いきなり。いや、すごい。
でも確かに、YouTubeかポッドキャストかで、その2点で比べると確かに面白いかも。
いや、すごいつまんない答えになるかもしれないけど、一番楽だからじゃないですか。
普通に。
僕はそう。
だって一つ映像をいじらなくていいで、耳みんな暇っていうのはもちろん、一番簡単とはまた話してやるけど、
なのでそういった意味では確かにポッドキャストでやるのはすごい楽だし、理にかなっているのかなとは。
誰でも聞ける。
それは発信するにあたっての障壁みたいな話で言うと、簡単だからみたいな。
もし言論界みたいな系譜、60年代以降のをばーっと紐解いていくとさ、
その今、令和人文主義って言われてる人たちが、40代の前半の人からアラサーぐらいまでの人がくくられてると思うんだけども、
その前の現象って、ゼロ年代批評と言われた。
常広さんとか東さんとかみたいな、ああいう人たちっていたじゃない。
で、そこで分かれるのが何なんだろうと言うと、今どこで活動してるのかで、
ゼロ年代批評の人ってYouTubeを選んでるよね。
でも令和人文主義の人って、当然YouTubeも出てるんだけども、結構自分のホームベースにしてる場所っていうのはポッドキャストを選んでて、
この差分ってかなりあるなと思ってて。
それからまず令和人文主義に当てはまるかどうかって面白いなと思ってて。
なるほどね。
で、今メディア論に無理やり引っ張ったことで、ちょっと俺責任取るので、
ちょっと一個定義を聞きたいんだけど、
この前プラネッツで、福島良太さんと今回の谷川よしひろさんが、
宇野瀬英弘さんを司会として対談をしてたのね。
その時に福島さんは僕から見ると、令和人文主義に当てはまらない人。
要はゼロ年代批評側の時代の人だと思ってて、
で、谷川さんはまさに今これを提唱した人なんでそっちだと思った時に、
彼らのトークをYouTubeで見た時にね、
なんか、谷川さんは一貫してポッドキャスト的な話法で話していて、
福島さんは明らかにゼロ年代批評的な人たちの話法で言ってるなと思って、
そこが何が違うように僕感じたかっていうと、
感情の表出、要はイライラしてる姿を見せるとか、
早口になるとか、相手にかぶせちゃうとか、
そういう姿を見せてるのがゼロ年代批評側の人なんですよ。
宇野さんの喋り方もそうだし、福島さんの喋り方も、
本当、書いてるテキスト、
本当にメディアが人間であるという最新著称の福島さんは、
とっても聡明の、とっても素晴らしい、僕も感動した本を書いてる人だったんだけれども、
そこに出演してる語り口っていうのは、すごくポッドキャストフレンドリーじゃない話し方をしていて、
一方、谷川さんは一貫してポッドキャストらしくて、
そこの差は何かっていうと、福島さんはすごくイライラを見せる喋り方を煽る喋り方をしていて、
谷川さんはいったって平熱、ずーっと平熱でキープして、
会話を回すためのファシリテーションすら本人がやってるみたいだ。
そこの差って、令和人文主義っぽさと、その前の世代の思想の人の差がだなって感じていて。
なんか、今話し聞いてて、ちょっと乱暴すぎる見方だけど、
なんか、パッと聞いて、その前の世代の人たちを普通に聞くのうざそうだから、僕がね。
守りたくはないけど、もしかしたら、さっきの話に戻すと、
もしかしたら、あの世代の人たちの方がもっと何かを信じて戦いたい気持ちを持っているのかなとか、
そこまでジャンプしたくなっちゃう。
何もイライラすることない。
シンプルにイライラすることないから、地を見せてるだけだから。
令和人文主義者の枠に入ってる人たちは、その口調でいられる説みたいなのはあんのかなとか。
だから、令和人文主義で挙げられてる人、特に水野さんとかにも感じるんだけど、
自分の地を社会に対して義務してるみたいなことをすごく素直にやっていて、
何かの抵抗とか反応の表現としてやってない人に見える。
で、一方、その批評家っていうのがそういう属性なのかは分からないけれども、
そのゼロ年代批評と言われた人たちって、何かしら物事にカウンターを当てて、
何かをかき混ぜるようなエネルギーを発する人に見えていて、
そこの差って本当は何か、聞き手の最初のモチベーションが全く違うっていうか、
ガヤガヤしていて、そうだそうだって言いたい気持ちで見たい時っていうのは、
全社の時代の人を見てるし、では人文主義の人たちのコンテンツを聞く時って、
本当平熱で、なんつーのかな、感情のアップダウンをするつもりで聞いてないみたいな。
東さんとかそうですよね。
そうそうそうそう。
でも確かに今さっきのお話聞いてると、
個人でやっているフランスでのアウトプットとかは、
若い人でもあずまさんぽさが、あずまさんぽさっていうか、
0年代。
わかるわかる、批評みたいなね。
何かを訴えたいっていう気持ちがあるからこそやるみたいなところがあるから、
なんかすごい言ってることがわかるというか、
なんかさっきメモってて、
ちょっとあの、これも乱暴だけどすごい急向かいなって思ったのが、
今、令和人文主義者の人たちが、
例えばポッドキャストで何かを発信する時って、
し始めた時って、おそらくそのもう本当にその地、さっきの地が好きすぎて、
好きで好きでしょうがなくて、
みんなに見せたい、聞かせたいっていうモチベだったと思うんですね。
それはちょっとなんか、西洋の考えすぎかもしれないけど、
なんかすごい日本っぽいなって感じるんですね。
もちろん西洋でもそういった人はいっぱいいるでしょうけど、
やっぱりそんなそういうコンテンツがないんですよ。
たまたまのなんかわかんないんですけど、地を。
で、全部憶測ですけど、僕の感覚、あっちで育った身として感覚だと、そんな個人で自由度100のある中で、
地だけを見せる、は意味わかんないっていうか、
さっきの目的の話?
そう、訴えたいことが先に来て、で、それのための地をつけるっていう感覚だから、
なんで個人活動なのに、何も訴えずに地を提供してんのっていう、もう果てなマークが半端なくて。
なんかね、前さ、俺啓蒙と不況を分けて話した回が何回か前にあったんだけどさ、
なんかおそらく何か伝えるべきと思ってる人の話し方ってやっぱ啓蒙的というか、
これがわかるべきみたいなニュアンスで言ってるから、さっき言ったかき混ぜ要素だったり、
人をこう同般民的な、出させる状態にするんだけど、
なんか日本って、それこそオタクの界隈だからよく言われてた単語だと不況って使われるので、
彼女たち彼らたちって好きをただ伝えて不況したいだから、全然やっぱりマウント成分ないし、
ただ目的がわからないよね。
なんで好きだったら自分だけ取っとけばいいのに、わざわざ言うのっていう動機ですらオタクですらやるし、
さっきだれいば準儒主義と言われる人たちって、なんか啓蒙成分がないっていうか、
結果的に効果として啓蒙的な効果は出るかもしれないんだけど、動機として啓蒙のあんまり感じないんだよね。
その差ってなんかすごいある気がする。
欧米の人たちからすると啓蒙的なモチベーションがあるのがまず大前提で、
そこに地がくっついてくるとか、運動がくっついてくるみたいな。
そもそも、これまたメディア論にちょっと戻すと、そもそも地だけのはマスメディアが担うもの。
だって、冷静に考えて古典ラジオとか、もちろん今は企業になって儲けて、
イルゲン音楽ラジオももちろんYouTube収入えげつないと思うんだけど、
それ、最初の数ヶ月、1年とかってもうゼロから始めて、でもめちゃくちゃ調べて、
いや、それ初期コスト意味わかんないから絶対、組織的としては、組織論的としては、
マスメディア側のようなメディアがやるべきなのに、個人でやってるから、
どれだけ地好きやねんみたいな、いい意味で、すごい褒め言葉として思えるから。
それこそ地っていうマーケット適性が低いものは、BBCやNHKのような、
そうそうそうそう。
公共が、公共福祉としてやるのが、わかる。そっちのほうがわかるって話だよね。
そうそう、そっちのほうがわかる。
なんで民間が自分のリスクでそんなことやるのか。
そうです。わかるというか、なんかそれが僕が知っている常識なのに、
日本は逆だ、興味深いなっていう感覚です。
さっきの福島亮太さんと谷川芳弘さんの対話の中で、結構白熱した議論に見えるようなトーンで、
応酬が何ターンかあったんだけど、なんか常に谷川さんっていうのは、
それに対して反論という形というよりは、アンサーを一生懸命返そうとして、
しかも平熱でみたいな、なんかそういうのをすごく感じて、
だからなんか伝えたいと思う動機自体が、やっぱその令和人文主義って言われてる人たちのから明らかに違うなっていうのは思った。
僕は、その話を聞いてやっぱ思うのは、令和人文主義でくくるべきじゃないなって。
いろいろあるって話だと思う。
いやでも今日は粘りたい。
今日は俺そこのフレームから出たくない。
いろいろある。だからやっぱ僕はその、わかんないですけど、ゆる言語と古典と谷川さんとか三宅さんを並べて語れないって思う。
そうだね。
それぞれの意図があり、それぞれの活動があり、それぞれの動機で投資をしてやっているって思うから、
やっぱあの、いやすいません、令和人文主義っていうタームを持ってきたの僕なんだよ。
いち早く離れようと。
あれなんですけど、やっぱその令和人文主義者は反論ではなく、アンサーをする人だから受けているみたいなのは、谷川さんはそうかもしれないけど、
そのようにくくること自体はかなり賢能だなと僕は思いますね。
並んだ人全部が当てはまらないもんね。
さっきのメディアの話で言えば、上の人が本を書いていればYouTubeに来て、その前にもう一個あるのかな、テレビがあるのかな、本を書いていればテレビに出てて、
朝生がまずあるよね、きっと。
朝生というか、ニューアカデミズムの時にテレビに出てた言論人っていると思うんですよ。
栗本慎一郎とか中澤慎一とか、浅田明がいたと思うんですけど、その上っていうのは丸山正男とか加藤周一とか鶴見俊介とかだったと思うんですけど、
その人たちが本を書いてたので、次テレビに出てて、その世代がテレビに出てるので次YouTubeやってて、その世代がYouTubeやってたのでポッドキャストをやってるっていう話なのかなと思って、
で、ポッドキャストはYouTubeとか本に対するメディア的優位性がかなりあるっていうのはおっしゃる通りだと思います。
っていうのは、聞き流せるっていうのは聞くことが大きいと思っていて、理解しなくていいんですよ。
でも、ポッドキャストがYouTubeとか本より圧倒的に優れているのは、あなたは理解しましたよねっていう体感?
UXがあるんですよ。そのユーザーのエクスペリエンスの質が全然違う。
何も理解してなくても成功体験として覚えれる。
要はYouTubeとかみたいなディスプレイがあった時代のメディアって向こうとこっちで隔てられてるので、
こっちはそれを理解したっていう実績、あと記憶したっていう実績がないとそれを見たことにならないんだけど、
ポッドキャストって向こうとこっちがなくて同じ場にいるっていうUXなので、
だからもうその場にいたっていう実績解除はされるだけで、別に位置が入れば入れば関係ないんだよね。
だから今のおもしろいのが先代がもうレッドオーシャンだから次世代はブルーオーシャンを選ぶっていう段階でポッドキャストっていうのがまさに今だったらしたら、
ポッドキャストにフィットする、マーケットフィットしようとするとやっぱ和法がさっき言った並列感とかみたいな、
やっぱドーパミンを出さないような話になるから当然作法がそうなるよねっていう、その見方もおもしろいよね。
並列感もあると思うし、やっぱ僕一番大きいのは難しい言葉を使わないのがそうだと思う。
難しい言葉を1回の収録に1個とかにしてるのがたぶん偉いと思う。
アポカリの第一期は全くやんなかったけどね。
全くやんなかった。それは僕が分かってないからね。
いやいや。
ポッドキャストで何をすべきか分かってないから、バカだから。僕はバカだからそうなったの。
違うよ、俺が青ったんですよ。
なのであって、本当はたぶん難しい言葉、
面白い。
あと、ある雑誌の編集長から深井龍之介を評した言葉っていうのを聞いたことがあって、
彼は喋り方が全然違うからいいよねみたいな。
イケてる人の喋り方をするから当たると思うっていう。
大きくなる前にその人のコメントをしてて、
それはあるなと思っていて、
例は人文主義みたいな世代があるとして、その上の世代の人たちっていうのは、
その踏破性とか攻撃性みたいな話もあるかもしれないですけど、
やっぱりね、話し方がね、矛盾してるというか、厳密性を求めるから持って回ってるんですよ。
持って回られてもっていう話なんですよね。
AはBですって聞きたいのに、
AというのはA'というのもあり、A''というのもありみたいなAに聞いても、
特にポッドキャストでは何言ってるか分かんないし、
はぁ?っていう話なんですよ。
でもAはBであるとバーン出ると、
AはBであるっていうのを繰り返すだけで、
あ、俺ってこれ分かったんだっていう体験になるから、
これとかがやっぱりすごい大事だと思うんですよ。
だからそうするとコンテンツ制作者の方の倫理感というか、
誠実性みたいなのがめっちゃ大事になるのかなと思う。
バカ枠でかくすると、それによって地の見え方が変容しそうですね。
ある分野のある地が、そうやってA'A''だったのに、
もうAがBみたいな言いまくられたら、
そっちの、そういうふうに認知されてるんだっていうのが繰り返されて、
え、伝わってます?
伝わってます伝わってます。
それ以上でもいいかでもない。
一方でメディア特性でいくと、
例えばテレビが一番分かりやすいんだけども、
自分の持ち時間がほんと1分もない状態で、
語り合わなければいけない時って、
対話じゃなくて自分の持論を端的に述べるっていう意味でいくと、
AはBだをやってるんですよ。
ただ、あの話し方ってやっぱり自論の応酬が繰り返されてるだけなんだけど、
ポッドキャストで一番やっちゃいけないのがそれで、
だからポッドキャストにフィットしてるってことは何かっていうと、
正しさよりもそのタイム自体をキャッチボールをちゃんと、
グルーブさせられるのかっていう能力の方が実は大事で、
まあそうですね。
で考えると、そのAはBだに行き着くまでに5ターン回してって、
そっちにだんだん行くみたいな話し方が上手いのが、
今苦労としてる人たちだと思ってて、
それ谷川さん自体がさっきのプラネッツで言ってたんだけど、
僕らっていうのは書くこともできるし話すこともできるし、
そもそもだいたいファシリテーションができる人が残ってるんですよって言ってたのね。
でやっぱり福島亮人さんとか宇野さんとかの話し方見てると、
やっぱり限られた時間の自分のターンで、
自分の思いついた自論をできるだけ端的に伝える。
でそこからはもうバトン預けちゃって、
相手の自論を待つみたいな和法になってて、
だから多分宇野津泉博さん何回もポッドキャストをトライしてるんだけども、
何回もやらなくなってるのとかも、
やっぱこう和法のフィットっていうのが適応できてないのっていうのが、
僕のポッドキャスト分析家みたいな立場からずっと、
そこがすごくわかるっていうか。
それはそうかもしれない。
めっちゃおもろいね。
燃えそうだよねそれきっとね。
もうちょいじゃないかな。
しかも本人がアグリーしなそうな気がするよね。
そっちがアグリーすればいけんじゃないですか。
めっちゃ売れそう。
これこの2週間の分かんないですよ。
ノートとかツイッターとかのSNSの小さいところでは、
こういう展開になったからあれだけど、
例えば2年後、似たような概念で、
それがやられてないかっていうとまた違うだろうなと思っており、
今ここで値前が上がった人たちが、
多少その世代の入れ替わりがあったとして、
2年後にそういう括りで書籍フェアやったら売れるっていうのは、
売れるでしょうねって僕は思うんですけど。
もっとスマートなハッシュタグに変わってね。
同じハッシュタグで。
もう少しうまいことやるっていう。
多分今回こうなると思わなくて、
言葉が出ちゃったっていうのがあると思うので。
確かにね。
広告代理店の一人でもなく誰でもない、
編集者でもない谷川よしひろさんっていうプレイヤーが、
発明してしまった名キャッチコピーっていうところの、
強さもあり弱さもあるっていう。
弱さの部分が持続可能性とか、
マーケットを爆発させる戦略じゃなかった。
これがもし広告代理店が同じようなキャッチフレーズを作るとしたら、
そこまで含めたキャンペーンを張るだろう。
張るし、もっと対立構造作ると。
そうだよね、煽るよね。
そうなると世代間の違いみたいな雰囲気も出せ、
私たちは若い世代なのだからという支持者も集まるだろうし、
古い世代より若い世代を応援するだろうから、
っていう支持者も集まるっていうことも多分できただろうけど、
おっしゃる通りで多分それを何も考えずにというか、
当たり前なんだけど別にプロデューサーとか、
ムーブメントを作り出す人じゃないから普通なんだと思うんですけど、
ある意味素朴に、ある意味めちゃくちゃ芯をついてしまった言葉遣いをしちゃったがために、
いわくこうなってるけど、それがマネタイザーできないかっていうと、
同じコンセプトでマネタイザー全然できるだろうと思ったのかも。
応用可能かもね。
いやーでも今日の話ね、さすが絶対落ちがつかないテーマだったけど、
なんかね、司さんの、
俺、世代的には当事者だと思ってるから。
僕が?
そうそう。令和人文主義って言われる人たちとすごく一番近い世代だから。
面白かった。まさかの。
なんか空気感の話のところは俺が断定してた言い方のところの、
なんか共感できるポイントはいくつかあった感じに聞こえたんだけど。
全然、今日かなり共感できて。
珍しいね。
俺と司さんが認知共感してて、
室さんがそこに対してカウンター当てる日だったのかもね。
カウンターというよりかは普通に、まともなことを言ってるっていう。
知らんしみたいなことを。
しかもさ、近すぎるっていうかさ。
テイクホルダーに関係する。
利害関係の中に。
利害関係すぎる。
そうだ。
僕、別に普通に訴えられる可能性がある。
言うなって。
今日言ったことの中でも別にあると思う。
あるよね。
この中で一番年上俺で、ここを主催してるの俺なのに、なんかあったらメチクロに言ってください。
室さんを煽ったのは僕です。
でも、ラジオとか司さんがそのようであるっていう分析自体は僕も全然アグリだし、
だから、つかささんみたいな人たちが今後、
ある種の日本のカルチャーとか言論みたいなのを引っ張っていくみたいな、その雰囲気を作り出していくとか。
雰囲気では言えることもあるし、
担うことはあります。
ただ、かなりリスク取ってる方なんで。
そういった意味では僕はむしろあれを読んで、気をつけなきゃって思いました。
なりたくねーってなりました。
くくられる。
全然、本当に地を提供できてなさすぎるんで、そもそも論は全然違うんですけど。
でもね、サブカルジャンとかカルチャージャンでも同じような誘導しようとする動きはあるかもしれないもんね。
くくられてしまうコアとか。
まさにちょっと似たようなものを考えてて、
なんかどう変わるんだろうかなと思って、変わるその次とかは分かんないですけど、
なんか派生として、カルチャー系でこういうやつ出てくるんだろうなーみたいな。
今の名前挙げられてる人って、一部はちょっと寝てるけど、
なんかポパイとかブルータスで人気者みたいな人はいないじゃないですか。
カルチャー系でその人がカルチャーを話すのか、音楽を話すのか映画を話すのか、
普通にもっと典型的な似たようなテーマを話すかは知らんけど、
なんかそういうやつ出てきそう。
だってさ、今すでにタイタンを。
そう、だからタイタンがその枠。
タイタンを筆頭にする令和人文主義的な括りっていうのは、いかようにでも作れるわけじゃない?