秒でも多く笑顔で過ごしていきましょう。じゃあまたねー。