こんにちは、にじシバラジオ第103回です。MCのともぞーです。 小倉です。
にじシバラジオは、LGBTQ系サブカル・社会ネタを主に取り上げるポッドキャストです。
今回ですが、先日、美輪明宏さんが亡くなられたというニュースが…
92歳。
92歳。
すごいですね。
大王女。しかも浪水で亡くなられたということで、何か深刻なご病気でとかっていうことではないんですけど。
なんか本当に広島の原爆からスタート…
長崎。
長崎だ、ごめんなさい。原爆からスタートして、波乱万丈な人生をわりと静かに終えましたね。
そうなんですが、その波乱万丈っていうところが、どの程度皆さん知っているのかなっていうところを気になって。
その手助けとなる本として、美輪明宏さんが平成4年に出版した初版発行の半世紀がありまして。
平成4年というと1900…何年でしょうね。
93年か。
その頃ですね。90年代前半の。
それの本が紫の履歴書っていう本なんですけれども。
私が持っているのは水書房から出た平成4年のやつなんですけど。
総書記入が私の時点、紫の履歴書は今回で4回目の出版となりました。
転々としているのか。
そうです。
一番最初が大公社という小さな会社で、昭和43年から4年にかけて出版されたんです。
次々と再販を重ねて、当時のベストセラーの仲間入りをした記憶がある。
2回目の出版が面白半分社からで、最初のものとは少し模様替えをしたものが出ました。
確かに。この表紙が一番印象的とか有名ですけど、それじゃないですもんね。
それは女装のやつですけど、男装の紫の履歴書が丸山清明。
丸山清明。それが一番最初のやつなんですか。
そうだと思いますね。これ見覚えがありますね。
その2回目の出版の時には、最初の本にあった三島由紀夫の序文をなくし、
写真も大幅に入れ替え、内容もだいぶ抜いて、その代わり後半分に新しく私のエッセイを集めて載せたものでした。
その昭和58年に門川書店から出ましたのが3回目になります。
3回目のものは三島さんの序文をなくしたところは2回目と同様ですが、内容は1回目と全く同じものに戻して、その代わり2回目の時のエッセイ集は削りました。
行ったり来たり。
行ったり来たり。その後また写真も新しく別のものに差し替えました。
そして今度の水書房さんからの出版で4回目と合いになります。
水書房さんとは私が長い間NAMの会のお仕事をさせていただいている関係からエッセイ集お笑みの組飾りを出版していただいております。
他の本出していらっしゃる。
そのご縁でこの紫の歴史も今回出版を運びとなりましたとなっています。
このたびこの本が出版されるにあたってチェックのため今再び読み返してみて、我ながらよくもいろんなことが起きたのにそれらをかいくぐって生きてきたものだと思いました。
ヤクザとのトラブルで2晩3日徹夜で命を張って話し合いをした事件が有名有名の男たちとのやはり命がけの恋愛沙汰などの全部わざと気兼ねして書かなかったことがあまりにも多いので自分でも今苦笑しているところです。
それは書いてないということですね。また書いている部分にしてもその人の家族たちに誰のことだとすぐにわかってしまうことのないよう2人の間のエピソードを1人の人間のこととしてまとめたり、1人の人間のことを2人の人間のこととして分けて書いたりしていろいろと気を使っているのがなんだか自分でもお山ご苦労なことだと思いました。
ということでですね、早速、高校時代のエピソードがありまして、どういうようなところがあったのかなっていうところなんですね。
ちなみに三浦さんは被爆者でもあるので、10歳ぐらいの時に被爆をしている長崎で、その辺のエピソードも出てくるんですよね。
結構ですね、しっかり書いてあるというか、そこも見るとですね、公共局第2番地獄っていう、こういうタイトルの章になってるんですね。
そこのところで、静かな夏休みの朝、今日は雲ひとつない良い天気。涼しい朝の冷気がどこかへ消えて、そろそろと暑い日差しに変わります。
お母ちゃんが死んで、弟たちはお手伝いさんとタデバラに疎開して、お父ちゃんが朝から裏並みの校へ就勤。
家の中ではお兄ちゃんが開花で遊んでいて、2階でもう一人のお手伝いさんがお布団を乗っている。
僕は何かがらんと冷え冷えとした空気が嫌で、気を変えるため宿題の絵を描きます。
真夏だというのに非常図体勢だからと防空頭巾を背中にかけ、肩からは薬や細々したものを入れた袋を下げ、朝起きた時から寝る時までこの頃は一日中この格好。
一面ガラスの縁側に置いた机の前に僕は腰掛け。
マンジュ姫の絵を描いて、その出来上がりを確かめるため椅子をずらして立ち上がり、後ろへ2、3歩下がったとかの。
イカ。マグネシウムを焚いたような白い光が窓の外を一瞬、写真のネガとポジが逆さめになった世界に変えました。
世の中が死因として、あれ?こんな良い天気にイナビカリがある?思う間もなく、幾千万の雷が一時に落ちたよりも凄まじい音響で世界中がとどろき揺れ動きました。
慌ただしい空襲警報が警戒警報を一足飛びに越して鳴り出し、爆音が逃げていきます。みたいな感じ。
名文ですね。名文ですね。爆音が逃げていくっていうのは、結局衝撃波の方が先に来るんですよね。この場合。音速を超えるんで。
なので、爆心地からまず音速以上の衝撃がポーってきて、その後ゴー音がブワーってくるっていう、そういうお話、情景っていう感じです。
その後はですね、やっぱりこの辺の描き方がミワさんらしいというか、逃げるわけですよ。逃げる途中で見た光景をどう表現しているかっていうところなんですけど、
アビー教官の高境岳がシンバルやティンパニーの乱雑とともに何十万の悲鳴のコーラスを叫び、この世の果てまで届くよう助けを求めて泣いています。
凶暴な死神が衣をめかせながら、眷属を率いて、空いっぱいに広がり、地獄の中を大声で笑い踊り、荒れ狂っています。そんな感じの描き方。
そうしたところがやっぱりミワさんなりの捉え方というかね。その悲惨な情景なんだけど、それを。
そうですね。ちょっとオペラみたいな感じになってますね。
そんなことがあって被爆して戦後になってですね、新生高校の開校記念日がありまして、そこで記念の催しが行われたというわけですね。
だから新生高校があって開校記念日なんだけど、高校生とこの時ミワさんは中学生だったんです。
じゃあやっぱり中学生でいいのか。
やっぱり中学生で。そこで中学生のミワさんは歌の勉強をしてるんですね。
音楽の先生から歌の勉強な歌を習っていて、かつ外部の講師みたいな歌の先生もいて、その方からも習っている。
そこで歌を披露するんですけども、波乳の宿やスワニー川を歌うと上級生たちからヤジが飛ぶ。
頭の中がくるくるめぐる重い手舞台に降りて控室に入ると兵庫部の上級生が入ってきて、3年のエルスさんがちょっと雨天体操場まで来いってさっと気の毒そうな顔で僕に言い付ける。
雨天体操場って体育館とか?
そうですね。雨が降った時に。
そこで雨天体操場まで行くと丸山いるか?とエコーが響き渡る。
降りるとエルスさんがパンツ一枚の裸で水を浴びた後らしく、頭からビショゴレで入っていた。赤銅色の肌に夕日がギラギラ反射した。
俺の深い顔を押しかめてブルブルと頭を振って水滴を落としながら、おい体を拭いてくれと僕に向かって汚いタオルを投げた。
はいと言ったものの、屈辱で頭に血が昇り、目を上げるとエルスさんを睨みつけそうな自分が危なくて、目は伏せたまま黙って体を拭く。
確かになんかちょっとBL描写っぽい感じになってますね。
なんだかんだ言って、その後にエルスさんが岩あきろうを抱えて台の上に置いてキスを突然するという描写。
おい丸山お前にいいことを教えてやろうか。はい。
よし両腕を体につけたまま力を入れる。
はい。
すると鏡込むが早いか、後ろから僕の両手で支えると。
よいしょと抱え上げ、大きなピンポン台の上の畳などを積み上げた上、ポンと僕を腰掛けさせた。
するとエルスさんよりちょっと背が高くなり彼を見下ろす格好になった。
黙って目を伏せていると、いきなり頬をエルスさんの両手に挟まれて彼の顔が覆いかぶさってきた。
他人の唾が唇について気持ち悪さで泣きそうになり、ペソをかきながらペッペッと手で唇をこすっていると、
ワハハッと室内で小玉が割れかえるように笑いながらエルスさんは僕を見ている。
あんま可愛いですけどね。
まああのセクハラされたっていう感じですね。
聞いてになっているのはなんでエルスさんなのかっていうところだけが気になってますね。
結構エルスさんはいろんな文化に精通している人で、
この後宮城寛さんにこのレコードを弾けとか、この本を読めとか、いろいろ教養を仕込むみたいな感じなんですよ。
だから文学専役田川隆之介を読めとか、いろいろですね。
ちょっといろいろ教え悟ってくれる人っていう。
なんだけども、最終的にエルスさんとは別れることになる。
別れて次に出てくるのがアポロさんという人なんですね。
ペンネームなんですね。
わかりました。アルファベットのLかと思って、仮にしてもL取るのは普通と思っただけです。
すみません。余計なことが思いました。
そのアポロさんの話っていうのがちょっと出てくるんですけれども、ここが一番端微な感じの言い方なんですよ。
ドルコワーズの海へ向かって純白の砂浜が輝き渡っている。空の海もあまりに青くて水平線はなくなってしまっている。
この模擬海岸の夏の風景はナトロミーヨーこそふさわしかった。
僕はたった一人、緑の松が優雅な姿で踊っている岩陰に寝そべっている。
学校の音楽部全員で泳ぎに来たのだった。
あまり泳ぎのうまくない僕は、水面脱ぎ残した衣類の番人で、自分がデザインしたギリシャ風のひだのある白い水着でアンデルセンを呼んでいる。
おかしい。ちょっとごめんなさい。すみません。
デザインした水面脱ぎでいて、そのギリシャ風のひだのある白い水着。
立ち止まらずにはいられない。ごめんなさい。すみません。
着ながらアンデルセンを砂浜で呼んでいる。
中二病炸裂って感じになってますけど、ごめんなさい。すみません。
それはそれでね、みんなの注目の的だったことでしょうと思うし、一種アイドルみたいな感じでしょうね。
で、みんなは掟で払って、ここには人影ひとつない。
沖もみな海から空へ消えてしまったのか、人間どころか他影ひとつ見当たらない。
本に埋みつかれて目を閉じていたが、照りつける日差しの暑さに足を濡らしてこようと体を起こしたとき、
海の門に誰かの頭が白髪を蹴ってこちらに向かってくる。
誰だろう?杉野さんかしら?伊藤さんかしら?いや、それともひょっとしたらアポロかもしれない。
アポロが本当に目の前に現れたら素敵なのにな。
記念にサインしてもらうんだけど、でもまさかそんなことはあるわけない。
とは思いながら、空想と無視者が好きな僕はそれが近づいてくるのをじーっと一人で、
じーっと自分一人でイチャダ半分掛けようしながら見つめている。
その人は浜辺近くになると、獅子がたてがみを振るように白銀の水玉を振り立てながらすくっと立ち上がった。
アポロだ!
すみません。
失礼します。
失礼します。
要するにサドルさん、アポロだったらいいなと思って、ただ海から上がってきた男の人がいて、その姿まさにアポロ。
アポロだったんですね。でも相性もアポロと名付けて、憧れの人ですな。
そうしてはっきり顔が見えるほど近くまで来たとき、アポロは太陽も月も星も一度に輝き出したかと思ったほど晴れやかな微笑みの光を僕に当てた。
お表現がすごい。
僕はまだ夢見心地でいたが、それでもさすがに僕は僕だけあって、これ以上はいい顔ができませんというほどの微笑みで、
こちらからも光のプリズムが多かった。まさに世界は二人きりだった。ほんの一瞬だったのだろうけど停止していたときが随分長く感じられた。
めっちゃ端尾じゃないですか。
端尾ですね。
この辺ムズムズするが端尾なんですけど、この時代ですからね。書かれた時代からしてみたらば、どういう読まれ方をしてたんだろうと思うけど。
逆にこうした端尾って文でしか書けない。
文だったしね。当時は本当にそれこそ活字しかないですし、写真なんてほとんど文章でそれを味わうということになるわけですね。
やっぱりこういうところが端尾的な文学というか、そうしたものの良さというか、朗読してても気持ちいいですからね。
でもなんかそういう日本文学の伝統っていうのはさ、加賀太彦の帰らざる夏がやっぱり旧世中学の先輩と最初盛り上がるシーンがあるんですけど、めっちゃエロいんですけど。
高校生ぐらいの私とかめっちゃエロと思って目もぐれましたけど、なんかその時の伝統と限りなく近い感じ。
だからあんまり遠慮もないし、一尺もない感じ。堂々とアポロって言っちゃうぐらいですよね。
っていう感じですね。もうこう朗読したらどんどん時間が経ってしまうので、ちょっと紫の履歴書はこういうふうに3文的なところも入りつつ、あとなんか詩っぽいやつがどころどころ混じるんですよね。
そういうところで結構読みどころがあるというか。
今読むのと多分当時読んだ時のなんか衝撃がすごかったでしょうね。
やっぱり今読んでもすごい新鮮に読めるというか、いわゆる今流通しているBL的な人たちとは全く異なりますからね。
興味がある方はぜひ読んでみて欲しいなと思います。
でも入手が大変ですからね。
入手が大変です。
図書館ですね。
それではこれよりゆるクイア用語辞典のコーナーとなります。
このコーナーでは我々がクイアだと思う用語について我々の解釈で説明してみます。
ということで今回ですが、紫の履歴書の中の末節のタイトルでミソサザイという名前がついた説になりまして、そこのところを紹介したいのでミソサザイします。
小鳥なんですね。小鳥で日本で一番小さい鳥っぽいんですが。
雀よりも小さい約10センチほどと書いてあります。
ミワさんはミソサザイに一部を名取られていたようでございます。
このタイトルがミソサザイとついているところからもミワさんの同性愛とかに関する考え方、人生観的なのが一番強烈に書かれているところになってますね。
どういう状況なのかというとミワさん本学学校に進学してですね。
学生生活を送っているんですけれども、あまり勉強熱心ではなかったというところで、銀座に遊びに行ったところですね。
今でいう利専があって、そこにスタッフとして通うように。スタッフというか、要するに売りをする人。
売り子ね。本当に売り子とは言わないな。売り子は違う意味が。
男性として通うようになる。
今の利専も多分そうなんですけど、店舗の中に何人か男の子がいて、客が来て、指名をすると。
だから指名をして、同伴して出てくるみたいな。そういうやり方をしていて。
なので、売れる子は指名がするんだけど、ミワさんはちょっと女性的な様子で、だったので、あんまり受けは良くなくて。
遊びに行くみたいな感じで、店に入っていただくみたいなことが書かれています。
ちょっと読み上げるとですね。
お子は酒を売るのが目的らしく、はじめは女急もいたらしいのだが、今は防衛だけ。
別れも個性の違ったミメ、形の良い少年ばかり。
制服の防衛も日本人の少年には珍しいほど良く、洒落な着方をしている。
その中に混じって、やり手ばあさんながら、両個性良くないが、頭の回転が早い利発な少年も2,3人いる。
何のことか分かるままに、僕は2,3日を過ごした。そのうち、段々と様子が渡っていく。
来る客は男の客ばかり。たまに女の客が来ても、体中に金のかかった着物と宝石と、税肉に飾られた女社長などが。
ここは少年のハーレムだったんだ。男同士、女同士のダンス、応用節分、そんなものは長崎にいた頃からの経験済みで、
別段珍しくとも何ともなかったが、何としてもただ一つ神経に染まるのは、
その秘密めいた空気と、隠れキリスタンのようなどことなく踊るとしたり、虚勢を張ったりしている客たちの様子だった。
ギリシャ神話の太古の人の恋愛のように、隠れもないひまわりの愛で、南国に育った僕には、
ジメジメとしたひた毛を飛ぶミソサザエのような都会の恋の姿は、心身共に嫌悪を感じた。
あそこでミソサザエが出てくる。
客たちは自分の家庭や仕事関係にそういう性癖が知られることを極度に恐れて、
残暑系を前にした大昔のシナの罪人のようだった。
そういう意味で自分を欺き、世の中を欺いているこの人たちを僕は暴れみ軽蔑した。
しかしまあ同郷という都会は何と嫌なところだろう。
社会的な見栄や外分のために大中に生きることも許されない。
故郷では微笑みを持って見守られていた愛が、場所が変わっただけでこんなに迫害を受けねばならぬものなのだろうか。
男も人間ならば女も人間とすれば、男が女を愛す、男が男を愛す、女が女を愛しても、
神の目からすれば、それはただ人間が人間を愛しているだけではないか。
男性は女性のみを愛さねばならぬという規制は性欲という本能に埋め敷いた次元の低いつまらぬ獣どもが勝手に決めたものなのか。
それは人間ではない。
人間が人間を裁く裁判や刺客はお互いに備えていないはずだから。
すごいですね。
この時代にこの内容っていうね。
よくテレビという枠に収まっていましたね。
やっぱり文章として書いた。
テレビではあんまこういうことは言ってたんですかね。わかんないですけど。
ここまでの内容では展開しないと思いましたね。
肩破りであったことは多分推薦だし、
意外と都会の人じゃなくて、自分が長崎から来たっていうことでのすごい自負が強いね。
そこで育ったってことが。
その次がですね、当時の風俗をちょっと触れているところがありまして、
そんなことを考えているうちにその店の雰囲気にも慣れてきた。
防衛の中でバレエを習っているバレエさんという子がいて、彼のフロアショーの後、
彼が持っているいろいろな衣装を借りて、僕は裸の道に表の毛皮を巻きつけ、
頭には金のターバン、手足には鈴をつけ、歌い踊るようにやった。
近頃のヴィニアス国でバラックの独特しいヤスゴシラへのゲイバーナンスと違って、
そこには本建築のアンドレジードやオスカーヴァイルドの大ハイの世界があった。
しかし常時そのような雰囲気を保っているわけではなかった。
たまにしかないことだが、上野や日比谷、新宿あたりの女装の男性たちが客としてやってくることがあった。
彼らのほとんどがトトを組んだ2,3人連れで、一人で来る勇気はないものらしかった。
彼らはその店やホモの世界では系列されていたし、
彼ら自身のどことなくコンプレックスとそれの裏返しでいささかやけっぱちなところも見受けられた。
私としては彼らのほうを買っていた。
それは正直だから。
という感じで、ヴィニアス国のバラックの独特しいゲイバーはどういうものなのかって、
今となってはなかなか想像し難い部分はあるんですけど、
当時は60年代くらいで、赤線が廃止されて2丁目とかに、
その赤線で使われていたボロムバラックみたいなところが、
ゲイバーに転用されていった頃なのかなみたいな。
60年代くらい?50年代じゃなくて。
60年代くらいじゃないですかね。そのくらいだと。
もう歴史だよね。
歴史ですね。
その店の常連の客たちの中には、
役人や事業家など、社会的地位や名声を守るため、
愛してもいないのに妻を埋め取り、無理して子供を作り、
果ては目かけ愛人を大きさに囲って世界の目をカムフラージュしている人たちがいた。
そういう人たちは地位や名声には目もくれず、自分の生きたいように生きている連中。
つまり女装のダンス長や、女装こそしないがソロアーミンだということをオープラにしている連中を裏切り、
憎み、罵倒する。
それは自分たちがやりたくてもやれないことをやっている連中を嫉妬しているにほかならない。
またそういうやからばノーマルと称される一般社会へ仮面をかぶって出ている際に、
そういう連中の出現によって自分までがその影響を受け、周りの人たちからホモだと言われるのではないか。
そいつらが増加線になって自分のノーマルの化けの皮が離されるのではないかと不安なのだ。
そのままいくそういう傾向の顕著な連中を、いち早くノーマルと称する連中と一緒になって誹謗するのだ。
心の隅のどこかで後ろめたさを覚えながら、そういう連中はクソくらいだと。
いわゆるホモのホモフォービアみたいな。
ゲイのゲイフォービアみたいな。そういう話ですよね。
当時からそれこそ20年くらい経ってると思うけど、ゲイであってもホモであっても傾向するのは普通の時代でしたからね。
普通の時代だったけど、とはいえ一方では三羽さんが通っていたような、
理性的な世界ではある意味開放区的なところでみんなおっぴらいに来ていたようになって、
そうした生きている人々をクローゼットゲイ、当時のクローゼットのゲイの人たちというのは見下したりしていたというところだった。
ブルーボーイ事件とどっちが前?
同じくらいじゃないですけど、時代的にはそういうことだと思うんですね。
その次がグッと来るんですよね。
ホモだということで周囲から急断されるならば、それはそれで良いではないか。自分一人で受けて立てば良い。それが男というものだ。
それが怖さに何も知らぬ女やお子供を巻き添えにして迷惑をかけたり悲しい思いをさせたりするなんて表の他だと。
家族や親戚、近所や仕事関係、それら社会的なものに対して後ろめたい思いで一生を送るなどとは哀れの話だ。
別段他人に対して危害を加えたり悪いことさえしなければ自分一人の命である。苦しみ悲しみ孤独で戦ってこそ人の値打ちがある。
そういうことからして疑問だらけのプチブルの客達よりも、ダース調やそれに類した客達の方が僕には素直で好感が持てた。
僕は顔出しや挙動が女性的なせいか、この筋のお店ではあまり愛の対象としては求められていないので、至って気が楽である。みたいな。
九州町相撲のまた別の形だよね。そういう意味だよね。他の人に迷惑をかけるなんて男らしくない。
でもすごく筋は通ってますね。三浦彦らしい感じがこの辺にありますね。
そうなんです。反転した男らしさみたいな。
そうですね。
そこの部分がある意味ゲイプライド的なところにつながっているっていう。
かつセックスワーカー的な男性であったりとか、そうしたところへの目線にもなっているかなっていう感じがあるんですね。