この番組は、個々のポッドキャスト配信者にして異常ポッドキャスト聴取おじさんのジョンが、最近気になったワードを元にスポティファイで検索をかけて、
エピソードタイトルにそのワードが入っているものを有名無名問わず無差別にプレイリストにぶっ込んでいき、聞いて話したくなったことを話をしていく横断的ポッドキャストキュレーション番組となっております。
今回の検索ワードは、「批評となっております。エピソード総数43エピソード。総再生時間は2時間16分となっております。」
そもそもなんでこんなの聞いたのかというふうな感じなんですけども、私は普段やっておりますポッドキャスト番組、Aノートサブカルというふうな番組がございます。
こちらのポッドキャスト番組はですね、農系ポッドキャストではなく、番称を批評するポッドキャスト番組となっておりますんでね。
批評をやるというふうなことに関しては、ずっと長らくやってきたつもりではあったりするんです。
で、そういうふうな感じで、そもそも批評ってどうやってやるのかねっていうふうなことに関してなんですけども、全然わからない。
俺たちは本気で批評をやっているというふうなことを長らくやってるなーっていうふうなのを思っております。
今回もたくさんのポッドキャストで批評というふうなのを検索して出してきたんですけども、一部出たはいいんだけど除外しているものっていうふうなのがあるんですよ。
例えば、映画批評と書いてあって、その後にその映画の特定のタイトルがついているものに関しては、全部除外をしております。
特定の作品に対して批評を言うっていうふうな感じのものだったりするんですけども、でも大体この辺の批評とかを聞いてたりするとですね、フィルマークスとキネジュンと、あとはそういうふうなものをごったにしてもらうやつだなーとかっていうね。
ひどいものだと、町山智博さんとライムスター宇多丸さんのパッチワークだなっていうふうな内容のものとかもいっぱいあったりしますんで、そういうふうなものをあったりはするんですよ。
で、その基本的に批評とかっていうふうになった際に、このパッチワークだっていうふうなのが許せなくなるっていうふうなのは何でなのかっていうふうなこともですね、ちょっと疑問に思っている部分だったりはしてたんです。
なので、今回はですね、特に批評をするってどういうふうなことなのかというふうなことを喋っているポッドキャスト番組を中心にいろいろと話をしていこうかなと思っておりまして、プレイリストは何か特定のものを批評しているのではなくて、何かを批評するってふうなことはどういうふうなことなのかというふうなことを話していそうなポッドキャスト番組を中心にプレイリストに切れていて、
そして、そういうふうなことについて話を聞いていったりしております。で、ざっくりとプレイリストの概略の方を話をしていきますけども、今回出来上がったプレイリストをわーっと見ていて思ったことなんですけども、こと批評というふうなものに対してものを言っているのはですね、音楽批評、文芸批評、芸術批評、主にこの3系統だけだったなっていうふうに思っております。
映画とかゲームとかの批評をしている人はいっぱいいるけども、そういうふうな人たちって、それを批評することについてどういうふうな基準を持っているかっていうふうなことを話さないんだなっていうふうなところがですね、今回こういうふうに検索をしていて、いろいろと思っていて、びっくり、一番びっくりしたことだなぁと思っております。
一応、今回特に紹介はしないんですけども、有名ポッドキャスト番組のタイトルと名前が出てこないんですけども、なんかポップに何かを語る番組があったりするんですよ。
思い出した、三原悠樹と田中宗一郎のポップライフ・ザ・ポッドキャストというやつですね。これとかも基本的にポップカルチャーの批評とかをやってたりするよっていうふうなところなので、音楽とかゲームとか映画とかアニメとかそういうふうなものを中心に批評をするというふうなので、批評について言及しているというふうなところとかは結構興味深く聞いたかなぁとは思っております。
なんですけども、特に今回はそれについては扱わないなぁというふうには思っております。やっぱり、批評をするとかっていうふうなことについて、それ自体について考えるようなことっていうふうなのが、なかなか行われないんだなぁっていうふうなのがあるし。
で、あと、それについて何かを語ろうと思ったとしても、そもそも何によってそれを話しているのかっていうふうなのが、やりづらいんだろうなっていうふうな気がするんです。
っていうふうなのも、映画とゲームに関しては批評をするための言葉というか方法論というふうなのが、おそらく確立されていないんじゃないかなって私自身は考えております。
実際、映画とかに関して、特にアメリカとかそっちの方のハリウッドとかその辺の中心の方に関しては、映画の制作論的な部分で批評をするやり方とかっていうふうなのは実際出てたりします。
私も一冊、フィルマート社というふうなところから出ております、映画批評入門っていうふうな本があるんですよ。
これは、この現代的な映画をどのような目線で批評するかっていうふうなところを論じている本となっておりまして、私が持っている中でというか、たぶん知っている中で唯一、映画の批評のやり方を論じている本はこれじゃねえかなっていうふうに思っております。
この他、映画の批評とかそういうふうなものの本とかっていうのはいっぱいあるんですけども、批評のやり方について語っている本っていうふうなの、実はほとんどないなあっていうふうに感じたりするんですね。
っていうふうなのも、批評っていうふうなのって、たぶん制度として、それをやる理由があって、それを技術として研鑽しているものは何かというと、文芸と美術だけじゃないかなっていうふうに思うんですね。
実際のところ、映画批評とかそういうふうなものに関しても、例えば有名な映画の評論家でありますところの、ハスミシゲヒコとかは、フランス文学とかを専攻している東大の教授さんだったりするんですね。
それがやってたりするとかっていうふうなのが、日本国内においての映画の批評とかの始まりっていうふうなところになってくるとですね、この辺の批評の技術っていうふうなのは、大元をたどると文芸批評が中心になってくるのかなっていうふうなのが思うんです。
あと、カット割りがどうだとか美術がどうだとかっていうふうなものに対するコメントとかその辺の話っていうふうなのも、美術批評がどうも中心とか根幹に来てたりするんですね。
だから、映画に対して何か批評をやるっていうふうになって、真剣にやろうとすると、たぶん総合芸術なので、この辺のことをやって、その辺の言葉とかの批評の理論とかそういうふうなものを覚えれば、できるようになるんじゃないかなっていうふうなのがですね。
話をしているパーソナリティの皆さんそれぞれなんですけども、とても詳しい、特に誰だったかな、ちょっとドア失礼したんですけども、おそらくマスターかな、とかカッカとかなんですけども、この方がですね、もともと何かしらのゲームのライターさんをやられている方だったりするんですね。
それもありまして、オタクとしての素養とかリテラシーとか教養というふうなのが大変深い方となっておりまして、私も勉強になるなというふうなことを思いながら聞くことが多いような、そんなようなポッドキャスト番組だったりしております。
で、始まったばっかりの頃にやられてたエピソードで、このゲームの批評は誰のもの、誰のためというふうなところから、かなり懐かしい話を中心にこのエピソードで語ってたりするんですね。
具体的にどんな話をしているのかというと、そもそもゲーム批評というふうなのはどういうふうなものだったかというふうなところで、一番有名なゲーム批評であったところのファミ通のクロスレビューについて言及してたりするんですね。
このファミ通のクロスレビュー、今でもやられてたりするのかな。どんなふうなものかというと、特定のゲームライターの人がですね、
そのゲームに対して0点から10点の間で点数をつけていく。それでそれぞれのコメントとかっていうふうなのをクロスレビューのマス目で書くようにして、
その合計点とかが高いような人がすごいゲームだねとかっていうふうなことを言われたりするというふうな、そんなようなやつだったりしております。
で、この批評するライターの人っていうふうなのは、それぞれ特徴というかキャラクターとかっていうふうなのがついておりまして、
とりあえず大体のものに8点以上の点数をつける甘口レビュアーもいれば、ずっとひどいような点数をつけ続ける辛口レビュアーとかもいるっていうふうな感じで、
まあいろいろとバランスをつけてやられてたりするというふうなものだったりするんですけれども、ただこれに対してこの愚者の宮殿のメンメンが語っている内容としてはですね、
このファミ通のクロスレビューというふうなのは、そういうふうなキャラ付けでゲームの批評というふうなのを確かにやってはいるんだけれども、
けれども大手が出しているゲームに関してはみんな揃って高得点をつけがちだよねっていう。
まあだからあのステマじゃないかなっていうね、まあ現代的に言えばステマじゃないかなっていうふうに思われるような電動絵人のゲームに関してはみんな揃って諸手を挙げて賛成するという。
要は広告としての批評というふうな面がとてもとても強かったのではないかなっていうふうな話をされてたりするんですね。
特にこういうふうなゲーム批評とかそういうふうなもの、それこそインターネットが巻き起こるような時代の前に起こっておったようなこういうふうな批評に関しては、こういうところでしか表に出るものがなかったりするっていうふうなのがあるので、
何かを売りたいとかそういうふうなことがあった場合にはですね、まあいろいろとこのライターとかそういうふうな部分、何かしらのお金を動かしたりなんだりして、そして広告宣伝としてこういうふうなことをやらせてクロスレビューとかを書かせるっていうようなことがあったのではないかなっていうふうな、そんなような邪推とかを含めて話をしてたりするんですね。
実際のところインターネット以前の雑誌とかそういうふうなものっていうふうなのは、何を買うべきか何を選んだらいいかというふうな指標として提示されるものとして一番重要なものであったりするので、やっぱり当時の批評というふうなのは言ってしまうと広告的な側面が強いものだったよねっていうふうな、そんなようなもんだったりしてたんです。
なんで、それのカウンターカルチャーとして出てきてたのが、例えばアニメ雑誌とかそういうふうなものとかっていうふうなのは、読者投稿とか読者コメントとかっていうふうなのを多く積極的に取り入れていって、紙面上で議論を横行させることによって何か別の広告のオルタナティブの批評とかっていうふうなのを展開していたものもあったよっていうふうなものになってたりするんです。
で、そういうような感じでインターネット以前は雑誌とかそういうふうなものに乗るような批評というふうなのは基本的には広告的な側面が強いものではあったんだけども、インターネット以降によっては批評というふうなのは個人的な体験をみんながそれぞれかけるようになってしまったがばっかりに、特定の作品とかそういうふうなものというふうな、個人的な体験でカルト的な人気を持っていたものっていうふうなのが、
カルト的な人気というふうなのが、こういうふうに声を上げて、そういうふうなものが認知されやすくなったような時代になっていたっていうのがあるんです。それと同時に沸き起こっていったっていうふうなのが、例えばクソゲーをレビューするですとか、そういうふうなものとかっていうふうなのが沸き起こってたのがインターネット以降となっております。
で、このエピソードの話に戻るんですけども、言ってしまうと批評をするとかっていうふうなこと、インターネット上にいくらでもそういうふうな批判とか批評とかっていうのは書いていいんですけれども、でもそれをする責任とか批評をする側っていうふうなものっていうふうなのに、何か持つべき資質みたいなものは存在してるんじゃないかっていうふうなことをこのエピソードの中では話をされてたりするんですね。
言ってしまうと、それを話をしたりすることっていうふうなこと、簡単に書けるし、簡単に正義の側に立ててるからというふうな感じで書いてしまっている人っていうふうなのがいっぱいいるんだけれども、そもそもその作品の顧客でもなかったり、それに対してお金を払ったりしているわけでもなかったりしたら、それに対して何かを言う公益性というか、その公益性の担保を持っている資格みたいなものってあんたにはないよねっていうふうな話をひたすらしていくんですね。
で、このエピソードの中で、なるほどなーっていうふうに思ったのがですね、ビーガンに対しても同様のことを言ってたりするんですね。
例えば、ステーキハウスの前で豚肉とか牛肉とかを食べるたりするのは動物虐待だから絶対にやめるべきっていうふうなことをステーキハウスの前で言ってたら、それは公益性があるようなことに見せかけているけども、ただの営業妨害だよねっていうふうな話をされてたりするんですね。
だから、何か批評する際には、その批評する権利を有していて、なおかつ公益性がなければいけないよねっていうふうな話をされてたりするんです。
で、この辺の部分でいろいろと投写していって、話が肥大化していって、ああまあそうだなーっていうふうに思ったのがですね、ライムスター宇多丸さんがやられておりますアフターシックスジャンクションの人気コーナー、映画についていろいろと話をしていくやつあるじゃないですか。
で、あれについても批判の対象だったりするという。
で、基本的に未然におきって映画を見てそれについて話をするっていうふうなので、褒める場合に関しては別にいいんじゃないとは思うけれども、けれどもその映画をけなすとか、こきおろすっていうふうなことをやる権利を有しているのかっていうふうな話まで発展していくんですね。
これっていうふうなのは、それとそれは釣り合ってないよねっていう。たかたか2、3000円を出して批評をする。ラジオで自分の給料を得てそこの場で話をする。ただ、その影響力としていろんなところにあの映画はクソ映画だみたいな感じで広まってしまうことっていうふうなのは、果たして公益性を持っていることなのかっていうふうな話にもつながってくる部分だったりするんですね。
確かに未然に起きてるかもしれないけど、でもその未然に起きたのと、自分がそういうふうな悪評を公共の電波でたくさんの人に流すというふうな行為というふうなのは釣り合っていないんじゃないだろうかっていう。
で、だいたいあのそういうふうな映画を配給してたりなんだりするような人って、もっとたくさん膨大な人が関わっていて、膨大な動き、お金が動いていて、悪影響を覚える人というふうなのはたくさんいるはずだから、それは釣り合っていないよねっていうふうなことも話をされてたりするんですね。
だから本当にあの、この批評やら何やらを流す際の公共性とか、その辺の部分に対して、とても感慨させるようなエピソードだったりしてたんで、まあ私はちょっと面白かったなーというふうに思ったんでね、ちょっと今回話をしてたりしたところです。
で、そんな感じで、批評というふうなものはどんなのかというふうなのと、あと批評する権利は誰が持っているのかとか、どういうふうな時に持つべきなのかというふうな話をしたので、
最後、ちょっとあの批評っていうふうなのはどういうふうにしたらいいのかなっていうふうなところを話をしているポッドキャストをちょっと最後に紹介して話を締めたいと思います。
で、こちらのポッドキャスト番組は、本の惑星、聞いたエピソードは、なぜ今批評なのか、三宅嘉穂が狙う派遣というふうなエピソードを聞いたので、これについて話をしておこうと思います。
で、こちらのポッドキャスト番組は、バリューブックスの代表をされていることでおなじみの内沼清太郎さんというふうな方がやられているポッドキャスト番組となっておりまして、
で、割といろんなゲストを呼んで、本についての話とか書店とか、本の周りに関するエピソードを主に喋られているような、そんなようなポッドキャスト番組だったりしております。
で、このエピソードは、基本的にこの三宅嘉穂さんが、批評というふうなものは、過去どういうふうなもので、現在どのようなものになりつつあるのかっていうふうなことを話をしているような話だったりするので、まあ私はちょっと面白かったなというふうに思っております。
で、三宅嘉穂さん、まあ書評家だったり評論家だったりとかっていうふうなところで、いろんな語りかけがあるような方で、今現在は視点倉庫というふうなポッドキャスト番組をやられておりまして、
ちょっと今回話から漏れてるのは、視点倉庫でも批評についてのエピソードがあったりするんですけどね。まあそれも結構興味深かったりするんですけども、そことちょっと行ったり来たりしつつ、このエピソードの方の話をしていこうと思います。
で、このエピソードにおいては、なぜ今批評が求められているのか、そしてなぜ今批評なのかっていうふうな話をエピソードとしてはされてたりするんですね。
で、その際に、そもそも批評っていうふうなのは何なのかねっていうふうなところから話をスタートしていくんですね。
で、批評っていうふうなの、まあこのエピソードを聞いて、ああそうだねっていうふうに思ったのは、ジャンルとしては3分に分類されるもんだよねっていうふうな話なんです。
言ってしまうと、何かしらの学術的な裏付けがあるわけではない、学術的な歴史の積み重ねがあるわけでもないものだよねっていうふうなところからスタートして。
で、結局のところ3分でしかないっていうふうな話をしているのが、ああそうだねっていうふうに思っている部分なんです。
で、これは冒頭のみんな揃って何もわからない雰囲気で俺たちは批評をやっているっていうふうなやつあるじゃないですか。
それになっているっていうふうなのは、そもそもの発声自体が3分からスタートしてるっていうふうなところからでかいものだなと思っています。
そう、本来持っている部分っていうふうなのは、誰かにマウントを取ったり、知識マウントを取ったり、これだけ語れる俺がすごいっていうふうに言うのではなくて、
見たもの、その話、批評を聞いたこと、読んだことによって作品の見え方を大きく変えることができたり、
あとは、それについて語っている人の美意識とかそういうふうなものにつれて、それがカッコいいと感じられることが一番いいことだよねっていうふうな話をされてるんですね。
だから、これからの批評に求められるのは、そういうような美意識とカッコよさだよねっていうふうな話をされてたりするので、
まあ、書くありたいもんだなっていうふうなことを聞きながら思っていた分だったりするんですよね。
まあ、そういうふうなこともありまして、このエピソードに関してはですね、そんな感じで、カッコいい批評とかそういうふうなものを増やすためにどうすればいいのかとかね、
あと、今現在流行っている考察も批評に分類していいのか、あとはちょっとその辺の部分で、考察が増えていて批評が何で減っているのか、受け入れが少ないのは何でなのかとかっていうふうなのをね、
ちょっといろいろと話をしていくので、とても興味深い話をされているポッドキャストだったなというふうに思っておりますので、
よろしかったらちょっとこちらのエピソードも聞いていただけるといいんじゃないかなと思っております。
で、そんな感じでわーっと批評について話をしてきたので、まあ最後にさっくりとまとめの方を話していきますけれども、
批評っていうふうなのは、そもそもインターネット以前は広告としての役割が強いようなものであったと思われております。
なんですけども、インターネット以降に関しては、視点の転換とかそういうふうなものをもたらすようなものっていうふうなのが今現在流行っているものなのかなと思っております。
で、視点の切り替えをもたらすものっていうようなことになってくると、考察がやりやすくなったりするようなと思うんですよ。
だから何かその描写から見え方を変えるようなことをやるっていうふうなことで、考察のそういうふうなことをやる方が容易なので、
考察が流行っていったりするのもこの辺の部分でいたしかたないような部分なんじゃないかなーって思っております。
で、批評というふうなもの自体っていうふうなのは、何かしらのそういうふうな批評理論とかそういうふうなものの積み上げっていうふうなの。
ちょっとあのまあ私今回ポッドキャストを聞いた限りでは、批評理論があるのは文芸と美術ぐらいだなっていうふうな感じがしておりますんでね。
まあだからそういうふうなものを学んでいる人の批評とかっていうふうなものは、かっこよかったり聞き応えがあったりするんですけども。
でも基本的にはそういうふうなものがなくてもできてしまうようなもんだったりするおかげで、いろんなところで批評するようなことっていうふうなのが増えているよねっていうふうな状態にはなっているんです。
なんですけども批評する権利に関しては、誰もができてしまうけれども誰でもやっていいわけでもないよねっていう。
その批評に関しては、ある程度の公益性を持って喋るべきだよねっていうふうな部分であるんです。
でもね、キャンセルカルチャー、特に何か悪いことをした人をキャンセルするとか、その辺の部分でやった方がいいこともあるのかもなっていうふうに思う部分もある一方、
逆でもないのに叩いてそれを出させないようにするのは、それは果たして公益性があることなのかっていうようなところで、ちょっと考えた方がいいことでもあるよねっていうような部分もあるかなと思うんですね。
で、そういうようなことをもう受け取ってできるようなもんだったりするのでね、まあこれからも多分無責任に批評というふうなのを増え続けてたりするようなもんだったりするんですけどね。
まあ今までもこれからも俺たちは何もわからない、俺たちは雰囲気で批評をやっているっていうふうなこと、多分これからの時代もずっと続いていくような状況にはなると思うんですけどね。