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2025-10-26 10:25

#2-126 2024年3月30日/堺筋本町/踊る屋台パーティー/5

#2-126 2024年3月30日/堺筋本町/踊る屋台パーティー/5

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なるほど、一番古いのは、僕は育った岐阜で生まれたんですけど、隣が神社で、神社がいわゆる珍珠の森的な木がたくさん生えてまして、
そこの木を台風の時とかに倒れたやつをノコギリで切って、秘密基地的なやつを作って、家に帰りたくないっていう、その遊びが原風景というか楽しかった思い出としてありますね。
たぶん、小学生、低学年とかですかね。それはでも小学生ぐらいですかね。中学生になったら部活が楽しくて、混ざってる感じでしたね。
だから、新しく作ったあたりは杉が多くて、一方ですごい古くから生えてる大木は、そうじゃなくて、紅葉樹っていうか、そういう系でしたね、クスノキだったのかもしれないですね。
どんぐりが、シイの実とかが落ちてたんで、そういう系の。
食べてました?
それはでも、もしかしたら、今ここで露天を出していることかもしれないですけどね。
そうですよね。なんていうか、自分の手に届くぐらいの大きさとか、物の集まりみたいなものが楽しいみたいな感覚が、きっと皆さんそうなんじゃないですかね。
ここにいる人たちは。僕もだから、家の中というよりは、今ここの路上の上で、しかも自分が好きな本を並べて、みんなに見てお話をするっていう、この状態が楽しいですね。
一応、今日すごいかっこいい露天が並んでるんですけど、その中で一番しょぼいやつにするっていう、私、野語書いてないけど、根源露天っていう野語にしてるんですよ。原型露天。
一番原始的な形態でと。それは今の話に繋がる気がしますね。
この草の質感がこだわりを感じますか?
これはね、こだわりです。これ、イグサのむしろなんですよ。しかもイグサの縄を束ねて作ったらしくて、結構いいんですよね。
これ、手触りみたいな。工業製品じゃ出ない手触りみたいなものって、昔は当たり前でしたけど、なんかやっぱ最近ね、どんどん消えていってる。
きっと屋台なんかもそういうのがある。木がたくさんあって、加工しやすいっていうのもあると思うんですけど、いいですよね。ザラザラしてるとか。
でも本当にこれも買った畳屋さんは、35年くらい使ってるって言ってましたから。
今日ね、これ日に当てちゃいけないのに日に当てたんですけど。でも本当に日陰で使えば30年とか余裕で持つらしいんで。
そういう時間の中で変化する新しいものだけが一番いいみたいなものじゃない魅力は、きっと今この人たちも結構共有してる感じがしますよね。
多分今の話につながっていて、都市って僕たちの手の届かない場所にどんどんなっていっているという感覚が、特に開発とかだとあると思うんですけど、新しい街を作っていくときに。
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でも実際には、やみ市ってみんながこういう露店を並べたところから始まって、自分たちの手つきの中で出来ていったものなので、
そういう街場にいる人たちが忘れていっちゃったものを都市の使い方みたいな、それをもう一回考える上では、戦後のやみ市ってとても魅力的な場だなと思って考えていて。
なので今日はここは本当につながってるっていう僕の中では感覚ですね。
現代では物理的には失われた景色という感じではあるけれど、新しいやみ市的なものが復興しつつある。
そうじゃないですかね、この感じまさに。それは魅力だと思います。
だからその、戦中期から戦後にかけての統制経済の中でやみ取引してた場所なんですけど、
戦後は本当に都市のど真ん中にそういうのが大々的にできて、みんなが生き生きと過ごす場所だったはずなので、
それはとても危険もあるけど、いろんな感情が渦巻いてたんじゃないですかね、きっとって思います。
やみ市についていろいろ聞きたいんですけど、ちょっと知識が。
ちょっと隣のあの辺で植物を売ってらっしゃる旅行ガーデンのお兄さん、タニーさん。
この前あの屋台を子供とかと一緒に作るワークショップで出てたんですけど、そこに参加されてたかってバンライフしてるお兄さんがいて、
バン家になってて、水道とかもあって、冷蔵庫とかも置いてて、ベッドも広げて寝られるようになってて、
それ面白かったのが、東京はある時間からある時間まで、夜から朝までずっと止めていい、無料で路中していい道路がいっぱいあるんですって。
大阪には全然ないんですって、東京。いっぱいあるらしくて、
だから飲み会とかで車止めといて、飲みに行って、飲んで、車帰って、車で寝て朝まで行って、
毒みたいなことが普通にできるらしくて、そうやって今の生活に近いことができる、東京だったらできるんじゃないかなって、
その話聞いて思ったんですよね。結構広くあるらしいですよ、警視庁のホームページでわかるらしいんですけど、
僕も東京かなり長く住んでたんですけど知らなくて、それはやってみたいなと思いました。
アメ横、高層。本にも一部になっているんですけど、
あそこはだから、コリアン系の集団と地元の有力者系と、満鉄とかで働いていた引き上げ社っていう、
大体3大きな集団があって、アメ横の横にあるアメ横センタービルっていうすごい不思議なビルがあるんですけど、
あそこに闇市を作っていたのが地元有力系。最初は何か構想していたらしいんですけどね。
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その話も面白いですよね。
神社で提起したっていう。街の何たちのアンダーグラウンドみたいなのを知ると急に改造度が上がるっていう。
そうですよね。
そういうアンダーグラウンド。
あれすごい、僕来てすぐ写真撮りました。いいですよね。
だからアンダーグラウンドじゃなかったと思うんですよ。ある時期まではある程度。表だったと思うんですよね。
それが今は完全裏ですけど、神社で手打ちするっていうのもすごいテキ屋っぽいですね。
川沿いも結構ああいうグレーゾーンが集まる。川沿い歩くといろんな面白い画像空間が張り出してる。
そういう場が日本の都市にはたくさんあったしあるんですよね。
それを戦後っていうのはゼロイチに切り分けてきた過程なので、
本当はその間みたいなのが一番面白かったり、ルーズだけどそれ自体がいろんな人の生き生きしたものを抱え込んでた気がするんですよ。
それを単純にコンクリートで固めて線でパシッて切るっていうことじゃないやり方みたいなのはあると思うし、
これは絶対ここの今の露天の空間にもつながってますよね。そういう感覚って思います。
下町にずっと住んでて、基礎の上に建ってないんですよ。
全然問題なかったですよ。
大震災の時も平気だった。
今はなんでその家庭住むの?
そうですね。法規が変わった部分もありますけど、僕実は葛飾区で4年働いてました。
どこですか?
東京理科大学で。
え、金橋?
金橋。
あららら。
あのトリプルとか分かりますよね?
分かります分かります。すごい好きです、あの辺。
川、川の。
そうですよね。
掘ったところに並んでたんですけど、天林もわけわかりません。敷地もわけわかりません。
ぐちゃぐちゃしてますしね、あの辺。
あの辺だから最近だと、
こすげとかも。
そうそう、こすげもそうですし、堀切の辺にモスクありましたよね。
あ、ありましたね。
そういう新しい移住してきた人たちとか、別の文脈とかも重なって結構面白いなって思ってました。
で、葛飾だと四杉っていう、四杉はエチオピアの人めっちゃ住んでるんですよ。
あ、そうなんですね。
あのね、一人のすごい活気の人がいて、そういう何かつながりでっていう感じで。
で、コーヒーのイベントとかも。
そうそうそう。
あ、じゃあ多分すれ違ってますね。
もう、あのエチオピアの人たちの新年会、年2回くらいパーティーを公民館で。
私、妻とよく行ってました。
あららら。
じゃあすれ違って、あの人知ってますか、あの女性の。
ええ。
あの、急に忘れちゃった。
えっと、菊池さん。
あ、菊池さん。
はい。
あ、じゃあもう。
その伝えだ、アベベさんとそのNPOをやってる方。
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日本語テラペランの。
そうそう、アベベさんとかが。
白シャツの。
そう、理科大の学祭でブース出したりしてました。
あららら。
あららら。
あららら。
あららら。
あららら。
あららら。
あららら。
あららら。
狭いですね。
はい、面白い。
関西にはいついらっしゃるんですか?
今、はい。
あ、一緒ぐらいです。
僕も3年前に来ました。
あ。
はい。
弾き方とか全然違いますよね。
なんか面白いですよね。
スピードが違う。
なんか、僕は結構好きですけどね、関西。
はい、好きです。
葛飾慶太さんとかは、葛飾慶太さんっていう漫画の。
漫画の。
はい。
あの方はね、ちょっと。
タイミングが合わず。
合わず。
興味は全然。
すごい面白い方で。
葛飾デザイン。
ありますね、はい。
VR。
いや、すごい。
そんなところですね。
葛飾の話を。
葛飾も。
あの、立石も。
立石も。
新アクションの。
そうですね、だいぶ壊されちゃいましたけど。
はい。
いやもう、あの。
僕、押上と禁止庁の間ぐらいに住んでたんですけど。
あ。
もう通勤路に立石あったんで。
奥戸あたり。
えっとですね。
小岩とか。
えっと。
ほんとあれですね。
押上から南行った禁止庁とのほんと中間ぐらいで。
俺もあの辺ですね。
はい、あの辺です。
はい。
またなんか面白い話聞かせてください。
どうもありがとうございます。
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