1. 21世紀の食いしん坊
  2. ときめきカウボーイズ(前編)

サマリー

高校卒業後、バンドの解散や自身の落ち込みを経験した主人公。そんな中、路上ライブをしていたヒデに勇気をもらい、一緒にバンドを結成することになります。トキメキカウボーイズとは、ささやん、カイさん、みえちゃん、そしてアキラの4人で結成されたバンドです。彼らは高校時代に活動していますが、たった1年しかバンド活動をしていません。それでも彼らのバンド活動は青春の思い出として、多くの苦労や楽しみを詰め込んだ貴重な時期です。ロスタイムオンゴールとスリランカのバンドとの関係や福岡での活動など、ときめきカウボーイズのバンド活動時代の思い出話が語られます。

バンド解散と落ち込み
お疲れ様です。
今日はですね、雑談というか、思い出話をしていきたいなと思ってるんですけども。
僕たち、もうすぐというか、今年39歳?
今年39。
39になるんじゃ、もうすぐ。
もうちょっと。
数日よね。
これ配信された時にはもう39歳ですよね。
そうですね。
僕も39に今年なるんですけど。
ちょうど20年前ね。
はい。
高校卒業して。
20年。
その時に、一緒にバンドをね、卒業後決戦した場合があったんですよね。
そうなんですよね。
ときめきカウボーイズっていう。
今風やね、名前が。
今風なんかな?
よかったけど、インパクトの与え方としては今風じゃない?
インパクトの与え方は今風。
ときめきが開かれるカウボーイズっていうのはカタカナで、ときめきカウボーイズっていうバンドをやってたんですけど。
やってたんですけどって言ったら、その決戦のところからですね。
今日はときめきカウボーイズの思い出をね、話していきたいなと。
20年経ったんで。
ですね。
はい。
まず、決戦は高校卒業した6月ぐらいに、僕は前のバンドを解散するんですよ。
そうですね。
厳密にはもっと前にほぼ解散状態にあったんですよ。
なんかちょっと、なんていうの、不中になってしまった。
まあまあまあ。
一時期、自分もそこにいたんですけどね。
あ、そうだね。
そうなんです。
そうだったね。
あの、ゴーストレートっていうバンドだったんですよね。
で、高校のね、高2ぐらいのときから多分やったバンドで。
高3のときはね、ティーンズミュージックフェスティバルで。
そうそうそう。
ZEPP福岡でライブして。
しましたね。
あれのときはね、笹谷も一緒にやりましたもんね。
あの、2、3か月後ぐらいにね、解雇された。
あれなんで解雇されたの?
いや、俺たぶんね、あのね、ドラムじゃなかったんですよ、そもそも。
フロアタムを叩き寄ったよね。
フロアタム一つを持ち替えて。
フロアタムってドラムの一部の。
あのね、ドラムセットを思い浮かべてもらったら、
ちょうど右手のこうね、手前のところにあるとかね。
大きい太鼓っていうか、一番右手前らへんにあるとかね。
バスドラムっていう、一番低音が出る太鼓の次に低音が出るんやけど、
まあ普通そんな多様性のような部分の太鼓なんやけど、
それを1曲丸々として入れとったんですよ。
それ1個でライブ30分やるから、大変なんでしたもんね。
でも、俺もバリエーション1個ぐらいしかないのを全曲でやりたかった。
じゃあ気づいたんだ、みんな、メンバーも。
音楽的に邪魔だなって思って。
もうすまんけどってなって。
そうそう。で、それは一足先に俺が抜けて。
それいつなんだろうな。だってゼップ効果でやったのって秋ぐらいじゃなかったの?
秋。で、冬ぐらいやったの。
でもその後、割とすぐじゃないじゃん。
そうね。
今度開校ではないけど、もう解散になったのさ。
まあまあそうだね。
それか多分数ヶ月後ぐらいに、中でちょっと揉めて。
僕以外のメンバーが新しいバンドを結成するっていう感じで。
結局実質開校みたいなもんだよね。
結構ね、地元ではブイブイ言わせてたんだよ、当時。
いやー、あの当時、俺はそんな立ちねえ。
あれやっけあれやけど、うえちゃんはもうブイブイやったよね。
いやいや、その同じバンドじゃないですか。ブイブイ言わせてた時期があって。
だから一応解散の儀式として、解散ライブみたいなのもやった方がいいよねみたいなので、
6月まで生き延ばして、ライブ最後やって終わったんですけど。
まあね、僕は高校卒業の進路もバンドやろうかぐらいの感じで卒業してたから。
バンドいきなりなくなるやんっていう感じで。
イメージあれだよね、リストラにあった会社員みたいな気持ち。
どうしよう、確かに。
が6月か。
解雇というか、もめたのはもっと手前、3月とか4月とかじゃないかな。
で、解散しようって言って、解散ライブ来るの終わった。
そうやったね。
だからそれが終わって、もうどうしようかなって納得たよね、しばらく。
あの当時ベースやったんですよね、ギターじゃなくて。
中学の時からベースだったんだよね。
そこまでがベースやったよ、オーストレートまでが。
で、解散して、もう誰もいないから、メンバーは。
ベース持っててもどうしようって。
ベースじゃねえ。
どうしようもないなってなったし、
音楽はしたいけど、誰もおらんしなみたいな。
どうしようって納得たんですよ。
路上ライブでの出会い
でね、時間軸がちょっとわかんないんだけど、季節とかは思い出せないんだけど、
当時ね、ヒデっていう、僕たちの小学校からの同級生ですけど、
僕小中高一生だった同級生なんですけど、
ヒデのね、路上ライブをやってたんですよ、当時。
ああ、しおった。しおったね。板やろ?
そうそう、板のスナックとかがあるとこで。
よくやるよね。死ぬよ。
いや、そうよね。
しかもあいつなんか、割とお小遣い稼ぎ寄ったよね。
そう、稼ぎ寄ったのよ。
ああ、しおったわ。
しおったやろ。
イカれてんなと思って。
で、あいつ頭オレンジとかしてたしね。
ああ、そうだね。今風やね。
今風。あ、そうか。
最近結構カラフルな頭がしてるけど、
当時はね、オレンジにする人とかあんまいなくて。
そうね。
キャラ的にはそんなキャラじゃないんだけど、
突然髪がオレンジになるみたいな感じの、
ミスマッチ感みたいなのがありましたけど。
あったね。
板のスナックの通りみたいなとこで、
路上ライブやってて。
じゃあ高校時代そんなバンドしてたかって言ったら、
一応してたんやけど、そんなにしてなかったよね、あれは。
そうね、なんかVVは全く忘れなかったもんね。
うん、なんかコピーバンドちょっとやったぐらいの感じだと思うんだけど、
そのヒデが路上ライブやってて、
僕はもう相当落ち込んでた時で、
もう生きる希望を失ってる時に、
そのヒデが励ましてくれたんすよ。
実際彼もやってるしね。
だから、思ったわけ。
こんなね、どうしようもない奴でも頑張ってんだから。
ヒデの勇気と共感
いやいやいや。
バリバリね。
言い方ひど。
どうしようもなかったんだって結構。
まあどうしようもなかったね。
僕たちの中ではどうしようもなかった奴なんですけど、
そいつが頑張って、板のスナックでね、
歌を歌ってるっていうのに勇気もらって、
自分歌を歌ったこともないし、
ベースしか弾いたことなかったけど、
自分も曲は作ってたんすよ、ベーシストだったけど。
だから曲は作れるし、
ギターと歌でやろうってなんか思ったよ、
そのヒデから影響を受けて。
で、その話をヒデにしたら、
一緒にバンドやろうって言ってくれて。
多分それが最初。
なるほどね。
ヒデと多分息と応したんよ。
普通だったらヒデ選ばん。
ただ自分も何も仲間も何もかも失って、
本当に何もないってなった時に、
何もないはずの彼がギター1本持って、
彼も歌も歌えないしギターも弾けないじゃないですか。
なのに髪オレンジにして、
スナックでね、いつ殺されるかわからない中で歌ってるわけじゃん。
すごい勇気だからさ。
多分あいつそういう危機感もなかったね。
危機感もないくらいどうしようもない奴なんだけど、
でも僕から見るとすごいその勇気のある行動に見えたから、
歌っていいんだなみたいな。
で、勇気もらってやろうって。
じゃあ誰を奪ってやる時に、
もうさ、その界隈から干されてるからさ、僕は。
干されちゃう状態?
干されるとはちょっと変だけど、
結構さ、コミュニティみたいになっちゃうんだよバンドが。
あー、そうね、確かに。
で、ささやが抜けた後4人のバンドになってて、
で、僕と分裂したでしょ。
だから3人いるじゃん。
ってことはさ、政治的にはもうそっちの感じの中のさ、
ダメになった1人みたいになってるから、
やっぱりちょっと外側の人になってるわけ。
だからそこの界隈の人とはバンドできないし、
で、全員小学校の同級生4人だよね。
そうそうそう。
で、ささやんもなんか、
全員あった時進路決まってなかったね。なんで?
まともな仕事してなかったね。
だって高校卒業した最初の夏だからもうみんなさ、
大学に行ったり就職したりとかしてる人が多いのか、
全員進路決まってない4人だったね。
抱き合ったかもね。
まあなんかくすぶってるエネルギーみたいなのがあったんだな。
トキメキカウボーイズの結成
で、ささやんはドラムに読んで、
もう1人カイさんっていうね、
同級生をレースで読んで4人で。
で、僕が初めてギターボーカルをやるっていう。
それが最初でしたよね。
ちがう、みえちゃん最初さ、
ギター持ってなくなかった?
一番ボーカルだったよ。
やろう?
そうね。
あのー、Teens出た時。
最初のライブが確かあれだよね。
Teensのオーディションみたいなやつだったよね。
チクホー予選で。
それが最初のライブで。
その時はギター持ってなかった。
いやー、そうね。
で、途中から持ち出したのか。
そうそう。
なんか演奏の幅が持つと欲しいなって思って。
まあまあまあ。
そうそう。
最初の時はそうなのよ。
ベースからボーカルになったよ。
ボーカルからギターボーカルになった。
確かにそうだね。
取りをね。
あ、そうだったっけ?
木村楽器の店長が期待を込めて取りにしといたよって言って。
あ、そうなんだ。
そうそう。
もうボロボロだったけどね。
全然通過できんよ。
予選敗退だったね。
だからもう本当に人生がいい感じに沈没していってる。
前の年はさ、予選通過して全国高校でも4位で、あとちょっとで全国大会だったね。
あと1個だったねみたいなさ。
で、結構お客さんとかもいっぱい入ってさ。
ライブハウスにソウルダウンとかだった。
もう今や誰も来ませんみたいな。
誰も来んし予選落ちるし全員演奏下手いし歌も歌えませんみたいなさ。
何をやっとるみたいな感じだったけど、なんか生きてたね。
いやーあのチケットノルマのね、あれにも苦しんだしね。
そんぐらいお客さんも呼べんぐらいの。
だって1人1万出しぐらいしたことある。
あったかもね。
そんなね、あれ結局ね1年ぐらい。
活動期間?
そう。
短いね。
確か。
なんか濃かった気がしたけど。
そう意外と短いんやけど、体感めちゃくちゃ濃いよね。
濃い。
カイさんが確か大学行くのが結局でなかった?
そうそうそうそう、結局そこで抜け、大学、まあでも結局そこで抜けて、その後もサニー中バンドに今出たねんけど。
そうトキメキカオボーイズにしたよ1年ぐらいで。
なんか思い出ありますか?
いやー結構あるよ。
でもなんかトータルするとやっぱ無駄の多いバンドやったなって。
そうだね。
ライブなんか知らんけど4本月に入っちゃったりとか。
あー。
お客さん呼べんのにさ。
強いあったよね。
いやし、なんやろ、打ち上げ出ますってさ、小倉とかでさ。
あったねー。
打ち上げ出ますって結局出て帰り何もね、俺は車も持ってなかったしさ、電車待つってなって結局始発で帰る。
あったねー。
で、その小倉でライブした打ち上げの時にさ、ちょっと有名なバンドがさ、
まあちょっと俺らより全然年上のニコチンと対バンするようなバンドがおってさ、ずっとさ、上ちゃんだけに敬語を使われたよ。
あ、そうなの?
バンド活動の濃い時期
そう。
で、「君たちいくつあるの?」っつって、「19です。」とか言ったら、「嘘だろ?」っつって上ちゃん、そっと言われたの覚えてない?
覚えてない。
多分その人で20後半とかだけど、ずっと年上とも言われちゃった。
もう絶対30は言ってると思ってた。10代で。
そう。
確かに。
その次の日に確かその人たち、ニコチンと対バン、ニコチンの楽屋に連れて行きたいって言われた。
ほんと?
覚えてない?
覚えてない。全く。ファミレスみたいなとこじゃなかった?
ジョイフル。
ジョイフルよね。それの場所だけなんか覚えてる。
しかも、ジョイフル結構いろいろ思い出あって、バンド始めようってなったのも、話し合いしたのもいたのジョイフルだよ。
全く知らない。
で、バンド名考えたんやけど、上ちゃんがね。
ファミレスで言ってたんだ。
考えたんやけど、トキメキカウボーイズにしようと思う。
嘘やろ?って俺の話を。
嘘やろ?みたいな感じで言ったら、
じゃあ他に何かある?って言われた時、何も出てこない時、そのままトキメキカウボーイズ。
なんでそれにしたんだろうね。
まあでも、1年しかやってないバンドやけど、いまだにやっぱさ、トキメキカウボーイズっち、残った人おるきね。
確かにね。何個かバンドやったけど、やっぱ記憶に残ってる感じはあるよね。
あのネーミングセンスはやっぱこう、印象にすごく残るし、今になってよかったなと思う。
20年になったらね。
昨日かいさんが来たのよ。
ベースの。
東京に、全然こっちにおるとか。
他側にね、いる感じがないよね。
そうそうそう。
てか最後にあったの、うえちゃんのあれよ、結婚式の。
てことは10年ぐらい前。
そうそうそう、ぶり。
やったんやけど、ちょっとトキメキカウボーイズの、仕事中やったっけね。
話したんやけど、そう考えたら、そういえばちょうど20年や。
もうそんななるよね。
今、曲思い出せるかってさっき聞いて。
なんか演奏したいなって思った。
トキメキカウボーイズの曲?
そうそうそう。
できるかな?
ただね、音源とかさ、ライブ音源とかないよね。
かいさんとちょっと話したのは、今度飲みに行こうや。
ちょっとまた帰ってきたりするらしいってさ。
なんかうえちゃんも交えて、飲むかなんか会おうやっていう話したり。
スタジオ入ったら面白いかもねっていう話もあったよ。
演奏できるんかな?
かいさんはね、もう全然ベースしてないらしい。
できんじゃん。
だけ、トキメキカウボーイズを始めた頃の、かいさんもあの当時ベース弾いてなかったけど。
そうだね、初めてベースを弾くみたいな。
そこにね、戻った状態で。
まあ面白いかなと思う。
いいね、トキメキカウボーイズ再結成20周年経て。
いいですね。
あの時はね、でも結構いろいろ苦労しちゃうけど、いろいろもがいて頑張り寄った時代ではあるかなと思う。
行動しちゃったもんね。
それはすごい良かったよね。大変な中でもさ、毎日やってたよね、いろいろ。
スタジオもさ、週3くらい入るよね。
みんな素人っていうか全然技術がないから、なんか練習したらねみたいな。
部活みたいな感じだよね。
部活の嫌な感じなかったしね。
まあまあ、コモンとかおらんしね。
バンド解散までの思い出
今思えばさ、そんな入る必要あったのか、そんなライブする必要あったのか、そんなノルマにお金払う必要あったのか、無駄がいっぱいあるけど。
なんかその、無駄を省いたらトキメック・カウボーイズの思い出っち、薄くなる気。
なんか、その無駄こそがいいな。
それはほんとそうだと思う。
高校時代のバンド活動の思い出よりも確かに濃い。
1年って聞いてびっくりしたもん。
そう、1年前はあれ実は。2年とかやってた。1年半も全くやってた。ちょうど多分1年とかやってた。
なんかこう、あれですよね、映画化されそうなやつだよね。
そうね、なんかね、俺らの中ではね。
そうそうそう、映画で見てもなんか泣けちゃうやつ。青春バンドドラマ系だよね、あれね。
そうそう。
いろいろ起こるしね、事故みたいなのが。
あるよね、ヒデはね。
もうヒデはもうね、いいんだって。
本当に面白かった。苦労大変だったかもしれないけど、面白かった時代やね。
やっぱり、そっか、無駄をやるって大事だなって今思った。
結局さ、あの時にライブして、バイブライドと対バンしたき、福岡がいいねってなって、うえちゃんの家、福岡に。
そうやん。
やろ?
ちょっと待って、バイブライドは北九州で対バンしたのかな?
そうそう、小倉で対バンして、別の人のイベントで対バンして、それですごいなんか良かったって言ってくれたよね。
そうだね、そうだね、えりこさん。
もうとにかく、君たちは福岡でやった方がいいよみたいな感じだったよね。
北九州の、しかもそのやった感じが、結構メロコアとかパンクとかそういう感じだったから、音楽的にも受け入れられづらい場所で、でも田川とかもそんな感じだったやん。
そうだね。
インスタからのみたいな感じで、からの青春パンクみたいな感じだったから、そんなの外れてるとちょっと違うなみたいな。
結構暗い感じの曲もあったしね、入り組んだ。
確かに、その当時オルタナティブロックみたいな感じの、でもその北九州のパンク界隈の人からすると、ね、あの。
あれでしょ?何だったかな?ロスタイムなんたらかんたらっていうバンドじゃなかった?
ロスタイムオンゴール。
ロスタイムオンゴールとスリランカのバンド
めっちゃいいバンドだね。ロスタイムオンゴールっていうバンドの方が、すごい良かったよ。プログレだったよ。
ジム編みたいだった。ジム編プログレか?みたいな。
そうなんよね。
まあまあでもなんか、いろんなそういうさ、なんか下手くそやし、なんか全然あれだけど、たぶんこうもがいて頑張って形にしちゃう部分が、見える人からしたら、なんかこう、よく見えて、かっこよく見えて、あれしたきたぶんこう、いろいろ。
20年経って客観的にあの時のことを、今思うのは他人事として、えっとね、高校の時はまだね、型にとらわれてたんよ。
こういう感じがいいのかな?みたいな。でもその多分型を外してる状態だと何もかも失ってるから、本当に作りたいものを作りたいみたいな感じで多分作ってた時で、それこそオルタナみたいなこと言ってんだけど、でもポップさもあるというかさ、そこの融合みたいなのもそうだし。
ああ言おった!そういえば。聞きにくい中にポップさを織り混ぜるって言ってた。
ああ言ってたんだ。言おった言おった。
それもすぐ覚えてないんだけど。だからそういうのをたぶん、自分なりのこう表現みたいなのを下手くそ並みに一生懸命やってたみたいな、エネルギーも出てるし表現もやってるしみたいな時期だったんじゃないかな。
いやーなんかね、無駄な動きしまくりをし、効率的ではないけど、体感だけはしっかり極まっていくようになってるよね。
そうそう。
あの頃だって、さっき言ったバンドを仲違いして孤独になってからの、孤立してからの、みたいなスタートだから、コミュニティの中でもさ、海外の中でも他側のバンドの。
やっぱちょっと外側というか。
外側やったね。
一緒にライブは呼んでもらえるけど、なんか仲間じゃない感がすごかったよね。
で、あれよね。そこからそのスリランカって。
はいはいはい。今ダイヤモンドと一緒にやってるゆうとくんのバンドですよね。
ゆうとくんとかと、こうやっぱ仲良くなったりとかして。
スリランカも大概暗かったもんね。
ちょっと地方っぽくない感じで。
地方っぽくない。福岡でやった方がいい感じでね。
そうそうそう。とかと繋がり出した感じでね。
ゆうとくんのとこも多分ね、すっごい良いって言ってくれたもんね。
とにかく仲良かったよね、スリランカとね。
福岡での活動と次回へのつながり
いやー、そうそうそう。
あの1年はね、良かった。
そうだね。
青春最後。
青春って感じだね。
高校とかより俺はあの1年の方が青春なのかもしれない。
なんかね、それで言うと、自分は2回青春した感じがあって。
高校の時は高校の時でキラキラしてた青春があって。
結構暗い感じの文学っぽい感じの青春がその時に関わった時っていうか。
全部やることなすことがうまくいかないし、無駄も多いんだけどすごいエネルギーは出てるみたいな感じの青春だったなっていう。
いや、面白いね。
2種類の青春を味わった気がする。
極端やもん。
そう、極端。
キラキラ言われるやつとさ、誰も注目もしないみたいなやつ。
キワとキワだったからさ。
マジでねー、なんかホントお客さん予言あったし。
いやーでも、あの感じはね、昨日ちょっと思い出してた。
いやーそれがね、福岡に出てくるきっかけになってるみたいな話も改めて言われた。
そうだったなって思った。
なんで福岡に行ったんだっけって思った。
あー。
そうだよね。
そこなら自分の音楽も聴いてもらえるかもしれないって思ったんだろうね。
うんうんうん。
懐かしいわ。
それが20年。
20年か。
うん。
いやー、早いもんですね。
うんうん。
まあちょっとバンドのね、思い出話とかもまたやっていきたいですね。
そうね。
はい。
いろいろありますね。
まあこれ、ときめきカウボーイズの後もね。
その後に、何だっけ、かいさんが京都の大学に行くみたいな流れの中で。
それ合ってる?それがきっかけ?
えっとね、でもちょっと。
タイムラグがある?
タイムラグがあったと思う、かいさんは。
うん。
すぐじゃなかったと思う。
うんうんうん。
で、まあ1、2年ぐらいかな。
その後、俺らはまた別でさ、大西浩二君。
そうだね。
その話ちょっと続き次回やりましょう。
ちょっと記憶がもうないので、思い出すの大事なんですね。
なるほど。
はい。
記憶をこうね、ポッドキャッセルに保存しとくと、またいつか聞いたら、あ、そういうことあったなって思う。
あー確かにね。
はいはいはい。
消えていく記憶をね、消える前に保存しとこうと思います。
そうですね。
じゃあ次回はこの続きやっていきましょう。
はい。
はい。
じゃあお疲れ様でした。
お疲れ様でした。
26:02

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