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ベスティナ・レンテ、この放送はSWC、Slowth with CreatorsコミュニティメンバーのKaoriがお送りします。
今日は、AIを使ってブログを書くってどういうこと、というテーマでお話しします。
昨日は2つ目のノートを書いて投稿しました。使ったAIはほぼクロードです。こちらは無料版です。
チャットGPTは私、40なんですけども、もう使いませんでした。
あとは、たまにPowerPlexiで情報源とかを調べるような感じです。
PowerPlexiもこちら無料版を使っています。
ブログを書くにあたって、AIで何をしたかと言いますと、
まず、箇条書きのメモとか、頭に散らばっているキーワードというのがあるんですけども、
それを入力して、これをうまくまとめて、という無茶振りをしてみました。
あとは、ノート記事にふさわしい形式で出力してですとか、
ノートでフォロワーが多い人の記事の構成を参考に出力してとかですね。
基本的に自分で書くんですけども、途中まで自力で書くけど、
この続きが思い浮かばない時に、そういう時にこの続きを考えてと言ったりもしています。
これね、助かるのが、キーワードから文章にしてもらえるというところですかね。
私は結構散らかるので、アイディアとか言葉とかが頭の中に散らかってしまって、
自力ではうまくまとめきれないということが多々ありますので、
そういうところはAIに手伝ってもらっています。
よくAIって時短になると言いますけど、私の場合かもしれないけど、全然そんなことないですね。
それなりに時間はかかります。
とはいえ、5,6時間とかもかかりませんけどね。
1時間かかるかな。2時間かかるかもしれないですけど。
でも、もともとある程度整理されていたりとか、
自分でもちゃんと理解していたら、もっと早くできると思います。
なので、私はAI使いますけど、それなりに時間かかると。
でも、それがいいんだなというのが昨日感じました。
と言いますのも、ブログ、つまり文章を書くっていうのは、
自分と向き合う時間でもあるなと思うからなんですね。
昨日改めてそう思いました。
その時間が結構心地いいもんだなということも思いました。
AIが出力してくれた文章をペタッと貼るだけだったら、確かに早いんですけど、
結局自分は理解していなかったりもするし、
その文章が自分にフィットしていないってことも多いんですよね。
だから、それなのにそれを自分のものとして世に出すのはどうなんだと。
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それちょっと恥ずかしいっていうのもあるし、
ちょっとダサくないって思ったりもするんですよね。
自分わかってないのに、自分の記事で出すんかい。
なんじゃそりゃみたいな。
そんな風に自分でツッコミが入ったりしますね。
なので、AIには読みやすくてわかりやすい文章にしてもらおうと。
たまには自分で思いつかなかったことも教えてもらいますけど、
でもやっぱり中心にいるのは自分ですね。
自分の中から生まれた言葉を中心にして文章を展開していくと。
AIはあくまでもそのお手伝いだという、そんなスタンスでやっています。
昨日の記事で書いた内容なんですが、ざっくり言うと
シュタイナー教育の視点から見た情緒とは何か。
情緒を豊かにするためにはどうすればいいか。
と、現在制作中の絵本のあらすじ。
という大きく分けて3つのことを書きました。
こちらは概要欄にリンクを貼っておきますので、
これは記事を読んでいただくとして。
今から記事の中でも取り上げた光のパイプオルガンについて少しだけお話しします。
これは宮沢賢治の言葉になります。
天使のはしごという言い方は皆さんも聞いたことあると思います。
これはいわゆる白明光線ですね。
雲の切れ間から差し込む太陽の光のことです。
これを宮沢賢治は光のパイプオルガンと表現しました。
これを初めて知った時、なんて美しいんだろうと思って心を打たれたんですよね。
AIでもね、もしかしたら偶然こういう言葉の組み合わせで、
こういう表現を生み出せるかもしれないけど、
でもやっぱりなんか違いますよね。
ここうまく言えないんですけど、
その人の中から生まれた言葉というところに意味があるし深みを感じるなと思ってます。
ここでね、ここで一つ私の中から生まれた言葉をご紹介します。
この雲の切れ間から差し込むのは白明光線。
それを賢治は光のパイプオルガンと言いました。
じゃあ木々の隙間から差し込む光はというと、
これはいわゆる木漏れ日ですね。木漏れ日。
これを私は神さんのおててと呼んでいます。
神のてって言うとちょっとなんか行儀惜しいし、ちょっとなんかこっぱつかしいんで、
私は神さんのおててって言ってるんですけど、
この経緯としては、以前すごく立派な木漏れ日を見たことがあるんですね。
なんか細い光とかじゃなくて、割と太めのシーンというのが
数本だけ差し込んでるという光景を見たことがあって、
その時まるで森から手が出てきてるように見えたんですね。
あ、これが神の手か、みたいな。
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そんなふうに思ったことがあって、それ以来私の中で木漏れ日っていうのは
神さんのおててになりました。
それがどういう意味を持つのかって言われるとね、
そこまではまだ深く考えられてないんですけども、
とりあえず祝福を受けたような木にはなりますね。
神さんのおててもそうだし、何なら白明光線でも
単に綺麗な空とか見たりしただけでも
祝福を受けてるような感じになったりします。
何だろう、私大丈夫やわ、とか。
あ、っしゃ頑張ろう、みたいな。
そういうふうに思ったりしますね。
単なるポジティブかよって感じですけど、
夕焼けとか見て、だんだん暗くなっていく空見て、
私の人生もこれで終わりや、みたいな。
そんなふうに考えるよりいいんじゃないかなとは思ってます。
ちょっとなんか今日神々になってしまいましたけど、
今日はAIを使ってブログを書くってどういうこと?
というテーマでお話ししました。
結論としては、ブログを書くことは自分と向き合うことであり、
自分の中から生まれた言葉で展開していくことに意味がある。
AIはそのお手伝いということです。
本日も最後まで聞いていただきありがとうございます。
また明日の放送でお会いしましょう。
スロスロスロス!