なぜ私たちは「偏差値」にすがるのか? | メリトクラシー(能力主義)の歴史を解説/学歴は能力を測るための「仮置き」/顔面偏差値・恋愛偏差値・就職偏差値への違和感
2026-09-08 45:27

なぜ私たちは「偏差値」にすがるのか? | メリトクラシー(能力主義)の歴史を解説/学歴は能力を測るための「仮置き」/顔面偏差値・恋愛偏差値・就職偏差値への違和感

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■ タイムテーブル

偏差値50・60・70は何番目? 数字の読み方
貴族の身分制からメリトクラシーへ
能力はどう測る? 学歴というシグナル
AI時代に変わる「求められる能力」
日本人はなぜ「数字の平等」を好むのか
読み書きそろばんと計算機が変えた技能
タイピングと音声入力で変わる読み書き
「偏差値◯からの逆転合格」は数字のトリック?
統計とChatGPT・Geminiの意外な関係
偏差値信仰と、自分の価値観を守る方法

 

■ 紹介した書籍

よくわかる教育社会学(酒井 朗, 多賀 太, 中村 高康, ミネルヴァ書房) 

https://www.minervashobo.co.jp/book/b99532.html

 

■ 番組概要

小・中学生のパパ/ママのための、親子でこれからの社会を考えるポッドキャストです。
最新の中高生調査データや、社会学に関わる書籍・理論をベースに、
変化の激しい「これからの社会」を生き抜くための問いを立てます。
親子の会話のテーマ、そして親自身も価値観をアップデートする題材として活用してください。

 

■ パーソナリティ紹介
京都大学のサークルで出会った、2001年生まれの大学院生コンビ。
・田中:社会学専攻。書籍や研究から、社会を広い視点で解説する。
・榊原:工学専攻。最新のデータを分析し、13歳のリアルな肌感を解読する。

 

■ 更新スケジュール
毎週火曜日 朝6時配信

 

■ お便り・ご感想・ご相談
家庭で起きた「子どもとの対話のモヤモヤ」や「親としての疑問・失敗談」を募集しています。
お便りフォーム:https://forms.gle/zhLuRVk6SG1819R48

 

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#13歳からのPodcast #子育て #教育 #中学受験 #本要約 #社会学 #ポッドキャスト #radiko #自己改善

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サマリー

このエピソードでは、偏差値の基本的な計算方法から、なぜ私たちが偏差値にこだわるのか、その歴史的背景を解説します。近代社会における能力主義(メリトクラシー)の台頭と、能力を測る手段として学歴が「仮置き」された経緯を辿ります。また、AI時代における求められる能力の変化や、日本人が「数字の平等」を好む傾向、そして「顔面偏差値」や「就職偏差値」といった言葉の違和感についても考察。統計学の面白さや、偏差値信仰がもたらす心理的な影響にも触れ、最終的には自分自身の価値観を守り、数字に振り回されずに生きるためのヒントを探ります。

偏差値の基本的な意味と計算方法
スピーカー 2
偏差値の求め方わかりますか?
スピーカー 1
え?いきなり?
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
えっと、与えられた値-平均値を分子として、50を足すみたいなやつだった気がするんすけど、
た、あってるんすかね?わかんないっす。
スピーカー 2
はい、僕もよくわかりません。
笑い
はい、まあこういうふうに話したみたいに、みんな偏差値偏差値って言うけども、よくわからずに使ってることの方が多いと思うんですよね。
うん。
スピーカー 2
今回はその偏差値の求め方と、なんでみんなそんなに偏差値ばっかり気にするのっていうふうな話をできたらなというふうに思います。
13歳からのポッドキャスト この番組は13歳のリアルな悩みを最新の調査から科学的に読み解き、これからの時代を生き抜くヒントを一緒に探すポッドキャストです。
スピーカー 1
はい、始まりました。13歳からのポッドキャストです。今回もよろしくお願い致します。
スピーカー 2
お願いしまーす。
スピーカー 1
さかきばらです。
スピーカー 2
田中です。
今回はですね、冒頭でも話した偏差値について話をしていこうというふうに思います。
スピーカー 2
なんか皆さん、中学生、高校生の間受験勉強してると嫌でも聞くことになると思います。
この偏差値っていうもの、テストの点数とはまた別物なんですけども、
おおむね自分の成績指標、自分がどれくらい勉強できているのか、テストの点数取れているのかみたいなのを表す指標として使われることが多いのかなというふうに思います。
改めて定義だけ言うと偏差値っていうのは標準偏差を10点とし、平均を50点として求められる値です。
標準偏差っていうのは習ったかもしれませんが、データの散らばりを表すものです。
そういうふうな難しい話は数学の教科書に任せるとして、ある程度偏差値何十の人はこれぐらいの位置だよっていうのが実はもうわかるんですね。
偏差値50の人は平均点と同じ点数を取った人になります。
例えばですけど、100人が同じテストを受けた場合に50番目の人がだいたい偏差値50になるというふうなことになります。
スピーカー 1
ちょうど真ん中。
ちょうど真ん中らへんってことです。
スピーカー 2
偏差値が60の人、60って言ったらちょっと高そうって感じしますよね。
これは上位約15.87%なので、100人が同じテストを受けたら上から16番目ぐらいの人たちのことがここに値します。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
結構上位勢ですよね。
60って言ったらもうちょい低い、20とか30番目ぐらいのイメージなのかなって思うかもしれないですけど、意外と高いんですね、16番ってことで。
スピーカー 2
15、16番目ぐらい。
スピーカー 1
すごいですね、確かに。
スピーカー 2
で、偏差値70、むちゃくちゃ頭いいって読まれがちですが、これは上位約2.27%なので、100人が同じテストを受けたら上から2、3番目ぐらいの人たちのことがこの偏差値70になります。
スピーカー 1
相当高いですね。
スピーカー 2
言わずもがな相当高いというふうなことがわかると思います。
でもなんか皆さんなんとなくですけど、逆に感じたのは、さかきばらくんもさっきも言ってくれたけど、偏差値60の人とか偏差値50の人ってどれぐらいの、体感よりも低く感じてないかな。
これ僕だけなんかわかんないですけど、体感よりも低く感じてたんじゃないかなと思う気がします。
スピーカー 1
そうだよね、なんかね。
スピーカー 2
偏差値50がちょうど真ん中なんすよ。だから言ってしまえば、クラスの中で普通の人ってことです、勉強の時の場合では。
で、60ぐらいになったら結構できるじゃん。70になったらもうトップレベルっていう感じ。
クラスのエースって感じになるってことなんですね。
でもなんか体感として結構ずれてたんじゃないかなっていうふうに思うんですけども、
じゃあなんで僕たちこの偏差値、もっと言うとこういうテストの点数とか数字っていうものを課題評価ではないですけども、
数字が持つ意味以上に大きく見たり小さく見てしまう理由って何なんだろうっていうふうな話を今度は歴史の観点からしていこうと思います。
スピーカー 1
ここまでは数学の話、ここからは一種の話ですね。
能力主義(メリトクラシー)の歴史的背景
スピーカー 2
はい、私たちこの近代以降の社会ではメルトクラシーという原則の下で僕たちは競争をしています。
スピーカー 1
メリットクラシーですか。
スピーカー 2
メリットクラシーっていうのはそのまま能力主義のことなんですけども、わかりやすく言えばこれと対になる概念があって、それがアリストクラシーというものです。
このアリストクラシーっていうのは貴族による支配体制のことを表す言葉なんですね。
スピーカー 1
なるほど、はい。
スピーカー 2
そう考えているとなんとなく見えてくるかなと思うんですけども、昔は貴族だったりだとか王様が威張ってたというか、いい地位を独占してた、そんな時代がアリストクラシー。
それに対して能力がある人は能力があって叱るべき、そういう良い待遇であったりだとか偉い地位にいるべきだって考え方がこのメリットクラシーという考え方なんですね。
スピーカー 1
なるほどね、今まではあれだよね、いわゆる昔の本当に中世とかその頃の王族とかが農民に対してヤンヤンヤン言ってるみたいな階級だと正しく評価できてないんじゃないっていう考え方があって、
そうじゃなくてそれこそ本当にいわゆる能力主義って言ってくれたように実力で成り上がってみたいなところもあるし、その実力をちゃんと評価しようっていうのがメリットクラシーという考え方なんですかね。
スピーカー 2
はい、そうです。で、でもこのさっき言ったアリストクラシーっていう考え方ってぶっちゃけ非効率なんですよね。
この身分制度っていうものがあるってことは、つまりさっきも言ったように貴族、王様、平民みたいな感じであるってことだから、この身分の移動って基本的には禁じられてるんですよ。
だから平民出身の人がいきなり王様になるとかありえないんですよね。
スピーカー 1
なんかあるよね、大工の人が商人になるとかそういう身分の移動とかもできないみたいな感じで、そんな中でもいろいろあるね。
スピーカー 2
いろいろと国によって、当然日本もありますけど、そういうふうな違いはあるんですが、基本的には別の身分になるってことはまずないんですよね。
めったにないってこと。でもこれってまず身分に縛られたシステムっていうのは、まず自由に職業を選べないという点で不自由ですよね。
で、恵まれた地位にいる人、最初から貴族生まれの人があらかじめ決まっている、貴族生まれの人が貴族になるってことは、もうなんか生まれた時点で人生確定みたいな。
昔じゃないというか今の言葉で言うと、ちょっと使い方違うかもしれないですけど、親ガチャ的な話ですよね。
スピーカー 2
だからむっちゃ昔の親ガチャってこと。だから当然ですけど平民は、平民の子供として生まれたんだったら平民の子供としてやっていくしかないってことですよね。
だから不平等だよねって話になるし、たとえ能力があってもその能力を活用できないという点で非効率だったわけですよ。
これがどんなに頑張ってこいつ仕事できるなってなっても、でも君平民出身だから、例えばだけど王様の側近にはなれないよみたいな、そんな感じ。
だからそれが近代よりも前の話ですね。近代っていうのは簡単に言うと産業革命が起こったりだとか市民革命が起こるわけですよ。
だから王様一番っていう価値観が変わってくるってことですね。そういった時代においては、じゃあそういうふうな昔の貴族は貴族になれないとか、王様は王様の家系からじゃないと王様になれないとかそういうのはなしにして、
能力に応じて選抜して様々な地位につくことを可能にするようにしようっていうふうになったんです、近代からの社会は。
だから言ってしまえば、今じゃ当たり前かもしれないですけど、自由に自分の職業をつけるようにもなるし、能力があるやつは例えば会社の社長とかにもなれるしみたいな、そんな感じ。
それが当たり前になってきたのが、だいたい今から近代とか、今からだいたい200年前くらいにそういうふうになってきたっていうことなんですね。
でも、じゃあどうやって測るのって問題が出てくるんです。
この人は仕事ができるとか、この人は頭がいいとかっていうのはどうやって測ったらいいのっていうふうなところにぶち当たるわけです、人類は。
なので、このメリットクラシーっていう能力に順次る、能力次第で分けるっていうふうな考え方に基づくシステムって、どうしても万能ではないんですよね。
何か方法がないといけないんですけども、それが万人、つまり全員納得できるような方法って現実には存在しないじゃないですか。
スピーカー 1
そうだね、あくまでゲームのパラメーターみたいなものとかが決まってないわけだよね。
スピーカー 2
そうそうそう、誰が偉いのみたいな、誰が能力あんのみたいな、分かんなくなっちゃうんですよね。
じゃあしょうがないねと、暫定的に長く学校に通って勉強した人とか、試験でいい点を取った人を能力にあると、能力がある人っていうふうに暫定的にあくまでね、
仮としてというか、今のところはそういった人を能力がある人としてみなすようにしましょうねっていうふうになったんです。
なのでメリトクラシーの本来の意義っていうのは能力次第、だから能力がある人がそれに応じた地位につく、待遇を得られるっていうふうな考え方だったんですけども、
どうしてもじゃあどうやって測るのって問題になった時に、しょうがないから学歴重視にした、その社会が今続いてるってことなんです。
スピーカー 1
なんか昔の会で、それこそ就職活動の時に使ったシグナルっていう概念とかもあったと思うんですけど、もう1回説明をすると、
あれですよね、つまり、なんか長く学校に通ってる人だったり、あとはいい学校に通ってる人を仮に、より良くやるべきことを習得できたりとか、
ポテンシャルが高いっていうふうに仮置きをして見てるっていうのが確か話していたことで、まさにそれに通じるじゃないんだけれども、
長く勉強してた人だったり、手強い人っていうのを能力ある人っていうふうにしてたみたいなことなんですかね。
スピーカー 2
そういうことです。なのであくまで仮でしかないんですよね。だから当然だけど、今はその学歴、つまり勉強ができる人がいい会社につけたりだとか、
いい地位につけたりとかするっていうふうな評価がされてますけど、もしかしたら僕たちの200年後とかはまた違う基準で測ってるかもしれないし。
スピーカー 1
確かに。
スピーカー 2
その200年後もメリットクラシーの原則に従ってるかどうかわかんないけど、仮に従ってたとしたら、僕たちより先の人類は違う方法で人々の能力を測ってるかもしれない。
でも今少なくとも僕たちが生きてる間は、その勉強ができるか否かっていうふうな測り方をしてるんだよっていうふうなことなんです。
スピーカー 1
なるほどね。
ともすればさ、AIが全部勉強とかそういうのやってくれるようになったからさ、人間として求められる能力みたいなところで、200年後とかだったら逆に運動がめちゃくちゃできるとか、絵がめちゃくちゃ描けるとかそういうのとかでまた測られるようになるのかもみたいな話でもあるわけだ。
スピーカー 2
そうだね、当然だけど今言ってくれたようにAIが出てきました、じゃあ勉強できるか否かは一旦置いておきましょうか、じゃあ勉強以外だったら何しますみたいな話になってきて、ある人はそういうふうに芸術であったりだとかもするかもしれないしみたいな話ですよね。
だから繰り返しになるんですけど、このメリットクラシーってつまりどの軸で測るかっていうのはすごくあの可変的なもの、変わり得るものなんですよね。
だから今はとりあえず学歴で考えてるけど、これからも議論が続いていくものなんだよっていうふうなところなんです。
スピーカー 1
なるほどね。
学歴が能力の「仮置き」とされる理由
スピーカー 2
でも、少なくとも僕たちがそのメリットクラシーってものができました、近代考できましたっていうふうに言って、とりあえず200年ぐらいは勉強できるやつを偉いやつにしとこうかって能力をある人としてみなしましょうかっていうふうに人類が認めてきた歴史があるからこそ、さっきの話に戻りますけども、
偏差値っていう言ってしまえばただの数字、自分がどれぐらいの位置なのかっていうふうな数字でしかないんですけども、その本来の数字の意味以上にその偏差値っていう言葉の意味を評価してしまうのはやっぱり僕たちがそういう歴史を歩んできたからかもしれないねっていうふうなところが一旦僕からは伝えたいメッセージですね。
スピーカー 1
ありがとうございます。
なるほどね。
どうですか、なんかとりあえず全体感を喋ってもらったんですけれど、どういうふうに思いました。
スピーカー 2
1個あるのはそれともう1つやっぱりこれはあくまでかもねぐらいなんですけど、やっぱり日本ってすごく平等っていうふうな言葉がすごい好きな国なんですよね。
ちょっと前だと一億総中流社会であったりだとか、むちゃくちゃ貧しい人もいないし、むちゃくちゃお金持ちの人もいないし、みんなだいたい横並びで一緒ぐらいがいいよねみたいなのが良しとされてた、そういう雰囲気があって良しとされてた時代があるので、
やっぱりそういうふうに偏差値っていう数字っていうのは嘘をつかないというかものですから、それに対して日本人が特に、じゃあ数字でそう言われてるんだったらそれはもうしょうがないよね、そういうふうに計画として出てるから納得できるよねっていうふうなそういう、数字はだから平等だよねみたいな、そういう感覚ともある種親和性が強かったのかなっていうふうに思ったりもする、あくまで感想ですけども、そういうふうなところは特に日本はあったのかなっていうふうに思ったりもしますね。
スピーカー 1
数字の前ではみんな平等だよねっていう、そんな感じですかね。 日本人平等好きだから、あったのかなっていうふうに思いますね。 なんか今の話聞いてて思い出したんですけど、そういえばメリットクラシーって日本の教育でも変わったなーってそういえば思ってて、何だと思います? 変わったな。
スピーカー 2
昔の求められてたメリットクラシーの価値観で、変わったものが確かあるなーって僕は今思い浮かんだんですけど、何だと思います? 変わったもの? 正確に言うとなくなったかな?なくなったもの? 何がなくなったんだろう。
一応ヒントとしては、江戸時代ぐらいにはあったんですけど、最近はもうどうなんすかね、あんま言われなくなりましたね。 江戸時代にあって今ないもの? 阪校? あの、阪が作ってた学校。 あー、なるほどね。 昔は武士と商人通う学校強かったからそういう話かなって。 うんうんうん。あの、ちょっと違うんですけど、あの、ソロバンですね。 ソロバン。
スピーカー 1
昔はその寺小屋とかだと読み書きソロバンっていうふうに言われてたじゃないですか。 だから計算する能力っていうのってソロバンって道具を使って測るっていうのがその商人としてできなきゃいけない能力の一つだよねっていうふうに言われてたじゃないですか。
スピーカー 2
でも計算機が出てきちゃったからソロバンっていらなくなったんですよ。 だってもう別にそこは人間がやんなくてもよくねっていうふうになって、1個その求められるスキルとしてのメリットクラッシーとして求められてるスキルの1個が完全にもうなくなったんですよ。 確かに。 でしょ。 だって今、そっかソロバン教室はあるけど全員通ってたかって言ったらそんなことないよね。
そんなことないし、まあだってせいぜいやってなかったとしても算数の小学校2年とかの授業でちょっとやるくらいで終わりだった気がするから。 それ覚えてる。小学生の時にちょっとおはじきとかでやったの覚えてる覚えてる。 でもこれが必修で、それこそだから今の大学受験とかでソロバンの科目ってないじゃない。 ないね。 ないでしょ。
スピーカー 1
いや僕はもうこの道に20年くらいソロバンをやってるので。 そういえばもう別になんかソロバンやってたっていう風に言ってたって、まあそんなにガチでやってるってほどじゃないよねってことを思ったら、まあまとめられてる能力としては計算機で全部変わっちゃったよねっていうのはすごく思ってるし。
そもそもだって欧米の人マジで計算しないからさ、高校とかの成績、なんか全体の成績で見てみると算数とか数学めちゃくちゃアジア人っていうか日本人できるよねっていう話とかって聞いたことないですか。そうなの? そうだよ。 へえ、そうなんだ。 あ、てかまあ本当に世界基準で高校生とかを対象として算数とか諸々の能力を測るテストがあって、
スピーカー 2
全世界統一のテストがあって。で、それで確か算数とかはシンガポールとか香港とかとなんかずっと競い合ってて、でも1位から3位ぐらいにはずっといるみたいな感じなんだよ。 へえ、すごい。すごいよね。だって実際大学の入試とかで、アメリカの大学の入試って中学レベルの算数ぐらいしか出てこないっていうのとかってあったりするんだよ。 へえ、そうなんだ。
そう、Yイコール2Xたす3で、Xが5の時Yは何だみたいなのを求めるみたいなくらいのレベルなんで。 え、すごいシンプルな連立方程式だけど。 そうそうそうそう。 ヤンヤンへえ、そうなんだ。知らんかった。
スピーカー 1
っていうレベル感ぐらいだからさ。意外とだからなんかそれも国よって違うかなっていうのもちょっと話したけれど、でもなんか求められる能力として必要なものっていうのって本当場所とか時代とかによって結構変わるよねっていうのはすごくなんか今その場を例にして考えたってとこですね。
スピーカー 2
じゃあそうなってきたらさ、読みと書き、読むのも書くのもさ、だって書くのは少なくとも今もうパソコンじゃん。 そうだね、タイピングだもんね。 タイピングだからさ、俺ぶっちゃけ多分書けなくなってる感じあるしさ、今。
うんうんうん。 でまぁ読みに関しても今後その例えばですけど、オーディオ系のなんかそういうデバイス、最近だと小説をさ、読み上げてくれたりとかする、そういうものあったりとかするし、でなったらこの読み書きソロ版としてその求められてたものが全部変わってるかもしれないね、順番に。
スピーカー 1
うん、まぁだって書きも賞味いらなくなるもんね、だってタイピングもいらなくなるってなんか言われてますけどね。 マジで、もうそこまで来た、すごいな。 だって今もうタイピングの方が遅いから音声入力でAIに指示してさ、それで全部対応してるって話とかあるんですけど、
スピーカー 2
つまり手で打つと遅いから、AIに対してこれこれこれやってっていうのを口で言った方が早いから。 あーなるほど。 やってたりとか、あとそのLINEとかのメッセージ送るのも海外の人って結構ボイスメッセージ送るんですよ。 え、そうなんだ。 そうだよ。あのーなんか海外版で言うとWhatsAppとかっていう別のツールなんですけど。 あー名前聞いたことあるけど。
スピーカー 1
あれとかは基本あの声で送ってますね。 ボイスメッセージ20、30秒ぐらいの音声をバーってしゃべって人にバーってしゃべってそれ聞いといてっつって。 ってやりとりすること多いんで。 じゃあもうなんかその頭ん中に浮かんだことを1回精査して文章にするとかじゃなく、もうとりあえず思いついたことをバーって喋ったりだとかして送るっていう感じで使い方ね。 そうそうそうそうそう。だからそういうのもいらなくなるかもねーって。
だからもう改めてその求められる、じゃあどんな能力があればあのこいつはできるって思われるかっていうその能力の部分ももうどんどん変わっていってるってことだね。 そういうことですね。まあこれはね、あの今の13歳のメリット暮らしっていうか求められる能力ってのは何なんだろうね。
ああそうだね。でも絶対さ僕たちの頃よりかさAIの使い方についてはさ多分勉強させられてるんじゃない? まあそれはそうだろうな。それはそうだろうな。その中でね何が求められるかっていうとまたちょっと違うのかもしれないが、まあまあ考えるにはいい機会なのかなーっていうのは喋ってて思ったとこですね。
日本人の「数字の平等」志向とスキルの変化
スピーカー 1
その他どうですか。 ああ私のじゃあ偏差値について思ってるとこっすか。まず偏差値そのものに対する思ってることが2個ぐらいあって、あの一つは偏差値うんちゃらからの逆転合格っていう言い方とか売り文句でよくあるじゃないですか。あれも結構数字のトリックじゃないっていうのはさっき喋ってて思ったとこで。
それこそ思ってたより偏差値50とか60っていうのって結構すごいことなんだよっていうようなことをちょっと喋ってたところではあるんですけど、逆に考えると偏差値40とかはまあ上から70番とか80番ぐらいなんすよね。その逆だとするとね。
偏差値40ぐらいのところからまあ大学に受かったりとか、まあなんか偏差値60いくつになりましたっていうので言うと、まあ確かに順位で言ったら結構上がってるのかもしれないけれど、その間にすごくびっちり点数同じぐらいの人がいるじゃないですか。
そうすると、例えば40点で偏差値40とかだったとしたら、まあちょっと頑張って70点ぐらいにしたら60ぐらいになるかもしれないじゃないですか。結果的に何点上がったかっていうところをカモフラージュして偏差値がこれぐらい上がったっていうふうに見せてるんじゃないかなーっていうのはすごく思ったりしますね。
スピーカー 2
どうなんでしょうかね。
スピーカー 1
だから、これだからまたちょっと別の話なんですけど、例えばその40点から70点に上げましたっていうプラ30点の努力と、70から100点にしましたってプラ30の努力って全然レベルが違うというか、求められる努力量が多分、まあ相当多いんすよね。少なくとも1倍ではないです。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
どうせあれなんか4倍とか20倍とかそんぐらいかもしれないですけど、まあまあすごく多いよということで。でも結果的に70点から100点に上がった時に偏差値60から、上がったとしてもだいたいなんか70か75ぐらいがちょうど上位の2人か3人とかじゃないですか。
って考えると。
スピーカー 2
偏差値80とかマジでめったにないもんね。
めったにない、めったにないマジで。
スピーカー 2
よほどみんなができないテストで良い点数取ったかじゃないと見ないもんね。
スピーカー 1
そう、そう、マジでそうで。だから、40点から70点、70点から100点っていう風に話したんですけど、そこで上がる偏差値とその後上がる偏差値って同じだけ上がるかって言われたらまたそれもちょっとって感じでね、難しかったりするんですよね。
スピーカー 2
だからここがその言ってしまえばその、テストの点数と偏差値ってある程度は連動するんだけどちょっとね、計算式がめんどくさいからちょっとあれ思ったより上がってないなとかも全然あり得るっていう風なところがあったりとか、あれこれぐらいしか上がってないのに偏差値だけバカ上がりしてるなみたいなことがあったりとかね、すごいあのどっちもあり得るってことですよね。
あれこんなになんで偏差値上がってるんだみたいな。
まあでも当然ですけどさっき言って40から50に上げるのと50から60に上げるのも当然同じ34人抜かなきゃいけないけども、当然ですけどね、50から60に上げるときの34人のほうが難しいっちゃ難しいし。
そういうことです。 60から70に上げるときまた14人ぐらい抜かなきゃいけないけども、絶対この14人抜かすのむっちゃ難しいしってことです。
スピーカー 1
そういうことそういうこと、マジでそういうことなんじゃないかなっていうので、なんかよくそういう逆転でそういうことできたよっていう風に言ってるやつもあるけど、なんかそれも改めて偏差値っていう概念を知るとそういうことなのかっていうのがわかるんじゃないかなっていうのは思ってたところですね。
スピーカー 2
そうですね。
統計学の面白さとAIの仕組み
スピーカー 1
はい。で、2個目は本当にそれはそれとして偏差値とかを扱う統計ってめちゃくちゃ面白いよっていう話だして。
はいはいはい。
偏差値も含め、まあそれを偏差値扱うのって統計っていうまた別の、数学にちょっと近い概念はあるんですけど。
スピーカー 2
数学から派生したというかね。
スピーカー 1
そうだね、そうだね、数学から派生したのが統計で。まあどういうことが言いたいかっていうと、可能性とか結構そういう当て勘で思ってることを、それこそ数という概念とか確率っていう概念に落とし込むことが結構面白い人には面白いんじゃないかなっていう風に思っていて。
スピーカー 2
そうだよ。
まあこれは解き合ってる2人が言ってるのであれなんですけど。
そうだよ、楽しいよ。
スピーカー 1
結構楽しい、僕はそういうの結構楽しいと思ってるし、まあなんか数字をわからんっていう風に思っている人は、おそらく今あなたが使っているだろうチャットGPTとかジェニミとかのAIってこういう統計の概念を実は使って出来上がってるものなんだよっていうことをわかっていただきたいという話です。
AIとかって、うわすげえ、こいつ俺の言ってることわかる、いわゆる人工知能って言われるように、まじで人間の頭なんじゃないかっていう風に思ってると思うんですけど、人間の頭じゃないんですよね、あれって。
スピーカー 2
そうだよね、そうなんだよね。
そう、あれは人間の頭がいるんじゃなくて、その時、こういう回答をしたら一番良さそうじゃねっていう確率から、この回答を出した方が一番確率として良さげじゃねっていうのを引っ張ってきて出てきてるだけなんで。
そうだよね。
スピーカー 1
頭があるわけじゃなくて確率で出されてるものなんです、コメント。
これとかはまさに統計とかも使われる概念だし、ちょっと偏差値っていうような数字の落とし込むっていうのが面白いのであれば、こういうのはすごく興味持てるんじゃないかなっていうのは思ってたとこですねってとこです。
生地さ、知識があるせいでさ、ジェミニ君とかさ、生成AIにさ、お悩み相談してさ、むっちゃ励まされるんだけどさ、でもこれ確率的に最もそれらしいこと言ってるのに過ぎないんだよなってふと我に聞かれるとさ、すごい虚無になるんだよね。
どうしたの、どうしたの急に。
スピーカー 2
まあでもわかるよ、一応なんかそうなんだよね、最近ちょっとしんどいんだよなーって言ったよね。
スピーカー 1
しんどいんだよなーって言ったら、まあそういうこともありますよ、よしよしっていうふうに言ってるのって、そういうふうに返したら一番なんか良さげだからそういうふうに返してるだけでっていう。
でも本当にこいつ心があるんじゃないかってぐらいさ、正確に返してくるよね。
スピーカー 1
それは今まで学んできたデータが導き出してんじゃねえかなって思ってたりはしますけど、そういう概念が面白いのであれば統計とかは、統計とか偏差値とかそういうの何だろうっていうふうに思った人はやってみたらいいんじゃないかなっていうふうに思ってます。
スピーカー 2
もう本当にそれに関してはね、研究で使ったりする二人がね、二人とも言うのもそうだし、僕もやっぱりそういう統計の資格とか勉強して取りましたけども、やっぱりこうちょっと僕の研究テーマの話になるんですけども、書いてるように僕の研究テーマって家族の問題について研究をしてるんですよね。
そういうのってなんか統計とか数字と関係なさそうじゃないですか。
スピーカー 1
個々の家庭の問題じゃんっていうふうにまとめられちゃうことが多いかもしれないですね。
スピーカー 2
そうそうそうそう、でもあくまで数字で測るんで、直接本人に聞くわけじゃないから、限界があるけれどもその限界にギリギリ近づけるまで頑張ってなんとか数字をこねくり回して、
この社会のあり方であったりだとか家族がどういうものなのかっていうのを見やすい形にするっていうふうな、たぶんすごい僕はロマンの塊だなって思ってて。
スピーカー 1
ロマンの塊。
スピーカー 2
そうなんです、だから統計、もっと言って統計調査をやってる人たちって本当に僕もそうだけどとってもロマンのある仕事だと思うし、
なんかそういったものに対して意外と人の心を持たないコンピューターが弾き出した数字をうんたらかんたらとかじゃなくて、
知能化を得た人間が頭悩ましながらこれでもないな、あれでもないなっていうふうに言って出してるのが、
例えば国の統計の調査結果だったりとかするっていうふうなものであったりっていったところをね、そうなんだっていうふうに思ってもらって興味を持ってもらえたらすごく嬉しいなと思います。
スピーカー 1
どうしよう、この話しよっかな。めちゃめちゃブレるんだけどさ、ちょっとしゃべるね、一回。
微分と統計学による「捉えられないもの」の理解
スピーカー 1
微文ってめちゃくちゃ面白いよねって大学院生になってすごく思うんだよね。
スピーカー 2
あ、そうなんだ。
スピーカー 1
そう。今言ってくれていた統計の調査とかもそうなんだけど、微文っていう概念が高校かな、出てくるんですけど。
スピーカー 2
高校出てくるね。
スピーカー 1
高校出てくるんだね。なんか例えば曲線があったときに、その曲線ってだいたい直線で言ったらどれぐらいなのかなっていうのを調べるのが微文なんですよ。
スピーカー 2
もう意味わかんないよね。曲線なのに直線って。
スピーカー 1
なんか曲線描いたときにだいたいこれぐらい直線じゃねっていうのをなるべくこれぐらいじゃないっていう直線に近づけることを微文っていうふうに例えば言うんですけど、
これは二次関数か一次関数に落とし込むだけなんで、それはちょっと別の話もあるんですけど。
でも微文っていう概念って捉えられないものをなるべく簡単な形で捉えようとするっていう営みなんですよね。
こういうふうに言うと、社会学とかもまさに田中くんやってるところって、個々の過程とかそれぞれ事情が違って一言で言うには難しいものを何とかして数字とかを使って、
何とか言えることがあるんじゃないかなとか、こういうことは全体として傾向があるんじゃないかなっていうのを近づけていくことがまさにやってることなんですよ。
で、その中からこれは言えるんじゃないっていうものを法則っていう形にして落とし込むんですよ。
これって微文じゃないって話ですよ。
微文なのか、微文なのかこれは。
そう。微文法程式とか何回もやってたりとか、あと法則っていうルールを作ったりとかするっていうのって、捉えられない物理法則とかそういうものを何とかこの簡単な形に落とし込んで、
これならギリ言えるかもっていうのを法則として見つけ出す作業なんですよね。
スピーカー 2
じゃあ新しいルールを見つける作業なんだ。
スピーカー 1
そうそうそう。新しいルールを見つけるときに、なんか大体出てくるのがなるべく曲線とかだったらなるべく直線近づける微文っていう概念で、それは別に曲線に限らず、例えば立体とか曲面みたいなちょっと捉えづらいものかもしれないけど、それがどれに一番近い形状なのかなみたいな。
あとはそれこそだから物理法則って言った通り重力加速度とかいう話とかもあると思うんですけど、じゃあ物体ってどれぐらいの速さで動いてるのっていうのって、もちろん動いてはいるんだけど、それがどれぐらいの速さかっていうのを1秒ごとにじゃあどれぐらいの速さなのかなっていうのを細かく刻んでいくことがまさにその微文だったりする。
面白いんですよね、こうやって。まあ戻ってくるんですけど。 面白そうですね。
戻ってくるね。統計とかはまさにその微文とか、世の中のふわっとしているものを捉えるのに、なるべく数という概念を使って、数それを捉えやすいものにして法則にしていくっていうことをやっていく営みだと思ってるし、結構面白いと思います、本当に。
スピーカー 2
すごい僕、数学大嫌いだったんですけど、中学生高校生のとき。なんか今の聞いて、面白そうだなと思いましたね。
そのルーレが覚えるのがめんどくさいのはまたちょっと別なんだけどね。 そうなんだけどね。だからすごい数字ってさっきも言ったように、言ってること以上のことを人にイメージを与えたりとか、読み取るときに注意も必要なんですけども、
一方でちゃんと正しく読み取ることができれば、ものとかを捉えるときに全体像が見えるっていう感覚に近いかなって思うんですよね。だからどんどん脱線してて申し訳ないんですけど、
なんかこう自分の目から見えるものは、なんかほんと自分の目からしか見えないから、すごいなんかこう目の前の正面でこう見てる、物体を見てる感じの感覚になるんですよ。
目の前にその物体があって、僕が見たいと思ってるのが何かがあって、僕の目を通して見てる。この観点も当然すごく大事なんですけども、やっぱこれとプラスアルファでもうちょっと引いたところから、高台に登って、
なんか俺が目の前で見てたときはこれなんか平面の壁かと思ったけど、よう見たらこれ球体やったなとかが分かったりとかするっていう感じ。
なんかそういうふうな気づきであったりだとか、こう思われがちだったものが実はそうじゃなかったっていう、そういうふうな当たり前が当たり前じゃなかったとかって、
みんなが無意識にそうだと思ってたものが実はそうじゃなかったみたいなのがわかるのがすごくね、やってて面白いところ、統計やってて面白いところかなっていうふうに思うんで、
なんかそういう話もこれからちょっとずつこだしにできたらいいなっていうふうに思いましたね。
スピーカー 1
今の聞いててめっちゃ抽象と具体の回でそんなこと言ったって思ったりするんで、振り返ってもらえたなと思うんですよね。
スピーカー 2
そうなんですよ。さっきの微分の話も統計の話もそうですけど、別に理系、文系っていう感じじゃなくて、結局どっちも人間が頑張って頭こねくり回してやってることだから、血の通った行為なんだなってすごい思うんですよね。
スピーカー 1
そうだよね。
スピーカー 2
なんかすごく情熱的だし、すごく頑張ってみんなが積み重ねてきたもんだなっていうふうな背景がわかったりとかするとね、
なんか僕ももうちょっと中高生の頃に数学を食わず嫌いせずに済んだのかなって今思ったりします。
スピーカー 1
そこなんですね。なかなか統計の面白さってパッて学校で教えてくれるかって言われたらどうなんでしょうね。
最近とかだとちょっと授業でやったりはするっていうふうに言ってるんですけど、今の聞いて面白そうって思った人はちょっと自分で調べてみたりしてみてもいいんじゃないかなと思うように思います。
スピーカー 2
はい。
偏差値信仰への違和感と自己肯定感
スピーカー 1
まあそうですね、あとちょっと偏差値の話でしたよね、もともと。
そうなんです、偏差値の話でした。
もともと戻ってきます。ちょっとじゃあ最後にお気持ちみたいなところを喋ろうかなと思ってて。
なんか最近偏差値に対する信仰って強くなってません、逆に。
スピーカー 2
もうなんていうか、信仰ですよね。
スピーカー 1
信仰だよね。
スピーカー 2
ある種宗教っぽいというか、偏差値が絶対的なものとして見られがちな傾向があるってことですよね。
スピーカー 1
そう。感じません、なんとなく。
スピーカー 2
うん、わかる。
わかる。
スピーカー 2
肌感だからさ、具体的にこうっていうエビデンスは出さなくて申し訳ないんだけど、なんか何でもかんでもじゃないけど偏差値偏差値言ってる気がするよね。
スピーカー 1
なんか偏差値ってもともと勉強に使われてる概念だったのに、なんかそれを別のところで出してきたりとかしますもんね。
昔からちょっとあるかもしれないですよ、顔面偏差値とか。
スピーカー 2
恋愛偏差値とか。
スピーカー 1
そう、最近一番やべえなと思った就職偏差値とか。
そうだよね。
スピーカー 1
ホッケーだなーって思うんだけどね、俺は。
スピーカー 2
なんか、なんて言ったらいいんだろう、もう最初の意味じゃないじゃんってなってるよね。
何度も言うけど偏差値っていうのは、例えばだけどテストの勉強だったら100人だったら100人、同じテストを受けるっていう前提がないと出せないものなんだよね。
それが偏差値のはずなんだけど、偏差値っていう言葉の高ければ高いほどいいっていうニュアンスだけが一人歩きして、さっき言った顔面だったりだとか恋愛だったりだとか就職っていう枕言葉がくっついて、
別の概念としてさ、ふわふわして、僕たちの頭の中を漂いだしたよね、中最近ね。
スピーカー 1
まとめてくれた通りなんですけど、もともとそれ人によるだろうっていうか、メリット暮らしが生まれた時のところの説明であった通り、万人が納得できるような能力測定手段は現実には存在しないっていうので仮置きとして置いてるじゃないですか。
でもその仮置きとして置いてる偏差値とかっていう概念って、そもそもテストとかでも○か×かって決まってる一定のラインが定まっていて、同じ条件でっていうのを言ってくれてたと思うんですけど、おめぇそれ自分の主観で選んでんじゃねえかっていう偏差値とか、タタにしてあるんですよね。
スピーカー 2
たしかにね、なんかみんなの主観で、いやー俺はこの子の顔面偏差値高いよねとか、この男の人はすごいモテそうだから恋愛偏差値高いよねとかって、もう何を前提にそれを申してるんですかみたいな、そこまで来ちゃって、それはもう偏差値以外でも何でもよくて、一番しっくりくる高ければ高いほどいいってされてる僕たちにとって身近な概念が偏差値だっただけで、
言い換えればその恋愛度数が高いとか、もしくはその顔面度数が高いとか、とりあえずその後ろに続くことは別に偏差値以外でもなんか僕たちがなんとなく高ければ高いほどいいと思ってるものであればいいのかもしれないね、もしかしたらね。
スピーカー 2
ともすれば指数とか言い出すかもしれない。 あーそうそうそうそう指数とか、あの一応そういう数字を研究に扱っている関係上、なんか主観じゃんっていうものにそういう度数とか指数とか偏差値って言葉がくっついと、なんかえ?って違和感を感じてしまう今日この頃ですが、まあニュアンスが伝わればオッケーだと思います。
スピーカー 1
いやーマジで、じゃあ僕思ったんですよ、なんでこんな偏差値とかそういうのに頼るじゃないですけど、そういうのに結構言われるようになったのって、社会っていうのが曖昧になってきているから求められる価値観とかそういうのがどんどん変わっていっていて、
今もうオフィシャルというか、世間的に言われていることって、いやそれ以外の考え方も大事だよねっていうのって結構言われてるじゃないですか。まあ何でしょう、学校の勉強だけじゃなくて、それこそ主体性とか何かやってきたことだったり、周囲との協調力とかそういったところも含めて測りましょうっていうのを思い出した、総合型選抜の会で喋ったんだ。
というふうに言ってると思うんですけど、僕たちの真相真理というか心の内側で思っていることは、そんな求められてるもん多すぎると困るから、何が大事なのかいまいちよくわかんないな、なんかいい感じにすがれるものとかないかな、偏差値じゃんっていうところに戻ってきてんじゃないかなっていうのをすごく思ってて。
スピーカー 2
選択肢多すぎるから、とりあえず一番学校とか社会で良しとされるものの言葉を借りてこようじゃないけど、それに似たものを良しとしようみたいな感じかな。
スピーカー 1
だと私はちょっと睨んでるんですけどね。 もちろん僕たちがそういうふうに戻ってきてんじゃないかなっていう裏側には、そういうことでお金を稼いだりする人たちとかがいる部分もあったりはするんじゃないかなって俺は思ってるんですけどね。
普段接触しているインフルエンサーとかが、偏差値どうのこうのとか、私はこれで上に行ってるわよみたいなものとか。 っていうのを仰ぎに仰って、やっぱこっちなのかなっていうのに流れてんじゃないかなっていうことを、私は憂いてます。
憂いてるね。 憂いてます。私は憂いてます、結構。
スピーカー 2
まあ、でもだからそのルールがどれかわかんないからルールを決めてくれそうな人を信じるってことですよね。そうだし、ルールを作る側が儲かるっていうふうなのは確かにそうなのかなっていうふうに思いますね。
でもなんか確かにどうなんだろうね、そういう〇〇偏差値みたいな言葉って、まあでも確かにネットでよく聞くような気がするな。私そういうふうにすごくね、なんていうんだろう、センセーショナルだというかイメージしやすい言葉、すごくインパクトのある言葉だから、余計に使われやすいのかもね。
そうだね。まあまあ、これもぜひは難しいんですけどね。難しいんですけどね。
スピーカー 1
難しいんですけどね。とはいえ、僕がなんで憂いてるっていうふうにちょっとマイナスの表現を付け加えてとかっていうふうに言うと、その価値観にのってない自分っていうので、追い目を感じる子がやっぱ多いんじゃないかなって思ってるんですよ。
つまり勝手に主観で決めた偏差値っていう価値観で、自分ダメかも終わったみたいなことを悩んで、しんどい思いをしてるパターンとかって結構あると思うし、まあ典型的な例で言うとそれこそもうロッキズムとかまさにそれじゃないですか。
スピーカー 2
だから、そのなんて言うんだろう、あまりにもね、すごいキラキラしたSNSの美容アカウントとかを見すぎて、自分が全然可愛くない、綺麗じゃないっていうふうになっちゃってね、なんていうか、すごく精神的に参っちゃうとかありますからね。
スピーカー 1
それでご飯食べれなくなったりとか、もうダイヘッドしてなくって、なんか最近ちょっと違法の注射が、マンじゃろっていう違法の注射の話とかもありましたもんね。
ありますよね。痩せるよっていうふうに言ってね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。それによって発生している社会のデメリットみたいなところとかも、やっぱ無視できないよなーっていうのは正直思ってたりするし、まあもちろんね、それの是非ともかくはありますが、
個人の自由って言ってしまえばそこまでだからね。 うん、それによって多い目を感じてたりしんどいなーっていうふうに思ってる子とかが、やっぱいるんじゃないかなーっていうのは売れてるので、違うんじゃないっていうふうに思ったりはする部分はあったりはしますというのが私の最後の締めくくりですね。
数字との向き合い方と自己理解
スピーカー 2
そうですね。なんか自分の価値観というふうに自分が見えてるとこだけじゃなくて、そういうふうな数字を見てみると意外とその自分の立ち位置がわかったりとかするかもしれないし、
そういった意味でもね、万能とは言わないですけども、数字の読み方っていうのは知ってて損はすごくないと思います。人間の性質としては似たものしか見たくないっていうのがやっぱ本心ですから、これにすがりたいなーって思って、何かこう説得力のあるものであったりだとか、
客観的な数字ってものを見たときに、ちょっとやめとこうかなっていうふうに踏み取るものがきっかけになるかもしれないし、ちゃんと数字、客観的に見る、そのルールがないからこそ自分がどういうふうに生きていきたいのかっていうふうなところを他人に委ねるんじゃなくて、自分である程度これが自分が好きなんだっていうふうに軌道修正できるヒントというか、
なんか灯台にはあると思うので、ぜひそういった意味でもちょっと今回の回を通してね、偏差値の話だったんですけどもね、考える機会になってくれたら嬉しいなと思いました。
スピーカー 1
はい、なんか喋ってて思ったより深い回になったなって思ったりはしますがね、皆さんもぜひやりかえてもらえたらなというふうに思います。
はい、ということで今回のトークテーマなんですが、偏差値っていうのを求め方を知ってるかっていう数学の話から、あとは偏差値というものをどういうふうに使っていったのかっていうメリットクラシーという歴史の話もちょっとしてまいりました。
はい、皆さんの中でちょっと偏差値っていうものに対するものの見方が変わるきっかけになるんじゃないかなと思うので、ぜひ皆さん聞いてもらえたらなというふうに思います。
スピーカー 1
はい、ということで今回もご視聴いただきありがとうございました。
ぜひ皆さん次回もよろしくお願いいたします。それではまた。さようなら。
またねー。
45:27

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