松田しごトークの開始
マツダしごトーク
さあ、毎月第4火曜日のこの時間にお届けするマツダしごトーク。このコーナーでは、マツダで働くプロフェッショナルにお仕事の内容ややりがい、働くことの魅力をお聞きしております。
クジラたちのね、将来の選択肢が広がるきっかけになればいいなと思っておりますよ。僕もね、中学校、高校によく講演会など行ってね、お話しするんですけどね。
はい、マツダしごトーク聞いてるよとかね。はい、マツダで働けたらいいなって子たちも多いですからね。
てことで、今月ご登場いただくのはこの方でございます。自己紹介をお願いいたします。
はい、みなさんこんばんは。マツダ株式会社総務部ミュージアムチームの横井です。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。もうスタジオの外ではね、拍手、いっぱいな感じがありますけど、スタジオの外の方は横井さんどなた方なんですか?
そうですね、ファンクラブの方です。
ユーモアある?
決してチームのメンバーじゃないんですけど。
さすがチームの枠を超えて、やっぱ一丸となって。
伝えたいって。
そうですか。もうね、椅子があるにも関わらず立ってスタンディングで見てくださっておりますからね。
ありがとうございます。
今日は会社内でとか、あとはご家族とかご友人とかにクジラ地ラジオ松田仕事を送ってますよってことは言ってきてくださったんですか?
僕はあまり言ってなかったんですけど、このファンの人たちがすごくいろんなところで。ちょっと恥ずかしいですけど。
聞いてくださってる方が多いってことですね。
ありがとうございます。
大人の方も10代たちも気になるところがありましたらぜひメッセージを送ってほしいなと思います。
ラジオ出演っていうのはどうでしょうか?
もちろん初めてです。緊張してますよ。
でも大久保さんにお会いできるってことで本当に楽しみにしてたんですけど。
松田ミュージアムの魅力
僕、大久保さんはもちろん名前は存じ上げてたんですけども、やっぱりいろいろ知らないことが多いなと思ったので事前にネットで調べたんですよ。
ありがとうございます。
そしたらすごい共通点があったんです。
イケメン以外見当たらないんですけど。
そこはありますけどね。僕もね。4月14日。
誕生日なんですか?
そうです。すごくないですかこれ。
遅れましたけどおめでとうございます。1979年。
僕は68ですよね。相当古いんですけど。4月14日なんですよ。ちょっとびっくりしちゃって嬉しくなっちゃって。
あれですよね。久保鈴香さんと同じ誕生日ですもんね。
そのところです。僕は桜田潤子とかね。ちょっと古いあれですけども。
いやいやいや。通り手もうまく合うわけですよ。
本当そうなんですよ。
嬉しい。
お羊座同士ね。
来年じゃあ誕生日会一緒にやりましょうか。
はい。やりましょう。ミュージアムで。
はい。ミュージアムでやりましょう。
松田ミュージアムで誕生日会ですか。
今日はいろんな話ができそうですけど。
じゃあ早速なんですけど横井さんが今松田ではどんな仕事をされてるか教えていただいてもよろしいでしょうか。
はい。広島本社にある松田ミュージアム。それから本社ショールームの運営。
あとですね。広島駅新幹線口に車置いてるんですけども。
はいはい。見てますよ。
あのコーヒーショップの前にあるでしょ。
そうなんです。
見てますよ。
あと山口うべ空港にも展示してましてそういったところの企画なども担当してます。
あのクジラたちも気になってると思うんですけど4月にリニューアルされた松田ミュージアム僕も行ってきたんですけど。
ありがとうございます。
これは創業からの歴史や名車の展示でしょ。
あと先月このコーナーでも紹介した塗装工程やあと実際に工場の一部を見ることができて。
なんでしょうか。僕だけじゃなくて参加した方全員がうおーっつって。
ありがとうございます。
テンション上がってて。
このミュージアムってそもそもなんですけどいつぐらいにどんなきっかけで横井さんできたんですか。
もう50年以上前になります。
1974年に工場見学の最後に松田社をもっと知ってもらおうっていう目的でこの展示スペースっていうものが設けられたというのがきっかけですね。
50年ほど前。歴史があるんですね。
どうりて松田の歴史、広島ですから原爆を経て何があっても立ち上がってきた松田の姿に僕は広島で松田があってよかったなって深く思いましたし。
あとは四角にパッ飛び込んでくる松田の昔の車オートサンリンとかですかね。
あと松田787B、ルマを走った車とエンジン音が特に聞いたりするじゃないですか。
大興奮でしたね。
サーキットで撮ったんです音。
やっぱそうっすか。ボタン押したい方って言われた時行きたかったですけど、お子さんが押すっていう。
車1台ができるまでに愛と情熱と技術と挑戦を感じて、物作りとは使う人を思っていることなんだなってすごく感じました。
あのメッセージも書いてある。今回そういうメッセージを追加したんです。
見つけちゃいました。
嬉しいですね。
絶対言ってなかったら言ってほしいなと思いますけれどもね。
僕が行った時に説明してくださる方がとても上手で素敵だなって印象に残ってるんですけれども、横井さんが説明されることっていうのはあるんですか。
僕もたまになんですけども、自動車ジャーナリストはじめ業界関係者の方が来られた時ですね。
より詳しい説明してくれというような時にはちょっとお手伝いをすることもあります。
その時に行きたい。
あとミュージアムは通常は月曜日から金曜日、平日の営業なんですけれども、僕が来た3年前からですね、月に1回土曜日も特別に開けてまして、その時はエンジニアの方々がいっぱい来てですね。
僕なんかも比べるようにならないぐらい、もう本当に専門的な話をしっかりしてくれるんです。
そうなんですね。車が大好きだっていうクジラ達、中高校生もご家族でも探してほしいですよね。
僕が行った時も小学生のみんながたくさん見学してて、あれは社会科見学なんですか?
はい、そうです。広島県内の小学生が自動車産業を学ぶ場としてたくさん来てくれています。
もちろん個人でも予約できますので、気になる方はぜひミュージアムのホームページをご覧いただきたいと思います。
もう見ちゃったら行きたくなりますけどね。
ちなみにミュージアム以外に松田に気軽に触れられる施設っていうのはあったりしますか?
ありますよ。東京青山にはカフェ閉鎖の松田トランス青山。
大阪にはブランド発信拠点のブランドスペース大阪っていうのがありますので、万博に行った時に一緒に見ていただければと。
横井さんの夢と情熱
東京大阪も出張とか行くときあるんで、ちょっと行ってみたいなと思いました。
あとお隣の山口県の豊富工場でも工場見学やってますので、ぜひともホームページでご確認ください。
もう一回松田ミュージアムに行きたくなりますね。
ぜひ何度でも。
見てくださいマスキングテープとかペンとか、クジラディレクターの竹下が興奮していっぱい買いました。
ありがとうございます。
かっこいいグッズなどもいっぱい売ってますもんね。
毎月のように2つ3つぐらい新商品が出てます。
そうですよね。ちょっと興味津々で松田ミュージアムの話ばっかり聞きましたけど、横井さんの話も聞いていいですか。
お願いします。
横井さんはもともと車が好きで松田に入社されたんですか。
はい、そうなんです。
私は愛知県出身なんですけれども、小学校低学年の頃から車に夢中でした。
実家が町工場で、父親が車バイク大好きだったんですね。
その影響で休みの日は、まず父親とですね、午前中はディーラーさんに行っていろんな車を見て、
午後からオートバイとか車をですね、レストア分解したり磨いたりっていうのをもう中学生の頃からやってました。
で、小学校4年で将来僕は自動車会社で働くって決めまして、そして中学2年の時松田に入りたいというふうに本気で思うようになりました。
待ってください、待ってください。中学2年生で松田にでも決めてたってことなんですよ。
そうなんです。
それきっかけってのは何だったんですか。
それがですね、ちょっとリスナーの方々にはちょっと見れないんですけど、僕本持ってきちゃってですよ。
え、当時?
そうなんです。当時の車の雑誌なんですけれども、これずっと僕が定期購読をしてまして、この雑誌のですね、松田の広告、これ広告なんですよ。
字ばっかりなんですけど、ここにルマンへの挑戦っていうことがずっと書かれてたんですね。
やっぱりルマンっていうのは24時間耐久レース、世界最高峰のレースなので、なかなか完走することさえできないんですね。
でも諦めずに毎年毎年ですね、挑戦するっていう記事が書かれていて、で、僕が中学2年の1982年の時ですね、初めて感想を引いたんですね。
もうそれ読んだらもう体中に鳥肌がもう走ってですね、もうこれはもう広島に行きたいっていうふうに思いまして、もう本当に忘れもしないんですけども、兄の誕生日の日ですね。
兄さんの誕生日。
そうなんです。お祝いで近所のレストランに行った時に、家族の前で、父さん悪いんだけど、僕は工場跡を継ぎませんと。将来広島に行って、松田に行って、で、ルマンに挑戦したいって言って。
兄も別の夢があったもんですから、もう本当に誰も継がないっていう状態だったんですけど。
お父さんしょぼりしなかったですか。
いやいやそれがですね、もう全く逆に、やっぱり車が好きだったので、すごく喜んでくれてですね、応援するって言ってくれたので、その決意を固めた10年後ですね、92年に松田に入社をしたというわけです。
夢のきっかけの今日一冊が、スタジオに、確かにいい意味でレトロというか、ずっととらってたんですね。
マツダでの経験
うわぁいいですね。素敵なお話ですね。夢を叶えたということで、実際に広島で松田のお仕事を始められて、横井さんいかがでしたか。
はい、10年憧れた松田でですね、その間に僕の中では松田っていうのは、広島の誇り、広島県民の皆さんにとっては誇りみたいに、カーブみたいな存在なんだろうなっていうふうに思ってたんですね。
ところが実際にちょっと広島に行ってみると、やっぱり地元ならではのいろんな事情もありまして、ちょっとそこまでになってないなっていうところもあって、ちょっとがっかりしたっていうようなギャップに悩んだ時もありましたね。
僕はずっとロードスター乗りたいと思ってますけどね。
ありがとうございます。仕事の面では配属されたのがボディ開発部でして、そこで24年間、車の車体とかですね、あと10年ばかりエンジンルームのレイアウトっていうのをやっていました。
そこで多くの仲間たちと車作りに励んで、松田の魅力っていうものを本当に肌で感じていきましたね。
中学生からやりたいと思った仕事だったんで、毎日会社に行くのがワクワクして仕方なかったんじゃないですか。
そうですね。本当に難しい仕事なので、本当に悩むことは多かったんですけど、やっぱり難しいレイアウトとかですね、そういったところになると逆に燃え上がって頑張ったっていうのはありましたね。
ファンの方とか関係者の方に話を色々聞いたんですけど、松田が好きすぎて自分の愛車を松田のイベントに展示したこともあるって、これは横井さんということなんですか。
10年前なんですけども、2015年三好試験場の三好に松田の試験場っていうのがあるんですね。
この50周年イベントっていうのがあったんで、当時乗ってた愛車の古い松田車、これで参加しました。
その時ですね、全国から私松田が大好きなんですっていう人がめちゃくちゃいたんですよ。
そのさっき言いました92年に広島に行って、ちょっとがっかりしてた部分が、そこで本当に全国北海道から沖縄まで松田大好きっていう人たちに触れ合ってですね、もう本当に嬉しくて、
もうその時やっとですね、20数年経って、やっぱり僕松田に行ってよかったなっていう風に本当に心の底から思えた瞬間でした。
素敵、多分ラジオを聞いてくださっている方の中にも松田のファンだよって方いっぱいいらっしゃると思いますよ。
ありがたいですね、はい。
そうですね、それからですね、今後の会社人生、松田のファンを一人でも増やしたいなと。
また僕のようにですね、同じように将来松田に入社して仕事したいっていう風に思えるような子どもたちを一人でも増やしたいっていう風に思ってですね、
このちょっとボディー開発部を出て、今の仕事に至ったということになります。
夢の追求
だから入社しても、いろんな部署でも働けるっていうところが、松田って本当部署が多いですから。
そうなんです、うちの会社そうなんですよ。
魅力的なところでもありますよね。
じゃあもう興味津々のクジラーたちもラジオの前にたくさんいると思うんで、最後に松田という会社の魅力を横井さん一言で表すとしたら何でしょうか。
本気で車を愛する人たちが集まって、本気でものづくりに向き合っている会社です。
熱い、ちょっと詳しく聞かせてください。
松田にはもうそこまでやるっていう風に思うくらい、車にこだわる人がすごく多いんです。
普通だったら周りの人やですね、あるいは上司、上役の人がですね、止めるようなことでも、いやいやそうじゃなくて一緒に巻き込んでですね、一緒にもっといいものにしようっていう風にやり遂げてしまうんですね。
それが僕たちの車づくりの原動力じゃないかなという風に思っています。
この間松田ミュージアムに行っても思いましたけど、やっぱり挑戦ですよね。どんな時でも挑戦し続ける。
で、乗る人たちの気持ちを考えるってところが、松田って素晴らしいなって僕は思いましたよね。
やつい話。え、ちょっとスタジオの外の皆さんいかがでしたか?横井さんのトークは。
手振ってアクトマーク。
では最後にラジオを聞いている中高生、そして大人の松田ファンの方にもメッセージをお願いいたします。
はい。有言実行って言葉がありますよね。僕がそうだったように、やりたいことや夢が見えたらぜひ声に出して周りに行ってみてください。
そうすることで自分自身もますます本気になりますし、きっと周りに応援してくれる人が現れるんじゃないかなという風に思っています。
素敵なメッセージです。じゃあラジオにクジラ地に出たいってずっと横井さん言ってくださってたってことですか?
その通りです。
25年。
25年、有言実行ですね。
そうです。
もうノリもいいし言うものもあって、本当松田の方素敵。
じゃあ最後にリクエスト曲をお願いします。どなたの何という曲でしょうか。
ハイローズの青春です。
どうしてこの曲を選ばれたんでしょうか。
僕自分のですね、この曲精神的な若さのバロメーターという風に思っていて、これ最初に聴いたのはもう25年前の曲なので、僕自身も30歳過ぎてたんですけども、なぜか胸がキュンとしてですね。
僕ずっと小学校中学校水泳部だったんですけど、プールの演奏の匂いというか、それがグーッと蘇ってきて、今になってもこの57歳の今でもこの曲を聴くと胸がキュンと元気が湧いてくるんですね。
僕の中でこの曲聴いても何も感じなくなったらもう身を引くタイミングかなという風に思っていて、まだ今でもキュンとするんで、まだなんとか大丈夫かなと。
もう多分あと10年20年キュンとされると思うんだけどね。
素敵です。本当、10代にも大人にも響く言葉の数々、今日は心からありがとうございました。
松田仕事区今夜は松田ミュージアムを統括する横井さんをお迎えしました。横井さん心からありがとうございました。
ありがとうございました。
では最後に曲紹介をお願いいたします。
それでは聴いてください。
ハイローズで青春。