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そろそろ東京ネイティブ水上です。
みらです。
今日は記念すべきネイティブゲスト2号。
そうだった。ネイティブゲスト2号だった。
そしてゲストに来ていただいております。
じゃあ、どうぞ。
はい、東京ネイティブの啓太郎と言います。
東京都の江東区出身で、今は板橋区に住んでいます。
職業はコンサルタントをしています。
全部言ってくれた。
ありがとうございます。
で、今日は啓太郎さんに来てもらったのは、
私たちの何個前かな、たぶん2、3個前に出してる
折坂悠太が好きなはずなのにという回の
発起人というか、
持ち込み。
ネタをご提供いただいた方なので、
素晴らしい。
で、あれを聞いて、ちょっと違ったかもみたいな話があるらしいので、
その辺をまずお聞きしたいなっていうのがあって、
来ていただきました。
ありがとうございます。
まず、あの話がどういう話かを振り返った方がいい。
ちょっとだけ?
うん。
知らない人に?
そう。
じゃあ、振り返ってください。
お願いします。
あれは、
酔ってるんで。
私は、折坂悠太結構好きでよくライブとか行くんですけど、
それで年末に、
皆さんの家の近くでライブをするみたいな話があって、
すごい小さい箱で、
多分20人ぐらい入るぐらいなのかな。
多分そういうところで、
そんな狭いんですか。
多分そうだと思う。
小さい料理屋さんみたいな感じだからね。
で、もともと寿司屋だったとこだっけあそこ。
寿司屋が入ってるビルの中のみたいな。
そこでやるので、
抽選一緒に申し込まないかっていうのに誘ったら、
ちょっと怖いみたいな話になって。
怖いっていうのも、
政治的にアグレッシブかもしれなくて、
ちょっと嫌みたいな感じのことがあって。
年末。
そう、年末。
年末ちょっと。
で、じゃあどうするどうするみたいになって、
結局申し込んだけど、
全員落選して、
詐欺した結果、
いかなかった。
僕のパートナーと優君とね、
3人でね、
バラバラで申し込んだけど、
誰も当たらず結局ね。
でも結構そのやっぱり、
なんていうんだろう、
織坂優太は政治的なものとして見られがちなアーティストでもあるし、
自分もそういう発言してるし、
ご自身もね、ご自身もそういう発言してるし、
そういうところって結構くっついてるよねみたいな話を、
前回したんだと思うんですけど、
で、その時に、
もう一つの参照軸として、
だから皆さんの場合は、
音楽的には結構好きだけど、
なんか政治的な主張が自分とフィットするかわからないし、
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なんか過激な人がいっぱい来ると、
ちょっと嫌だなみたいな。
中央線だし、
その、そっちに、
そっちの空気が盛り上がりすぎる空気感だと、
ちょっと小さい箱でつらいかなみたいなね。
そうそうそう、だったんですけど、
逆というか、なんていうか、
対偶というかなんていうかわからないんですけど、
の現象として、
織坂優太のことは、
私は政治的な文脈とかを考えて好きなはずだけど、
音楽的にちょっとそんなに好きではないみたいな、
お話をされてる方がいて、
そのエピソードでは伏せてるんですけど、
慶太郎さんがもらったんですね、その話を。
っていうところでした。
なんか僕がその回を聞いたときは、
結構、なんて言うんでしょう、
僕がいなかったのもあると思うんですけど、
好きであらねばならないのに、
みたいな文脈の話をしてくださったと思ってて、
そういう風に受け止めてました。
ただ僕は別にそこまではなくて、
政治的思想は同じで、
いいなと思って、積極的に応援したいなと思うのに、
好きであれなくて、ごめんなさいって思うくらいの感じというか、
逆に言うか、別のアーティストで言うと、
シラップとかも、織坂優太と似たように、
そういう主張してくれていて、
僕、彼の音楽は結構好きなので、
そこは一致してて、
嬉しいという気持ちがありますね。
ごめんねなんだね。
ごめんねっていうか、
応援したいアーティストの中に入ってるんだけど、
そこと音楽性が好きが重ならない人、
重なるのがそのもう一人の。
シラップっていう。
ってことで、応援できなくてごめんねっていう感じ。
ごめんねっていうか、
もうちょっと言葉を尽くして言うと、
本当に音楽も好きだったら、
全身全霊をかけて応援し、
全てのライブに申し込んでいくみたいなことをしてもいいくらい、
応援できる要素が揃ってるのに、
最後の一ピースが欠けてしまっていて、
寂しいみたいな気持ちなのかな。
彼をライブに行くとか、
彼の活動、他の人と出会う活動の中心って音楽にあるから、
どうしても音楽性がないと、
直接応援するというか、
何か出会うみたいなことはできないですよね。
ちょっと難しい。
大して好きでもないのに何で来てるの?
他の人の席占有してるんでしょみたいなことを、
他のファンから思われるだろうなと思うし、
そういうもっと強く、
その人の音楽が好きな人が立ち会えれば、
別に政治的一層はそこの場に立ち会わなくても、
彼の端を見れば共鳴できるから、
そこの音楽が立ち上がる瞬間を、
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一緒に共有する場としてのライブを、
私がそこに行って楽しむことは難しいというか、
それはなんか失礼なことなのかなと思うから、
申し込まないし、
少し遠巻きに眺めてるみたいな感じなのかな。
逆にそのみなさんがおっしゃってた怖さみたいなものは、
織坂ゆうたファンの良くないところが現れてるなと思って、
たとえアーティストが政治的な主張をしていたとしても、
その場は誰にとっても安心できる場であるべきだし、
それをファンの行動とか、
そういうライブの前とか、
そういうファンダムみたいなものが形成してる雰囲気がそうさせてるんだとしたら、
それはもうちょっと、
僕みたいな織坂ゆうた好きは、
帰り見なければいけないと思いますけどね。
僕の不安点はでもそうだなと思いますね。
真っ向から対立する思想なわけではもちろんないんだけど、
音楽が好きだなっていうだけで、
乗っかってもいいのか、
音楽じゃないところがすごく強調されている空間になってしまうときに、
自分がそこに馴染め、
すごく負荷を感じるんじゃないかみたいなのがやっぱりありますね。
その相談をゆうくんにして、
そこは全面に出ないというか、
当然みんな共有すべき価値観みたいなのはそう受け取ってるというかね、あるけど、
より人を選ぶようなことはあんまり言わないと思うということで、
申し込みをさせていただいたんですけども、
会えなく、残念。
全員ハズレを抑えにして。
やっぱ20人くらいしか会えないから狭きもんだったんですかね。
だったと思いますよ、きっと。
それだけ織坂ゆうたとの距離も近い。
だからこそ不安みたいなのがありますよね。
1000人とかのチェップみたいなところだったら、
まあいいかなって思ったかもしれないけど。
そこの寿司屋さんの入っているビルなんですけど、
寿司屋さんを年中貼ってあるんですよ。
織坂ゆうかとかのポスターを。
その店主も大ファンで、ぜひ貸したいみたいな。
あのビルの持ち主と寿司屋が同じかわからないですけど、
少なくとも会場になったビルに入っている寿司屋さんは、
熱烈に応援してるんだろうなみたいな。
なるほど。
だったんで、ちょっと怖かったですね。
これでも話した時にさ、
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いろんな話ししちゃったけどあの時。
音楽生と彼が、アーティストがする主張みたいなのって、
どっちかを選ぶことってできるのかみたいな。
主張、思想みたいなのは選んだとして、
それが音楽性が合わないっていう、
ケタロウさんの立場はあり得るとしても、
音楽は好きだけど、この人の言ってることっていうのって、
あり得るかみたいな話はしたよね。
それはどうでした?その辺。
ちょうど、それですぐ思い出すのはコーネリアスの話もしてましたよね。
ちょっとだけ。
あとは作家とかでも、
トランス差別的な発言をしてしまう作家がいて、
その作品を読んだことがあったりとかすると、
複雑な気持ちというか、
作品としてはいいなと思ったけど、
でもその根底にある主義主張が違っていると、
手放しに応援はできない。
ただ、作品はいいけど、
こういう作家の思想は批判すべきだよねってセットで言えば、
別にその意見とかその作品を楽しむこと自体に
罪はないと思うんですよね。
ただ、僕も昔すごい好きだった作品があって、
狼子供の雨と雪って映画がすごい好きだったんですけど、
今も好きなんだけど、
あの作品にはすごいたくさんの問題点があって、
自然浜間をすごく過度にすごいいいものとして描いてたり、
結局自分の殻にこもって社会に殉納していったお姉ちゃんの方がいい、
みたいな描き方をしているみたいな話とか、
フェミニズムの文脈で見ると、
いろんな問題が母を深刻化しすぎているみたいな。
でも、当時の僕にとってはすごい大切な作品だった。
その作品に対して思った自分の感情と、
批判すべきかどうかっていうのを分けて考えていいんだっていうのが、
最近分かってきたというか、
それと似たようなことが、
アーティストの政治的主張と音楽をいいと思うかみたいなことでも、
同じことがあるんじゃないかなと。
それを思えたきっかけが、
北村沙耶さんっていう武蔵野大学で、
シェイクスピアの研究している人の本、
お砂糖とスパイスのタイプの、
ちょっと忘れちゃったんですけど、みたいな批評の本があって、
その中ですごいそのことを書いてくれてて、
あの時僕が好きだと思った気持ちは、
ちゃんと認めてあげておくって、
でもこういうところに問題があるよねっていうのを、
作品の中にでもそうだし、作家でもそうだし、
それをちゃんと理解した上で、
その問題があるってことを知った上で、
でもここはこういうと私は思ったんだよっていう宣言をするのは、
ありなんだと思っている感じですね。
すごくなんだろう、
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中立的な意見が大事。
確かにね、今出てきた映画、
オンカミ子ども?
好きですか?
好きだったと思いました。
嬉しい。
昔見て、僕が勤めてた、
そっか、あの辺り?
あの辺りなんですよね。
そうそう、この間展示されてたよ、21世紀美術館に。
本当?
僕あれ、感想文コンクールっていうのがあって、応募して、
そういう年代に見たんですね、かなり。
僕がちょうど高校2年生とかだったかな、
で、受賞して、
なんか富山県ですよね、あれ。
そうですよね。
富山の特産品が送られてきたりして、
すごい。
今実家にその、何々章、
〇〇様みたいな盾?
埃かぶってますけど、ありますね。
だから僕の批評精神の入り口になった作品なんですよ。
批評精神。
でもそれをTwitterとかで検索したら、
もうフェミニストたちが大引き下ろししてて、
こんな作品を作る細田守はクソだ!とか、
こんなもんが国民にばらまかれたら、
みんながみんなこういう母?
異種感をした母を称賛し、
男はどっかに逃げて死んでも何の責任も問われない、
こんな物語が称賛されてはこの国は終わるみたいな、
ところまで言ってる人とかもいて、
確かに、確かにって思う自分がいて、
でもそういう作品に初期的にこんな嬉しくなってしまった私って
ダメなのでは?って思ってたんですよ、長いこと。
でもそこは切り離してもいい。
感情的にその作品をいいと思うかどうかっていうのは、
その作品が優れているかとか、
いいと思えるかってことと、
切り離していいということが、
理論的には分かってたけど、だんだん染み込んできたんですよね。
なんか結構同じような、
僕はすごく熱中して好きだったってわけでもほどなんですけど、
調べるとそういう文脈が出てくるなみたいなのは、
他でも経験したなとか思いますね。
特に細田守さんは、
継続的に、
母とか、家族とか、
母とかのその深刻感が見られる、
特に彼自身が脚本を手掛けてからもそれが顕著だっていうのは、
あるんだろうなと思いますね。
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でも確かに、
それが難しくないですか。
自分がまだそういうものに無自覚だったから感動しただけなのか、
とかっていうのはあります。
僕もそれも思って、
細田守監督作品ばっかりの話になりますけど、
龍と蕎麦菓子の姫、見た時は、
結構全般的には好きな面はあるんですけど、
結構特に後半にかけて、
見てる最中からも、
おっと、なんかもやもやしだすみたいな自分があって、
じゃああれの自分が感じたもやもやと、
かつて素直に受容した、
雨と雪の話と、
じゃあ何が違うというか、
自分が変容しただけなのか、
作品自体が違うのかって、
そこに切り分けが難しいなって思ったりもしたんですけど。
龍さん見ました?
どっちも見たと思います。
見てないんですよ、ごめんなさい。
見てほしいね。
見てほしいかも。
ぜひ作品紹介。
気になる?
感想文を書いたならば、
どうなったのかというのは、
見たらいいんじゃないかな。
確かに、
なんだろう、そのエゴサみたいなこと、
自分のことじゃないけど、
作品のエゴサを知った時に、
どういう問題点があるかっていうのは、
知っちゃった後にまた見るのと、
何も前情報なしに見るのとでは、
もちろん感じ方が違うっていうのは、
おっしゃる通りだなと思いますし、
ただ、なんだろう、
僕の個人の主義ですけど、
そういう誰かの大切なものを踏みにじってしまう自分よりも、
こう、そういう問題点があるんだって知って、
避けようって踏みにじらずに済む自分だったら、
後者の自分の方が好きなので、
そういう、この世界にいくつもの踏んではならない爆弾みたいなものがいっぱいあると思うんですけど、
それを一つでも避けていられる自分になるために、
必要な作業だと思うから、
たとえその1回目の感想の方が尊くてピアだったとしても、
その2回目というか、
より世界について分かっている自分で見た感想の方が、
自分にとっては望ましいものだと思いたい。
やはりいいですね。素晴らしい。
自分がその、かつて踏まれてきたものを、
自分は踏みたくないという気持ちがあって、
それをやめるために必要な知識を仕入れたりとかすることは、
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なるべく厭わないようにしたい。
知ったからには是正するし、
知れたことを評価するというか。
本当はみんなそうやって身につけていったはずだと思うんですよね。
そだまんもるさんを批判している人も含めて。
批判している人たちは自分がそうやって身につけたけど、
表現者、この世界にそういう作品をアウトプットしている人たちが、
そのように成長しているという過程としては見ない部分はありますよね。
もし、真に社会が成熟していたら、
そもそもこういう作品おかしいよねっていうのが、
高越みたいなところで入って、
もうちょっとこういう拍子にした方がいいとか、
デコイレが入るはずなんだけど、
それは行われず、ここまで来てしまった。
ベストなのは、こういう問題があると、
私たち制作部は理解しているけど、
こういうことを描きたいからやっているんですよ。
やってくれたらいいのになぁと思うけど、
日本のエンタメはそこまで成熟していないというか、
そこまで説明しちゃうと、
今日がそがれるという気持ちもわからなくはないけど、
それで傷つく人が減るんだったら、
そういうのがいい。
トリガーアラートとかも似た話なのかなと思って。
よく演劇とかだと、
この作品は自負について取り扱っていますとか、
性暴力について取り扱っていますとか、
実際に行為は出ないけど、
性的な表現がありますとか、
こういう表現があるから、
もし苦手な人がいるんだったら、
連絡してくれたら台本を渡すから、
読んでもらって、
大丈夫かどうか判断してから見てくださいとか、
があったりするんですけど、
そういうものを多分、
制作側から出していると、
この作品はこういう問題があるって、
理解しているけど、
でも本当にこの作品、
やりたいことをやるためには必要だと思っているから、
数ある表現の中で、
これを選んでいるんだということが宣言されて、
その方が望ましいのかなと思います。
もちろんその、
あ、この描写あるんだって、
いわゆるネタバレにも間接的になるから、
それが嫌だっていう人がいるのも分かるけど、
それで何か、
未然に爆発をね、
フラッシュバックとか、
BTSDとか、
防げるんだったら、
そっちの方がいいよなと思いますね。
それが、
何だろう、
その、
たまに思うんですけど、
そういう、
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いろんな経験をした人がいて、
またその、
守らなきゃいけないものに、
自覚的だからそのアラートが出せるんであって、
その素養がないとそれも出せない、
っていうことだと思うんですね。
でも何かこう、
こう、
その表現の自由みたいなものが、
無制限に尊くていいというか、
それが非常の価値で、
それのためだったら何でも許される、
あらゆる表現は許されるみたいな、
ものという感覚で、
リベラル面をしている方々もいらっしゃるじゃないですか、
その辺がすごく何か、
この日本の創作というか、
業界の難しいところなのかなとは思うんです。
多分さっき話に出たその、
その、
何と、
何でしたっけ、
あの、
あの、
あの、
デザイナーの人とか、
ああいう人たちってどっちかというと都市的なリベラル層の中から誕生してきた方々だと思うんですね。
もともと、
その、
よりこう、
アッパーな方々の中から出てきたと思うんですけど、
彼らが別にその、
球体前として保守派だって見えられてたわけじゃ決してないだろうし、
だけどああいうことが起きるとか、
どうしたらいいんだろうって思うことが最近、
よくありますね。
私、
作品、
でも講演みたいなのが大事なのかなって今お聞きして思いましたね。
その作品、表現者の未熟さみたいなのをカバーしてする体制みたいなのがもう少し、
みんなのためにあるべきなのかなというか。
森社さん。
どうぞ。
メッシュワークは、
そういうブレーキ的な側面で。