オッタントットの参考書
ということでですね、本編の方を聞いていただいたんですが、訂正がいくつかあります。あと補足ですね。
ということで、ちょっとその辺説明しておきたいなと思うんですけど、まずですね、あの銘の浜、これはあの、
甘さんの辞任さんがですね、のルーツの話で、あの銘の浜群の、
あ、違うや。
沢良群銘の浜の寺の出身ということを言ってですね、現代では、
沢良区、福岡市沢良区の銘の浜というところがありますということを言ったと思うんですけども、すみません銘の浜はですね、今福岡市西区ですね、福岡市西区の銘の浜ということですね。
この銘の浜安徳寺というところの所在は不詳で、現在の銘の浜地区にはないということですね。
博多とか糸島あたりの信言宗の、古い知識を持った方に、一応そのお尋ねはしたものの、誰も知らなかったということですね。
その辺の真偽の方は、今のにわからないということでございます。
あとですね、四国から南蔵院が笹栗に移転してきた後ですね、
当時20代だった林住職が不況活動をする上でですね、映画を使用してみたりとか、
あとは僕陽灯という言葉を使ったと思うんですが、陽灯ではありません。
幻灯ですね。幻灯。幻の明かり。
火を灯すとかいう時の灯台の灯とかね。
あの飛遍に、蝶かなあれは。
その幻の光ということで、その幻灯ですね。
これが今で言うというか、小学校の時に僕ら世代の人はだいたい知っていると思うんですけど、
プリントを何らかの機械、あれプロジェクターって言ってなかったっけな。
なんて言ってたかちょっと覚えてないんですけども、プリントをその機械の上に乗せて、
光を反射させて、黒板のところに下ろしてきたフィルムみたいなのに映し出すみたいなね。
大きく映し出すみたいな機械があったんですけど、あんな感じのやつです。
プロジェクターみたいなやつのことですね。幻灯。
こういうのを使って布教していきたいよっていうことですね。
あと88箇所の参拝の時に、一番最初に回る札書のことを打ち始めと言って、
一番最後に参拝する札書のことを打ち納めと言ったりするんですけども、
そもそも打ち始めとか打ち納めとか打つってなんだっていう話なんですが、
ここちょっと補足しておこうかなと思ったのでちょっと説明しておきますね。
この参拝する時にですね、それぞれの札書で納め札というものを
最善箱の横に大体ある納め札箱っていう箱があるんですけど、
選挙の時みたいな箱があるんですよね。
そこに自分がする祈願、願い事と住所、氏名みたいなのを書いた紙、
昔だったら札ですね、木札。これを納め札箱っていうのに入れていくんですね。
ここに参拝しましたとこういうお願い事をしましたよっていう証拠みたいなことですよね。
今は紙に書いてその箱に入れるんですけど、
昔は参拝の証として小さな木札、木でできた札をお堂に打ち付けていたらしいんですよね。
その名残として、札書っていうのもそうですね、札を打ち付けるっていう意味で札書とか、
あとは札を打つっていう意味で参拝することを打つという、こういう語源になりましたよということですね。
この辺をちょっと補足しておこうかなと思って一旦入れております。
まだ何か言い足りてないことがいっぱいあるなとは思うんですけども、
もう本当にキリがないので、あとは皆さんがご自身で悟り町に足を運んで
いろいろ勉強してもらったらいいのかなというふうに思っております。
ということで、これからが本当のクロージングです。どうぞ!
ということで、今日もクロージングのお時間です。
ボリュームかなりありましたけども、今回改めて88カ所以上のことをいろいろ調べてみたんですよ。
各不打症はそれぞれ守っている方、管理されている方がいらっしゃるんですよね。
そういった方々って普通に近くの住人の方だったりするんですよ。
全てがお寺関係の人とかではなくて、
地域住民によって守られているという面がすごく強くてですね。
主に守っている方のお名前とかも全部本に書いてあるんですけども、
知っている人が多いというか、直接知っている方もいらっしゃいますし、
知っている人のお父さんとか、知っている子のおじいちゃんとか、
そういう方とかもすごく多くてですね。
本当に身近な人がこういった歴史を守っているんだなということを改めて知りましたよね。
歴史を見てみると、地元だけで守ってきたわけでもなくて、
信仰心の厚い博多とか市内の人とかによっても支えられてきてるんだなということが分かりましたね。
いろんな物資、仏様を掘る人、作る人。
物資に作ってって依頼した人も結構市内の人とかが多くて、
いろんなものを寄贈したりとかもしていて、
大切にされてきたんだなというのはすごく分かりましたね。
やっぱり初期の方の協力者の人たち、藤木統吉王に協力してきた人たちとか、
そういった方たちがもともと地主だったりとかある程度力がある人たちだったのかもしれないですけども、
その方たちの子孫みたいな人たちがご利益を得ているという言い方もおかしいかもしれないですけども、
やっぱり宿をやったりとかね、商売したりとかして恩恵をすごく受けているというか、
発展してきた家計の人たちになっているなということを思うとね、
なんか感慨深いなというふうにも思いますし、
いろんな人の話が出てきてはいましたが、
あの人のお父さんなんだなとか、あの人のおじいさんなんだなとかね、
そういったことがすごく分かって、なんか良かったですね。
で、その何だろう、不打症を守っているというのが、
近隣の人たちが当番制で守っているみたいなところもあるらしくて、
要はなんか順番でその1週間ごと掃除しようねとかね、
管理しようねみたいな感じでやってたりとか、
でも毎朝やっぱり鍵を開けて、夕方には鍵閉めてみたいなことを
もう毎日のようにやってるってなると思うね。
いやすごいことだなと思って、本当になんかね、
頭下がりますよね。
なんてことを考えて、やっぱりなんか前から88箇所これ大事だなとは思ってたんですよ。
僕はやっぱり信仰心が強いわけじゃないんですよ、実は。
すごく工房大使を信仰しているとかそういうことではないんですけども、
やっぱり商売している身として、街に人が来るっていうことはすごく大事なことなので、
88箇所っていうのは観光資源としてすごく大事だなっていうのはずっと思ってきてたんですよ。
やっぱその新しく建てるもの、建物とかって最初はいいけども、
やっぱり古くなると人気は衰えてくるとか、
あとは全然模倣できるんですよね。
お金さえ出せば真似できてしまうものばっかりなんですけど、
この歴史っていうのはお金をいくら積んでももう真似ができないわけなんですよね。
この88箇所も180年歴史があるんですが、
いくらお金積んでも180年の歴史っていうのは変えないわけであって、
そういう意味でもこの88箇所を大事にしないといけないなというふうには思っていたんですけども、
やっぱそれよりもですね、なんかもっと守ってきた人たちのことを考えるとですね、
人の気持ちとしてやっぱり守っていかないといけないんじゃないかなというふうに思っていたりするんですよね。
今、ふだしを守っている方たちも割ともう高齢化が進んできていて、
結構やっぱ大変だっていう人も多いんですよ。