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2022-07-28 14:53

【詩吟ch】詩吟人生に影響を与えてくれた人たち<旅立ち一節>

笈の小文「旅立ち一節」/ 芭蕉
百骸九竅の中に物あり 假りに名付て風羅坊と云ふ。
真に薄物の かぜに破れ易からん事をいふにやあらん。
彼れ狂句を好むこと久し 終に生涯の計り事となす。
神無月の初 空定めなき気色
身は風葉の 行く末なき心地して
旅人と わが名呼ばれん 初しぐれ

#詩吟 #松尾芭蕉 #俳句
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詩吟の魅力を発信する、【詩吟ch】
おはようございます。こんばんは。【詩吟ch】のheyheyです。
このチャンネルは、詩吟歴の長い長い私、heyheyによる、詩吟というとてもマイナーな日本の伝統芸能の魅力を、分かりやすくザックバランにお話ししていくチャンネルです。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
喉の調子が悪いので、本調子にならないのでですね、ゆるゆるとお話ししていきたいと思います。
今日はですね、完全な僕の雑談と言いますか、プライベートみたいな話になるんですけれども、端休め程度に聞いていただけたら幸いです。
僕は今、年齢が34歳でですね、10歳の時から詩吟を始めたんで、24年間やっていることになります。
この24年間の詩吟人生の中でですね、僕に、この詩吟人生に影響を与えてくれた人が4,5人いますんで、それをちょっと振り返りながら、どんなことがあったのかなというのをちょっとご紹介と言いますか、お話ししていこうと思います。
まず真っ先にあるのはですね、僕の2人目の詩吟の先生になります。
僕は一番最初は親の勧めで詩吟を始めて、80歳くらいのおばあちゃん先生から教わっていたんですけれども、正直ですね、それ自体に詩吟に魅力を感じたりはしてなくてですね、流されるままにやってたような感じがあります。
中学校3年生から始めて、中学生に入ってですね、部活動が忙しくなったりして、どんどん優先度が低くなって、そして声変わりも始まって声が全く出ない、声出すのも辛いみたいな状態になって、正直1年間くらい詩吟を辞めた頃があるんですよ。
先生の体調も良くなくなってですね、そういうのがあって1回辞めたことがあるんですけれども、そうした時にふとした時にあの家に直接電話がかかってきたんですよ。
私も何か詩吟をやっているものなんですがみたいな、翔平くんの大会での声を聞いて、もしやる気があればぜひ私のところでやってみないかみたいな、確かそういう話だったと思うんです。
親が電話を取っていたんですけれど、そういうので電車で30分先、電車に30分乗り継いで、そこからバスで15分乗り継いだ先の練習場所なんですけれど、そこに行ってみようというところで、そこからその先生と本当にどれくらいかな、もう長い10年近くの頃に教わることになりました。
まあ間違いなく僕の詩吟人生はもうそこから始まっていると言っても過言じゃない、本当にそれですね、になります。
その先生から教わったことがもう本当に山ほどあって、普段今話している詩吟チャンネルで話しているような内容の8割9割はそこから持ってきているような感じになっていますね。
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詩吟とはどういうものなのか、なぜ詩吟をやるのか、どういうところに向かって吟じていくのか、声を前に飛ばすにはどうしたらいいのかとかですね、本当に大事なことをたくさん教わっていきました。
今も年賀状を送ってはいるんですけれども、なかなかですね、富山なんで行くタイミングがなかなかなくて、ちょっと申し訳ないなと思っているんですけれども、
その先生のおかげで外で毎日声を出すんだ、俺はもう全国撮るんだ、詩吟でしっかりとやるんだという熱い気持ちがあって、しかもそれを後押ししてくれて、引っ張ってくれてというような先生でありました。
この先生で人もいくらでも話し語れちゃうんで、とりあえずこの辺に1回しておきます。
そして2人目はですね、その場所、詩吟の教場で別の先生がたまに顔を出しに来るんですけれど、その女の先生ですね、女の先生も私に影響を与えてくれました。
その人はですね、ピアノの調律師を本業でされている方なんですけれども、発音、アクセント、音程ですね、それに対する感度がもう尋常じゃないぐらい高い人なんですよ。
今もう焦燥吟詩になられているんですけれど、本当に発音の一つ一つ、あ、い、う、え、おとかですね、それを言っているだけでですね、どれだけその言葉に丁寧に意識しているのかっていうのがものすごくわかるんですよね。
だからこの先生の吟はもう、吟台作者いった時点で、僕がうつらうつら詩吟の大会とか見てても、あ、この先生だっていうのを一瞬でわかるぐらい本当に言葉が美しい、音程が美しい、もうそれに尽きるんですね。
あ、こんなに言葉、日本語って美しいんだというふうに覚えて学んだ記憶があります。
そしてあともう一つはですね、先生の名前全然覚えていないんですけれども、詩吟の大会、芸能発表会みたいな感じですね。
発表会みたいなところで結構ゆるい感じではあったんですけれど、県内からの若手高校生ぐらいまでの子たちがですね、集まって発表するような場所がありました。
でその時の舞台裏でですね、女の50代ぐらいの先生ですかね、その先生が僕がなんかめちゃくちゃ詩吟で緊張していることもあったりしてですね、いくつか名言を教えてくれたんですよ。
一つがその緊張っていうのはして当然なんだからと、受け入れた方がいいよと、無理に抑え込まない方がいいよということを教えてくれました。
あ、そうなんだみたいな。緊張ってもうひたすら打ち消すもんじゃないんだっていうふうに覚えておりますね。
そしてもう一つがですね、この先、詩吟辞める辞めたくなる時もあるだろうし、辞めてしまう時もあるだろうし、いろいろあるけれども本当に一芸は身を助けるとは言うけれども、とにかくずっと続けてくれたら嬉しいなということを言ってくれました。
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そのセリフもですね本当によく覚えていて、だからこのセリフがあったからこそなんか嫌だなぁとか思ってもですね、そういう時もあっても僕はとにかく詩吟を続けていこうというふうに感じたわけなんですね。
何気にそう先生の名前全然知らないんですけれど、名言を2つ残してくれているという方がいらっしゃいました。
そして4人目はですね、僕が大学に入ってゴスペルサークルに入ってですね、そのゴスペルサークルの年齢は同期なんですけれど、学年としては先輩のちょっといろいろややこしいんですけど、すごいもう完璧なやつがいましてですね、そいつはもう詩吟の詩の字も別に知らないし、ただ音楽に対する向き合い方を本当に真剣でですね、そいつから教わったことがあります。
音程がちょっと高いとか低いとかそういう本当のわずかな音程のずれってあるじゃないですか、それに対して僕はですね、そんなもうわかんないよと別に耳なんかもう良くないしっていうことを言ったんですけど、
アホかみたいなそんなそんな風に思ったと思ったら、思い込んだら思い込んでしまえばいいと、もう一度なんとなくそうかなと思ったらそういうものなんだと思い込めばいいと言ってたんですね、そうやって自信がだんだんとついていくもんなと、それでだんだんわかってくるもんなんだという風に言ってました。
これもですね結構僕にとっては大きな話で、音感が良い人っていうのは耳が元から良いんでしょとかいう風に思うかもしれないんですけれどそうじゃないんだということですね。
それを鍛えていくうちにですね自分にも責任感が持ってくるし経験もあってだんだんと耳が鍛えられていくんです。
4分の1音、8分の1音、そういう死人の音のズレも聞こえるようになってきました。
そして最後ですね、今教わっている先生のところなんですけれども、その頃他のこともやっていて死人がだいぶおざなりになっていたんですけれど、新しい関東の方で死人を教われる場所を探していたんですよ。
そこでですね、いくつか顔を出しているんですけれど、なまじ僕は銀歴があるもんだから、しかも若いからですね、とりあえず顔を出したらめちゃくちゃチヤホヤされるんですよ。
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ぜひなんか家に入ってくれみたいな感じですごい喜んでもらえるんですけれども、そうじゃないんですよね。
僕は銀の力を鍛えたくて新しい教わる場所を探しているんだからそうじゃないんですよ。
最初に話した先生からの紹介でですね、今の先生に移るわけなんですけれど、その先生のところ初めて行った時にですね、とりあえず銀じてみてって言われたんですよ。
銀じたらですね、大抵今までのところ顔を出したところはもうチヤホヤチヤホヤしてくれるんですけれど、その先生だけはもう違ってですね、もうどれぐらいだろうな。
10個ぐらいダメ出しされましたね。ここがダメ、ここもちょっとやりすぎ、これは変な感じかな、これは根本的に直した方がいいよみたいな感じで、もうめっためたのボロクソに言われたんですよ。
ここまで言われるかと思って、逆に初めての僕にここまで言ってくれるのかと思ったんですね。
これはありがたい、ここでちゃんと教わっていこうというふうに感じたわけです。
今の僕の銀歴の24年間のところは今につながっていくわけですね。ただ僕も今プライベートとかドタバタしているんでそっち優先というところもあるのと、
資金の活動自体にシフトして、資金は辞めないけれど資金の活動を自分にしかできないことをちょっとやっていこうかなとは思っております。
こんな感じですね。資金続けているといろんなことがありますけど、やっぱり要所要所で本当にいい人に出会えたんだなと思って、
それを次にいろんな人のほんのわずかではなくて多くの人につなげていけたらいいなと思っております。
では後半ですね。後半、一つ吟じていきます。
今日はですね、だいぶ色を変えて廃材、廃材、違うな、廃材気候分、廃区の入った気候分というのを松尾芭蕉のものを吟じていきたいと思います。
老いの小文より旅立ち一節というものです。本当普段の漢詩とは全然違うんでお楽しみください。
これは最初にお話しした詩吟の先生がですね、僕にいろんな詩吟の世界を知ってほしいということで教えてくれた吟なんですよ。
で、もうなんじゃこれ詩吟じゃないじゃないかと思いながら、面白くて好奇心あふれているからですね、必死に覚えてやったのをよく覚えております。
途中でですね、陰音階から陽音階に切り替わって、最後廃区で閉められるというところがあってですね、面白いんですよ。
詩吟こういうものがあるんだなぁということを知ってもらえれば幸いです。
では行きます。
老いの小文より旅立ち一節
場所、客街急遽のうちに
ものあり
12:00
仮に名付けて
フラボという
誠に薄者の
風に
破れやすからんことを
言うにやらん
軽恐怖を好むこと久し
ついに生涯の
はかりごととなす
かんなずきのはじめ
そらさだめなき景色
みは扶養の
行くせなき心地して
旅人と
わが名呼ばれん
はつしぐれ
わが名呼ばれん
はつしぐれ
いかがでしたでしょうか。声出ないから俳句が微妙ですね。
本当最近ダメだな。声が全然通らない。
この雰囲気、やっぱ楽しいじゃないですか。
詩吟でも本当に色々あるんですよ。
そんなことを知っていただけたら幸いです。
では今日は以上となります。
詩吟の魅力を発信する詩吟チャンネルどうもありがとうございました。
バイバイ。
14:53

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