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2024-10-23 31:59

にじシバラジオ#020 映画『チャイコフスキーの妻』と帝政ロシアのホモソーシャリティ

にじシバラジオ第20回

今回は9月のにじシバ振り返り回後半編。にじシバで話題になったキリル・セレブレンニコフ監督の映画『チャイコフスキーの妻』について、ともぞーが観てきたことから感想を小倉さんとシェア。10月23日現在、東京ではシネスイッチ銀座、シモキタ-エキマエ-シネマ『K2』で上映しています。最新の上映館は公式サイトをご覧ください。

MC:にじシバ座長・ともぞー、ぶなのもり・小倉

毎週水曜 午前5時配信予定

にじシバラジオ#020 概要

  • ともぞーはチャイコフスキーのファン
  • チャイコフスキーの死因を巡る19世紀末の噂
  • チャイコフスキーとアントニーナの出会い
  • 19世紀後半の帝政ロシア社会と貴族
  • チャイコフスキーとアントニーナの関係の希薄さ
  • 同性愛者と結婚したことによる悲劇を描いているのか
  • チャイコフスキー側からの離婚圧力
  • 19世紀ロシア音楽界・貴族社会のホモソーシャリティ/ホモソーシャリティとホモセクシュアリティの混然一体
  • 婚姻制度による束縛・囚われから派生する悲劇
  • アントニーナのチャイコフスキー(とその作品)に対する愛

#にじシバラジオ #LGBT #LGBTQ #映画 #映画感想 #チャイコフスキーの妻

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◆にじシバは、川口市芝にあるシェアスペース「スペースとプラン」で開催している、ジェンダーやセクシュアリティ不問のおしゃべり会です。月2回開催。

開催日程の詳細はにじシバ公式HPでご確認ください!

◆また、にじシバはNPO法人レインボーさいたまの会の活動の一環でもあります。活動の詳細についてはレインボーさいたまの会公式HPをご覧ください。

◆にじシバラジオの感想・お便り・お問い合わせはこちらから→ ⁠https://forms.gle/EMNvwJGcmJDFdcb49⁠

◆にじシバラジオMCの一人、小倉さんが経営する出版社・有限会社ぶなのもり

◆にじシバ開催場所、シェアスペース「スペースとプラン」

◆にじシバ発祥の地、ブックカフェ「ココシバ」

OP・ED曲はBGMerさんが配信している楽曲を利用しています。→ BGMer ⁠http://bgmer.net⁠  ※OP曲 [Free Music] Lunar Eclipse - Drunk   ※ED曲 フリーBGM [夕暮れコスモス]

サマリー

このエピソードでは、映画『チャイコフスキーの妻』を通じて、19世紀のロシアにおける同性愛者の生き方や貴族社会が描かれています。チャイコフスキーの同性愛の秘密および彼の妻アントニーナとの関係について深く考察されています。彼らの結婚の成り立ちやアントニーナの孤独感、同性愛に対するタブーが展開されます。また、映画を通じて、帝政ロシアにおける婚姻制度やホモ・ソーシャリティの複雑な関係も示されています。アントニーナの悲劇は、当時の貴族社会における制度的な束縛を象徴し、視聴者に深い考察を促します。

にじシバラジオの紹介
こんにちは、にじシバラジオ第20回です。
にじシバは、川口市・芝で定期的に開催しているおしゃべり会です。
にじシバラジオは、にじシバで話題になったことやならなかったことについて、
にじシバ座長・ともぞーとぶなのもりの小倉さんとで語り合う番組です。
毎週水曜日配信です。
で、今回は、にじシバの9月の振り返りの後半ということになりまして、
日曜日の回ですね。
えーと、日曜日、今回も暑かった。
なんかね、9月なのになんでこんなに暑いんだろうっていうような。
暑さでしたね。
暑さでしたね。
なので、なかなか集まりがあんまり。
昼間の回に人が来ない。
そう。
きついとこですけど、まあもうちょっと頑張ってみましょうね。
そうですね。
定期的にやることに意義があると思っているので、
ちょっとでも集まってもらえればと思います。
来ないとは言っても、普通に人は来て常連さんばっかですけどね。
で、スペーストプランの改修工事じゃないですけども、
映画『チャイコフスキーの妻』の概要
階段を日曜大工で直すみたいな、そういうイベントがあったりとかしてまして。
直った、直った。
直りまして、無事直ってよかったですね。
なんか、もともとその空き店舗、空きテナントのところを使っていて、
そこの上がりかまちみたいになっている、
室に上がるところの階段がぶっ壊しているというか。
そう、半分割れてて、体重かけたら割れちゃうよ。
本当に割れちゃうよって感じになったやつを直してもらって。
直して、なんとか今は使えるようになってよかった。
あれ、でもそれが日曜日じゃないよ。昼間だよ。
昼間なので日曜日。
あ、昼間に直したんだっけ、あれ。
昼間に直すの。
そっかそっか。
で、あの公務店の方も。
そうだよね。
あの巻き込まれて参加を。
いや、それはこっちを参加したら巻き込まれて修理に付き合わされたの。
そっち、順番はそっち。
そうそう。
そうですね、そういう経緯です。
っていうところだったんですけど、前回話に入れた、
その2回目で、2回目っていうかその日曜日の回で何を話したかっていうのを振り返ると、
やっぱりその第2回の方も基本近況報告みたいな。
ものがメインになっていて、
あの特定外来種の話がまたあったりとか。
そうだそうだ。また今回も延期になるとかっていう話をしてた。
なんか元々ね、その翌日、翌日の祝日だった月曜日か。
月曜日に屋上というか。
予定があるのに中止になりました。
そう、翌日雨が降るみたいな。
そうそうそう。
ねえ、降らないだろう?って思いながら。
まあでもまあ、やっぱりね、みんなどっかに虚しさを感じてるんだと思うんですね。
きっと本当。
キリがないので。
うん、キリがなさすぎるんだと思う。
まあそんな話はまた続き、
でもまあ面白かったのだから、そのチャイコフスキーの妻たちを見てきたよって話があって。
あ、妻たちじゃない。
妻です。
妻は1人。
妻は1人です。
アントニーナとの関係
で、そのチャイコフスキーの妻って映画ですね。
映画で9月の上旬からロードショーが始まりまして、
これもミニシアター系の映画なので、そんな上映してるところが少なくてですね。
で、埼玉市だと札幌でしかやってない。
あ、埼玉県だと。
埼玉県内だと札幌でしかやってない。
私すごくマニアックな男だったね。
そう、そうなんです。
札幌だったのね。
で、まあただね、私はですね、札幌で行くのは結構難儀なので、
まあ普通に。
東京行きます。
東京に行きます。
東京だと新宿の武蔵野館って映画館でやっているのと、
あと銀座と吉祥寺でやってますかね。
一番行きやすいのは武蔵野館ですので。
武蔵野館に行ったのもかなり久しぶりだったんですが、
それで見てきたんですけれども、
どういう話かっていうと、
チャイコフスキーっていうロシアの作曲家ですね、19世紀。
そうですね、白鳥の湖含めて知らない人はいないという。
秘荘か何かがテーマの音楽になっているのか。
秘荘がテーマだったのはエゴイストの。
エゴイストか。
鈴木良平が主演した。
そうだ、その話をちょうどだって回でしてたから。
ついつい、はいすいません間違えました。
で、今小倉さんがおっしゃっていただいた通り、
チャイコフスキー、ピオトル・イリッチ・チャイコフスキーという作曲家、
非常に有名ですね。
白鳥の湖と眠れる森の美女とくるみあり人形が、
三大バレエと言われるバレエ楽曲。
バレエ楽曲でも有名ですし、あとピアノ競争曲っていうんですね。
昔CMで使われて、中村ひろこさんのピアノ競争曲がCMで使われて非常に有名だった。
あとゲームとかでもね、
City Connectionっていうゲームが昔あったんですよ。
そこの音楽がいろんなところで使われて。
春野からね、大人の曲を作る人ですよね。
僕はチャイコフスキーが大好きです。
そうなのね。
それはすごいことです。
もともと吹奏楽やってたので、
それで高校時代の同級生でクラシック好きな人がいて、
その人はチャイコフスキーではなくマーラーとかが好きだった。
そっちですか。
重厚な感じのやつが好きで、
ただ僕はチャイコフスキーの華やかな感じが好きだった。
それで好きだったんですけど、
その後チャイコフスキーの楽曲解説みたいな本があるんですけど、
それを読んでいたら、
チャイコフスキーが同性愛者だったっていうような話を見つけて、
あ、そうだった。仲間だったんだ。
さらに親しみ深くなり。
親しみを感じたっていうのがあったりしましたね。
なのでチャイコフスキーが同性愛者だったのではっていう、
そういう話っていうのは、
19世紀当時のロシア、今のロシアでも相当スキャンダルな話でして、
チャイコフスキーの死因、19世紀の末に死んだんですけど、
その時に葬式が行われたと。
その死因としては公表されていたのはコレラで死んだって言われてたんですよ。
コレラなので遺体と接触するっていうのは基本的にタブーとされていたんですが、
いたのに当時の葬儀の場面では、
送列に並んだ人たちがチャイコフスキーの遺体以外ですね、
こう置いて、祭壇の上に横たわられていて、
そこにキスをしたりとかっていう光景が見られたことから、
当時からコレラは嘘なんじゃないかっていうことが言われていて、
その結果何が言われたかっていうと、
チャイコフスキーが当時の同性の恋人がいたらしいんですね。
恋人とされる方がいて、
その人との関係がある意味交然となっていたことから、
当時まだロシアは帝政ロシアの時代なので、
暗殺されたのではないか。
殺されたぐらいの感じか。
毒殺されたのではないかみたいな噂が立っていた。
いうのが当時からあった。
そんな中で今回チャイコフスキーの妻っていう映画の中には何を描くかっていうと、
現代もね、偽装結婚と呼ばれたりするのもあります。
自分のセクシャリティ、本当は自分は同性愛なんだけども、
ゲイなんだけども、
それだと地域社会で生きたりとか、
会社組織の中で生きたりとかっていうのに不都合があることから、
家族の手前とかね。
家族の手前とか。
なので自分のセクシャリティを隠して、
女性と結婚すると。
子供も向けてみたいな。
っていう家庭生活を送る。
そういう生き方というのがありまして、
チャイコフスキーも公表できないわけですよね、当時。
ゲイフォビアとかフォビアも強い社会。
公表できない社会なので、
そこで妻を埋めとるということがあります。
それがですね、アントニーナという。
貴族の娘ですね。
アントニーナとチャイコフスキーの出会いが最初に描かれるんですけども、
この映画のいいなって思うポイントの一つは、
その当時の貴族社会の描写が、
多分こうだったんだろうなっていうくらい、
ちゃんと丁寧に描かれている感じがあって。
アントニーナは地方貴族の娘なので、
当時のサロンで出会うんですよね。
19世紀っていうのはサロン文化がまだ残っている時代で、
特に帝政ロシアの時代なので、
貴族が広くサロンがある。
それがサンクトペテルブルーのサロンで、
そこでアントニーナは昔からチャイコフスキーの楽曲が好きだった。
それでサロンでチャイコフスキーがサロン音楽家として来ていて、
演奏をしている姿を見て一方的に惚れてしまう。
それで何とか著名なチャイコフスキーさんと結婚がしたいっていう風に思うようになり、
もうすごいつましい努力をする。
なので近づく。
まずは自分のおばに頼んで、おばも貴族なんですけど、貴族の妻で。
そのおばに頼んでチャイコフスキーをサロンのパーティーの場で紹介してもらった上で、
チャイコフスキーが当時モスクワ音楽院っていうところで教師をしている。
音楽教師をしていたので、
そのモスクワ音楽院に自分も行きたいということを申し出て、
それで実際にサンクトペデルブルからモスクワへ移り住んで、
一人暮らしをしながら音楽院の学生をすると。
その学生生活をしながらチャイコフスキーにこういう文章を入れたらラブレター。
そのラブレターを書く時もラブレターの書き方っていう本を買って。
本当に努力のレベルが本当に泥臭いね。
泥臭い。泥臭いというかもう必死なんですよね。
そのチャイコフスキー自分の家に来てくれませんかみたいなことをお話をしたいので。
そうすると、アニメとかでもよくあるじゃないですか。
女の子を自分の家に招く時に一生懸命片付けたりとか。
みたいな男の子の。あるいは逆でもある。
そんな感じでベッドメイクをして、掃除をして、出迎えるための衣装も。
すごい張り切ってね。
すごい張り切った感じで出迎えるんです。
ところがなんかハエが飛んでるんです。
ちょっと下宿というかアパートがちょっと下町というかというところにあって。
そんなに地方貴族でそこまで裕福ではない。
そうでしょうね。
せっかくいろいろ整えて招くんだけどハエが飛んじゃっていくみたいな。
で、ちょっとジャイコフスキーもそもそもそんな女性と付き合う気があまりない。
そもそもないんですよね。
でもアントニーナの方が自分と付き合ってくれれば自産金でね。
結婚とアプローチ
自分の家が所有している森林を売っ払って1万ルーブル用意して
それを自産金として持っていくから結婚してほしいみたいな。
すごいね。
圧倒的にアプローチしていくわけだ。
でも最初の自宅招いた時はちょっと自分はそういう感じじゃないんでみたいな感じで断られる。
そこで何回かアプローチがあって2回目また自宅に呼んだ時に
じゃあそこまで言うんだったらみたいな感じで。
で、そこの時のジャイコフスキーの受け入れ方っていうのが
兄と妹みたいな関係の付き合いだったらいいですよ。
で、一応そこで私は女性には興味がないんだってことは言うんだ。
言うけど別に男性が好きだって言い方ではなくて
女性には興味がないんで。
じゃあ努力すれば何とかなるかもしれないぐらい思わせちゃう。
孤独と要求
で、もう結婚式もあげて協会であげて。
協会でなんていうかもうとにかく新人深いんですね。
で、当時のロシア性協会のシステムなんだと思うんですけど
修道院っぽい感じなのかな。
女性が協会に多分あんまり左に入らない状況だったんですね。
で、男性は普通に入れるんだけども
女性は修道場以外は多分入れない形になっていて。
扉の外だよね。
扉の外でお祈りをしないといけないっていう形になっていると。
本当に何回もお祈りをして。
家でもお祈りをして。
それで結婚式をあげて。
で、これで幸せな結婚が遅れるかと思いきや
チャイコスキーはその後神経衰弱になっちゃうんですね。
それが原因で?
それは原因で。
ひどいなと思うんだけども
ただチャイコスキーとアントニーナの関係性っていうのは
そもそも疑伯だったので
あまりこうちゃんとは描かれないんです。
疑伯な状態のまず淡々と進んでいくんですけど
やっぱり妻となったアントニーナは
チャイコスキーに対して妻としての地位
妻なんだからこうしてほしいみたいな要求
普通の要求をする。
普通に要求するんだけど
チャイコスキーは全然形式的な妻だと思っているので
それにまともに答えるつもりはないみたいな感じになっていて
でちょっと距離を置きたいな
である時演奏旅行に行ってくるみたいな感じで
チャイコスキー妻をモスクワに残して
サンクトペテルブルーに行っちゃう
でしばらく帰ってこないみたいな状況になっちゃったりとか
で妻としてはずっと一人を放って怒られちゃう
その辺の孤独感みたいなのを
ちゃんと描かれてるかなっていうところなんだけど
なんかね
武蔵野館の劇場の前に
劇場っていうか3つくらいシアターがあって
そのシアターの前に
映画評論家が書いた評論がスクラップしたやつが
パネルに置かれてたんですけど
例えばですね
どういうことが書かれているかというと
ちょっとなんか言葉が古い感じがします
映画評論家の
言葉の話?
言葉の話
例えばこれは読売新聞の有刊に載った記事ですけど
自身の思考
これはたしなむ
好きな思考をぼやかす偽装的な結婚
過虐が容易に想像できる夫婦関係とかね
であるとか
どんな美体を見せても性交渉を拒まれる女は哀れた
夫の主意はいつも男ばかり
とかね
なんかね
同性愛と社会
妙に異人の同性愛というタブーに触れたのは
反対政派のロシア人キリル・セレブレン・ニコフ
キリル監督とかね
そういう表現があった
なんというか
妙にですね
物々しいというか
ちょっと言葉の選択が古い感じがします
なるほどね
どうだろう業界が違うと
もしかしたらそういう言葉で最初から丁寧にしなくちゃいけないのかなと思うけど
ここまでね色々このやり取りをしてきた中で
もうなんていうのかな
そういう言葉すら不要になりつつある社会と表現の話をしている中で
まだそれなんか
要するに同性愛っていうのはタブー視されるので
それとアントニーナの一途な恋の絡まる悲劇みたいな
そういう捉え方だけど
まだ僕はあまり捉えることができなくて
結構終盤ネタバレってことでもないんですけど
ラスト結構アントニーナが
自分の性欲的な部分っていうのが
最終的に離婚というか離婚はしないんですけど
離婚裁判みたいな感じで
離婚裁判まではいかないんですよね
その離婚の手続きをチャイコフスキー側も従っていて
それで離婚をしようとすると
基本的にキリスト教会は離婚を認めないので
そうするとどちらかの不抵抗意があったから
離婚っていう形を取るんだっていう形にならざるを得ない
ただアントニーナはチャイコフスキーが不抵抗意をしたっていうのを
そういう嘘を認めるわけにはいかなかった
だけどアントニーナは自分の代理人の弁護士と
普通に浮気してるんです
体の関係もあって不抵抗意をやっていると
そんな事業者もあったり
だからそれをチャイコフスキー側がアントニーナの不抵抗意をつかんでいれば
普通に離婚できたはずなんだけど
あるいは自分で自爆すればね
そこは結局そういうことにはならず
アントニーナが離婚の書類のサインを拒むために
チャイコフスキーの妻っていう法的な地位はずっと保たれたまま
それがタイトルなんだ
じゃあチャイコフスキーの側から申し立てていて
離婚はあくまでアントニーナについては
私は望みませんっていうスタンスだったんだ
チャイコフスキーの弟とか老いとか同僚とかが
みんなとにかく離婚させようとするんです
働きかけてアントニーナに対して
一応言い分としては
特に出てくるニコライ・ルビン・ステインっていう
チャイコフスキーの師匠にあたるピアノの先生みたいな
すごいロシア音楽界では著名なピアノ人なんですけど
その人が出てきてアントニーナを説得するんですよね
チャイコフスキーっていうのはロシアの宝なんだと
宝みたいな作曲家なんで
その作曲家があなたの存在がいると
作曲に集中できていない
それを離婚しないで
あなたと夫婦関係にあるっていうのは
チャイコフスキーのみならず
ロシアにとって損失なんだと
そういう感じの
みんなすごい協力的ですね
なんで?
なので
一つはやっぱりロシア音楽界のホモソーシャリティ的な感じがある
その劇中で最終的に
アントニーナのお母さんがいるんです
お母さんで
ロシアの地方貴族の家庭というか
父親って出てこないんですよね
父親いるんですけど
貴族の娘っていうのは
母親の監視官にあるみたいな
そういう描かれ方になっていて
実際そうだったのかちょっと分からないですけど
その母親がある時に言うのは
映画が進んでいく中でアントニーナが
最終的にチャイコフスキーの妹のところに
厄介払いされちゃうんですね
妹はキーユー近郊の仮面家っていう
今のウクライナに住んでいて
チャイコフスキー・サンクトペテルブルに相当遠いんですけど
厄介払いで仮面家に送られてしまって
そこでそのチャイコフスキーの妹といろいろ話をする中で
妹から実はチャイコフスキーは男性が好きなんだということを聞く
それで真実を知って
そこまで知らなかったわけですか?結局
そこまで気づかなかったというか
気づこうとも知らなかった
それで自分の母親に
実はチャイコフスキーっていうのはそういう人だってことを言ったところ
母親が私の夫も
私の夫が昔男のメス会とやってるところを見た
みたいに告白をして
近畿強そうなロシアは割と一般的に
それこそ貴族文化の中で同性愛が定着してたのかしら
同性愛的な行為っていうのがあったのではっていうことを
伺わせるような演出だった
だからチャイコフスキーの音楽仲間の男たちっていうのも
チャイコフスキーとそういう
同性愛的関係にあったんじゃないのかなみたいに思わせる
セリフも若干出てきたりする
見る目とかね
半分ぐらいオープンな状態なわけだよね
だから当時の貴族社会というか男性社会の中で
ある意味ホモソーシャリティっていう男性同士のつながりと
ホモセクシュアルな関係っていうのは
全員一体となって存在していて
そのロシアの男社会とか宮廷社会っていうのを
作っていた感じがあるなと
それこそそこにしくしくと従うみたいな形の妻であれば
ともかく自分に近代的な恋愛感情とか性愛とかを
抱いてくれというふうに強く訴えかける存在は
そういう意味ではすごいストレスフルな
男性にとってストレスフルな存在なんだね
みたいな感じですかね
キーマンというかニコライっていう
さっき出てきたニコライ・ルーヴィン・ステインとはまた別のニコライっていう人が出てきて
その人は昔のオカマ的なイメージ
そこでパーティーをするっていうシーンが出てくるんですね
そのニコライの自宅でパーティーなんですけど
そこに男性のヌードのエッチングみたいな絵とかがいっぱい掲げられていて
どう考えてもこの人は男好きだなっていうのが
着るものも着物を着てるんですよね
軍服の上に着物を着ていて
ちょっと昔のオカマ的なイメージなのかな
っていうような感じのキャラクターなんだけど
その人が後半になった物語の終盤くらい
アンプリーナから相談を受けるんです
私はどうしたらいいか
そうするとどうもそのニコライっていう人は
男性を発見をしている
アントシーなどのために自分が抱えている男性を何名か連れてくるんです
よりどり物を見て選んでいいのよ
その男たちがアントリーナの前で一斉に脱ぎ出す
ニコライが脱げって命令されたから前来になるんです
ブランブランってぶら下がっていく感じが
普通に描かれて
アントリーナはニコライを別室に下がってもらって
その男たちと過ごすに過ごしたんじゃないかみたいな
演出があったりとか
最後の最終盤のラストのところで
ダンスシーンがあるんですけど
そのダンスシーンのところも
前裸のヌードの男たちがいて
アントリーナと一緒にダンスをするみたいな
そういう演出があって
それっていうのは
婚姻制度の影響
やっぱりそういうホモ・ソーシャリティと
ホモ・セクシャリティが一体となった
ロシア貴族社会・宮廷社会の中で翻弄される
アントリーナという女性の悲劇的なものを
象徴してるのかなっていうような印象になって
っていうようなそんな感じで
そういう元男性の裸もそう見える
そう見える感じで
今のこの社会状況から見たら
何が言えるのかなっていうのは思ったんですけど
結婚制度っていうか
貴族社会における婚姻制度っていうものの
そこに束縛されていくんですよねみんなね
ジャニー・コースキーも束縛されるし
アントリーナもそこに束縛されちゃうっていう
その結果悲劇が生じるっていうところで言うと
帝政ロシアの家族制度あるいは婚姻制度の
ある意味窮屈さというか
でもそれっていうのは今でも婚姻制度
っていうものがずっと残っていて
そこでそういう制度があるがゆえに
苦しみが生じているっていう風なことも
言えるのかなっていう
お互いの関係すらも変えてしまうというね
今でこそ同性婚も見てられてるけども
そういうものは全くなかった時代だから
そういうアイデアすらもなかった時代なんで
単に同性愛者であるジャニー・コースキーと
それをその上に執着するアントリーナという
女性の悲劇っていう風な解釈よりかは
その婚姻制度
大政というか
大政をめぐる悲劇な感じが動かしたかな
そんな映画だったっていうことをしゃべったから
あっという間に時間が
時間十分だよ
他の話もしようかと思ったけど
しなくて済みそうですよ
尺の長さになってしまう
というところで
一応10月の上旬までは
武蔵野館でやってるっぽいです
ですがこの放送会は10月の下旬になるので
絶対終わってるよね
終わってますので
その後延長でどこかでやってるかどうか
っていうような作品でもなさそう
でも結構長いんですよ
2時間23分
フランスとロシアとスイスだっけ
スイス
フランスとロシア映画ってだけで
だいたい眠そうって思っちゃう
意外と眠くないです
実は嫌いじゃないんだけど
ロシア映画とかフランス映画とか嫌いじゃないけど
ここの相性って抜群にあのノリだよね
って感じになるじゃないですか
不思議とちょっと端微なというかさ
妙に綺麗な空気がすごく冷たい感じのさ
感触な映画のイメージっていうのは
もう合作映画ある
この2つの組み合わせだとこうなります
っていう感じがありますね
途中の演出
映像の演出で
アントニーナがその
サンクトペテルブルーグに行く
チャイコスキーを見送りに行く
モスコワ駅に見送りに行くシーンがあるんですけど
そこで時間経過が
半年か1年ぐらい時間経過が
立つシーンがあるんだけど
そこが非常にわかりにくくて
あれ半年経ってたの?みたいな
感じのところがあったりとか
その辺はなんか
監督の演出力の問題なのかな
っていう感じはしましたけど
ただ退屈はしないんで
チャイコスキーもアントニーナも
見てると魅力的な人なんだな
って思う感じなの?
それともそんな
わりと人間臭さはわりと低い感じ?
アントニーナはね
ピアノがとにかく上手い
ですよ
だからチャイコスキーを
本当に好きなんだな
っていうのがよくわかった
途中ピアノを売られちゃうシーンがあるんだけど
一問なしになっちゃうんですねアントニーナがね
肉体関係にあった弁護士と
一緒に暮らしているんだけども
弁護士が死んじゃうんですよ
病気かなんかで
先立たれてしまって
アントニーナも無一問というか
お金がなくなってしまって
それで大切にしていたピアノを
もう処分しなきゃいけない
みたいな感じになっちゃうんですけど
そこで最後
そのピアノとのお別れのシーンはね
めちゃめちゃジンと来る
グッと来るところがあります
でやっぱ
チャイコスキーの
妹の仮面館っていうところに行った時にも
その妹の子供たちに対して
アントニーナがピアノを教えるっていうシーンがあって
普通に非常にピアノが上手い
で楽曲の解釈もすごいしていて
それでピアノを教えるみたいな
だからチャイコスキーの作品に対するすごい愛もあるし
チャイコスキー自身に対する愛もあるんだけど
すごいやっぱり
当時の婚姻制度の中で
残酷にも
そこが伝わらないというか
そんなこと求められてるとは思わせない相手ですね
みたいな感じ
なるほど
チャイコスキーは
そこまで魅力的な感じではない感じがする
そこまで狂うほどね
惚れてしまうような相手には見えない
見えない
そこかな問題は
そこの説得力かな
だからチャイコスキー本人の魅力ってよりかは
楽曲の魅力とか
その人が生み出したものに対する
憧れみたいなものの方が強いのかなっていう
そんな印象
単に同性愛者を好きになってしまった
農家女性の悲劇っていう風な解釈ではなく
制度的なところから見ていただくと
解釈のしがいのある映画なんじゃないかなと思います
映画の深い解釈
長い話しちゃってしまいました
あっという間に来ました
それではこんなところで
虹柴は川口市柴のシェアスペース
スペースとプランで月2回開催しています
ジェンダーやセクシャリティに関わらず
誰でも参加できるおしゃべり会で
LGBTQに関するさまざまな話題などについて
おしゃべりしています
詳しい開催日程などは
概要欄のホームページをご覧ください
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それではまた来週お会いしましょう
さようなら
31:59

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