少女裸婦像の撤去
はい、こんにちは。今回なんですけども、今、X、GEN、Twitterなどで議論が巻き起こっている
女性の裸婦像、裸の像、これが公共の場にふさわしくないという意見のもとに、自治体が
撤去する動きが相次いでいる、このことに関して僕の意見をお話しさせていただこうと思うんですけど
最近だと、高松市中心部にある市中央公園で、少女二人が向かい合っている裸の像
これに関して、小学生なんかも校外学習で訪れて見ていて恥ずかしくなるとの意見が出たと。
市は人々の価値観が変化しており、児童の裸像を公共空間で不特定多数が目にするのは望ましくないと判断して
8月下旬に始まる再整備工事で撤去する方針だということなんですよね。
裸の女性の像って、日本で公共空間、普通に公園とかに実はたくさんあるんですよね。
実は名古屋市内にもあるし、よく神奈川県とか旅行してそういうところでもたくさんあるんですよ。
おそらく未成年だと思われる少女の裸の像なんかもたくさんある。
これ実は世界的に見て珍しいんですよね。
特にキリスト教圏とかイスラム教圏では女性の裸をあらわにするというのが望ましくないという風潮があるわけですよ。
だからヨーロッパとか言っても美術館の敷地内とか美術館の館内には女性の裸の像というのはあるわけなんですけど
公共の場にあるのは珍しいんですよ。日本だと今でもたくさんあると。
その多くの像は戦後に平和の象徴として作られて飾られたものが多いんですよ。
これが戦前には、その場所には軍人さん、戦没者などの像が建てられてたっていうのが多くて
まずそういう像は戦争中に金属が足りなくなった背景もあって没収されたとか
あるいは戦後残っていても軍国主義の象徴であるということで
GHQによって撤去されたっていう流れがありまして、その代わりに女性の裸の像をそこに作られたのを置かれたっていうのが多くを占めるわけですよ。
当時は女性の裸の像、大人の女性も少女にしても平和の象徴として
当時の日本国民は素晴らしい像だと、反対意見っておそらく今ほどはなかったと思うんですよ。ほとんどなかったと思うんですよね。
なんでその裸の女性の像が平和の象徴かっていうと、その前にあったのは軍服を着て、場合によっては武器を装備している像もあったでしょう。
そういう像がたくさんあったと。それはその平和の象徴とは程遠いっていうのはわかりますね。もちろん戦没者として
日本を守ってくれた軍人さんなわけなので、感謝しないといけないという気持ちはもちろんあると思うんですけど
敗戦した流れで、平和であってほしいという気持ちが強かったと。
なので軍服を着た男性の軍人さんの像よりかは裸で何も装備していないと。
裸であれば、裸っていうのが一番戦争とは程遠いというか、いろんなものを身につけている方がより戦争的になるというのがあるわけであって
なおかつ女性なわけですよね。なので対局するものなわけなので平和の象徴で。
心も癒されるわけですよね。美しい像なんですよ。女性の裸っていうのは芸術的には美しいんですよ。
これが性的なものであるか、あるいは芸術であるのかってよく議論になるじゃないですか。
これは芸術なのか、あるいは性的なみだらなものなのかって。それって線引きのしようがないんですよね。
毎回これでいろんなことで揉めるわけなんですけれど、明確に線引きって絶対に引けないんですよ。絶対に被るんですよ。
だって例えば古代ギリシャとか古代ローマってまだキリスト教が世界中に広まる前に作られたものなんかは
裸の像がすごく多いんですよね。男性は筋肉抜き抜きで見事な芸術で、別におちんちんも出てるんですよね。
これ普通にヨーロッパの美術館とかに行けば、古代ギリシャ古代ローマの像ってそういうのばっかりあるんですよ。
なおかつ女性も胸出して、お尻も出して、これは芸術なんですけれど
やっぱり男性の筋肉肉体陰部にせよ女性のバストとかお尻とかね、ウエストのくびれとか足とかね、見れば性的なものが発動するっていうのは
人間の本能としてしょうがないなって思うんですよ。それを言ったら別に
女性の顔を見るだけで性的なものを感じる人だっているし、服着た女性だって性的なものを感じる人もいるわけであって
一切感じるなって言ったらね、もうイスラム原理主義の国で目だけ出して、あと全部黒いので隠すぐらいのことをしないといけないっていうことになってしまうわけであって
線引きの資料がないので、どこで線引くかっていうのは時代とともに変わってくるんですよね。
キリスト教がヨーロッパで布教していって、多くの国がキリスト教が主流の宗教になれば、あるいはイスラム教にせよ
やっぱり身だらに裸を出すのは良くないっていう流れになるわけですよね。それがまたルネッサンスの時代になって花が開いて
古代ギリシャの芸術素晴らしいという流れになって、またそこから裸の像が作られるっていう
絵画だってそういう流れになるわけなんですけど、やっぱり女性の体の柔らかさ、あれを芸術的に描くっていうのは
難しいことであるし、やっぱりそういう絵画とか像を見れば美しいって、芸術的なものを感じるわけなんですけど
当時のギリシャにせよ、ローマにせよ、ルネッサンスの人たちでも性的なものを感じながら作ってたと思うんですよね。
なので、線引き難しいですよね。思うんですけど、今ポリコレが主流じゃないですか。アメリカにせよヨーロッパにせよ
ちょっとそれが行き過ぎているとも言われているわけであって、女性の裸を身だらに出す漫画にせよアニメにせよ
映画にせよ、そういうのは良くないですよねっていう風潮になってきて、そうすると日本ってまだポリコレそんなに進んでないんですよ。
ご存知の通り日本の漫画、アニメって結構可愛らしい女性が、おっぱいボイーンとか
そういう描写すごくあるんですよね。だから、ポリコレが行き過ぎているアメリカやヨーロッパの人たちにとって日本のアニメって
インターネットの影響
まだポリコリを犯されてないって、すごいウケてるっていうのはあるんですよね。これやっぱり日本の文化で、これが良いのか悪いのか
やっぱりフェミニストの人たちからするとケシカランってなるけれど、だけどそういう漫画アニメのオタクとか普通のファンの人、僕も含めて
いいじゃんいいじゃんっていう人もいるわけであって、行き過ぎたのはダメですよ。さすがにこれは女性蔑視だろって感じられる描写のものは
良くないですよ。延々消防隊みたいな、ラッキースケベラレみたいなのは
まあちょっと行き過ぎているかもわからないけどギリ政府かなっていうぐらいで、それまでそれよりももっと進んじゃうとさすがにこれは良くないよねっていうのは
あるわけですよね。なので
むしろね、名古屋駅にせよ、東京駅にせよ、よくさ、壁に貼ってあるなんか可愛らしい萌え系のアニメのキャラかなんかが
胸の谷間出し、お尻プリンズ出して、すごいミニスカートで見えそうなんだけど見えないっていう描写
むしろ、それの方が性的なんですけど、そっちの方がまだ際どいですよね。まだ
公共の場にあるラフ像の方が芸術的なものを感じるっていうのはありますよね。
だからこれ結局時代背景によって多数決で決まるっていうのがあると思うんですけど、いや多数決ではないですよね。
やっぱり世の中の10%なり20%なり少数派の人でもすごくそれによって嫌悪感を感じる、不快を感じるんだったらやっぱり考えないといけないかなっていうのはあるんですけど、これ時代の流れでしょうがないかなっていうのは
ありますよね。なのでむしろね、
僕が例えば子供の頃、普通に地上派で性的な番組パンパンやってたんですよ。普通に女性がね、バスト出したりとかゴールデンタイムにもありましたからね、加藤ちゃんけんちゃんとか
でこれが夜遅くになるとね、11pmとかトゥナイト、ギルガメッシュナイトとか、あとザハングマンとかね、ハングマンとか
かなりすごい描写だったわけであって、今考えるとあんなのがよくゴールデンタイムの地上派で流れてたなって思うわけであって、今でも少年漫画とか開けばかなりエチエチなものがありますよ。
で、最も問題なのはネット空間ですよ。ネット空間なんかは僕が小学生の頃に地上派で見てたものを遥かに超える
エロサイトっていうものが、小学生の子供でも普通にスマホ一台やれば見えちゃう世の中なんですよ。こっちの方が異常なんですよ。
むしろこっちを規制すべきですよ。これは
やっぱり恋愛をしなくなるとか、結婚しなくなる、そしてそれによって少子化が進むっていうのは必ずこれエロサイトによるもんです。
エロサイトが誰でも見れてしまう状態、ハードルが低いんですよ。エロにたどり着くまでのハードルが。
となるとそれに依存するんですよ。インターネットポルノ依存症の若い男性が増えてしまって、それによってもいろんなことに手がつかない。
常にスマホなりエロサイトで、ファンザとかで動画を探して、それに毎日すごい時間と労力を
費やしてしまって、そしてより過激なもの、より過激なもの、自分の好みの女性のより過激なものっていうのを追い求めて、普通の生では
全く興奮しなくなって、一般の女性との恋愛して
頑張ってSマルXしようっていうことを考えない若い男性が増えてて、こちらの方がむしろ問題なのに
全然、いまだに多少は規制入ってるんだけど、まだまだ甘いんですよね。だからね、小学生とか中学生の
子供がね、こんな簡単に過激なエロサイトにいくらでもたどり着けるっていうこの状況の方の方がむしろ異常で、こちらを規制すべきだと思います。
公共の場のラフ像は、僕的には
芸術ということでありだとは思います。ただ、多くの人たちがそれを見て不快に思うとか
反対意見を持つんだったら、時代の流れでしょうがないかなと思います。
というのが僕の意見です。ご視聴ありがとうございました。