ココノツ島のシェアハウス
五感でつながる開運ラジオ、はじまりー!
このラジオは、聞くだけで運が開けていく。
今、そこにあるものに気づいていく。
人生の可能性を開くコミュニティ、Vision Quest主催のココノ、
タキラ、そしてその仲間たちが気づきや学びをシェアするラジオです。
ということで、
なんと、第9回目まで来ました。
素晴らしいー!
続いてるね、地味に。
地味に、ちゃんと続いています。
そして、聞いてくださっている方もね、地味に。
地味じゃない。ちゃんといる。
声が届いてきております。
地味豊かに、たくさんいらっしゃるってことがね、届いてきています。
そんなリスナーの方からお便りも届いているので、
それはちょっと第10回からね、
第10回にちょっと譲るとして、今回第9回なので記念すべき。
ココノツと東津市にありますシェアハウスですね。
我々が運営してますけども、
当民の皆さんと共に暮らし合うっていうね。
拡大家族としてね。
そのココノツ島での暮らしについて、ちょっと今回はお話をしたいなと。
そうだね。シェアハウス。
だから、ココノさんがね、ココノツ島ですから、
メインで話す。
俺がちょっとフリを入れるみたいな、そんな感じでやっていきます。
そうしましょう。
ということで、ココノツ島の暮らし、概要でいくと、
定住で住民票も置いて暮らしているっていう暮らし方の人が6人。
6人ですね。
6部屋あって、6人あって。
2拠点プランっていうね。東京とか他に家があります。
でも、図士に、ココノツ島に自分の部屋を確保したいということで、
行き来するような暮らし方をする方向けに、
1つの部屋、1つのベッドを2人でシェアするっていう。
家賃も半額にね。
そんなプランで使っている東民、リトリート東民と呼んでますけど。
リトリートステイって呼んでるね。
リトリートステイ。
リトリート東民。
東民が4人。
4人います。
合計。
10人。
そして私たち入れて12人。
12人で暮らし合ってる。
住人が12人。
いる。
ややこしい。
東民が12人。
東民が12人。
ややこしい。
ややこしいけど、そういう暮らしをしてます。
そうですね。
その暮らしが一体どんな感じ?みたいな話と、
暮らしの中でもすごく大事にしている時間があったりするので、
そんな話をね。
今回ちょっとね。
今回できればと思いますけども。
あれですね、とはいえみんな一緒に生活してるとはいえ、
それぞれ生活パターンが日々ある。
コミュニケーションとルールのない暮らし
毎日だとバラバラですからね。
たまに。
たまにご飯一緒に食べたりっていうのはあるけど、
基本的にはバラバラな感じですよね。
基本的には本当にもう皆さん大人なので、
それぞれの生活を持って、
それぞれの仕事だったり暮らしをしているっていう。
よくね、シェアハウスってみんなでご飯食べるんですか?とか、
場合によってココナさんがご飯作ってるんですか?とかって聞かれるけど、
みんな自分で自分の食事は作るし、
自分のご質を持ってその部屋は整えてるし、
私たちが誰かの部屋を勝手に入ったりとか、
部屋の中を行き来することは滅多にないね。
滅多にない。ゼロでしょ。
基本的にゼロだよね。
時々誰かのお部屋をちょっと見させてもらって、
わードキドキするみたいなね、ぐらい。
男性ですからね。私は時々あるけど、
それでもやっぱり同じ家に暮らしていながら、
扉一枚なのに、やっぱりそこはすごく神聖な、
その方のスペースとして尊重しているのがあります。
家で家族として暮らしてると結構親は子供の部屋に、
平気ではないけど入ったりすることもあるかもしれないけど、
やっぱり大人の暮らしとしては、
私たちは入ったりすることはないので、
共用スペースでやっぱりコミュニケーションというか、
関わりを持っているっていう感じだよね。
ここの都道の暮らしでルールはほとんどないし、
あえて言うとルールというか、
あり方として一番決まっている大きなことは、
できる人ができることをできるときにできるだけやるっていう、
ゴミ捨てとか掃除とかっていうのは基本的に、
あんまり当番とか決まってない。
ちょっと一部ね、決めてやってみようかみたいなね。
ドライしているところはありますけど、
基本的にこういろいろ決め事はないです。
そのできる人ができることっていうのと、
あともう一つまたそこに加わる大きな前提として、
自分が知らないところで誰かが何かをやってくれている、
やっているっていうことに気づいている自分でいるっていうことと、
やっぱりその人の存在に感謝するっていう、
ここはこの2つが一番大きな、
あり方としての決め事っていうのは、
心に置いておきたい心情っていうのかな、
そういうのってね、っていうふうに言っていて、
細か、細々した決め事はほとんどないなっていう、
人が変わるといろんなことが変わるんだよね、やっぱり。
入居する人もいるし、退居するタイミングもあったりするからね。
それによってやっぱりすごく個性を変わっていくので、
私もおそらく今まで暮らしてた人や、
自治会での活動と意識
今いるみんなはそれですごくしっくりきてるんじゃないのかな、
って思っているかなっていうのがあるね。
そうね、だいぶ変化してるよね。
すごい変化してる。8年。
8年か。
ちょうど2015年の11月15日にオープンハウスをしたの、
すごい覚えてるから、ちょうど丸8年が経ったっていう、
いろんなドラマがありました。
ドラマがありましたね、ほんとに。
今のルール、あり方、心情は結構最初からあったんだよね。
ここのストーリー一番特徴的な、
伝えたい、入居したいですっていう人に必ずお話ししてることは、
自治会と呼ばれる。
自ら治める会という、自治会の存在かなと思っていて、
毎月1回開催しています。
それは何をするかっていうと、夕方ぐらいから始めるんだけど、
みんなで6時とか5時とかね。
サマータイムは6時。
そうそう。
冬は5時。
そうそう。暗くなるからね。
そんな感じで5時、6時ぐらいから始めるんだけど、
みんなで大掃除をすると。
大掃除をして、ご飯を食べる。
みんなでご飯を食べる。
一緒に作ることもあれば買ってきても、
そこら辺細かい決め事はないんだけど、ご飯を食べます。
あとは日常の暮らしの相談ごと。
なんかこういうこと困ってますとか、
今度こういうふうにしたいとか、
ここやっぱり買えませんかとかっていう、
その問題だったり提案を話し合う時間。
で、最後にまとまらなくていいのでっていうか、
自分の今、今自分の心の中にあることを分かち合う
シェア会っていうのをやるっていう。
この掃除、ご飯、情報共有、シェアっていう
4つが大きな自治会のメニュー。
これは月1回、第4土曜日っていうのを基本にしながら、
土曜日に休日にどうしても来れないっていう
当民がいたら平日にちょっと振り替えようかみたいなね、
そんな相談をしながら、月1回必ず集まると。
で、その時間にどうしても来れない人ももちろんいるから、
そうすると仕方ないんだけど、
できるだけみんなこの時間を大事に集まってくれてるっていうのがあって、
それはやっぱりこの時間を大切にしたいって思うね。
何か感じ取ってくれてるからなんやろうなって思ったりするけど。
大事に思ってくれてると思うよね。
で、掃除をするっていうのは、さっき言った通り、
掃除当番っていうのは決めてないんだよね。
で、みんなが気がついた時にやっているっていう感じで、
十分綺麗に保たれてるなって私は思ってるんだけど、
とはいえやっぱりみんなで大掃除をしましょうっていう。
で、30分間ある程度やることは決まってるけどね。
床を拭き掃除したり、言ってみたら年末の大掃除級な内容だよね、割合と。
そうね、30分で人数がいるから、みんなでわーってやったら結構ね。
結構丸一日一人が掃除するぐらいな時間。
とにかく30分だったらもうおしまいにしようっていう感じなんだけど、
30分間窓ガラス拭いたり、トイレとかお風呂とか床とか、
普段やらないようなところを大掃除するんだよね。
で、そうなるとみんなでご飯を食べますと。
で、ご飯も特別指名し合わせてないんだけども、
みんなが自分の持ち寄りたいものを持ち寄るっていう。
この同じかま、掃除もそうだけど、
みんなで何か同じことをするって結構大事だなって思うんだよね。
なんか気づきが多い。
暮らしの中での愛着と感謝
掃除に関して言うと、そういう風な掃除の仕方をする、
例えばね、そういう方法があったんだとか、
そうね、ご飯もそうだけど、そういうのがあるんだねとか、
こういう風にしたらいいんだねとかっていう、
知恵の共有になるなっていうのはすごく思うよね。
掃除で言うとさ、場所に対しての愛着が増すというか、
場所に対してありがとう、
ね、っていうかありがとうございますみたいな、
なんか気持ちがやっぱり、みんなの中にこう、
生まれてくる感じはあるよね。
感じはあるよね。
なんか綺麗になっていくと気持ちがいいっていうのもあるけど、
理由じゃないよね、なんか気持ちがいいっていうのはね。
場所にやっぱり何かが宿ってるから、
やっぱりそのね、何か、ここのストーンに宿ってる何かが、
やっぱり喜んでるのもあるやろしな。
あると思います、ほんとに。
ご飯を食べるっていうのも、
同じ釜の飯を食べるっていうのをよく言ったもんだよねっていう、
同じものをおいしいねとか、嬉しいねって言いながら、
人間のすごく大事な欲である食欲を満たすっていうのは、
もうこれは理由なく大切なことだね。
みんなで作って、みんなで食べて、みんなで後片付けしてみたいな。
うちに来ると、結構キッチンが広かったりするから、
料理を作りやすいっていう構造になってるのはあるけど、
今まで料理をしなかった人が、
見る見る間に料理をし始めるっていう不思議な魔法がかかるよね、あそこね。
そうそう。
一番大事な、お伝えしたいところがこれからなんですけど、
最後の、シェアって言うとちょっと漢字が違うんやけど、
なんて言ったらいいのかな。
シェアタイムって呼んでるか。
シェアタイムとは呼んでる。
さっきね、小野さん言ったように、
何かこの1ヶ月あったことを話すという場ではなくてですね、
その時にそれぞれ自分の心の中に浮かんでくる、
今感じている何かを言葉にすると。
それはカッコつける必要もないし、いいことを言わなきゃいけないというわけで、
感じていることを話すから結果的にまとまらなくなる。
まとまらなくてオッケーっていうね。
そんな、1人3分から5分。
6分ぐらいかな。
3分の砂時計をお代わりあり、つってやってるから。
そんなまとまらない話を他のみんなが聞いてくれる。
それを全員分ね、過ごすんやけど、
その時間は相当あれやね。
感情的な場やな。
あれはなんていうのかな、
いろんな意味で、今そんな状態にいるんだねっていう、
そんな気づきがあって、なんかそれが嬉しいと思ってるんだねとか、
今なんかこっちから全然気がつかなかったけど、
実はモヤモヤしてるんだねとか、
いろいろそういう表面的には分からないけど、
本当そんなものを今抱えてるんだねっていうものを、
やっぱり明かすっていうと、
ものすごい秘密を明かすみたいな感じに聞こえちゃうかもしれないけど、
そういうそこまで重たいことではないけれども、
あるものを出してくれる、出し合うっていうのは、
すごくやっぱりお互いの信頼や信用がないと、
できないっていうか、したくないことだと思うんだよね。
始めてきた人たちは、
やっぱりそういう話し方に慣れてなかったりとかするから、
なんとか所存でございますみたいな感じの、
会議で話すみたいなことになっちゃったりとかするんだけど、
だんだんたまらない話をするのが得意になってくるっていうか、
今自分の中に何を感じてるかなっていうことに、
自分がつながりながらそれを出すっていうことをし始めていくなっていうプロセスが。
そういうことが起きるのが、結局みんなが聞く姿勢があるというか、
耳辺の心で聞く、そうなんだねっていうふうに、
そのまま大切なものとして受け取るっていうモードがあって、
その話にあだこだツッコミを入れたりアドバイスをしたり、
基本しないで、そうなんだねっていうふうに受け取るっていうモードで、
みんなが聞いてくれるから、そっと自分の心にあるものを出せるっていう、
あの空気感はなかなかないね。
あれは大事にしたいよね。
取り留めがなくなったとしても、
周りからちょっとそんなだらだら長い話って言われるツッコミは全くなく、
むしろ話してる本人が、なんかちょっと話しすぎちゃいましたね、
みたいな感じで、自分からもう十分話しました、
もう以上です、みたいな、
シェアタイムの大事さ
途中で話が突然終わったりとかもするけれども、
それでも本人がスッと落ち着いているっていう感じで終わっていく感じ?
ああいう時間って、
どこにもないね。
少なくとも私の家庭にはなかったし。
一人の人の心が動いた、心に触れた何かを出してくれると、
それが持っている波動が聞いてる人たちの心に何か伝わるから、
その中で動いて、自分の中から出てくることがまたあるみたいな、
そんな作用もあるしね。
私結構時間がかかることだと思うけど、
あれを続けていくと、地道に続けていっていると、
みんながものすごく素直になっていく気がする。
それはそうだね。
すごい素直になるって、
なんで子供っぽいってことではない、
子供のような、
純粋な感じ。
純粋な感じにみんながなっていくなっていうのは思うよね。
ということで、
急に切る。
これね、まだまだあるけども、
そうだね、あるからね。
でも一旦ここで、
大枠を伝えたとき。
でもそういう時間を、ここの須藤では時に1回持っているし、
それはもう定期的にあるものとして、
でもそれがベースにあるから、
ふっとそういう瞬間になることは多々あるよね。
自治会じゃなくてもね。
そうだね。
ここの須藤の暮らしの一端を今回はお伝えしました。
ということで。
皆さん聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
またおやすみなさい。
おやすみなさい。
はい。
プチ。
ちょっと恥ずかしかった。