00:00
はい、そろそろ東京ネイティブ水上です。 はい、そろそろ東京ネイティブ水上です。
ミラーです。
緊急で。
動画回してないです。
動画回してないですけど。
緊急ではないけど。
動画回していて、本当はもうディープなやつを1本撮ったから、終わり終わりと思ったんですけど、
1個話してないことがあったっていうのを皆さんにちょっと教えたくて、
iPhoneで緊急で撮っていますけれども。
はい、ですね。
テーマ、私、事前に書いてるんですけど、
私は折坂悠太が好きなはずなのに、
ということを言っているお友達がいまして、
その人は、分かりやすく言ってしまえば、とてもリベラルな人で、
自分の政治主張からいくと、
折坂悠太は好きで叱るべきなのに、
なぜか好きになれないということを悩んでいらっしゃる方がいて、
いや、悩まないやろってまず思うし、
音楽性がちょっと合わなくてみたいなことを言ってて、
いや別にじゃあ普通に嫌いでいいじゃんみたいな、
嫌いというか別に好きじゃないとかね、
いいじゃんっていうふうに思うんだけど、
私は折坂悠太が好きなはずなのにっていうふうにおっしゃってて、
面白いよね。
どうしたって思って、ついその話のときに、
私の皆さんの間でも、
折坂悠太について聞いたもんじゃなかった。
そう。
それがちょっと結構類似系というか、
そうだね。
問題系なのかなと思ったっていう話なんですよね。
我々の間にあったことは、
ゆうくんが去年の年末、
結構奥の家の近くで折坂悠太のライブが行われるから、
一緒に行こうというふうに誘ってくれて、
抽選にね。
抽選に。
出そうみたいな。
で、奥も折坂悠太の歌好きで、
前からゆうくんがいいっていう、
ライブはとにかくいいっていう話を聞いてたから興味があったんだけど、
奥の家、その回が抽選でしかも、
奥のパートナーも一緒に行けばいいかなと、
3人で申し込みたかったんだけど、
1人ずつしか申し込めないんでね。
そうそう。
狭い空間だからっていうのもあったよね。
本当にうちの近所っていうか同じエリアだったから、
その日は年末で、奥とパートナーが去年の年末過ごす最後の夜みたいな感じだったので、
一緒に過ごせる。
翌日はちょっと無理で、翌日もしか買えなきゃいけないみたいな。
03:05
で、僕がゆうくんに言ったのが、
織里坂ゆうたのライブに行くかどうか迷うっていう。
なんでかっていうと、
彼の歌はいいと思うんだけど、
彼の政治的不調がライブパフォーマンスの中に織り込まれるとすると、
非常に警戒するっていう話を僕がしてたの。
政治的な主張みたいなのが、
僕はあの人の政治的主張すべては知らないけど、
なんとなくリベラルで、結構リベラルなのかなみたいなのはだんだん感じてて、
かつ、僕の家って中央線沿線なんだけど、
中央線沿線ってそういうカルチャーの人たちが結構たくさんいて、
普通の大きな箱では出ないような言動が、
中央線の小さな箱では飛び出すんじゃないか。
それをパートナーと過ごす最後の夜に、
しかも一人で行かなきゃいけないっていうリスクを抱えて申し込むのが、
ちょっと嫌だって話を。
ここですごいちょっと賛同しにくいアジテイトみたいなのが、
年末に浴びたくないみたいな。
歌はいいけど、歌じゃないところで、
すごいちょっと全面賛同はできない強い言葉を浴びたら、
ちょっとしんどいんですけどっていう話を、
申し込みする前に相談したんだよね。
相談してた。
私は何回かライブ行ってるから、
でも大きい箱でやってるからわかんないけど、
そんなにめっちゃ強い発言をする人ではないと思うよっていうふうに返事をしたんですけどね。
みなさんが思う強いアジテイトってどういうことか。
それはちょっと僕もちょっとわからないけど。
あんま最近聞かないけどね。
たまにね。
学生運動みたいな。
みたいなね。
いらっしゃるからね。
そういう人はいらっしゃるね。
でもさ、みなさんはどっちかっていうと、それもそうだけど、
集まってくる人が怖いかもみたいな。
怖いかもみたいなね。
それはなんとなくわかるよ、私も。
中央線だからさ。
中央線だからさ。
本当にね、最近は特に所得が高い人が多いから、
06:04
オリベっぽい人もたぶんいっぱいいると思うんだけど、
やっぱり彼のカルチャーとかだともうちょっと違うかなとか、
実際やっぱり沿線の特色ってあるなとは、
この間選挙もあったけど、投票とかの傾向もあるし、
あと朝日新聞ってね、中央線に沿ってね、
高得力高いんだよとかもある。
あとはもう全域で高いのは読売新聞なんだけど、
日経が都心3区とか呼ばれてる港区とか千代田区とか中央区とか、
あの辺で強くって、そこから飛び出て、
中野からずっと中央線沿線に向かって朝日新聞の高得が高いみたいなのがあるので、
どの新聞がいいとかじゃなくて、やっぱりそういう傾向がある。
そういう人たちが小さな箱に集まってくるから、
どういう空気になるのかと思って、自分の近くで。
なるほどね。
っていう不安をトロして、結局僕は歌は好きだし、
僕のパートナーも結構乗り気だったんだよね。
彼のパートナーもかなり好きというか、たまに聞くよっていう人だったから。
で、一旦申し込んだんだよね。
3人バラバラに。
全員落ちたんだけど。
騒いだ割にね。
で、年明けてゆくの友達が、さっき冒頭に言ったようなことを言ってるっていうのを聞いて、
すごい面白いなと思ったんだよね。
だからそこまで思わせてしまう織坂優太。
すごいね。
政治性だよね。
だからゆくの友達は、政治的な主張、
彼の界隈では、織坂優太というのは、政治的な態度とかで信奉されてる。
多分そうなんだろうね。
だと思うんだよね。
私のいつも織坂優太のライブに一緒に行ってくれる友達も、
それを信頼できるみたいな。
だけど、同じ界隈、カルチャーに染まっている彼は、
織坂優太の音楽は好きじゃないんだもんね。
で、奥は、音楽は割と好みな方なんだよね。
なんだけど、そこまで、彼の政治的主張によって彼が信頼できるとか、
もちろん信頼できる部分もあるけど、
最近いろんなちょっと信頼できない人が多いから信頼できるんだけど、
09:06
それを浴びたくはないんだよね。
音楽を聴くパッというか、それは求めてないというか。
私、全部賛同できるかはちょっと分かんないみたいなね。
だから、僕もゆうくんの友達も、
あんまり織坂優太ちゃん自身を見てないのかもなっていうか。
そうだな、思うよ、君たちは。
そう、って思った。
だから、違う方向で同じような、何だろうな、
なんか、勝手なことしてるというか。
でもね、政治的主張もその人の一部ではあるから。
しょうがないというか、そうであるべきだと思うけど。
ゆうくんのお友達の感覚がすごい面白いなって思った。
好きであるべき人みたいなのは。
そう、その人はほんと面白いと思った、私も。
そんなことない。
ないね。
べきなことなんてないのに。
でも、それがあるし、なんていうの、
ブルーリューとか言うと、ブルーリュー警察が来そうだから。
社会資本とか文化資本とか言い間違えるし、
みんな間違った使い方してると。
でも、そこが密接だよね。
だから、やっぱり、そこは変えられない趣味思考みたいなのって、
その人がそれまで何に触れてきたかみたいなことが、
如実に現れてしまうから、変えられない。
でも、こうありたいみたいな人たちの趣味思考と、
乖離してると、やっぱ悲しくなるよね。
そうね。
私だってその良さが分かりたいのに、究極的には分からないっていう話になっちゃう。
美術とかもそうだよね。
美術とかも、分かりやすい絵が綺麗だな、いいなっていうのは思うけど、
文化的な素養が高くないと面白みがわからない絵ってあるんで、
12:03
そういったものを分かる人と一緒に楽しみたいのに、楽しめないみたいなことってあるわけじゃん。
逆もしかり。
だから、ラッセンの絵なんで買うんだろうみたいな感じになってるけど、
周りの人がみんなラッセンいいねってなってたら悲しくなるよね、そりゃ。
ラッセンの絵が私も好きであるべきなのにって思うよね、そりゃ。
そうかもね。
ってことかなって思ったんで。
音楽と政治って結構近いのかなって思ったの。
ロックみたいなものって反対性的なところとか、黒人の音楽みたいなのとか、
そういう社会問題みたいなものから、
それを、あとファッションとかもかなと。
全ては政治的ですけどね。
なんだけど、だんだんそれがひとつの作品、芸術として見られていくと、
そこがなんとなく分離される。
芸術性だけ越し取られるのかな。
ちょっと表現しにくいけど、
ロックをロックとして聞いて、
その先が行き着くと、愛国者がロック歌いだしとかするみたいなことも起こってくるわけだよね。
それはロックなのかみたいなことが多分来ると思うんだけど。
ファッションとかも、黒人ファッションみたいなものが大衆化するとかね。
編み込みするとかね。
それを文化の摂取というか、東洋だって言われることもあるかもしれないし。
だから、そこって分離されてるっていうのが正しいというか、
15:04
どっちも分離されてない。
今はおりさが言うと分離されてないという界隈がいるわけじゃない。
彼の政治的態度と音楽っていうものが一体となって信奉されてる集団がいて、
彼の政治態度は肯定的だけど、音楽を肯定的に見てない人もいると。
それはおりさが言うたが、そこの格闘がすごい面白いんだけど、
政治宗教とか、訴えたいことと音楽って分離できるのかっていうこと。
そもそもね。
そもそも。
だから、それを訴えたいことに、彼の性的な音楽じゃなくて、
言葉とか出てきた時とか、いろんなことににじんでくるものに対して、
今、日本って歌手の人はあんまり政治的な発言しないから、
そういう文化に染まってきた奥なんかが、
そういうことをちょっと言う歌手の人と出会った時に、
ちょっと警戒するっていうのもしてるんだけど、
それも結局おりさが言うたの音楽が好きだとしても、
彼が言いたいことは分かってないってことは、
彼の音楽を理解してないでしょって言われてもおかしくないと思うんだよね。
なるほどね。
そうかな。
わかんない。
なんかちょっとあれも思い出したんだよね。
フランスのライステって制度があって、文化と宗教を完全に分離するっていう。
はいはい。
すごい賢いっていうか、面白い制度だなって思ってるんだけど、
調べると結構歪んでるなと思って、文化と宗教で分離可能なのかっていうと、
フランスの共和国として、それは分離可能だっていう前提で
あの国が立ってるみたいな感じを受けるんだけど、
実際じゃあ分離可能かどうかっていうと、
僕にはすごく怪異的に見えるっていうとか思うんだけど、
外から、あの国の外から見たら、その2つって別に分離される、
完全に分離できるもんじゃなくない?みたいな。
でも分離できてるっていう、分離しなければならないっていう前提で、
他の国は動いてるんだよね。
なんかちょっとそれに思った。
どういう制度なの?
宗教教育を禁止するとかなんだけど、
一番特徴的というかすごいのが、1905年だったかな。
法律でライステっていうのを作ってきたんだけど、
それでやったのが、それ以前にできた教会すべてを国家の所有にしたんだよね。
18:01
ほぼすべてカトリック教会なんだけど、
カトリックのフランス文化としては、
その教会のとかそういうものがあるということは保護するんだけど、
その宗教、それを作った宗教みたいなものは国家と完全に切り離す。
だから教会は教団の持ち物じゃなくて国家の持ち物で、
それを貸すっていう、使用する権利を与えているっていう感じなのね。
今何が起こってるかっていうと、これ奥の解釈なんだけど、
国家の所有ってことは、つまりその教会、
教会として作られたそれの保存にかかる費用って全部国家が持ってるんだよね。
そうすると、じゃあ1905年かな、たぶん。
その頃に、ただ以降にできた教会とか、それ以降にできたイスラム教のモスクとか、
それ以降にできたシナゴーグとか神社とか寺とか全部は、
それって教団の持ち物で、教団が自分たちで管理運営してるんだけど、
カトリック教会だけは、巨大な教会の維持費から免れてるわけよ。
そうだよね。
だからそれって実質的に、カトリックという宗教に特権的地位を与えて、
保護してるんじゃないの?ってなるんだけど、
フランス、たぶん国内でいろいろ議論があるんだけど、
それは国家が保護してるのは宗教じゃなくて文化なんだって。
フランス文化、イスラムとか、後から入ってきたのはフランス文化ではないわけよね。
だから、カトリックの教会がある街並みとか、これが存続しているっていうことがフランスの文化だから、
それは保護するけど、教団自体を保護してるのではないっていう理屈。
なるほどね。
でも、日本の宗教分離とかからするとすごく歪んで見える制度なんだけど、
アメリカとかイギリスなんか国境があるからさ、どの国も何が正しいとかじゃなくて、
他から見たら宗教と文化って本当に分離できるの?
我々が今文化って呼んでるものの大半って宗教じゃないの?
っていう見方からするとすごく歪んだ制度だなって見られると思うんだけど、
なんかそんな感じ?
見方を変えたときに、彼の音楽性、彼の政治的な宗教を受け入れてるわけじゃないというか、
警戒を持ってる人は彼の音楽性を認めてないっていう主張も成り立つし、
21:02
彼の政治的主張はわかるけど彼の音楽性がわかんない人が、
彼の政治的主張も理解できてないあなたはっていうのも成り立つのかなとか。
演歌ってもともと演説家でしょ?
演歌の演説としての方だけ残って演説じゃない演歌ができてるから、
それは結構分離されてるものなのかなって思うけど、
めんどくさいね、そういうのって。
でもそういう界隈あるなと思う。
この政治的主張というか、我々に賛同するっていうことは、
この人のことも賛同するよねみたいな。
まああるよね。
この人のこと好きだけど、この人のこと好きってことは、
政治的にはこっちだよねみたいに受け止められちゃうみたいな。
あるあるある。
それどう飲んない医療ロギーもあるよね。
でもやっぱそこは違う。
いやわかるよ。一瞬な質地を持つし、
そういう思想があるからこそ醸し出せる歌詞とか音楽性とかっていうのは、
あるんでしょうよ。きっとある気がする。
でもなんか、やっぱり私はなんかその、
この前に収録した話じゃないけど、
イデオロギーとか論理とかよりも先に、
身体的な経験があると思ってる派閥だから、
そこから考えると、その身体的な経験っていうものは、
を細かく見ていくと、
政治出張とかが関わらなくても、
いいと思ったり悪いと思ったりする部分があり得るんじゃないかと、
信じたい派ですね。
24:02
それは信仰の問題だと。
そうね。
だから、
受け取ったメッセージは同一でも、
音楽から受け取ったメッセージみたいなものがね、
同一でも個別の課題への態度は異なるってことは、
あり得ないこともないのかなって思うんだよね。
例えば坂本隆一さんって、
この間ちょっと前亡くなった音楽家の方でいたけど、
あの方の音楽は、
僕は素敵だと思うんだけど、
前ここでも話した、神宮の外縁の開発問題とかで、
すごく反対に祭り上げられてるわけなんだけど、
僕は反対派ではないんだけど、
彼の音楽が例えば、
自然というものは素晴らしいとか、
あの日の自然の中で倒れた恐竜みたいなものを受け取ったとして、
それによって、
外縁の開発を止めて今のまま保存しようと思う人もいれば、
それは別というか、
あてがあることで内縁が成り立つというか、
明治神宮自体の存続というか、
あのもっと巨大な森の存続が成り立つとか、
外縁自体の木の本数も実は増えるよねみたいなとか、
いろいろ立場が分かれるかもとは思う。
彼が好きだからって言って、
彼のパワハラ疑惑みたいなのも、
肯定する人はいないかなと思うし、
そういうこと?
身体で受け取ったものと、
言葉で発するものっていうのは別なのかな?
差別にしといたほうが、
健全かな?
受け取れるものが増えると。
コーネリアスの話とかもそうじゃない?
そうだね、そうかもしれない。
そういう発言とか、
があったってことはそうなんでしょうけど、
でもやっぱり、
その作品が、
お聞けなくなるとか、
この人たちがパフォーマンスする機会を失うとかっていうのは、
なんかちょっと違うなって気がする。
これさっき話した国宝もそうかもしれない。
今、大ヒットしてるやつ。
先日見たんですけど、
映画として本当に素晴らしかったのね。
27:03
さっきもゆうくんにちょっと別で言ったように、
ストーリーとして、
そんなに魅力的だとは思ってなくて、
それよりとか、今この社会にあれが必要だったかっていうか、
あれで訴えてるものみたいなのが必要かっていうと別にそれも思わないよね。
ただ、映画というフォーマットで作られた大変美しいものだなと思うんだけど、
すごく面白いし、もう一回見たいって思うんだけど、
映画として、映画という形で、
あれをドラマで2分割、3分割しても、
あの価値は出せないんだろうなっていう。
3時間のあの映画だから、あの美しさがあるっていう気がする。
内容、今この世界に、
あっ、これがあっ、この作品が作られてよかったって思うものは、
どっちかというと去年ご紹介したラブ・イン・ザ・ビッグシティとかなんだよね。
でもあれは別に映画じゃなくてもいいかもしれない。
5話とか10話とかのドラマに分割されても、
その価値ってそんな損なわれない。
でも国宝は損なわれると思うんだよね。
たまにその国宝を、
フェミニズム的に考えたらクソみたいな話なんだけど、
多分そういう批判をされている方がいたし、
僕もそう思う。
なんていうか、そうでしょうけどひどい話だなって。
最後のとことか。
美しいし、すごく、
昔ミスメラでやってた、
悪のない、
悪でない美はあるかみたいなのが近いかもしれないけど、
すごい、
ストーリーとか最後の持っていき方とか、
すごい嫌だなって思うんだよね。
嫌だなって思うけど、あれが映画として美しい。
一種すごく素晴らしい完成形にあるのは間違いないのかなと思う。
それが僕が感じたことだよね。
だけど、
どっちも感じたことだけど、
あれがこの社会にとってどうかみたいな話と、
あの映画が美しいかどうかはまた別なのかなって、
格闘に若干今あるんだけど、
それを思い出しましたね、今のお話で。
30:05
みんなの理社会が聞きに行く?
あなたと私と、
僕のお友達と、
あなたと一緒に行っている界隈の信仰者と。
界隈の信仰者と。
なんで政治的なことにしようとするの。
分かりました。
次、東京でライブがあるときは。
みんなで集合しようか。
あなたと私の言っているお友達は、
結構靴の時間なんじゃないの?
そうね、確かに。
着たくもないところに行きたいから。
そのお友達が一番、あなたのお友達が。
特別にそこが好きじゃないのにさ。
なんで行かなきゃいけないの。
ここでライブDVD鑑賞するの。
そうやったらいいかもね。
彼自身に話を聞いてみたいなって思うね。
どう思っているのかって。
そう。
どういう界隈にいるとそう思わされるのかな、みたいなね。
でもなんかね、最近そういう方向の勢力というか、
いろいろと弱まっているというか、
片身の狭い思いをしている、以前より。
っていうところがより操作されるかもしれないのかな。
もっと文化についての知識があると、
これがどういう現象なのか、
言ってくれる人いるかな。
文化についての知識。
聞こえるかな。
でもここで言われている文化ってすごく、
競技の文化というか、
それこそ文化人文学でいう文化って、
政治とか関係あるんだけど、
もうちょっと包括的な概念として扱うんだよね。
33:00
それを本当に、
人間にとって文化とは何かみたいなレベルから考えるから、
文化とは後天的に得たもので、
それが共有されており、
さまざまなパターンの集積であって、
それが次の世代にも受け継がれるものが文化だっていう言い方をしたりとか、
いろんな定義があるんだけど、他にも文化って。
そういうふうに考えると、
今言ってる文化って、
ほとんどやっぱ政治と近い使われ方をしている気がしていて、
この一連の。
今まで言ってるもの。
なるほどね。
さっきのフランスの教会の話も、
文化と宗教を分離するっていう話をしてるんだけど、
実際やってるのは政治的なこと。
だから政治的なリソースを宗教と呼ぶものに振り分けるかどうか。
そうだね。
という話をしているから。
振り分け先の宗教というものを狭めて、
文化というものを。
仮に作ってる感じ。
僕もそういうイメージがある。
宗教はすごく明確な概念としてある。
聖典があって、法人があって、団体があって、みたいな感じがあるけど、
逆にその対比されている文化というものは、すごく曖昧というか、
宗教ってあんまり同じ流度で本当は語れるんだと思う。
無理やり比べている感じがして、
でも本当はそこに入るのは、さっきの話だとやっぱり政治なのかなって。
政治と宗教を分けるって話をしてると思うんで。
でもそれが政治的に使われているって話をしてるというのかなっていう気がしていて、
さっきの音楽を多分文化とイコールみたいな感じで語ってたと思うけど、
でも本当はそれは文化というよりも、
音楽そのもの、音楽活動だったり音楽そのものであって、
36:08
それは文化ではないんじゃないかという気もする。
文化そのものではないから。
文化を構成する一部ではあるけど。
文化って言葉が小さくしたり大きくしたり、都合がよく利用されすぎてる。
されすぎてると思う。
界隈の文化みたいなものは、界隈の政治的態度みたいな方が正しくて、
文化っていうのは、あなたたちの界隈に収まらない、
もっと広範な人類の活動では?みたいな。
そういうことだと私は理解している。
そういうふうに文化という言葉を使ったほうが良いと思っている。
そうすると、この友達の悩みも結構スッキリするのかな。
その界隈が推す政治というものでその界隈が中退があるとすると、
政治的主張によってまとまったその界隈が推薦する音楽が
織坂ゆうたなだけであって、
その界隈の政治的主張には賛同したとしても、
織坂ゆうたを支持するか、その音楽を肯定するかは、
そこで分けられるというか、
その界隈のノリみたいなのを文化とか、もっと曖昧な言葉で言っちゃうと、
我々のもっと内面までそれに従わされるような感じがしちゃう。
文化を共有しているみたいな言い方をすると、
何まで入るの?みたいな感じになっちゃうから、
何でも入れちゃうことになっちゃうから、
良くない気がする。
だから苦しくなっちゃう。
私は彼らと政治的主張を同じにする仲間であるはずなのに、
文化を共有できていない。
それは結構ナショナリスティックな文化感というか、
ともすごく密接で、
文化を共有しているから日本人であるとか、
文化を共有していないから外国人だみたいなことを言い始めたら、
39:06
かなり危険。
だからそれは、
そのことを内面化しているってことに気づいたほうがいいと。
なるほどね。
だから、そういったね、
文化って言葉が広く深いというか、
包括的すぎるけど、
それを恣意的に運用すると、
全部みたいな、
自分の自己を塗り替えられるような思いがするんだろう。
そう思う。
それはあんまりやらないほうがいい。
良くないね。
政治は政治、音楽は音楽。
そうね。
って知っていたほうが、宗教は宗教って知っていたほうが、
それらと適切な距離を持てると。
それはもちろん密接な関わりはあるけど、
その界隈が、
何らかの集団が浸透しているというのは、
それは音楽性であったり、
政治性であったりなんだけど、
それはイコールじゃない。
イコールじゃないし、
しかもその界隈とか集団とかの中にも濃淡があるはずで、
その中にも堀坂祐太嫌いな人もいるはずだし、
言ってないかもしれないけど、
好きな度合いというか、好きな場所も違うはずなんですよ。
顔がいいと思っている人もいるだろうし、
洋服が好きみたいな人もいるだろうし、
歌が好き、声が好きみたいな人もいるだろうし、
音楽が好きみたいな人もいるだろうけど、
それはすごく実はもっと複雑なもので、
しかも堀坂祐太という記号との関わり合いも、
それぞれ結構違っているはず。
本当に政治的な人をもって好きだというふうに言っている人もいれば、
実はお姉ちゃんの元彼だから、
結んでからちょっと好きなんだよみたいな人もいるだろうし、
誰か嫌いなんだよみたいな人もいるかもしれないし、
それは結構細かく見ていかなければわからないことなのに、
一緒にしちゃうということの危なさがある。
文化と呼ばなくても、
文化ってさっきゆうくんが言った定義ってすごくちゃんとした定義ではあるけど、
一人の個別の人間、この時代の私という人間にとっては非常に大きな定義で、
いろんなものが内包されるから、
42:02
それを恣意的に小さな範囲に運用すると、
自分の文化に入るものが、何でも文化に入るから、
この文化を共有しているみたいなことを言うと、
私という人間の持つあらゆる要素、
周りのあらゆるものを塗り替えちゃうし、
危険だし、
文化の中にある音楽とか、
音楽って音の音が出るものなんだろうなってことだけど、
音とメロディーというか、
あと政治とか宗教っていうのはなんとなく境界線が、
それぞれの境界線がわかるけど、
文化ってした途端にそれぞれ全部一緒くたにされて、
一緒くたにそれに乗っからなきゃいけなくなっちゃう。
その文化が持つ文化の定義が広すぎて、
中の人間には文化が曖昧。
文化がどこまで文化かわからない。
全部なんだけど、
全部すぎてわからない文化の代わりに、
ノリとかバイブスみたいな言葉で、
共用されている時もあるなと思う。
ノリとかバイブスは定義が曖昧すぎるから、
感覚的すぎるから、
何がそれに含まれるかわかんないから、
共用されているし、
文化は定義されているとして、
その中に何でも入るから、
文化を共有されると、
何かを共用されちゃうというか、
そういう感じがする。
これはノリとかバイブスとかもそうなのかなって。
ノリ、俺らノリが合うよとか、
空気がどうたらみたいなさ、
言ったところでさ、
その人とその人が同じ、別のアーティスト好きだったら、
ことは別におかしいわけじゃない。
おかしいわけない。
でもその集団で何となくみんな、
愛を伏さないといけないみたいな空気になったりしてるじゃない。
浜崎愛美。
そうそうそう。
みんな愛好きだよねみたいな。
っていうノリがあったりとかするでしょ。
バイブスだったりとか。
うちらはブラック・ピンクみたいなさ。
それは東派性を作る一つの基本にはなりやすいんだよね。
音楽とか歌手とかは。
と思うけどね。
すごく最後ためになったねって感じ。
あと宗教もそうだよね。
宗教もやっぱり東派性を作る一つのキーにはすごくない。
分離できる分離できないじゃないとかっていうよりかは、
45:01
てこっとおったんだよね。
だからそのなんだろうね。
自分の中で分離するのは全然いいと思うんだけど、
むしろやったほうがいいと思うけど。
その人の音楽が好きな動機が政治であってもいいってことだし、
その人の音楽が好きな理由が別でもいいし、
ってことだよね。
そうだと思います。
でもそれは皆さんが小さい箱に行きにくいなと思ったことも一方で重要で、
物理的な場というものはやはりどうしたって政治性を生むから。
20人の箱でその界隈の信奉者17人とかだったら、
その空間はその空間になる。
それはある種多様でない空間になるから、
恐怖を感じて当然だよっていうのはある。
いいお話になりましたね。
ですかね。
私はまとまったのかまとまってないのかわかんないですけど、最後に。
私がした来視点説明は適当なんで、
皆さん各自で調べてください。
概要欄に書いておきます。
お願いします。
注釈でお願いします。
ではでは。