1. アポカリ
  2. EP14|令和人文主義と音声 (後..
2025-12-19 54:38

EP14|令和人文主義と音声 (後編)

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いきなりメディア論/ゼロ年代批評と令和人文主義のメディア比較/令和人文主義とPODCAST/福嶋亮大 x 谷川嘉浩 x 宇野常寛(planets)における話法の差/啓蒙と布教/混ぜるべきではない/世代ごとのメディア/ファシリもできるゲスト/和やかな”雰囲気”を生み出す技術/青松氏のValknee評/抵抗とアイロニーとbilly woods/資本主義ゲームを勝つための手段/変なアキネーター/マーケットのラベルとして強力/カルチャー系でスピンオフする可能性/四象限のライトorダーク/令和人主義者になりたいですか?

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製作・配信:密談 @mitsudan_net

muro @ryunosukemuro

アンソロポロジスト。九州大学人間環境学府博士後期課程単位取得退学後、在外公館やベンチャー企業の勤務を経て独立。社会人向け人文学ゼミ「le Tonneau」を主宰。法人向けの調査、研修、諮問などを請け負っている。Podcast番組「新日本駄洒落協会」「のらじお」を配信中。

つかさ @t_tanimoto

建築事務所勤務。東京生まれ、ブリュッセル育ち。ベルギー国籍。仏語と英語を活かして、翻訳者/編集者としても時々活動。UCL(ロンドン大学)で化学工学、パリ政治学院でコミュニケーションを学ぶ。Accenture SongやBCG Xなどでサービスデザイナーとして勤務後、キャリアチェンジし、現在に至る。valkneeとリー子と『ラジオ屋さんごっこ』配信中。

メチクロ @maticlog

1995年〜造形家として「S.M.H. (ホビージャパン)」誌にて全18作品連載

2000年〜グラフィックデザイナーとして活動開始 [BLAME! 特装版/ バイオメガ / アバラ特装版 / シドニアの騎士(弐瓶勉)] [ハイスコアガール (押切蓮介)] などを担当

2002年〜弐瓶勉・林田球・D[di:]・L?K?O・メチクロによるポータルサイト[MHz/メガヘルツ」を開設

2005年〜MHzSHOPにて、ドロヘドロ・東亜重工などのアパレルプロダクトを製作販売開始

2009年〜造形家として、宇川直弘・THE LEFTY・フルカワミキ・マヒトゥザピーポー(GEZAN)・大友克洋・灰野敬二らのオリジナルマスクを製作

2010年〜オーディオプロダクトデザイナーとして、[HP-A8 / HP-P1 / KOTORI301(FOSTEX)] の他、[TOON WORKSHOP(Mr.Harn / LINKINPARK)/Doublezero(ZEDD)]のブランドディレクターを担当

2019年〜JAPAN PODCAST AWARDS製作総指揮(第三期を以て退任)

2019年〜IKEUCHI HIROTOの顧問として参画

2021年〜ぷにぷに電機と共にPodcast『LAUNDRY AM』配信開始

2022年〜株式会社雑談を設立 [CRAFTBEER BAR & PODCAST STUDIO雑談・営業開始]


サマリー

令和人文主義に関する議論が展開され、ポッドキャストの重要性や特徴が強調されています。発信者がポッドキャストを選ぶ理由として、手軽さや知識を気軽に伝えることが挙げられています。ポッドキャストやメディアの進化、特に令和人文主義者の影響とその発信方法についての議論が行われています。メディア特性の違いやリスナーの体感の重要性、旧世代との対比が取り上げられ、対話の流れや倫理感がコンテンツ制作に与える影響が探求されています。令和人文主義の特徴と音声メディアの影響について議論され、特に若い世代の表現方法が新たな抵抗の形を示していることが強調されています。また、コンプレックスの欠如が現代の人文主義者の動機に影響を与えているという分析も行われています。令和人文主義の影響とそれにまつわる様々な反響について議論が進められ、世代間の違いや文化の動き、その背景にあるリスクについても触れられています。令和人文主義に関する議論やポッドキャストでの意見交換が行われ、特に文化的なムーブメントの理解と受け入れについて考察されています。

令和人文主義とメディア選択
ただいま、最初こそ、無理やり組み付けたからだと思うのが、
その令和人文主義って言って今挙げられてる中で、彼らが選んでるメディアの話をしてる。
そこで僕は特徴的なのは、今あそこに挙げられてる人たちっていうのは、ポッドキャストフレンドリーな人たちだった。
とてもポッドキャストと相性の人たちが並んだなっていう実感があったのね。
で、それって何なのかなってことを、ちょっとこの延長で話したくて。
で、muroさんもまさに今さ、自分のシュタル発信メディアをポッドキャスト選んでるじゃない。
あれ?記事も会示も書いてるけど、ポッドキャストっていうものをさ、好んでさ、使ってるじゃない。
それは最も楽だからですね。
で、代表的に挙げられた古典ラジオしかあり、それこそそれを提唱した谷川さんしかあります。
リンク&ジンクっていうもので、この令和人文主義をしっかり語ってたりするのも含めて。
なんか令和人文主義って挙げられてた人たちって、さっき言ったアカデミアの論文だったり、テキストベースの記事だったりとかっていうものじゃなくて、
今彼らの特徴としては、交互でその後で喋ることをかなり選んでいて、
そこでのプレゼンスが高い人たち、見る言語が古典ラジオにしてもそうだけど、
そこの特徴って何だろうっていうのは、それこそつかささんもポッドキャスターであるから、感覚わかるかなと思うんだけど、
賢いことを伝えたい人が今ポッドキャストを選んでいて、
ポッドキャストだったらああいう賢いお話も聞けちゃってる今の状況って、
つかささん的にはどう感じてる?
つかささんってほら、ラジオのスタンスを語る時もさ、今アポカリでさ、難しい言葉並んだ時もさ、
意外とそこアレルギー感じる人だったりするよね。
でもあの令和人文主義の人たちって結構そういうこう、アカデミックな単語を使ったりとかしてるんだけど、
よくポッドキャストを選んでるよね。
で、本だったら彼らのもの、たぶんつかささん読んでない。
そういうことか、なるほど。
知をライトに伝えるって意味で、これを選んでるっていうのって共感するかどうかって話かな。
それは発信者としてですか?
そう、発信者として、プレイヤーとしてそれを選んでるっていうことに対して。
なんかいきなりメディア論になった。
メディア論でしたね。
メディア論と世代間の違い
いきなり。いや、すごい。
でも確かに、YouTubeかポッドキャストかで、その2点で比べると確かに面白いかも。
いや、すごいつまんない答えになるかもしれないけど、一番楽だからじゃないですか。
普通に。
僕はそう。
だって一つ映像をいじらなくていいで、耳みんな暇っていうのはもちろん、一番簡単とはまた話してやるけど、
なのでそういった意味では確かにポッドキャストでやるのはすごい楽だし、理にかなっているのかなとは。
誰でも聞ける。
それは発信するにあたっての障壁みたいな話で言うと、簡単だからみたいな。
もし言論界みたいな系譜、60年代以降のをばーっと紐解いていくとさ、
その今、令和人文主義って言われてる人たちが、40代の前半の人からアラサーぐらいまでの人がくくられてると思うんだけども、
その前の現象って、ゼロ年代批評と言われた。
常広さんとか東さんとかみたいな、ああいう人たちっていたじゃない。
で、そこで分かれるのが何なんだろうと言うと、今どこで活動してるのかで、
ゼロ年代批評の人ってYouTubeを選んでるよね。
でも令和人文主義の人って、当然YouTubeも出てるんだけども、結構自分のホームベースにしてる場所っていうのはポッドキャストを選んでて、
この差分ってかなりあるなと思ってて。
それからまず令和人文主義に当てはまるかどうかって面白いなと思ってて。
なるほどね。
で、今メディア論に無理やり引っ張ったことで、ちょっと俺責任取るので、
ちょっと一個定義を聞きたいんだけど、
この前プラネッツで、福島良太さんと今回の谷川よしひろさんが、
宇野瀬英弘さんを司会として対談をしてたのね。
その時に福島さんは僕から見ると、令和人文主義に当てはまらない人。
要はゼロ年代批評側の時代の人だと思ってて、
で、谷川さんはまさに今これを提唱した人なんでそっちだと思った時に、
彼らのトークをYouTubeで見た時にね、
なんか、谷川さんは一貫してポッドキャスト的な話法で話していて、
福島さんは明らかにゼロ年代批評的な人たちの話法で言ってるなと思って、
そこが何が違うように僕感じたかっていうと、
感情の表出、要はイライラしてる姿を見せるとか、
早口になるとか、相手にかぶせちゃうとか、
そういう姿を見せてるのがゼロ年代批評側の人なんですよ。
宇野さんの喋り方もそうだし、福島さんの喋り方も、
本当、書いてるテキスト、
本当にメディアが人間であるという最新著称の福島さんは、
とっても聡明の、とっても素晴らしい、僕も感動した本を書いてる人だったんだけれども、
そこに出演してる語り口っていうのは、すごくポッドキャストフレンドリーじゃない話し方をしていて、
一方、谷川さんは一貫してポッドキャストらしくて、
そこの差は何かっていうと、福島さんはすごくイライラを見せる喋り方を煽る喋り方をしていて、
谷川さんはいったって平熱、ずーっと平熱でキープして、
会話を回すためのファシリテーションすら本人がやってるみたいだ。
日本における発信の動機
そこの差って、令和人文主義っぽさと、その前の世代の思想の人の差がだなって感じていて。
なんか、今話し聞いてて、ちょっと乱暴すぎる見方だけど、
なんか、パッと聞いて、その前の世代の人たちを普通に聞くのうざそうだから、僕がね。
守りたくはないけど、もしかしたら、さっきの話に戻すと、
もしかしたら、あの世代の人たちの方がもっと何かを信じて戦いたい気持ちを持っているのかなとか、
そこまでジャンプしたくなっちゃう。
何もイライラすることない。
シンプルにイライラすることないから、地を見せてるだけだから。
令和人文主義者の枠に入ってる人たちは、その口調でいられる説みたいなのはあんのかなとか。
だから、令和人文主義で挙げられてる人、特に水野さんとかにも感じるんだけど、
自分の地を社会に対して義務してるみたいなことをすごく素直にやっていて、
何かの抵抗とか反応の表現としてやってない人に見える。
で、一方、その批評家っていうのがそういう属性なのかは分からないけれども、
そのゼロ年代批評と言われた人たちって、何かしら物事にカウンターを当てて、
何かをかき混ぜるようなエネルギーを発する人に見えていて、
そこの差って本当は何か、聞き手の最初のモチベーションが全く違うっていうか、
ガヤガヤしていて、そうだそうだって言いたい気持ちで見たい時っていうのは、
全社の時代の人を見てるし、では人文主義の人たちのコンテンツを聞く時って、
本当平熱で、なんつーのかな、感情のアップダウンをするつもりで聞いてないみたいな。
東さんとかそうですよね。
そうそうそうそう。
でも確かに今さっきのお話聞いてると、
個人でやっているフランスでのアウトプットとかは、
若い人でもあずまさんぽさが、あずまさんぽさっていうか、
0年代。
わかるわかる、批評みたいなね。
何かを訴えたいっていう気持ちがあるからこそやるみたいなところがあるから、
なんかすごい言ってることがわかるというか、
なんかさっきメモってて、
ちょっとあの、これも乱暴だけどすごい急向かいなって思ったのが、
今、令和人文主義者の人たちが、
例えばポッドキャストで何かを発信する時って、
し始めた時って、おそらくそのもう本当にその地、さっきの地が好きすぎて、
好きで好きでしょうがなくて、
みんなに見せたい、聞かせたいっていうモチベだったと思うんですね。
それはちょっとなんか、西洋の考えすぎかもしれないけど、
なんかすごい日本っぽいなって感じるんですね。
もちろん西洋でもそういった人はいっぱいいるでしょうけど、
やっぱりそんなそういうコンテンツがないんですよ。
たまたまのなんかわかんないんですけど、地を。
で、全部憶測ですけど、僕の感覚、あっちで育った身として感覚だと、そんな個人で自由度100のある中で、
地だけを見せる、は意味わかんないっていうか、
さっきの目的の話?
そう、訴えたいことが先に来て、で、それのための地をつけるっていう感覚だから、
なんで個人活動なのに、何も訴えずに地を提供してんのっていう、もう果てなマークが半端なくて。
なんかね、前さ、俺啓蒙と不況を分けて話した回が何回か前にあったんだけどさ、
なんかおそらく何か伝えるべきと思ってる人の話し方ってやっぱ啓蒙的というか、
これがわかるべきみたいなニュアンスで言ってるから、さっき言ったかき混ぜ要素だったり、
人をこう同般民的な、出させる状態にするんだけど、
なんか日本って、それこそオタクの界隈だからよく言われてた単語だと不況って使われるので、
彼女たち彼らたちって好きをただ伝えて不況したいだから、全然やっぱりマウント成分ないし、
ただ目的がわからないよね。
なんで好きだったら自分だけ取っとけばいいのに、わざわざ言うのっていう動機ですらオタクですらやるし、
さっきだれいば準儒主義と言われる人たちって、なんか啓蒙成分がないっていうか、
結果的に効果として啓蒙的な効果は出るかもしれないんだけど、動機として啓蒙のあんまり感じないんだよね。
その差ってなんかすごいある気がする。
欧米の人たちからすると啓蒙的なモチベーションがあるのがまず大前提で、
そこに地がくっついてくるとか、運動がくっついてくるみたいな。
そもそも、これまたメディア論にちょっと戻すと、そもそも地だけのはマスメディアが担うもの。
だって、冷静に考えて古典ラジオとか、もちろん今は企業になって儲けて、
イルゲン音楽ラジオももちろんYouTube収入えげつないと思うんだけど、
それ、最初の数ヶ月、1年とかってもうゼロから始めて、でもめちゃくちゃ調べて、
いや、それ初期コスト意味わかんないから絶対、組織的としては、組織論的としては、
マスメディア側のようなメディアがやるべきなのに、個人でやってるから、
どれだけ地好きやねんみたいな、いい意味で、すごい褒め言葉として思えるから。
それこそ地っていうマーケット適性が低いものは、BBCやNHKのような、
そうそうそうそう。
公共が、公共福祉としてやるのが、わかる。そっちのほうがわかるって話だよね。
そうそう、そっちのほうがわかる。
なんで民間が自分のリスクでそんなことやるのか。
そうです。わかるというか、なんかそれが僕が知っている常識なのに、
日本は逆だ、興味深いなっていう感覚です。
さっきの福島亮太さんと谷川芳弘さんの対話の中で、結構白熱した議論に見えるようなトーンで、
応酬が何ターンかあったんだけど、なんか常に谷川さんっていうのは、
それに対して反論という形というよりは、アンサーを一生懸命返そうとして、
しかも平熱でみたいな、なんかそういうのをすごく感じて、
だからなんか伝えたいと思う動機自体が、やっぱその令和人文主義って言われてる人たちのから明らかに違うなっていうのは思った。
僕は、その話を聞いてやっぱ思うのは、令和人文主義でくくるべきじゃないなって。
いろいろあるって話だと思う。
いやでも今日は粘りたい。
今日は俺そこのフレームから出たくない。
いろいろある。だからやっぱ僕はその、わかんないですけど、ゆる言語と古典と谷川さんとか三宅さんを並べて語れないって思う。
そうだね。
それぞれの意図があり、それぞれの活動があり、それぞれの動機で投資をしてやっているって思うから、
令和人文主義者の影響
やっぱあの、いやすいません、令和人文主義っていうタームを持ってきたの僕なんだよ。
いち早く離れようと。
あれなんですけど、やっぱその令和人文主義者は反論ではなく、アンサーをする人だから受けているみたいなのは、谷川さんはそうかもしれないけど、
そのようにくくること自体はかなり賢能だなと僕は思いますね。
並んだ人全部が当てはまらないもんね。
さっきのメディアの話で言えば、上の人が本を書いていればYouTubeに来て、その前にもう一個あるのかな、テレビがあるのかな、本を書いていればテレビに出てて、
朝生がまずあるよね、きっと。
朝生というか、ニューアカデミズムの時にテレビに出てた言論人っていると思うんですよ。
栗本慎一郎とか中澤慎一とか、浅田明がいたと思うんですけど、その上っていうのは丸山正男とか加藤周一とか鶴見俊介とかだったと思うんですけど、
その人たちが本を書いてたので、次テレビに出てて、その世代がテレビに出てるので次YouTubeやってて、その世代がYouTubeやってたのでポッドキャストをやってるっていう話なのかなと思って、
で、ポッドキャストはYouTubeとか本に対するメディア的優位性がかなりあるっていうのはおっしゃる通りだと思います。
っていうのは、聞き流せるっていうのは聞くことが大きいと思っていて、理解しなくていいんですよ。
でも、ポッドキャストがYouTubeとか本より圧倒的に優れているのは、あなたは理解しましたよねっていう体感?
UXがあるんですよ。そのユーザーのエクスペリエンスの質が全然違う。
何も理解してなくても成功体験として覚えれる。
要はYouTubeとかみたいなディスプレイがあった時代のメディアって向こうとこっちで隔てられてるので、
こっちはそれを理解したっていう実績、あと記憶したっていう実績がないとそれを見たことにならないんだけど、
ポッドキャストって向こうとこっちがなくて同じ場にいるっていうUXなので、
だからもうその場にいたっていう実績解除はされるだけで、別に位置が入れば入れば関係ないんだよね。
だから今のおもしろいのが先代がもうレッドオーシャンだから次世代はブルーオーシャンを選ぶっていう段階でポッドキャストっていうのがまさに今だったらしたら、
ポッドキャストにフィットする、マーケットフィットしようとするとやっぱ和法がさっき言った並列感とかみたいな、
やっぱドーパミンを出さないような話になるから当然作法がそうなるよねっていう、その見方もおもしろいよね。
並列感もあると思うし、やっぱ僕一番大きいのは難しい言葉を使わないのがそうだと思う。
難しい言葉を1回の収録に1個とかにしてるのがたぶん偉いと思う。
メディア特性と対話の重要性
アポカリの第一期は全くやんなかったけどね。
全くやんなかった。それは僕が分かってないからね。
いやいや。
ポッドキャストで何をすべきか分かってないから、バカだから。僕はバカだからそうなったの。
違うよ、俺が青ったんですよ。
なのであって、本当はたぶん難しい言葉、
面白い。
あと、ある雑誌の編集長から深井龍之介を評した言葉っていうのを聞いたことがあって、
彼は喋り方が全然違うからいいよねみたいな。
イケてる人の喋り方をするから当たると思うっていう。
大きくなる前にその人のコメントをしてて、
それはあるなと思っていて、
例は人文主義みたいな世代があるとして、その上の世代の人たちっていうのは、
その踏破性とか攻撃性みたいな話もあるかもしれないですけど、
やっぱりね、話し方がね、矛盾してるというか、厳密性を求めるから持って回ってるんですよ。
持って回られてもっていう話なんですよね。
AはBですって聞きたいのに、
AというのはA'というのもあり、A''というのもありみたいなAに聞いても、
特にポッドキャストでは何言ってるか分かんないし、
はぁ?っていう話なんですよ。
でもAはBであるとバーン出ると、
AはBであるっていうのを繰り返すだけで、
あ、俺ってこれ分かったんだっていう体験になるから、
これとかがやっぱりすごい大事だと思うんですよ。
だからそうするとコンテンツ制作者の方の倫理感というか、
誠実性みたいなのがめっちゃ大事になるのかなと思う。
バカ枠でかくすると、それによって地の見え方が変容しそうですね。
ある分野のある地が、そうやってA'A''だったのに、
もうAがBみたいな言いまくられたら、
そっちの、そういうふうに認知されてるんだっていうのが繰り返されて、
え、伝わってます?
伝わってます伝わってます。
それ以上でもいいかでもない。
一方でメディア特性でいくと、
例えばテレビが一番分かりやすいんだけども、
自分の持ち時間がほんと1分もない状態で、
語り合わなければいけない時って、
対話じゃなくて自分の持論を端的に述べるっていう意味でいくと、
AはBだをやってるんですよ。
ただ、あの話し方ってやっぱり自論の応酬が繰り返されてるだけなんだけど、
ポッドキャストで一番やっちゃいけないのがそれで、
だからポッドキャストにフィットしてるってことは何かっていうと、
正しさよりもそのタイム自体をキャッチボールをちゃんと、
グルーブさせられるのかっていう能力の方が実は大事で、
まあそうですね。
で考えると、そのAはBだに行き着くまでに5ターン回してって、
そっちにだんだん行くみたいな話し方が上手いのが、
今苦労としてる人たちだと思ってて、
それ谷川さん自体がさっきのプラネッツで言ってたんだけど、
僕らっていうのは書くこともできるし話すこともできるし、
そもそもだいたいファシリテーションができる人が残ってるんですよって言ってたのね。
でやっぱり福島亮人さんとか宇野さんとかの話し方見てると、
やっぱり限られた時間の自分のターンで、
自分の思いついた自論をできるだけ端的に伝える。
でそこからはもうバトン預けちゃって、
相手の自論を待つみたいな和法になってて、
だから多分宇野津泉博さん何回もポッドキャストをトライしてるんだけども、
何回もやらなくなってるのとかも、
やっぱこう和法のフィットっていうのが適応できてないのっていうのが、
僕のポッドキャスト分析家みたいな立場からずっと、
そこがすごくわかるっていうか。
それはそうかもしれない。
新しい抵抗の形
だから古典ラジオも結局3人の対話みたいなものによって、
台本はあるんだけど、
対話自体の欧州がちゃんとグルーヴを切らさずに話せるってことはもう全て。
だったりとか、ゆる言語なんかもまさに、
それをさらに速度早めたような感じだしとか、
なんかそこが特徴的だなっていう。
だから交互でリアルタイムにちゃんとグルーヴを回せる、
地の扱い方ができてる人が意外と今受けてるっていう。
そうですね。
えっとね。
分からない。
それもすごく正しそうに聞こえるし、
別に僕それに対する反論はないんだけど、
僕の見立てはもう少し違っていて、
その会話が切れないことによる、
なんていうかな、
雰囲気の伝わりみたいなのがめちゃくちゃ大事だなって。
大事なんだよね。
その対話が切れないっていうことは別に、
地が欧州されていることではなくて、
あなたは今安心な状態でこのコンテンツを聞いてますよっていうのが伝わってるんだと思うんですよ。
とは別に、地の部分でいうと、
さっきのAはBである的なものっていうのが、
コテンラジオの制作の過程ではその収録会で、
どこを指すのかっていう話は絶対作るし、
で、やっぱり樋口さんの勘が良くて、
それにすごくちゃんと反応するんですよ。
し、ゆる言語とかゆる系のコンテンツって、
特に初期の方は基本的に、
AってBなんですよ。
えぇ!?
ででででででででって本編に入っていくっていう形式になってるんですよね。
ってなってくると、あとは、
この和やかな雰囲気っていうのに同席しているだけで、
AってBなんですよ。
Aのところだけ持って帰れるっていうところが、
僕すごい大事なんだろうなって思って。
めちくろさんがポッドキャストをそこまで目指してるみたいなのは、
全然驚きじゃないですけど、
すごい、
ポッドキャストめっちゃ分析してる。
僕はだってもうすでのメガコンテンツの中に、
後から入ってるから、
すごい勉強しないと邪魔じゃないですか。
で、実際邪魔だったと思うし。
ノイズにならないための筋肉なんだ。
そう、だからすごく考えた。
そういうの、何が起きているか、何をしないといけないのか。
普通に仕事経由でそうなった。
その、入る前の段階とか、入ってからとかも、
多分社内で一番ポッドキャスト聞いてて、
聞く人はあんまりいなかったっていうのもあるけど、
一番聞いてたと思うし。
えらっ。
でもなんかさ、
でも今、つかささんに水向けたいんだけどさ、
世代とかっていうのも一個ポイントだなと思ってる点でいくと、
ラジゴなんかにもすごい感じていて、
ちょうど今日のタイミングで、
現在ビジネスで、
バルニー、まだ見れてないんですけど。
青松さんとバルニーが、
めっちゃいいじゃん、動画。
知らんかった。
登場してる動画があって、
それこそ青松さんってベテランチさん。
とバルニーがロングトークをしながら、
一個の短歌とラップを掛け合わせるっていう、
一個のこの、
何分くらいなの?
1時間くらいの、
40分くらいかな?
のコンテンツなんだけど、
これの冒頭で、
青松さんがバルニーの印象を語っていて、
バルニーって、
明るかったりとか、
ガーリーだったり、
ピンクだったりってものを扱ってるけども、
そこはある意味、
皮肉を含ませてるよねとか、
何かの抵抗を表すものだよね、
っていう風に評していて、
だから、
ラジゴとか聞いてても感じるし、
青松さんの批評を聞いても感じるんだけど、
抵抗の仕方?
反抗の仕方の、
バリエーションが、
明らかに荒沢くらいから変わってるなと思ってて、
さっきのゼロ年代批評みたいなところまでの世代って、
反抗とか抵抗、それこそリベラルな表明みたいなものって、
ライオットだったり、
レベルだったりみたいなニュアンスをどこか含んで、
それで世の中を掻き回しながら、
何か影響させようっていう意図を感じるんだけども、
バルニーが可愛いとかガーリーっていうスタイルで、
ちょっと抵抗を示してるのとかみたいな、
社会に対するアクションの違いが明らかにあるなと思ったのが、
平熱感に感じたりとか、
雰囲気っていうものを大事にしようっていう風に感じるというか、
直接的に今日この場で誰かを活性化させて連帯しようみたいな動機を、
抵抗に感じないんだよね。
だからそういう意味でいくと、
今回谷川さんが起こしたこのハッシュタグというか、
運動みたいなものも、
ある意味、批評性とか抵抗性みたいなのが、
俺はあると思っていて、
起きるであろうことも何か想像して発信したんだろうし、
なんだけどそこに何ていうのかな、
怒りとかドーパミンみたいな成分が含んだ抵抗じゃないってところが、
違う形の、
令和人文主義の特徴
むっちゃ面白いっていうか、
すごい素敵な見方。
やったー。
バルニーのことも言ったぞ。
すごい。
ラジコアをリスナー、俺だって言えるんだぞ。
すごいポジティブな見方になるんだけど。
僕は二世代離れた世代から、
今のそういう現象を見るので、
いろんな文脈で見るんだけど、
今せっかく令和人文主義とかポッドキャストとかの、
今のこのメディアの状況を見てる時に、
そこが特徴だなと思ってて、
抵抗の意志がないわけじゃないし、
リベラルなマインドがないわけじゃないんだけれども、
何か発信する時っていうのは、
併捏感だったり、
グルーヴのための役を、
ファシリテーションをやるみたいなものが、
すごくみんなスマートに当たり前にやってるのが、
そこからの世代にすごい感じると。
で、実際言論の内容がどうかとか、
そこの手さばきがどうか、
これは上の世代からの反論や、
なんかたしなめみたいなのは、
当然起きるだろうけど、
そもそもメディアに対して、
どのアプローチで接しようとしてるのかが、
明らかに違うように感じるというか。
いやすごいけど、
なんか僕は、
おそらく性格的になんか前の世代の人に近いって感じするから、
僕は良くない例かもしれないですけど、
でも若ければ若いほど確かに、
特に欧米ではその、
今の論じ方はめちゃくちゃされてますね。
あ、そうなんだ。
音楽のアウトプットとか、
クリエイティブのアウトプットとか、
そのリテラルな、
シンプルに何かが反対して、
逆を見せるとかではなく、
むしろそれを授与して、
アイロニーとか皮肉で表現して、
それが抵抗になるとか、
そういった手法はめちゃくちゃ増えてる中で、
その人たちはむしろ、
無意識的にやっちゃってるとか、
のケースもあると思うんですけど、
下の世代であればあるほど、
そういった表現が、
無意識的に普通に駆使できている、
見え方はすごいありますね。
だから何か、
そういう手法を取るんだけれども、
何か谷川さんなんかがいい例だけれども、
1960年代の何かを引用したりとかみたいな、
何かそのグルーヴ優先で会話を進めるんだけど、
そこに過去の亡霊みたいなものを、
連れてくるみたいな話し方が、
何か特徴だなと思ってて、
何かその、
自分が今立っている地のポジションっていう、
系譜で歴史を語るんじゃなくて、
まず今のグルーヴを優先したとこから、
過去のちょうどいいものを、
亡霊のように引用するっていうような、
何か情報の扱い方をしているように見えてて、
まさに今言った欧米の、
何ていうかな、
アート環境で言うと、
ビリー・ウッズとかっていうラッパーとかって、
何ていうかな、
アフリカで生まれ育ったインテリが、
アメリカに行って、
アメリカの黒人でもないんだけれども、
アメリカの黒人の中に入ると、
インテリである黒人っていうものの、
生きづらさみたいなのを感じながら、
アウトサイダーとして、
要はアウトプットするっていうか、
立場のスタンスを取る中で、
やっぱ彼も絶妙に対立的な反抗をしてるんじゃなくて、
この違いを明確に見せながらグルーヴすることによって、
何て言うのかな、
さっき言った反抗というか、
抵抗をコントラスト付けるみたいな、
だからそういうような空気感はむっちゃ感じるっていうか、
だからぜひラジコンも、
そこの時代の機種として、
自覚を持って、
なんとか主義を名乗ってほしい。
抵抗の表現方法。
世代間の抵抗の違い
抵抗のアプローチの仕方の違いっていうのは、
モロさんは感じる?世代間で。
俺はね、リベラルの運動でもそういうのを感じるっていうか。
難しいな。
断じすぎだから。
どうだろう。
バルニさんとかラジコンがどうかは僕には分からない。
まず第一に。
ベテランチさんのバルニ表は面白いと思う。
ただ、若い人たちの抵抗の手段が変わっているのではないかっていうのは、
よく分からない。
で、その次に、
令和人文主義の上の世代との毛並みの違いが、
抵抗の手段が変わっているから毛並みが変わっているっていうのは、
僕はかなり疑問ですね。
そうじゃないんじゃないかなと思って。
抵抗の匂いは、挙げられている人たちから感じるか感じないかだとどっち?
感じない。
じゃあさっき言った僕がピュアにギブしている人たちっていうのにむしろ近い。
いや、現行のゲームを勝ちにいっていると。
オルタナティブでもなく、今一番勝てる勝ち方を楽しんでいるって感じ。
小峰さんがグローバリズムとか新自由主義の結果、
令和人文主義が出てきてますよねっていう分析は、
僕は割にそうなのかなと思っており、
それは大学の苦境とか日本の産業構造の難しさもありながら、
究極的には新自由主義的な資本主義ゲームを勝つっていう話をなったときに、
いろいろなやり方があると思うんですよ。
ゴールドマンサックスに入るとか、それこそBCGに入るとか。
いろいろなやり方がある中で、
彼らは武器として人文地というものを持ったっていう話であり、
それは別に抵抗はしてないこの流れの中で。
だから小峰さんが法とか人権みたいなものっていうのが
ないがしろなんじゃないのかっていうのはまさにそのところで、
彼らが令和人文主義のことを正社員様の哲学って言ってるのはまさにそこで、
あなたが現行ゲームで勝つっていうのはそうなんだが、
別にいいんだけどっていう。
でもそれをやり続ける限り社会としてはクラッシュしますよっていう話だと思うんですよね。
それってあなたが今そのゲームをやっている競争的なインフラっていうのを
あなたの武器っていうのは壊し得るからですっていう話だなと思っていて、
さっきのマネーの循環とか人材の循環みたいなものっていうのが
うまくいくのかそれとも左翼主的になるのかに分岐があるって言ったのも
まさに僕そうかなと思うんですけど、
抵抗してないから抵抗の言葉を喋ってないと思う。
コンプレックスの影響
おもろいね。だからやっぱ絶対収束しないテーマだよね。
もう一個いい。もう一個僕が感じたこの特徴。
コンプレックスがある人かない人かっていう分け方で、
今、令和人文主義で挙げられた人たちって、
自分が活動している動機の根幹にコンプレックスの成分を非常に少なく感じた。
一方、かつてパワフルだった言論で強かった人とかって、
何かしらのコンプレックスとか反動みたいな明確なレベルを発生させる動機があるように、
すっごく雑に分けると感じる。
だから令和人文主義と括られている人って、
コンプレックス由来のモチベーションじゃないから、
すごくピュアに義務をみんなにしているように見えるっていう、
この分け方だとどう感じる?
これはフェアじゃないんですけど。
めっちゃ面白い。
これはフェアじゃないんですけど。
変なアーキネイターみたいになってる。
これとこれはどうなの?
僕は今の人たちは、全員じゃないですけど、
多少その話が起きることもあるし、
前の世代の人たちは本当に個人的な繋がりは全くないので、
分かんないんだけど、
前の世代の人たちのことは分かりません。
今の世代の人たちはそれもそれぞれでしょう。
なんだよこれ。
誰も答えを持ってないのに、俺が無理やり聞いてるっていうね。
シーズン1の頃のような魔法だよね、これ。
でも感覚は分かる?
分かります、もちろん。
つかささんとかにも感じるんだよね、それ。
本当かは知らんけど、
ここでしかないんですけど、今村さんが言った通り。
でもこっちが想像することに対しては、めっちゃ分かります。
僕もサンプルは少ないですけど、
須田さんは聞いてる限り、いろいろあんだろうなって。
須田さんとこの話してるんですけど、
なんかピュアじゃないなって。
そうそう、前のシーズンで語ってたテーマにもすごく近いんだけど、
表だった表面は全く違う形をしてるんだけど、
それを発動させてるエンジンの大元にあるものが、
なんかコンプレックスとかトラウマ由来の人っていう印象が、
レベラーな話をした時も知ってたんだけども、
その点でラジコとか見てても思うんだけど、
根幹のところのそういうコンプレックスがないんだけど、
社会みたいなものが好きで語ってるみたいに見えるから、
そこが並列感だったりとか、
抵抗の形が違うようにおりはずるっていうか、
だからラジコまで持ち込んどいて言っちゃってるんだけど、
なんかポッドキャストに今フィットしてる、
そのアラサー世代の人たちの、
なんかその動機みたいな部分っていうのに、
コンプレックスの匂いはあんま感じないっていうのって、
結構特徴だなって思うんだけど、
でも室澤さんに触れたそれはどっちも分からないね。
そりゃそうだよね。
どっちも分からないというか、
コンプレックスがなくて、
ただギブしているということに対する強力な反論を僕は持っているけれども、
それはプライベートなことなので僕は言えない。
分かりました。
ちょっと砕いてくれた。
今、僕が挙げたわけじゃないんだけど、
いくつか並んでいる中の人には、
明らかにそれは当てはまらないとも知っているし、
世代的にもちょっとずれてたりする部分もあるんだけど、
僕がポッドキャスト的な意味で、
そのアラサー言論と思って、
例は人文主義とフィットしているような人たち、
例えば僕の近くだと、
今一緒にやってるサイキポインティーとかも挙げられたりするんだけど、
なんか明らかに、
コンプレックス由来の動機がほぼないんだけども、
すごく人に対して、
やってること自体は啓蒙的なことをやってるんだけど、
それが啓蒙的な意図を感じないみたいな。
そこの面白さは全部というか、
僕が名前を明確にはしないけれども、
僕がイメージしている例は人文主義には、
それを感じるという感じかな。
マーケットでそのようなイメージ戦略をしているという意味で、
なんかこういう批判も結構ネットにあるから、
言ってもしょうがないことですけど、
マーケットのラベルとしての例は人文主義みたいな、
よかったよねみたいな話があり、
そのようなイメージを人々に与えたりとか、
その言葉を、
例は人文主義という単語を立ち上げることによって、
とか概念を立ち上げることによって、
そこにつながる人たちっていうのは、
そういう性質の人たちなのであるっていう話に、
ということの話にするっていうことの意味では、
ワークするんじゃないですかっていう気持ちは。
しかもこれを活かして商売、
誰もできそうじゃないのがいいよね。
例えばある出版社が、
例は人文主義フェアとか言って、
関連の人たちの書籍になるので、
売るみたいな。
やって欲しいわ。
めっちゃおもろいじゃん。
それワークするのかな。
令和人文主義の影響
めっちゃおもろいね。
燃えそうだよねそれきっとね。
もうちょいじゃないかな。
しかも本人がアグリーしなそうな気がするよね。
そっちがアグリーすればいけんじゃないですか。
めっちゃ売れそう。
これこの2週間の分かんないですよ。
ノートとかツイッターとかのSNSの小さいところでは、
こういう展開になったからあれだけど、
例えば2年後、似たような概念で、
それがやられてないかっていうとまた違うだろうなと思っており、
今ここで値前が上がった人たちが、
多少その世代の入れ替わりがあったとして、
2年後にそういう括りで書籍フェアやったら売れるっていうのは、
売れるでしょうねって僕は思うんですけど。
もっとスマートなハッシュタグに変わってね。
同じハッシュタグで。
もう少しうまいことやるっていう。
多分今回こうなると思わなくて、
言葉が出ちゃったっていうのがあると思うので。
確かにね。
広告代理店の一人でもなく誰でもない、
編集者でもない谷川よしひろさんっていうプレイヤーが、
発明してしまった名キャッチコピーっていうところの、
強さもあり弱さもあるっていう。
弱さの部分が持続可能性とか、
マーケットを爆発させる戦略じゃなかった。
これがもし広告代理店が同じようなキャッチフレーズを作るとしたら、
そこまで含めたキャンペーンを張るだろう。
張るし、もっと対立構造作ると。
そうだよね、煽るよね。
そうなると世代間の違いみたいな雰囲気も出せ、
私たちは若い世代なのだからという支持者も集まるだろうし、
古い世代より若い世代を応援するだろうから、
っていう支持者も集まるっていうことも多分できただろうけど、
おっしゃる通りで多分それを何も考えずにというか、
当たり前なんだけど別にプロデューサーとか、
ムーブメントを作り出す人じゃないから普通なんだと思うんですけど、
ある意味素朴に、ある意味めちゃくちゃ芯をついてしまった言葉遣いをしちゃったがために、
いわくこうなってるけど、それがマネタイザーできないかっていうと、
同じコンセプトでマネタイザー全然できるだろうと思ったのかも。
応用可能かもね。
いやーでも今日の話ね、さすが絶対落ちがつかないテーマだったけど、
なんかね、司さんの、
俺、世代的には当事者だと思ってるから。
僕が?
そうそう。令和人文主義って言われる人たちとすごく一番近い世代だから。
面白かった。まさかの。
なんか空気感の話のところは俺が断定してた言い方のところの、
なんか共感できるポイントはいくつかあった感じに聞こえたんだけど。
全然、今日かなり共感できて。
珍しいね。
俺と司さんが認知共感してて、
室さんがそこに対してカウンター当てる日だったのかもね。
カウンターというよりかは普通に、まともなことを言ってるっていう。
知らんしみたいなことを。
しかもさ、近すぎるっていうかさ。
テイクホルダーに関係する。
利害関係の中に。
利害関係すぎる。
そうだ。
僕、別に普通に訴えられる可能性がある。
言うなって。
今日言ったことの中でも別にあると思う。
あるよね。
この中で一番年上俺で、ここを主催してるの俺なのに、なんかあったらメチクロに言ってください。
室さんを煽ったのは僕です。
でも、ラジオとか司さんがそのようであるっていう分析自体は僕も全然アグリだし、
だから、つかささんみたいな人たちが今後、
ある種の日本のカルチャーとか言論みたいなのを引っ張っていくみたいな、その雰囲気を作り出していくとか。
雰囲気では言えることもあるし、
担うことはあります。
ただ、かなりリスク取ってる方なんで。
そういった意味では僕はむしろあれを読んで、気をつけなきゃって思いました。
なりたくねーってなりました。
くくられる。
全然、本当に地を提供できてなさすぎるんで、そもそも論は全然違うんですけど。
でもね、サブカルジャンとかカルチャージャンでも同じような誘導しようとする動きはあるかもしれないもんね。
くくられてしまうコアとか。
まさにちょっと似たようなものを考えてて、
なんかどう変わるんだろうかなと思って、変わるその次とかは分かんないですけど、
なんか派生として、カルチャー系でこういうやつ出てくるんだろうなーみたいな。
今の名前挙げられてる人って、一部はちょっと寝てるけど、
なんかポパイとかブルータスで人気者みたいな人はいないじゃないですか。
カルチャー系でその人がカルチャーを話すのか、音楽を話すのか映画を話すのか、
普通にもっと典型的な似たようなテーマを話すかは知らんけど、
なんかそういうやつ出てきそう。
だってさ、今すでにタイタンを。
そう、だからタイタンがその枠。
タイタンを筆頭にする令和人文主義的な括りっていうのは、いかようにでも作れるわけじゃない?
世代間の違い
キャッチコピーを作る天才がいたら。
だからそこの時にはラジゴだってさ、何か。
いやもっと地を極めなきゃ。
僕もですけど、僕以上にバルニー・リーコ地にそんな興味ないんで。
地ですらない可能性ありますよね。
だからこの10年は地だったかもしれないけど、次の10年は地であるかどうかわからない。
だからさっき言ったさ、今さ、令和人文主義ですら地とかの話をしてるというよりは、
この空気の話とかこの雰囲気の話をしてると俺は捉えてるのでいいんだな。
それがカルチャーにスピンオフしたら何かありそうだしとか、何か道義でもなりそうだから。
じゃあ次。
多分今令和人文主義と言われた人たちが自分たちからそこを名乗らなかったような部分もしっかりなんだけど、
できるだけプレイヤーはそういう食らい方をしたくないって言って、
おそらくこう絶妙にサーフするんだろうなと。
令和人文主義は本当に宮城寛夫さんとか本当に気の毒だなと思う。
本当に気の毒別に何にも悪いこと言ってないのに、
言葉がポッと出ただけであんなに批判されて。
本当にかわいそうだなって僕は思うので。
だからやっぱり令和人文主義という言葉が出た時に、
何て言うのかな。
でもかなりポジティブなことを言ったよ。
最終的にはね。
やっぱり四証言あると思うんです。
令和人文主義として括られた人たちのリアリティの中での
ライトサイド、ダークサイドっていうのがあると思うし、
この令和人文主義という言葉が標本することによって
描き出す未来のライトサイド、ダークサイドがあると思うんですよ。
この四証言があんまり一致しない、
この全部を含んだ言葉として令和人文主義が語られるので、
あんまりうまくいかないと思うんですよね。
三宅さんは今回受けはめっちゃかわいそうだけど、
彼女の書いたものの正当性とか正しさみたいなものの中で
批判されるのはしゃーないことだと思うんですよね。
それは起きるでしょうっていう話だけど、
今なんか別によくわからない概念で
当てこそられる必然性は別にないわけね。
その意味ですごくかわいそうだなって思ってるっていうこと。
だから今、めちくろさんが話した、
ラジオとかバルニーさんの話でされたことで
僕は受け取ったのは、
令和人文主義という言葉が指し示したかったことのうち、
未来におけるライトサイドの話としては
めっちゃ僕はアグリーなんですよ。
そうですねっていう話なんだけど、
この言葉があるリアリティのダークサイドも
おそらくあるだろうな。
そうだろうね。
これを一緒くたに語るべきではないという話かなと思っていて、
未来のライトサイドの話をしたいがために、
現状のダークサイドみたいなのに
目をつぶったり、
それがなかったことにしてもしょうがないっていう言葉かなと。
念のために、現在のダークサイドは
今日話した一部ですか?
前半のこととか。
文化の未来の展望
前半。
話せないこともあるけど、
前半に僕が言いたかった、
学知というものと、
ただの知みたいなものっていうのを分離して
上手いこと使ったみたいなのとかは、
どっちかというと僕はダークサイドだなと思っている。
風貌もあるから、
1時間半こんなに喋っていたら、
令和事務主義者の開けちゃダメなドアの鍵を
すべて持っている人の前に出てきた。
まあまあこれは喋れないことですけど。
すべて持っている。
だからどこにも入れない。
何にも持ってない。
何にも持ってないし、
あそこにリストアップされた人は
それぞれ素晴らしい業績を持っている。
怖いよ。
それが怖いよ。
本当、これ聞く人気をつけてください。
僕何にもやってないから。
めちゃくちゃ握られてる人なのか、
強い人なのかよく分からない。
何にも握ってない。
少なくとも今日この場では何の作為もないからね。
もちろん。
ナイステーマ、ナイステーマ。
ダメな人間なんで僕の言ってることなんか
真に受けちゃダメですよって話ですよ。
最後に聞きたいのが、
令和事務主義者になりたいですか?
あのね、これ聞かれると思ったんですよ。
聞かれると思ったんですけど。
ごめん、その前に
あるそこまで有名じゃないポッドキャストで
これから令和事務主義者になりたいですっていう
タイトルの回あったら
めっちゃ聞きたいなって思って
あれ?みたいな。できるじゃんみたいな。
僕は
僕の生存戦略だけを考えたことで
まず答えると
令和人文主義者と周りに扱われつつ
それを否定し続ける人だと思うんですよ。
答えましたね、枠。
今一番いいポジションだなって思うんだけれども
ただ、それを僕が
やりたいかやりたくないかという問題とは別に
やって良いか悪いかという話があり
僕はさっきの学徒の話を言うと
先生がいるので
先生の顔を思い浮かべると
あーきついんだ。
あーっていう
そうだよね。
っていうのは
ごめんなさいっていう感じになるなみたいなのがあり
それをやっぱするのであれば
どちらかというと今現状と一緒ですよね
チーム名誉も何の業績もない
何一つやっていない
ただの泥棒の人である方が
まだマシだけど
それは生存の問題が出てくるので
今も食うや食わずなんで
やった方が食えるのは食えるから
やった方がいいよなっていう
生存の欲求と
良いのかなっていう欲求に引き裂かれてます。
じゃあ今回のアポカリのエピソードタイトルさ
令和人文主義者になりたいにする
え、あのめっちゃ
みんな聞くでしょ
いいタイトルだと思う
全然いいと思う
おもろい
でもさこういう話
音楽で言ってもさ
ジャンルにくくられることって
アーティストは避けたがるじゃない
でも今EDMと呼ばれて
EDMの棚に乗せられる効果たるや
っていう時期もあったりした場合は
嫌だけど上げられるっていう
魔力はあるよね
あります
つかささんはどうなんですか
僕は一番ファって答えられるのが
令和人文主義と文化ムーブメント
深く考えないと
なりたいけどなれねえって思います
だからさっき言った
タイタンをヒットにする
カルチャーにおける
このアラサーのポッドキャストムーブメントに
何らかのハッシュタグをついて
その令和人文主義的な
ちょっと論争起きそうな
くくられ方した場合って
された場合でしょ
そこの中に最初バンって上げられた
そのステイトメントの中に
言う登場人物に上げられた
されたっていうのは
令和人文主義者みたいな
令和人文主義って
人文の中の今のムーブメントを
表すハッシュタグだけど
今のカルチャームーブメントを
表すハッシュタグで
ぜひされ
てかやっぱり
批評されればされるほど
嬉しいことですよ
って僕の意見ですけど
なので
ぜひくくられたい
いい答えだな
ぜひくくられたい
でもなんか今回ほらくくられた人の中で
はい私令和人文主義者です
って言ってる人いないじゃないですか
みんな
谷川さんも
私も自称してるわけじゃないですし
みたいなことをおっしゃってて
そりゃそうだよねって思って
やっぱ正解のムーブなんだろうな
と思いつつ僕はほら
クロニクルの野村孝文さんが
令和人文主義いろいろ
言われてるみたいですけど
私はすごいポジティブですって書かれてて
いい人だな
それは面白い
野村さんのそういうとこ
好きだなって思って
すごく物事をポジティブにとられて
上手いこと
みんながいいように
みんなっていうのは
世界全体を含めていいようにやっていきたい
っていう彼の気持ちは非常に
いい人だなって思ったけど
まぁちょっと
もてやかが過ぎすぎた概念ですよね
そうだね
でも今回のは
ポッドキャストでのアンサーっていうのはすごくいいと思う
アンサーというか勝手なあれだよね
勝手な観戦機
なんか野球を見てる感じ
野球
あの
流れて
一番反響きそうです
僕界隈かなり遠いんで
何も来ない気がする
ちょっと訴状が来たら言いますね
聞きたい
誰の足を引っ張りたいわけでも
誰を腐らしたいわけでも
僕はないんです
全然最初の
テーマに挙げてくれた意図の中に
俺はそれを一切感じなかったので
流石に俺もさ
やるやらないわ
だからいいなと思ったよ
素直な
野村さんになりたい
すごくいいな
ポジティブだなと思う
本当
ただのわけわからんおっちゃんの
言葉だと思っていただけた
聞かなくても
オリジナルに思いました
ありがとう
ご視聴ありがとうございました
54:38

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