2025-03-24 38:15

赤いきつねと

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赤いきつねとみどりのたぬきのアニメーションCM、めちゃくちゃ話題になってましたね。
私は端的に、新海誠みたいなのが大衆作品としてこの世にある弊害だな、みたいに思って見てたんですけど。
見ました? 見ましたね。
須田大輔さんがやられてるポリタスで、滝並ゆかりさんが出ている登場回で、赤いきつねとみどりのたぬきのCM問題決定版みたいなやつが出てるんですよ。
今もう多分有料になっちゃって、YouTube公開は取り避けられてると思うんですけど、それで見ました。
どうでした?
赤いきつねの方は、一人暮らしをしている若い女性が恋愛映画を見ながら、泣きながら赤いきつねを食べるっていうCMになっていて、
みどりのたぬきの方は、おそらく学校の先生っぽいサラリーマン風の男性が残業しながらみどりのたぬきを食べるっていうCMになってるんですよね。
で、この男女の描写の違いっていうのがあるよねっていう話があって、特に女性の方の描かれ方がかなり性的な眼差しが含まれているんじゃないかと。
で、特にフェミニストの方からそういう批判があって、それに対して結構オタク界隈の人とかコンテンツ界隈の人が、これが性的に見えるわけないだろうみたいな反論をしたりとかしてたっていうのが大まかな区分かと思うんですけど、
ぱっと見見た感想で、僕はまず性的に描かれてると思ったんですよ。これが性的に描かれてるのでないと思うのなら、それはなんか認知的な疑問があるだろうと思ったっていう感じですよね。
ポリタスでの滝並さんの解説では、これが性的かどうかみたいなのはあんまり論点にしてなくて、アニメーションとか漫画とかの表現っていうのはコードの集合であるっていう話をしていて、どのように描くかっていうのには必ず意図があって、その意図っていうのはどのようなコードにのっとっているかっていうことが必ず含まれているんだと。
赤いキツネと緑のタヌキのCMに関しては、そのコードとCMがリーチしなきゃいけない対象とか、CMっていうのはテレビに強制的に挿入されるので、子供も含めた不特定多数の人が強制的に見るっていうメディアなんだけど、
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そういうメディアで使うコードとしては、ちょっと不適切なコードを使ってるんじゃないかみたいな話だったと僕は理解しており、僕の理解では、滝並さんがかなりなるべく多くの人を創設するために、性的か性的じゃないかみたいなところはまずそんなに争わないようにして、
その表現処方におけるコードの問題っていうのとか、あとは対象を大化するっていうのはどういうことかっていう話をすることによって、もうちょっと手前の話をしようとしてたなと思ってるんだけど、これは多分ポリタスを聞いている人の中にフェミニズムとか表彰文化みたいなものにあんまり詳しくない人が多分聞いている可能性を考慮して、
これは性的か性的じゃないかみたいな話をしても、多分そこだけで論点になるとみんなの印象論で終わっちゃうから、私は性的と思いましたかは思いませんでしたみたいな、そこで水掻き論やったらしょうがないんで、おそらく防衛ラインを下げて、
虐待かどういうことかとか、その表彰の中で行われているコードっていうのはどういう意味合いがあるのかみたいな話をされていたなっていうのは僕の理解なんだけど、
これは前提知識がない人のためにそうしてるんだって、本来的な議論においては防衛ラインを下げる必要がなく、性的ですよねっていう話だよねって、それがわからないんだったらこの前提知識がないか、もしくは認知的なバイアスに陥っているかどっちかだと思いますっていう話かなって僕は思った。
コードっていうのはすごいわかるな。どの部分をどう書くかって、一個一個やっぱ書き手だったりそれをディレクションする人が選んでると思うから。
いくつかの流れがあると思うんですけど、その流れっていうか文脈というかコンテキストみたいなものがあると思うんですけど、一つは孤独のグルメみたいなのが流行った後にグルメ漫画みたいなのがめっちゃ流行ったと思うんですよね。
孤独のグルメ自体はあんまりそういうところは、あんまりっていうかほぼ全くないんだけれども、それを受けて出た独り語りグルメ漫画みたいなのって、結構性的なアナロジーとしてグルメを語ってたと思うんですよね。
食事が美味しいかどうかっていうのを表現するのに、それまで成人向け漫画とかで使われていたようなエクスタシーの表現みたいなものを使うことによって、食べ物が美味しいかどうかみたいなのを表現してたなと思って。
しかもグルメ漫画家もそれをある程度理解しているというか、作中の中で主人公が何かを食べて美味しいってなっているのを見た別のキャラクターがドキッとしたりとかするシーンっていうのが多分出てる。
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でもそれは、ある種の恋愛漫画とか成人漫画みたいなものの表現手法っていうのを食べることとの関係で使ってるっていうのが結構あったと思うんですよ。
たぶんすげー有名どころで言えば、吉永文さんの漫画とか、ここのところ流行っている、「昨日何食べた?」とかではあんまりそういう表現ないけど、彼女の漫画って食事の表現がすごく多くて、もともとBLの漫画家じゃないですか。
BLにおけるアダルトの表現っていうのと、非常に似た表現方法を使って食事の快楽みたいなのを表現しているなっていうのは多分あったと思うんですよ。おそらく、「昨日何食べた?」ではそれをすごく意識的にやってないと思うんですよ。
これが西洋骨董洋菓子店とかだったら、ちょっとあったと思うんですよね。 懐かしい、はい。 でも西洋骨董洋菓子店がリーチする範囲と、「昨日何食べた?」がリーチする範囲がおそらく全然違うから、そういう表現を避けてるんだと思うんですよ。
でも、あまりそういうことを意識的ではなく、食事の表現と性的な快楽の表現っていうのをパラレルに使うっていうのが、グルメ漫画界隈で手法としてある程度は一般化したと思うんですよ。
多分、この文脈に乗っているから赤い狐の表現になったと思うんですよ。目が潤んでいるとか、頬が赤らんでいるとか、髪をかき分けてから首を傾けて目をすすろうとするとか、そういう一つ一つの記号的な表現みたいなのにそれが反映されてるのかなって思っている。
そういう連続線上にあると考えると、それが性的な表現ではないみたいなのをと思うほうが結構むずいのかなと思っていて。
そう思うっていうことは、手法みたいなのがかなりパラレルに使われているっていうか、流用されているみたいなことに関して相当無自覚にやっているっていうことかなと思っており、もしくは何かを性的に見るみたいなことが自覚されてないのかなみたいなことをちょっと思った。
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性的に見るっていうのが非常に、セックスの表現があるだけが性的な表現ではないと思うんですよ。それを性対象として見るみたいなことが既に性的な眼差しだと思うんですよね。
それが起き得るということを理解してその表現を使ったら、それが性的であるってそれはなるだろうなと思っており、僕がそれが本人たちは本当に性的でないと思っているんだろうなみたいなのを何で感じるかっていうと、
不女子の人たちと話すと、僕のすごくこれ印象論なんで特に根拠はないんですけど、僕の印象だと明らかに性的なものを消費しているのに、自分とその対象みたいなのの切り離しがすごく強いって感じるんですよね。
僕のすごい感覚的な話なんですけど、ミシェル風光の概念でパノプティコンっていうのがあって、パノプティコンっていうのは監視からは囚人が見えるけど、囚人からは監視が見れないっていうようなそういう監視の党のことなんですよね。
不女子の人たちがBLとかヤオイとかを消費するときの感覚ってすごくパノプティコン的っていうか、僕からすると明らかに性的に消費しているのに、それをすごく認めなかったりとか、自分たちが性的な眼差しで眼差されることに対してはめちゃくちゃ敏感だったりとか。
だから実際に目の前にいる男性を使って、どっちが攻めてどっちが受けかみたいな話をすることはOKなんだけど、不女子の人たちが可愛いか可愛くないかみたいな話をするのはすげえ嫌がるみたいな。
でも誰かを性的に消費するという意味では多分一緒なんですよね。
だからお前らがやってるんだからやられても当然だよっていう話を僕はしてるわけではなくて、そこに対する消費のあり方と自意識とに乖離がおそらくあると。
僕は基本的に大勢のオタクカルチャーというか同人誌カルチャーみたいなところと一緒に青春時代を過ごしたんで、客観的な自己分析みたいな男性分析みたいなのはできないんだけれども、おそらく男性のオタクの人たちっていうのはこのパノプティコン的な感覚っていうのをやはり強く持ってると思うんですよ。
だから不上手な人たちが社会の中ですげえそうなってるっていうことを僕は言いたいのじゃなくて、この日本のオタクカルチャーみたいなもの全体が何かを性的なものとして目指すっていうのに非常にパノプティコン的なものを持つというカルチャーがそもそもあるんだと思うんですよね。
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うんうん、すんごいわかる。
そのオタクのノリみたいなの、ゼロ年代に強くあったオタクのノリみたいなのって、別にいいけどっていう話で、今の若い人たちって別にそのオタクのノリみたいなの持ってないじゃないですか。
だからゼロ年代にオタクのノリで喜んでたアラフォーの人とかが手に入れた権力とか、企業の法人の公式アカウントの運用をする職能とか権能みたいなのを持つことによって、本人たちが10代20代だったときのノリを持ち込んでキャッキャ言ってるみたいなのは、やはり批判されてしまうべきだと思うんですよね。
別にやっちゃダメとは思わないけど、パブリックな場でそのノリでいることは恥ずかしいことであるぐらいわかるよっていう話だと思うんですよ。
ツイッターってやっぱゼロ年代の後半に登場したんですけど、そういうノリをする場だったから、今でもそういうノリしたいのはわかるんだけど、
僕の分析では2011年の東日本大震災以降、やっぱり行政とか法人の公式アカウントとかいっぱい入ってきて、ツイッターってオタクが悪ノリする場でもあるんだけれども、
よりパブリックな場としての性格っていうのを強めているから、公式のアカウントはそういうノリで言うのはやっぱり良くないんじゃないって思うっていうことですよね。
少なくとも、あのとき教室ではお前ら恥ずかしいと思ってたじゃんっていう話ですよ。ツイッターではオッケーだけど教室では恥ずかしいと思ってたでしょって。
ツイッターってどっちかというと教室的なものになってんだよっていう話だから物質じゃねえんだよと。
マンケンとか英研とか文芸部とかの物質じゃないんで、ツイッターっても。
特命アカウントのそういうクラスターがあるの別にいいと思いますよ、ツイッターにそういう空間があること自体は別に。
でも企業の公式アカウントがいる場所って基本的には教室なんで、容器とかいっぱいいる教室でそんなことできんやったんよお前らっていう話じゃないですか。
10代20代のときに。
もっと広い教室ですよね。
そう。それで、いえいえ、そんな話ここでしないでみたいなこと言われて、キレてるって。
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まあいい。至重にもなって。
多いって感じなんですよ。
僕がこういう言い方をするのは、僕の中にもそういうものがあるから、至重にもなってそういうノリしたいよ。
そういうノリすることによって怒られることもあるよ、別に普通に。
から、そりゃそうよっていう感じですよね。
怒られたらやだし、なんかそういう意味じゃないんだけどなみたいな、我々が持ってるノリみたいなのもあるわけじゃん。
ノリだからわかってるみたいなのはわかるけど、でもそれを広く大衆が見るCMでやるべきだったかっていう問題とか、
Twitterで公式のアカウントがいや怒られちゃったねみたいなヘラヘラしてるみたいなのがいいのかって言ったら、別によくはないよねっていう話になると思うんですよね。
法人のオムブとかPRの戦略を立ててる人とかいると思うんですよ。
あんな大きい会社だったらPRのコンサルトが入ってると思うんだけど、担当者よく見習わんねって話ですよね、あんなコンプライアンス上。
ね、一人でやってんのかなって思うぐらいに。
ああいうのが野放しになってるみたいなこと自体が企業のガバナンスがワークしてないよねみたいなのはやっぱ思うけど、
ガバナンスをガチガチにしてカタクロシーな社会になればいいのかって言ったら別にそうじゃないけど、別にああいうことはやっちゃいけないとは思わないけど、
別にアガキツネみたいな物議を醸すようなCMが1年に1個とか2個ぐらい出るみたいなのはしょうがないと思うんだよね。
そういうもんだと思うんだけど、怒られてる時にヘラヘラすんなよっていう話でもあると思うんだよね。
バカバカしい公式アカウントがいっぱい集まってきてお互い流さみ合うとか、そういうんじゃないよねっていう話ではあると思って、なんかもうちょっと素晴らそうにしろよみたいな。
すごいそうだなと思ったのが、オープンなアカウントで何かを性的に消費している発言をした時に、
一個人であっても何かのきっかけでちょっと話題になっちゃったりとか、どっかから文句が来るみたいなことが企業じゃなくてもあるんですよね。
で、その時に、こっちは隅っこでやってたのに、向こうが見つけてきて絡んできたっていうような言い方をする人が結構いるんですけど、
でも誰にでも見えるところにそういう発言を置いている以上、誰かから何か言われてもそういう可能性が絶対ある場所で、自分はこれを性的に消費してますよっていう態度をオープンにしてるっていうことをわかってない人がやっぱめっちゃ多いなって思いますね。
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私もふたくの友達やっぱりいっぱいいるんで。で、その感覚のまま多分企業アカウントを運営してる人がいるんだろうなって。
企業アカウントを運営してるし、CMを作ってるし、CMで入れされたアニメをそのように演出にするプロデューサーとかディレクターとかクリエイターがいるっていう話だと思うんですよね。
で、その女の子の方をあからめて、なんかこう目を潤ませて、ちょっとこう頼りなげな仕草の動きをさせるみたいなことが、女性の方にもすごくナチュラルに浸透してるなって。
私の知り合いとか友達を見てても思うから、もうそれがもう大衆のものになりすぎちゃってる。
大衆のものになってるというか、クリエイターの方の前提的な行動に入り込んでるから、あんまりそれについて深く考えないものを使っちゃってるっていうやつだと思う。
それがやっぱ最初言ってた、千尋さんが言ってたやつ、深海誠とか大須田守とかの延長じゃないかなっていうのは自分も思ったんですけど。
だからさ、ファミリー向けとか大衆向けとかっていう作品を作る人は、マジでもっと自分の責任みたいなのをもっと考えてほしいし、それはめっちゃ考えてる大衆作品がすごい好き。
大衆に向けて作る、多くの人が触れるような、しかも子どもも見るようなものを作る時にどういう責任を負ってるのかみたいな、その表現の細かいところにもあると思うんですよね。
私は結構大衆向け作品も好きっていうか、みんなが好きな作品が持ってる女さんみたいなのも好きなんですよ。
ブレスオブリージュって言っていいのかわかんないけど、そうあることにすごい実格があるみたいな作品好きなんで。
だから細田守嫌いなんだよ。ないから。
メッセージがある、彼らは。
女性的なものが良いという。女性をものとして扱うっていう。
あるし、その他者性みたいなのを剥奪してるわけじゃないですか、キャラクターから。
それはメッセージなわけじゃないですか。
オープンな場で大勢の人に目に触れて、それが売れるっていう。
それに人が入るっていうのは、それの延長だなって話ですよね。ここにたどり着くの。
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作品を分析的に見るという仕草自体があまり多くの人がすることじゃないと思うし、
それをクリエイターすらあまり気にしていない表現みたいなものを、
どのように解釈するかみたいなのはやっぱりさらに難しさがありますよね。
クリエイターが表現したいことを分析するだけでひと苦労なのに、
我々の脳の認識パターンみたいなのにすごい訴えかけてくるというか、
それを僕は絵のものとって呼んだんですけど、
夏の美しい季節とか、青い空とか、駅のライトが光っている様とか、
そういうもので、我々の古い脳に訴えてくるじゃないですか。
理性とか抑制とかを司るような新しい脳じゃなくて、
より生存とか感情とかを湧き立てるような古い脳に直接対応してくるから、
それによって気持ちがアップダウンしていると、
じゃあそれを批判的に考えるって難しいだろうなと思うんですよね。
だから例えば赤い狐を見ているときに、恋愛映画を見て泣いている女性っていうのを見て、
自分も似たような境遇みたいなのを想起して感極まる観客だっていると思うんですよね。
じゃあその人に対して、これ性的ですから甘いような絵ですよみたいなこと言っても、
え?ってなると思うんですよ。全然そうは感じなかったけど。
泣くじゃん、いい映画見たらみたいな。
それはその人の感覚だから、それが正しいとか間違ってるとかで話せないことじゃないですか。
正しいとか間違ってるとか話せないことだけど、
その人の感覚としてはそうじゃないように自分が考えて受け止めたんだから、
そのようなわけがないっていうのが正しいこととして受け止められちゃうと思うんですよ。
それは難しみがあるよね、と思うっていうか。
本当はクールジャパンとか言ってた時に、そういうものと向き合うべきだったと思うんですよね。
政府とか業界みたいなものが。でもそうならなかった。
クールジャパンって言ってた人たちは、さらに何も考えてなかったから。
あと日本においては、何かを性的に消費するみたいなことのすごいフランクさがありますよね。
あんまり悪いことだと思ってないから、そもそも性的に消費すること自体が。
性的にも何かを学ざすこと自体が悪いことだと思ってない。
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それはアイドル文化もそうだし。
よく昔の春画とか引き合いに出されてるのも見かけますね。
ジャニーズ問題とかも日本であんまりピンとこられてないのは、そういうもんだからっていう感覚があるんじゃないかなと思ってて。
もともとジャニーズアイドルみたいなんて、大衆にとっては性的な消費罪としてあるわけじゃないですか。
すげえ嫌な例えしますけど、僕たちが日常的に魚を食べていて、
漁師飯という漁師さんしか食べられない、新鮮な物しか食べられない部分があるんですよねみたいな話したときに、別に変なことだと思わないじゃないですか。
それは漁師の特権だよねって僕らは思うわけじゃないですか。
魚食べるもんだし、美味しいところがあったら新鮮なところがあって、しなきゃいけないんだったら食べるよね自分たちでみたいになるじゃないですか。
多分ジャニーズアイドルに対してもそんな感じなんだと思うんですよ。
だって自分たちにとってはもう性的な消費罪だから、アイドルって。
そりゃ関係者が実際にレイプしてたらそりゃするよねみたいな感じなんじゃないかなって思うんですよ。
だからあんまり重大な問題として扱われないんじゃないかなと思っていて。
女性のアイドルもおそらくそうだし、フジテレビの女子穴の情報問題も基本的にはこれだと思うんです。
もう女子穴を性的に消費するっていう感覚が我々の方にあるから。
量示しがあるように。
それを実際に享受している人たちがいても別に驚かないよねってなるんじゃないかなって思うんですよね。
具体的に人間の苦しみとして全然認識されないんじゃないかなと思う。
あまりにもカジュアルに我々がすべてのものを性的に消費するために。
性的にまなざすということ自体があまりにも一般的なことだから。
その文化が良いのか悪いのかみたいな話は結構また難しい話になるかなと思うんで。
性的抑制みたいなのってやっぱりキリスト教由来の部分あると思うんで。
性的同意みたいなのも人間の個人的な主単位みたいなのが存在するっていうのを前提にやられてるから。
本当にヨーロッパ人が言うような自己決定する主単位みたいなの存在するのかみたいな話になってみると、
非ヨーロッパ圏では別にその議論通用しないよねみたいなのあると思うから。
じゃあこの問題にそれを適用すべきかどうかみたいなこともあるから。
より複雑な議論を要するかなと思うんだけれども、
僕は近代人としての近代的な感覚としてはやっぱりやべえなと思ってる。
やっぱりやべえなという感覚が共有されてるからこそアングラだったと思うんですよね。
ゼロ年代にアングラだったじゃんっていう話だと思うんですよ。
エログロナンセンスって確かに昭和の昔からあるけどアングラだったじゃんみたいな。
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家畜人やプーってアングラだったじゃんみたいな。
なんで市民権得てんだよっていう話ですよね。
そうなんですよね。
でもトランスジェンダーには市民権を与えないとか言ってるわけだから、
バッカなのかよみたいな話になる。
なんかそれが昔の感覚のままいる人と、今あまりにも対象に解消してしまったから、
それを当たり前のものと思ってる若い世代の人と両方いるんですよね。
そうですね。
そういうものが再生産されるっていう、若い世代の人にそういう人たちがいるっていうのでも、
なってるじゃんっていう、再生産されてるから。
恐るべき事態が起きてるわけだよね。
そうそうそうそう。
だからもう問題ないって言ってるけど、問題ないと言っている人が存在すること自体が、
すでに懸念されている事態なわけだよね。
結構びっくりするからな。
でもじゃあまたアングラに戻ろうよって言って、それができるかって言ったら、
それもまたそうなるのかな。
それはまた別物じゃないですか、もはや。
そのアングラに戻ろうってなったら。
今あるものは再生産し続けることに旨味があるんじゃないですか。
アングラであったカルチャーをオーバーグラウンドに持ってくるっていうのは、
旨味の部分を消費するために持ってきて、
それで消費できる人たちを再生産するっていうの。
カルチャー的にアンダーグラウンドに戻る人たちがいたとしても、
それが再生産され続けるシステムとはまた別の動きだなとは思うんですけど。
赤いキツネの場合は結構たくさん止めるポイントがあったはずなんですよね。
まずメーカーの広報担当のところでも止めることができたはずだし、
企画案が上がったときにそこでも止めることができたはずだし、
メーカーからアニメ会社に発注されたときに、
アニメ会社側のコンプライアンスとして止めることもできたはずだし、
これどうなんですかね、みたいなことも可能だ。
可能っていうのは事実上不可能だと思うんですよ、そういうの。
お金のやり取りが入るんで、商売上ダメ。
例えばアニメ制作会社が嫌だって言ったら別の制作会社になるだけだし、
みんな自分の儲けが失われるだけなんで、そんなことを言うインセンティブないと思うし、
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そっちの制作会社の社内とかテレビ局の社内でそういうことをやるメリットが全然ないから、
多分チェック機能みたいなのは事実上存在しないと思うんですけど、
でもそのサプライチェーンのどこかに良識がある人がいれば止められた事態のはずなんですよね。
放映されて延長した後でもメーカーのツイッター担当者がもう少し気が利いてたりとか、
ガバナンス系の人たちが気が利いてたら、こんなことにはならなかったと思うんですよ。
1から100まで誰もいなかったみたいなのがすごいなあと思う。
本当かと思いますよね。
僕も行政機関で働いてたから、ブルシッドジョブがどのように立ち上がり、
どのように止められないかみたいなのは身をもって経験してきたんで、
実際には難しいっていうことは分かるし、それを多くの人に要求するっていうことは相当ハードルが高いというか、
残酷なことですらあると思うんですよ。
でも、一人もいなかったんだなあみたいなのはやっぱ思うってことですよね。
だからこれ、本当めっちゃ心象膨大な話でしますよ。
ホロコーストだって、誰か一人が違ったらああはならなかったわけじゃないですか。
みんながやったからああなったわけで、ホロコースト全体を別に止めることができなかったかとしても、
例えばそのサプライチェーンのどこか一つが破綻していれば、
それだけで一人生き残ったか死んないし、100人生き残ったか死んないし、300人生き残ったか死んないじゃないですか。
シンドラーがやったことってそういうことだと思うんですよ。
サプライチェーンの末端の一つの部品っていうのが全く動かなくなった結果、
何百人の命を救ったわけですよね。
できないんですよ、そんなシンドラーみたいなこと、みんな。
やろうとして殺された人もいっぱいいるわけだし。
世界がそのように傾いているときにそんなことをするって本当不可能に近い、
それこそ残酷な欲望、要求だと思うんですよ。
お前の命なんか大したことないんだから世界のために戦えって、
それは他人が言うことじゃないと思いますよ、誰かに対して。
でもそういうことだなって思う。
だってイーストラーが権力を掌握するんだって、
彼が例えば第一次世界大戦から福音してきて、就職だけがあったらああならなかったわけで、
彼がナチに入ったときに彼より偉い人いっぱいいたわけだから、
新参だったわけだから、誰かがヒトラーをコントロールすることができたらああならなかったわけですよね。
ハイデンベルグ大統領いたわけですけど、彼が別にヒトラーに権力を掌握するっていうことを決めなければ、
そんなことどこにも決まってなかったから、
決めたからそうだったわけで、
そのように決断しなかったらそうならなかったわけですね。
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そのサプライチェーンの誰か一人が別の決断をしたらそうはならなかったわけで、
全員が非常に狭い視野で、これが最適な答えだと、これが最も合理的で、これが最も良い正解に近い答えだと思って出した結果があれだったんで、
そういったことはあるよね、とは思うっていうことですよね。
だから、さらに大きい女性に対する構造的な抑圧とか差別とか、
サプライチェーンの一つの鎖であるっていうのもまた事実だと思うんです。
だから、いずれ止まるだろうと思って、それをボサッと見てるのと、
今ここでそのサプライチェーンが止まるために自分が何かを考えを変えるみたいなのが結構違うことだなと思う。
ちょっと立ち止まって考えてみるだけでも、まず最初は。
そうですね。
企業アカウントに対して成り合うなって言ったけど、
アニメを作ったクリエイターの人とか、企画を作ったメーカーの人とかをめっちゃ責めればいいと別に僕は思ってなくて、
別にそのプライベートの領域で慰め合えばいいと思うんです。
結構ショックだと思うから、こんだけ炎上したら、自分の企画がこんだけ炎上したら、傷つくと思うんですよね。
そんなつもりじゃねーしってなると思うんですよ。
だからそんなつもりじゃねーしって飲み屋で飲みながら言ってもいいし、それを慰めて寄り添ってあげたらいいと思うんです。
でもツイッターの公式アカウントはパブリックだから、そこでやらなくてもいいよねっていう。
だから慰め合うな、成り合うなみたいな話を別にしてるわけでもなくて、言ったらいいと思うんだけど、
それが何を引き起こしてるかみたいなのはあるよねっていう話ですよね。
めちゃくちゃ攻めてクリエイターが自殺したらどうにかなるのかみたいな話じゃないから、別に。
その意味で言えば別にささいに失敗だと思うんです。
別にあの赤いキツネのCMが出たから誰か自殺したわけじゃないし、ホロコーストが始まったわけでもないんだから、
クリエイターが追い詰められて鬱病になるとか、飯食えんようになるとか、そういう規模の話でもないと思うんですよ。
その人たちがそういうふうにならなくていいようにするケアみたいなのは必要だと思うんですけど、
他方法、構造として何が起きたかみたいなのはやっぱり批判されると思うんですよね。
で、それはなんかそれをやっぱりチェックできなかった会社のガバナンス体制の問題とか、
それを良しとした、日本のいわゆるオタクカルチャーみたいなものの持つ、もともとの持つ土壌の問題とかもあるわけですし、
もともとの持つ土壌の話とかをして別に誰が責められるわけじゃないじゃないですか。
しょうがないんです。文化なんか勝手に生まれるんだから。
で、その文化で育った人がそれが当たり前のものとしてやるみたいなんて普通のことだから、
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僕たちがある日お辞儀するなんてなんて野蛮なんだろうみたいな、
お辞儀するのってほんと差別ですよねみたいに言われたってびっくりするだけじゃないですか、僕らからすると。
多分そういうことを言われてるのは等しいと思うんだけど、
でも考え潤るじゃないですか。なぜお辞儀を差別だと言ってるんだろうこの人って。
その実行批判とか内政みたいなものを別にやってもいいんじゃないかなと思うし、
このオタクカルチャーの土壌的にはらんでる問題みたいなのを議論してるときに別に一人一人のオタクが非難されてるわけじゃないから、
それで無機になって切れてもなみたいなのもあるから、誰もあなたの話してないんだよねみたいなことでもある。
自分の話だと思ってすげえディフェンスしようとするからもう話こんがらがっていくしみたいな。
こんなに難しい話でもないと思うんですよね。
私とか私たちに対する攻撃だと変換しているから大事になるだろう。
現象っていうのは起きるから。現象がそのようなものですねって分析自体は常にあり得るんで、あり得るねってなるだけだと思うんですよね。
その結果、まだやるぜっていう決断だってあると思うんですよ、メーカーさんが。
このCMの路線で俺たち行くって決めてるからみたいなのあると思うんだけど、
それってもう信仰の問題になってくるっていうか信念の問題になってくるんで、また闘争ですよっていうことだと思うんですよね。
でもなんかないんだったらみたいな、ぐるぐる言ってないで謝ったらよかったと思うんですよね。
整理してね、何もかも私たちが悪かったんですって言い方せずに、
こういうめちゃくちゃいろんな批判がありましたけど、そのうちこの批判は正当だと思いました。
この正当な批判っていうのを受けて、会社としてはこういう方針で進んでいきたい。
そのためにこういう対策します、みたいなことを整理して言うだけじゃないですか。
別に誰か賠償してくれとか言ってるわけじゃないんだから。
何がそんなに難しかったのかと思うんですけど、かな。
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