1. 100円で買い取った怪談話
  2. #24 その山に近寄れない理由..
2021-08-04 17:37

#24 その山に近寄れない理由【兵庫の怪談】

夏の特別企画 "プロの怪談作家の方から買い取った怪談話大トリを務めていただくのは、さたなきあさんです。この悪魔の名を持つ作家さたなきあさんは90年代から数々の怪談の本を出版されてきました。著作には『現代怪奇妖異譚 異界への扉はあなたの隣に開かれている』や『本当にあった恐怖体験 ひたすら震える20の実話』などがあり現在も「純粋怪談」シリーズが人気を博しています。そんな怪談界の大ベテランが語る怪奇なお話をご堪能ください。
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次に、怪談作家の宇都郎しかたろうです。
この番組では、私が行っている怪談売買所で買い取った、世にも奇妙な体験をされた方のお話をお届けします。
夏の特別企画として、4回連続でお送りしております、怪談作家から100円で買い取った怪談話。
大取りを務めていただくのは、サタナキヤさんです。
この悪魔の名を持つ作家、サタナキヤさんは、90年代から数々の怪談の本を出版されてきました。
著作には、現代怪奇を委嘆、異界への扉はあなたの隣に開かれているや、本当にあった恐怖体験、ひたすら震える二重の実話などがあり、現在も純粋怪談シリーズが人気を博しています。
そんな怪談界の大ベテランが語る怪奇なお話をご堪能ください。
山菜を採ったり、特にキノコの類、これを採って場合によってはその場で調理をして舌つづみを打つ。
アウトドアがどうのこうの言うよりもはるか以前から、これが岩瀬さんの実益を兼ねた趣味だったわけでございます。
スマホなどが形もない頃だったそうでございますけれども、ある年の晩週に岩瀬さん、
これも兵庫県内の岩瀬さんとしか言いようがないんですが、そこに入ったそうでございます。
お目当てはシモなんとかというキノコだったそうで、人によってはマッタケなどよりもはるかにおいしいとか、
そういうキノコを目当てに入ったのですが、結果としてお宝にはありつけなかった。
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理由はいくつもあります。まず一般にキノコを狩りというのは朝のうちが勝負だと言うらしいのですけれども、
仕事の都合その他で岩瀬さんが山に入ったのは昼過ぎだったそうでございます。
しかもこさめがちでコンディションが悪い、足場も悪い、そういった意味でもよくなかったんですが、
もっと良くなかったのは山に入ってしばらくすると、どうにもその生い茂る木々の間に何かチラチラ見えるような気がする。
視界の端に何か黒いものがよぎるような気がする。山が拒絶している、そういうことがあり得るそうです。
これは一般の登山客等だけではありません。登山のプロとかそういう方も同様らしいのですが、
こういう非こういう場合はとにかく引き返さなければならないそうです。
方がいいのではなくてならない。そうでないといろんな悪いことが起こるらしいのです。
経験上岩瀬さんもそのことをよく知っている方でした。
すぐさま引き返しにかかったわけですが、その時が初めての山ではなく、何回もその山に入っていたそうです。
にもかかわらず道を見失ってしまう。正規の登山道はもちろんですが、自分が知っている道にどうにも行き合うことができない。
堂々巡りを繰り返す。これはまずいなあと思いました。
引き返すにも引き返せないという状況に陥ってしまったそうです。
何度同じ斜面を登って降りてそれを繰り返したかちょっとわからないそうですが、何しろ晩酒ですので、とっぷりと日も暮れてきます。
辺りも薄暗くなって、道がどうのこうのという場合ではなくなってきた。
焦ってきます。当然です。
そうこうしている間に茂っている木々の向こうにぼーっと火が見えたそうです。
火、燃える火、熱い火、あの火です。
山火事なんかではありません。
焚き火が見えたそうです。
焚き火があるということは人はいるということで、岩瀬さん、よくある言い方なんですけども、地獄に仏と思ったそうです。
これでそこにいるのが誰であれ、道を訪ねることもできる。
いや、もう小雨で体は冷え切っているから焚き火にもあたらしてもらいたいし、ひょっとしたら熱いお茶とかを振る舞ってもらえるかもしれない、そういう期待が持たれてきた。
それでですね、その方向に自然と小走りの感じで近寄っていったそうです。
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するといきなり視界が開けた。
広場というほどではありませんけれども、増木が取り払われていて、雑草も短く刈り込んでいたそうでございます。
そしてその向こうにですね、決して規模は大きくはない、どちらかといえば小さいものではありますけれども、やはり焚き火が燃えていて、その周りを4、5人の人間が囲んでいる。
ところがですね、違和感がある。
どんな違和感。
まずその囲んでいる人数、都合5人だったそうなんですが、
みな岩瀬さんが着ているような登山用のウエアとか、あるいはまあフード付きのジャンパーですね、そういう類なんですが、
フードをまぶかにかぶって岩瀬さんの方に背中を向けてしゃがんだり、座り込んだりしています。
ただ登山客であれ地元の人間であれですね、荷物らしいものが一つも見当たらない。
まずこれはおかしい。そしてそれ以上にですね、岩瀬さんが近づいてくる音、足音、落ち葉と踏みしだく音というのは、
もう必ず耳に入っているはずの距離なのに誰も反応しない。振り向きもしなければみじろぎもしない。ピクリとも動かない。
岩瀬さんこれはと思いました。それでもまあ場合が場合ですのでですね、すいませんと意を決して声をかけたそうでございます。
しかし何にも返事は返ってきません。みじろぎもしない。
あのちょっとすいません。もう一度声をかけましたがやはり無反応。
一体これは何なんだと思って、少し警戒をしながら、しかしながらそれでもさらに近づいて、失礼とは思ったのですけれども動かない。
一番近くにいた座り込んでいる人間のところに行ってですね、そーっとこうその顔を後ろから覗き込んだらしいんですが、
いや返事がないのも道理。
フードの中はですね、木の枝、枯れ木、あるいは細い木の棒、そういう類のもので、それらしくですね、失礼られて、
ジャンパーならジャンパーを羽織らして、ズボンを履かせ、ご丁寧に靴まで履かせていたそうですが、要するにそれはカカシだったそうでございます。
デクの棒という言葉がありますけれどもまさにその通り。
これでは返事ができるはずがありません。
そしてその隣のものも、そのまた隣のものもですね、やっぱりそういうカカシ、都合ごたえのカカシが竹火を囲んで配置されていた。
しかし、一体何なんだとこれは岩瀬さん思ったそうです。
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それはそうでしょう。
獣にしては懲りすぎています。
私有地であることを示しているにしては、盾看板も何にもない。
意味がわかりません。
世の中で意味がわからない、何なのかわからない、得体が知れないものくらい、気味の悪いものはあります。
一体どういうつもりで竹火をカカシで囲ませているのか、それもこんな山の中でです。
そこまで思ってふと気がつきました。
世の中にはカルトというものもあります。
我々にはわからない、理解ができないような理由であるものを崇めたり、儀式を行ったりするそういう連中が確実にいます。
これがそうでないとはどうして言えようか、そういう可能性にも行き渡った。
ここにいてはいけない、離れなければいけないと、とっさに岩瀬さんは思ったそうです。
竹火に当たりたいとか、体が冷え切っているとかいうのは、二の次、三の次です。
岩瀬さんは無意識のうちに二、三歩後ずさったそうです。
すると、むっくりと一番近くにあったカカシが起き上がった。
それもごくごく自然な、人間だったらそうするであろうな、自然な仕草だったそうです。
ぽんぽんと膝を、ほこりを叩かないのがおかしい。
ほこりを払うためにそういう仕草をしないのがおかしい、そういう動作で起き上がったそうです。
カカシですよ。木の枝、枯れ枝、そんなもので作られて。
岩瀬さん、実際に触りもし、少し押しもしました。
軽いし、第一、ギミックなんかあり得るはずもありません。
動けるはずもないし、動く道理がありません。にもかかわらずですよ。
それは、起き上がったのみならず、立ち上がったのみならず、自然な人間ならそうするであろう、動作で岩瀬さんの方を向き直ろうとしたそうです。
ここで彼の記憶は途切れています。
どこをどう走ったのか、もう全然わかりませんが、気がついた時には、その山の上り口のところまで戻っていたそうです。
ただし、その上はカギザキだらけ、泥だらけ、一体何遍転んだのか、わからないようなひどい有様だったそうです。
その後も、変わらず岩瀬さんは山歩きが趣味だったようです。
さほど難易度が高くない山で、気の向くままに山に入って山菜を採ったり、特にキノコを採って、場合によってはその場で調理して舌つづみを打つ。
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しかし、ただ一つだけ、一箇所だけ、どうにも入ることはもちろん、近づくこともごめんをこむるという山があったそうです。
人から見ればその理由は全くわかりません。しかし、彼には彼の理由がありまして、それは今お話しした通りでございます。
人だと思って近づいたら、それは人形だったという経験は誰しも一度はあるかと思います。
そんなときは驚きに加えて、その人形に対して恐怖心を抱いてしまうこともあるでしょう。
無機物であり、動いたり話したりするはずはない。しかし、見た目は私たちにそっくりで、なんとなく意思を持っているようにも見える。ひょっとしたら動き出すんじゃないかとさえ思えてしまう。そこが恐怖につながるのです。
岩瀬さんは道に迷った山中でカカシに出くわします。人と勘違いした岩瀬さんはそれに話しかけ、その結果それがカカシだと気づきます。
どことなく薄気味悪い思いを抱いた岩瀬さんですが、その直後、カカシが立ち上がるのです。人形を生きている人間と勘違いしてしまった人が抱く恐怖の原影がまさに現実化したような体験でした。
さて、この体験で興味深いのは、そこにあった人形がマネキンなどではなく、火の枝を組み合わせて作られたカカシだったという点です。
カカシとは、田んぼなどに害獣除けとして設置されるものであり、そもそも木々の生い茂るだけの山中にカカシは必要ありません。明らかに間違いです。
しかも、そのカカシはあたかも焚火に当たっているかのような配置で並べられていたのです。動き出さなくても、その状況だけでも背筋に冷たいものが走ります。
また、それがカカシだったという事実は、別の意味をもはらんでいます。
カカシはただの害獣除けではありません。それは、田んぼにひたすら立ち続け、米を食い荒らすスズメやカラスなどを追い払ってくれます。
つまり、私たちの命の糧を守ってくれていることになるのです。
そのことから、古来カカシは神のよりしろと考えられてきました。だからこそ人の姿をしているのです。
カカシは田の神や山の神そのものであり、田を荒らす害獣は人にあだなす悪い霊の類だとされたのです。
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さらに言えば、古事記には神としてのカカシが登場します。
大国主の神のもとに神結びがやってきたとき、名を問うても答えない神結びの名を大国主の神に教えたのがクエビコという神です。
そのクエビコこそカカシであると古事記には記されています。
カカシは田んぼの中に立ち、ずっと世の中を眺めているため、世のあらゆる事柄に通じているとされました。
だからこそ神結びの名も知っていたということです。
以上のようにカカシは神としての顔も持っています。
だからこそ粗末に扱うべきものではありません。
古くなって使えなくなったカカシを処分する前に、神として祀るカカシ揚げやカカシ引きと呼ばれる行事が行われている地域があるのもそのためです。
この行事は、田んぼから引き抜いたカカシを自宅の庭に立て、持ちを備えるなどして神として祀るというものです。
そうすることでカカシは神として天に上がる、あるいは山に帰ります。
そのような儀式を終えて初めてカカシは処分することができるのです。
さて、もしも祀られずにそのまま捨てられたカカシがあったとしたらどうなるでしょう。
民族学の父と言われる柳田邦夫は、妖怪とは神が冷落したものであるという説を唱えました。
例えば一つ目小僧は山の神が冷落した姿だというのです。
これはもちろん民族学の中での話なので概念の変遷を言ったものです。
しかしこの説をその言葉通りに受け取った場合、祀られずに打ち捨てられたカカシもまた妖怪となることがあるのではないでしょうか。
岩瀬さんが山中で出会ったカカシの化け物はひょっとすると神の慣れの果てなのかもしれません。
そしてもう一つ、神をそのような姿に貶めたのは私たち人間であるということも忘れてはなりません。
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それではまた次回お会いしましょう。
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