1. ポッドキャストを聴くひとよ
  2. 「批評」を聴くひとよ
2025-10-04 41:40

「批評」を聴くひとよ

【 今回の内容 】

今回の検索ワードは「 批評 」。

「何もわからない、おれたちは雰囲気で批評をやっている」というひとがいっぱいひしめているインターネットで一歩進んで「 批評 」をやるためには何が必要なのか。

そんなことをポッドキャストを通して考えていきました。

よろしかったらお聞きください。

イベント予定してます。遊びにきてね!

11月29日 

ポッドキャスト過剰制作論

https://everevo.com/event/93740


【 言及したポッドキャスト 】

今回聞いたポッドキャスト全部入りプレイリスト

https://open.spotify.com/playlist/5a9ljsxPukAnn2DTUe5wFP?si=wfCUPI9BSUO_yqmvPGGO_A

Never ending 考え中

6.アート批評について

https://open.spotify.com/episode/688dKNgk3y0QgqfcyEjAKE

本の惑星

なぜいま批評なのか 三宅香帆が狙う覇権

https://open.spotify.com/episode/5CkfCAQOqFyTkn8Dn4JDh6?si=mCe3tq4-SO-HB4up1uKGnA

愚者の宮殿

【 地下16階 】ゲームの批評は誰のもの?誰のため?

https://open.spotify.com/episode/4bCX5A3DDIy8bmVlJQVqO2


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【 謝辞 】

ポッドキャストを聴くひとよ、は

番組を支援してくださるサポーターの皆様、コメントをくださるリスナーの皆様、

そして普段から番組を聞いてくださるサイレントリスナーの皆様のおかげで継続できています。

ポッドキャストを聴くひとよ、を含む番組支援:

note メンバーシップ 営農とサブカル

https://note.com/agri_sub_culture/membership/info

お仕事依頼、ゲスト依頼 その他:

mail noucolo@gmail.com

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OP曲名「Daylight」

ED曲名「Notion」作曲 RYU ITO  https://ryu110.com/

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サマリー

このエピソードでは、ポッドキャストにおける「批評」の役割や方法論が探求されています。特に、映画批評、音楽批評、美術批評といった異なる形式の批評がどのように展開されるのかに焦点が当てられています。ゲーム批評の歴史やファミ通のクロスレビューについても語られ、批評が広告に依存する側面について触れられています。また、インターネット以降の批評の進化や、アート批評における批評の権利についての議論が展開されています。批評の権利とその責任についても議論され、公益性や顧客の視点が重要であることが強調されています。最近のキャンセル文化やコンテンツに対する批判のあり方についても考察されています。最後に、批評の歴史とその役割についての考察があり、小林秀夫や東裕樹といった著名な批評家の影響について触れられています。また、現代の批評における美意識やカッコよさの重要性についても論じられています。

ポッドキャストと批評の探求
映画批評ポッドキャスト、アニメ批評ポッドキャスト、音楽批評に、芸術批評、様々な批評をやるようなポッドキャスト番組っていうふうなのはたくさんあるんですけれども、
大抵のそういうふうなことをやられているポッドキャスト番組の皆さんは、批評についてどのように考えているんだろうか。
大抵の人はこんなふうに考えていると思います。何もわからない、俺たちは雰囲気で批評をやっている。
そんなような雰囲気でやる批評を乗り越えるためにはどのようにすればいいのか。今回はそんなような感じで、批評について話をしているポッドキャストをたくさん聞いて、それについて話をしていこうと思います。
こちらのポッドキャスト番組は、「ポッドキャストを聴くひとよ。特定のワードをポッドキャストを通して考えていく番組です。」
この番組は、個々のポッドキャスト配信者にして異常ポッドキャスト聴取おじさんのジョンが、最近気になったワードを元にスポティファイで検索をかけて、
エピソードタイトルにそのワードが入っているものを有名無名問わず無差別にプレイリストにぶっ込んでいき、聞いて話したくなったことを話をしていく横断的ポッドキャストキュレーション番組となっております。
今回の検索ワードは、「批評となっております。エピソード総数43エピソード。総再生時間は2時間16分となっております。」
そもそもなんでこんなの聞いたのかというふうな感じなんですけども、私は普段やっておりますポッドキャスト番組、Aノートサブカルというふうな番組がございます。
こちらのポッドキャスト番組はですね、農系ポッドキャストではなく、番称を批評するポッドキャスト番組となっておりますんでね。
批評をやるというふうなことに関しては、ずっと長らくやってきたつもりではあったりするんです。
で、そういうふうな感じで、そもそも批評ってどうやってやるのかねっていうふうなことに関してなんですけども、全然わからない。
俺たちは本気で批評をやっているというふうなことを長らくやってるなーっていうふうなのを思っております。
今回もたくさんのポッドキャストで批評というふうなのを検索して出してきたんですけども、一部出たはいいんだけど除外しているものっていうふうなのがあるんですよ。
例えば、映画批評と書いてあって、その後にその映画の特定のタイトルがついているものに関しては、全部除外をしております。
特定の作品に対して批評を言うっていうふうな感じのものだったりするんですけども、でも大体この辺の批評とかを聞いてたりするとですね、フィルマークスとキネジュンと、あとはそういうふうなものをごったにしてもらうやつだなーとかっていうね。
ひどいものだと、町山智博さんとライムスター宇多丸さんのパッチワークだなっていうふうな内容のものとかもいっぱいあったりしますんで、そういうふうなものをあったりはするんですよ。
で、その基本的に批評とかっていうふうになった際に、このパッチワークだっていうふうなのが許せなくなるっていうふうなのは何でなのかっていうふうなこともですね、ちょっと疑問に思っている部分だったりはしてたんです。
なので、今回はですね、特に批評をするってどういうふうなことなのかというふうなことを喋っているポッドキャスト番組を中心にいろいろと話をしていこうかなと思っておりまして、プレイリストは何か特定のものを批評しているのではなくて、何かを批評するってふうなことはどういうふうなことなのかというふうなことを話していそうなポッドキャスト番組を中心にプレイリストに切れていて、
そして、そういうふうなことについて話を聞いていったりしております。で、ざっくりとプレイリストの概略の方を話をしていきますけども、今回出来上がったプレイリストをわーっと見ていて思ったことなんですけども、こと批評というふうなものに対してものを言っているのはですね、音楽批評、文芸批評、芸術批評、主にこの3系統だけだったなっていうふうに思っております。
映画とかゲームとかの批評をしている人はいっぱいいるけども、そういうふうな人たちって、それを批評することについてどういうふうな基準を持っているかっていうふうなことを話さないんだなっていうふうなところがですね、今回こういうふうに検索をしていて、いろいろと思っていて、びっくり、一番びっくりしたことだなぁと思っております。
一応、今回特に紹介はしないんですけども、有名ポッドキャスト番組のタイトルと名前が出てこないんですけども、なんかポップに何かを語る番組があったりするんですよ。
思い出した、三原悠樹と田中宗一郎のポップライフ・ザ・ポッドキャストというやつですね。これとかも基本的にポップカルチャーの批評とかをやってたりするよっていうふうなところなので、音楽とかゲームとか映画とかアニメとかそういうふうなものを中心に批評をするというふうなので、批評について言及しているというふうなところとかは結構興味深く聞いたかなぁとは思っております。
なんですけども、特に今回はそれについては扱わないなぁというふうには思っております。やっぱり、批評をするとかっていうふうなことについて、それ自体について考えるようなことっていうふうなのが、なかなか行われないんだなぁっていうふうなのがあるし。
で、あと、それについて何かを語ろうと思ったとしても、そもそも何によってそれを話しているのかっていうふうなのが、やりづらいんだろうなっていうふうな気がするんです。
っていうふうなのも、映画とゲームに関しては批評をするための言葉というか方法論というふうなのが、おそらく確立されていないんじゃないかなって私自身は考えております。
実際、映画とかに関して、特にアメリカとかそっちの方のハリウッドとかその辺の中心の方に関しては、映画の制作論的な部分で批評をするやり方とかっていうふうなのは実際出てたりします。
私も一冊、フィルマート社というふうなところから出ております、映画批評入門っていうふうな本があるんですよ。
これは、この現代的な映画をどのような目線で批評するかっていうふうなところを論じている本となっておりまして、私が持っている中でというか、たぶん知っている中で唯一、映画の批評のやり方を論じている本はこれじゃねえかなっていうふうに思っております。
この他、映画の批評とかそういうふうなものの本とかっていうのはいっぱいあるんですけども、批評のやり方について語っている本っていうふうなの、実はほとんどないなあっていうふうに感じたりするんですね。
っていうふうなのも、批評っていうふうなのって、たぶん制度として、それをやる理由があって、それを技術として研鑽しているものは何かというと、文芸と美術だけじゃないかなっていうふうに思うんですね。
実際のところ、映画批評とかそういうふうなものに関しても、例えば有名な映画の評論家でありますところの、ハスミシゲヒコとかは、フランス文学とかを専攻している東大の教授さんだったりするんですね。
それがやってたりするとかっていうふうなのが、日本国内においての映画の批評とかの始まりっていうふうなところになってくるとですね、この辺の批評の技術っていうふうなのは、大元をたどると文芸批評が中心になってくるのかなっていうふうなのが思うんです。
あと、カット割りがどうだとか美術がどうだとかっていうふうなものに対するコメントとかその辺の話っていうふうなのも、美術批評がどうも中心とか根幹に来てたりするんですね。
だから、映画に対して何か批評をやるっていうふうになって、真剣にやろうとすると、たぶん総合芸術なので、この辺のことをやって、その辺の言葉とかの批評の理論とかそういうふうなものを覚えれば、できるようになるんじゃないかなっていうふうなのがですね。
ポッドキャスト番組の紹介
今回、こういうふうなポッドキャストの一群をわーっと聞いていて、思ったような部分だったりするんですね。
その辺も、そんな感じで思うぐらいにはですね、たぶん、実際に批評のやり方を習ってきて話をしていることができていたのが、だいたい現代アートとかそういうふうなのをやられております。
美術関係のことをお仕事にされていて、美術系の大学を出ている人がやっているポッドキャストだなっていうふうなやつと、あとは国語教師。なんか聞いていて、へーって思ったのがですね、ここ最近の高校生は批評というふうなのを現代国語でやるそうですね。
だから、文学理論とかそういうふうなものを応用にした、ライティングの技術の一環として批評をやるようになっているっていうふうなことを考えるとですね、ああ、今の高校生はそういうふうなこともやるんだなーっていうね。確かに、大人になった後で批評って、何もわからない雰囲気でやってるっていうね。
まあそう、ポッドキャストを聞いていて、本当にあの雰囲気でやってる批評だなっていうふうなの。いっぱい当たったりしますからね。じゃあ、おめえはどうなんだよっていうふうな部分がブームやなんとして、私に返ってくる部分なんですけどね。まあでも、私はあの雰囲気でやってる方なんですけども、どうなんだろうな、なかなか何とも言えねえなというふうには思ってはいますけど。
でも、そういうふうな進んだところにあるのが、たぶんこの辺のやり口なんだろうなというふうなのがですね。まあ、現代国の文芸批評と、あとは美術批評しかないよねっていうふうな部分になっているのが、今回の話になっているかなと思っております。で、そういうふうな感じで、批評の方とかそういうふうなものとかっていうふうなものに関して、いろいろと論じられてたりはするんですけども。
今回ちょっと話をしたくなったポッドキャストっていうふうなのはですね、そういうような、この批評の理論とかそういうふうなものを話しているものもあるんですけども、それをわざわざ振り返ってみても何かなっていうふうに思ってたりする部分なんで、その辺の部分に関しては各自ちょっといろいろと聞いてみたらいいんじゃないでしょうかね。
とりあえず、わーっと批評やら何やらを聞いていて、そもそも批評がどういうふうな役割を負っているようなものなのかとか、そういうふうなことについてちょっと話したくなったので、今回はそれらを中心に話をしていこうかなと思っております。
で、最初にちょっと話をしたくなったポッドキャスト番組は、かなり長くからやられております新人生のポッドキャスト番組を最初に紹介しようと思います。こちらは、ぐしゃの宮殿2016年配信のエピソード、地下16階ゲームの秘宝は誰のもの、誰のためというふうなエピソードについて話をしていこうと思います。
こちらのポッドキャスト番組は、配信開始が2016年と今から10年以上前となっております。かなり長くやられております新人生のポッドキャスト番組だったりしております。やられているのがどうも北海道らしいんですけどね。私は同じく北海道には住んでるんですけども、一度も関わりがないなというふうに思っております、ポッドキャスト番組だったりしております。
内容的には出演をされておりますのは、主にバーを舞台にしているというふうな程のポッドキャスト番組だったりしますので、そこにそこのお店のマスターをやっている、通称カッカとかマスターとか呼ばれている人と、あとはそこに来る常連客と呼ばれているレギュラーというかセミレギュラーというかのゲストを中心に交えて、いろいろとサブカル的な話題を中心にやっていくというふうなポッドキャスト番組だったりしております。
話をしているパーソナリティの皆さんそれぞれなんですけども、とても詳しい、特に誰だったかな、ちょっとドア失礼したんですけども、おそらくマスターかな、とかカッカとかなんですけども、この方がですね、もともと何かしらのゲームのライターさんをやられている方だったりするんですね。
それもありまして、オタクとしての素養とかリテラシーとか教養というふうなのが大変深い方となっておりまして、私も勉強になるなというふうなことを思いながら聞くことが多いような、そんなようなポッドキャスト番組だったりしております。
で、始まったばっかりの頃にやられてたエピソードで、このゲームの批評は誰のもの、誰のためというふうなところから、かなり懐かしい話を中心にこのエピソードで語ってたりするんですね。
具体的にどんな話をしているのかというと、そもそもゲーム批評というふうなのはどういうふうなものだったかというふうなところで、一番有名なゲーム批評であったところのファミ通のクロスレビューについて言及してたりするんですね。
このファミ通のクロスレビュー、今でもやられてたりするのかな。どんなふうなものかというと、特定のゲームライターの人がですね、
そのゲームに対して0点から10点の間で点数をつけていく。それでそれぞれのコメントとかっていうふうなのをクロスレビューのマス目で書くようにして、
その合計点とかが高いような人がすごいゲームだねとかっていうふうなことを言われたりするというふうな、そんなようなやつだったりしております。
で、この批評するライターの人っていうふうなのは、それぞれ特徴というかキャラクターとかっていうふうなのがついておりまして、
とりあえず大体のものに8点以上の点数をつける甘口レビュアーもいれば、ずっとひどいような点数をつけ続ける辛口レビュアーとかもいるっていうふうな感じで、
まあいろいろとバランスをつけてやられてたりするというふうなものだったりするんですけれども、ただこれに対してこの愚者の宮殿のメンメンが語っている内容としてはですね、
このファミ通のクロスレビューというふうなのは、そういうふうなキャラ付けでゲームの批評というふうなのを確かにやってはいるんだけれども、
けれども大手が出しているゲームに関してはみんな揃って高得点をつけがちだよねっていう。
まあだからあのステマじゃないかなっていうね、まあ現代的に言えばステマじゃないかなっていうふうに思われるような電動絵人のゲームに関してはみんな揃って諸手を挙げて賛成するという。
要は広告としての批評というふうな面がとてもとても強かったのではないかなっていうふうな話をされてたりするんですね。
特にこういうふうなゲーム批評とかそういうふうなもの、それこそインターネットが巻き起こるような時代の前に起こっておったようなこういうふうな批評に関しては、こういうところでしか表に出るものがなかったりするっていうふうなのがあるので、
何かを売りたいとかそういうふうなことがあった場合にはですね、まあいろいろとこのライターとかそういうふうな部分、何かしらのお金を動かしたりなんだりして、そして広告宣伝としてこういうふうなことをやらせてクロスレビューとかを書かせるっていうようなことがあったのではないかなっていうふうな、そんなような邪推とかを含めて話をしてたりするんですね。
実際のところインターネット以前の雑誌とかそういうふうなものっていうふうなのは、何を買うべきか何を選んだらいいかというふうな指標として提示されるものとして一番重要なものであったりするので、やっぱり当時の批評というふうなのは言ってしまうと広告的な側面が強いものだったよねっていうふうな、そんなようなもんだったりしてたんです。
なんで、それのカウンターカルチャーとして出てきてたのが、例えばアニメ雑誌とかそういうふうなものとかっていうふうなのは、読者投稿とか読者コメントとかっていうふうなのを多く積極的に取り入れていって、紙面上で議論を横行させることによって何か別の広告のオルタナティブの批評とかっていうふうなのを展開していたものもあったよっていうふうなものになってたりするんです。
で、そういうような感じでインターネット以前は雑誌とかそういうふうなものに乗るような批評というふうなのは基本的には広告的な側面が強いものではあったんだけども、インターネット以降によっては批評というふうなのは個人的な体験をみんながそれぞれかけるようになってしまったがばっかりに、特定の作品とかそういうふうなものというふうな、個人的な体験でカルト的な人気を持っていたものっていうふうなのが、
カルト的な人気というふうなのが、こういうふうに声を上げて、そういうふうなものが認知されやすくなったような時代になっていたっていうのがあるんです。それと同時に沸き起こっていったっていうふうなのが、例えばクソゲーをレビューするですとか、そういうふうなものとかっていうふうなのが沸き起こってたのがインターネット以降となっております。
インターネットと個人の体験
言ってしまうと、批評というふうなのが、より批評性を帯びて個人性を帯びてくるというふうになったのが、インターネット以降だよねっていうふうな話をされてたりはするんですよね。このエピソードの方で話をされていて、まあそうだったなというふうに思ってたが、コティと呼ばれているクソゲーオブザイヤーという、今現在は解散されてしまったようなインターネットのお祭りがあるんですけども、それについての言及とかがありました。
このコティというふうなもの、言ってしまうと、こういうふうにたくさん出てきている中で、クソゲーと呼ばれている、要はある程度のお金がいろんな予算をかけて作ったのにも関わらず、出来があんまりだったねっていうふうなものを楽しめるような書き方をするというふうなのが、コティというふうな文化が昔あったんですね。
コティで有名なのは、それこそ48カッコ狩りというですね、日本全国の筒裏裏の階段を集めてきて、それを選ぶよと読ませていくというヒバゴンが出てくることで有名なテキストアドベンチャーゲームだったりですとか、あとは移動速度がクソ遅いことで有名なオークというふうなね、オークを舞台にしたアクションアドベンチャーゲームみたいなのがあったんですけども、まあそういうふうなものとかが挙げられてたりしてたんです。
でも、これはこういうふうなもので面白がるというふうな一面もあってね、取り上げられて良いこともあったり悪いこともあったりするんですけども、まあそういうふうな個人的な体験とかっていうふうなのを書きやすくなったために、ユーザー生成コンテンツとしてこういうふうなものが二次的に生まれるようになっていったというふうなものがあるんです。
なんですけれども、コティに関しては今現在ちょっと見るも無残な感じになっちゃっているのはですね、インディーゲームとかそういうふうなものとかを含めるとアホほど今現在ゲーム溢れておりますから、とてもじゃないけど批評している暇がないよねっていうふうな、そんなようなものになってしまっているのではないかなと思っております。
で、そんなような感じでですね、この番組の方ではコティが出てきてどういうふうに思ったかとかね、あとは実際にこのパーソナリティをされておりますマスターの方がですね、関わったゲームがコティで扱われてどう思ったかなんていうふうな話もされておりまして、ちょっと今聞くと懐かしいようなことが多いような話題ではあるんですけども、
確かにあの今現在のこのインターネット以前と以降においての批評の違いというふうなものに関しては、これが一番聞いていてなるほどなぁというふうに思ったものだったりしております。
で、あと批評について、どういうふうな人が批評していいのか、というか批評ってなんだろうねっていうふうなことをちょっと考えさせるようなエピソードっていうふうなのがあったので、ちょっと話をしておこうと思います。
こちらのポッドキャスト番組は、ネバーエンディング考え中、6番アート批評についてというふうなエピソードを聞いたので、これについて話をしていこうと思います。
こちらのポッドキャスト番組は、今現在配信を休止している番組となっております。もしかしたら終わっているのかもしれないなぁと思うんですけどね。
一応、2023年の7月配信を最後に、現在はずっと配信は止まっているんですけども、ちょっと聞いていて、なるほどなぁというふうに思ったり、あとは誰に批評する権利があるのかというふうな話で、その批評の権利云々の話でちょっと話したいことができたので、これについてちょっと話をしていこうと思います。
このポッドキャスト番組は、東京の写真家、菅野航平さんと、ニューヨーク在住の画家、久喜田なるきさんの、わりと真面目な討論番組みたいな内容となっております。
このエピソードに関してはですね、アート批評をする際に、誰が批評の権利を持っているのか、そして批評をする際には、どういうふうな目線で語ればいいのかっていうふうな批評の権利についての話っていうふうなのを中心にやってたりするんですね。
それも踏まえて、この当時、おそらく言葉としてはあったはずなんですけども、言及してなかったキャンセルカルチャーについてもちょっと話をしてたので、いろいろと思うことがあったので順番に話をしておこうと思います。
このエピソードでは、一応パーソナリティの久喜田なるきさんの方が、インスタに自分の作品を上げていたところ、このインスタに対するクソコメみたいなものが届いたので、それを発展として、なぜ誰が批評する権利を持っているのかっていうふうなことを話したエピソードだったりするんですね。
で、発端となった出来事っていうふうなのは、この久喜田なるきさん、どうも同性愛者の画家さんらしくてですね、作品群っていうふうなのは基本的に、全裸の筋肉質だったり細身だったりするような男性というふうなのをたくさん描いて、それをインスタグラムとかっていうふうなのに作品として上げていったりするそうなんです。
で、そういうふうに上げているインスタグラムの絵について、全く知らないインスタのユーザーの方から、なぜ筋肉質と痩せてる人しか描かないのですかっていうふうなコメントを受けたそうなんですね。
で、そのコメントはこんなふうに続いたそうなんです。筋肉質や細身のイケメンを崇拝するようなことというふうなのは、太っている人たちを排除するような行為ではないのかっていう。このような作品を作り続けるのは排他的ではないですかっていうふうなコメントを書かれていたそうなんですね。
で、あとそれと同時に連答されているコメントにはこんなようなことが書かれておりまして。例えば、最近あなたは夕食人種を描き始めているようですが、ではこの次には太った人たちを描くべきではないのでしょうか。
全ての人たちというふうなのは美しく解剖学的に描くこともできるはずなので、太っている人たちに対する差別をしないように太っている人たちも描き続けた方がいいのではないかっていうふうなことを書かれてしまったそうなんですね。
で、この言葉に対してこの久喜田なるきさん自身がどのように返していったかというと、久喜田なるきさんは、これは私が運営しているインスタグラムのアカウントとなっておりまして、インスタグラム社に文句を言われないのであれば好きなものを載せる権利があるっていう。
批評と責任
そしてこの作品というふうなのは、私が一応人に依頼されて作ったものを提示されているだけなので、別に特にインスタグラム上に載っけて問題がないのであれば、何を載せようが私が載っけるものに問題はないはずだっていうふうな話をしてたらですね、
あなたは差別主義者だ、みたいなことを返されて、そしてその人からブロックされてしまったっていうふうなエピソードから、どうしてこのようなことを言われなければならないのかっていうふうなお怒りからですね、誰がこういうふうなものに対する批評する権利を持っているのかっていうふうな話をしていくんですね。
言ってしまうと、この人っていうふうなのは、書いた絵に対してこういうふうなコメントっていうふうなのが、言ってしまうとキャンセル的な扱いを受けてしまって、それをする権利ってあんたらにはなくないっていうふうな話をしていくのは問題だったりするんですね。
というふうなのも、批評する際には、何かしらの公益性を持っている、もしくは顧客である必要があるよねっていうふうな大前提の話っていうふうなのも、この久喜田なるきさんというふうなのは番組の時間をかけて、この細かいケースに分けていろいろと話をしていっているっていうふうな話をしていくんです。
で、そもそもこの久喜田なるきさんがこの絵を描いたっていうふうなのは、自身が依頼をされて描いている。だから、顧客がいて、その顧客がこんなような絵を描いてほしいっていうふうに頼まれて作っているようなもんだったから、だからそれを提示しているのであるから、別にそんなような太っている人を差別する意図なんかないんだよっていうふうな話をまずしているっていう。
そして、自分が描きたくて描いている作品も当然ある。でも、その作品に関しても自分が描きたいから描いているものを描いているのであって、差別的な意思とかそういうふうなものは全くないんだよねっていうふうな部分をね、話をされているんですね。で、この辺の話を聞いていて、ここ最近というか、今はもうめっきりSNSでは鎮化して話されてなくなっていた、ここ最近キャンセルされていたゲームというふうなのがあります。
それはですね、漫画家さんというかセクシー漫画家さんのですね、名前をど忘れした。あ、思い出した。いだてんふにすけさんというふうなセクシー漫画家さんがいらっしゃいまして、その方がパートナーの方と作られておりましたゲームがあったんです。
このゲームというふうなのはですね、ダッチワイフというかラブドールですね。ラブドールを主人公としているゲームとなっておりまして、そのラブドールにたくさんいろんなゴミを食べさせるっていう。で、そのゴミを食べさせていくとラブドールが知性をつけていって、このゴミを食べるのを嫌がるようになっていくっていうふうな、そんなようなストーリーのゲームらしいんですよね。
で、そんなような感じでこのラブドールを成長させていって、ストーリーが展開していくというふうなゲームを作ってますよっていうふうなことを発表した途端にですね、ラブドールというかこの作品は女性でしたっていうふうなことをいっぱいキャンセルされるコメントっていうふうなのがついて、で、あの制作者が誤っちゃって制作を止めてしまうというふうなことがあったんですよね。
で、これもあの話としては同じような話かなって私自身考えております。言ってしまうと、こういうふうなゲームを作りましたっていうふうなところで流されをされているので、要はゲームファンに向けて話をしていくんですけども、けれどもこれに対するキャンセル運動っていうふうなのをしている人っていうふうなのは、おそらくゲームを買うことがない人なのがキャンセルをしてるんだよなっていうふうな話をされてたりはする、になってるかなと思うんです。
で、同時にですね、ここ最近のゲーム界隈で問題になっているというか、いろいろとちょっとモニュモニュするなっていうふうな部分でよく行われているのが、性的なコンテンツと見受けられるような作品っていうふうなのを、どんどんクレジットカード会社が決済を止めるような感じになっていって、そもそもそういうふうなものを商業的に載せさせないというふうな動きというふうなのが存在してたりするんですね。
だから、真っ当な異性愛ではないとか、あとは何かしらの暴力的な性愛が含まれるような作品に見受けられるような作品であったとどこかが判断したと途端にですね、クレジットカード決済を止めて、その作品自体を売られないようにするというふうな動きというふうなのがどうもあるそうなんです。
で、それを主導しているっていうふうなのが、例えばキリスト教権的な部分の考えをお持ちの集団がそういうふうなもののコンテンツが溢れているのは良くないからというふうなところで止めているっていうふうな感じになってくるんですけども、そもそもあんたらは逆じゃないよねっていうふうな部分で同じような話もできるんじゃないかなっていうふうなのをちょっとこちらの議論を見ていて思ったところなんですね。
批評の権利と資格
で、このエピソードの話に戻るんですけども、言ってしまうと批評をするとかっていうふうなこと、インターネット上にいくらでもそういうふうな批判とか批評とかっていうのは書いていいんですけれども、でもそれをする責任とか批評をする側っていうふうなものっていうふうなのに、何か持つべき資質みたいなものは存在してるんじゃないかっていうふうなことをこのエピソードの中では話をされてたりするんですね。
言ってしまうと、それを話をしたりすることっていうふうなこと、簡単に書けるし、簡単に正義の側に立ててるからというふうな感じで書いてしまっている人っていうふうなのがいっぱいいるんだけれども、そもそもその作品の顧客でもなかったり、それに対してお金を払ったりしているわけでもなかったりしたら、それに対して何かを言う公益性というか、その公益性の担保を持っている資格みたいなものってあんたにはないよねっていうふうな話をひたすらしていくんですね。
で、このエピソードの中で、なるほどなーっていうふうに思ったのがですね、ビーガンに対しても同様のことを言ってたりするんですね。
例えば、ステーキハウスの前で豚肉とか牛肉とかを食べるたりするのは動物虐待だから絶対にやめるべきっていうふうなことをステーキハウスの前で言ってたら、それは公益性があるようなことに見せかけているけども、ただの営業妨害だよねっていうふうな話をされてたりするんですね。
だから、何か批評する際には、その批評する権利を有していて、なおかつ公益性がなければいけないよねっていうふうな話をされてたりするんです。
で、この辺の部分でいろいろと投写していって、話が肥大化していって、ああまあそうだなーっていうふうに思ったのがですね、ライムスター宇多丸さんがやられておりますアフターシックスジャンクションの人気コーナー、映画についていろいろと話をしていくやつあるじゃないですか。
で、あれについても批判の対象だったりするという。
で、基本的に未然におきって映画を見てそれについて話をするっていうふうなので、褒める場合に関しては別にいいんじゃないとは思うけれども、けれどもその映画をけなすとか、こきおろすっていうふうなことをやる権利を有しているのかっていうふうな話まで発展していくんですね。
これっていうふうなのは、それとそれは釣り合ってないよねっていう。たかたか2、3000円を出して批評をする。ラジオで自分の給料を得てそこの場で話をする。ただ、その影響力としていろんなところにあの映画はクソ映画だみたいな感じで広まってしまうことっていうふうなのは、果たして公益性を持っていることなのかっていうふうな話にもつながってくる部分だったりするんですね。
確かに未然に起きてるかもしれないけど、でもその未然に起きたのと、自分がそういうふうな悪評を公共の電波でたくさんの人に流すというふうな行為というふうなのは釣り合っていないんじゃないだろうかっていう。
で、だいたいあのそういうふうな映画を配給してたりなんだりするような人って、もっとたくさん膨大な人が関わっていて、膨大な動き、お金が動いていて、悪影響を覚える人というふうなのはたくさんいるはずだから、それは釣り合っていないよねっていうふうなことも話をされてたりするんですね。
だから本当にあの、この批評やら何やらを流す際の公共性とか、その辺の部分に対して、とても感慨させるようなエピソードだったりしてたんで、まあ私はちょっと面白かったなーというふうに思ったんでね、ちょっと今回話をしてたりしたところです。
で、そんな感じで、批評というふうなものはどんなのかというふうなのと、あと批評する権利は誰が持っているのかとか、どういうふうな時に持つべきなのかというふうな話をしたので、
最後、ちょっとあの批評っていうふうなのはどういうふうにしたらいいのかなっていうふうなところを話をしているポッドキャストをちょっと最後に紹介して話を締めたいと思います。
で、こちらのポッドキャスト番組は、本の惑星、聞いたエピソードは、なぜ今批評なのか、三宅嘉穂が狙う派遣というふうなエピソードを聞いたので、これについて話をしておこうと思います。
で、こちらのポッドキャスト番組は、バリューブックスの代表をされていることでおなじみの内沼清太郎さんというふうな方がやられているポッドキャスト番組となっておりまして、
で、割といろんなゲストを呼んで、本についての話とか書店とか、本の周りに関するエピソードを主に喋られているような、そんなようなポッドキャスト番組だったりしております。
で、このエピソードは、基本的にこの三宅嘉穂さんが、批評というふうなものは、過去どういうふうなもので、現在どのようなものになりつつあるのかっていうふうなことを話をしているような話だったりするので、まあ私はちょっと面白かったなというふうに思っております。
で、三宅嘉穂さん、まあ書評家だったり評論家だったりとかっていうふうなところで、いろんな語りかけがあるような方で、今現在は視点倉庫というふうなポッドキャスト番組をやられておりまして、
ちょっと今回話から漏れてるのは、視点倉庫でも批評についてのエピソードがあったりするんですけどね。まあそれも結構興味深かったりするんですけども、そことちょっと行ったり来たりしつつ、このエピソードの方の話をしていこうと思います。
で、このエピソードにおいては、なぜ今批評が求められているのか、そしてなぜ今批評なのかっていうふうな話をエピソードとしてはされてたりするんですね。
で、その際に、そもそも批評っていうふうなのは何なのかねっていうふうなところから話をスタートしていくんですね。
で、批評っていうふうなの、まあこのエピソードを聞いて、ああそうだねっていうふうに思ったのは、ジャンルとしては3分に分類されるもんだよねっていうふうな話なんです。
言ってしまうと、何かしらの学術的な裏付けがあるわけではない、学術的な歴史の積み重ねがあるわけでもないものだよねっていうふうなところからスタートして。
で、結局のところ3分でしかないっていうふうな話をしているのが、ああそうだねっていうふうに思っている部分なんです。
で、これは冒頭のみんな揃って何もわからない雰囲気で俺たちは批評をやっているっていうふうなやつあるじゃないですか。
それになっているっていうふうなのは、そもそもの発声自体が3分からスタートしてるっていうふうなところからでかいものだなと思っています。
批評家の影響
実際にね、批評家として有名な人、それこそ小林秀夫ですとか、あとは批評が拡大していったゼロ年代の東裕樹さんとかっていうふうにもいらっしゃいますけども。
そういうふうな人たちに関しても批評家というふうに名乗ってたりはするんですけども、でも元々は東裕樹さんは哲学者だったような、哲学関係の評論とかそういうふうにもいっぱい書かれておりますし。
小林秀夫さんも編集者とかそういうふうなものをやられてたりするとかっていうふうな経歴があったりするので、別の経歴を持っている人が批評というふうなジャンルに入ってきがちっていうふうな話からスタートしているので、学術的な裏付けがやっぱりないよねっていうふうな部分なんです。
だから、こと映画においてもゲームにおいても音楽においても、何かしらの批評の理論というふうなのは、もともとあった文芸理論とかを沿用してやっている文芸批評ですとか、あとは美術とかそういうふうなものを批評する際の言葉を沿用して使うほかないよねっていうふうな状態になっているので、大元をたどるとそっちしかなかったりするんだよなっていうふうに思うんです。
それもあってね、ちょっと今回話がちょっとずれちゃうんですけども、私は映画の批評のポッドキャストがそういうふうなの好きで結構聞いてたりはするんですけども、けれども聞いて聞き応えがあるな、面白いなっていうふうになっているポッドキャストってすっごく少ないなと感じております。
一応、ある程度面白いなというふうに感じられるようなポッドキャストに共通しているのが、例えば美術的な書道がある人が話をする映画評論とか面白いなというふうに思うんですね。
例えば、ポッドキャスト番組カエサルの休日とかで、野木さんとかが語るような、あとダニエルさんという2人の方がやってるんですけども、大体どちらもおそらく美術系の学校を卒業されて、その辺のことを学んできた人が話をしている映画評論とかっていうふうなのは、やっぱり面白いなと思うんですよね。
その辺の素養とか語り口があるっていうふうなのは、おそらくそういうふうなところで、何かを評論する技術を学んできてから話ができてるからっていうふうなところで面白いんだろうなっていうふうな、そんなような気が私はしてたりするんです。
で、そんなような感じでですね、3分の技術とかっていうふうなのがあるんですけども、でも元をたどればそういうふうなところが、素養と言うか、演用するしかなくて、で、結局のところやってるのは3分だよねっていうふうなところを論じてたりするのが、まあ私はちょっと面白いかなと思っております。
で、その後、批評っていうふうなものがとっつきづらいよねっていうふうに言われる時代が長くあったっていうふうなのが、マンスプレーニング的なマウントを取るための批評というふうなのが、長い時代をかけてやられてきてたので、ちょっとそこが問題だったよねっていうふうなところの批判もちくるりとされてたりはするんですよ。
特に、あずまひろきさん以降の批評とかに関しては、何かの名前を引用する、何かの作品名を引用するとかっていうふうなことをやっていて、で、要は何かの作品にこれだけ深く論じられる俺はすごいというふうなことをやるような批評が多くなっていったのが、ゼロ年代以降だったりするよねっていうふうなのがあって。
その辺の部分が、とてもよろしくないことだよねっていうふうなところを女性の三宅嘉穂さんに言われるっていうふうなのが、そうですねって思ってる部分だったりするんですよ。でも、それでもやっぱり批評というふうなのは面白かったりするし、良いものだよねっていうふうなところで、三宅嘉穂さんが言っていていいなというふうに思ってたのが、批評っていうふうなのはカッコよくなきゃダメだよねっていうふうな部分だったりするんです。
で、あと、読んだ後で、その作品の見え方が変わるようなものであったりするのがいいよねっていうふうな話をされたりするんですね。
批評の美意識
そう、本来持っている部分っていうふうなのは、誰かにマウントを取ったり、知識マウントを取ったり、これだけ語れる俺がすごいっていうふうに言うのではなくて、
見たもの、その話、批評を聞いたこと、読んだことによって作品の見え方を大きく変えることができたり、
あとは、それについて語っている人の美意識とかそういうふうなものにつれて、それがカッコいいと感じられることが一番いいことだよねっていうふうな話をされてるんですね。
だから、これからの批評に求められるのは、そういうような美意識とカッコよさだよねっていうふうな話をされてたりするので、
まあ、書くありたいもんだなっていうふうなことを聞きながら思っていた分だったりするんですよね。
まあ、そういうふうなこともありまして、このエピソードに関してはですね、そんな感じで、カッコいい批評とかそういうふうなものを増やすためにどうすればいいのかとかね、
あと、今現在流行っている考察も批評に分類していいのか、あとはちょっとその辺の部分で、考察が増えていて批評が何で減っているのか、受け入れが少ないのは何でなのかとかっていうふうなのをね、
ちょっといろいろと話をしていくので、とても興味深い話をされているポッドキャストだったなというふうに思っておりますので、
よろしかったらちょっとこちらのエピソードも聞いていただけるといいんじゃないかなと思っております。
で、そんな感じでわーっと批評について話をしてきたので、まあ最後にさっくりとまとめの方を話していきますけれども、
批評っていうふうなのは、そもそもインターネット以前は広告としての役割が強いようなものであったと思われております。
なんですけども、インターネット以降に関しては、視点の転換とかそういうふうなものをもたらすようなものっていうふうなのが今現在流行っているものなのかなと思っております。
で、視点の切り替えをもたらすものっていうようなことになってくると、考察がやりやすくなったりするようなと思うんですよ。
だから何かその描写から見え方を変えるようなことをやるっていうふうなことで、考察のそういうふうなことをやる方が容易なので、
考察が流行っていったりするのもこの辺の部分でいたしかたないような部分なんじゃないかなーって思っております。
で、批評というふうなもの自体っていうふうなのは、何かしらのそういうふうな批評理論とかそういうふうなものの積み上げっていうふうなの。
ちょっとあのまあ私今回ポッドキャストを聞いた限りでは、批評理論があるのは文芸と美術ぐらいだなっていうふうな感じがしておりますんでね。
まあだからそういうふうなものを学んでいる人の批評とかっていうふうなものは、かっこよかったり聞き応えがあったりするんですけども。
でも基本的にはそういうふうなものがなくてもできてしまうようなもんだったりするおかげで、いろんなところで批評するようなことっていうふうなのが増えているよねっていうふうな状態にはなっているんです。
なんですけども批評する権利に関しては、誰もができてしまうけれども誰でもやっていいわけでもないよねっていう。
その批評に関しては、ある程度の公益性を持って喋るべきだよねっていうふうな部分であるんです。
でもね、キャンセルカルチャー、特に何か悪いことをした人をキャンセルするとか、その辺の部分でやった方がいいこともあるのかもなっていうふうに思う部分もある一方、
逆でもないのに叩いてそれを出させないようにするのは、それは果たして公益性があることなのかっていうようなところで、ちょっと考えた方がいいことでもあるよねっていうような部分もあるかなと思うんですね。
で、そういうようなことをもう受け取ってできるようなもんだったりするのでね、まあこれからも多分無責任に批評というふうなのを増え続けてたりするようなもんだったりするんですけどね。
まあ今までもこれからも俺たちは何もわからない、俺たちは雰囲気で批評をやっているっていうふうなこと、多分これからの時代もずっと続いていくような状況にはなると思うんですけどね。
現代批評の課題
でも最低限公益性だけを持ってやっていけたらいいねって思ったところで、今回のお話は締めさせていただきたいなと思っております。
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夜の農家の山本光平さんという風な方と、ポッドキャストについて語る2人会がございます。
ポッドキャストについて語るんですけども、ポッドキャスト番組どういう風なの聞いてるみたいなような話ではなくてですね、ポッドキャストをアマチュアとかインディーで作るってどういう風な苦しみとか、苦苦とかがあるんですかねっていう風なことを話をしていくイベントをやろうかなと思っております。
なので、当番組をお聴きのようなですね、ポッドキャストについて興味があったりですとか、ポッドキャストを話したりなんだりすることに興味があるよっていう風な方。
多分、ポッドキャストを作ったりなんだりするという風なやり方で、全然聞いたことが出てこねえような話という風なのを、めちゃめちゃ話をすることになるかなと思っておりますんで。
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入場自体は無料なんですけども、是非ともその場でドリンクをガバガバ飲んでいただきたいなっていう風なところで、一応ワンドリンク制という風な感じになっておりますんでね。
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というわけで、長々とお付き合いをいただきまして誠にありがとうございました。
では、また次回。
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