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2024-05-22 1:09:39

第13回 対話から生まれるリフレーミング

研究者の異分野交流会を運営している 待井さん・阿部さんと、「対話から生まれるリフレーミング」をテーマに雑談しました。対話によって物事の捉え方が変化し、思考体系が再構築される、その仕組みとは?

サマリー

マッチーさんと阿部さんは、異分野交流と分野交流の話題から始め、それぞれの研究や活動について語っています。話題はリフレーミングの概念や異分野交流の具体例に広がっています。異分野というか、違った人っていうところにはすごい差があるように思います。例えば、メカの人と西洋の文化史の人のような異分野の人たちでは、距離が大きいですが、プログラミング言語においては、距離が小さいと思います。結果的に読書会でのリフレーミングの特徴や、エンジニアとビジネスの異なるリフレーミングの視点について話し合われています。組織開発においても、もやもやの共有をするための無償ワークショップなどを開いています。もやもやから入った参加者が、最後にはワクワクする気持ちに変わったら、良い成果が得られるでしょう。

始めの自己紹介と研究活動
じゃあ始めますか。
たぶん軽く自己紹介からいった方がいいと思うんですよね。
そうですね。
ちょっとじゃあ、あれかな。
マッチーさんから軽くお願いします。
皆さま、初めまして。
普段、東京工業大学というところで、
生物進化の研究をしています、マッチーと言います。
ただ今回は進化の話ではなく、
それと並行して行っている分野交流の話で、
工藤さんに声をかけていただいたので、そちらの方で
皆さまに何か考えを提供できたらいいかなという風に思っています。
今日はよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
じゃあ、次に阿部さんいきますか。
はい。マッチー君と同様、今社会人1年目で、
前まで表題の上学研究科で、
テクノロジー×教育の研究室に入っていて、
そこで異分野交流とか異質な他者との対話を、
ワークショップをどうデザインして、
そのワークショップをどういったテクノロジーで支援できるのか、
みたいなことを探求していて、
今、社会人になって、その傍らで
マッチー君とかと異分野交流について探求しています。
大丈夫ですか。
いいと思います。ありがとうございます。
異分野交流の話題
あと、異分野交流に関係して、
社会人になってからの組織開発という観点から、
例えば部署団の交流ワークショップとか、
部署間でも多分、部署を超えた異質な他者同士の交流みたいなものを、
研究者でなくてビジネスの現場でもそういった企画をしているというところで、
ここに通天しているものがあるという感じの人間です。
お願いします。
あとは、自分も何者か言わなきゃいけないんですけど、
自分はアカリミストで、開発者をやっている、
なんでこんなところで喋っているんだろうなと思いながら、
そうは言っても、会社の読書会みたいなのを主催していたりして、
あとは他でも前は、Rubyの地域コミュニティみたいなのを主催をやっていたりとか、
そんなことをしていたので、
勉強会自体に興味があったというところで、
それでこうぶん赤、あれですね、声をかけたみたいな感じです。
人と喋っていると身になるなみたいなのはあったんで、
そこが不思議だったんですけど、
小さな研究のリフレイミングの話を聞いて、
こうなんか読んで、ほうほうと思って、
それでちょっと声をかけて、今雑談してみたいな、そんなような感じですかね。
こういったところで、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
この後どういうふうに喋り出していいかわかんないけど、
この後はあれかな、
街に軽く研究の話をしてもらったほうが、
その後につなげやすいのかな。
そうですね、そしたら簡単に自分の、
今アカデミスのほうでクラウドファンやらせていただいているんですけども、
それの話をしようかなというふうに思います。
もともとは阿部くんがイベントや交流をやっていて、
僕がそれに運営として最初は関わっていて、
そこから始まったイベントや交流をもっと盛り上げて、
総発とかより良い、みんながあっと驚くようなアイディアを、
そこからどうやったら埋めるのかみたいなところを考え始めたっていうのがきっかけです。
そこで、イベントや交流の対話自体を録音して、
そこからその録音を文字に起こして、
いろいろ眺めてみたりとか、
あとはいろいろな別の文脈、
例えば阿部くんだったら異業種交流とか、
あとは異文化交流、別々の文化の人たちの交流みたいなところを、
いろいろ文献を読んだり見たりして、
一個リフレーミングっていう概念に気づきました。
リフレーミングっていうのは、
今自分たちが見ている物の見方が何か変わるっていう、
思考の体系が再構築されるっていうような文脈で、
僕たちは使っています。
イベントや交流の文脈で話しますと、
全然違う他者、全然違うバックグラウンドを持った他者同士が会話することで、
そうした自分の思考体系の再構築、
リフレーミングが起きるのではないか。
そしてそれが透発とか、
より良い交流につながるのではないかというふうに考えて、
今はそのリフレーミングをどうやったら、
AIテクノロジーだったりとか、
交流の工夫仕掛けを使って、
どうやったら起こせるのかというふうなことに注目して、
研究しているという感じになっています。
松井くんテンパってるでしょ、絶対。
僕も集中できた雑念が出てきました。
例えばイベントやコリグ体験でいうと、
僕は面白いなと思ったのは、
バイオメカニックスの、
バイオメカニックスの研究者と西洋美術史の研究者の
異論や交流というのがあって、
どういうことが起こったかというと、
バイオメカニックスの研究者の方は、
馬の運動をロボティックスの分野で簡単な摺りモデルに、
そういう研究をしている方。
その人と西洋美術史の人が対話していたときに、
馬の運動を摺りモデルに落とし込むという行為は、
西洋美術史の観点から言うと、
まず絵を描くという行為が、
昔はそもそもサイエンスと切っても切り離せない行為で、
見ている現象をそのまま記述するというところから、
サイエンスが発展して、ルネサンス期に発展したとして、
共感するという話がまず一点あって、
かつ馬の運動を描いているというのは、
実は西洋美術の観点から言うと、
馬を描くときに3種類あったから、
まず一つが単なる馬車とか移動手段としての描かれ方と、
将軍と一緒に馬を見せるための馬の描き方と、
三つ目が、実は昔から馬を研究題材にする、
馬を見たそのままを記述するときに、
結構馬が題材にされることが昔もあったりして、
歴史的に今もまだ馬を数理モデルに落とし込もうとしているところに、
歴史として普遍的な馬という動物自体と人間の関係性が、
歴史的に変わっていないなという話をしていて、
それが、たぶん馬の運動をするものを落とし込むだけの観点からすると、
それだけやっている感じじゃないですけど、
そこに西洋美術からやっている人からのリフレイミングによって、
自分の研究行為そのものが、歴史的な位置づけを持っているみたいな話。
自分の探究行為自体がメタ的に豊かになるという具体例があったり、
あとはシンプルに異分野の研究内容が着想を得て、
自分の研究領域が発展するみたいな話がたぶんいろんな分野であると思うんですけど、
そういったところを、そこのあったのかっていう、
異文野交流とRubyの例
アハ体験的な感動みたいなものに突き動かされて、
そこが面白いなと思ってやってますっていう感じですかね。
ありがとう。
なるほど。ありがとうございます。
何か言おうと思ったんだけど、馬の話は聞いたことがあるなと思いながら、
馬が走ってるときに足が何本ついてるんだ、地面についてるんだみたいな話を聞いたことがあるよ。
ロボティックスの話ではないのか、でも。
いや、でもたぶんそれに近いと思います。
ずっと間違った書き方をしてたみたいなのをふっと思い出しました。
最近だと関世界っていう、動物の種類一つ一つで物の見方が全然、世界の認識の仕方が全然違うっていう関世界の話とかを、
最近はAI使って、面白いトピックを提供させるためにはどうすればいいかとか。
関世界はね、僕はめっちゃ好きな考え方なんですよね。
やばい、関世界の字が出てこない。どういう字ですか。
関世界は、環境の環に世界っていう、っていうような字を書くんですけど。
簡単に言うと、一人、どの生物、一個体、どの生物でも、それぞれ自分の視覚とか五感を使って認識して世界を構築しているっていう。
その構築した世界をそれぞれの生物は生きているんだっていうことで、
例えば人とかでも色毛の人とか色弱の人とか、いろんな感じ取り方っていうのが違うわけですよね。
そうすると、同じ世界を生きてるように思われてるかもしれないけど、
僕と例えば色毛の人では全く物の見方が違うとか、
もっと言えば、それぞれのバックグラウンドによって物の見方っていうのは全然変わる。
さらに言えば生き物でも、僕は進化バックグラウンドなので、それぞれの見知りとかでも全然違うっていう。
それが面白いと思って、色々調べたりもしてます。
ああ、なるほど。個人間の違いの話だと、星真一のショートショートで読んだことがあるような気がする。
他の人の視点で見るみたいな話があったのをふと思い出しました。
タイトルとか全く思い出せないんで、役に立たないんですけど。
阿部くんの星真一のショートショート、前言ってなかったっけ?
言ってないか。
なんだったかな。忘れちゃったけど。
違う生き物で、違う世界が見えてるんじゃないかっていうのは、考えてみれば、カメラの違いによって、見え方が全然違うみたいなのと似てるのかな。
今だと宇宙の写真を撮るのに、いろんな波長の光を可視化して綺麗に撮ってたりしますけど、人間の目ではとても見えませんよみたいなのとも近いような気がしました。
世界の切り取り方が生き物とかによって違うから、それによって見えてくる世界もまた違ってる。
その考え方は、ユークスキルって人が提唱したんですけど、その人から結構影響を受けて、生物の研究の方でも僕は結構インスパイアを受けてやってます。
なるほどね。
さっきで言うと、馬のレーディーって馬の運動を描くっていうことを、その人は馬の運動を見て、スーリーモデルなんかも、たぶんすごい馬の走ってる姿を見ると、たぶん自然にスーリーモデルをこれどうしたら描けるんだろうみたいに脳内想起しちゃうと思うんですけど、
西洋美術室の人たちはやっぱり、馬の運動って絵、絵画だとどういうときに描かれてるんだろうみたいな。
切り取り方をしちゃうっていう、それも一つの考え方。
そうだと思うよ。やっぱ最近思うのは、それを統合したら、より大きな文脈で物音を語れるようになるのかなみたいな。
思ったりしてます。だから、統合ってどうやって統合するのかって難しい。てかいろんなやり方があると思うんだけど、それをうまく組み合わせるような手法を探索してるね。
それで工藤さんのエンジニアの回っていうのも、たぶん一人一人、エンジニアの読書会のくくり、みんなエンジニアなんですけども、一人一人たぶん異なるこだわりとか、異なる感世界みたいなのを持ってて、
たぶんそこの炙り出しと、異なる感世界を持ってるっていうことをまず机に出すところと、そっからさらにどう机に出されたものがコラボレーションに出されていくかっていうのが、この2つを肝にするというか。
おもしろい読書会は描けちゃうのかなとか、今。
そうなんですよね。Rubyの勉強会やってるときも、みんな同じRubyというプログラミング言語に興味があってやってはいるんですけど、やってる仕事が違ったりとかして、ちょっとずつ気にするポイントが変わったりとかして。
それがゆえに、「あ、そういう見方あるんだ。」とか、「自分これ超気にしてたのに気にしないんだ。」みたいなのがあったりして、そういう意味ですごいおもしろいなとは思ってます。
プログラミング言語とかで違う世界観みたいなのってあったりするんですか?
今、オブジェクト思考言語のRubyを使ってますけど、他の関数型言語を勉強して帰ってくると、またRubyの使い方が広がるみたいなことを言ってる人はいたりして。
なるほど。俺も勉強しなきゃいかんなーと思いながらまだやってないみたいな。でもそういうふうに言ってる人は結構多いんで、なんかあるんだろうなという気がしますね。
それは面白いですよね。
どう変わるんだろうな。そこはわかんない。実感してない。
自分全然違う言語を学んできて、結果として自分の専門であるRubyの使い方が広がるっていうのは、良いコラボレーションだなというかな感じがして。
例えば異文野交流だと、さっきの馬の例で言うと、確かに数理モデルをやっている人が自分が馬を研究しているっていう、それ自体が歴史的な意味付けがあるんだ、なんかありそうみたいな、こういう高さのアップデートみたいなのがあったとしても、
そこから自分の数理モデル研究に直接的に影響があるかって言ったら、そんなにはなかったりして、そこの異文野交流から自分の研究に直接的にポジティブな影響を与えてくるみたいなところをどう考えればいいんだろうみたいな議論があって、
一方でRubyのほうは結構、多言語を学んでくると、自分のRubyの書き方がより豊かになるっていうのは、結構ダイレクトに自分の仕事にアップデートかもしれないですか。そこの、なかなかちょっと面白いなって聞いてて思いました。
異分野交流の差
異文野というか、違った人っていうところにすごい差があるような気がしてて。遠い時にも、さっきのメカの人と西洋の文化史の人みたいなところでは、すごい距離があるけど、プログラミング言語だとだいぶ小さいよな、みたいな。
そんなふうにはちょっと思いました。
確かにそうです。
確かに確かに。
別のスーリーモデル、別の馬の運転をスーリーモデルに落とし込む研究をしてる人と、車の運転の認知の仕方をスーリーモデルに落とし込むスーリーモデル研究者同士の交流、違う領域のスーリーモデル研究者を交流させたら、
その時はその時で、ちょっと具体的な話を忘れましたけど、直接的に研究内容に踏み込むようなコミュニケーションとかもあったりする。
それは近かったら、遠かったら生かすのは難しいし、近かったら直接生かしやすくなる。
でも思うのは、生かす生かさないの話はまた難しいかもしれないけど、例えば全然遠い分野の人と何か接点を見つけてコラボレーションする時に大事になってくるのがやっぱり関心なのかなっていうふうになっていて、
その人はなんでそういう観点でこれを見る、同じものを見たときに、なんでこの人はこういう観点で見たんだろうとか、相手の関心を媒介にしてその人の感世界なり考え方っていうのを知れたら面白いよねっていう話もよくしてますね僕らの間で。
でも結果的にそれがどう生きてくるかは、予測できないから逆に面白いというか。
わかるわかる。
予測できちゃったら、あんま面白くない。
予測可能なものは総発ではないんじゃない?
たしかに、たしかにね。
結局オーカデスクの中で予想外のところから来るから面白いっていう。
全然違うものだと思ってたものが、実は同じアナロジーが元に動いてたとか、そういうふうになると、アハ体験というか、そういう感動は大きいのかなって勝手に思ってます。
なるほどなるほど。
わかる。
なるほどね。
ちょっと具体的なことは言わないと。
あんまり具体的なことは言わないですけど、違う分野とか、世代ギャップみたいなのも面白いようにしていて。
生きている時代によって違ったりするのもまた面白いし。
いやいやいや、本当にそうだと思う。
今だと、もう上手く言えねえな。
昔の水木しげるとかの漫画とかを見ると、すごいショックを受けますからね。
水木しげるは、ゲゲゲの鬼太郎とかですけど、若返し頃でもその時点でだいぶ古いやつかな、たぶん戦後直後ぐらいに描いた漫画だと思いますけど、鬼太郎のね。
なんか、やたらいつも腹すかしてるんですよ、あいつ。
妖怪たちがお互いを食べ合ってるみたいな世界があって。
食べることがすごい大変な時代だったのかなっていう、そういう体験があったのかなとか思いながら読んでいた気がしますね。
たしかに。
その観点で見たことはない。その切り取り方をゲゲゲの鬼太郎を見て知ったことはない。
超古いやつはすごいんで、ぜひ借りたりなりなりで読んでもらうと面白いと思います。
たしかにね。
さっきの話に戻るんですけど、全然違うところと、そもそも全然違う領域だったりとかの人たちと交流する、モチベーション育むことはそもそも難しいっていう話がよくあって。
それって結局余裕がめっちゃある人がやるんじゃないのとか。
文野考慮を企画しても、それこそ多分、宮野先生に昔助言いただいてたんですけど、兄弟の100人論文っていう企画やられてるじゃないですか。
関心の共有
あれもやっぱ当初は全然人集まらなくて、電話でめちゃくちゃ直接連絡取って人を集めたみたいなことを宮野先生語ってらっしゃって。
文野考慮とかに参加すること自体の動機づけが難しくて、みたいな話を言って、工藤さんにこのモヤモヤを投げつけたいんですけど。
すごい、めっちゃ難しいことはすごくよくわかります。
自分も読書館やってて、人がなかなか集まらなくて困ってるんですよ。
そういうところに飛び込んで得られるものとかって、はっきり読書した人に読めばいいじゃん、みたいなところもあったりするから。
それプラスアルファは何か、あるような気がするからやってるんだけど、うまく言えないんですよ、みたいな。しかもそれを人に言うのって難しいとは思っていて。
人に伝えるのが難しくて、一室の他社と交流した成功体験が、ひょんなことからそういう成功体験を持ってる人は、ある種リピーター的な、初期参入者というリピーター的なマインドで交流に参加してくるんですけど、
全く一室の他社と遭遇して、そこから良いアイデアをもらったとか、ポジティブな体験がない人に対しては、どうアプローチしたらいいんだろうな、そもそもアプローチする必要があるのかとか。
でもきっとなるべくいろんな人と喋った方が面白いから、来てほしいという気持ちはあるんですよね。
できるだけ多様な人たちがいた方が出てくる、交わり方もパターンが増えて面白いなと思う。
なんかちょっと話はずれちゃうけど、いつも安倍くんと話してるのは、異部屋交流会を開くときの分野によって、全然分野の偏りがすごいあるみたいな話もよくしてて。
例えば生物系の分野の人は結構たくさん参加してくれる確率が高いんですけど、数学とか物理の人はあんまり会ったことなくて、その違いは何なんだろう、傾向が何かあるのかもしれないって思ったりもしてますね。
ほぼ限定。
確かに。アカデミストが異部屋交流会の場合ってわけでは、その機能の差があるかもしれないですけど、アカデミストはこの領域の差が多いとかってあったりするんですか?
若干偏りがあるはず。いろんな人を、そんなに断るというか、そういうことはしてないですけど。
私がそこは答えた方がきっといいかなと思うんですけど、アカデミストのクラウドファンディングを使っている研究者の分野の割合は、ほぼほぼ研究者人口の比率とそれほど大きくは変わらないという感じ。
ああ、そういうこと。
自然科学が一番多いんですけど、それはそもそも自然科学の研究者の人口が多いから。
ああ、そういうことなんだ。
そうなんですけど、ただ、高額は明らかに少ないですね。高額が多分クラファン使うの少ない理由は、クラファン使わなくても結構外部資金が取れているからかなっていうところな気がしています。
という、すいません、異常補足でした。
ちなみに理学のほうは、僕たちが知っている分野交流の場とかだと大体バイオ系が多くて、アカデミスト内だとそれも結局人口比なのかもしれないですけど。
さっき数学物理少ないっておっしゃってたんですけど、多分結構多めかな。結構少ない感じですね。
目的がいろんな項だとまた別にやるっていうのかなと。
何なんだろうな、外交的なとこは。やっぱ成功体験得られてる回数が多いとか。
生物自体もやっぱりめちゃくちゃ多様な分野の、すごいまとめて生物って呼んでるから、そもそもそういうマインドの人たちが多いのかな。
でも、主催者の分野に偏るみたいなのとかないですか?
おそらく。
でも、前はビーストっていうところに僕と阿部くんがいて、そこで告知をしていたんですけど、そこの分野自体に偏りがあったのかな。
まあまあ、わかんないです。
エンジニアの中では、このプログラミング言語をやってる人は、交流意欲が高いとかあったりするんですか?
ないような気がする。
目的による学び
あんまりどうだろう。
結構エンジニアの方って一つの、一人の人がいろんな言語を使えるものですか?それとも一つの、俺はPythonしかやらないとか、そういう感じなんですか?
複数やってる人多いと思いますね。
自分も必要に駆られて、いくつか渡ってきてます。
まあそうですね。ライブラリーの忠実度とかが全然違う気がする。
そうですね。あとは普通に複数使わなきゃいけない。普通にJavaScriptを使わなきゃいけないから仕方なくやってる。
まあそうですよ。あとはあれか。いろいろやるざるを得ない。てか、飽きちゃうからいろいろやったりします。
飽きちゃうから。必要に駆られてというよりも、飽きちゃうから結構主体的にいろんな言語を学べる感じじゃないですか。
うん、かな。まあそうですよね。飽きちゃう。飽きちゃうっていうのは難しい。
別にあれか。今だと、アンドロイドのアプリを作りたいからダートっていう渋い言語を始めるみたいな。でもやりたいことがそれであるからか。
フラッターですね。
なるほどね。
必要に駆られて、さっきイブニアコールに参入したの話なんですけど、必要に駆られて、とにかく面白いから来てみなよ。
マーケティングと一緒で、その人の興味関心に紐付けて人々をこちら側に誘っていくというのがあるあるな話じゃないですか。
っていうことを考えると、最近イブニアコールに人々を誘ってどうすればいいかって考えるときに、一人一人の興味関心みたいなものを外化してもらって、そこに紐付ける形でイブニアからの視点が入ってくると、
一応自分の興味関心ごとをベースにしたイブニア交流ならばみたいな感じで人々を誘っていくっていう、そこの体験設計どうしようかなみたいなのが根本的にあるテーマ。
だから例えば、昔、僕たちチームで開発したプラットフォームで、みんな研究者一人一人素朴な問い、自分の研究を素朴な問いとして表現してもらって、例えばマーチリ君だったら
生物はなぜこんなにいろんな種類がいるのかっていう、めちゃめちゃ素朴な、これに対して全然違うイブニアの人にその人の分野なりの仮説を立ててもらって、そうすることによって、マーチリ君視点から見たらその分野の人、
ちょ待って、この話、オチが。その分野の人と交流意欲が湧くって、自分の素朴な問いにフィットした仮説、イブニアの人視点での仮説が飛んできて、それをベースにイブニアの人の研究内容とかに興味を持って交流のきっかけにしていくみたいな。
そういう動機づけの仕方とかを模索したりした。
なんか今、阿部君の話を聞きながら、プログラミング言語、工藤さんの場合だとそれはどういう形で解釈できるのかみたいなことを考えてたんですけど、
例えばさっきおっしゃってたみたいに、何か先にやりたいことがあって、それに最適な言語を勉強するみたいな感じでプログラミング勉強してるのかなって思うんですけど、
そうすると先に目的が決まってて、それの最適化じゃないけど、一番早い道のりとして勉強をするわけじゃないですか。
一人でやってたときと勉強会で何人も一緒にやってたときで、たどり着くものの多様性みたいなのが変わるのかなって今思ってたんですよね。
だから目的設定というかその目的自体にたどり着くには一人でやったほうがもしかしたら早いかもしれないけど、たどり着く目的がより大きなものに勉強会だとなったりするのかなって思ったりもしたんですけど。
そんな感じですか。勉強会を通じてどういう面白いところがあったとかってありますかね。
ああ、失敗談が数多かったりする。対応になるかもしれない。
ここをこう書いたらこうやって失敗したよみたいな。
こんなふうなやり方で考えたのに超失敗したみたいな。
そうすると、それはここで自分は経験しなくても考慮できるようになるみたいな。
たどり着くために手段がいろいろあって、その手段がより良いものになるみたいな。
電話交流で失敗例みたいなのを共有できたりするのか。
でもあれじゃん、ぶっちゃけ苦労話みたいな。失敗ではないけど、
研究者の、簡単な研究室でここがめんどくさいみたいな話とかプロフィール、例えば作ってもらうときに共有してもらうようにしてるんですけど、
そうすることによって、研究者の日常がよくわかるみたいな。
そういったところで、失敗じゃないですけど苦労話みたいなのを共有してもらうこともありますね。
それはでも最初にもちょっとだけ触れましたけど、他者の関心に関心を持つっていうところを煽る目的が一つあると思っていて、
この人はこういう、よりその人の日常的な出来事とか、ちょっと苦労している、その人がネックになっているようなことを知ることで、
その人が見てる世界にちょっと近づくっていう、その人の関心に対する関心を煽るみたいな文脈で苦労話とかをやってたよね。
そうですね。これまとめるっていうか、研究者の人が自分の研究を語るときの語りの主語っていうふうに言ってるんです。
語りの主語が大体学会とかだと、たぶん研究分野の知識体系をベースに、こうだからこうなんですみたいな。
語りの主語が客観というか第三者というか、視点での語り方になると思うんですけど、そうじゃなくて、語りの主語を自分、研究者本人にすることで、
なんでその分野に興味を持ったかとか、ぶっちゃけ苦労話とか、その辺をベースに、たぶん異分野交流する上では、その辺をベースにお互いのコミュニケーションの共通文法を探っていくみたいなのを意識して、交流体験設計している。
だからエンジニアの方も、失敗談はどちらかというと、自分視点での経験談、共有でもあるし、たぶん全員がエンジニアでの読書会なので、
リフレーミングの特徴
プログラミング言語とか、テック系の客観的な話のベースに乗っかっているというか、そういうどっちも重なっているイメージの会話イメージ。
いろいろ、いろいろ、全部ミクスチャーの感じですね。
そうそう、そうそう、とか思いながら聞いてました。
なんか結構、プログラムするときって、最適みたいなのがあるんですか?こうするのが一番いいみたいな。
いや、場合によって全然変わるんで。なんとも言えない感じ。そういう書き方が最適みたいな設計もあったりしますけど、チームメンバー全員がスキルがないから、それまではちょっと、そこまで最適化してもメンテナンスできねえよな、みたいなのがあったりとか。
なるほど。
あとは、たまたまみんながそういうのに興味があるからやっちゃおうぜ、みたいなのとか。結構、状況でいろいろ変わります。最適が最適ってわけではないみたいな。
じゃあ、なんか結構面白いなと思ったのは、結構、要は多様になり得る余地があるってことじゃないですか。一つのものを作るっていうことに対してもプログラムを作る。そこは結構、交流するとより多様性が大きく。
それぞれの、例えば僕はこの書き方に関心があってみたいな人がいると、全く違う書き方に関心があるみたいな人がいるときに、その人たちが交流してより良いものが可能性があるなって。
それはね、あると思いますね。たぶん一番いいのは、大きな企業でたくさんの同じものを作っているチームでやってたりすると、楽しそうだなって思います。大変なことも多そうだけど、今はほぼ一人でやってるから羨ましいなって思ってますね。
KUROさんの直近の読書界に関する一番の悩みは何なんですか?
悩み?
悩みや、もや。
悩みか、悩みというか。そんなに悩んではいないんですけど。悩んではいない。
こうしていきたい。理想と現状のギャップみたいな。
自分はやってて、必ずまとめとかを書くから、何かしら得ているなという実感はあるんですけど。参加者がどれくらい…。参加する人によって主体的な参加の仕方が…。
主体度って言ったらいいかわからないけど、結構違うんですよ。よく発言する人もいるし、そうでない人もいる。そんなに喋らない人でも、何かしら持って帰りやすいような仕掛けが作れないかなという。
ほんの少しでいいからアウトプットすると、記憶に留まりやすいだろうなと思って、アウトプットしやすい何かを工夫しようとしている。
ただなかなか結びついてるとか、結果が出てるかどうか若干自信がない。それが一番悩んでるといえば悩んでるのが、すげえな。
なるほど。
難しい問題だね。
分野交流でも全員が、4人グループとかで大体やるんですけど、グループ全員が良いもの持ち帰ったと思ってもらえる。どうせはいいんだろうみたいな。
そういう悩みと似てる。
結局、分野交流の場合は運ゲーというか、セレンディフティみたいなものを求めてるから、めっちゃ楽しい表面的な話で終わっちゃうグループが結構差があるんじゃないかなと個人的には思っていて、それをどう全員を底上げする工夫ができるのか。
一つの工夫としては、分野交流でやってる工夫としては、事前にお互いの関係性を想像膨らませるっていう体験を入れとくと、その場でお互いのアイデアが膨らみやすくなるっていうことがあって。
ワークショップデザインの先行研究で、ワークショップのテーマとして新しいカフェをデザインするっていうお題があったときに、事前に議論する前にカフェっぽい場を事前にアナロジーで考えておくっていう機会を設けておくと、
例えば海の家とか、そういったものをアナロジーとして事前に膨らませといた上でワークショップに臨むと、いろんなアイデアが出てきて、自分もかなりワークショップに没頭しやすくなるみたいな話があったりとかするんですよ。
なので、当たり前っちゃ当たり前かもしれないですけど、読書会に参加する前にその読書会のテーマを見て、自分との関係性を膨らますワークを入れるみたいな。でもこれめんどくさい。
あれは難しいんですよね。時間的に1時間くらいで、かつ毎回必須参加みたいなのは特にないあたりがやりづらい感じですね。
一応、さっきみたいなお互い知れたらいいなと思って、自己紹介をかけるスペースを用意してはあるんですが、「忙しくて書きませんよね?」みたいなのもあって。だから、一応、本編の始まる前に一言喋る場を作りはするっていう感じ。そこは喋ってくれるから。
まあでも、やっぱり安倍くんもさっき言ったけど、自分の興味みたいなのを外化するフェーズっていうのはやっぱ大事なのかなって思いましたね。よりバチバチバチバチっていろんなものが走発していく中では。
なんか、今聞いていて、海の家かどうかはちょっとあれですけど、事前に読む章に対して、ちょっと一言を書いてもらえる、言ってもらえるような場を作ってもいいかなとは聞いていて思いました。
この章で何気になります?みたいなのを軽く聞いてみるみたいなのをしてもいい?気になりました。
いやいや、めっちゃ面白いと思う。それは。
なんかよくワークショップだとチェックインっていうのがあって、最初にアイスブレイクじゃないですか、リスナーの人とかに対して。
エンジニアとビジネスのリフレーミング
ワークショップのテーマに関することを一言最初に書いてもらうっていう。
例えばZoomでやってるのはZoomのチャットで、今日の最近のコーディングの勉強で一番脳汁あふれたことは何ですか?みたいな。
ちょんとアイスブレイク的にチェックインで一言書いてもらうだけで、メンバーの参加意欲というか主体性が上がるみたいな話がよくあったりするので、そういう小さいところから主体性は上がっていく。
これはちょっとやっても良さそうな気がしました。ありがとうございます。なんか1本持ち帰れた感じがする。
気づいたら結構喋ってるんだけど。
そうですね。
たぶんまだ雑念があるんですよね、頭の中で。
雑念?
まだテンパって言うんですけど、喋りに慣れてないが言うの中で雑念が入ってて。
いや、俺も最初よりはだいぶ無事になったけど。いつもの阿部君とのトークスピードではない気がする。
なるほど。それは当然そうだよね。自分も全然いつも通りじゃないですもん。
これはまあ、それはそういうもんじゃないですかみたいな感じでいいと思いますけどね。
次回あるときはお酒を飲んで参加したいな。
確かに。
いいかもしれないですね。飲みながらやるか。
読書会でもですか?
読書会でお酒飲んでたらヤバいでしょ。
いいとは思うんですけど、あれですね。自分が飲んじゃうと全てが動かなくなっちゃう。
俺だけ飲めないみたいな感じになっちゃう。
なんか、あずまひろきさんがやってる言論カフェとかってご存知ですか?
あることだけは知ってる。
あれってもう途中からお酒飲み出して、夜の7時ぐらいから長い時朝の5時ぐらいまで目通しで議論しつくすみたいなことをやってるところなんですけど。
ああでもね。
あんぐらいのイカれた座談会みたいなもんを目指していただいて。
コロナ前のリアルの勉強会、実際に会ってやるやつでは必ず懇親会をやってて、
飲み会はずっとやってた。
そこで出てくる話もめっちゃ面白かったりするんで、それは体験的にはわかる。
これをオンラインでどうやるかっていうのはちょっと難しいなと思ってるんですけど。
いや、まあそう、確かに。それは間違いだと思う。
自分も普段オンラインで仕事してるんですけど、たまたま2年とか3年ぶりぐらいオフィスに行ったら、めちゃめちゃ面白かったんですよ。
しかも月末のお疲れ様会みたいなのをやってるんですけど、それが6時、8時に終わるんですけど、実はその後におしゃべりをする二次会が会社で行われてたことを知って、すごい悔しい思いをしました。
その間行ったらやってたんで。
そういうのってオンラインではけっこう難しいですよね、とは思って。
確かにオンラインの良さも。
リアルはすごい。オンラインの良さは非同期でも。
非同期だと場所を選ばなかったりするんですよね。
非同期で場所を選ばないので、並列的にコミュニケーションが進む。
オフラインでやってるぐらいの時間を分散させて、時間をかけて、エネルギーの総量としては6時間分とオンラインで数日かけてやり取りしたチャットっていうエネルギー量一緒ぐらいの分散をして、いろんな人と同時にヘルチョでできるっていうイメージを今パッと。
そういう意味で事前活動とか事後活動とかも含めてやっていくと、全体的にはオフラインでゴリっとやることと同じぐらいになるんじゃないかなってなると。
なるほどね。あれですね、今、話を締めようと思ったのに、この間に続けば1時間喋ってて、大変頑張ったなと思いました。またやってもいいなと思ったりはしました。
いやいや、またやりましょう。僕ら自体がコラボが好きなので。
じゃあまた、どっかに用意してやりましょう。
異分野の共有と失敗談
もう一人全然違う分野の人を連れてきても面白いかもしれない。
それはいいですね。
後藤さんの新しい試みがあれば、それをまたご実談として教えていただけたら。
確かに確かに。
今月はあんまりやらないんだけど。まあでも、やった後に事後報告はしてもいいなと思いました。
またやりましょうということで。これ一回あれなのかな。安倍さんに返すと、安倍さんってあれですね、うちの安倍さんですね。締まるかなと思って、最後締めるだけ締めてもらってもいいかなって。無茶ぶりで。
はい、じゃあちょっと。なんかちょっとびっくりしました。
じゃあちょっと締めに最後、今日一人ずつせっかくなので、今のこの今日の会話の中でそれぞれリフレーミングが起きたのかどうかを私は聞きたいなと思ったんですけど。
なんか結構無茶ぶりですか、それって。
じゃあ僕いいですか。
今日の会話の中で僕が一番面白かったのは、そのエンジニアの人たちの読書会っていうのと、我々のやってる分野考慮っていうのがどういうふうに違うのかなっていうふうな視点で結構聞いてたんですけど。
そのエンジニアの人たちはなんか、きっと目標があってそれに向かって進む。みんなで共同に近い。つまりみんなで協力して何かを達成しようっていう形に近くて。
一方で僕らがやったのは、何かセレンディティ的に別々のものが相互作用をバチバチバチって起こすんじゃないかみたいな、そういう賭けみたいな感じのことをやったんだなっていう対比構造。
必ずしもそういう対比構造になるかはわかんないですけど、そういう違いがあるのかもなっていうふうにリフレーミングしました。
アベックンはどうでしょう。
僕は関数型のプログラミング言語をやるとオブジェクト思考のRubyの書き方が豊かになるみたいな話があって、
それがどう豊かになるのかっていうのをもう少し深掘りたくなるぐらい面白い事例だなと思って。
研究者のリフレーミングみたいな話は比較的考えてきたと思うんですけど、自分なりに考えてきた気がするんですけど、
ビジネスとか組織開発とかその辺でのリフレーミングって具体的にどういうのがあるんだろうっていう話を最近は考えていて、
ビズではないですけど、エンジニア領域ですけどそういった事例があるんだなっていうのを一つ知れてよかったなと思いつつ、
でもやっぱりエンジニアの方もかなり知識体系としてまとまってるものからリフレーミングを捉えやすい気はしてて、
けど営業の方とかマーケティングの方のリフレーミングみたいなのってやっぱり知識体系が学問とかエンジニアの教本みたいなぐらい、
みんなが共有するまとまった知見みたいなのがない方たち。ないことが多い気がちょっとしたのとして、
まあそうですね、だからその辺にちょっと思いを馳せるというか、触発されて考えることが増えたなっていう感じですかね。まとまってないですけど、そういう感じです。
前職とかはいろんな職種の人がいたから飲み会に顔を出すの超好きでした。リフレーミングを求めていたような気がした。そうやって言われたら、いろんなことを自分の思ってもないところから話が聞こえたりする。結構好きで言ってました。
それの理由もわかったんで。あとなんか、自分のこのしゃべりを持ち帰れたのは、さっきも言いましたけど、自己紹介のところに何か読書会とか、何かの関連する質問を一言してみるみたいなのを。
質問を入れてみるみたいなのをやってみたいなと思って。この後でこう、やった後でこう、なんか自己報告ができればいいかなと思ってます。
ありがとうございました。なんか今日すごい私、本当にリスナーとして聞いてて、もうなんか、なんて言うんだろう、心地よい楽しさがあってですね。
ぜひこれシリーズ化してほしいなというふうに、なんか思いました。
感想としては、なんかやっぱその異分野とか、ぱっと見全然関係ない人たちが集まりやすいので、なんか今日の話聞いてて、やっぱりなんかお悩み事とかお困り事の共有とか、失敗談の共有とか、
なんかそういうちょっと、なんて言ったらいいんだろう、ネガティブな要素というか、なんかこう、なかなか普段は共有しにくいことを、なんかちょっと共有してみようみたいなことって結構集まりやすいのかなーみたいなことをぼんやり思ったりしてました。
という感じですかね。
確かに、確かに。
本当そうですよね。
いや、そうですね。
なんか、
なんでそう?
どうしよう、また話が広がってないけど。
もやもやの共有とワクワクの共有
組織開発でも、もやもやの共有をするみたいな、無償談ワークショップとか開いたりして。
もやもや、もやもやを共有するか、一緒に理想を描くワクワクを共有するか。
みたいな。
その二軸、どっちでも交流体験設計ができるというのは。
確かにね。
アプリシエイティブインクワイアリーっていう、理想の未来を一緒に描く組織開発手法みたいなのが確立されてたりしてて。
そっちはワクワクの共有なんですけど。
でもたぶん、もやもやの共有も最初の入りとしては結構やりやすいっていうか。
つい話しちゃうことがあるって感じ。
もやもやから入って、最後その回が終わった時にワクワクにそれが変わっていたら、いいお持ち帰りができる。
確かに。素晴らしいマット。
M to Wで僕は押してるんですよ。
Mが反転して、ワクワクのWに。
もやもや。
なるほど。
そういうコンセプトを今絶賛練り練り中です。
めっちゃ面白そう。
次回への期待
根底にそういうふうなことを言ってあれば、そういうネガティブな題材の回ってあんまり好きじゃなかったんですけど、
その先にポジティブがあるっていうふうなことが最初からわかってれば、結構いい感じの回になりそうだと思います。
そこにちゃんと設定してあげれば。
これは第2弾をぜひよろしくお願いします。
やりますよ、やりますよ。
ありがたいです。
喋りの練習。
本当にそうだ。
1ヶ月とか1ヶ月半、2ヶ月以内ぐらいにもう1回やりたい感じです。
時間軸的には。
ゴールデンウィークがあるからたぶん1ヶ月半ぐらいかな。
ゴールデンウィーク明けっから。
ゴールデンウィーク明けって何も、自分ほぼ成果が出てない。
ゴールデンウィーク、6月ぐらいからなんかしら出てるの、たぶん。
じゃあこの時期にまたお会いしましょうか。
はい、やりましょう。
はい、じゃあみなさん今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
とても楽しかったです。
おやすみなさい。
失礼します。
失礼します。
01:09:39

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